2025/05/20 - 2025/05/20
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建築家のオーギュスト・ペレ最後の作品「聖ヨセフ教会/Église Saint-Joseph」と世界遺産の町並みを歩いた後はヨットハーバーの横を「マルロー美術館/MuMa Musée d'art moderne André Malraux」に向かいます。午前8時から始めた街歩きでしたが、まだ午前10時30分で美術館の開館は午前11時からでした。先頭に並んで開館時間を待ち、チケットを購入して館内に入りましたが、シンプルな外光の差し込むとてもきれいな建物でした。1961年に美術館がオープンした当時の文化相のアンドレ・マルローにちなんで名付けられた美術館はパリの「オルセー美術館」に次ぐ印象派の絵画コレクションが納められていることで有名です。もちろん写真撮影も可能なのでありがたいです。「オルセー美術館」に次ぐと言ってももの凄い有名な作品があるというわけではないのですが、静かに絵画観賞をするという点ではいい美術館だと思います。ウジェーヌ・ブーダン(Èugene Boudin)の作品が並んだ壁面は圧巻ですし、印象派に影響を与えた前衛的な作家の作品も魅力的です。もちろん印象派以外の作品も多いので、題材を読み解く楽しさも感じられます。2階の絵画を見終えた後は1階に移りますが、ここではエキシビションとして豪華客船の時代についての展示がありましたが、クルーズ船での旅の途中ということもあり感情移入するにはちょうど良かったと思います。その中に並んだアドルフ・ムーロン・カッサンドル (Adolphe Mouron Cassandre)の「ノルマンディ号」のポスターには感激しました。「ル・アーブル」でこのポスターに出会えるとは思いませんでした。それ以外の客船に由来するポスターもたくさんあり、1枚1枚をじっくり見入ってしまいました。美術館が混みだす前に見学を終えて再び世界遺産の町並みに戻り、コンクリートで造られた建物のディティールを見て歩きます。最後に「カテドラル/Le Havre Cathedral」を参拝して船に戻ります。帰りも港に沿って歩き、最後は建設中の新しいクルーズターミナルの工事現場を抜けてセキュリティでメダリオンを見せて乗船です。軽く食事をして午後のエクスカーションに備えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前10時30分に着いた「マルロー美術館/MuMa Musée d'art moderne André Malraux」ですが、開館は午前11時なので一番前に並んで開館を待ちます。
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開館と同時に中に入り、チケット売り場で1人10ユーロを支払い、館内での写真撮影について確認しておきます。美術館には直近5世紀の美術コレクションが収められていて、印象派の絵画コレクションはパリの「オルセー美術館」に次いで2番目に豊富だということです。
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建築スタジオであるAtelier LWDが設計し、1961年に博物館が開館したときの文化大臣アンドレ・マルロー(André Malraux)にちなんで名付けられました。建築家ギー・ラグノーは国立博物館の館長であるジョルジュ・サルによって、第2次世界大戦後にフランスで建てられた最初の主要な美術館の建設を1952年から1961年にかけて行いました。
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美術館の大きな窓からはノルマンディー海岸の変化に富んだ光が差し込んでいます。 光は建物内に伝わる前に慎重にフィルタリングされます。 東側ではオパールガラスが朝日の光を弱めているようです。
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2階には収蔵されている印象派の絵画が展示され、1階ではエキシビジョンの展示が行われているようです。まずは誰もいないうちに2階の作品を見ていきます。
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長い壁面にはウジェーヌ・ブーダン(Eugene Budin)も作品が並んでいます。19世紀フランスの画家であり、外光派の1人として印象派に影響を与え、青空と白雲の表現に優れ、ボードレールやコローから、「空の王者」と称されました。
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ブーダンは午後に行く「オンフルール/Honfleur」で水夫の子として生まれます。1835年に父親が水夫の家業をやめ、一家をあげて「ル・アーヴル」に転居します。「ル・アーヴル」の地で父親は文具商として成功し、ここでバルビゾン派に属するトロワイヨンやミレーらの土地の画家との交流が生まれました。
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「大運河から見たサン・マルコ広場」ウジェーヌ・ブーダン
大運河と言いながら「サン・ジョルジョ・マッジョーレ」の桟橋辺りから描いたものだと分かります。カナレット(Canaletto)の描くカメラ・オブスクーラ(camera obscura)を使って下書きしたものと違った優雅さを感じます。 -
「パン・ブロンからの眺め」ウジェーヌ・ブーダン
「パン・ブロン/Pen-Bron」はナントを流れるロアール川の火口に近い港町のようです。今回の旅はすでに2週間を過ぎていますが、ずっとこんな風景を眺めていたような気がします。 -
「ル・アーブル」で後にボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)を紹介することになるクールベ(Gustave Courbet)と出会い、パリのサロンへのデビューを果たしています。
