2025/05/21 - 2025/05/21
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kojikojiさん
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13日間のクルーズも最終日です。目が覚めるとバルコニーは雨に濡れているようで、風景は見覚えのある「サウザンプトン」の近くだと分かりました。前方を2週間前に見た「ワイト島」からサウザンプトンに向かっている赤いフェリーも見えています。最後の朝食を食べた後はぎりぎり午前8時まで部屋に留まり、ルームスチュワートとお別れをします。8時5分の下船時間に合わせてギャングウェイに向かい、リーガルプリンセスともお別れです。荷物はトランク2個に大きなバック2個と増えてしまい、この先1週間の移動が心配になります。それともう1つ、クルーズターミナルを出た後にタクシーがすぐにつかまるかということも気になっていた。船のスタッフは「問題ないですよ。」と言っていますが、「ル・アーブル」では近距離は乗車拒否しているのを見ていたので心配です。ところが建物の表に出ると白いタクシーが100台は並んでいたと思います。声を掛けられた運転手に荷物を預け、2週間前に2泊した「スター・ホテル」まで運んでもらい、あっけなくクルーズの旅は終わりました。ホテルのフロントの女性は我々を覚えてくれいて、チェックインは出来ない時間なので荷物を預かってくれました。本来この日に行こうと思っていた「ソレント・スカイ航空博物館」にも行ってしまったので、「シーシティ博物館/Seacity Museum」に向かいます。途中には買い物をしたショッピングセンターもあったので立ち寄ってみます。どうせ売っていないだろうと思った「Rolex」のショップのウインドウには何種類かのデイトナが並んでいて、売っているとのことでした。思わず買ってしまおうかなと思いましたが、あまり好きではないコンビのタイプだったので止めましたが、帰国してからずっと悔やんでいます。「シーシティ博物館」ではタイタニック号について学ぶことも多かったのですが、ずらりと並んだコインゲームが面白く、中でも「ジプシー占い」と「手相占い」にハマってしまいました。どちらもただ順番にカードが出てくるだけなのですが、妻のカードには「幸運が舞い込む」みたいなことが描かれてあり、自分のには「財産が手からすり抜ける」みたいなことがかかれていて気分が悪いです。ただ、言われてみれば結婚してからずっと妻に財産が流れているような気もしてきて、当たっているような気になってきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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目が覚めてバルコニーに出てみるとリーガル・プリンセスはすでにサウサンプトン水道(Southampton Water)に差し掛かり、「ロイヤル・ビクトリア・チャペル/Royal Victoria Chapel 」が浮かび上がっていました。
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礼拝堂は海岸に沿って伸びていた「ロイヤル・ビクトリア軍事病院」の中心にあり、この病院は1863年に開院し、大英帝国全土から集まった軍人を治療していました。ボーア戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦など100年近く運営されていました。病院の建物は1966年に取り壊され、現在は礼拝堂だけが残っています。
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進行方向に「サウザンプトン」の町が見えてきました。前を行くのはワイト島からのフェリーのようです。
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英仏海峡はヨーロッパからイギリスへ流入する移民の最後のルートであり、小型ボートでの渡航は英仏海峡の天候が穏やかになる夏に増加する傾向があるようです。2024年の8月には4000人以上が渡航したことが分かっているようです。
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イギリスでは就労資格を得ていない人々が働くことができ、税金も支払わずに済む「非公式経済」の問題があるようです。また、今回のクルーズでは寄港中には船には50メートル以内に近づかないように警告する横断幕が掲げられていました。船内から麻薬などを海に落とすケースなどがあるのではないかと感じました。
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懐かしい「サウザンプトン」の港の風景が現れました。ほんの2週間離れただけですが、英国を1周してきた後では風景も違って見えます。
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クルーズの余韻に浸る時間帯でもありますが、下船した後の1週間ほどの次の旅のことも考えなければなりません。
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この後は「サウザンプトン/Southampton」に1泊し、「ポーツマス/Portsmouth」へ移動した後は「ワイト島/Isle of Wight」にも足を延ばす予定です。
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朽ち果てた「ロイヤル・ピア/Royal Pier」の前も通過します。
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「サウザンプトン」には大型クルーズ船の停泊できるターミナルが6カ所あるようですが、今回利用したのは一番奥に並ぶ3つのターミナルの一番奥の「Mayflower Cruise Terminal」でした。その手前には「Horizon Cruise Terminal」「City Cruise Terminal」があります。
