2025/05/15 - 2025/05/15
42位(同エリア161件中)
kojikojiさん
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- Q&A回答73件
- 3,429,139アクセス
- フォロワー170人
この旅行記のスケジュール
2025/05/15
この旅行記スケジュールを元に
「カルゼアン城/Culzean Castle」のカフェでお昼を食べた後は2時間ほどのフリータイムになります。この城はクライド湾を見下ろす高台に建ち、かつてはケネディ一族の首長であるアイルサ侯爵の邸宅でしたが、現在はスコットランドのナショナルトラストが所有しています。1972年から2015年までスコットランド王立銀行が発行した5ポンド紙幣の裏面には城のイラストが描かれていたそうです。そう、ここでの買い物のお釣りを見るとそれまでの紙幣と違うデザインだと気が付いて、係の人にスコットランド以外のエリアでも使えるのか聞いてしまいました。もちろん大丈夫したが、一瞬心配になりました。林の中を10分ほど歩くと大きな石のゲートが見えてきてその中を進むと右手に時計塔のある建物と左手に母屋である城館が建っています。まずは城館の方へ進みますが、扉を入った途端に広がるホールの装飾の奇抜さに圧倒されます。床に置かれた小さな大砲は可愛いもので、剣と鉄砲を組み合わせた壁面に至っては狂気の世界としか思えません。1945年にケネディ家は城とその敷地をスコットランドのナショナルトラストに譲渡して相続税を回避しましたが、そうすることで第2次世界大戦中にヨーロッパの連合軍最高司令官としての役割を務めたドワイト・D・アイゼンハワー陸軍大将に城の最上階のアパートを与えることとしました。将軍は1946年に初めてこの城を訪れ、米国大統領時代の1回を含めて4回滞在したそうです。この装飾はその当時のものかもしれません。客間といくつかの部屋を抜けると楕円形の吹き抜けになった階段ホールに出ます。このホールの美しさはこれまでに見てきたいくつかのカントリーサイドの城館の中でも群を抜いており、ポルトガルのリスボン郊外の「シントラ」のいくつかの城館を思い出しました。迷路のような部屋を幾つもまわり、最後は大きなキッチンで見学は終わります。その後は「ウォード・ガーデン-カルツェーン/Walled Garden-Culzean Castle & Country Park」に向かいますが、敷地が広大なのと道が真っすぐではないので迷いそうになります。前からちょっといかつい感じのお兄さんが歩いてきたので、「すいません。ウォード・ガーデンに行きたいのですが。」と声を掛けると満面の笑顔で道を教えてくれました。そしてどこから来たのか尋ねられ、日本からだというと嬉しそうに「こんにちわ。」と挨拶してくれました。彼にとっては日本語を使いたかっただけなのだと思いますが、イギリスの旅ではそんなさりげない親切に何度も出会いました。再集合した後はバスに乗り「ダヌアー城/Dunure Castle」にも立ち寄って20分ほどのフリータイムの中で廃墟となった海岸線に建つ城の見学しました。帰り道は往路とは違った内陸部の高速道路を走ったので、右側の席に座って良かったと思います。「グラスゴー/Glasgow」の街はほぼ素通りするだけでしたが、「ペイズリー/Paisley」という町の近くを通過する際に町の産業やペイズリー柄について教えてもらったのは勉強になりました。夕方になって船に戻り部屋でルームサービスのカクテルを飲んだ後は出港の風景を眺めに「スカイ・デッキ」に上がりました。午後6時から夕食の時間まで粘り、海上から先ほど訪ねた「ダヌアー城/Dunure Castle」や「カルゼアン城/Culzean Castle」が見えないかと思いましたが時間切れになりました。唯一右舷側にウールのセーターで有名な「アラン島/Isle of Arran」が見えていましたが、逆光だったのが残念です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「カルゼアン城/Culzean Castle」に午後0時15分について、午後3時までのフリータイムになりました。まずは施設内のカフェでお昼をいただきました。
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「Home Farm」と名付けられたこの施設は昼食をとったカフェの他にミュージアムショップなどもありました。元々は豚舎と牛舎だった建物を改装しています。
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スコットランドのナショナルトラストはスコットランド最大の会員制組織であり、自らを「スコットランドの壮大な遺産を大切にし、共有し、声を上げる慈善団体」と定義しています。この「カルゼアン城」はトラストの最も象徴的な場所の1つとされています。
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「ホーム・ファーム/Home Farm」を抜けると途端に森の中に放り込まれたような気分になります。5月の爽やかな日に木漏れ日の中を歩くのは最高に贅沢だと思います。
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10分ほど歩くと廃墟のようなゲートが現れます。城館は1777年から1792年にかけて段階的に建てられましたが、特に破壊されるようなことはありません。ロバート・アダムは訪問者が城館を垣間見える位置に偽の廃墟のアーチを設計しました。
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「カルゼアン城」は第10代カシリス伯爵の命令によりL字形プランの城として建設されました。彼は建築家のロバート・アダム(Robert Adam)に伯爵領の座となる立派なカントリーハウスに建設するよう指示しました。
