はまちゃんさんのクチコミ(111ページ)全8,702件
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投稿日 2016年08月03日
総合評価:4.0
末吉宮跡に至る道は複数ありますが、末吉公園の北側、住宅街に300mほど一直線に伸びた広い通り(平良真地跡:琉球王国時代の馬の調教及び競馬場跡)の中ほどにある大名口参道から参拝しました。
参道の入り口には、“末吉宮大名口参道”と書かれた立派な標柱と由緒書きがあります。参道を少し進むと、人気のない山道になりさらに5分ほどうす暗い山道を歩いて行くと末吉宮跡に至ります。末吉宮跡は、1930年に国宝に指定された本殿があったところで、沖縄戦で崩壊されてしまいました。 現在見ることが出来る社殿は、残った礎石と資材を基に昭和47年に復元されたもので、周辺一帯が「末吉宮跡」として国の史跡に指定されています。社殿は琉球神社様式で建てられていて赤瓦の屋根や朱色の柱が沖縄の青い空とよくマッチし見ごたえがあります。参道の途中は薄暗いところもあって、蛇が出そうで気味が悪い場所もありますので、注意して参拝されるとよいでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.0
首里城から南に歩いて15分ほど、城南小学校のすぐ南に「御茶屋御殿」があります。
御茶屋御殿は1677年に造られた王府の別邸で、国王が遊覧し、中国からの冊封使などをもてなしたところだそうで、沖縄戦で苑内の建造物は全て破壊され、現在、跡地には、カトリック首里教会が建ち、苑内の菜園跡は城南小学校になっています。
御殿跡には石垣などの遺構を除いて、建物などは何も残っていませんが、城南小学校の北西すぐのところ、小さな公園の入り口に“御茶屋御殿石獅子”があります。もともとは、御殿内に置かれていたもで、そこが崖崩れの恐れが生じたため、移されたものだそうです。御殿の遺構としては大切なものなので、この地を訪れたら、是非、観られることをオススメします。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.5
ゆいレールの市立病院前駅から歩いてすぐ、末吉公園内に「玉城朝薫生誕三百年記念碑」があります。
玉城朝薫は、琉球王朝が中国皇帝の使者である冊封使を歓待するために演じられた歌舞劇である“組踊”の創始者で、“劇聖”と称されています。組踊は1972年に国の重要無形文化財に指定、さらに、2010年にはユネスコの無形文化遺産【世界遺産】に登録されています。記念碑には、玉城朝薫の代表的な作品である“執心鐘入”や“二童敵討”の場面が描かれています。
末吉公園は緑豊かな静かな公園で、記念碑があるところから石段を登って10分ほど山の中を歩いて行くと国の史跡に指定されている末吉宮跡に至ります。自然いっぱいで、散策するのにいいところなので、オススメします。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.5
冷凍プリンで、冷蔵庫で6時間ほど解凍してから頂きました。可愛い素焼きの壷に入ったプリンは、冷凍プリンとは思えないほどの美味しさ。カスタードが濃厚なプリンの上には、ふんわり甘いクリーム、トロトロのプリンの底には、香ばしいカラメルソース。食べすすめるうちに、次々に美味しさが追いかける不思議なプリンでした。9個入りで3250円と、少しお高いですが、お土産としてはもちろん、お使い物としてもオススメです。
- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
-
投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.5
首里城の南、城南小学校の西すぐのところに「儀間真常の墓」があります。
儀間真常は、1557年生まれ、サツマイモや木綿織り、 砂糖の製造技術を国中に広め、沖縄を支える産業を起こした人で琉球五偉人の一人と呼ばれています。もともとは、那覇港の近くにあったが、戦後、アメリカが接収して跡形もなくなったことから、現在の地に移し替えられたとか。那覇市の指定文化財となっています。
周辺は、那覇市内を見渡すことができる崎山公園などがあり、のんびり散策するのに良いところです。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.5
首里城の南、崎山公園の一角に「崎山御嶽」があります。
現地案内板によると、崎山御嶽は察度王の子・崎山子の屋敷跡だといわれているとのこと。拝殿にあたる門は、1865年に木造瓦葺きから石造のアーチ門に改造されたが、沖縄戦で破壊され、現在のコンクリート造りになったとか。詳細は添付写真を参照ください。
