2025/05/08 - 2025/05/08
4位(同エリア38件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1755冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,458,442アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
サウザンプトンに着いた翌朝は時差もあって、かなり早く目覚めてしまいました。一度目が覚めてしまうと二度寝が出来ない年齢になったようで、支度をして旧市街の中を散歩してみることにしました。ホテルのあるハイストリートくらいのつもりが、港が見えてくると翌日からのクルーズターミナルなど気になることがたくさんあります。クルーズプラネット社からの最終案内では一番遠い「メイフェア・クルーズターミナル/Mayflower Cruise Terminal」なので歩いて行くことは難しい距離です。それでもテスト川(River Test)をタグボートに曳航されていく巨大な貨物船やワイト島からのフェリーなどを見ると心がざわざわしてきます。そしてこの港は「タイタニック号」の出港の場所として知られます。1時間ちょっとの街歩きでしたので2週間後にクルーズから戻ってきた後にもう一度街歩きしようと考えます。ホテルに戻ると妻の支度も出来ていたので1階のダイニングで朝食をいただくことにします。年配の女性2人が切り盛りしているのですが、何ともいえない雰囲気が居心地の良い空間です。久し振りのフル・ブレックファスト(Full breakfast)を楽しみました。クルーズは5月9日出港なので前泊すればよかったのですが、もう1日前倒してこの日はウィンチェスター(Winchester)へ行く予定にしています。サウザンプトンの鉄道駅まではぶらぶら歩きましたが、昨晩のバスターミナルの先なのでかなり時間がかかりました。チケットは事前にOmioというアプリで購入していましたが、「グレート・ウェスタン・レールウェイ (Great Western Railway)」のエリアの小さな町を訪ねるのには事前購入は必要ありませんでした。駅のプラットフォームにはトランクを持った人で溢れていたので最初は焦りましたが、彼らはこの日の朝に港に着いた「エメラルド・プリンセス」から下船した人たちで乗る列車はヒースロー空港行きだったので、我々の乗るローカル列車はガラガラでした。日本の鉄道はイギリスに倣っているので、改札や検札などが似ているので初めてでも利用しやすいです。ホームの電光掲示板にもオンタイムなのか何分遅れるか表示してありますし、何より英語表記なので気が楽です。30分ほどの鉄道旅の後にウィンチェスター(Winchester)に到着しました。駅からはグーグルマップを頼りに町の中心部を目指しますが、思ったよりも離れていました。まずはチケットをネットで購入していた「グレートホール/Great Hall&Round Table」の見学です。入場したホールの壁には巨大なダーツ盤のようなものが掛けられています。これが「アーサー王伝説」の特にイギリスの「ブルターニュもの」に登場するアーサー王の円卓かと思うと感慨深いものがあります。実際に造られたのはもっと時代が下ってからの物のようですが。円卓以外にもステンドグラスが素晴らしかったり見どころの多いところでした。ここからは坂道を下るように旧市街の中心部へ進みますが、通りには魅力的な建物が連なり、面白いショップも数々ありました。午前中の予定である「市立博物館/City Museum」の見学は思っていたほどの物ではありませんでしたが、古代ローマの遺物やモザイクがたくさん残っているのには驚きました。特にサンダルなどの革製品が千数百年残っているのにはびっくりです。「ウインチェスター大聖堂/Winchester Cathedral」の前で少し日向ぼっこをした後はお昼を食べにレストランを探します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サウザンプトンに着いた翌日は早朝に目が覚めてしまい、支度をして旧市街の散歩に出かけることにしました。「スターホテル/The Star Hotel」の建物の中央には馬車が入れるゲートがあり、そのまま奥の通りに抜けられるようになっています。
The Star Hotel ホテル
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通りの並びには同じような左右対称の「ドルフィンホテル/Dolphine Hotel」の建物があります。このホテルの記録は1454年に遡りますが、これよりも古い元の中世の木材と石造りのヴォールトが現存しているようです。ホテルは17世紀には有名な馬車宿で、イングランドで最大と言われる馬車の入り口とオリエル窓を備えたジョージ王朝様式のファサードは1760年頃に造られました。
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海岸へ向かう緩やかな坂道を進んでいくと「オットマンズ・キッチン(Ottoman Kitchen)」という美しいトルコ料理のレストランがありました。久しくトルコにも行っていないので食べてみたい気になりましたが、メニュー表を見るとかなり高級店のようです。
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その先には「ホリールード教会/Holyrood Church」があります。1320年に建てられたこの教会は旧市街に出来た5つの教会の中の1つでした。教会の名前「ホーリールード」はイエスが磔刑になった十字架の一部という意味なので、サクソン人の起源であることを示しています。
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1940年11月30日の夜にサウザンプトンの中心部はドイツ軍の爆撃機の標的となり、800発の高性能爆弾と9,000発の焼夷弾が町の中心部に投下されました。この攻撃その1週間で214人が亡くなり、500軒近くの家屋が全壊しました。
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翌朝までにホーリールードは煙をあげる廃墟となり、セント・メアリー教会は全焼しました。近くのセント・マイケルズ教会は無傷で残りましたが、サウザンプトンは空襲で7つの教会を失いました。