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ロバート・アダムはイギリスの新古典主義の建築家でインテリア デザイナー、家具デザイナーでもありました。1760年頃から亡くなるまでイングランドとスコットランドにおける古典的リバイバルの第1段階のリーダー的な存在で、ヨーロッパと北米の両方で西洋建築の発展に影響を与えました。
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ゲートを越えるとその奥に美しい城館が見えてきます。
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館の向こう側は海が迫っていますが、手前側は少し谷間になっていて、日当たりのよい芝生の庭園になっています。
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我々の乗って来たバスの乗客50人ほどとそれ以外に個人出来ているお客を合わせても150人ほどくらいだったと思います。広大な敷地に散らばってしまうと見掛ける事も無くなります。
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城館の入り口にはケネディ家の紋章を掲げた凱旋門までありました。
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シールド(盾)の下にあるスクロール(巻物)に書かれてあるモットーはラテン語で「VAVISE LA FINE」と書かれてあります。翻訳してみると「終わりを見る」という意味のようですが、何に由来するのかまでは分かりません。左右の鳥はケネディ家の紋章の白鳥です。
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門をくぐった右側には「時計塔/Clocktower」の建物があります。
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ここだけでも立派な城館ですが、ここはスコットランドのナショナルトラストが運営する宿泊施設になっています。さらにギャラリーも併設しているようです。
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左側には目的の「城館/Culzean Castle」があります。
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正面玄関からホールに入ります。この時は数人のお客さんがいましたが、すぐに我々だけになり、館内はほとんど貸し切り状態で見学することができました。
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「玄関ホール」
いきなりトーチを手に持った腕が現れます。 -
壁面には数百丁の銃やサーベルで覆われています。
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ワニ1頭の剥製をそのまま加工したステッキ立が不思議な存在感を醸しています。以前に行ったスリランカのヌワラエリアの「ヒル・クラブ」というジェントルマン・クラブに宿泊した時のビリヤードルームには象の足を輪切りにしたキュースタンドがありました。
ヒル・クラブ:https://4travel.jp/travelogue/11248783 -
こういった風に武器を飾ったり狩猟で狩った動物の頭部の剥製を飾るのは欧米の裕福な人たちの趣味なのでしょうか?ハンティング・トロフィーはまだ理解できますが、同じ武器を幾つも集める意味がよく分かりません。
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映画「エイリアン」のクリーチャーデザイナーのH・R・ギーガー(Hans Ruedi Giger)を思い出させます。ここにもケネディ家の紋章がありました。
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ここには700丁のピストルが展示されていますが、アメリア生まれの第12代アーチボルト伯爵はイギリスがアメリカとフランスと戦争をしていた当時、この玄関ホールを使って武器を披露姉妹s田。1812年にロンドン塔の兵器局から購入した武器は時代遅れでもあり、イギリス軍にとっても余剰の武器だったようです。
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コレクションは12箱にも及び、これらの武器はウインザー城のイギリス王室のコレクションに次ぐ規模だそうです。
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「ライブラリー」
この部屋は400年の間に4つの異なる使い方があったようです。トーマス・ケネディ卿が住んでいた400年前はここは塔屋への入り口でした。その後の1750年頃の第9代ケネディ伯爵はだんだんになった庭園を見渡せるダイニングルームに改装しました。 -
裕福な若い男性が教育を受け、古典美術を学び、楽しい時間を過ごすためにヨーロッパを巡りグランドツアーへ出かけるのは当時の流行でした。1764年の第2回目のグランドツアーではイタリアのローマにも滞在しました。当時の貴族文化ではグランドツアーで訪れたイタリアなどで肖像画を描いてもらうことが慣例であったようです。
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この肖像画は長年第9代伯爵の弟であると考えられていましたが、兄のトーマス・ケネディの物だと分かったようです。ローマの人気画家のポンぺオ・パトーニによって描かれました。
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1770年代に部屋を再設計した建築家のロバート・アダムスはプロポーションを改良し、コーナーを半円形にしました。壁面上部の果物とブドウの連続模様はダイニングルームとしての本来の用途を反映しています。
