2025/05/10 - 2025/05/10
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/05/10
この旅行記スケジュールを元に
「ウェイマス/Weymouth」の観光が思ったよりも楽しかったのですが、最終の乗船時間を考えながらシャトルバスに乗って「ポートランド城/Portland Castle」で途中下車します。「ポートランド城」は「ポートランド港」を守るために建てられたヘンリー8世の時代の沿岸砲砦の1つです。その丸みを帯びた海側の形状は飛来する大砲の砲弾をそらすように設計されています。城としての規模は小さく、見どころは少ないのですが、昔の大砲の構造や砲弾の発射の仕組みなどを知ることが出来ました。ここから再びバスに乗って港まで戻るのですが、近くにある「D-Day Centre & WW2 Museum」まで歩いて行くことにしました。また、ここまで戻ってこないとならないのと戦争博物館なので妻は先に戻ることにしました。15分ほど歩いた先にある博物館は名前の通り第2次世界大戦時のノルマンディ上陸作戦のD-Dayで使われたアメリカ軍やイギリス軍の戦車や車両が並べられています。映画の中では見たことのあるものばかりでしたが、実際の本物を見るのは初めてでしたので興奮します。迫撃砲の砲弾を持ってみるとその重さが実感できました。この博物館に置かれた高射砲なども実際に乗って旋回させたりできるのも素晴らしいです。さらにここでも天井には「スーパーマリン・スピットファイヤー」の実機が吊られてありました。表から階段を上がった2階にはドイツ軍の資料も置いてあり、シュマイザーMP40というマシンガンの本物を持たせてもらえ、その重さには驚きました。小学生の頃の図工の課題で模造紙で服を作るというものがあり、ドイツ軍の軍服を再現したことがありました。かなりリアルに造ったのですが、このマシンガンだけは納得のいくものでなかったことを思い出しました。50年ほど前はまだ第2次世界大戦時の日本軍の艦船や軍用機、米英やドイツの軍用機や銀用車両が人気があり、プラモデルや本をたくさん買い求めました。その頃に覚えたものが実際に目の前にあるのですからとても貴重な体験でした。再びシャトルバスに乗って船に戻り、Line電話すると妻はプールサイドにいると分かりました。合流してビールとピザで遅いお昼もいただきました。部屋に戻ってモヒートを飲んでいると退役軍人の軍楽隊の皆さんが演奏をしてくれています。出港に時間になると空砲が3発撃たれ、何とも言えない見送りに感激しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ウェイマス/Weymouth」の観光が思ったよりも楽しかったのですが、最終の乗船時間を考えながらシャトルバスに乗ります。
ザ エスプラネード ホテル
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「ポートランド島/Isle of Portland」は島と言いながら本土とは砂州のある道路で繋がっています。
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砂だと思った丘は小石が積みあがっているようです。元々あったものなのか道路を作ったことで堆積したのかは分かりません。
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しばらくすると「ポートランド・キャッスル/Portland Castle」の前で停車しました。ここでは3割くらいの人がバスを降りました。
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この城は1539年から1541年にかけてヘンリー8世によって建設された砲兵砦です。フランスと神聖ローマ帝国からの侵略から身を守るためのキングス・デバイス・プログラムの一部を形成しています。昨日サウザンプトンを出港してから見えた城もヘンリー8世によって造られたものでした。
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リーガルプリンセスの停泊している「ポートランドハーバー」は1849年に建設が始まり1872年に完成しましたが、その世界一と言われる人工の港を守るように建てられています。
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扇形の城はポートランド石で建てられ、湾曲した中央の塔と砲台があり、両側には2つの角張った翼廊がありました。
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建設後まもなくすると敵の船に対して使用することを目的とした11門の大砲で武装され、港の反対側の本土側にある「サンズフット城/Sandsfoot Castle」と協力して防備されました。
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ガンループからは遠くに停泊するリーガル・プリンセスの姿も見えました。そこから広がる「ポートランドハーバー」が広がっているのも見えます。
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「ポートランド城」の守備隊は小規模で、16世紀と17世紀には通常15人でしたが、18世紀以降は6人以下の減らされたようです。ここに描かれた守備隊の兵士は左から「チューダー朝の兵士」中央が「王党派の砲手」「王立砲兵連帯の砲手」です。
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扇形に広がった形状は砲撃の際に死角を作らないためなのだということがよく分かります。これまでいろいろな場所で中世の大砲を見てきました。そしてその周囲には石で出来た球体の砲弾が置かれていることが多かったです。ただ、どのような仕組みで砲弾が飛ばされたのか考えたことはありませんでした。