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塔の下にはセメタリーロードから撤去された「RMSタイタニック号」の沈没で命を落とした人々のために1912年から1913年にかけて建てられた記念噴水がありました。
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この「国立州銀行/National Provincial Bank」の建物は1867年に建築家のジョン・ギブソンによってイタリアンバロックスタイルで建てられています。歴史的なイングランドの文化財に指定され、南側のファサードの上部には、銀行の「1833年設立」と建物の「1867年建造」の日付が残されています。
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「Dark Arts Potion Bar」は雰囲気のあるファンタジースタイルのカクテルバーのようでした。通りに並ぶビクトリアン様式やゴシックリバイバル様式の建物の美しさに目を惹かれます。
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「ベイリーフキッチン」というインドレストランの入った建物も文化財登録されています。帆船のレリーフとその下にはパイナップルとバナナとブドウのレリーフがあるので貿易デザインを成した人の邸宅だったのでしょうか。
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通りの建物はロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルに学んだ辰野金吾の建築と言っても過言でないような建物がいくつもありました。
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「タウン・キー・パーク/Town Quay Park」に通りがかると美しい花が咲いているので中に入ってみます。
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「ダンシングマン醸造所/Dancing Man Brewery」の建物は14世紀に倉庫として使われ、中世には毛織物の家となり、ナポレオン戦争中にはフランス人捕虜の収容所として使われていました。
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「Royal Pier Indian Restaurant」の建物もユニークです。名前の通り「ロイヤル・ピア/Royal Pier」がありましたが、現在は廃墟になりこのゲートハウスの建物だけが残っています。長年タイレストランだったようですが、現在はインド料理の店になっています。
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「レッドファンネルフェリー/Red Funnel Ferries」の桟橋が隣にあり、ワイト島のイースト・カウズに向かう船が出港していきました。今回の旅ではクルーズが終わった後にポーツマスからワイト島に渡る予定です。
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「メイフラワー・パーク/Mayflower Park」を歩いていると目の前をタグボートで曳航される巨大な貨物船が通過していきました。船の写真を撮っていたおじさんと目が合ったので「おはようございます。」と声を掛けると「おはよう。」ニッコリ笑顔を返してくれました。
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一見すると海の一部のようなテスト川(River Test)を歩いているとリチャード・アダムスの小説「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」の重要な場面に出てきたことを思い出します。もっとももっと上流の辺りの話ですが。2025年には45年振りにこのアニメーションが販売になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=dhWRSRn8oJU&t=3s -
公園の一角では移動サーカスのテントやトレーラーが並んでいました。ヨーロッパを旅していると各地で見掛ける光景ですが、こういったものが成り立っている社会って素晴らしいなと思います。
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フェリーターミナルに向かって歩いています。ワイト島から到着したフェリーがお客や車を降ろしています。旅の終わりにはポーツマスからワイト島のライドへ渡る予定です。
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オーシャンドック(Ocean Dock)にはエメラルド・プリンセスが停泊していました。多分この日にサウザンプトンに戻り、乗客が入れ替わるのだと思います。このどっくは「タイタニック号」がニューヨークに向けて出港する際に停泊していた場所です。
オーシャン クルーズ ターミナル バース 46 船系
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「ハーバーボード/Harbour Board」のオフィスビルは1925年に建設されました。建物はエドワード朝のバロック様式で、独特のドームと時計の文字盤と風見鶏が印象的です。ハーバーボードは1968年に廃止されましたが建物は残されています。
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「ゴッドハウス・タワー/God’s House Tower」 の建物の最も古い部分は元々は1189年に建てられました。神の家病院に近いことからこの名が名付けられました。元の門は埠頭にアクセスできるようにするために建てられ、海からの攻撃から町を守るために使用されました。
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30分ほどのつもりが1時間を超えてしまったのでホテルに戻ります。ホテルにあったサウザンプトンのマップにはまだまだたくさんの建物が紹介されているので、クルーズから戻ったらもう一度街歩きしてみようと思います。
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1階のダイニングルームは2人の年配の女性が切り盛りしていました。料理はセルフで取りますが、コーヒーか紅茶はおばさんがサービスしてくれます。そしてトーストはホワイトかブラウンか好みを聞いてくれます。