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同じプリンセスクルーズでもそれ以外の「Ocean Cruise Terminal (Berth 46)」「Berth 43 & 44 (White Star Line)」「Queen Elizabeth II Cruise Terminal」など数多いので注意が必要です。
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リーガル・プリンセスは港の奥で180度旋回を始めました。
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旋回したことでサウサンプトン水道(Southampton Water)がきれいに見渡せました。
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後は下船時間の船内放送を待つだけとなりました。
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2週間前は「Mayflower Cruise Terminal」まではホテルからタクシーで移動しました。問題は下船後にホテルまでの近距離を走ってくれるタクシーがあるかどうかが心配でした。
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船のスタッフは「大丈夫ですよ。問題ありません。」と言っていましたが、「ル・アーブル」の港では長距離のツアーだけを受け付けるタクシーだけでした。
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そんな心配をしながら下船しましたが、ターミナルの外にはこの町にこれだけのタクシーがいたのだろうかと思うほどの100台を超えるタクシーが客待ちしていました。
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声を掛けられたタクシーに乗って「スターホテル/The Star Hotel」まで送ってもらいます。料金は往路と同じ10ポンドでした。フロントには顔なじみのスタッフがいたので荷物を預けて観光に移ります。「Westquay」ショッピングセンターの前には「エディンバラ」でも出会ったパディントンがいました。
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「Westquay」の中の「ZARA」に妻は行きたかったようで、ストライプの奇麗なパンツを買っていました。夜になってからちまちま自分で裾上げをしていました。
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上の階のフードコートには「WAGAMAMA」という日本食のレストランもありました。1階には「ROLEX」のショップがあり、何種類かのデイトナが売っていました。日本のショップだと絶対にお目にかかれないものばかりだったので少し見えせてもらいました。思わず買ってしまおうという気持ちが湧き上がってきましたが、旅先で衝動買いするには値段が高すぎます。
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気を取り直して目的の「シーシティ博物館/Seacity Museum」に向かいます。その道すがら池袋にもある有名な火鍋店「海底撈火鍋」の文字を見つけました。
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着いたのは「サウザンプトン市役所/Southampton City Council」でした。博物館はこの建物の左側にあるようです。
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「シーシティ博物館/Seacity Museum」に着きました。1929年に英国の建築家アーネスト・ベリー・ウェバー( Ernest Berry Webber )によって古典様式で設計され、10年かけて建設されました。
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サウサンプトン電撃戦中にドイツ空軍の責任者であるヘルマン・ゲーリングはシビックセンターを標的にしました。彼は建物は空から「ケーキ」のように見え、自分は「ケーキを一切れ切る」つもりだったと述べました。1940年11月の空襲中に500ポンド(230 kg)の榴弾でシビックセンターを直撃するなど、12発の爆弾が投下されました。
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ファサードの水色に塗られた木部のデザインからも内部はアール・デコのインテリアを予想したらその通りでした。展示物だけで無く、建物も楽しめそうな予感がします。
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名前の「シーシティ博物館/Seacity Museum」からも分かるように、この博物館は
サウザンプトンと海に関わる展示を見ることが出来ます。 -
ところが最初にハマってしまったのが1階の吹き抜け通路に置かれた古いアーケードゲームたちでした。これらはペニー・スロット・マシーン(Penny Slot Machine)と呼ばれるアーケード・マシーンです。
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それがただ並べられているわけではなく、50ペンスや20ペンスで実際に遊ぶことが出来ます。そのためのコインの両替機もいい味を出しています。
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「The Wizaed’sPen」は50ペンス硬貨を投入し、右手をプレートの上に置いてボタンを押すと「魔法のペン」がメッセージを描き、右手から「神秘的な光線」で読みとります。
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2人で気に入ってしまったのがこの「Gypsy Fortune Teller」です。