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1877年になると第3代侯爵はこの部屋を書斎に改装し、一家は居間としても利用しました。客人と使用人は毎日午後9時にここに集まり祈りを捧げました。
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「ダイニングルーム」
第3代伯爵は家族や友人が楽しめるように、より広い部屋を望んでいました。1877年に彼は建築家のウォードロップ・アンド・リードを雇い、書斎とドレッシングルームを改装してこの部屋を作りました。 -
「第4代エイルサ侯爵アーチボルト・ケネディの肖像」
ウィリアム・エドワーズ・ミラーの描いた肖像画です。第4代侯爵は法廷弁護士の勉強をしていましたが、妻の財産と父からのわずかな仕送りで自分の自由を追求することができました。彼は熱心なフリーメイソンのメンバーで射撃の名手でもありました。スコットランドの歴史にも傾注し、ゲール語も話せたそうです。 -
窓の両側にあるメダリオンなどロバート・アダムスによる装飾要素は一部は元の部屋から引き継がれました。フリーズなどのその他の要素はアダム様式を損なわないように慎重に複製と拡張が行われました。
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ロバート・アダムに触発された天井は張り子を意味するフランス語のパぴエ・マシェ(Papier Mache)という技法で作られました。
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このような装飾で第3代侯爵は後にアダム・リバイバルとして知られるビクトリアン様式やエドワード様式の先駆者となりました。
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第3代侯爵のヨット「ブラッドハウンド」は6シーズン以上航海をつすけ、机上の銀製の時計は1877年の催行のシーズンを祝うために作られました。
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「オーバル・ステアケース」
館の中央にあるトップライトの楕円形の階段室です。これまでいろいろな邸宅や城館を見てきましたが、武骨な外観の建物にこれだけエレガントな階段を組み込んだと思います。 -
1階から踊場へのアプローチは前後2か所から上がることができます。半分揚がった踊り場からは左右に階段が伸びますがここからが楕円形に沿って柔らかな印象のステップが続いていきます。まるで豪華客船の吹き抜けのスタイルのようです。
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さすがにこれだけの庭園を構えた邸宅なので飾られた花々は全て本物です。フランスのロワール渓谷の城館を10以上見学したことがありますが、やはり本物の花が飾られ、台所には本物の野菜が積まれ、暖炉には本当に火が入っていました。
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丸でこの館がこの階段を中心に設計されたのではないかと思えてきます。
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この階段は各フロアのそれぞれの部屋へダイレクトにアプローチできるように設計されています。建築家ロバート・アダムの卓越した空間設計に感心します。
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同じような思いは北イタリアのヴィチェンツァの街にたくさん残るアンドレア・パッラーディオ((Andrea Palladio)の設計した建築や劇場で感じたことがあります。
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またラテン語の言葉が綴られています。左側のスコットランドの最高勲章であるシッスル勲章のモットー「Nemo me impune lacessit」は、「私を挑発して罰を受けずにすむ者は一人もいない」という意味です。右側のガーター勲章は1348年にエドワード3世によって創始されたイングランドの最高勲章です。モットーは「Honi soit qui mal y pense」で、「悪意を抱く者に災いあれ」です。
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1階の四角い柱に対して2階の柱12本はコリント式のギリシャ風の円柱でより軽やかな印象を受けます。
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2階のコリント式の柱頭に対して3階はイオニア式の柱頭と様式にも変化を持たせ、天井ドームとへと繋がって行きます。ギリシャ風の別荘としてはとても完成度が高いと思いましたが、同時にギリシャのコルフ島にある「アヒリオン・パレス」のことも思い出しました。アキレスを愛したハプスブルグ家の皇后エリザベートの美しい別荘でした。
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コリント式とイオニア式の柱頭を持ちながら柱自体は中ほどが膨らんだドーリア式のようです。これは横を歩く妻のシルエットを見て気が付きました。
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階段室から離れて2階の部屋に見学に移ります。「ラウンド・ドローイング・ルーム」が最初の見学ルートの始まりです。ロバート・アダムによるユニークな部屋のデザインは18世紀の優雅な時代を彷彿とさせます。この部屋はアダムの死後に完成し、天井と漆喰細工の細部は1820年代のリージェンシー様式の影響も感じられます。