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また1857年にはモネと出会い、クロード・モネ(Claude Monet)に屋外で絵を描くことを教え、1874年の第1回印象派展にも出展しています。
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「荒天のル・アーブルの桟橋」ウジェーヌ・ブーダン
ブーダンと「ル・アーブル」の関係までは知らなかったので、それだけでもこの美術館へ来た甲斐がありました。 -
「荒天時のル・アーヴル桟橋の入り口」ウジェーヌ・ブーダン
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「トラヴィルビーチの広大な嵐の空」ウジェーヌ・ブーダン
30歳前までは古典絵画が好きで印象派の絵画は正直好きではありませんでした。28歳の時に南仏の「モンペリエ」と「アルル」の間を列車で移動している際に眺めた風景を見て、それ以来魅了されるようになりました。そんなことをブーダンの絵画を見ていて思い出しました。 -
「フェカン、海辺」クロード・モネ
「フェカン/Fecamp」は「ル・アーブル」の北40キロほどのノルマンディー海岸の町です。 -
明日リーガル・プリンセスを降りた後の旅では「ブライトン」から「セブンシスターズ」を巡る予定にしています。同じような海岸線を早く眺めたい気持ちが高まってきます。
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「ドゥアルヌネ湾の底にあるサンタンヌ・ラ・パリュの恩赦」ウジェーヌ・ブーダン
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「ワルツ」フェリックス・ヴァロットン
この時代の画家は自分で写真を撮り、それを見て描くこともあったようで、写真の影響がほぼ確実にある作品だと思います。動きを表現するためなのか、カップルには足がありません。この絵は奇抜ゆえに人々から受け入れなかったようですが、ナビ派からは評価されました。 -
「黒衣の女とマフ」ジュール・ジュレ
ジュール・シェレ(Jules Chéret)はポスターの大家となり、この分野では大変な人気作家となりました。アール・ヌーヴォーの先駆者の1人とされる人物です。 -
「モンターニュ」チャールズ・コテット
19世紀半ばのフランス共和国ではナポレオン戦争と独仏戦争の間の時代で、シャルル・コテはポスト印象派の代表的な作家として名を馳せました。 -
「ヴェネツィア」チャールズ・コテット
妻と初めて行ったヴェネツィアでは1週間ほどリド島のお屋敷ホテルに滞在し、その後は東地中海をクルーズしました。リド島辺りからアドリア海へ抜けるデッキからの眺めを思い出します。 -
「ラヴィーニャスビーチ」アンリ・エドモン・クロス
1881年頃に外光派の画家として印象派の画風に転じ、フランスの地中海岸の風景画を描いた作家です。新印象派の画家のポール・シニャックと地中海岸の写生の中で知り合い友人となり、1890年代の半ばぐらいまで点描の作品を描き、その後色の塊はモザイク画のようなスタイルに変わっていきます。 -
「サレルノ湾」オーギュスト・ルノワール
アマルフィからサレルノへの途中からの眺めのようです。サレルノはチュニジアのチュニス経由でマルタ島のヴァレッタへのグリマルディ・フェリーに乗った港があります。
サレルノ:https://4travel.jp/travelogue/10355286 -
「ロワン河畔のサン・マメス」アルフレッド・シスレー
シスレーは印象派の画家で、特にセーヌ川の支流であるロワン川(Loing)とその周辺の風景を好んで描きました。 -
「サモワ=シュル=セーヌ」アルマン・ギヨマン
サモワ=シュル=セーヌ(Samois-sur-Seine)はイル=ド=フランスにある魅力的な都市です。セーヌ川に沿って6キロメートル以上続き、フォンテンブローの街と接しています。 -
「クロザンの雪景色」アルマン・ギヨマン
1861年にアカデミー・シュイスで勉強を始め、そこで終生の友となるポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロと出逢います。ギヨマンがまだ何の名声も得ていなかった頃に彼らの作品に影響を与えています。セザンヌはギヨマンの描いたセーヌ川のはしけの絵を元に最初のエッチングを試みています。1863年には落選展に出品し、後に友人となるフィンセント・ファン・ゴッホの弟テオがギヨマンの絵を数点購入しました。 -
「波」ギュスターヴ・クールベ
上野の「国立西洋美術館」にも同じ題名の作品があったことを思い出しました。ルーカス・クラーナハ展を観た後に常設展示で見つけたことを思い出します。
西洋美術館:https://4travel.jp/travelogue/11181358 -
「シャンプロセイの風景」ウジェーヌ・ドラクロワ
パリ市内にあるたくさんの個人の美術館には折を見て見学に行っていますが、一番最初に行ったのがドラクロワのアトリエを兼ねた自宅でした。もう35年も前のことです。 -
「パラヴァスの海辺」ギュスターヴ・クールベ
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「後ろから見た女性」オーギュスト・ルノワール
印象派の作品は数多いですが、ものすごい対策や有名な作品があるというわけではないようです。 -
「ニニ・ロペスの肖像」オーギュスト・ルノワール
ルノワールは作品が徐々に売れるようになって、サン・ジョルジュ通りのアトリエに加えモンマルトルに一軒家を購入しました。モンマルトル生まれのニニ・ロペスがルノワールのお気に入りモデルの1人となったのもこの頃のことです。 -
「読書をする少女の肖像」「子供の頭とリンゴ」オーギュスト・ルノワール
