2025/05/12 - 2025/05/12
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kojikojiさん
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「コーブ/ Cobh」の町へ戻った後は駅舎が博物館になっている「コ―ヴ・ヘリテージセンター/Cobh Heritage Centre」を見学します。「クイーンズタウン」と呼ばれていた頃はアイルランド人移民時代で、アイルランド人の移住は「コーブ」だけで300万人の人々が去った港でした。点字はバージニア州やニューイングランドからバルバドス、ジャマシア、モンセラトまで、イギリスの海外植民地への輸送が一般的だった1600年代を感じることができます。オーストラリアへの囚人の輸送と、この港町と20世紀初頭の2つの海運災害である「タイタニック号」と「ルシタニア号」とのつながりについて学ぶことも出来ました。歩き疲れた妻は船に戻りましたが、後は1人で「コーヴ大聖堂/St Colman's Cathedral」に向かってみます。これがなかなかの坂道と石段を登るので、1日歩いた後には結構足に来ました。高台からの眺めは素晴らしく町が一望できて疲れも多少は吹き飛んだ気がします。1919年に完成したローマカトリックの大聖堂は長さは65メートル幅は37.5メートルで、尖塔の最高点の高さは95.3メートルもあります。この聖堂もゴシックリバイバル様式で、特に精巧なフレンチゴシック様式もモデルにしています。船への戻り道にあった「タイタニック・エクスペリエンス/Titanic Experience Cobh」にも立ち寄ってみます。ガイドツアーのようだったので時間も無いのでショップだけ覗いて、タイタニックの絵葉書と冊子と妻へTシャツを買いました。このTシャツはかなり気に入ったようで旅の途中でも着ていました。午後6時に出航となり続いて夕食になりますが、妻が疲れたようなので午後10時頃になってからルームサービスで料理と飲み物を注文しました。今回はドリンクパッケージにしておいて良かったと思う瞬間です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「コーク/Cork」から「コーブ/Cobh」まで戻ってきました。まだ午後1時半です。
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朝キップを買った自動販売機には親切にキップの買い方を教えてくれたおじさんの姿はありません。結局「コーク」ではすべてクレジットカードが使えたのでユーロ通貨は必要ありませんでした。
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イチオシ
駅前の港にはここから旅立ったアニー・ムーア (Annie Moore) と兄弟の記念碑がありました。タイタニック号とは関係はなく、アニー・ムーアは1892年1月1日に新たに開設されたニューヨーク、エリス島の移民管理局からアメリカ合衆国に入った最初の移民でした。
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駅舎と併設した「コ―ヴ・ヘリテージセンター/Cobh Heritage Centre」を見学します。「コーブ」に来るまで詳しいことは分かっていませんでしたが、1848年から1950年にかけて600万人以上の大人と子供がアイルランドから移住し、そのうち250万人以上が当時はクイーンズタウンと呼ばれていた「コーブ」から出国し、アイルランドで最も重要な移民港でした。
コーヴ ヘリテージ センター (クイーンズタウン ストーリー) 博物館・美術館・ギャラリー
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1912年4月11日にタイタニック号は1,308人の乗客と898人の乗組員を乗せてクイーンズタウンを出発し、最後の旅に出発しました。
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合計123人の乗客がクイーンズタウンから乗船し、3人がファーストクラス、7人がセカンドクラス、残りが操舵(3等)で乗船しました。テンダーに乗り込んだ後に彼らはディープウォーター埠頭(現在のコブヘリテージセンターがある場所)に向かい、郵便列車から郵便袋を積み込みました。
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壁のプレートには17980年の放棄後に600人以上のアイルランド系住民がコーブからオーストラリアの流刑植民地に移送され、その後オーストラリアの明sy巣主義と平等主義の精神の発展に影響を与えたと英語よアイルランド語で併記してあります。
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1819年にコーク港からボタニー湾とヴァン・ディーメンズ・ランド流刑地に移送された数千人のアイルランド人に付き添ったコーク教区の司祭、ジョン・ジョセフ・セリーのプレートです。彼は罪人の友と知られ、代弁者で擁護者で助言者でもありました。セリーと彼のアイルランドの信徒たちはオーストラリアにおけるカトリック教会の創始者とみなされています。