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10年前にロンドンへ行った時以来のフル・ブレックファスト(Full breakfast)の朝食です。もっともクルーズ船の朝食レストランでは同じような料理も並んでいます。
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このダイニングは何とも言えない空気を醸し出していて、とても居心地が良かったです。今回は最初に2泊して、クルーズから戻った後も1泊したのですが、久し振りに帰ってきた安心感にも浸れました。
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午前9時過ぎにホテルを出て「Southampton Central」鉄道駅に向かいます。昨晩着いたバスターミナルの前を通過してさらに歩きます。
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ぶらぶら歩いて30分ほどで駅に到着しました。駅からバスターミナルへ向かってキャリーを牽いている人に道を尋ねられるとちょっといい気分です。
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1934年から駅舎の拡張工事が行われたせいか駅舎のデザインはアールデコを感じさせます。第2次世界大戦の終盤にはドイツ軍の空襲を受けたという歴史もあるようです。
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この日のサウザンプトンからウィンチェスターへの鉄道のチケットは事前にOmioというサイトから予約をしておきました昨年11月のポルトガル旅行で初めて利用したアプリですが、日本語で各国のバスでも鉄道でも簡単に予約できるので重宝しました。
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今回の英国南部の旅の部分でいうと鉄道の利用では特に事前にチケットを買っておかなくても特に問題もありませんでした。
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ホームに降りるとトランクを持ったたくさんの人で埋まっていました。荷物のタグを見ると早朝に港で見た「エメラルド・プリンセス」を下船した人たちでした。
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彼らがヒースロー空港行きの列車に乗るので各駅停車の到着には無関心です。ホームの電光掲示板には9:55発のウィンチェスター行きはOntimeと表示されています。
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日本の鉄道はイギリスに倣っているので、改札や検札などが似ているので初めてでも利用しやすいです。ホームの電光掲示板にもオンタイムなのか何分遅れるか表示してありますし、何より英語表記なので気が楽です。
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車内では停車駅の案内放送もありますし、2両編成のこの列車はウインチェスター駅が終点です。アプリで予約したチケットはスマホに画面も使えますが、保険の意味も考え出力した紙でも持って来ています。車内では必ず検札がありましたが、ポルトガルのような身分証明書のチェックはありませんでした。
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サウザンプトンを9時55分に出発してウィンチェスターには10時5分に到着しました。
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改札はどこもこんな感じで、QRコードをかざすとゲートが開閉しました。荷物を持っているとワイドゲートに呼ばれ、チケットは見せるだけで出入りさせてもらえました。鉄道会社のスタッフはとても親切で、気持ち良い旅が出来ました。
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街と反対側の出口に出てしまったので線路の下を潜りましたが、5月の爽やかな日差しと新緑と草花がきれいでした。
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駅の反対側には瀟洒な駅舎があり、案内板を見ながらグーグルマップに地図も確認します。今日の目的は「グレートホール/Great Hall&Round Table」で伝説のアーサー王の円卓を見るということでしたが、調べてみると長い歴史を持つ町だということが分かりました。
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「アングロ・サクソン七王国」中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のことです。七王国とは「ノーサンブリア」「マーシア」「イースト・アングリア」「エセックス」「ウェセックス」「ケント」「サセックス」を指します。いずれもヨーロッパ大陸から流れてきたゲルマン系、サクソン系の民族が現在のイングランド領域に打ち立てた王国で、先住民であるブリトン人(ケルトの人たち)を西の辺境に追いやった歴史があります。
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最終的に戦いに勝ち抜き、10世紀にイングランド統一を成し遂げたのがアルフレッド大王率いる「ウェセックス王国」でした。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなります。その輝かしい首都が現在のウィンチェスターというわけです。
ウエストゲート博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
「ウェセックス王国」もノルマンディーからの侵略者により、11世紀には地理上から消えてしまいます。この「ウエストゲート/West Gate」は博物館になっていたのですが、最後に立ち寄ろうと思ったら時間切れになってしまいました。