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連続した窓の外にはテラスがあり、その先には「エアシャー海岸」の青い海が広がっています。先ほど「アヒリオン・パレス」を思い出した成果、以前はハプスブルグ帝国領だったトリエステの郊外にある「キャッスル・ミラ・マーレ」から見えるアドリア海の海を思い出しました。
ミラ・マーレ城:https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11861879/ -
「エグリントン伯爵夫人スザンナの肖像画」
ぎゃびん・ハミルトンの描いたこの肖像画は第9代伯爵の依頼によって描かれました。スザンナはアーチボルト卿の娘で第9代伯爵の叔母でした。ぇぐリントン伯爵の3番目の妻でしたが夫より57年長生きし、90歳で亡くなりました。当時の著名な美人としても有名だったようです。 -
「ラウンド・ドローイング・ルーム」から渡り廊下のような「ドレッシングルーム」を抜けて「ステート・ベッドルーム」に向かいます。この部屋にもアダムの影響を感じられる壺を中心に2頭のスフィンクスが暖炉の上にいます。
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実際にアダムの遺した1791年の請求書にも「壺を中心に2頭のスフィンクス」と記載があったようです。ジョサイア・ウェッジウッドが1774年に開発したジャスパーウェア (Jasper ware)を連想させる装飾だと感じます。ジャスパーウェア の古典主義的なスタイルは一世を風靡してヨーロッパ中を席巻し、それまでのロココ的デザインの陶磁器を一掃させ、大陸の諸窯を衰退させるほどでした。
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「ステート・ベッドルーム」
この部屋は第10代伯爵のデイヴィッドの寝室でしたが、1820年に12代伯爵によって両側にドレッシングルームを備えた重要な来客用のスイートルームに改装されました。 -
1926年には後のエドワード6世になるウェールズ皇太子がエグリントン・ハウンズとの外出するためにこの部屋で着替えたそうです。赤いダマスク織のカバーは2011年になって新しく制作されたもののようです。
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ジャック=ルイ・ダヴィッドが1800年に制作した「レカミエ夫人の肖像」を思い出してしまうようなディレクトワール様式のソファです。先に行ったん妻がここにいたら面白かったのですが。もちろん腰掛けることは出来ません。
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「ブルードローイング・ルーム」
ロバート・アダムによって設計されたグランド・ステートルーム・シリーズの最初の部屋で、18世紀末の当時の姿をほぼそのまま残しています。 -
「サー・トーマス・ケネディの肖像画」
ウィリアム・モスマンによるこの肖像画は1746年に描かれ、左手にはフランスの軍事技術書である「ヴォーバンの本」を持っています。1778年にアダムの設計した白大理石の暖炉は繊細な装飾で覆われています。 -
壁面の装飾の配色はその当時の流行を反映しているようですが、やはりここでもジャスパーウェアを連想してしまいます。
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天井の装飾は楕円形の曲線を反映して、4つの浅浮彫りの装飾が組み込まれています。
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天井の円形装飾はいくつかの部屋にもありましたが、これはアントニオ・ズッキの作品と言われ、キューピッドを叱るヴィーナスの姿が描かれています。ギリシア神話のエロスと同一視されますが、西洋絵画の題材としての人物として調べていくととんでもないやんちゃな性格だということが分かります。「アポロンとダフネ」や「キューピッドとプシュケ」の物語が浮かんできます。
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懐かしいヴェネツィアの風景です。カナル・グランデから眺めた「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」のドームと手前の「プンタ・デラ・ドガーナ」が印象的です。東地中海のクルーズの帰りに夜明け前にここを通過した時の光景の美しさは今でも忘れられません。
ヴェネツィアクルーズ:https://4travel.jp/travelogue/10361466 -
カナレットの「大運河でのレガッタ」という作品の写しのようです。30歳の夏にウィーンから夜行寝台列車でヴェネツィアに入り、数日滞在しましたが、到着日は9月の第1日曜日で、レガッタ・ストリーカ(Regata Storica)という祭りの日でした。初めての個人旅行2カ月の最初のイタリアでの祭りは一生忘れられないものになりました。
レガッタ・ストリーカ:https://4travel.jp/travelogue/10431769 -
「ロング・ドローイング・ルーム」
この部屋は城の大広間で、アダムは1777年の設計図の中で「絵画室」と位置付けています。おそらくトーマス・ケネディ卿がグランドツアーで入手した美術品を展示することを意図していたと思われます。1780年には楕円形の階段室を設けるために暖炉を移築しています。 -
「北から眺めたカルゼアン城」
アレクサンダー・ナルミスの描いた海からのカルゼアン城の眺めです。この風景が眺めたいとこの日の夕方に船上から同じ風景を探したのですが、見つけられませんでした。 -
「東から眺めたカルゼアン城」
こちらもアレクサンダー・ナルミスの描いたカルゼアン城の眺めです。 -
「エイルサ夫人の私室」