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左右2か所のコイン投入口があり、左が男性用で、右が女性用です。まずは誕生月を左右のレバーを回転させ合わせます。そして50ペンス硬貨を投入するとジプシーの女性がこちらを見つめながらペンに占いの内容を書いていきます。(実際にはペンを持った手が動くだけですが。)
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最後にその書かれたカードが出てきます。昔の鉄道の硬券のような紙質が初めてなのに懐かしいです。妻のカードには「あなたは人生の中でもたらされるお金を賢く使うことが出来ます。莫大な富を持つことはできませんが、それが必ずしも幸せにつながるわけでもありません。あなたような親切な人には真の友人がいます。愛する人の顔に浮かぶ笑顔は数セントを上手く使った十分な報酬です。」
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期待して後から占ってもらうと「明日は何日も先延ばしにしてきたタスクを完了するようにしてください。そうしないとまた1週間が過ぎてしまいます。徹底的に仕事wしたいのは分かっていますが、今回は出来るだけ簡単な方法で達成するように検討してください。」とのことです。確かに絵葉書を数日分溜め込んでいますし、スケッチブックの日記も数日進んでいません。順番にカードが出てくるだけなのは分かっていますが、なんとなく当たっているのが不思議です。
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次は「SCIENTIFIC AUTOMATIC PALMISTRY」という手相占い器です。これは中央のブツブツと穴の開いたステンレス板の上に手を置いて50ペンスコインを投入します。
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すると掌を置いた穴から丸いピンが上がってきます。掌を置いていない部分のピンは上がり、掌の部分は上がらないという仕掛けです。科学的な自動占い器という売込みですが、そんな仕掛けがあるようには思えません。
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しばらくすると占いの結果が書かれたカードが出てきます。
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妻のカードには「あなたの手相は並外れたバランスの取れた性格を表しています。ビジネスにおいては一度結審したら成功できないことはありません。あなたは優れた識別力を持ち、誰が友人で誰が敵かを良く分かっています。あなたは人好きですが簡単には導かれず忠実な友人を作ることが出来ます。人生には挫折も訪れますが恐れることはありません。あなたの勇気があなたを笑顔に導いてくれるでしょう。」
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「あなたの手相は毅然として断固とした性格を表しています。導かれることはあっても駆り立てられることは無く非常に漢代で勤勉です。文学と音楽が好きでとても誠実ですが、独立心が強すぎて全ての人を満足させることは出来ません。しかし、異性の中にはこの魅力に抗えない人もいるでしょう。あなたのくすぶる陰気な魅力に夢中になる人もいるでしょう。」て、なんだこりゃ。
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「ELECTRIC TRAVELING CRANE SEE IT OPERATE!」という電動クレーンゲームです。回転式のレバー1つだけで操作するので簡単そうですが、一見してお菓子が取れそうには見えません。
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「STEER・A・BALL」は50ペンスを投入して、出てきたボールを大きなハンドルを回しながら盤面を左右に振りながらゴールまで導くというものです。最後までゴールすると50ペンスが返却されます。
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「Charlie Chaplin the BOOB DENTIST」は50ペンスで、下の覗き眼鏡でチャップリンのショートムービーを見るというものです。
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「Myers ROAD RACE 1936」
これは懐かしい!小学生の頃に京都の祖母が夏休みに買っておいてくれたおもちゃと同じような仕組みです。 -
本物の車と同じようなハンドルを動かすと中央の白い車が左右に動きます。画面上に現れる道路の幅から外れないように運転するというものです。上に乗った時計はドライバーが道路から外れた回数がカウントされます。30回以上は女性ドライバー、30回以下は試験合格、20回未満は元リスト、10回以下はスターリング・モス!モスは1950年代に活躍したイギリスのレーシングドライバーです。
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「THE SPIRITUALIST ROOM」
20ペンスを入れると扉が開いてゴーストが現れたり、テーブルが浮かび上がったり、物が動いたりします。 -
「GHOST SHOOT」
20ペンスを入れて、20秒間に10のゴーストに当たるとさらに10秒後に再び現れます。こういう銃を使ったアーケードゲームは日本にもありました。 -
シンプルなクレーンゲームですが、木製のボディにアール・デコのデザインの金具がつても美しいです。
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「THE ORIENTAL CRANE」は名前の通り中国風の塔のようなデザインとカラーリングです。このクレーンゲームの景品の小さいダックはちょっと欲しい気がしました。