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「ハンプシャー登記所/Hampshire Register Office」はキャッスルヒルの美しい19世紀の建物内にあります。4つのセレモニーホールがあるようで、グレートホールの前で結婚式の記念写真を撮っている人たちもここを使っていたのかもしれません。
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「グレートホール」の横には併設された博物館のウイングがあります。こちらが出口になっています。
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「A Promise Honoured」はサイモン・スミス(Simon Smith)の彫刻で、一端に兵士のキットバッグ、水筒、銃剣、ヘルメットを積み上げた記念の石のベンチです。この作品は前線に向かう途中でモーンヒルを通過したすべての軍隊を記念して作成されました。
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「グレートホール/Great Hall&Round Table」のチケットは事前にインターネットで予約してありました。スマホの画面も用意してありますが、紙で出力したものも持って来ています。万が一のスマホの盗難や故障やバッテリー切れの可能性はありますし、3週間で予約した鉄道や見学地の個所が多すぎて紙の方が便利ということもあります。
グレート・ホール 博物館・美術館・ギャラリー
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前回のロンドンの旅行では入場が無料で寄付箱が置かれているだけの美術館や博物館ばかりを巡っていましたが、今回の旅ではほとんどが入場料が必要な施設ばかりでした。受付の若い女性にチケットを提示すると、いろいろ話しかけられました。これはこの後の旅でも同じで、イギリスの方の人懐っこさみたいなものが感じられて楽しい経験でした。
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ウインチェスターではウィリアム征服王の治世にノルマン様式の城が建造されました。王国ヘンリー3世は1207年にその城で生まれ、彼の時代になるとジョン王の治世に荒廃してしまったそのノルマン様式の城を再建しました。
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ヘンリー3世の建てた「グレート・ホール」の壁に掲げられている巨大な円卓は、アーサー王の円卓だと長年考えられていました。直径は5.5メートルで重さ1200キロもある円卓にはアーサー王の24人の騎士の名前と王自身の肖像画が描かれています。ただ円卓は14世紀になってからの作品だと立証されているようです。
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「アーサー王物語」として一般に知られているのは、中世後期に完成しトマス・マロリーがまとめたアーサー王を中心とする騎士道物語群です。これは大きく4つの部分に分ける事ができるようです。
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小学5年生のときに図書館で借りた「アーサー王と円卓の騎士 」はシドニー・ラニア編でしたが、ドキドキしながら読んだことを覚えています。
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4つの物語は「アーサーの誕生と即位」でローマ皇帝を倒し、全ヨーロッパの王になるまでの物語。「アーサー王の宮廷(キャメロット)に集った円卓の騎士達の冒険とロマンス」。最後の晩餐で使われたという聖杯を円卓の騎士が探す「聖杯探索」の物語。「ランスロットと王妃グィネヴィアの関係発覚に端を発する内乱」では王国の崩壊とアーサー王の死(アヴァロンへの船出)、コンスタンティンへの王位継承と続きます。
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「ロキシー・ミュージック」が1982年に発表した「アヴァロン(Avalon)」というアルバムはジャケットのデザインと共に忘れられない名盤なのですが、アーサー王が死後に赴いたとされる伝説の極楽島「アヴァロン」をモチーフに、ブライアン・フェリーの美学が最高点に到達した作品だと思います。80年代の英国ロックは素晴らしく、その時代に20代だったことは幸せだったと思います。
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「グレート・ホール」の中にある窓の全てには王侯貴族や聖職者の紋章がステンドグラスで掲げられています。非常に美しいので歴代の王の紋章だけを個別の写真に撮り、グーグルで王について調べてみます。
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このステンドグラスは1874年にバーミンガムのハードマン社によって造られました。紋章にはウインチェスターにゆかりのある王や女王、司教などが選ばれました。紋章の中心的な要素は「エスカッシャン」と呼ばれる盾の部分と分割する「フィールド」から構成されます。水平歳直に「ティンクシャ―」に分けられ、その枠の中に「エンブレム」が組み合わされます。
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「Roger de Quincy:Earl of Winchester」
コットランドの騎士団であるウィンチェスター伯爵のロジャー・ド・クインシーは1245年に始まったヘンリー3世の新しいゴシック様式のウェストミンスター寺院の建設の後援者でした。彼はウィンチェスター伯爵サー・ド・クインシーと妻マーガレット・ド・ブレトゥイユの息子であり、父親と一緒に十字軍に出かけた可能性があります。 -
「Henry:5」
ヘンリー5世は若年の時から戦いに参加し、父を助けてランカスター朝成立期の国内平定に貢献しました。1413年に即位すると積極的な大陸経営を目指し、フランス国内のブルゴーニュ派とアルマニャック派の内紛に乗じて休戦中であった百年戦争を再開して、アジャンクールの戦いで大勝しフランス軍主力を壊滅させました。
1420年にフランス王シャルル6世の娘キャサリン(カトリーヌ)と結婚、トロワ条約を締結して自らのフランス王位継承権を認めさせ、ランカスター朝の絶頂期を築きましたが2年後に崩御します。 -