ルノワールらしい小品ですが魅力を感じます。欲しいなと思える作品です。買えませんが。 -
「カーニュの松並木」オーギュスト・ルノワール
ルノワールは「うちわを持つ少女」や「ラ・ジャポネーズ」など日本らしさを描いた画家ですが、この松の絵にもそんな思いを感じます。 -
「朝日の中のハインリッヒ4世の像と造幣局」カミーユ・ピサロ
モネらとともに独自のグループ展を計画し、1874年に第1回印象派展を開催しました。しかし当時主流だったアカデミズム絵画の立場からは受け入れられず、新聞からは酷評されます。その後も印象派展は全8回開かれましたが、全てに参加したのはピサロだけでした。 -
「エラニ―の日の出」カミーユ・ピサロ
第4回印象派展の頃からは主に風景画を描くモネ、ルノワールらの仲間と、風俗画を描くエドガー・ドガとの間でサロンへの立場など様々な問題について意見の対立が顕在化し、ピサロもその調停を試みましたがグループの分裂を防ぐことはできなかったようです。 -
「オワーズ川のほとり」カミーユ・ピサロ
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「エルミタージュの十字路」カミーユ・ピサロ
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「ル・アーブルのマリー・クリスティーヌ・カジノ」ラウル・デュフィ
ラウル・デュフィ(Raoul Dufy)は野獣派(フォーヴィスム)に分類される19世紀末から20世紀前半のフランスの画家です。「色彩の魔術師」とも呼ばれるフランス近代絵画の画家でもあります。 -
「ル・アーブル港でエビ網を持つ漁師」ラウル・デュフィ
この当時のル・アーブルの港がもう失われていると思うと複雑な思いで絵を鑑賞します。 -
「海水浴と横たわる裸婦の構図」ラウル・デュフィ
この美術館にはデュフィの作品が132点収蔵されていますが、そのうちの69点は画家の遺志をを尊重した未亡人のエミリアンヌことウジェニー・ブリッソンが1963年に遺贈したものです -
「ニースのカジノ、ドゥ・ラ・ジュテの前を歩く人々」ラウル・デュフィ
ル・アーブルで生まれたデュフィは1892年以降シャルル・リュリエが校長を務める私立美術学校で無償の授業を受けていました。 -
「サント・アドニス」ラウル・デュフィ
1899年にパリ市は若きデュフィに奨学金を授与し、パリ国立高等美術学校で修業を継続させました。 -
「クロード・ドビュッシーへのオマージュ」ラウル・デュフィ
ル・アーブルとその周辺地域はデュフィにとって常にインスピレーションの源であり続けたようです。 -
「紅いバイオリン」ラウル・デュフィ
これまであまり気に留めたことのなかった画家ですが、こうやってル・アーブルを訪れてみると非常に魅力のある画家だと再認識しました。 -
再びブーダンの絵画を見ていきます。壁面は作品で埋め尽くされて圧巻です。
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牧場の牛を描いた絵画ばかりが集められているようです。完成された作品なのか習作なのか分からないようなものも見られます。
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この絵を見て思い出したのがジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini)という画家です。年齢は違いますが同じ時代の画家で、「アルプスの画家」として知られています。この画家については中学生の頃に父に教えてもらいました。30歳の時に「サン・モリッツ」の「セガンティーニ美術館」でアルプス三部作「生・自然・死」を閉館間際の展示室で観た時はしばらく動けなくなりました。その作品には鳴門の「大塚国際美術館」で違った形で再会出来ました。
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「干潮」ルイ・ガブリエル・ウジェーヌ・イザベイ
全く知らない画家でしたが、1824年から「オンフルール」に風景画家のグザヴィエ・ルプランス(Xavier Leprince)と滞在し、1824年に「オンフルール」を描いた作品をサロン・ド・パリに出展して金賞を得ています。 -
「セザンヌ周辺の風景」コンスタン・トロワイヨン
陶器の絵付師として修行を積んで20歳頃まで働き、21歳になる頃に画家としてフランス国内を旅行して主に風景画を描きました。 -
1846年にトロワイヨンはオランダに旅行し、ハーグでパウルス・ポッテルの「若い牛」を見ます。この作品の他にもアルベルト・カイプの風景画、レンブラント・ファン・レインの名作などを研究するうちに新たな制作手法に達し、これ以後は彼ならではの個性的な作品が現れるようになり、動物画家としての力量を高めました。
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「ヌビア人、マヤック族出身、ダルフール王国出身のサイード・アブダラー」シャルル・コルディエ
1848年のパリのサロンにヌビア(スーダン)の若い男の胸像を出展し注目されます。アフリカに派遣されて1851年に西アフリカのマリのトンブクトゥの住民の胸像を制作し、1852年には「アフリカのヴィーナス」と題した胸像を発表します。 -
窓際に置かれているので逆光になって魅力が半減しているのがもったいなく思えました。ただ、背後にはオーギュスト・ペレの設計した世界遺産になっている集合住宅が見えるので良しとしましょう。
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「ヌビアの女性」シャルル・コルディエ
コルディエはブロンズと大理石という異なる材料を組み合わせて、彫刻に色彩的効果をもたらす試みを始めます。「スーダンの黒人」という作品を「ルーブル美術館」で観たことを思い出しました。 -
「1870年のパリ包囲中のエピソード」ギュスターヴ・ドレ