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手持ちの2ポンドコインや1ポンドコインがどんどんなくなって行きます。
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「THE HAUNDED CHURCHYARD」
20ペンス硬貨を入れると中央の男性が動き、横の石棺の蓋が開いたり白い墓標が上下します。そして墓地の扉が開閉してオベリスクが回転します。
https://www.youtube.com/watch?v=OiyjB3f5avc -
「THE GUILLOTINE」
ギロチンは1950年代にロンドンのクラフト・オートマチック社によって製造されました。処刑の鐘が鳴ると牢獄の扉が開き、奥にはギロチン台が見えます。ギロチンの刃が落ちると扉が閉まります。
https://www.youtube.com/watch?v=qMjuy9Hd0aU&t=6s -
「THE GRAND MARATHON CYCLE RACE」
これは2人で紅白のユニフォームを着た船首を手前のハンドルを回すことで走らせて競わせるゲームです。 -
「Grandfather Clock Strength Tester」
形は掛け時計のようですが、台の上のクロムメッキのレバーを握ることで握力を計測するものです。 -
「Harry the Horse "Great Star-The Big Bad Wolf"」
20セント硬貨を入れると操り人形たちがダンスをします。ヘンゼルとグレーテル、グレーテルの馬のハリーはジンジャーブレッドの小屋を見つけて喜びのあまり踊り出します。三匹の子豚はレンガで家を建てています。でも歌っているのはピンキパーキーキーだけで、ポーキーの姿はありません。もしかしたら後ろにいる大神が知っているかもしれません。 -
「MUTOSCOOP Presents the Noble Sport」
これは古い映画(活動写真)を上映するミュートスコープです。ここではボクシングのノックアウトのシーンが見られるようです。 -
「The RACER 2」
サウスエンド・オン・シーのエセックス・オート・マニファクチャリング社製の2人用ゲームです。この機械は稼動していることが知られる唯一の機械だそうです。国立ペニー・ストア・マシン博物館(The National Museum of Penny Slot Machine)にはサッカーの試合とクリケットの試合の機械は修復を待っています。キャビネットは1920年代半ばのブリキで造られ、アールデコ様式のモールディングのデザインが施されています。 -
「Laugh with the JOLLY SAILOR」
タイトルの通りに陽気な船乗りが延々と笑い続けるのを一緒に笑うというものです。https://www.youtube.com/watch?v=QchcpH8Fl8k -
「HEY KIDS!play with PEPPY the Musical CROWN」
これはコインを入れると操り人形が歌い、テーブルのボタンを押すと左右の手足を操ることが出来ます。 -
クラウンの可愛らしい表情が何とも言えません。ミャンマーを妻と2人で旅した時はマリオネットにハマり、いくつもの劇場を見学した最後には自分でも操作を教わりました。妻がめちゃくちゃ上手に操るので気分が悪かったことを思い出しました。
HTWE OO MYANMAR:https://4travel.jp/travelogue/10944093 -
「FOOTBALLMATCH」
日本にもボードゲームの野球盤やサッカーゲームもありましたが、子供の頃は野球盤が絶対的な人気がありました。この2チームは2色の毛糸で編まれたシャツを着ているのが可愛らしいです。 -
思ってもいなかったところで時間を取ってしまいましたが、めちゃくちゃ楽しかったです。
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元々の建物の内装を傷めないようにさらに内装を建て込んでいます。まずは「サウザンプトン」と海の関係について学びます。
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CUNARDの古い客船の模型もありました。昨日立ち寄った「ル・アーブル」の美術館で見た「オーシャンライナーズ/1913-1942:大西洋横断の美学」というエキシビジョンが思い出されます。
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「教訓:タイタニック号の沈没は悲劇でしたが、海上安全性の大幅な向上につながりました。」
1914年に大西洋沿岸13か国の代表がロンドンで海上人命安全条約(SOLAS)に出家記しました。この条約では商船が搭載すべき救命ボートの数など、商船の新しい安全規則が合意されました。 -
世界へのゲートウェイとしてのサウザンプトンの展示コーナーに入ります。
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「天球儀(Celestial Globe)」は球面上に恒星の天球上の位置を示した模型です。平面上の星図と異なり、星空を歪みなく描くことが出来、後世間の角距離も正しく表現できます。天球儀では天球を外側から眺める形になります。記録に残る最古の天球儀は紀元前255年にギリシャのエラトステネスが作ったものだとされています。
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まだ行ったことのない北アメリア大陸が見えます。9月にはアラスカクルーズに行く予定にしているのが楽しみです。
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ちゃんと北海道まで表現された日本地図です。30代のころから海外旅行をする際はその国の最初の年のアンティークショップで16世紀から17世紀の地図を買って旅をしていました。帰国後は額装して家に飾っていますが、海岸線のある国の地図が見栄えがあります。
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通常の地図とは角度が違いますが、サウザンプトンから地中海への航路、アフリカ航路、北米航路が赤いラインで表現されています。