1877年にウォードロップとリードが城を近代化した際に新しいファミリールームが作られました。第3大侯爵の妻エヴリンそしてイザベラはこの部屋をプライベートな今として使いました。 -
ローマ神話の知恵の女神ミネルヴァの彫刻が施された暖炉と鏡は元々図書室のために設計されました。しかしこの部屋の壁の装飾はポピーは寝室であることを暗示しています。ポピーは眠りを表すものとされています。
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「エイルサ夫人のドレッシングルームとワードローブルーム」
当時はそれぞれの部屋に水道などは施設されていないのでこのような洗面台だったのでしょう。30年以上前のことですが、スイスの「エッシネン湖」の畔の山荘に宿泊した際は部屋にこのようなピッチャーと洗面ボウルが置かれていたことがありました。 -
豪華な化粧道具のセットです。
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クローゼットは元々が楓の玉杢目(たまもくめ)という高価な材料なのですが、そこに象嵌で花鳥や天使が埋め込まれているという贅沢なものです。
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面白かったのがこのバスルームで半分が壁に埋め込まれています。こんなデザインは初めて見ましたがカッコいいです。
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ここでも暖炉には2頭のスフィンクスの姿が見え、上に置かれたミラーの中央には白鳥の姿も見えます。
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19世紀初頭に大英博物館はギリシャのパルテノン神殿を飾っていた「エルギン・マーブル」として知られる大理石彫刻を収蔵しました。当時も古典文化に強い憧れを抱いていたイギリスにとって、本物のギリシャ美術を間近に見ることができた芸術家たちは大いに喜んだようです。それまでローマ時代の複製を通してしかギリシャ彫刻を知らなかった彼らにとって、これは夢のような出会いだったのでしょう。
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「ファミリー・ベットルーム」
第3侯爵の最初の妻であるエブリン夫人は城内の隙間風が不快で暖房費も高額だと感じていました。夫婦は半世紀ぶりに室内装飾や古い配管の交換まで多額の資金を投資しました。 -
元々ビュッフェルーム用にアダムの設計した暖炉は30年以上パネルの裏側に隠されていたそうです。
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1872年に夫婦は蒸気ヨットで5か月間の地中海クルーズに出掛けポンペイのローマ遺跡に感銘を受け、暖炉の脇に連なる小さな絵画セットを持ち帰りました。
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子供用のベットが本物の木製ボートと同じクオリティで造られているのが面白いです。実にイギリスっぽいと思います。
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2階から階へ下りる小さな螺旋階段がありました。その手摺りの感じが子供の頃に観た「ドリトル先生不思議な旅(Doctor Dolittle)」のエンディングで「大海かたつむり」の甲羅に入れてもらってイギリスに帰っていくシーンを思い出しました。1967年公開の映画でした。
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「ここに来て本当に良かった。言葉では言い表せないくらい素晴らしい。本当にくつろげる空間で、まだに必要な気分転換が出来ました。 1959年9月6日 ドワイト・D・アイゼンハワー」という言葉が仕切りガラスに書かれてありました。
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2階から1階に降りて天井を見上げてみます。ここもトップライトなので非常に明るく感じます。
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1階のキッチンの見学に移ります。ビクトリアンスタイルのパイナップルレッグの大きなテーブルがありました。以前父が別宅を持っていた頃に横浜家具で家具を揃えていたことがありました。それ以外にもこんなテーブルも手に入れたのですが、マンションを建てるために家を潰す際に全部手放してしまったのが今も心残りです。
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東日本大震災から数年経ってからその家に行った時にはカップボードの扉と棚の間に倒れていた食器が挟まっていて困ったことがありました。割れてはいないのですが、扉を開けたら絶対に落下して割れてしまうような和食器です。救済措置を考えましたが、ほとんどが割れてしまったことも思い出しました。
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ロンドンのジョージ・ケント社製の包丁の洗浄および砥ぎ機です。「黒ひげ危機一髪」のように上部に包丁を差し込んで、福引のガラガラのようにレバーを回転させると洗浄と研磨が出来る機会で、1850年頃からとても人気のある製品でした。そう当時の包丁は鉄製でとても錆びやすくすぐに切れにくくなったということです。現在のステンレス製になれてしまって、子供の頃に母が包丁を砥いでいたことを思い出しました。
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キッチンにはこの家のルールも掲げられてありました。
1.全力を尽くして食味に全うすること。
2.正直で礼儀正しいこと。
3.家族や客の情報を漏らさないこと。
4.家の子供たちを「ご主人様」「お嬢様」と呼ぶこと。