崎山公園は、高台にあって那覇の街や首里城を見渡すことができます。周辺には崎山樋川、御茶屋御殿石獅子などもあってのんびり散策するのにいいところです。
なお、崎山公園には駐車スペース、ベンチ、トイレが整備されています。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年08月03日
総合評価:3.5
首里崎山町の城南小学校の北西すぐのところ、小さな公園のそばに「国吉比屋の墓」があります。
国吉比屋は15世紀ごろの士族で、尚氏6代の王に仕えながら晩年に謀反を疑われて自害した護佐丸の子盛親をかくまい養育した忠義の人で、沖縄の組踊り“義臣物語”にも主人公として登場しています。詳細は添付、説明板の写真を参照ください。
お墓は、亀甲墓が多い沖縄にあって家屋造りの珍しい墓です。沖縄に多い国吉家の始祖となっていて、沢山の方が参拝されるようで、お墓の周りにはテント用の支柱のようなものが設けられています。
近くには、サツマイモや木綿織り、砂糖の作り方などを国中に広め、琉球五偉人と呼ばれる儀間真常の墓もあります。所謂、観光スポットではありません、沖縄の歴史に興味のある方にオススメです。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年07月30日
総合評価:3.0
首里城の南、歩いてすぐ、首里崎山の馬場(瑞泉)通りにある崎山公民館の石塀に「崎山馬場御座敷跡」の説明板がはめ込まれています。
「崎山馬場」は琉球王家御用の馬場で、東西約200m延びる道路では馬術訓練などが行われ、現在の崎山町公民館がある一帯は、国王が馬術訓練の様子や崎山村の綱引きを見物する際に御桟敷が設けられたそうです。
現在は、説明板があるだけで馬場の遺構などは何も残っていませんが、通りには見学ができる泡盛蔵元の瑞泉酒造がありますので、蔵元見学時に「崎山馬場」の説明板を観られればよいでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年06月08日
総合評価:4.0
首里城の南、歩いてすぐ、首里崎山の馬場(瑞泉)通りにある泡盛の酒造所です。建物の前には広めの駐車場があるので車ででもOKです。
予約なしで工場見学をお願いしましたが快く受け入れてくれました。ビデオで会社の概要を10分ほど見た後、工場を案内してもらえました。見学範囲が限られていていますが、ビデオを含めてトータル30分ほどで泡盛ができるまでの工程を学べて興味深かったです。
見学後は、試飲も出来るのですが、車で来ていたので断念しました。泡盛の他、Tシャッなどのグッズも販売しているショップもあります。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.0
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投稿日 2016年07月30日
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投稿日 2016年07月30日
総合評価:4.0
「忠魂碑」は“具志頭城跡”にあって、糸満市側から行くと国道331線と国道507号線の交差する点を過ぎて、八重瀬町役場を左に見て400mほど行くと、右手に斜めに入る路地がにあります、そこから道なりに400mぐらい行くと城址の敷地内駐車場に到達します。
忠魂碑は一般的に、国のため、天皇陛下のために戦って死んだ軍人や軍属の“忠義”の魂を顕彰するためのもので、沖縄にも読谷村などに見られ、戦前に造られたものが多いが、この「忠魂碑」は、昭和37年8月に具志頭村によって建立されたものとのこと。建立の碑文が無かったため詳しいことは分かりませんでしたが、具志頭村から出征された方々をお祀りされたものだと思われます。
具志頭城跡は十四世紀に具志頭按司が築城したといわれるお城で、現在は公園としてきれいに整備され、無料駐車場やトイレもあります。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月30日
総合評価:4.0
先の大戦において、沖縄で戦没された方々の御霊をお祀りされています。慰霊顕彰碑は“具志頭城跡”にあって、糸満市側から行くと国道331線と国道507号線の交差する点を過ぎて、八重瀬町役場を左に見て400mほど行くと、右手に斜めに入る路地があります、そこから道なりに400mぐらい行くと城址の敷地内駐車場に到達します。
平成5年6月に具志頭村遺族会によって建立されたもので、近くに戦没者名簿刻銘板が建っています。