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この博物館はタイタニック号についてだけの展示では無いので新たに学ぶことが多いです。そして知らないことの多さに驚きます。
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「アメリカ海軍3000人募集」オレゴン短距離鉄道第2管区
賃金:1日7シリング 運賃:クイーンズタウンとニューヨーク経由でわずか10ポンド3シリング。 蒸気船と鉄道で合衆国アイダホ州へ。2年以上の継続的な雇用。週4シリングで良い食事が提供されます。アイダホ州は気候が温暖で土地が安く手に入り、移住できる稀有なチャンスです。家族連れの男性を優遇します。 -
タイタニック号の模型は黄色い4本煙突ですぐに分かります。
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この町の名前には3回の遍歴がありました。元々は「Cove」と呼ばれる村で1743年には村の名前となる砦が建設されました。「Queenstown」は1849年に訪れたヴィクトリア女王の敬意を表して1850年にクイーンズタウンとなりました。「Cobh」はアイルランド自由国の新しい当局によって解明されました。「Cobh」は英語の「Cove」のゲール語化であり発音は同じですが、アイルランド語では意味はありません。
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鉄道駅のホームの奥にこの施設があるので妙にリアルに感じられる展示です。ここでは荷物預かり所まで再現されています。
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預けられた荷物は駅の表にある桟橋から船に積み込まれたわけです。人の姿が無いだけですごい臨場感を感じます。それは「コーク」から鉄道で戻って、そのままここの見学をしているからかもしれません。
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この博物館のある駅舎の脇がディープ・ウォーター・キーという桟橋で、1912年の4月11日の朝に2隻の蒸気船「アメリカ号」と「アイルランド号」は123人の新しい乗客と1400袋の郵便物を積んでロッシュズ・ポイント沖に停泊するタイタニック号に積み込みました。
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展示の中には生存者の乗船券が張られていて、これはこの博物館の入場券と同じデザインになっています。入場者はこの中に展示されている誰かの乗船券を持っているわけです。その人の名前を探すことでより深く展示を見ることができます。
このダニー・バックリーはタイタニック号からの生存者の1人で、第1次世界大戦時にはアメリカ陸軍に入隊します。そして終戦の日に20歳でフランスで戦死しています。 -
巨大な「SS セルビア」の模型が置かれていました。この船は1881年に進水した革新的な設計の大西洋横断の客船および郵便汽船として成功しました。鋼鉄で建造された最初の大型遠洋定期船であり、電気照明設備を備えた最初のキュナード船でした。
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「SS セルビア」は1881年から1901年までクイーンズタウンに定期的に寄港しました。ボーア戦争中に兵員輸送任務に必要になるまでリバプールとクイーンズタウンとニューヨーク間を運行しました。1901年に最後の寄港の後1902年にプレストンで解体されました。ここに置かれた巨大な模型はトム・クルーズとニコール・キッドマン主演の映画「遥かなる大地へ」のために製作されたものです。
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アイルランドの人々が海外へ移民として流出した理由は「海外の魅力」として明るい未来、よりよい生活、自分の土地の取得、先に移民となった人の励まし、富と成功への希望がありました。「国を去る理由」は機会の欠如、貧困、農作物の不作、土地制度、空虚な未来だったようです。そして北米からの送金は50年間で4,600,000ポンドにも及びました。
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今年の春に重慶から乗船した三峡下りの船は停泊する度に新鮮な野菜や果物などの食材が積み込まれていたのを思い出します。今回この港からリーガル・プリンセスに積み込まれる食材などは見られませんでした。
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「アメリカ人の通夜」
アメリカ人の通夜は移民が故郷を過ごす最後の夜に行われることが多く、陽気さと悲しみが入り混じった旅立ちを告げました。食べ物や飲み物、音楽やダンスや歌を交えて思い出話が朝まで続きました。「通夜」は死者を見送るというアイルランドの伝統から生まれました。移民が戻ってこない可能性が高いことは残された人にとっては「死んだ」ということを意味していました。 -
多くの移民は先に北米などに渡った親類縁者から前払いの乗船券を送ってもらいましたが、地元の船舶代理店から乗船券を購入する人もいました。1900年までにアイルランドのほぼすべての町に船舶代理店がありました。