パリ包囲戦は1870年の普仏戦争のエピソードです。1870年9月17日からパリのレジスタンスは1870年の秋にロワール川の北に進軍するのを阻止しなかったドイツ軍に急速に包囲されました。 -
この作品ではパリ包囲戦中に直面した厳しい現実を痛烈に描いています。1871 年に制作された作品は、パリの歴史の中で最も激動の時期の1つにおけるパリ市民の絶望、回復力、勇気を捉えています。30年以上前ですがドレの挿絵の入ったダンテの「神曲」や「聖書」はそれぞれの場面とビジュアルが一致したことにより、後に西洋絵画を読み解くための勉強になりました。
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「タオンのサン・ピエール教会の入り口の習作」ジャン・ポール・ローレンス
タオンは午後に行くカルヴァドス県にある町なのでこの美術館にあるべき作品だと思います。 -
ジャン・ポール・ローレンスはロマン主義のフランスの画家で彫刻家であり、フランスのアカデミックスタイルの最後の主要な1人です。
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この作品に非常に魅了されたのですが、いろいろ調べてみても全く分かりませんでした。
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美しく飾られた遺体や布に巻かれたい体が教会の前に放置されています。
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メメント・モリ(memento mori)はラテン語の成句で「死を想え」「死を忘るるなかれ」、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句です。この絵を見ていてもそんな言葉を思い出します。
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キリスト教に救いは求めませんが、特に仏教に帰依しているわけでもなく自分はどこへ行くのだろうかと考えるような年齢にはなりました。
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「ヴェスビオ火山の噴火」ピエール・ジャック・ヴォレール
彼のキャリアはルイ15世からフランスの港を描くために派遣されたジョセフ・ヴェルネが到着した1754年に始まりました。ヴェルネはヴォレールを助手として迎え、8年間一緒に旅行しました。ヴォレールはヴェルネの鋭い観察力と完璧な仕上げへの関心、月明かりと精密な人工光の影響に強く影響を受けました。1771年のヴェスヴィオ山の噴火はヴォレールが月明かりの下で火山の噴火を描くきっかけとなりました。 -
「ローマの大火」ユベール・ロベール
ユベール・ロベール(Hubert Robert)はフランスの画家で、イタリアで絵画を学び、都市景観画(ヴェドゥータ)や奇想画(カプリッチョ)と呼ばれる実在の建物、古代遺跡、それに架空の遺跡などを描く風景画の作者として知られています。 -
「シモン・マグスの墜落」フランチェスコ・ソリメナ
シモンはサマリヤの魔術師として多くの信者がいましたが、使徒フィリポによって洗礼をうけキリスト教に入信します。ペテロとヨハネが宣教に訪れたときに彼らの聖霊を授ける力を見てその力が欲しくなり、金で売って欲しいと持ちかけ叱責を受けました。それ以後、聖職の売買のことをシモンの行為にちなんでシモニア( Simony/ Simonia)と呼ぶようになります。 -
のちにマイナスの意味における象徴的な人物として使徒ペテロの宿敵、あらゆる異端の創始者というシモン像へと発展していきます。新約聖書外伝の「ペテロ行伝」には自らの魔術によって空中を浮揚しペテロに挑みましたが、ペテロが神に祈りを捧げるとたちまち墜落して落命したとされます。
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「聖母マリアの奉献」シャルル・ド・ラ・フォッセ
フォッセは少年時代からルイ14世の筆頭宮廷画家のシャルル・ルブランの工房で働き、ルブランの推薦でイタリアへの留学します。フランスに帰国後はルブランのもとでパリのテュイルリー宮殿やベルサイユ宮殿の装飾画の仕事をします。 -
マリアの奉献とは彼女が幼少のときから自分自身を神にささげたこと、清い生活をしていたことを意味します。教会がこのマリアの奉献を11月21日に記念するのは、543年のこの日にエルサレムで「新マリア教会」の献堂式が行なわれたことから始まっています。
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「聖母マリアと聖三位一体の神格化」シャルル・ド・ラ・フォッセ
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開館から30分ほどが過ぎると段々と混雑してきましたが、クルーズ船からの訪問者は少ないようです。
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「サンタ・コーサ・デ・ロレートの奇跡」フランシスコ・ダ・モンテレアーレ
1291年に聖母マリアの生誕地はナザレから天使によってイタリアのロレートに運ばれたと伝えられています。画中でも左右の天使が大きな教会堂を抱えているのが分かります。聖母の生誕地はサンタ・カーサ信仰の普及に貢献し、信者たちはル・アーブルの教会に寄進して自分たちのものとしました。 -
三対の翼を持つ「セラフィム/熾天使(してんし)」は天使の位階の1つで、「熾」は「火が盛んに燃える」の意味で、神への愛と情熱で体が燃えていることを表します。天使の九階級のうち最上とされ、姿は「3対6枚の翼を持ち、その内の2枚で頭を、2枚で足を隠し、残りの2枚で羽ばたいている」とされます。
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真正面からだと背後の光線が邪魔してきれいに写真が撮れないのが残念です。
