2025/05/18 - 2025/05/18
523位(同エリア845件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1763冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,465,276アクセス
- フォロワー169人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
「クイーンズフェリー/Queensferry」から街のシャトルバスに乗って「ハードロックカフェ」の前でバスを降りた後は「エディンバラ城/Edinburgh Castle」を目指して坂を上ります。細い路地の道を抜けて「ロイヤル・マイル/Royal Mile」まで出るとすごい人通りに驚かされます。そのまま人の流れに乗って「エディンバラ城」に向かうと「本日の入場券は売り切れです。」と描かれた看板があちこちに見えます。かなりの人がゲートの手前まで来て諦めたような顔をしています。我々は1カ月ほど前にネットでチケットを予約しておいたので難を逃れました。コロナ禍以前からオーバーツーリズムの波はヨーロッパにあり、2011年のフランス旅行では3週間の列車の旅は1カ月以上前に予約しましたし、その後のスペイン旅行ではバルセロナの1週間の入場チケットの購入と時間指定、移動の鉄道チケットなどは2カ月前に手配しました。それでもグラナダのアルハンブラ宮殿も入場券は予約が出来ず、現地の日本人の旅行会社の方に夜のフラメンコツアーと合わせて手配してもらったほどでした。そんなこともあり、イギリスの旅行も心配していましたが、この「エディンバラ城」以外は鉄道のキップも含めて予約なしでも大丈夫だったと思います。もう1カ所考えていた「ホリールード宮殿/Palace of Holyrood」は王室のイベントか何かで終日入場できなくなっていたのが残念です。入場券のQRコードを見せると入場できましたが、中に入ってしまうとそれほど混雑している感じはありませんでした。 チケットを確認するお姉さんもオーディオガイドを貸してくれる係りのお兄さんも「どこから来たんですか?」などと声を掛けてくれ「遠くからようこそ。」と歓待してくれます。城内は思っていたようなヨーロッパの城館に比べると軍事的な要素が強い博物館のようでした。「ロイヤル・パレス」もお宝の並んだ宝物館で写真も撮れないので記憶も曖昧です。「戦争記念館」も霊廟なので枢軸国側の人間としてはあまり居心地は良くないです。見学が終わった後はミュージアムショップに立ち寄り、見学よりも集中して買い物をしました。ゴルフ好きの友人にはいつもお世話になっているのでセント・アンドリュースのグッズをお土産にします。それ以外にもいろいろ買ったので自分のショッピングモードモードは収まりましたがその後が大変でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「エディンバラ城」に向かうと「本日の入場券は売り切れです。」と描かれた看板があちこちに見えます。かなりの人がゲートの手前まで来て諦めたような顔をしています。我々は1カ月ほど前にネットでチケットを予約しておいたので難を逃れました。
-
コロナ禍以前からオーバーツーリズムの波はヨーロッパにあり、2011年のフランス旅行では3週間の列車の旅は1カ月以上前に予約しましたし、その後のスペイン旅行ではバルセロナの1週間の入場チケットの購入と時間指定、移動の鉄道チケットなどは2カ月前に手配しました。それでもグラナダのアルハンブラ宮殿も入場券は予約が出来ず、現地の日本人の旅行会社の方に夜のフラメンコツアーと合わせて手配してもらったほどでした。
Royal Palace 建造物
-
トーマス・クラッパートンによるロバード・ザ・ブルース(Roibert a Briuis)像とアレクサンダー・キャリックによるウィリアム・ウォレス(William Wallace)の像が左右にあります。これらは1929年に門棟の入り口に加えられました。
-
ウィリアム・ウォレスは1995年公開の映画「ブレイブハート」で主人公として描かれ、映画ではメル・ギブソンが演じていたことが思い出されます。
-
もう1カ所考えていた「ホリールード宮殿/Palace of Holyrood」は王室のイベントか何かで終日入場できなくなっていたのが残念です。入場券のQRコードを見せると入場できましたが、中に入ってしまうとそれほど混雑している感じはありませんでした。
-
