2025/05/20 - 2025/05/20
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kojikojiさん
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オーギュスト・ペレによって再建された世界遺産の「ル・アーブル/Le Havre」の街歩きと「聖ヨセフ教会/Église Saint-Joseph」、「マルロー美術館/MuMa Musée d'art moderne André Malraux」を済ませた後は区r-ズ・ターミナルまで歩いて戻り、船内で一休みしてから再びエクスカーションで郊外へ出かけます。午後のエクスカーションは「ノルマンディのテイスト」というもので、まずは「オンフルール/Honfleur」という町の散策し、その後は「カルヴァドス /Calvados」地方のカルヴァドスブランデー醸造所に行くというものでした。元々はこのツアーの午前中に参加しようと思っていたのですが、ソルドアウトだったので午後出発にしましたが、結果的には午前中が有効に使えてよかったと思います。「ル・アーブル」を出て「ノルマンディー橋/Le Pont de Normandie」を渡るときに眼下の川が「セーヌ川/la Seine」だと思うと感慨深いものがあります。もう30年も前のことですが、パリでヨットを借りてセーヌ川を下るかローヌ川で地中海へ行くかを計画したことがありました。そのために川を航行する専用の地図まで手に入れましたが、そのままとん挫しています。もう60歳を超えては叶わない夢だと思います。1時間ほどバスで走った「オンフルール/Honfleur」の街は今回初めて訪れましたがとても美しい港町でした。旧港の風景は印象派の絵画の題材ともなり、画家のウジェーヌ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin)や、作曲家のエリック・サティ(Éric Alfred Leslie Satie)の生地でもあります。町中を1時間ほどガイドさんについて見学した後は1時間ほどのフリータイムになりました。2人で散策した後は旧港の脇にある「セントジェームス/Saint James」で友人たちへのお土産を買い求めます。ここは1番くらい泊まってみたい町だと思いましたが、今後この町を題材にした絵画作品を見たら懐かしく思い出せると思います。再集合した後は「カルヴァドス /Calvados」を飲みに出発します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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船室からギャングウェイに向かう途中にカジノを通りました。今回はまじめに1回もルーレットをやりませんでした。急がないといけないのに妻の足が止まりました。
マルロー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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集合時間に合わせて再びタラップを降ります。午後になってから出掛ける人の姿はさらに少ないようです。
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かつては豪華客船が入港と出港を繰り返した「ル・アーブル」の港に来ることが出来て感慨深いです。特に午前中マルロー美術館」でその歴史を学んだことも大きいと思います。
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一応クルーズターミナルと名の付いた倉庫のようなスペースです。出口の左に小さいお土産物屋がわずかにあるだけで、観光案内所のようなものも無ければ地図も配っていません。イギリス各地の歓待を考えるとちょっと寂しい寄港地です。
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タクシー乗り場の脇にあった料金表です。やはり長距離や時間でチャーターしないと乗ることは出来ません。
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午後のエクスカーションは「ノルマンディのテイスト」というもので、まずは「オンフルール/Honfleur」という町の散策し、その後は「カルヴァドス /Calvados」地方のカルヴァドスブランデー蒸留所に行くというものです。
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本当は午前中のツアーに参加したかったのですが、今日の午前中の効率を考えると、エクスカーションを午後にして良かったです。
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セーヌ川に架かる最後の橋を渡るようです。この橋が最後でセーヌ川は大西洋にそそぎます。
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「ノルマンディー橋/Pont de Normandie」はセーヌ右岸である北側の「ル・アーブル」と左岸で南側の「オンフルール/Honfleur」を結んでおり、長さは2143.21メートルです。そのうち856メートルが主塔間の距離すなわち中央径間です。開通したときは上海の楊浦大橋の602メートルの中央径間を254メートル上回り世界最長記録を打ち立てましたが、その後この記録は1999年に日本の多々羅大橋が34メートル差で塗り替えています。
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セーヌ川の最後の姿です。パリの町の中を流れるセーヌの流れとは全く違った印象を受けます。パリの「サン・マルタン運河」のクルーズですれ違った木造のヨットは大西洋まで航行したのだろうかとその姿を思い出します。
サン・マルタン運河:https://4travel.jp/travelogue/10622756 -
30年ほど前にパルでヨットを借りて大西洋まで下るか、あるいはローヌ川を下って地中海まで行くか考えて、両方の川の航路地図まで買ったのですがとん挫したままです。
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「ノルマンディー橋」を渡ってすぐの所に「オンフルール/Honfleur」の町がありました。あまりの近さに拍子抜けします。
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セーヌ川の支流の漏れる側に古いドックなどが残されています。ここの駐車場でバスを降りて、ガイドさんの案内で街歩きをします。
旧ドック 建造物
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「オンフルール」は観光の町としても知られ、旧港の周辺の風景は印象派の絵画の題材ともなっています。先程「マルロー美術館」で作品を観てきた画家のウジェーヌ・ブーダン(Eugène-Louis Boudin)や、作曲家のエリック・サティ( Éric Alfred Leslie Satie)の生地でもあります。
ホテル メルキュール オンフルール ホテル