出発に当たり司祭が新しい国への長く危険な旅に出発しようとしている家族を祝福しました。 -
1815年から1970年の間にクイーンズタウン(コーブ)からは3,000,000以上の人が移住しました。
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その当時の農村の生活というといろいろな映画が頭に浮かんできます。エルマンノ・オルミの「木靴の木」とかベルトリッチの「1900年」、移民のシーンだとコッポラの「ゴッドファーザー」でしょうか。もちろん船の模型があった「遥かなる大地へ」もいい映画でした。
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今回いろいろなことを学んだのとタイタニック号に縁のある「サウザンプトン」やこの「コーブ」、この後はタイタニック号を建造した「ベルファスト」にも寄港しますので、帰国したら「タイタニック」を観直してみようかと思いました。
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「アメリカでの成功」
移民先での成功と富は北米におけるアイルランド移民にとって最も重要な願望でした。多くの人は頂点を登りつけることを願いましたが、かなった人はほんの少数で、ほとんどの移民にとっては子孫によって実現される夢でした。 -
「サプライズ号」
「コーブ」は移民だけでなく囚人を移送するための港町でした。囚人は出港するまでは地元の刑務所に収監されていましたが、1820年代になると多数の囚人を抱えることが不可能になりました。そこで公開に適さなくなった船が浮き刑務所として使われました。サプライズ工は1824年から1838年までコーブ域に係留されました。 -
「オーストラリアの囚人」
オーストラリアでは囚人は政府の労働組合に配属されるか、自由入植者のもとで労働者として働かされました。状況は過酷でしたが計器を終えると急速に発展する国で新たな人生を始める機会になりました。 -
「囚人移送の終わり」クイーンズタウンから出発した最後の囚人船は1853年に出航し、西オーストラリアへ285人の囚人を乗せた「フィービー・ダンバー号」でした。イギリスとオーストラリア両国でこの政策に批判が高まったため流刑は1868年に終了します。
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「アイルランドから……。」
毎年コーク港を出港した何千人もの移民の中にはアルゼンチンやニュージーランドに定住した人もいました。アメリカやカナダ、オーストラリアやイギリスの発展に寄与した人もいました。 -
「19世紀のオーストラリアでは女性が不足していた」
囚人居住地は主に男性で構成されていたために1840年代にはオーストラリアの都市部では男性2人に対して女性は1人という比率で、地方では8対1にまで低下していました。伝統的な女性の仕事においても労働者不足があり、アイルランド女性をオーストラリアに移民させる計画が起こります。1848年から1850年に架けて4,000人のアイルランドの救護院の孤児が鍛冶使用人として送られました。 -
「オーストらリハへの無料移民」
クイーンズランドからクイーンズランド州へ、そしてその先へ
アイルランドからオーストラリアへの自発的な移住は19世紀後半から本格的になりました。1850年代の近郊への殺到に続き、その後も数十年に渡り移民が増加しました。元受刑者を含むオーストラリア在住のアイルランド人は親戚や友人を新天地に呼び寄せました。政府の支援制度により高額な旅費は削減されました。 -
「クイーンズタウン:賑やかな港町」
タイタニック号のような定期船の寄港は町に大きなビジネスをもたらしました。宿泊業、蒸気船会社、鉄道会社その他の港湾事業は全て地元の人々を雇用していました。 -
「クイーンズタウンのタイタニック号」
タイタニック号は1912年4月11日午前11時30分にロッシュズ・ポイントに停泊しました。アイルランド号とアメリカ号が郵便物を運び込みました。フランク・ブラウンは大切なカメラを持って下船した7人の乗客の1人でした。2時間で作業を終えたタイタニック号は錨をあげてニューヨークに向けて出港しました。この写真はクイーンズタウンへ軽船から撮った最後のタイタニック号の姿です。 -
「タイタニック号出港」
タイタニック号は1912年4月10日の正午にサウザンプトンを出港します。速度を上げ始めるとプロペラの吸引力によって近くの客船ニューヨーク号の係留索が切断されました。ニューヨーク号の船尾はタイタニック号に追突しそうになりました。これもフランク・ブラウンの写真です。 -
「タイタニック号の船上での生活」
フランク・ブラウンはサウザンプトンからクイーンズタウンで下船するまでの2日間最大限に1っと売船室を楽しんだようです。当時の社会階級はタイタニック号の船室に反映されていました。1等船室、2頭船室、3等船室はそれぞれ専用の船室と食堂と共用エリアを持っていました。 -
「タイタニック号の惨事」
タイタニック号は4月11日午後早くにクイーンズタウンを出港し、さらに3日間大西洋を横断した4月14日午後11時40分にニューファンドランド島のレース岬の南東約640キロの氷山に追突しました。乗船員全員を乗せる救命ボートが無く4月15日午前2時20分に沈没し、1,500人以上が命を落とします。 -
「より良く、より大きく」