「Edward:Ⅲ」
エドワード3世はプランタジネット朝のイングランド王で、1327年に父王が議会で廃位されたことにより即位しました。当初は父王を廃位に追いこんだ母とその愛人モーティマーの傀儡でしたが、1330年にクーデタを起こして母を引退させ、モーティマーを処刑に追いやって実権を掌握しました。貴族や議会と基本的に良好な関係を維持して安定的な治世を築き、商工業を振興して海軍の再編成に努めました。 -
「Henry:Ⅳ」
ヘンリー4世はランカスター朝最初のイングランド国王で、従兄のリチャード2世とは対立しあう関係で、1388年の無慈悲議会で国王の側近追放に1枚噛んでいます。1397年、リチャード2世が復讐を企てグロスター公ら訴追派貴族を追放や処刑した際にヘンリーは例外としてヘレフォード公に叙されたが、翌1398年にフランスに追放され、相続権を奪われて父が死んで残ったランカスター公領も没収されます。リチャード2世がアイルランドへ遠征してイングランドを空けた隙を見てイングランドに上陸し、遠征から帰還途中のリチャード2世をウェールズとの国境で破り、リチャード2世を逮捕します。議会はリチャード2世の廃位とヘンリーの王位継承を議決し、国王ヘンリー4世に即位してランカスター朝を開きます。 -
「Edward:Ⅳ」
エドワード4世はヨーク朝のイングランド国王で、薔薇戦争の第1次内乱に勝利したことによりランカスター家のヘンリー6世を廃位して、ヨーク朝を開きました。ウォリック伯リチャード・ネヴィルの反乱(第2次内乱)により短期間ですが王位を追われてヘンリー6世の復位を許しますが反撃に成功して王位を取り戻します。 -
「Henry:Ⅵ」
ヘンリー6世はランカスター朝最後のイングランド王で、同時代人からは平時は平和主義で敬虔だが非常時は自身が直面した苛烈な抗争には不向きな人物として描かれました。彼の精神錯乱と生まれ持った博愛心は、やがて薔薇戦争の開始による自身の没落とランカスター朝の崩壊とヨーク朝の台頭に繋がります。平和主義者と言われますが常に横暴な暴君で、特に気に入った女性を見かけると見境なく手を出したために、当時のイングランドではヘンリー6世の到着が知らされると、自分の家の娘をみんな家に帰して、固く扉の鍵を閉めたという記録が残されているそうです。 -
「Elizabeth:Queen」
エリザベス1世はイングランドとアイルランドの女王で、テューダー朝第5代にして最後の君主になります。彼女の統治した時代はとくにエリザベス朝と呼ばれ、イングランドの黄金期と言われています。ヘンリー8世の王女として誕生しましたが母のアン・ブーリンが処刑されたために庶子とされました。弟のエドワード6世はジェーン・グレイへの王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としています。続くカトリックのメアリー1世の治世ではエリザベスはプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されましたが1558年にメアリー1世が崩御すると王位を継承します。 -
「Charles:Ⅱ」
チャールズ2世は王政復古期ステュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王で、弟にジェームズ2世、グロスター公ヘンリー、妹にオランダ総督のオラニエ公ウィレム2世妃メアリー・ヘンリエッタ、エリザベス、オルレアン公フィリップ1世妃ヘンリエッタ・アンがいて、フランス王ルイ14世は母方の従弟で、イングランド王兼オランダ総督ウィリアム3世は甥に当たるというすごい家系です。オランダを旅しているときに行ったデルフトの「プリンセンホフ博物館」でも同じようなことを感じました。 -
ロンドンを旅しているときに行った「ロンドン塔」でこの盾を見て、コインの裏側のデザインの謎が解けたことがありました。それ以降このデザインのコインを探して何組も持ち帰ったことを思い出しました。
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「Charles:Ⅰ」
チャールズ1世はステュアート朝のイングランド、スコットランド、アイルランドの王で、父と同じ絶対王政を強めて議会と対立を深め、清教徒革命(イングランド内戦)で敗れて処刑されました。 -
「James:Ⅰ」
ジェームズ1世はステュアート朝のスコットランド、イングランド、アイルランドの国王で、ジェームズ1世以後のイングランド君主、イギリス君主は全員ジェームズ1世とアン・オブ・デンマークの血を引いています。イングランドとスコットランドの王位を初めて兼ねた君主であり、各国との協調政策に尽力し「平和王」とも言われています。この後のヨーロッパで広がる「王権神授説」の基礎を作りましたが、国王と王妃の出費から財政的には逼迫させて議会と最終的には対立してしまいます。 -
「Alfred」
アルフレッド大王は七王国のウェセックス王で、約100年続いた北欧ヴァイキングのデーン人の侵攻を食い止め、衰退したイングランドのキリスト教文化を復興し、古英語での読み書きを習慣化した王として知られます。アングロ・サクソン時代の最大の王とも称せられ、イギリスの歴史において大王と称される君主です。また、海上で敵を迎え撃つことで上陸を阻止するための海軍力の適正運用を行った初めての君主として、しばしば英国海軍の父とも呼ばれます。 -
「Egbert」
エグバードはイングランドの七王国の1つであるサクソン人のウェセックス王で、イングランドを初めて統一した王として知られます。 -
「Hardicanute」
ハーデクヌーズはデンマークおよびイングランドの王です。イングランド王即位以前より結核の発作に苦しんでいたとされ、おそらくは自身の余命がそれほど長くはないことを察知していたのではないかと考えられています。1041年には自身の異父兄弟エドワードを彼の亡命先から呼び戻し、王位継承を伝えたようです。 -
「Canute」
クヌート1世はノルマン系デーン人で、イングランド王、デンマーク王、ノルウェー王を兼ねた王で、クヌートはほぼ20年間にわたってイングランドを治め、彼がヴァイキングの攻撃に対してイングランドに与えた保護が損なわれていた繁栄を回復させました。同様にイングランド人は彼がスカンディナヴィアの大部分の支配を確立するための手助けもしたようです。彼の支配下のイングランドは外部からの深刻な襲撃に遭うことはありませんでした。 -
「Edger」