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エリック・サティはパリ音楽院在学中に指導教授から才能が無いと否定され、1885年に除籍になっています。その間の1884年に処女作のピアノ小品を作曲し、『ジムノペディ』や「グノシエンヌ」などを発表しています。
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「ジムノペディ」は大勢の青少年が古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神々をたたえる祭典「ギュムノパイディア」に由来しており、サティはこの祭りの様子を描いた古代の壺を見て曲想を得たといわれます。
https://www.youtube.com/watch?v=QbMye8-chLM&list=RDQbMye8-chLM&start_radio=1 -
「ジムノペディ」を初めて聴いたのは池袋にあった「西武美術館」で、それまでタブーとされていた美術館内での環境音楽として使用され、日本でもこの曲が広く知られるようになったのは有名な話です。
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ガイドさんに説明によると1階部分は石造りで2階以上は木造、外壁と屋根はスレート葺きになっています。一般的に中世では石材の運搬などにより多くのコストがかかることから、王や貴族などの建物の建物が石で作られた一方でノルマンディー地方の民衆の家の多くは安価な木や土を使った木骨造りで造られました。
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オンフルールも例外ではなく、旧市街には多くの木骨造りの家並みが残っています。町の近くに森があったこともあり、木材の調達には不自由しなかったようです。
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ロンシュヴィル広場には石造りのロンシュヴィル家の荘厳な邸宅がありました。1206年から百年戦争中のイギリスの占領まで、ロンシュヴィルの邸宅はベルトランス、ブリケベックの男爵、フォーゲルノンの子爵の領主の家でした。
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外壁のデザインは素材の違う切り石を組み合わせているのが面白いです。
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塩倉庫の建物は切り出した石灰岩が積み上げて建てられています。細い路地に建っているので離れての全景の写真が撮れません。
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塩倉庫の1つは火災によって取り壊されてしまったものの、中心市街地に残る2つの塩倉庫は港町として発展してきたこの街の歴史を伝える重要な文化財となっています。港で採れた魚を塩漬けにして保存するために1万トンもの塩を保管していました。
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港の拡張工事の際に取り壊された城壁の石材を再利用する形で1670年に建てられた石造りの倉庫は「サント・カトリーヌ教会」と同じく地元の船大工らが手掛けたもので、天井が船底のような形になっているのが特徴です。現在は各種文化イベントや会議などに用いることの出来る多目的ホールとして活用されているようでした。
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フランスで最もよく木組みの家が見られるのはアルザス地方です。クリスマスマーケット巡りで行った「コルマール」や「リクヴィル」などの地域では木組みの家はコロンバージュ(Colombage)と呼ばれていました。モン・サン・ミッシェルへの途中で立ち寄ったブルターニュ地方の「レンヌ」でも木組みの家が見られますが、こちらは、パン・ド・ボワ(Pans de bois)と呼ばれていて、地域によって呼び方が違います。
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「プティット・ブッシェリ通り/Ruelle fleurie des petites boucheries」という細い路地に入って行きます。
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あまりの路地の細さに建物を見上げると反対側の家の軒先まで写真に写ってしまいます。ここでも「ハーフティンバー様式」の美しい木材が並んでいます。
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窓枠と同じ色で塗られた扉がおしゃれです。この建物が出来てから扉と窓は何度も交換されてきたのだと思います。
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通りには個性的な建物が並んでいます。数百年の時を経たものが大切に残されていることが感じられます。
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この家の家主はプランターのハンギングが好きなようです。本当はガーデニングが趣味なのかもしれませんが、古い港町の中に庭を持つことは難しそうです。
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14世紀に建てられた「サンテティエンヌ教会」の建物は「海洋博物館/Musée de la Marine」として使われています。
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煉瓦を積み上げて構造体を作り、その間を比較的小さな岩で埋めていますが、内部の構造がどうなっているのか気になってしまいます。日本だった地震であっという間に崩れてしまいそうな建築です。
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1軒の家が崩れたらドミノ倒しのように次々に連鎖的に崩れていきそうな危うさを感じます。
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「侘び寂び」は物事の奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心や「美意識」を表す言葉ですが、日本特有ではないなと感じることがあります。ユトリロ(Maurice Utrillo)の描いた絵画のような風景に出会いました。
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この小さな通りの建物の独創性には驚かされました。日中でも人通りが少ないので数百年前の時代に迷い込んだような気になれます。
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「サンテティエンヌ教会」の建物によってクランクしたプリゾン通りの先には「オンフルール旧港/Port de Honfleur」が見えてきます。