19世紀後半には高品質で高速な船の需要を満たすために新しい蒸気船会社が登場しました。キューナード・ラインは1840年にボストン・フェリーとの有利な契約を獲得し、その後アメリカのコリンズ・ラインやイギリスの印マン・ライン、ギオン・ライン、ナショナル・ライン、ホワイト・スター・ラインがキューナードの挑戦しました。 -
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ここからはタイタニック号の建造についての資料が並んでいます。フランスの「ル・アーブル」と「ニューヨーク」を結んだ豪華客船「ノルマンディ号」を描いたA・M・カッサンドルのポスターを思い出させます。年代的にはこのポスターの方が20年以上古いものになります。今回のクルーズでは最後の寄港地が「ル・アーブル」なのでこちらも楽しみです。
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ハーランド・アンド・ウルフ (Harland and Wolff ) はイギリスの重工業メーカーで、北アイルランドのベルファストで造船業を始めて以来、数多くの船を建造しました。その中で最も有名なのは客船「タイタニック」です。
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タイタニックは、イギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライルとトーマス・アンドリューズによって設計されました。
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「タイタニックの建造」
前兆268.8メートルを超えるこの船は建造当時世界最大であり、特別な設備が必要でした。「ベルファストで船を建造するために新しいドライドックと新しいスリップウェイ、そして巨大なガントリークレーンが必要でした。 -
「大西洋の交通」
「タイタニック号」のような船は大西洋を横断する南前任の人々に対応するために建造されました。そのほとんどが移民でしたが、ビジネスやレジャーのために家族と北米を行き来する人もいました。需要の高まりとともに蒸気船会社はより大きく魅力的な船を建造しました。1907年にキューナード社は高速定期船「ルシタニア号」と「モーリタニア号」の進水により、ホワイト・スターライン社は3隻の巨大船「オリンピック号」「タイタニック号」「ブリタニック号」を計画しました。 -
「船上の生活」
裕福な旅行者のための精巧に装飾された客室や幅広いアメニティ、そしてサービスが提供されました。2等船室の乗客にとっても環境は非常に良好で、3等船室簡素で質素でも他の船に比べると水準は高かったようです。 -
「タイタニック号」の乗客用に用意されたシルバーのカトラリーにはホワイト・スター・ラインのマークが刻印されています。これは1等船室の乗客用で、ランクによって素材も違ったことでしょう。
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陶器類にも同じマークがプリントされています。ナプキンリングも同様です。
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「タイタニック号」で使われていたであろうデミタスカップです。「タイタニック号」のベランダカフェは1等船室の喧騒から離れた良い隠れ家だったようです。
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現在は機内誌で販売していますが、昔は国際線の飛行機に乗ると必ずトランプを貰っていました。一番きれいだったのがシンガポール航空で、女性のCAさんの着る「サロンケバヤ」の柄になっていました。
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「船内ダイニング」
ジャコビニアン様式で装飾された1等ダイニングサロンでは一度に550人以上の乗客を収容できました。さらに1等客は追加料金を支払えばエレガントなアラカルトレストランも使えました。2等客にはアーリーイングリッシュ様式でデザインされた400席の魅力的な大部屋で食事が提供され、3等客にはダイニングサロンでスチュワードから質素ながら豊富な食事が提供されました。 -
コーク港に停泊している「タイタニック号」です。今回タイタニックに対して思い入れを感じたのは同じように「サウザンプトン」を出港して「コーブ」に入港したということが大きかったと思います。
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これが飛行機や鉄道で移動していたら感じ方も違ったと思います。ニュージーランドの沖合いであまり深く考えずに、行ったことが無いということと値段の手ごろさで予約したクルーズでしたが、学ぶことがあまりに多いです。
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「スピードの時代」
蒸気船による最初の大西洋横断は1833年のことで、ブルーリボン賞は最速船の所有を広報することを目的として、1830年代に複数の大西洋横断航路運航会社によって設けられました。東回りと西回りに分かれた2種類の賞がり、当初のブルーリボン賞受賞船舶は細長いブルーのリボンをトップマストに掲揚する栄誉に浴しました。 -
