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2024年秋の京都紅葉巡り2日目。<br />五条大宮のホテルから、早朝バス移動し圓光寺へ。<br /><br />圓光寺で庭園を鑑賞した後は、近隣の詩仙堂と金福寺を訪れました。<br />ピークは過ぎてはいましたが、両寺院共に充分に楽しむ事が出来る<br />レベルの紅葉が残っていました。<br />どちらも初訪問でしたが、京都駅周辺の混雑はここにはなく、<br />静かに落ち着いて庭園を鑑賞できる場所でした。

京都訪問2024秋⑤(京都紅葉巡り・紅葉に彩られた枯山水庭園を鑑賞:京都市・詩仙堂、金福寺)

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2024/12/06 - 2024/12/07

750位(同エリア2856件中)

旅行記グループ 京都訪問

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赤い彗星

赤い彗星さん

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2024年秋の京都紅葉巡り2日目。
五条大宮のホテルから、早朝バス移動し圓光寺へ。

圓光寺で庭園を鑑賞した後は、近隣の詩仙堂と金福寺を訪れました。
ピークは過ぎてはいましたが、両寺院共に充分に楽しむ事が出来る
レベルの紅葉が残っていました。
どちらも初訪問でしたが、京都駅周辺の混雑はここにはなく、
静かに落ち着いて庭園を鑑賞できる場所でした。

旅行の満足度
5.0
  • 圓光寺で秋色に染まる庭園を鑑賞した後、歩いて2,3分の詩仙堂にやってきました。入口となる小有洞の門の佇まいから、閑居の侘び寂びを感じます。

    圓光寺で秋色に染まる庭園を鑑賞した後、歩いて2,3分の詩仙堂にやってきました。入口となる小有洞の門の佇まいから、閑居の侘び寂びを感じます。

  • 圓光寺の拝観は、朝一の8時から予約していたので、詩仙堂の拝観開始時間9時の数分前に到着しました。

    圓光寺の拝観は、朝一の8時から予約していたので、詩仙堂の拝観開始時間9時の数分前に到着しました。

  • 入場後、老梅関の門を振り返った際の風景。

    入場後、老梅関の門を振り返った際の風景。

  • 読書室として設けられた至楽巣からの庭園の風景。<br />このような風景が目の前に拡がっている部屋で読書なんて、贅沢な時間が過ごせそうです。

    読書室として設けられた至楽巣からの庭園の風景。
    このような風景が目の前に拡がっている部屋で読書なんて、贅沢な時間が過ごせそうです。

  • 詩仙堂は通称で、正式な名称は「凹凸窠」です。<br />凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味で、現在は曹洞宗の寺院となっています。

    詩仙堂は通称で、正式な名称は「凹凸窠」です。
    凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味で、現在は曹洞宗の寺院となっています。

  • 石川丈山が、中国の漢・晋・唐・宋時代の詩人から、日本の三十六歌仙にならって三十六人を選び出し、詩人の肖像は狩野探幽、詩は丈山自身が担当し、四方に掲げた部屋が「詩仙の間」です。名前の通り、詩仙堂の名の由来となった部屋です。

    石川丈山が、中国の漢・晋・唐・宋時代の詩人から、日本の三十六歌仙にならって三十六人を選び出し、詩人の肖像は狩野探幽、詩は丈山自身が担当し、四方に掲げた部屋が「詩仙の間」です。名前の通り、詩仙堂の名の由来となった部屋です。

    詩仙堂 寺・神社・教会

    静かな住宅地に囲まれた美しい枯山水庭園のある寺院 by 赤い彗星さん
  • 石川丈山は、徳川家譜代の家臣だったこともあり、詩人の選定に林羅山が協力し、人物画も狩野探幽が担当と、当時の一流の文化人がこの邸宅の造営に関わっています。