5.静かにすることを良しとし、鼻を鳴らしたり口笛を吹かないこと。
6.家族やお客とは話しかけられた時以外に藩士をしない。
7.面白い話しに微笑んだり、会話に耳をそばだてないこと。
8.清掃をする時以外にギャラリーやメイン会談には立ち入らないこと。
9.職務中は必要な時以外使用人同愛で話をしないこと。
10.許可されている場合や家族全員が外出していない時以外は庭を歩かないこと。 -
物凄い数の胴鍋が壁の何面にもわたって並んでいます。これを磨くのは大変だったのではないでしょうか。今は無くなってしまった銀座にあった「ホテル西洋」で結婚式の披露宴をやった際にホテルのオープニングで使った銀製のウォーマーなどを使ってもらった際に「スタッフ全員で磨きました。」と苦労話を聞かされたことを思い出しました。
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効率の良さそうな調理台ですが、調理人の方の足元は熱かったのではないでしょうか。
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折り畳み式のカットボードも巨大です。これくらいの大きさが無いと作業にならなかったのでしょう。
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ここで何十人の調理人が作業していたのでしょう。往時の賑わいが感じられるような展示です。
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暖炉には積まれたコークスに火が入ったような雰囲気が醸し出されています。子供の頃のストーブ当番を思い出します。回転式のロースターがいい感じです。右上には「WASTE NOT WANT NOY(無駄を無くし、不足を無くす)」と書かれています。伯爵家の家族の使用人に対しての物の考え方が感じられて面白かったです。
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城館の見学を終えて城壁に上がってクールダウンします。それにしても最高の天気で美しい海が広がっています。
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「グラスゴー/Glasgow」に戻って、出港した後はこの前の海を航行することが分かっているので、何か目印になるものが無いかと思いました。この目の前を通過したのは多分午後8時過ぎだったので夕食の時間に被ってしまい見ることは出来ませんでした。
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今度は貰ったマップに載っていた「Deer Park」に行ってみます。広大な敷地ですが柵で囲まれているので遠くから眺めるだけです。英国には6種類の鹿が生息していて、在来種が2種類で残り4種は外来種のようです。在来種は赤鹿の亜種とノロジカという中型の鹿です。ここにいるのは赤鹿のようでした。
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スコットランドのハンティングは大地主たちの大半が地元ではなく南部地方や外国に住んでいる人たちのものだったようです。シカの保護管理はスポーツハンティングのためにおこなわれていますが、ここでの狩猟は地主たちか地主たちが招いた客たちだけが楽しむものであって、地元の人びとがハンティングを楽しむという習慣は無かったようです。
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去年行ったニュージーランドでは銃のライセンスが無くてもハンティングを行うことが可能でした。銃のライセンスを持つガイドが同行することで、ショットガンもマグナムも撃つことができると聞きました。いずれにせよ動物を殺すなんて自分には縁の無い世界です。
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「Deer Park」の後は「Walled Garden」に向かうのですが、地図と実際の道が分かりにくいので困りました。周りには鹿しかいません。そこへちょっと強面のお兄さんが前からやってきました。道を尋ねると親切に教えてくれて、「どこから来たのですか?」と尋ねられます。「日本からです。」というと嬉しそうに「こんにちわ!」と。多分知っている日本語を日本人に話したかったのだと思います。「いい旅行を。」と言い残して去って行きました。
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「Walled Garden」の入り口までたどり着きました。英国庭園というよりも南イタリアの辺りで見掛けるような門構えです。犬を連れてはいることも出来ますが、園内はリードが必要です。1780年に設けられたこのガーデンは1830年に拡張され、その時に石の壁で区切られました。
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中に入ると典型的なイングリッシュ・ガーデンでした。ちょうど5月という季節でもありカラフルな花々が植えられていました。
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大きなギザギザした形の赤ワイン色の葉が人目を惹きます。これは矢車草の一種で「ロジャージア ・ブロンズビューティー」という植物です。グーグルレンズで花の名前もすぐに分かるようになりました。
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我々2人以外誰もいないガーデンを彷徨い歩きます。
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こちらはブラジル原産のオニブキの一種の「グンネラ・マニカタ」という植物のようです。「世界で最も大きな葉を付ける植物」とも言われ、草丈は3メートル以上に育ち、葉は2メートルにもなります。