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球形の砲丸を発射するための太さが均一な管の形をした大砲は、西欧では15世紀の初頭ごろから見られるようになります。この時代の大砲は「射石砲」または「ボンバード砲」と呼ばれ、石の砲丸を発射するものでした。
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中国で発明された火薬は15世紀半ば頃までには西欧にも伝わります。砲丸を大きく、射出速度を速くして投射物に巨大な運動量を与えるためには、多量の装薬の爆発に耐えうる砲身が必要になり、その強度を得るために鋳造によって一体成型された大砲が製造されるようになります。
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高い破壊力を持った重砲の発達によってそれまで難攻不落であった防衛設備を短時間のうちに陥落させることができるようになり、防衛側と攻撃側の力関係の変化を生じさせました。
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1453年にオスマン帝国によるコンスタンティノポリス包囲戦では口径の大きな重砲が決定的な役割を果たしています。百年戦争末期のノルマンディーとボルドーからのイギリス軍の撤退においても火砲は重要な役割を果たしました。
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彼女の飼い犬は海でもっと遊びたいようで、何度名前を呼ばれても海中から戻ってきません。グーグルで中世の大砲について調べていましたが、興味はこっちに移ってしまいました。
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城内には当時の情景を思い起こし易いような展示がされていますが、11ポンドの入場料を支払うほどの内容では無かったように思えます。それだけ円安なのだと実感します。
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バス停に戻ると過ぎに港へ戻るバスがやってきました。さすがにこの時間になると途中から乗車しても混んでいます。歩いて10分ほどの距離に「D-Day Centre & WW2 Museum」があるので、妻だけをバスに乗せてここでお別れです。15分ほど歩くと第2次世界大戦博物館に着きました。
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「レレット」はチェシルビーチ沖で使用するために設計された手漕ぎボートの一種です。主に釣りに使用されていましたが、緊急時にはレレットが救命ボートとして使用されました。
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1800年代にはチェルシービーチ沿岸で100艘以上あった「?レット」は1900年代になると50艘が使用されていました。1日で63,000匹のサバを水揚げした記録も残っているようです。
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このシルバースター号は1914年にポートランドのクラークス社によって建造されています。現在「?レット」は3艘しか現存していません。
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「Mk17接触機雷/Mk17 Contact Sea Mine」
Mk17は第2次世界大戦における標準的な機雷で1000隻以上のドイツ、イタリア、日本の船舶と36隻の潜水艦を撃沈しています。 -
ここに置かれたMk17は発射台車と共に展示された珍しい例です。海中に投下されると台車は重りとなって海底に沈み、ケーブルが伸びて機雷が海中に漂います。直径約1メートルの半球体2つを20センチほどのベルトで結合し、11個の起爆ホーンを備えています。船舶に衝突されると145キロから200キロの爆薬が起爆します。
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機雷の先にレンガ造りの建物があり、ここが「D-Day Centre & WW2 Museum」の入り口です。シャトルバスから見えただけで詳しいことも分からずに見学に来ました。入場料は7ポンドと良心的な金額でした。ここでも若い男性スタッフが親切に展示物などについて案内してくれました。
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「D-Dayとノルマンディー上陸作戦」については対岸の「ウェイマス」の海岸にあった慰霊碑などを見て、この地が作戦の重要な場所であると知りましたが、ここでも新たなことを学びました。
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「ポートランド島」のここ博物館のある近くのキャッスルタウン桟橋は418,585人の兵士と144,093代の車両の乗船地点でした。Dデイまでの期間に465,000人以上の兵士が戦士または負傷しています。そのうちアメリカ軍は135,000人にも及びます。
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戦闘後に遺族の希望により約14,000人のアメリカ軍犠牲者の遺体が再埋葬のためにアメリカに送還されました。これらの多くはフランスからこのキャッスルタウン埠頭に送還され、大西洋を横断する大型船で帰国しました。アメリカ軍はポートランド港を「世界最大の小さな港」と呼んだそうです。
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入場料は建物の中で支払いましたが、一度表に出て屋外展示から見ることにします。「Willys MB and Ford GPW」
1942年から同一仕様のウイリスMB、フォード・GPWの生産が始まります。フォードは絶大な大量生産能力を買われてウィリスと完全互換・同一仕様での製造を委託されました。 -