    石川丈山は、徳川家譜代の家臣だったこともあり、詩人の選定に林羅山が協力し、人物画も狩野探幽が担当と、当時の一流の文化人がこの邸宅の造営に関わっています。

  • 拝観開始時間直後だったこともあるのか参拝客はそれほど多くはなく、静かに庭園を楽しむ事が出来ました。

    拝観開始時間直後だったこともあるのか参拝客はそれほど多くはなく、静かに庭園を楽しむ事が出来ました。

  • 紅葉のピークからは少し過ぎた葉の色でしたが、これだけ残っていてくれれば充分。紅葉最盛期はもっと混んでいそうですが、それでもそれほど人混みを気にせずに庭園を眺める事が出来る場所だと思います。

    紅葉のピークからは少し過ぎた葉の色でしたが、これだけ残っていてくれれば充分。紅葉最盛期はもっと混んでいそうですが、それでもそれほど人混みを気にせずに庭園を眺める事が出来る場所だと思います。

  • 詩仙堂を建てた石川丈山は、三河の国出身で徳川家譜代の家臣でした。<br />大坂夏の陣で功名を立てたほど勇猛な人でしたが、戦後は武士を辞め、京都で朱子学や禅を学びました。その後、母への孝養のため、十数年浅野家に仕えましたが、母を亡くした後は京都に戻り、59歳で詩仙堂を造営。漢詩や書、作庭をしながら、90歳で亡くなるまで、30余年を詩仙堂で過ごしたそうです。

    詩仙堂を建てた石川丈山は、三河の国出身で徳川家譜代の家臣でした。
    大坂夏の陣で功名を立てたほど勇猛な人でしたが、戦後は武士を辞め、京都で朱子学や禅を学びました。その後、母への孝養のため、十数年浅野家に仕えましたが、母を亡くした後は京都に戻り、59歳で詩仙堂を造営。漢詩や書、作庭をしながら、90歳で亡くなるまで、30余年を詩仙堂で過ごしたそうです。

  • 石川丈山のような生き方が出来る人は数える程しかいないでしょうが、やはり憧れはありますね。石川丈山は満たされた人生を送ったんだろうなあと羨ましく思います。

    石川丈山のような生き方が出来る人は数える程しかいないでしょうが、やはり憧れはありますね。石川丈山は満たされた人生を送ったんだろうなあと羨ましく思います。

  • 土間から庭園散策のために外に出ると、目の前に白壁の土蔵が建っています。<br />白壁とモミジのコントラストも美しいですね。

    土間から庭園散策のために外に出ると、目の前に白壁の土蔵が建っています。
    白壁とモミジのコントラストも美しいですね。

  • 庭園から眺めた詩仙堂。

    庭園から眺めた詩仙堂。

  • 庭園の紅葉の風景。

    庭園の紅葉の風景。

  • 落葉した葉の下でも、苔は瑞々しい青さを保っています。

    落葉した葉の下でも、苔は瑞々しい青さを保っています。

  • でこぼこした土地というだけあって、庭園も詩仙堂から眺める事が出来る上段の庭園と庭園散策で訪れる事が出来る下段の庭園「百花塢」に分かれています。<br />下段の庭園には、「残月軒」と名付けられた茶室が建てられています。

    でこぼこした土地というだけあって、庭園も詩仙堂から眺める事が出来る上段の庭園と庭園散策で訪れる事が出来る下段の庭園「百花塢」に分かれています。
    下段の庭園には、「残月軒」と名付けられた茶室が建てられています。

  • 茶室の壁面には、月とススキが描かれているようです。

    茶室の壁面には、月とススキが描かれているようです。

  • 普段の生活ではなかなか目にする機会が無くなりましたが、紅葉だけではなくススキも秋を感じさせる風景ですね。

    普段の生活ではなかなか目にする機会が無くなりましたが、紅葉だけではなくススキも秋を感じさせる風景ですね。

  • 庭園散策を終えて、最後に振り返った時に見える風景。

    庭園散策を終えて、最後に振り返った時に見える風景。

  • 平屋建ての建物の上に建てられた楼閣、嘯月楼。<br />楼上に上がることは出来ませんが、月を眺める小部屋だったのかな。<br />建物の窓の形も独特ですね。ハートの窓から紅葉を眺める事が出来るような作庭がなされていたら、現在のように落ち着いて庭を眺める事が出来るスポットではなかったでしょうね。