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「祈りの聖マルガリータ」ロレンツォ・コスタ
マルガリタは現在のトルコのアンタルヤ近郊にあった町で生まれ、父はアエデシウスという異教の祭司でした。彼女はキリスト教の信仰を持ったため、父からうとまれ、養母と共に羊飼いをしながら暮らすことになります。オリブリウスという名の地方高官からキリスト教信仰の放棄とひきかえに結婚を申し込まれますが彼女がこれを拒んだことから捕らえられ、拷問を受けることになりますが奇跡が起きます。 -
ドラゴンの姿をした悪魔に飲み込まれたとき、彼女が持っていた十字架によってドラゴンの体内が傷つき、無事に出てくることができました。聖マルガリタ(マーガレット)への崇敬は特にイングランドで盛んで、250もの教会が彼女に捧げられています。
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「東方三博士の礼拝」作者不詳
15世紀のイタリアの作家と思われます。養父のヨセフはマリアの後ろに座っていますが、気の毒なほどの老人の姿で描かれています。 -
「十字架降架」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
ル・アーブルの造船業者の子孫からこの美術館に寄贈され、最近修復されています。キリストの周りにはアリマティコのヨセフ、マリア、ヨハネが描かれています。 -
このノルマン様式の祭壇画はナンシー美術館所蔵の「聖ヨハネの降架」と非常に類似しています。妻と3週間かけてベルギーとオランダの美術館巡りをした旅が思い出されます。最後には時間切れで、残りは再度オランダまで行くことになりました。
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「ナバラ王の宮廷の若い娘の肖像画」フランス派の画家
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これで2階の見学は終わり、1階のエキシビジョンに移ります。久し振りにヨーロッパの美術館を堪能した気分です。
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「オーシャンライナーズ/1913-1942:大西洋横断の美学」というタイトルでした。
航空輸送が普及するまで海を渡る唯一の手段は船でした。19世紀半ばに搭乗した定期船は郵便物や貨物、そして乗客を世界から世界へ運びました。クルーズ船の旅の途中でこの美術館で、この展示を見るのは感慨深いものがありました。 -
「ノルマンディ」アドルフ・ムーロン・カッサンドル
今回の旅で「ル・アーブル」に寄港すると知って真っ先に思い出したのがこのポスターでした。その現物にここで逢えるとは思いませんでした。昔から欲しかったポスターですが、今なら本物が買えそうです。 -
「ノルマンディ」ポール・コラン
ポール・コラン(Paul Colin)はアール・デコを代表するフランスのグラフィックデザイナーで、ポスターを得意としました。キュビスム、未来派、構成主義の要素を取り入れた幾何学的な意匠が特徴です。 -
「ヨーロッパ」トミ・アントン・パージンガー
1920年代から1930年代にはミュンヘンのドイツヴェルクシュテッテンとウィーン工房で働き、家具、ポスター、ガラス、セラミック、金属のオブジェをデザインしました。1932年に彼は初めて米国に旅行し、そこでNorddeutscher Lloydのポスターコンペティションで1等賞を獲得しました。1935年に彼はニューヨークに移住し、そこで家具や金属製品、テキスタイルのデザイナーになりました。 -
今回のクルーズでは「サウザンプトン」「コーブ」「グラスゴー」とタイタニックの足跡を旅してきましたが、悲劇と共に華麗なる豪華客船の時代も垣間見ることが出来た気がします。
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「イタリア・ラインのレックスとコンテ・ディ・サヴォイア定期船のポスター」
イタリアにも客船の時代があったのだと感じます。「ローマ」「ジェノヴァ」南仏を経由して「ニューヨーク」航路があったのだと分かります。 -
「ノルマンディ―号処女航海のためのポスター」ジャン・オーヴィニュー
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「ポート・オブ・オーパス2」ヴィクター・セルランクス
子供の頃の図工の時間にガッシュ(不透明水彩絵の具)を使って課題のポスターを描いたときのことを思い出します。子供心に色のムラや曲がった線が嫌で、竹の物差しの溝を使って、溝引きを使いこなしていました。 -
豪華客船は最先端の建築家たちにとって概念的理想を体現できる場でもありました。巨大な移動機械でありながら隔離された空間に人々のあらゆる日常行動を集約して、模範的な近代都市のミニチュアが作り上げられました。
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「サン・ジャン・ド・リュズのラ・ペルゴラ・カジノのポスター」ロバート・マックス・スティーブンス
1920年代のフランスの優雅なアール・デコの時代の息吹が感じられます。 -
「パリライナー」チャールズ・デムス
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「リド・オール・ザ・ウェイ」パオロ・フェデリコ・ガレット
イタリアLineのアメリカ向けのポスターです。 -
「船上での体験」
陸上から見ると豪華客船は当時の近代性の象徴に見えました。ここでは自裁の乗客にとっての客船がどういうものだったかを紹介しています。 -
「船上の旅行者」マルセル・グロメール
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「ル・モード・シック」