豪華客船時代のキューナード社の「カンパニア号」の船内が紹介されていました。キューなど初の双軸スクリュー船で、リバプールとクイーンズタウンとニューヨーク航路で記録的な公開を達成していました。600人の1等船室は豪華なステートルームを備えた環境でした。シングル別途キャビンとスイートの提供により「ルカニア号」と「ルシタニア号」は贅沢な旅行の最前線にありました。
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棺桶船の時代は過ぎ去り20世紀初頭までに乗客は食料や寝具を自分で用意する必要はなく、過密で不健康な環境に耐える必要も無くなります。1850年代にインマン・ライン社に3等船室の標準化により移民の中で人気が高まり、他の船会社も改善が余儀なくされました。
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キューナード社の「サクソニア号」の2等船室には洗面台と真鍮製の備品と内装には木製のパネルが使われています。下段右は「ルシタニア号の3等船室で、質素ですが快適には過ごせそうです。
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「シティ・オブ・ニューヨーク号」
1888年にインマン・ライン社が就航させたこの船は1万トンを超えた最初の汽船でした。1893年にアメリカ・ライン社に買収されるまでクイーンズタウンに寄港していました。この船はニューヨークまで5日20時間という新記録を樹立しました。 -
インマン・ライン社の時刻表と料金表などが記載されています。若い頃は赤い表紙のトーマスクック時刻表を手にしてヨーロッパを旅したことが懐かしく思い出されます。小学生のころからの「スジ鉄」だったので読み込むのは得意でした。ヨーロッパの鉄道旅から興味は定期航路のフェリーに移っていくのですが、30年前はほとんど情報も無く、トーマスクックですら刊尾に数ページ載っているだけでした。それを現地に行ってチケットを手に入れるのが自分にとっての旅の醍醐味でもありました。
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「アイルランド移民」
1963年にアイルランドを訪問したジョン・F・ケネディ大統領は「ほとんどの国は石油や鉄鋼、金やその他の作物を輸出しているがアイルランドの輸出品はただ一つ、それは国民だ。」と述べました。1700年以降900万人から1,000万人がアイルランドを離れて生活していますが、1840年代の850万人をピークに現在は480万人がアイルランドで暮らしています。ケネディ家はアイルランド系だったからいえる言葉ですね。 -
モールス信号についての展示がありました。これは映画「タイタニック」の中でも通信士が出てくる場面があったのでピンときました。1903年の万国無線電信会議でSOSが決まるまでは、遭難信号としてマルコーニ社が決めた CQD が使われていました。
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1912年に遭難したタイタニック号が初めてSOSを使ったと言われているのは、正確に言うとマルコーニ式電信機を積んだ船でSOSを初めて使ったのは「タイタニック号」であったということになります。
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最初に「CQD CQD CQD DE MGY 41.46N 50.14W SINKING WANTS IMMEDIATE ASSISTANCE(遭難した。こちらタイタニック。北緯41.46西経50.14 沈みつつある。至急救助を頼む。)と打ち、その30分後に「SOS SOS SOS DE MGY CQD REQUIRE ASSISTANCE POSITION 41.46N 50.14W STRUCK ICEBERG TITANIC」と打ち直しています。
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この博物館の展示を見ていて時代背景がよく分かってきましたので、それを踏まえて映画をもう一度観てみようと思いました。
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続いて「ルシタニア号」についての展示が始まります。この船の歴史を知っているとこの時点で気が重くなってきます。1906年進水の「ルシタニア号」はイギリス船籍で、キュナード・ライン社所有の当時最大の旅客船でした。
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「ルシタニア号」と姉妹船の「モーリタニア号」が建造された時期にはブルーリボン賞を巡る客船のスピード競争がイギリスとドイツ帝国の間で繰り広げられていました。20世紀初頭はこのブルーリボン賞はドイツが独占しており、世界屈指の海洋国家を自負するイギリスはこれを取り戻そうと必死だった時代でもあります。
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客船として運航された8年間に「リヴァプール」とニューヨーク」間を202回往復していましたが、1915年5月1日に「ルシタニア号」は「ニューヨーク港」54番埠頭から出港します。それ以前の4月22日、ドイツ大使館は新聞に警告文を掲載しています。「イギリスとそのあらゆる同盟国の国旗を掲げた大型船はそれらの海域において攻撃対象となること。」という内容でした。