ジープはケーブル敷設、製材、消防ポンプ車、野戦救急車、トラクターなど、さまざまな目的に使用され、鉄道用の車輪を取り付けて線路も走行することが出来たようです。車両あたりのコストはウィリスとの契約に基づく価格である648.74ドルでしたが、これは現在に換算すると12,500ドルほどのようです。
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「M-4シャーマン/M-4 Sherman」
M4中戦車は第2次世界大戦時にアメリカ合衆国で開発と製造された30トン級の中戦車で、通称はシャーマンでした。高い機動力と火力を誇るアメリカの代表的な戦車です。 -
第2次世界大戦が勃発した1939年当時、アメリカ陸軍は戦車保有数が少なく、唯一の中戦車M2中戦車も時代遅れで陸上戦力には不安がありました。当初は中立的な立場(孤立主義)を採っていた事にも起因しますが、M3のシャーシをベースに75ミリ砲を搭載した大型砲塔を持つ新戦車T6の開発と同時に開発され、M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産が開始され、M4は1942年7月から量産が開始されました。
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参戦した当初M4はほとんどの敵戦車より優れていましたが、1944年までにパンサーやタイガーなどドイツ戦車には劣勢になりました。短砲身で低速の砲は近距離を除いてパンサーやタイガーの走行を貫通することは出来ませんでした。しかし、速度や機動性と圧倒的な台数によって先頭における限界は補われました。
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展示されているシャーマンはノルマンディーでの戦闘中に損傷を受け、連合軍の清軍に伴い放棄されました。戦後になるとフランス軍に徴用され、1980年まで訓練用の車両として使われました。2016年にこの博物館によって購入されました。ブラッド・ピット主演の映画「フューリー/Fury」はM4A2E8というタイプの戦車です。
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「Wright R-975 Whirlwind」
ライトR-975ワールウィンドはカーチス・ライト社のライト航空部門で製造された9気筒空冷星型航空機エンジンです。出力は300馬力から450馬力で、商業的に生産されたエンジンでした。 -
展示されているエンジンは1945年に西ドイツで戦闘して破損したシャーマンから取り外されました。2015年にオランダの収集家によって回収されるまで野原に放置されていました。榴散弾と銃弾による痕跡は今でも見ることができます。
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「ダッジWC-51トラック/Douge WC-51 Truck/Cargo」
ウェポンキャリアと呼ばれていましたが、荷室の両側に折り畳み式の塀陰陽の座席があり、主に人員と弾薬の輸送に使われました。 -
このWC-51は1943年に製造され、ヨーロッパ全域で米陸軍第28歩兵師団で使用されました。
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「M16A1MGMC」
M3ha合計で41,000台製造され、このタイプは3,550台のうちの1台です。MGMCとは多連装機関銃自動車で、マクソンM45F機関銃架で0.5口径M2ブローニング機関銃4挺搭載し、有効射程距離は1.5キロで毎分2,300発が発射可能でした。対空兵器としてノルマンディー進行中に貴重な防空を提供し、連合軍からはミートチョッパーやクラウトモーワー(芝刈り機)と呼ばれました。 -
このハーフトラックは典型的なアメリカ製M3装甲兵員輸送車の対空型で、1942年に製造され、終戦までヨーロッパ戦線に投入されました。戦後1980年までフランス軍で使用され、その後個人コレクターに売却され、2017年にこの博物館が取得しました。
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この車両のもっとも注目すべき尖塔は1945年3月にアメリカ軍がルー電ドルフ橋をほぼ無傷で占領したことのようです。?マーゲンのライン川に架かる橋をドイツ軍は破壊してアメリカ軍の侵攻を阻止しようとJu88シュトゥーカ急降下爆撃機、メッサーシュミット109とフォッケウルフ190,Me410重戦闘爆撃機、さらにアラドとMe262ジェット戦闘爆撃機まで投入されました。アメリカ軍は100機を撃墜したと主張し、「レマーゲンの奇跡」と呼ばれました。
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「M8軽装甲車/M8 LIGHT Armoured Car」
1941年に高速駆逐戦車として構想されたM8軽装甲車でしたが、小型の主砲と薄い装甲のためにヨーロッパ戦線においては敵戦車に対抗できないことから早い段階から偵察任務へと変更されました。 -
脆弱な装甲と主砲でありながら1944年12月に「ザンクト・フィート」という町で行われたバルジの戦いではM8がドイツのタイガー戦車の背後に回り込み、わずか22メートルから37ミリ砲弾3発を発射して破壊したこともあります。
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ノルマンディー上陸作戦の準備の一環としてキャッスルタウンには米陸軍野戦病院が設立されました。ここには軍用の救急車も展示してありました。
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後方の扉は開けられて、タンカに乗せられた負傷兵の人形まで置かれてあります。
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1940年製の空襲警報サイレンがありました。3回ほど回すと戦争映画で聞き覚えのある音が聞こえてきます。80年以上の物なので丁寧に扱わなければなりません。