雑誌の表紙のイラストです。
「フランスライン」
ギャングブランク誌の表紙のイラストです。 -
椅子はノルマンディライナーのファーストクラスのグランドサロンのアームチェアでジョン・モーリス・ロスチャイルドのデザインです。
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「貝殻と馬、ノルマンディ号の1等船室のおkないプールの装飾のための習作」ラウル・デュフィ
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「ポセイドンの戦車、客船ノルマンディ号の1等船室のグランドサロンの装飾準備図」ジャン・デュパス
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デュパスのスタイルは全期間にわたって広告と商業芸術を実践し、ヴォーグやハーパーズ・バザーなどのファッション雑誌にも掲載される膨大な広告作品を制作しました。
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「ル・アーブル港を出港するイル・ド・フランス号」アンドレ・ガランド
まさに今朝入港した時に眺めた灯台と要塞が描かれていて感無量です。 -
「デッキ・チェア」
座面と背をト―ネットにした優雅な折り畳み式のデッキ・チェアです。ペンキを何度も塗ることによって大西洋の塩分から木材を守ったのでしょう。 -
ほんの数年前のアルマーニの雑誌広告を見ているようですが、100年近く前の写真です。
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「ガゼルハンター」ジャン・デュナン
ノルマンディ号の1等喫煙室の装飾モチーフを縮小して再現したもので、漆が使われています。2月のアラビア湾クルーズのシルバニア島でガゼルを観に行ったことが思い出されます。 -
「ノルマンディ号のファーストクラス喫煙室の装飾漆パネル」ジャン・デュナン
ジャン・デュナン(Jean Dunand)はフランスの漆芸家、彫刻家、銅細工家、インテリアデザイナーで、アール・デコの優れた漆芸家として名を遺しています。彼の作品は幾何学的の時もあり、キュビズムのようでもありながら全くの独自性の持ち主で、自然主義の持ち主でもありました。1930年代には客船ノルマンディーの内装も手掛けており、教え子の泉二勝磨(もとじ かつま)も参加しています。 -
「ラトランティック号の高級船室の装飾漆パネルの習作」ガストン・プリウ
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「馬の征服、野生馬を捉える2人の騎手」ジャン・デュナン
ノルマンディ号の1等船室の喫煙室の装飾パネル -
「馬の征服、乗り手のいない4頭の野生馬」ジャン・デュナン
ノルマンディ号の1等船室の喫煙室の装飾パネル -
「収穫」ジャン・デュナン
ノルマンディ号の1等船室の喫煙室の装飾パネル -
「港」フェリックス・デル・マール
変幻自在な芸術家であるフェリックス・デル・マールは、フランスの未来派の稀有な代表者の1人です。このイタリアのムーブメントはパリのマリネッティによって立ち上げられました。デル・マールは1912年にパリに到着し、アポリネールと出会い、ジーノ・セヴェリーニと友人になり、しばらくの間はアトリエを共有しました。彼は1912年にモンマルトルに反対する未来派宣言に参加しました。 -
「港」トイエン(マリー・チェルムノヴァ・ディーテ)
チェコの画家で製図家、イラストレーターであり、シュルレアリスム運動のメンバーでした。トイエンという名前は市民を意味するフランス語の「シトエン」に由来すると示唆されていますが、チェコ語の表現「to je on(それは彼です)」をもじったものであるとも言われます。トイエンは出生時に女性に割り当てられていましたが、芸術的アイデンティティには、ジェンダー問題と性政治への大きな注意が含まれていました。 -
「女性とヨット」マルセル・カーン
マルセル・カーン(Marcelle Cahn)はフランスの画家で、抽象画クリエーションのメンバーの1人でした。 -
「赤いボート」ホアキン・トーレス・ガルシア
ホアキン・トレス・ガルシア(Joaquín Torres García)はウルグアイのモンテビデオで生まれ、1891年に17歳になった時に家族と父親の故郷のカタルーニャに移りました。バルセロナの美術学校(Escola de la Llotja)で美術の教育を受けました。 -
「コンパスを備えた建設的な」ホアキン・トーレス・ガルシア
1931年以降、彼の絵画は、集合的記憶からの物体やイメージのパターンが挿入された直交構造を示しました。これが宇宙の可塑性解釈の影響です。このように、ある絵から次の絵へと、小さな市松模様が繰り返され、蒸気船、時計、ボトル、ハンマー、椅子、さらにはシルエット、魚など、単純なものや馴染みのあるものの形をそれぞれのグリッドに囲みます。 -
「港」ホアキン・トーレス・ガルシア
幾何学的関係の秩序とピクトグラムのレパートリー全体を仮定する建設的な世界をデザインしましたが、それ以前はこのような絵も描いていたようです。 -
「揺れる大西洋横断」ジャン・エミール・ラブルール
ジャン・エミール・ラブルール(Jean Émile Laboureur)はフランスの画家de
版画家、イラストレーターでした。 -
クルーズの旅では「宇宙戦艦ヤマト」のようなフィンスタビライザーが航行時の揺れ(ローリング)を抑えてくれますが、以前乗った大阪港と上海を結ぶ「蘇州號」では大揺れになり、復路の大阪行きは太平洋を航行するはずが荒天のために瀬戸内海に回避したことがありました。その時のことを思い出したら頭がくらくらしてきました。
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「ル・アーブルのお土産」ラウル・デュフィ