    平屋建ての建物の上に建てられた楼閣、嘯月楼。
    楼上に上がることは出来ませんが、月を眺める小部屋だったのかな。
    建物の窓の形も独特ですね。ハートの窓から紅葉を眺める事が出来るような作庭がなされていたら、現在のように落ち着いて庭を眺める事が出来るスポットではなかったでしょうね。

  • 路地をくねくねと進み、詩仙堂から歩いて5分程の場所にある金福寺に到着しました。

    路地をくねくねと進み、詩仙堂から歩いて5分程の場所にある金福寺に到着しました。

  • 金福寺の門に被さる様に大きなモミジの木が立っています。<br />まだ境内に入っていないのに、すでに紅葉の美しさに心が充たされています。

    金福寺の門に被さる様に大きなモミジの木が立っています。
    まだ境内に入っていないのに、すでに紅葉の美しさに心が充たされています。

  • 境内から、入口の門を眺めた風景。<br />太陽の光を直接浴びて、背景の真っ青な空も相まって朱色がより鮮やかに映えています。

    境内から、入口の門を眺めた風景。
    太陽の光を直接浴びて、背景の真っ青な空も相まって朱色がより鮮やかに映えています。

  • 赤いモミジが浮いている手水鉢は、紅葉の時期によく見かけますが、人の手によるもの偶然関係なく風情を感じて好きな風景です。

    赤いモミジが浮いている手水鉢は、紅葉の時期によく見かけますが、人の手によるもの偶然関係なく風情を感じて好きな風景です。

  • 門を過ぎた先の受付で拝観料を納めて、芭蕉庵と書かれた扁額が掛かっている小さな門を通り過ぎて、本堂・庭園に向かいます。<br />この時期は、大抵の寺院が特別拝観期間で拝観料が高くなっていますが、金福寺は通常通りの拝観料でした。

    門を過ぎた先の受付で拝観料を納めて、芭蕉庵と書かれた扁額が掛かっている小さな門を通り過ぎて、本堂・庭園に向かいます。
    この時期は、大抵の寺院が特別拝観期間で拝観料が高くなっていますが、金福寺は通常通りの拝観料でした。

  • 門を過ぎるとすぐに紅葉が目に入ります。

    門を過ぎるとすぐに紅葉が目に入ります。

  • 紅葉の絨毯の風景Ⅰ。

    紅葉の絨毯の風景Ⅰ。

  • 圓光寺や詩仙堂と比べると小さな枯山水庭園ですが、日々過ごす場所を選ぶならこれぐらいの大きさのお庭がいいな。

    圓光寺や詩仙堂と比べると小さな枯山水庭園ですが、日々過ごす場所を選ぶならこれぐらいの大きさのお庭がいいな。

  • 境内に建てられている与謝野蕪村と弟子の寺池百池の句碑。<br /><br />花守は野守に劣るけふの月   蕪村<br />西と見て日は入りにけり春の海 百池

    境内に建てられている与謝野蕪村と弟子の寺池百池の句碑。

    花守は野守に劣るけふの月   蕪村
    西と見て日は入りにけり春の海 百池

  • 本堂内には、明るいけど優しい冬の日差しが差し込んでいました。

    本堂内には、明るいけど優しい冬の日差しが差し込んでいました。

  • 金福寺境内の芭蕉庵の荒廃を目の当たりにした与謝野蕪村は芭蕉庵を再興し、そこで句会を催していたそうです。本堂には、俳諧の大家である松尾芭蕉・与謝野蕪村所縁の品々が展示されています。

    金福寺境内の芭蕉庵の荒廃を目の当たりにした与謝野蕪村は芭蕉庵を再興し、そこで句会を催していたそうです。本堂には、俳諧の大家である松尾芭蕉・与謝野蕪村所縁の品々が展示されています。