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「M45クアッドマウント&M20トレーラー/M45 Quadmount&M2D teller」
M45クアッドマウントは4挺も重砲身50口径M2ブローニング機関銃で構成された火器搭載装置でした。 -
これらは小型のブリッグス&ストラットン製ガソリンエンジンで駆動する発電機によって充電されます。M20トレーラーに搭載された場合はM55とも呼ばれます。
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砲架中央に配置されたこの銃は1人の砲手で操作します。電動トリガー機構により4門の重が同時に発射されます。当初は対空兵器として設計されましたが、地上目標に対しても使用されました。脳r万ディー上陸作戦でも大きな効果を発揮し、1970年初頭まで米軍で使用されました。
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トゥームストーンドラムマシンガンはそれぞれ200発の砲弾を収納できます。このM45クアッドマウントはフランスのアルデンヌ地方の軍事兵器専門家から購入されました。
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これには実際に乗り込んで旋回させることができます。イギリスの博物館の良いところは実際に触ったり乗ったり体感できるものが多いということだと思います。
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「M2 60ミリ迫撃砲/US M2 60mm Mortar」
1941年からアメリカ陸軍に導入されたシンプルながら強力な兵器です。ノルマンディー上陸作戦でも効果的に使われました。迫撃砲弾は1発あたり1.35キロの重さで1分間に18発の砲弾を最大1.8キロ先まで発車できました。 -
実際の迫撃砲弾まで置かれてあり、実際に手に持つことも出来ます。映画の中ではよく見るシーンですが、実際に手に持つとその重さが伝わってきます。着弾した場合のキルゾーンは半径13メートルに範囲だそうです。手榴弾のように投げることも可能な武器でした。
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「Bofers L60」
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「ボフォースL60/Bofers L60」
1930年代にスウェーデンの兵器メーカーのボフォースによって設計された高射砲は第2次世界大戦でもっとも効果的な中型対空砲システムの1つであり、低仰角射撃能力により対空砲としてだけではなく地上の目標にも使用できました。 -
この砲は戦争中に連合軍と枢軸国の両方で生産と使用がされました。ポートランド港を空襲から守るために多数の高射砲がポートランド周辺に配置されました。
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この砲は1980年代にテレビや映画用に改造され、「バンド・オブ・ブラザース」「グッドナイト・スイートハート」「キャプテン・アメリカ」のセットで使用されたボーフォー40ミリ対空砲だとキャプションに書かれてありました。
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操作に当たっては砲手2名と旋回操作員1名と仰角・トリガー捜査員1名と車長1名が必要でした。実際に子供1名でも旋回できるのが分かりました。
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発射速度は毎分120発で、射程は7,160メートルというスペックです。
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この博物館の最初の収蔵品は、ブラッド・ピット主演でドーセットで撮影された2014年の映画「フューリー」のセットで使用された大量の弾薬箱と燃料缶でした。
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軍部の装備に比べてイギリスの警察官の装備はあまりにも脆弱な感じがします。毒ガス攻撃に備えた防毒マスクが身を護る唯一の装備のようです。
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防毒マスクの下に下げられた吸収缶(キャニスター)は有毒物質を吸収したり、粉塵や飛沫を除去する濾材が詰まった缶です。吸気は吸収缶を通ってからマスクに入り、吸収できるガスの種類によって濾材が異なるため、塗装の色などで区別されています。
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「フォードGPW/Ford GPW」
ヨーロッパで戦闘が激化する中でアメリカ陸軍省は軽量のクロスカントリー偵察車両が必要と判断し、バンタム、ウィリス・オーバーランド、フォードに試験車両を製造させ、この3社から標準化されたジープが誕生しました。Gha政府との契約、pは80インチのホイールベース、Wはウィリス・オーバーランドのライセンスを意味します。大戦中にウィリス・オーバーランド363,000台、フォードは240,000台を生産しました。このフォードGPWは1943年に製造され、ブローニング30口径の機関銃を装備しています。煙突のようなシュノーケルが取り付けてあるので、ある程度の水位があっても問題なく走れたことでしょう。 -
ノルマンディ上陸作戦というと子供の頃に観た「史上最大の作戦」が最初に思い出されます。ストーリーよりも戦争のリアリティという点では「プライベート・ライアン」も良かったですし、本題は別にありますが「ミケランジェロ・プロジェクト」も面白かったです。