エドガー平和王はイングランド王で、エドマンド1世の死後は叔父エドレッド、兄エドウィ王が即位しましたが、デーン人の侵入などの混乱により952年にエドガーが即位しました。「平和王」という名はその治世が統一の完成期であり、イングランドを脅かしていたデーン人や国内の混乱などから解放された平和な時代であったことを意味します。 -
「Artbur」
アーサー王は5世紀後半から6世紀初めのブリトン人の君主です。ウェールズ語ではBrenin Arthur、英語ではKing Arthurとなります。中世の歴史書や騎士道物語ではアーサー王は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した人物とされます。一般にアーサー王物語として知られるものはそのほとんどが民間伝承や創作によるものであり、アーサー王が実在したかについては現在でも歴史家が議論を続けています。 -
「Atbelstan」
アゼルスタンは10世紀のアングロ・サクソン人の王で、初代イングランド王でもあります。現代の歴史家は初代イングランド王、並びにもっとも偉大なアングロサクソン人の王と認識しています。アゼルスタンは生涯を通じて結婚することなく息子もいなかったため、彼の没後は異母弟のエドマンドが王位を継承しました。 -
「Edward Confessor」
エドワード懺悔王はウェセックス朝のイングランド王で、聖公会とカトリック教会で聖人でもあります。次代のハロルド・ゴドウィンソンが即位後間もなく戦死したことからイングランド王国を実質的に統治した最後のアングロ・サクソン系君主であると言えます。「懺悔王」は「Confessor」の定訳ですが、これはカトリック教会で殉教はしなかったが迫害に屈せず信仰を守った聖人への称号の1つです。 -
「William:Ⅰ」
ウィリアム征服王は初代ノルマン人イングランド王並びにノルマンディー公で、初代ノルマンディー公ロロの末裔として、ウィリアムはギヨーム2世としてノルマンディー公を継承し、ノルマンディー支配を確実なものとしました。1066年にはウェセックス家イングランド王エドワード懺悔王の死を受け、ギヨーム2世はイングランドに侵攻を開始します。ヘイスティングズの戦いでイングランド王ハロルド・ゴドウィンソンを打ち破り、イングランド王国を手中に納めることに成功しました。 -
「Stephan」
スティーブンは12世紀のイングランド王、ノルマンディー公です。一瞬小説家のスティーブン・キングかと思ってしまいました。スティーブンはカペー朝時代のフランス中央部に位置するブロワ伯国で生まれました。父はブロワ伯エティエンヌ2世で母はウィリアム征服王の娘アデルです。父はスティーブンが幼少の頃に十字軍遠征中に戦死し、スティーブンは母によって育てられました。 -
「Henry:Ⅰ」
ヘンリー1世碩学王は12世紀のイングランド王です。父であるウィリアム1世が死去すると、ヘンリーの兄であるロベールとウィリアムがそれぞれノルマンディーとイングランド王国を相続し、ヘンリーには領地が与えられませんでした。兄ウィリアムが狩猟事故で亡くなった際にはイングランドに滞在しており、その直後にイングランド王位を奪取し、戴冠式においてウィリアムの不評な政策を改めることを約束します。 -
「William:Ⅱ」
ウィリアム2世はノルマン朝イングランドの第2代国王で、鬚が赤毛であったことから「赤顔王(William Rufus)」と呼ばれます。 -
ドロドロした歴史の深い闇を見てしまったような気がします。そして、英国の王家の歴史についてほとんど何も知らなかったと思い知らされます。
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フランスやデンマークやオランダなど各国の王家との血縁を考えたら頭がこんがらがってきます。それにハプスブルグ家が重なってしまうと何が何だか分からなくなりそうです。
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「Richard:Ⅰ」
リチャード1世はプランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド国王で、生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられましたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れました。 -
即位すると王庫の金やサラディン税、軍役代の納金だけでは足りないため、城や所領、官職等を売却して十字軍遠征のための資金を集めました。父が得たスコットランドの臣従をスコットランド国王ウィリアム1世が1万マルクを支払う事を条件に解除し、「もし適当な買い手があればロンドンでも売る」と言ったとされます。資金が集まるとイングランドにはほとんど滞在せず、1190年の夏に遠征に出発しました。フランス国王フィリップ2世や神聖ローマ皇帝のフリードリヒ1世(バルバロッサ)もリチャードとともに十字軍を指揮しました。
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「John」
ジョンはプランタジネット朝(アンジュー朝)第3代イングランド王で、出生時に父ヘンリー2世から領地を与えられなかったことから失地王(しっちおうと呼ばれましたが、のちにヘンリー2世からアイルランドの統治権を与えられました。失政を重ねたことで国内諸侯の怒りを招き、王権を制限する「マグナ・カルタ」への合意を余儀なくされ、これがイギリスの憲法及び全ての憲法の始まりとなります。 -
「Henry:Ⅱ」
ヘンリー2世はプランタジネット朝の初代のイングランドの国王で、短マント王とも呼ばれました。父はフランス王国の有力貴族のアンジュー伯ジョフロワ5世で、母はイングランド王ヘンリー1世の王女マティルダだったことから父方と母方からの相続と自身の婚姻により広大な所領を獲得し、ピレネー山脈から南フランスおよびイングランドにまたがる、いわゆる「アンジュー帝国」を築きました。 -
こんなパネル1枚では英国の歴史を理解することは出来ません。日本の歴史がとてもシンプルに思えてきます。
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ホールの片隅にはヴィクトリア女王のブロンズ像が置かれてあります。王立芸術アカデミーのサー・アルフレッド・ギルバートによってデザインされ、女王のゴールデン・ビジューを記念して1887年5月17日に除幕されました。
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女王が座った姿を描いた数少ない作品で王座の後ろにはチューダー朝の軍艦「ロイヤル・ハリー」の模型もがあります。これはヘンリー8世の歓待で最大のものでした。