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「民俗博物館/Musée du Vieux Honfleur」はロンシュヴィル子爵の刑務所があった16世紀の木骨造りの家を利用し、メルシエの店、クーパーの工房、頭飾りと衣装の部屋、織工の部屋、思い出の部屋、ブルジョワの部屋、 女の子の寝室、印刷業者の部屋、船員のダイニングルームなどを再現しているようです。
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もう少し自由になる時間があれば見学したいところでした。今回の旅行ではイギリス南部についてはかなり調べ込んできましたが、クルーズのエクスカーションではどれほどの時間があるのかも分からず特に「ル・アーブル」の寄港についてはほとんど調べないままに来てしまいました。
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この町の繁栄は百年戦争時の海上貿易の恩恵により潤い、18世紀末まで続きましたが、フランス革命とフランス第一帝政、特に大陸封鎖下の時代になると街は廃墟となっていったようです。
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通りには小さな手押しポンプが残されれいました。上部の穴の部分には手押しするハンドルがあったのだと思われますが失われています。
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「サンテティエンヌ教会」の正面まで歩いてきました。模型で往時の船大工達が働く様子を再現し、18世紀から19世紀の漁船や貿易船の様子を伺い知ることができるようですここも見学したいところですが…。。
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ここまで歩いてきた教会の脇のプアゾン通りです。数百年時間が止まったようなたたずまいです。
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一転して「サンテティエンヌ教会」の前に広がる「オンフルール旧港/Port de Honfleur」は賑やかなエリアです。
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港は数多くの探検者の出発地でもあり、16世紀初めには大西洋を横断してブラジルに到着していました。さらにはジャン・ドニ・オンフルール(Jean Denis d’Honfleur)という冒険家が現在のカナダのセントローレンス川の河口を探検しました。
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現在のカナダのケベック州をフランスが領有するようになったのは、サン・マロ出身の冒険家ジャック・カルティエ(Jacques Cartier)の功績によるものですが、それよりも早くオンフルールの冒険家は現在のニューファンドランド島を植民地としていました。
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町の繁栄ぶりは17世紀から18世紀にかけても衰えることは無く、現在のオンフルールの代名詞とも言える「ヴュー・バッサン(Vieux bassin)」はこの時期の町の賑わいを今に伝えるものです。
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同時にルイ14世治下の1680年代に作られたこの港はその当時のオンフルールがフランスにとっての重要性を物語っています。港の船の入り口には1684年からフランス革命まで王の代官が使っていた建物(La Lietenance)があることからもそれが分かります。
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これまでフランスの港町というと地中海側の町しか訪ねたことが無かったことを思い出しました。「ル・アーブル」での寄港地のエクスカーション程度にしか考えていなかった「オンフルール」でしたが、非常に魅力的な町を数時間で去るのがもったいなく思えます。
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「ヴュー・バッサン」からの魚市場の風景をブーダンが描いていました。ブーダンについてももう少し勉強しなければと思います。
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フランスのノルマンディーとブルターニュをゆっくり妻と旅するのもいいなと思えてきます。何となくではありますがエトルタ周辺の海岸線、シェルブールなんて地名が頭に浮かんできます。
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港は1681年にコルベールの命令でエイブラハム・デュケインによって改造されました。港の拡張により町の西側の要塞は取り壊され、港は3つの側面に2つの異なるスタイルの建物で囲まれています。南側(Quai Saint-Etienne)の大きな石造りの家と北(Quai Sainte Catherine)の高くて狭い木造家屋です。
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「リュトゥナンス/la Lieutenance」は古い港の入り口にあります。18世紀の古い建物でオンフルール総督のかつての邸宅でした。
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1684年から1789年の間はフランス王の副官の家として使われ、1793年に商業裁判所になりました。
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建物の側面の1つは街の要塞の一部となる予定だった街の古い門のポートドカーンが残されています。
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基礎となる城壁の上の部分は木造で、いたるところがつぎはぎ状態だということが感じられます。
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探検家のサミュエル・ド・シャンブラン(Samuel de Champlain)のレリーフが掲げられてありました。フランス王アンリ4世の意向に従いケベック植民地の基礎を築いた人物で、「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれます。
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特徴的な木骨造りの建物が正面部分がスレートやレンガなどで覆われているのがよく分かります。
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港の対岸には「市庁舎/Place de l'Hôtel de Ville」が見えています。
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2段式の比較的大きなカルーゼルがありました。英語では一般的にメリゴゥラウンド(merry-go-round)と言いますが、イギリスではラウンダバウト(roundabout)とも言うようです。フランス語ではカルーゼル(carrousel)、あるいは、マネージュ(manège)と呼ばれます。