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ようやく博物館らしくなってきました。まずはローマ時代の貿易についての展示です。
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バーナード・デ・ヴィルという中世のフランス人商人ついての展示です。中世のサウザンプトンは王城と埠頭を持つ重要な貿易港でした。
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「Q.S.T.S."QUEEN MARY"」の巨大な模型がありました。キュナード・ラインが所有していたオーシャン・ライナーで、サウサンプトン - シェルブール - ニューヨークを毎週行き来できるように計画した2隻のうちの1隻でした。
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元々は「ヴィクトリア(Victoria)」に内定していた船名が「クィーン・メリー(Queen Mary)」と命名されたのは、裁可のため社長代理がジョージ5世に拝謁して「この新客船にはイギリスの偉大な女王の御名を冠します」と遠まわしに奏上したところ、自らの王妃(クイーン)であるメアリー・オブ・テックの名を冠すると勘違いしたジョージ5世から「そうか。ありがとう」と礼を言われ、引っ込みがつかなくなったことに起因します。
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ここからは「タイタニック(TITANIC)」の展示が始まります。
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この2週間のクルーズでは寄港した「コーブ/Cohb」ではタイタニック号がニューヨークへ向けての最後の寄港について学び、「ベルファスト/Belfast」では建造について学びました。そして再び「サウザンプトン」でタイタニックについて学びます。
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ここでは乗組員についての説明がありました。タイタニック号には897人の乗組員がいて、その4分の3以上が出港前の数日間サウザンプトンに住んでいました。
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船長のエドワード・ジョン・スミスの紹介です。彼は1880年からホワイト・スター・ラインに勤務していました。経験豊富な船員として知られ、同僚からは尊敬されホワイト・スター・ラインにとって新造船の初航海の第一候補とされていました。士官からも人気があり、とても穏やかな人物だったようです。
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チャールズ・ハーバート・ライトナー二等航海士は13歳だった1887年から帆船の見習いとして初めて海に出ました。1890年代にはアメリカとカナダに渡り、金鉱を探し、後にはカウボーイとしても働きました。1899年にイギリスに戻ると船長資格試験に合格し、ホワイト・スター・ラインに就職しました。
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ウォルター・フランシス・フレデリックスは石炭積み込み作業員でした。彼の祖父は1840年代にドイツからサウザンプトンに移住しました。一家はここに定住し、男性のほとんどは港湾労働者として働きました。
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メイベル・ベネットは一等客室乗務員です。サウザンプトン近郊の江リングで生まれ、30歳ですでに未亡人でした。1912年当時ほとんどの家庭では男性が稼ぎ手でしたが、夫のいない彼女は働かなければなりませんでした。最近までタイタニック号の姉妹艦のオリンピック号で働いていました。
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シドニー・セデュナリー三等給仕は内陸のバークシャーで育ちましたが、17歳の時にイギリス海軍に入隊しました。4年間勤務したのちの1908年にホワイト・スター・ラインに入社しました。それ以来彼はスチュワードとして働き、1911年にオリンピック号に乗船して処女航海に出航しました。
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アーチー・ジュエルは見張り役でした。コーンウォールの船乗り一家出身で15歳の時に初めて海に出ました。この当時23歳で1907年からホワイト・スター・ラインに入社しました。アーチはタイタニック号にいた6人の見張り役のうちの1人でした。彼らは全員が業務に適しているか証明するために商務省の視力検査を受けています。
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「1912年のサウザンプトンの生活」
サウザンプトンは活気のある街で、重要な旅客港でもありました。
イギリスは世界有数の海洋国家で、サウザンプトンは貿易相手国や世界中に広がる帝国の遠く離れた場所との接点で、イギリスに到着する旅行者の玄関口でした。また、アイルランドやイタリアの貧しい人々や東ヨーロッパで迫害されたユダヤ人などは旧世界を離れ、アメリカで新しい生活を築きました。 -
「サウザンプトン中心部」
当時のサウザンプトンは発展途上で、人口は112,000人を超え、町の中心部は買い物客や労働者で賑わいました。商店やホテルやレストランは町を通過する旅行者や移民、港湾の船会社にサービスを提供しました。 -
2週間前と今晩泊まる「スターホテル」もそんなホテルの1つで、メインストリートのハイストリートも賑わっていたのだと思います。
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現在のハイストリートは夕方になると閑散として、クルーズ船の乗客もサウザンプトンに宿泊することは少ないのだと感じました。素通りしてしまうにはもったいない街だと思います。