具志頭城跡は十四世紀に具志頭按司が築城したといわれるお城で、現在は公園としてきれいに整備され、無料駐車場やトイレもあります。公園からは、大海原の絶景を見渡すことができますが、公園内には、土佐之塔や甲斐之塔などの戦没者慰霊碑もあるので、静かに景色を観て回られるのがよいでしょう。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2016年07月28日
総合評価:4.0
秋田県と岩手県にまたがる八幡平は、両県側の麓の県道線(アスピーテライン)沿いに国立公園のビジターセンターが設置されています。「松尾八幡平ビジターセンター」は、岩手県側の県道23号線沿い、松尾さくら公園の中にあります。八幡平・岩手山のハイビジョン映像やジオラマ、八幡平付近生息する動物や野鳥などの剥製、昆虫標本、高山植物などを展示・紹介しています。八幡平周辺のパンフレットなどが置いてあるし、無料で入館できますので岩手県側から八幡平に行くときに立ち寄って、情報収集されることをオススメします。
なお、隣には、“物産館あすぴーて”があり、お土産の購入や食事もできます。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2016年07月28日
総合評価:3.0
県道43号線の“久米南”の交差点を北西(県道47号線)へ100mほど歩いて、左手に50mほと入った右側に「辻村跡」の説明用石標があります。
説明用の標石には『琉球王府時代より、唐や東南アジア諸国、日本の要人たちをもてなす「ジュリ」と呼ばれた遊女らが暮らし、独自の芸能・料理文化を発展させた花街の跡です。1897年(明治12年)の沖縄県設置(琉球処分)以降、政財界の要人や役人、地元の商人などの接待や宴会、宿泊する場所として栄え、沖縄県下最大の社交場であったが、1944年(昭和19年)10月10日の空襲により消滅し、その幕を閉じた。』という意味のことが記載されています。
偶然、周辺を散策していて見つけた説明用石標でしたが、解説文とともに写真も掲載されていて当時の様子がよく判りました。現状は、説明用石標が立っているだけでその遺構らしきものは残っていませんが、周辺には比較的大きな料亭があるので、社交場としての歴史をつないでいるように見えました。
所謂、観光ポイントではないと思いますので、沖縄の歴史に興味ある方にオススメします。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2016年07月27日
総合評価:3.5
県道7号線の“真壁入り口バス停”から北に県道を400mほど走り、左手の間道を100mほど入った先に“真壁グスク(真壁公園)”があります。
現地案内板によると、真壁グスクは三山時代、南山城の出城として築かれ、14~16世紀に栄えたそうです。
真壁公園は、真壁グスク跡を整備して作られた公園で、園内には、遊歩道が設けられ、遊具のある遊び場や真壁宮、戦没者の慰霊碑、展望台などがあります。展望台のある広場へ上る階段の横に、城壁らしき石積みが残っていますが城郭ははっきりと判りませんでした。
主に地元の方が利用されるような公園ですが、沖縄の歴史やグスクに興味のある方にオススメします。駐車場や東屋などが整備されています。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年07月26日
総合評価:4.0
南城市知念、太平洋を見下ろす国道331号線沿いにあります。「手水の縁」とは、沖縄伝統の組踊の一つです。組踊りとは、琉球王朝が中国皇帝の使者である冊封使を歓待するために演じられた歌舞劇で、いわば琉球ミュージカル。
現地にある、歌碑の説明には『美しい女性に手水を乞い、飲ませてもらった男性が女性と恋におちるも、当時の社会では恋愛はご法度で、女性が処刑されそうになるが男性が助けて幸せになった。』という意味のことがかかれています。詳細は写真を添付しますので参照ください。
海を臨む国道沿いの高台に建てられた歌碑は立派なもので、左の歌碑には『くらさらぬ 忍で来やる 御門に出ぢめしやうれ 思ひ語ら』、右の歌碑には『結でおく契り このぢやでともな 変るなやう互に あの世までも』と刻まれています。右の歌碑は、“結んだ二人の約束は、この世のものだけと思うな、お互いに心変わりをするな、あの世までもの約束だから”という意味でしょうか、心に強く残りました。
国道331号線で知念付近を走る時には、是非、車を停めて休憩がてら歌碑を見て頂きたいと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2016年07月26日
総合評価:3.0
ゆいレールの儀保駅より西へ歩いて5分ほどのところにあります。