チケットを確認するお姉さんもオーディオガイドを貸してくれる係りのお兄さんも「どこから来たんですか?」などと声を掛けてくれ「遠くからようこそ。」と歓待してくれます。まずは「ポートカリスゲート/Portcullis Gate」という門廊の下を通り抜けます。この要塞化された門は約450年前のラング包囲戦の後に建設されました。かつては侵入者を追い払うために鉄の門の横に3組の重い木製のドアが設置されていました。
-
まずは「アーガイルバッテリー/Argyle Battery」立ってみます。1730年代に建てられた6門砲台と北への開けた見晴らしは城を守るのに理想的な場所といえます。配置されている大砲はフランスとのナポレオン戦争の時代である1810年頃のもので、ここからは「エディンバラ」の街とファイフ方面の景色を一望できます。
-
中央の塔は工事囲いで覆われた「ネルソン・モニュメント」、日理社神殿のような列柱は「ナショナル・モニュメント」、左の時計塔のある建物は「バルモラルホテル/The Balmora hotel」です。
-
新しく再建されたウェイバリー駅に隣接する鉄道ホテルコンペティションの結果、1895年のこのホテルはウィリアム・ハミルトン・ビーティによってノース・ブリティッシュ鉄道会社のため設計されました。建物はビクトリア朝様式と伝統的なスコットランドのゴシックリバイバルの建築様式の影響を受けています。高さ58mデートルの時計塔はエディンバラ市内中心部の著名なランドマークとなっています。
-
同じ通りに手前には「スコット記念塔/Scott Monument」はスコットランドの作家ウォルター・スコット卿のビクトリア朝のゴシック様式の記念碑です。1832年にスコットが亡くなった後に彼の記念碑をデザインするコンペティションが開催されました。参加者の中にはジョン・モルボという名前で参加したものがありました。モルボは実際には45歳の建具職人で製図家、独学の建築家であるジョージ・メイクル・ケンプでした。彼は建築の資格と評判の欠如が失格になるのではないかと恐れていましたが、彼のデザインはコンペティションの審査員に人気があり、1838年に記念碑を建設する契約が与えられました。
-
記念塔の奥には「セント・ジェームズ・クォーター/St James Quarter」という商業施設とホテルですが、見た通りの「うんちの絵文字」の形から物議を醸しだしているようです。「絵文字」は英語でも「Emoji」ということを初めて知りました。
-
「セント・アンドリュー・スクエア・ガーデン/St. Andrew Square Garden」の中心に建つ「メルヴィル記念碑/Melville Monument」も見えます。1821年から1827年にかけてのスコットランドの政治家ヘンリー・ダンダス、初代メルヴィル子爵の記念碑として建設されました。
-
沖合いには同じタイミングで「フォース湾/ Firth of Forth」に入港してきた「コスタ・ファボローサ/Costa Favolosa」町の沖合いに停泊していました。
-
城内にあった紋章はトーマス・ランドルフ(Thomas Randolph)、モレイ(Moray)伯爵を記念する碑文です。トーマス・ランドルフは著名な兵士で外交官でした。彼は20年間イングランドの手にあった「エディンバラ城」を1313年に奪還しました。碑文の上には鹿の頭部をあしらった紋章が刻まれています。
-
「ワン・オクロック・ガン/One O’Clock Gun」
「フォース湾」の船はかつて午後1時の砲で海上時計をセットしていました。銃の発砲は1861年にさかのぼり、実業家のジョン・ヒューワットがパリからアイデアを持ち込みました。元の銃は64ポンドでしたが、2001年からはミルズマウント砲台から105ミリ野砲から発射されるようになりました。ワン・オ・クロック・ガン 観光名所
-
城内の建物はそれぞれが独立した博物館になっていることが分かりました。入場規制をしていますが、場内は意外なほどに空いているのでとても見学しやすいです。
-
「ホスピタル・スクエア」の広場にあったのは「ヘイグ伯爵騎馬像」です。陸軍元帥だった彼の功績を讃え、ボンベイのドゥンジポイ・ボマンジ卿から贈られました。
-
25ポンド野戦砲は第2次世界大戦におけるイギリスの標準的な野砲でした。最大射程は12.23キロまで発車することが出来ました。近距離の場合は対戦車砲として走行車両を攻撃することが出来ました。
Prisoners of War Museum 博物館・美術館・ギャラリー
-
「ロイヤル スコットランド ドラグーン ガード博物館」
イギリス陸軍のスコットランド上級連隊であるロイヤル スコットランド ドラグーン ガードの博物館の宝物には「ウォータールーの戦い」で撮影されたフレンチイーグルとスタンダードが含まれています。 -