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左に展示されている航行灯はオリンピック号のもので、タイタニック号にも同じものが設置されていました。アンカーチェーンはリングの中央に横木のあるタイプのもので、タイタニック号にも同じものが使われていました。
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昨年の10月のニュージーランドクルーズに出掛ける際の成田空港で買ったシェーヌダンクルのブレスレットは妻の手首には2コマ足りなくて、池袋西武のエルメスに修理をお願いしてありました。そう言えばまだパリから戻ってきていないのを思い出しました。ロレックスのベルトのコマといい、ちょいちょいお金のかかる女になってしまいました。
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タイタニック号の52,310トンの船体を支えるには3つの巨大な錨と鎖が必要でした。これらはウエスト・ミッドランズ州ネザートンのヒングリー製鉄所で製造されました。2つのサイドアンカーは7.8トン、中央のアンカーは15.8トンありました。鎖の各リングはハンマーと金床を使って人力で成形されました。1つが80キロの重さがあり、平均的な成人男性の体重とほぼ同じでした。
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「出港準備」
タイタニック号はエンジンを動かし続けるための約7,000トンの石炭と大西洋を横断する1週間の航海で乗客の食事のための食糧と水、ワイン、食器、寝具、花、葉巻などの物資を積んでいました。 -
「ホワイト・スター・ライン」のフラッグが展示されています。
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積み込まれていたものがイラストで表されています。3,364袋の郵便袋、殻付きのクルミ411ケース、600ガロン(2,268リットル)のコンデンスミルク、1,750クオートのアイスクリーム。クオートはヤード・ポンド法における体積の計量単位で約2,000リットルに当たります。
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4ケースのヘアーネット、44,000ピースのカトラリー、100本のハサミと続きます。子供の頃に読んだ「エルマーのぼうけん(My Father's Dragon)」の中で、エルマー・エレベーターが竜を助けるためにリュックに詰め込んだものを思い出しました。
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チューインガム、ももいろのぼうつきキャンデー2ダース、輪ゴム1箱、黒いゴム長ぐつ、磁石が1つ、歯ブラシとチューブ入り歯磨き、虫めがね6つ、さきのとがったよく切れるジャックナイフ1つ、櫛とヘアブラシ、ちがった色のリボン7本、「クランベリいき」と書いた大きなからのふくろ、着替えを何枚か、船に乗っている間の食料(ピーナッツバターとゼリーをはさんだサンドイッチを25と、リンゴを6つ)を持っていきました。
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タイタニック号はさらにアスパラガス用のトング400個に800束のアスパラガス、57,600ピースの食器、アヘン4ケース、4ケースの麦藁帽子、3,600ケースのオレンジ、馬の毛の束2ケース、1ケースのウサギの毛まで摘みこまれました。
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タイタニック号がサウザンプトン水道に入ると前後に強い波が押し寄せ、船首の先のニューヨーク号が引き寄せられます。スミス船長はエンジンを停止し、タグボートを後進したことで衝突を回避しました。タグボートがニューヨーク号を岸壁に押し戻してタイタニック号は航海を続けます。
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「新世界へのアプローチ」サー・ノーマン・ウィルキンソン
この絵画はオリンピック号の1等喫煙室に掛けられていました。前日の「ル・アーブル」入港時の風景を思い出します。 -
この博物館の一番のお気に入りのアーケードゲームコーナを見下ろしながら次のコーナーへ移動します。
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ホテルへの帰り道に買えばよいのに「ZARA」で気に入ったパンツを持っての見学です。
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「船上での生活」
タイタニック号がサウザンプトンを出港すると乗客も乗務員も同じ1つの世界の一部になります。しかしその世界での経験は全く異なり、贅沢を楽しむ人もいれば、骨の折れる仕事に従事する人もいます。 -
船のレイアウトでは乗組員と乗客は隔離され、同じ乗客でもクラスによって異なるゾーンに分別されています。1等と2等の乗客に向けて設計されたエリアは快適で、豪華な装飾が施されていますが、その他のエリアは簡素でした。1等船室と2等船室の乗客はこのような椅子でデッキの新鮮な空気を楽しむことが出来ました。
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このパネルはタイタニック号の姉妹船であるオリンピック号の一等船室にあった暖炉の装飾板「名誉と栄光が時を戴冠させる(Hounour and GGぉryCrowning Time)」です。
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このパネルはオリンピック号の大階段の踊り場に飾られていました。タイタニック号にも同じパネルが設置されていましたが、沈没とともに失われました。
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「ブリッジ」