沖縄戦終結後、米軍の指導・援助により芸能家や画家が集められ建設された美術村の跡です。美術村の画家は、米軍人の肖像画や注文に応じた絵を描き、グループ展を開催するなどの創作活動を行い、戦後の美術活動復興の原点になったとか。
現在、一帯は閑静な住宅地で、説明板が立っているだけで美術村という画家達の理想郷の面影を残していません。しかし、説明板には、当時の村の様子や画家たちの作品の写真が載っていて、美術村の歴史を興味深く拝見することができました。
この辺りには、古都首里の遺跡がたくさんあります。私は、首里城公園管理センターで頂いた“首里城首里巡り”という絵図マップを参考に散策しました。首里の歴史に興味ある方は、首里城を訪れたら、絵図マップを入手して散策されると良いと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2016年07月26日
総合評価:3.5
首里の末吉公園(末吉宮跡)の北側、ゆいレールの儀保駅から歩いて10分足らずのところにあります。
1695年に造られたという琉球王国時代の馬の調教及び競馬場跡です。琉球王国の二大馬場の一つで、長さは約300mにも及ぶ直線で、幅は約15m程、馬場の中央には、国王が競馬を見物する御桟敷もあったとか。1897年(明治12年)の沖縄県設置(琉球処分)以降は、神社の例大祭の時にしか使われなくなり、1941年(昭和16年)の日米開戦の影響により、陣地壕構築のため馬場は掘り起こされて畑となったさそうです。
現状は、広い通りの両側に民家が並ぶ静かな住宅街になっていて、競馬場の遺構は全くなく、説明用の石碑があるだけです。それでも、説明板には詳しい歴史とともに、古い写真が載っていて、300mほど一直線に伸びた広い通りにその写真を照らし合わせると往時の姿を偲ぶことができました。
通りのすぐ南側には”末吉宮跡”があります。合わせて、散策されると良いでしょう。
この辺りには、古都首里の遺跡がたくさんあります。私は、首里城公園管理センターで頂いた“首里城首里巡り”という絵図マップを参考に散策しました。首里の歴史に興味ある方は、首里城を訪れたら、絵図マップを入手して散策されると良いと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2016年07月23日
総合評価:4.5
松尾鉱山は19世紀末から1969年まで八幡平にあった硫黄鉱山で、最盛期には従業員とその家族を合わせて1万5000人を数え、鉄筋コンクリート造りのアパートや病院、学校、劇場などが次々と建設されるなど、標高1000mの山の上に造られた近代都市は“雲上の楽園”と称されたそうです。閉山後、木造の建物は焼却され、鉱山施設も残っていませんが、当時の鉱山の繁栄ぶりを象徴する鉄筋コンクリートの建物だけが丘の上に残っています。
2010年5月に訪れたことがあり、今回が2度目の訪問でしたが建物群はそれほど大きな変化はなく、荒涼とした風景に感動しました。
口コミを見てみると私が最初に投稿した以降、2件しか投稿がありません。わが国の近代化に貢献した産業遺産を廃墟ファンだけでなく、多くの人に見ていただきたいです。なお、安全上、建物群への立ち入りは禁止されていますので、遠くから観るようにしましょう。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2016年07月23日
総合評価:4.0
東北自動車道の松尾八幡平ICから車で10分ほどのところにあります。
19世紀末から1969年まで八幡平にあった松尾鉱山の資料保存・展示する施設です。
松尾鉱山は当時、東洋一の規模を誇った硫黄鉱山で、最盛期には従業員数4000人、鉱山の人口は従業員とその家族を合わせて1万5000人を数え、鉄筋コンクリート造りのアパートや病院、学校、劇場などが次々と建設されるなど、標高1000mの山の上に造られた近代都市は“雲上の楽園”と称されたそうです。
資料館には、当時の写真や資料、工具、鉱山で使われていた貨車など様々な展示物があります。無料で入館できます。
なお、ここから車で県道23号線を20分ほど走り、さらに間道を5分ほど入ったところに「松尾鉱山跡」があります。現在は当時の鉱山の繁栄ぶりを象徴する鉄筋コンクリートの建物だけが丘の上に建ち、廃墟のようになっています。本資料館と合わせて「松尾鉱山跡」も観て回られることをオススメします。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0





































