ロイヤル・スコットランド・ドラグーン・ガードとその前身は英国とより広域の世界の歴史における多くの転換点に立ち会ってきました。ジャコバイトの反乱、ナポレオン戦争、2つの世界大戦、冷戦の間と連隊とその前身はその名を残しました。
-
17世紀後半にまで遡る長く傑出した歴史があり、その起源はスコットランドの竜騎兵連隊(騎馬歩兵)とイギリスの騎兵連隊(重騎兵)の2つの連隊にあります。
-
17世紀のスコットランドの竜騎兵は歩兵と同様の武装と組織、装備を持ち、馬に乗っていました。そのため岩場や沼地では普通の歩兵より速く移動することが出来ました。また給与は騎兵より低かったため費用も安く済みました。
-
ほとんどの日本兵は出征する時に家族、友人、同僚、隣人などから「武運長久」の思い を込めて寄せられた言葉や署名が記された日の丸(日章旗)を持っていました。これを「寄せ書き日の丸」と言います。日本以外の国では多くの場合は旗は個人ではなく、軍を象徴するシンボルでした。西洋の歴史においては太古から戦闘時に敵軍の「旗」を戦利品として納めることは大変名誉な事と賞賛されました。そのような旗に対する文化認識の違いと日本語が読めない連合国兵にとって殆どの日本兵が肌身に所持していた「寄せ書き日の丸」は戦利品の中では一番人気があったようです。
-
この日の丸はインドのビシェンプール(Bishnupur)周辺の戦闘で第3カラビニエによって回収されたものだそうです。インパール(Imphal)まで約30キロの町だと地図を調べて分かりました。ミャンマーのマンダレー(Mandalay)で、旧日本軍の慰霊碑に参拝したことがありますが、通俗的には「無謀な作戦」「史上最悪の作戦」と呼ばれる「インパール作戦」の犠牲者だと分かりました。約9万人の兵士を投入した結果、多くの日本兵が飢えやマラリアなどで命を落とし、死体が積み重なっていくその退却路は「白骨街道」と呼ばれました。
-
「スコットランド王立連隊博物館」にも入ってみます。
-
以前に行ったロンドンの旅では「バッキンガム宮殿」の衛兵交代式に臨み、王室騎馬兵と衛兵の美しさに感動しましたが、スコットランドの王立連隊についても学びたくなります。
-
「ジャコバイト反乱」
1688年イングランドで起こった名誉革命の反革命勢力の通称で、彼らは追放されたステュアート朝のジェームズ2世およびその直系男子を正統な国王であるとして、その復位を支持し、政権を動揺させました。ジャコバイトの語源はジェームズのラテン語名(Jacobus)です。 -
ジャコバイトの最大の支持基盤がスコットランドの特にハイランド地方でした。もともとスコットランドにはイングランドとの根深い対立意識があったばかりでなく、ステュアート家がスコットランド出身ということもあって、スコットランド人はジェームズに同情的だったようです。特に1707年に批准されたイングランド・スコットランド合同法は歴史的にも宗教的対立を抑えこんで経済的利益を優先させたものでしたが、スコットランド側が期待していたほどの利益をもたらさず、イングランドに対する不満は高まっていきました。1715年の反乱ではマー伯ジョン・アースキンという指導者を得て、スコットランドのほとんどが反乱軍の手に落ちました。
-
「ナポレオン戦争」
全てのヨーロッパの国家が多かれ少なかれナポレオン戦争に関与しています。ナポレオン戦争では何度も宣戦布告と講和が繰り返されたため、フランスとイギリスが一貫して対立関係にあったことを除き、参戦国は途中で入れ替わりがあります。フランス側の同盟国から対仏大同盟側へ、あるいはその逆へ立場を変えた国もありました。 -
イギリスとの戦争状態は17世紀末に始まる英仏植民地戦争とアメリカ独立戦争の際の英仏対立、そしてこのナポレオン戦争まで百年以上続いたので、第2次英仏百年戦争ともいわれます。イギリスはこの間の植民地戦争でフランスを圧倒し、アメリカの独立戦争ではカナダを除く北米植民地を失うという痛手を被いましたが、ナポレオン戦争では海軍力で勝利を占め、ウィーン会議でのウィーン議定書ではケープ植民地やスリランカなどの海外領土を獲得するという成果を得て産業革命の進行とともに19世紀後半の大英帝国の繁栄を実現させることになります。ナポレオン戦争はフランスとドイツなどヨーロッパ本土を荒廃させましたが、その直接の被害を受けることのなかったイギリスが大英帝国として、次の覇権国家となっていきます。
-
「ル・パラディの戦い」
ル・パラディス虐殺は第14中隊のSS部門トテンコップフのメンバーがハウプトスタームフラー・フリッツ・クノックラインの指揮の下で犯した戦争犯罪でした。 1940年5月27日、フランスの戦いで、ダンケルクの戦い中にイギリス遠征軍(BEF)の部隊がパドカレ地域を退却しようとしていたときに行われました。 -