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通信兵の展示も妙にリアルです。第2次世界大戦時にドイツ軍が誇った世界最強の解読不可能と言われた「エニグマ」の暗号解読に挑んだ、天才数学者アラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」が思い出されます。
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イチオシ
天井には「スーパーマリン スピットファイア/Supermarine Spitfire」が吊られています田。ほんの数日前にサウザンプトンの「ソレント・スカイ航空博物館」で見てきたばかりです。
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残念ながらここに展示されているのは実機ではなくレプリカのようですが、空を粒ような姿がとても美しいです。この1年間でニュージーランドの「オークランド戦争博物館」に始まって3回見ることができました。
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上昇力だけでは戦闘機と渡り合うことはできないという問題を解消するため、1934年に設計陣は楕円翼形を採用しました。抗力を生むことを避けるため主翼の厚みは薄くする必要もありましたが、巧妙な設計によって薄い翼でも機関銃とその弾薬、格納式の引き込み脚の搭載を可能とします。
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1940年の「バトル・オブ・ブリテン」の際に活躍したため、イギリスをドイツ空軍から救った「救国戦闘機」とも呼ばれることからも人気があるのだと思います。スピルバーグの映画「太陽の帝国」の中で蘇州の収容所をアメリカ軍のP51マスタングが攻撃するシーンで、主人公の少年が「Cadillac of the Sky」と叫ぶシーンがありますが、スピットファイヤーだと「Rolls-Royce of the Sky」でしょうか。このセリフは2週間後に自分でいうことになるとは思いませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=Ekv_mUb3yuo -
ここに掲げられた星条旗は博物館の開館に先立ち、第1歩兵師団英国再現グループがオリジナルの戦時中の米国国旗を貸し出したもののようです。
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ノルマンディー上陸開始に先立って海岸付近のドイツ軍の攪乱と反撃行動の妨害により上陸部隊の内陸進攻を容易にするためトンガ作戦が開始されます。イギリス第6空挺師団とアメリカ第82、第101空挺師団がノルマンディー一帯に降下作戦を開始しました。
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「ちょっとピンボケ」なノルマンディ上陸作戦中の写真も展示してありました。オマハビーチに上陸するアメリカ兵士を撮った有名な写真です。
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兵士たちは輸送艦上から上陸用舟艇に網を伝って乗り込みましたが通常の作戦より遥かに重装備であり、なかには自分の体重に装備を合わせて15キロの重量に達するような兵士もいたそうです。
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戦艦や巡洋艦といった大型艦は特定する海岸砲を叩き潰すという任務が与えられ、海岸砲の射程外の沖合に投錨して巨砲をドイツ軍砲台に浴びせ、駆逐艦などの小型艦などは海岸付近のドイツ軍陣地を砲撃して上陸部隊の援護をしました。
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アメリカ軍が最も警戒していたポワント・デュ・オックのドイツ軍砲台に対してはアメリカ軍戦艦「ネバダ」「アーカンソー」が600発もの砲撃を行い、無力化に成功しています。先走って反撃したユタ・ビーチでは偵察機によって砲台や陣地の位置が暴露されてしまっており、連合軍の艦砲射撃が開始されると間もなく大口径の砲弾が次々と着弾し、その正確な砲撃で塹壕はならされ、鉄条網は吹き飛び、対空砲台は破壊されて夥しい死傷者が生じました。しかしオマハ・ビーチについては大型艦の艦砲射撃が砲台破壊を重視したこともあって、大きな損害はありませんでした。
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オマハ・ビーチには64輌のDD戦車が投入されましたが、29輌のDD戦車のうち27輌があっという間に海中に没してしまいます。上陸部隊は荒れた海面のために戦わずして多数の水陸両用戦車を失いながらも、残った200隻余りの上陸用舟艇は海岸に向けて殺到ししました。海岸から700メートルまで接近したときに上陸用舟艇に向けてドイツ軍の砲撃が開始されました。
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上陸用舟艇が海岸に到着して上陸はしごが下ろされると、待ち構えていた機関銃座から猛射が浴びせられ、ある舟艇では搭乗者が悉くなぎ倒されて、生存者がたった1人だったということもあったようです。この辺りは映画のシーンが思い出されます。
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オマハ・ビーチについては博物館の外階段の2階にドイツ軍についての展示もありました。当初海岸に配備されていたドイツ側の守備隊は二線級の第716歩兵師団と予測されていましたが、実際は東部戦線における激戦の戦闘経験を持つ第352歩兵師団でした。地元のレジスタンス組織はこの情報を掴んでいましたが、連絡手段が伝書鳩しかなく、第352歩兵師団兵士に全て撃ち落されていたようです。