ブリッジはタイタニック号の指令センターで、ここから士官たちは進行方向と速度を制御し、船内で働く乗組員と連絡を取りました。4時間のシフトで責任を負う士官は当直士官と呼ばれ、主な任務は船の進路の記録と誘導、天候の監視、夜間の船の航行灯の点滅の確認でした。士官は重要な決定を下して命令を出しますが、緊急事態や異常事態が発生した場合は船長に報告しました。 -
再現されたブリッジは社会科見学の子供たちに占拠されていたので近づけませんでした。かなり真剣に学んでいる姿に自分の子供時代との違いを感じます。
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乗務員はタイタニック号のブリッジにある電話を使って船内の他のエリアで働く乗組員と連絡を取ることが出来ました。伝声管(でんせいかん)は直径の小さい管の中では音波は平面波のような状態で伝搬し、減衰が少なくなるという原理を利用したものですが、タイタニックでは電話が使われていたのかと感心します。
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「2等船室」
2等船室はほとんどが船尾側にありました。2つまたは4つのベッドがあり、家具は頑丈でデザインも優れていましたが、スペースは非常に限られています。 -
現在の地中海航路のフェリーもこんなレイアウトになっています。別途にシャワーブースがあるくらいでそれ以外は違いは無さそうです。
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「ボイラー室」
タイタニック号には6つのボイラー室があり、船を動かし続けるために石炭をシャベルでくべていました。石炭の火で水を熱し手蒸気を発生させ、その蒸気の圧力でエンジンを回してスクリューを回転させました。 -
1日に850トン以上の石炭、1時間平均35トンを燃焼させます。2分ごとに1トンの石炭をボイラーに投入しなければなりません。火力を維持するには技術と判断力と経験、そして体力が必要で、石炭を最大限に活用するには定期的な清掃も必要でした。
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「大惨事」
1912年4月14日深夜の直前にタイタニック号は氷山と衝突しましたが、乗務員はその後に起きる出来事の規模とスピードに全く備えていませんでした。3時間もしないうちに船は沈没し、1500人以上の命が失われました。この厳しいスケジュールの背後には惨事を経験した人の個人的な物語があります。 -
「サウザンプトンに知らせが届く」
タイタニック号の沈没の知らせは数時間後にサウザンプトンに届きましたが、自宅に残された人々が全容を知るまでには何日もかかりました。 -
最初のニュースは4月15日の午前11時のサウザンプトン・タイムズに掲示された告知でした。噂も広まりましたが誰も信じられず、クヌート・ロードにあるホワイト・スター・ライン社の事務所にも人が集まりました。
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最新の報告が北大西洋から届くと同社は生存者の名前を手書きでリストアップしました。同時にサウザンプトンに電報が届き始め、中には「ラップランドに無事到着」という朗報もあれば「救助されず」という運命の言葉もありました。この惨事の規模が徐々に明らかになってくると乗務員897人のうち、生き残ったのは僅か212人でした。
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この博物館が「サウザンプトン市役所」の建物と同じだったことを思い出すような豪華なアール・デコの内装です。
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サウザンプトンの町の歴史のコーナーに移ります。
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「ヨーロッパ戦勝記念日」は第2次世界大戦において連合国がドイツを降伏させた日として、ヨーロッパにおける勝利を記念する日です。大半の連合国ではVEデー(Victory in Europe Day, V-E Day もしくは VE Day)と呼ばれます。5月8日がその日に当たり、今回の旅のサウザンプトンの到着日は5月6日でした。そのために町中には記念する旗が通りに掲げられていました。
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「対日戦勝記念日」とは連合国の第2次世界大戦における日本に対する戦勝記念日です。Victory over Japan Day, VJ Day, Victory in the Pacific Day, VP Day ともいいますが、略称としては VJ Dayと表記されます。8月15日がそれに当たりますが、5月の時点で旗が掲げられていました。
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「サウザンプトン空襲」
第2次世界大戦中の1940年9月7日から1941年5月10日までドイツ空軍によるイギリスへの継続的な爆撃が行われました。これはドイツ語で電撃攻撃を意味する「Blitzkrieg」に由来し「ブリッツ」として知られていました。ウールストンにあるスピットファイアを製造するスーパーマリン工場の建物は市内の標的となりました。 -
サウザンプトンへの主な攻撃は1940年11月と12月に発生しました。市内には合計57階の空襲があり、2,300発の爆弾と30,000発以上の焼夷弾が透過され、約45,000棟の建物が損傷して多くの死傷者が出ました。
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サウザンプトンに到着した2週間前にメインストリート周辺を散策すると廃墟となった「ホリールード教会/Holyrood Church」などを見る機会がありました。
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「D-DAY」