第2大隊の兵士であるロイヤルノーフォーク連隊は部隊から孤立して、彼らはル・パラディ村のナチス・ドイツの武装親衛隊による攻撃に対して農家を占拠して防衛しました。弾薬が尽きた後にドイツ軍に降伏しましたが、ドイツ人は彼らを壁に導きマシンガンの射撃によって殺害しましした。これにより97人のイギリス兵が犠牲になった犯罪事件です。昨今のロシアやイスラエルのことを考えると今までの考え方のままでよいのか疑問が生じてきます。
-
イギリスの対日宣戦布告は太平洋戦争勃発に伴い1941年12月8日、イギリス政府が日本軍によるイギリス領のマラヤ、シンガポール、香港への攻撃を受けてのことでした。対独宣戦後に就任したイギリスの首相ウィンストン・チャーチルは日独への警戒を強めるアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトとの交渉で、日本がアメリカに攻撃してから1時間以内にイギリスが宣戦布告することを約束していました。
-
「北アイルランド問題」
北アイルランド問題は北アイルランドの領有を巡るイギリスとアイルランドの領土問題と地域紛争の総称です。1960年代後半のカトリックの少数派が被った教派分離に反対する公民権運動から紛争が始まり、北アイルランドの帰属をめぐって主にカトリックで構成されるナショナリスト(リパブリカン)、主にプロテスタントで構成されるロイヤリスト・ユニオニストが対立したことで、30年に及んで暴力が蔓延しました。子供心にも「ベルファスト」という地名から何か血なまぐさいものを感じていたことを思い出します。 -
「HMSセントジョージ」
実際にこのような名前の船は存在しなかったようです。この模型は1760年に阿曽る侯爵がエディンバラ城のフランス人捕虜から購入したものだそうです。七年戦争の間には捕虜を交換する制度は無く、多くの人にはこのような模型を作る時間があったようです。 -
海賊と捕虜は1700年代と1800年代には「大広間」の下の「金庫室」に収容されていました。ここに閉じ込められた船員の中には多くのアメリカ人やトラファルガー海戦で捕らえられた5歳のフランス人ドラマーの少年も含まれていました。脱獄の試みが成功した1回だけで48人の受刑者が逃亡しました。
-
薄暗い牢獄が妙にリアルに感じられました。所々にネズミの人形が置かれているのはイギリス流のジョークなのかと思いました。
-
これまでいろいろなヨーロッパの国の城館を見てきましたが、博物館に寄りすぎていてあまり面白みは無いように思えます。
-
「 アーガイルタワー」
スコットランド貴族の第9代アーガイル伯が「モンマスの反乱」で敗れ、処刑の前にこの上層部分に幽閉されていました。1685年にイングランド・スコットランド・アイルランド王に即位したジェームズ2世に対して、甥で先代国王チャールズ2世の庶子のモンマス公兼バクルー公ジェームズ・スコットが自らの継承権を主張して起こした反乱のことです。 -
「モンス・メグ」
この6トンの攻城砲は1457年にジェームズ2世に与えられ、150キロの砲丸を最大3.2キロ先まで発射することができました。スコットランドのメアリー女王の結婚を祝うために街の上空に発砲された1発は現在の王立植物園に着弾したそうです。 -
「セントマーガレット礼拝堂」
エディンバラで最も古い建物で、ダビデ1世は1130年頃に母親を偲んでこの小さな礼拝堂を建てました。しばらくの間はそれが城の唯一の残された部分でした。礼拝堂の地味な外観には1920年代の華やかなステンドグラスの窓が嵌め込まれています。聖マーガレット教会堂 寺院・教会
-
「マーガレット女王」
彼女のドレスは原色のガラス片が多数施されており、肩から裾にかけてトーンが深まっています。マーガレットは正面を向き、人々を迎え入れるように描かれています。おそらくサウスクイーンズフェリーにあるフォース湾も示されています。 -
「セントコロンバア」
6世紀のアイルランドの修道院長であり宣教師でもあるコロンバは、信者とともにスコットランドのアイオナ島にやって来ました。コロンバのローブは特徴的なスコットランドの紫がかったピンクで、産業革命における「新しい」ガラス化学の発見に由来しています。漕ぎ手の頭と胴体は2枚の「白い」ガラスに描かれています。オレンジレッドの帆は紫色のマントと共に印象的な色のコントラストを示しています。 -
-
「セントアンドリュー」
アンドリューは福音書を持っており、殉教者の後光と斜めの十字架、ロブスターのような魚介類がアトリビュートのようです。ケルトの十字架にはマタイ(天使)、マルコ(ライオン)、ルカ(牛)、ヨハネ(鷲)の4人の福音書家の姿が描かれています。 -
「ウィリアム・ウォレス」