こんな絵がさらさらと描けたりいいなと思い、思わず見とれてしまいました。20世紀のフランスのパリを代表する「色彩の魔術師」という名前を思い出します。先程2階で観てきた油彩画とは違った軽やかさがあります。 -
「フューチャリストシティ」トゥリウス・クレイル
未来派に関連するダルメチアのイタリア人アーティストでした。独学で画家を学んだ彼は「スピード、空中機械化、空中戦のメカニズム」を組み合わせた写実的な絵画で有名です。 -
SF映画の原点にして頂点と言われるフリッツ・ラング監督の1926年の映画「メトロポリス/Metropolis」と共にクイーンの「Radio Ga-Ga」を思い出します。
https://www.youtube.com/watch?v=azdwsXLmrHE&list=RDazdwsXLmrHE&start_radio=1 -
「白魔術」ジョージ・マルキン
アンドレ・ブルトンの1924年のシュルレアリスム宣言で「絶対的なシュルレアリスムの行為を行った」人々の中で唯一のビジュアルアーティストでした。ブルトンが指名した残りの作家は、ルイ・アラゴン、ロバート・デスノス、ベンジャミン・ペレなど、ほとんどが作家でした。マルキンの1926年の絵画「夜の夜」は、叙情的な抽象絵画の先駆けとされます。 -
ディスプレイと書かれた壁面には子供の描いた絵が貼られています。よく見ると高校生くらいまでの作品もあるようです。
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30年くらい前にイタリアの「ルッカ」の町へ行った際に小学生のバザーがあり、社会科見学で行ったフィレンツェの思い出の絵が並んでいました。子供の作品が買えるのですが、大抵は大聖堂と同じ大きさの自分を描いた絵だったりしますが、1枚だけA3サイズの画用紙一面に洗礼堂の扉、ロレンツォ・ギベルティの製作した「天国の扉」が描かれています。
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全面を黒い絵の具で塗って、扉のパネルの金色は手持ちの絵の具では表現できないので黄色と赤で上手に「旧約聖書」の物語を主題とした10枚の絵が描いてあります。あまりの上手さに1万リラを募金箱に入れて持ち帰りました。家に持ち帰って金色の額装をして、30年間クリスマスには飾っています。
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1時間ほどで「マルロー美術館/MuMa Musée d'art moderne André Malraux」の見学を終えて、「ル・アーブル・カテドラル/Cathédrale Notre-Dame」に向かいます。
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ここでようやく落ち着いて世界遺産になっている「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」を見てまわります。
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中心街の計画は直交を基軸とするもので、横に走る街路は幾何学的に配置され、街は碁盤目状になっています。こうした規則性は古代エジプトのアレクサンドリアやイタリアのポンペイ、条坊制都市など古代の都市の多くで見られたものです。
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オーギュスト・ペレは均質化した住居もデザインしています。古典様式の各階の構成は、グランドフロアはブティックや商店となり、住宅になっている2階以上のフロアの構成は均一化されています。
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内装は円柱や浅浮き彫り (bas-relief)、エジプト式の柱頭、その上の部分のエンタブラチュア、コーニスと呼ばれる軒蛇腹、サロンや台所などの各部屋に光を届ける大きな窓があります。
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中心街の再建されたほとんどの物件は公有物であれ共有物であれ、当時としては革新的なコンセプトで県世遊されました。内部空間は非常に明るくなっており、セントラル・ヒーティング、はめ込み戸棚、ダスト・シュート、ガレージ、エレベータなどが備わっています。また、断熱や防音にも配慮がされ、屋根ではテラスの使用ほどの制約はありませんでした。
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これが70年を過ぎた海岸沿いのコンクリート住宅とは思えません。ローマ帝国の時代のコンクリートは現在までも残されていますが、木造建築のようにコンクリート造りの建物を簡単に壊してしまう日本が奇妙に思えてきます。
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「ル・アーブル・カテドラル/Cathédrale Notre-Dame」
大聖堂は16世紀の後半から17世紀の中頃にかけて大部分が建てられました。華やかなゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式、古典様式などさまざまな建築様式が融合しています。 -
17世紀から18世紀にかけてはフランス革命中の港への砲撃により深刻な被害を受けました。正面玄関のティルパヌムは1830年の修復にさかのぼり、聖母マリアが天使に囲まれて天国でイエスを抱いています。
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第2次世界大戦中の1941年8月のフランス侵攻によるドイツ軍の爆撃により残っている2つのオリジナルのステンドグラスの他のすべては爆発によって吹き飛ばされました。この2つのステンドグラスの窓は解体され、ノルマンディーの田園地帯に隠されていたため1944年9月の爆撃からは守られました。さらに1944年6月のイギリス軍の爆撃により南側の屋根と塔の尖塔の屋根が損傷します。ル・アーブルでの破壊のほとんどは1944年9月5日から6日の夜にかけてのイギリス軍の襲撃によるものでした。