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巨大な温室は1906年に有名な温室設計者のマッケンジー&モンカ―のよって建設されました。
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芝生の庭の先に美しい「Camelia House」が見えますが、歩きすぎて近くまで行こうという元気が出ません。
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再集合時間までにバスに戻り、涼しい車内で出発を待ちます。
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帰り道はしばらく海岸線を走ったので往路と同じ景色が続きました。
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沖合いには「アレサ・クレイグ島/Ailsa Craig」がきれいに見えました。午後になって逆光になったせいでシルエットが浮かび上がりました。形も何となく似ていますが、カーリングで使用されるストーンの原材料であるブルーホーン花崗岩はこの島で採石されます。
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そう知るとハンドルを付けたら海の上を滑って行きそうに見えてしまいます。
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小学生が絵に描いたような緑の牧草地にホルスタインのような白黒の牛がいます。この構図は学芸大附属大泉小学校を受験した時の問題用紙に描かれていた絵に似ています。鉄条網の後ろに小川が流れていて、「この絵を見てやってはいけないことを書きだしなさい。」というような問題でした。幼稚園の友達と同じ小学校に行きたかったことと60年経っても忘れられない人生初の落第の思い出です。
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バスは海岸線に逸れて「ダヌアー・キャッスル/Dunure Castle」という廃墟の前で停まりました。ここで20分ほどのフリータイムになりました。
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城は「キャリック海岸/ Carrick coast」の岩だらけの岬に廃墟となっており、「デュヌール/ Dunure」の小さな港を見下ろしています。
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城の遺跡は15世紀と16世紀の起源ですが1つの伝統によると城はデンマーク人によって建てられたと言われています。また別の伝説ではマッキノン家が「ラーグスの戦い」での栄誉に対する報酬としてアレクサンドル3世から城を拝領したと言われています。
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廃墟の中には入ることが出来ますが、岩を積んだだけの壁が残るだけで往時を知ることは出来ません。
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鉄骨階段の上には小さな展望台があり、それが唯一の城の存在を感じさせてくれます。
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ロキシー・ミュージックの「アヴァロン(Avalon)」というアルバムのタイトル曲を思い出しました。「アヴァロン」はアーサー王物語の舞台として知られ、戦で致命傷を負ったアーサー王が癒しを求めて渡り最期を迎えたとされる島のことです。沖合いの「アレサ・クレイグ島」がそう感じさせたのかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=bpA_5a0miWk&list=RDbpA_5a0miWk&start_radio=1 -
「グラスゴー/Glasgow」への帰り道は内陸部の高速道路になったので、左側の座席に座っていた方々は美しい海岸線を見ることは出来ませんでした。
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復路の風景は海岸線ではなくてもとても美しいカントリーサイドを走り抜けました。「グラスゴー」の街に入る手前には「ペイズリー/Paisley」市も通過しました。ここは繊維業で一時期有名で、1870年代から100年近くペイズリー模様のショールは流行の品でした。ジャカード織機が1820年代に持ち込まれるまで、織物は家内の織機で織られていました。
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「グラスゴーの造船業者の像/Shipbuillders of Port Glasgow」と奥にはクラウド川が流れ、エクスカーションの終わりも間もなくだと感じます。一度グラスゴーの町中を通過して「グリーノック」に戻るので、再び右側の席の風景がよくなります。
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「グラスゴー」はスコットランド第1の経済力を持ち、古くはタバコ貿易で20世紀前半までは造船を主とした製造業で発展しました。世界的に見て造船の力は弱くなったとはいえ海軍造船所があり、イギリスの造船業の中心地でもあります。
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ようやく「クルーズ・ターミナル/Greenock Cruise Terminal」に戻ってきました。今日も無事にエクスカーションが終了しました。