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彫るの外にある「エレノア王妃の庭園/Queen Heranors Garden」は13世紀の庭園を再現し、エリザベス女王により1986年7月8日に開園されました。
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「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句があり、どれも素晴らしく優劣はつけがたいという意味ですが、見分けがつきがたいという意味にも用いられます。ここは湿地ではなく地面は乾燥しているのでアヤメのようです。
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中声では薬草を栽培するためにこのような庭園が造られたようです。庭園の名前はウインチェスター城に住んでいた2人の女王、ヘンリー3世の妻のエレノア・オブ・プロヴァンスと息子のエドワード1世の妻のエレノア・オブ・カスティーリャに因んで付けられました。
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エレノア・オブ・カスティーリャはイギリスにスペインのバラとタチアオイをもたらしたことでも知られています。鷹の飾りのある噴水池から伸びる水路はキリスト教における永遠の命の象徴です。
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これはサンザシの花ではないでしょうか。チャン・イーモウ(張 芸謀)監督の「サンザシの樹の下で(山楂?之恋)」という映画を思い出します。2010年に旧満州を旅しているときにちょうど封切りされていたのですが、さすがに旅行中に映画を観に行く時間が取れなかったこと思い出もあります。
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「ウェディング・ゲート」は13世紀のホールに20世紀の革新的な技術で造られたステンレス製のゲートを組み合わせています。アントニー・ロビンソンのデザインは1981年7月に行われたチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚を記念したものです。円卓はそれまでこちら側に掛けられていましたが、このゲートの製作に当たって、現在の位置に移動されました。
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博物館は特に見るものもなく、ミュージアムショップでエコバックと円卓の形をした絵葉書を買うにとどまりました。かなり時間を使ってしまったので先を急ぎます。
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「Horse and Rider」はデイム・エリザベス・フリンクによるシンプルでありながら堂々とした等身大の彫刻作品です。もともとは1975年にトラファルガーハウスにあったこのブロンズ作品は1983年にウィンチェスターのハイストリートに移されました。
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ハイストリートはウィンチェスターのメインストリートで坂を下るにつれて商店も増えてとても賑わっています。
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通り沿いにあった「TILLIUS」というギフトショップは額装された庁の標本や動物の骨格やゴシックホラー的な要素を感じる品々が所狭しと置かれてあります。昨年行った神戸異人館巡りで入った「ベンの家」みたいな雰囲気です。
ベンの家:https://4travel.jp/travelogue/11946233 -
何百年も前に敷かれた石畳の上を歩いてみたい気になりますが、この先に何があるのかも分かりません。
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「バタークロス/Buttercross」はハイストリートの中心に立っています。かつては田舎の人々が農産物を売るために使用していたため、バタークロスという名前が付けられました。記念碑の各面に立つ8人の人物は聖母と聖バーソロミュー、聖ヨハネ、聖ローレンス、聖モーリス、聖ペテロ、聖スウィスン、聖トーマスを表しています福音伝道者の聖ヨハネの像だけが15世紀にさかのぼります。残りのウィリアム・オブ・ワイクハム、ローレンス・デ・アン(ウィンチェスターの初期の市長)、アルフレッド大王は建築家ギルバート・スコットによる1865年の大規模な改修によるものです。
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共通チケットになっていた「市立博物館/Winchester City Museum」も午前中に見てしまうことにします。一応予約時間もあるのですが、この後のどこの博物館でも特にチェックされることはありませんでした。
市立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ここでも親切そうな係員のおじさんが館内の展示品についての概略を説明してくれます。まずは1階から見学を始めますが、ホールの中央には巨大なジオラマが置かれています。
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中央に通っているのが今歩いてきたハイストリートです。俯瞰してみるとウインチェスターの町の大きさが肌で感じられます。サウザンプトンから日帰りするにはちょうど良い距離と規模の町です。
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ウインチェスター出身の自転車競技のチャンピオンのフレデリック・デイビッド・フロストの紹介や、20世紀初頭のウィル・フロスト鮮魚店、ウィリアム・チョークリー剥製店などかなりマイナーな店の紹介などがイギリスっぽいです。
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フォスター&サン煙草店は店のファサードがそのまま納められています。