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オマハ・ビーチのドイツ軍の多くが事前の航空爆撃や艦砲射撃にも生き残り、上陸部隊を待ち構えていました。荒れた海で上陸に苦戦し、なかには途中で舟艇を降りて200メートルも海中を徒歩で進んでくるアメリカ兵を見て嘲笑うぐらいの余裕もあったようです。
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ドイツ陸軍の装備が置かれ、係員の方が詳しく説明してくれます。小学生の頃は歴史的な観点や良し悪しではなく単純にドイツ軍の兵器などがカッコいいと思っていました。図工の時間の課題でも模造紙でドイツ軍の将校の制服を作ったりしていました。
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置いてあったのは本物のシュマイザーMP40で、これを持たせてもらいましたがその重さに驚きました。80年以上前にこんな重たいマシンガンを持って戦っていたのかと思います。先ほどの迫撃砲弾と言い、実際に兵器に触れるのはいい経験になりました。
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二脚を装着したグロスフスMG42機関銃がトーチカの中に据えられたように展示してあります。正面にはオマハ・ビーチの情景が映し出されています。
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第2次世界大戦時の1942年にナチス・ドイツにより開発と製造された汎用機関銃で、完成した銃はプレス加工の多用により、それまでのMG34のおよそ半分の人手や低いコストで製造でき、戦時生産数が400,000挺を超えた成功作だったようです。
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スピルバーグのインディ・ジョーンズシリーズの映画「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」では聖櫃を入れたナチス・ドイツの木箱のマークが焦げていくシーンがありましたが、この中には入っていません。
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「ポートランド城/Portland Castle」のバス停まで戻り、シャトルバスに乗り込んで港まで戻りました。妻にLine電話するとちょうどプールサイドにいるというので待ち合わせします。
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プールサイドの「プレーゴ」でピザを貰って、横の「マーメード・テール」でビールも貰います。
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テラスで食べたいところでしたが、日差しが強いので涼しい「ホライゾン・コート」でいただきます。
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部屋に戻りがてらに「マーメード・テール」で水を貰ってモヒートも追加します。船内のどこでもモヒートは飲めますが、このバーの物が一番おいしかったです。
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イチオシ
部屋に戻れたのは午後5時くらいでした。
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バルコニーに出てみると退役兵のマーチングバンドが演奏しているのが見えました。
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行進曲(マーチ)の原型は16世紀のヨーロッパにあり、各国の軍隊は識別の合図であるドラム・コールを有しており行進の際にも使用されていいました。一糸乱れぬ動きには感動します。
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演奏しているのはイギリスではポピュラーな曲が多かったのですが、「サンダーバード」のテーマ曲を聴いたときは涙が出そうになりました。サンダーバードが流行ったのは幼稚園の頃でしたが、戦争博物館で子供の頃のことをいろいろ思い出した後でした。
https://www.youtube.com/watch?v=xXB8iplwhl4&list=RDxXB8iplwhl4&start_radio=1 -
マーチングバンドとは別に小型の大砲と砲兵が3名スタンバイしています。
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もちろん空砲ですが火薬を詰めて準備が始まりました。
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演奏はまだまだ続いています。
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イチオシ
演奏が終わるとバルコニーからは絵ユニオンジャックが振られていました。たくさんの人はバルコニーから拍手を送ります。
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「礼砲(れいほう)」とは国際儀礼上行われている大砲を使用した軍隊における礼式の一種です。空包を発射し、敬意を表明するもので英語では「Gun Salutes」といいます。
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急いで次の装填が始まります。
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船は午後7時の出港なのでどんどん遠くなってしまいます。
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3発目が終わったところで手を振って見送ってくれます。礼砲は奇数回と決まっています。