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オーギュスト・ペレは教会を保存し、現在ユネスコの世界遺産に登録されているほぼ完全に再建された市内中心部の計画に含めることに決めます。数十年にわたる再建と数多くの修復を経て、今日でも大きな工事が必要です。教会は1974年7月6日にヨハネ・パウロ6世によってル・アーブル教区が創設されて以来初めて大聖堂に昇格しました。
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聖母マリアに捧げられた南通路の側身廊を終える礼拝堂には聖母マリアが幼子のイエスを抱いている祭壇画があります。古典的なタイプの木製の祭壇と祭壇画、コリント式の柱を備えています。モンシニョールだったサウドローはこの祭壇の足元に埋葬されています。
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疎開されていたステンドグラスのうちの1枚はイギリス人の侵略の後、王室軍によってル・アーブルの解放された後に与えられたミサを表しています。
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もう1枚はアンリ4世のル・アーブル訪問を描いたステンドグラスです。
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中央祭壇の聖歌隊の背後の中央にある聖母マリアを表すステンドグラスの窓は新しい時代の物のようです。錨の上に立つ姿は、この教会が船乗りや漁師を守護する津頃なのだと感じさせます。
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聖母マリアに捧げられた北通路の側身廊mの奥の礼拝堂は木製の祭壇と祭壇画、幼子イエスを抱くマリアの像が壁龕にあります。コリント式の2本の柱を持つ古典的なスタイルの祭壇です。
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聖歌隊席のある列柱には砲撃の前にいくつかの彫刻や彫像、祭壇の前の手すりで飾られていました。現在では使徒の像に囲まれていますが、これらの彫像は木でできて塗装されています。大部分は革命中に破壊されて石膏で作り直されました。残った彫像中には4人の伝道者の中があり、その石の土台は彼らのシンボル(鷲、天使、ライオン、雄牛)を表しています。
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それ以外にも聖アンドレや聖フィリポの像も並んでいます。他にも使徒の像はありますが、修復工事のネットに邪魔されているものもあります。漁網のようなネットが堂内を覆い、余計にこの教会が船乗りや漁師に捧げられていると思えます。
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このオルガンは1637年に市知事のリシュリュー枢機卿によって寄贈されました。さらに上部には枢機卿の紋章が描かれています
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出口の脇にはピエタが置かれてあります。ピエタというとヴァチカンのミケランジェロの作品が思い出されますが、その穏やかなマリアの表情に比べてル・アーブルのマリアは激しい慟哭の表情です。
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そろそろクルーズターミナルに戻らないと何も食べないで午後のエクスカーションになだれ込んでしまいます。
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後でグーグルマップを確認して分かりましたが、この橋は片持ちの旋回橋で、左側の海から右奥の係留地へと移動することが出来ます。
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ちいさな建物の上には「海の魔女/Sorcière de la mer UEAH」のレリーフが風見鶏のように置かれています。
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帰りも約40分かけての徒歩での移動になります。やはり町中は歩いている人の姿もなく、タクシー乗り場も見掛けませんでした。教会へ行った後に鉄道駅まで戻ることも考えましたが、行っていなければドツボにハマります。
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クルーズ・ターミナルへの途中に古いビルが見えました。このビルは第2次世界大戦の爆撃を逃れたのだろうかと考えてしまいます。
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2026年には新しいクルーズ・ターミナルが出来るようで、その工事中でしたがまだ基礎工事の段階でした。間に合うのだろうか心配になる状態です。
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この時間になってシャトルバスが運行しているようですが、どこまで行くのかいくらなのか確認しませんでした。
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一度船室まで戻って軽く食事をして午後のエクスカーションに備えます。
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