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店は1871年から100年以上営業を続け、紙巻きたばこ以外にも嗅ぎ煙草や葉巻なども取り扱っていたようです。缶に入った煙草が何とも懐かしいです。35年前に初めてロンドンに来てソーホーにあるWAGクラブへ行った際に、いろいろな人が話しかけてきました。そして最後に「タバコ1本くれる?」と言われました。日本人は人気あるななんて思っていましたが、その当時でもイギリスはタバコ1箱が数百円していたので人気の理由が分かりました。
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シャーロット・ヤングについてはここに来るまで全く知りませんでした。近代イギリスの小説家で文学者、ヴィクトリア朝のイギリスで活躍した女流作家の1人であり、神話や歴史、恋愛など多岐にわたる分野で創作活動にしたそうです。
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詩人のウィリアム・モリスと後期ラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジョーンズはオックスフォード大学在学中に「レドクリフの相続人」という作品に傾倒して、「中世時代の騎士道に時代錯誤な傾倒を見せる主人公のガイ・モービルは我々の仲間だ」と書き残しているそうです。
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2階へ上がる階段室の壁には古代ローマのモザイクが展示してありました。ブリタニアにおけるローマ帝国というと「ハドリアヌスの長城」くらいしか頭に浮かびません。ローマ帝国最北端の国境線でもあり、2世紀に第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設されました。
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「ハドリアヌスの長城」はイングランド北部のスコットランドとの境界線近くにあります。ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させましたが、ケルト人の侵入に悩まされていました。皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始されます。作業者はローマ帝国の支配地から動員され、完成には10年の歳月がかかりました。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の1つとして有名です。
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ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの118キロにも及んだ壁の高さは4メートルから5メートル、厚さは約3メートルありました。
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約1.5キロの間隔で監視所と6キロ間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備されたと推定されています。この博物館にはその当時の遺物が展示してありますが、2000年近く前の革製品がそのまま残っているのに驚きです。
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西暦3世紀頃のウインチェスターはベンタ・ベルガラムと呼ばれたブリテン島で5番目に大きな年でした。このギャラリーに並ぶのはスパーショルト・ローマ・ヴィラで発見されたものが展示してあります。
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その1つ1つを見ていくと銅製の注射器や馬のあぶみ、矢じりなど素材は違っても現在と共通するものがこの当時からあったのだと分かります。
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鋏の形などは子供の頃に母が使っていたものに似ているようです。母に裁縫を教わりながら糸を切るのに使った鋏の感触が手に蘇ります。
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装飾的な施釉陶器の床タイルは宗教建築の特徴であり、これらはウインチェスターの様々な場所から発見されています。ここに展示されているのはセント・メアリー修道院跡にある道から発見されました。
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12世紀のロマネスク様式の柱頭が並んでいます。左上の柱頭にはケンタウロスが絡み合った葉の杖を持っています。中央の柱頭には8人の成人が彫られ、右側にはイサクを犠牲にしようとしているアブラハムが彫られています。
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このモザイクはスパースホルトの母屋の主賓室の床を飾っていたもので、中央の花もモチーフは生命を表し、卍の模様は天を表していると考えられます。モザイクの移動には表面にガーゼを貼り付け、土台のモルタルごと5分割にして運び出されました。これはモザイクを設置する時とは逆の工程になります。
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ローマ時代の庶民の家は脆弱だったために痕跡はほとんど残っていませんが、裕福な住民が住んでいた家は各地で発見されています。その拡張性から裕福な家庭ではかなり快適に暮らしていたことが分かります。
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こうやって貯蓄された硬貨を見ると財産は死んでからでは使うことが出来ないなと感じます。贅沢するつもりはありませんが、元気なうちに夫婦でいろいろな所を旅したいと思います。
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「ウインチェスター大聖堂/Winchester Cathedral」の前の「戦争記念碑」までやってきましたが、そろそろお腹も空いてきたのでお昼を食べに行くことにします。
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