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イチオシ
小さな漁船も見送ってくれているようです。
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「インナー ピアヘッド フォート/Inner Pierhead Fort」が見えてきました。
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今回のクルーズでは港々に歴史があり、このような城や砲台を見ることができそうです。その歴史を調べるのも楽しみになりました。
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要塞の脇から外洋に出ました。「ウェイマス」は「ウインチェスター」から「サウザンプトン」へ戻る際に乗った列車が「ウェイマス」行きでした。ここまでは刳ることがあっても「ポートランド島」へ来ることは無いと思います。
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今回のクルーズではマイナーな港も多く、地球の歩き方を見ても掲載されていないところもたくさんありました。もっともガイドブックを家に忘れてきてしまっているのですが。
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「ポートランド島」の港を出ると船はイギリス本土を離れてアイルランドのコーブを目指して西に向かいます。
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白亜系チョークとも呼ばれる石灰岩の断崖を見るのもしばらく先になりまそうです。
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先ほど歩いてきた「ウェイマス」の海岸線のプロムナードが遠くに見えましたこの日の余韻に浸っている余裕はなく、夕食の時間の午後7時40分が迫っています。
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毎日の食事で何を食べたかが分からなくなってしまうのでメニューの写真を撮っておくのは日課になっています。
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今日は昼食を食べたのが午後4時過ぎだったのであまり食欲はありません。
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まずはノルディック・シェルフィッシュ・ビスクです。白身魚とエビとムール貝、ロブスターの濃厚な風味の美味しい逸品でした。
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妻は大きなエビのカクテルです。これもスパイシーで美味しい前菜です。
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妻はビールですが、やっぱり白ワインが美味しいです。
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この日は2人とも気が合ったのかグリルド・ニューヨーク・ストリップステーキです。ちょっと筋っぽくてこのメニューは辺り外れがあります。味は良かったです。
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2品だけで食事は終えてデザートに移ります。
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何日かに1回は出てくるフレンチバニラビーンズ・クリームブリュレをいただきます。メニューに載っているとついつい注文したくなります。
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この日のシアターショーは「Believe:The Cher Show with Rachael Hawnt」でした。好きな曲なので観たい気持ちもありましたが、少し疲れたので部屋に戻ることにします。
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午後9時過ぎになってもまだ西の空には明るさが残っていました。
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家を出てからここまでノンストップで旅しているようなもので少し疲れも出てきました。旅も始まったばかりですが、翌日は終日航海日なので少しゆっくりします。
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2025/05/10~
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2025/05/11~
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(18)カルゼアン城と庭園を彷徨い、廃墟となったダヌア―...
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2025/05/16~
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(26)モネの「印象 日の出」の風景を探しながら、夜明け...
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(27)アンドレ・マルロー美術館でカッサンドルの「ノルマ...
2025/05/20~
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(28)エクスカーションツアーでオンフルールを散策し、セ...
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