スターリング橋の戦いの英雄であり、スコットランドの守護者であるウォレスは、くすんだ灰色の鎖帷子の防弾チョッキを着ており、右手に剣を構えて戦闘の準備ができています。対照的に窓の左側にはウォレスの燃えるような旗が掲げられています。 -
この井戸は多くの包囲戦を通じて城の住民に重要なライフラインを提供してきました。1573年のラン包囲戦ではダビデの塔の砲撃で落下した石積みによって完全に塞がれ使用できなくなりました。その後修理され、アレクサンダー3世、ジョン・バリオール、エドワード1世、ジェームズ4世、スコットランドのメアリー女王、ジェームズ6世、包囲されたジャコバイトの兵士、ウォータールーから帰還したブラックウォッチの軍隊、ビクトリア朝のハイランドの兵士などがこの井戸の水を飲んでいたわけです。
-
最後にクラウン・スクエア―の見学に移ります。この辺りだけ観光客が集中しているようです。
-
「スコットランド国立戦争記念堂」
この建物は第1次世界大戦の戦没者を追悼するために1920年代に建てられています。後に第2次世界大戦以降の紛争で亡くなった人々も追悼されています。Royal Palace 建造物
-
内部は慰霊堂ということもあり、祈りをささげる方の姿も見られました。
-
「スコットランドの栄誉」
1543年にスコットランドのメアリー女王の戴冠式に初めて使用されたイギリス諸島で最も古い王冠の宝石を見ることが出来ます。王冠は1540年にジェームズ5世のために造られ、王笏は1494年に教皇アレクサンデル6世によってジェームズ5世に贈られました。王剣は1507年に教皇ユリウス2世からジェームス4世に贈られました。残念ながらロンドンと同じく内部の写真撮影が出来ません。入口上部にその3点のレリーフが掲げられていました。 -
「大広間」
1512年に完成した大広間は城における王室の儀式の主要な場所として機能しました。ジェームス4世のために建てられましたが、彼は1年後に「フロッテンの戦い」で戦死しました。 -
中世のハンマービームの天井はイギリスでも重要な物の1つで、化学分析によりオーク材は1510年頃にノルウェーで伐採され、エディンバラに輸送されました。
グレート・ホール 観光名所
-
トラスを支えコーベルーベルにはジェームズの王権とイングランドとフランスの友好を表しています。これらにはイギリスに現存する最古のルネサンス時代のシンボルも含まれています。女王の胸像は愛の象徴です。
-
ライオンの頭はスコットランド王室とキリストを意味します。王笏に描かれたものと同じ豊穣の象徴のグリーンマンのレリーフもありました。
-
アラビア数字の4の初期の形の下にジェームス4世のイニシャルが描かれています。これ以外にも白いバラはジェームス4世の妻でイングランド王ヘンリー8世の妹であるマーガレット・チューダー王妃の象徴だったり、バラとアザミの描かれたウェディングカップはジェームス4世とマ^ガレットチューダーの結婚を表します。
-
壁面には巨大な暖炉が置かれ、まるで火が入っているように見えます。
-
王立武器庫から貸し出された武器と防具のコレクションが展示してあります。
-
プレートアーマーの全ての装備を着用すると、その重量は最低でも20キロ以上はあったようですが、これは20世紀の歩兵の標準装備重量50キロと比べると重すぎるものではないようです。
-
先日見学してきた「カルゼアン城」のエントランスホールの装飾を思い出します。
-
「触らないでください」と書いてありますが、抜身の釣り義には触りたいとも思いません。
-
展示してあるのは槍、鉾、戟、両手剣、クレイモア剣、ロッホアバ斧などがあるようです。
-
武器が並んでいなければ美しい大広間だという印象だったかもしれません。
-
これでほぼ「エディンバラ城」の見学も終わりです。入場時にあったショップを幾つか覗いて行くことにします。
-
ゴルフ好きの友人にはもってこいのお土産がありました。
-
セントアンドリュース(St Andrews)ゴルフコースのマーカーとグリーンフォークのセットです。あまりに嬉しくて使えないと家に飾ってあるようです。
-
本当はここ以外にも「ホリールード宮殿/Palace of Holyrood」を見学したかったのですが、この季節は王室で使用されているのか全き予約できない状態でした。残りの時間は妻のお買い物に付き合うことにします。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2025英国クルーズの旅
-
前の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(22)フォース橋からテンダーボートで上陸し、路線バスで...