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「ルシタニア号」は大西洋を無事通過し、アイルランド南部を通過していました。同じ頃にイギリス海軍本部の無線を傍受していたドイツのUボート「U20」はイギリス船舶の動きを察知して行動します。「ルシタニア号」はアイルランドのケープ・クリア島沖48キロの地点で航行していましたが霧に遭ったため減速し、アイルランド南部を航行して「U-20」の前方にさしかかります。
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南部アイルランド沖15キロの地点で「U20」の雷撃を受け、わずか18分で沈没しました。乗客1,198名が死亡しましたが、犠牲者の中には128名のアメリカ人が含まれており、アメリカが当時の「孤立主義政策」を一転し第1次世界大戦の参戦へと傾くきっかけとなりました。
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博物館にはそれ以外にも数奇な運命をたどった「セルティック号」や「オリンピック号」と「タイタニック号」の姉妹船で、最後に竣工した「ブリタニック号」は竣工直後の1915年に海軍本部の命により病院船として徴用され、船体は純白に塗られて緑のラインと赤十字をまといました。
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午前中の「コーク」の大聖堂から始まって「コーブ」のヘリテージ・センターで頭の中は完全に飽和状態です。それでも残った時間で「コーブ」の町中を散策することにします。
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海岸線のケネディパークからはリーガルプリンセスの背ガタがきれいに見えます。「Cobh Band Stand」という東屋はケビン・コスナーの最初の映画「ファンダンゴ(Fandango)」のエンディングの東屋を思い出させる形です。ケビン・コスナーの元恋人と親友を結婚させるシーンに出てきます。その元恋人役がスージー・エイミスでとても可愛らしかったのを覚えています。スージー・エイミスその後映画監督のジェームズ・キャメロンと結婚しています。これで「タイタニック」と繋がりました。
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この映画の曲は全部が素晴らしいのですが、大人の事情でサントラ盤は公開から30年経って発売されましたが、それでも完全ではありません。自分で全曲のCDを買い求めてサントラ盤を作ったのが懐かしいです。エンディングの曲はPat metheny & Lyle Maysの「It’s For You」という曲です。今でも泣ける曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=VAkgvMBq3Hs&list=RDVAkgvMBq3Hs&start_radio=1 -
「RMS Lusitania Memorial」
今まさに学んできたドイツの潜水艦Uボート「U-20」に撃沈された「ルシタニア号」の慰霊碑です。 -
「ルシタニア号」はわずか18分で南部アイルランド13キロの地点に沈没し、1,198名の乗客が犠牲となりましたた。その中には100人の子供も含まれていました。事故後浮上していた遺体は「ルシタニア号」の寄港地であったこの「クイーンズタウン」に搬入され、教会で手厚く葬られましたが収容されなかった遺体も多かったようです。
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慰霊碑のある広場の奥から階段を登って、早朝にリーガルプリンセスの船上から見えた「コーヴ大聖堂/St Colman's Cathedral」に向かいます。
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さすがに1日歩き通しなので足もパンパンです。日頃の不摂生がたたっています。振り返るとリーガルプリンセスがきれいに見渡せました。
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「コーブ」の町にはカラフルな家はおもちゃのように並んでいます。さすがに近くまで行ってみようという気にはなれませんでした。
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高台にある「コーヴ大聖堂/St Colman's Cathedral」までやってきました。ローマカトリックの大聖堂で1919年に完成しました。目立つ位置からコーク港を見下ろし、クロイン教区の守護聖人であるクロインのコルマンに捧げられています。
聖コルマン大聖堂 寺院・教会
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建設は1868年に始まりましたが建築費用の増加と当初の計画の修正により、半世紀以上後まで完成しませんでした。尖塔の高さは 91.4 メートル で、大聖堂はアイルランドで最も高い教会です。