1944年のDデイに向けてノルマンディー上陸作戦のために数千人の連合軍兵士や上陸用舟艇、武器が海峡を越えて輸送されたためにドックは活気に満ちていました。3年以上に渡りサウザンプトンはアメリカ陸軍の主要港であり、延べ3500万人の連合軍の軍隊がフランスへ向かう途中にサウザンプトンを通過しました。 -
「船舶と海運」
19世紀末に最初の大型定期船が就航して以来、今日の巨大クルーズ船の台頭までサウザンプトンは定期船産業の中心地であり続け、何百隻の船が何千もの航海をしてきました。 -
「豪華客船」
伝統的に豪華客船の内装は一流ホテルやジェントルマン・クラブのような設計が求められたために、建築家は船舶会社にやとわれるとホテルや銀行をモデルにした内装を設計しました。第1次世界大戦前にハンブルグ・アメリカラインの船でアラカルトダイニングが導入されると裕福な乗客は決まった時間ではなく、好きな時に食事を楽しむことが出来ました。 -
1900年代に入るとイル・ド・フランス号やノルマンディー号、クイーン・メリー号などの新しい客船が流線型の空気力学的な形状を持つ現代的なオーシャン・ライナー・スタイルを導入しました。
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「キューナード」
キューナード・ラインは1840年にカナダ人のサミュエル・キューナードによって設立され、すぐに北大西洋の主要旅客船会社の1つになりました。1919年にキューナードのサービスはリバプールからサウザンプトンに移り、旗艦船のベレンガリア号の本拠地となりました。 -
1934年にはホワイト・スター・ラインと合併し、政府の有志によりクイーン・メリー号とクイーン・エリザベス号という2隻の大型定期船が建造され、さらにモーリタニア号も建造され、第2次世界大戦中は重要な役割を果たしました。
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戦後のキューナードは大西洋最大の旅客船会社の地位を取り戻し、1955年までにイギリスとアメリカ間の航路で12隻の船を運行していました。その後航空機の台頭により船舶数の削減が決定され、1968年以降は通年運航の定期船は廃止され、夏の航路と冬のクルーズに集中しました。
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最盛期の時代の各船のポスターが展示されていました。昨日の「ル・アーブル」の「マルロー美術館」のエキシビジョンの展示を思い出します。
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豪華客船の墓標のようにも見えてしまいますが、やはりカッサンドルの「ノルマンディ号」のポスターのデザインの完成度の高さを思い知らされます。本当に本物が欲しくなってきたので帰国したら百貨店の美術の担当者に聞いてみようと思います。
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船内のレストランではどのような料理が提供されたのか紹介されていました。最初にゲームで時間がかかってしまったので札を1枚1枚返してみる時間はありませんでした。リーガル・プリンセスのメニューは全部写真に撮ってきたのですが。
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「ドック」
サウザンプトンは貨物と旅客港としてかなり以前から発展し始めていましたが、蒸気船の時代の到来によってはじめてその真価を発揮しました。最初のドックは1842年に開設され、大型船の停泊が可能になりました。 -
ロンドン・サウザンプトン鉄道が開設されたばかりで、船は埠頭で貨物を貨車に積み降ろし出来るようになりました。2週間前に港近くを歩いている際に埠頭への引き込み線を見たことを思い出しました。
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「貿易港」
考古学的にはローマ人とサクソン人の双方がここに定住して港を建設しました。1066年のノルマン・コンクエスト後、サウザンプトンは海峡貿易を支配し、羊毛の輸出とワインの輸入を行いました。1620年にはメイフラワー号がサウザンプトンを出港し北米大陸に向かいました。 -
「砂糖と政治とマネー」
サウザンプトンと大西洋横断奴隷貿易についての展示もありました。サウザンプトンはブリストルやリバプールのように奴隷貿易の中心地ではありませんでしたが、住民の多くはカリブ海諸国の奴隷の搾取によって繁栄しました。 -
1712年ごろにロンドンで出版されたアフリカ全土の地図です。30年くらい前はこのような地図が数万円で買えましたが、現在はいくらくらいになっているのでしょうか?
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「サウザンプトンとカリブ海」
サウザンプトンとカリブ海の最初のつながりは1629年に証人のトーマス・クームが60人のアフリカ人奴隷とセント・キッツ島に到着した時に始まります。サウザンプトンはカリブ海のプランテーションに経済的関心を持つ多くの商人の故郷でした。砂糖やタバコなどが奴隷労働によって生産され、イギリスに輸出されていました。 -
1625年にイギリス王チャールズ1世からカーライル伯ジェームズ・ヘイにバルバドス島の独占所有権を含む植民地経営の特許状が下され、植民地経営が始まりおよそ3000人の入植者がありました。イングランドの統治が始まってからはサトウキビの生産技術が導入され、カリブ海諸島で初となるサトウキビプランテーションがイギリス人の農園主によって経営されます。当初はイングランドの植民地となっていたアイルランドなどからの白人年季奉公人によってプランテーションが担われていましたが、最終的にはアフリカから黒人奴隷が連れてこられ、強制労働をさせられました。ようやく博物館の見学が終わりました。
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妻はすでにお腹が空いた上に飽きてしまったようです。そろそろ切り上げないと駄々をこね始めそうです。
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