2025/05/18~
エジンバラ
-
次の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(24)KiltaneとJohnstons of Elg...
2025/05/18~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(1)ニュージーランド沖合いで旅の計画を始め、ANA特典...
2025/05/07~
ロンドン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(2)サウザンプトンからウインチェスターへの日帰り旅でア...
2025/05/08~
ウィンチェスター
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(3)ウィンチェスター大聖堂に感動し、フィッシュ&チップ...
2025/05/08~
ウィンチェスター
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(4)ソレント・スカイ航空博物館でスーパーマリン・スピッ...
2025/05/09~
サウサンプトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(5)メイフェア―・クルーズターミナルからポートランドを...
2025/05/09~
サウサンプトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(6)ポートランド島から無料送迎バスでウェイマスへ向かい...
2025/05/10~
その他の観光地
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(7)ウェイマスの帰りにポートランド城とDデイ&WW2ミ...
2025/05/10~
その他の観光地
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(8)アイルランドのコークを目指しての終日航海日は船内で...
2025/05/11~
その他の都市
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(9)タイタニック号を追いかけてコ―ブに入港し、列車に乗...
2025/05/12~
コーク
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(10)コーブの丘に建つセント・フィン・バレズ大聖堂のス...
2025/05/12~
コーク
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(11)アイリッシュパブでビールを飲み比べ、バター博物館...
2025/05/12~
コーク
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(12)コ―ヴの町でタイタニック号について学び、コ―ヴ大...
2025/05/12~
コーヴ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(13)ウェールズの旅はテンダーボートに乗ってホーリーヘ...
2025/05/13~
スノードニア国立公園周辺
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(14)エクスカーションでカーナヴォン城とスノードニア国...
2025/05/13~
スノードニア国立公園周辺
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(15)夜明けマージー川をリヴァプールに入り、マジカルミ...
2025/05/14~
リバプール
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(16)ビートルズツアーの最後はキャヴァーンクラブに立ち...
2025/05/14~
リバプール
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(17)グリーノック港から美しい海岸線を走り、ラーグスで...
2025/05/15~
グラスゴー
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(18)カルゼアン城と庭園を彷徨い、廃墟となったダヌア―...
2025/05/15~
グラスゴー
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(19)ベルファストから北アイルランド東海岸を北上し、ジ...
2025/05/16~
ベルファスト
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(20)ジャイアントコーズウェイの柱状節理に感嘆し、ブッ...
2025/05/16~
ベルファスト
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(21)ベルファストからエディンバラへの終日航海日はキャ...
2025/05/17~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(22)フォース橋からテンダーボートで上陸し、路線バスで...
2025/05/18~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(23)事前予約しなければ入場できなかったエディンバラ城...
2025/05/18~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(24)KiltaneとJohnstons of Elg...
2025/05/18~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(25)ル・アーブルへの英仏海峡の終日航海日に映画「ロス...
2025/05/19~
エジンバラ
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(26)モネの「印象 日の出」の風景を探しながら、夜明け...
2025/05/20~
ル・アーヴル
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(27)アンドレ・マルロー美術館でカッサンドルの「ノルマ...
2025/05/20~
ル・アーヴル
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(28)エクスカーションツアーでオンフルールを散策し、セ...
2025/05/20~
オンフルール
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(29)オンフルールから田園地帯を走り、カルヴァドスにつ...
2025/05/20~
その他の観光地
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(30)2週間ぶりにサウザンプトンに戻り、シーシティ博物...
2025/05/21~
サウサンプトン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
エジンバラ(イギリス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2025英国クルーズの旅
0
67