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ポータルの中央にはキリストがオーブという「十字の林檎」を左手に持ち、右手では人差し指と中指を伸ばしていますが、これは人差し指が Ι(ギリシャ文字のイオタ)、中指が C(同シグマ(Σ))、親指と薬指とで Χ(同キー(カイ))、小指が Cを表しており、イエス(ΙC) キリスト(ΧC)を意味します。キリストの周りには福音書家の4人の像が並び、下段には十二使徒の姿もあります。
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建築様式はゴシックリバイバル様式で、特に精巧なフレンチゴシック様式をモデルにしています。建材には主に青い「ダルキー」の御影石にコークに近い「マロウ」の石灰岩が使われています。
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聖堂内のステンドグラスも素晴らしく、その題材はイエスの生涯を描き、イエスの赤いマントは受難を表しています。
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さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。 -
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
「シロアムの池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。 -
するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。 -
そろそろ船に戻るべく同じ道をたどることにします。途中にある「タイタニック・エクスペリエンス/Titanic Experience Cobh」にも立ち寄ってみました。簡単に見学できるかなとも思たのですが、ガイドツアーのようだったので絵葉書とTシャツだけを買ってきました。
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「The Navigator」と呼ばれるこの作品は、実際にはバスタブであるボートに座っているキリストのような人物を描いています。それは人生の嵐と戦う中で弱くて傷つきやすい人間を助ける慈悲深いキリストの導きの力を表すようです。その人物は大きな手に紙のボートを抱きしめています。
タイタニック エクスペリエンス コーヴ 博物館・美術館・ギャラリー
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ボートは私たちの存在の壊れやすく希薄な性質を表しています。彼はそっとボートを人生の荒れた海に降ろします。この作品には常に背景にいて私たちを導いてくれるという希望が含まれています。六分儀がボートの後部にもたれかかり、ベースにはナビゲーターの貿易の道具であるコンパスが置かれています。
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部屋に戻ってアプリで飲み物をオーダーしました。喉が渇いているのでまずはハイネケンを空けます。そしてその後のお楽しみのピニャコラーダもあります。
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妻が「ホライゾンコート」へ行っていろいろ料理を取ってきてくれたので遅いお昼にありつけました。
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その後は疲れてしまったので昼寝をして、夕食の時間前に妻に声を掛けましたが調子が悪そうです。具合がよくなったら「ホライゾンコート」に行こうと思いましたが元気になりません。
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ということで再びルームサービスにしました。今回ドリンクパッケージにしておいて良かったと思える瞬間です。これにドリンクを頼んでもチャージは一切かかりません。
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マフィンはなんか懐かしい味です。注文をして15分くらいで部屋に届くのでありがたいです。
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スープは正直あんまり美味しくありませんが体が温まります。
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バドワイザーを2本空けて意外に満足した晩御飯でした。長い旅なのでこんな日もあります。
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バルコニーにはきれいな月が出ていました。「フラワームーン」とは5月の満月のことを指します。この名前は北アメリカの先住民が多くの花が咲き誇る時期にちなんで名付けたことに由来しています。
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こんな日はニール・ヤングの「Harvest Moon」を聴くに限ります。
https://www.youtube.com/watch?v=n2MtEsrcTTs&list=RDn2MtEsrcTTs&start_radio=1
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