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ガイドツアーはさらに続き「聖カトリーヌ教会/Église Sainte-Catherine」までやってきました。このローマカトリック教会はフランスでは非常に珍しい木造で建てられているという特殊性があります。
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ドジェッド数軒のアンティークショップがあり、その中の1軒には「出征旗」が販売されていました。武運長久の文字と出羽三山の湯殿山の印も読み取れます。日本から見ると個人のための日の丸ですが、日本以外の国では多くの場合は旗は個人ではなく、軍を象徴するシンボルでした。西洋の歴史においては太古から戦闘時に敵軍の「旗」を戦利品として納めることは大変名誉な事と賞賛されました。そのような旗に対する文化認識の違いと日本語が読めない連合国兵にとって殆どの日本兵が肌身に所持していた「寄せ書き日の丸」は戦利品の中では一番人気があったようです。
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「聖カトリーヌ教会/Église Sainte-Catherine」
旧港からほど近い旧市街に佇む「聖カトリーヌ教会」はフランスで最も大きな木造建築の教会として知られています。その歴史は12世紀に遡り、当初は石造りの教会でした。サント カトリーヌ教会 寺院・教会
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百年戦争の際にイギリス軍によって破壊された後、周辺地域に豊富にあった森林資源と海運によって栄え発展した造船技術を活かして、15世紀に木造建築の教会として再建されました。
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「オンフルール学派の聖地」
この街の美しい景観は多くの芸術家を魅了し、19世紀にはオンフルール学派と呼ばれる新しい潮流が生み出されました。その中心にいたのがこの街出身の芸術家で「空の王者」とも謳われるウジェーヌ・ブーダンであり、彼の名前を冠した美術館ではノルマンディー地方の長閑な景観を描いた多くの芸術作品を目にすることが出来るようです。 -
野外での作品制作を好んだブーダンは一連の「睡蓮」などの作品で知られるクロード・モネ(Claude Monet)の才能をいち早く見出したことでも知られ、オンフルール学派は後に印象派へと至る先駆的な芸術表現を生み出しました。モネ自身もこの街の滞在中に数多くの作品を残しています。
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美しいゴシック様式の教会は16世紀に改築された当時の姿を留めているようです。教会内部に足を踏み入れると、まるで船底をひっくり返したかのような天井に魅了されます。
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細長い切妻の建物が2列に並んでいるため、主祭壇も2つ設けられています。最初の身廊(左側の身廊)の建設は15世紀後半にさかのぼり、百年戦争後に建てられた建物の最も古い部分です。
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教会は「聖カトリーヌ教会」という名前からも分かるようにアレクサンドリアの聖カタリナに捧げられていますが、置かれてあるのは聖母子像が目立ちます。
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ローマカトリックの教皇庁では7月の第2日曜日を「船員の日」と定め、世界中の司牧者、信徒に船員たちのために祈るよう呼びかけています。オンフルールでもこの教会と船員の強いきずなのようなものを感じました。
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讃美歌の「イエス・キリストの昇天の祝日」のページが開かれています。ペンテコステは東方正教会の大祝日の1つであり、カトリック教会のローマ儀式の厳粛さ、ルーテル教会の祭り、英国国教会の主要な祝日です。
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身廊には写真パネルが飾られ、そこには船員が担ぐ聖母マリア像が写されていました。
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その脇には写真に写っている聖母子像が置かれてあります。
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鐘楼には国際信号旗が掛けられ、やはり船舶との結びつきの強さを感じます。
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ここでガイドツアーは終了し、バスの停まっている駐車場への戻る時間も含めて40分ほどのフリータイムになりました。
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美術館や博物館に入っている時間は無さそうなので、ぶらぶらと港町を散策することにします。この時点で妻には行きたい店がありました。
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オンフルールの後は再びバスに乗ってカルヴァドス方面へ足を延ばし、カルヴァドスの蒸留所の見学があります。
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妻が立ち寄りたかった「セントジェームス」でお買い物です。セントジェームスのロゴマークのモチーフはモン・サンミッシェルですが、ロゴが新しくなっているのに気が付きました。
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2011年に妻と2人でモン・サン・ミッシェルを訪ねたときは「ラ・メール・プーラール」は貸し切り状態で、誰もいない修道院の中は寂しすぎる雰囲気でした。そして参道にあった「セントジェームス」で買い物したことを思い出します。
モン・サン・ミッシェル:https://4travel.jp/travelogue/10627704 -
午前中に行った「ル・アーブル」の町も再開発された美しさを感じ、「オンフルール」では古き良きフランスを感じることが出来ました。
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英国を周遊しているクルーズの際も見掛けた妙に船体の短い漁船がここにもありました。
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この新しい港からはセーヌ川を経由して英仏海峡へ漁に行くのでしょう。
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フリータイムの後にバスに再集合してカルヴァドス方面へと向かいます。
旧ドック 建造物
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