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バスを降りて早々に船に戻ります。この日驚いたのはバスを降りる際に1人チップを20ポンド札を出していることでした。我が家は2人で10ポンドくらいと思っていました。50人で1人20ポンドって、総額200,000円のチップって…。さすが経済絶好調のアメリカ人とカナダ人たちです。
Greenock ホテル
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お昼は簡単なサンドイッチとトマトスープとチップスだけなので少々お腹も空いてきました。
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部屋に戻って真っ先にしたのはアプリでの飲み物の注文です。モヒートとピニャコラーダとビールも持って来てもらいました。
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グラスに付ける塩の有無まで細かく注文できるのがいいです。今日もお疲れさまでした。
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この日の出港は午後6時で、「サイドスラスター」を使うとすぐにカモメが集まってきます。今日のエクスカーションで走った海岸線の風景を眺めたいので「スカイ・デッキ」に上がってみることにします。
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午前中に横を通過した「ウェミス ベイ/Wemyss Bay」と「ビュート島/Isle Bute」の「ロスシー/Rothesay」を結ぶフェリーが行き交うところが見えました。
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さらに1時間休憩してアイスクリームを食べた「ラーグス/Largs」で見たフェリーも見えてきました。
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フェリーの進む方向を見ると見覚えのある「長老派教会/Saint Columba's Parish Church」も確認できました。
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このままいけば「カルゼアン城/Culzean Castle」も見えるのではないかと期待します。
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「リトル・カンブレー島/Little Cumbrae Island」「リトル・カンブレ―灯台/Little Cumbrae Lighthouse」が見えています。
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リーガルプリンセスは「クライド湾/Firth of Clyde」を抜けるべく南下していきます。
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港へ戻る途中の漁船の形はまるで漫画です。宮崎駿がさらさらと描いたものがそのまま本物の船になったような気がします。
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「リトル・カンブレー島/Little Cumbrae Island」を通過します。1793年にトーマス・スミスによって建造されました。島の西岸の湾を見渡す広い隆起した砂浜に建っています現在は完全にシステム化されているので灯台守のいない無人の灯台になっています。
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右舷側には「アラン島/Isle of Arran」が見えていますが、ちょうど日が落ちるタイミングなので逆光でシルエットだけになっています。
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再び「アリサ・クレイグ島/Ailsa Craig」が見えてきましたが、ここで諦めて部屋に戻りました。陸地はすでに霞んでしまっているので
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今日はインドフェアがあるというので妻の希望もあり「ホライゾン・コート」で夕食を摂ることにしました。もっと大々的かと思いましたが、1コーナーだけがインド料理で、それ以外はいつもと変わらない感じです。それでもビリヤニやプラウンマサラ、コフタやチキンティッカ―など本格的です。
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シーザーサラダもいただきます。このところ野菜不足な気がしています。
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オープンキッチンではカルボナーラも目の前で作ってくれます。シェフのお兄さんと話をしているうちに出来上がりました。毎日の「アレグロ・ダイニング」もいいですが、趣向を変えるのもいいものです。「サバティーニ」などの有料レストランもみんな何度も行っているのであえて行こうという気になりません。
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アイリッシュ海に出たのか視界が広がりました。アイルランドに夕日が沈んでいきました。
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明日は初めて行く北アイルランドの「ベルファスト/Belfast」です。ここでもエクスカーションを予約しているので楽しみです。シアターには行かずに体を少し休めます。
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