  • 「芭蕉庵・与謝野蕪村の墓」の立札近くの紅葉が、境内では最も鮮やかでした。

    「芭蕉庵・与謝野蕪村の墓」の立札近くの紅葉が、境内では最も鮮やかでした。

  • 本堂や枯山水庭園から、石段を登った場所に芭蕉庵が建てられています。

    本堂や枯山水庭園から、石段を登った場所に芭蕉庵が建てられています。

  • 石段途中からは、本堂全体がよく見渡せます。<br />金福寺は貞観6年(864)に慈覚大師・円仁の意志を継いだ安恵僧都により創建されました。一時期荒廃してしまったそうですが、江戸時代中期に再興されました。

    石段途中からは、本堂全体がよく見渡せます。
    金福寺は貞観6年(864)に慈覚大師・円仁の意志を継いだ安恵僧都により創建されました。一時期荒廃してしまったそうですが、江戸時代中期に再興されました。

  • 本堂と紅葉の先には、京都市街も見えています。

    本堂と紅葉の先には、京都市街も見えています。

    金福寺 寺・神社・教会

  • 与謝野蕪村が再興した芭蕉庵。<br />松尾芭蕉が京都を訪れた際に、金福寺住職の鉄舟和尚と禅や風雅について語り合い、親交を深めていたこともあり、鉄舟和尚は起居していた庵を芭蕉庵と名付け、芭蕉を偲んでいたそうです。

    与謝野蕪村が再興した芭蕉庵。
    松尾芭蕉が京都を訪れた際に、金福寺住職の鉄舟和尚と禅や風雅について語り合い、親交を深めていたこともあり、鉄舟和尚は起居していた庵を芭蕉庵と名付け、芭蕉を偲んでいたそうです。

  • 芭蕉庵は、茶室かと思うほど小さな庵です。<br />ここで暮らしていた鉄舟和尚は、風雅を愛する清貧な方だったんだろうな。

    芭蕉庵は、茶室かと思うほど小さな庵です。
    ここで暮らしていた鉄舟和尚は、風雅を愛する清貧な方だったんだろうな。

  • 翁の水と名付けられた泉。<br />鉄舟和尚が芭蕉をもてなす際にこの水を使っていたと云われています。

    翁の水と名付けられた泉。
    鉄舟和尚が芭蕉をもてなす際にこの水を使っていたと云われています。

  • 翁の水のそばに建てられている筆塚。

    翁の水のそばに建てられている筆塚。

  • 金福寺は高台の斜面に位置しているので、本堂の裏手からは京都市内を眺める事が出来ます。余程視力のいい人でないと、全てを判別する事は出来ないと思いますが、京都市内の全体図が描かれています。

    金福寺は高台の斜面に位置しているので、本堂の裏手からは京都市内を眺める事が出来ます。余程視力のいい人でないと、全てを判別する事は出来ないと思いますが、京都市内の全体図が描かれています。

  • 高台から見る事が出来る京都市街の風景。

    高台から見る事が出来る京都市街の風景。

  • 京都市街が良く見える場所に与謝野蕪村が眠っています。<br />幕末の動乱も現代に至るまでの栄枯盛衰も静かに見守ってきたんですね。

    京都市街が良く見える場所に与謝野蕪村が眠っています。
    幕末の動乱も現代に至るまでの栄枯盛衰も静かに見守ってきたんですね。

  • 今年は暑さが晩秋まで続いたおかげで、通常なら落葉している時期でも見事な紅葉を楽しむ事できました。

    今年は暑さが晩秋まで続いたおかげで、通常なら落葉している時期でも見事な紅葉を楽しむ事できました。

  • 紅葉の絨毯の風景Ⅱ。

    紅葉の絨毯の風景Ⅱ。

  • 紅葉の絨毯の風景Ⅲ。

    紅葉の絨毯の風景Ⅲ。

  • 金福寺の境内に鎮座する弁天堂。<br />江戸時代幕末期の大老:井伊直弼が、彦根城の埋木舎で暮らしていた若かりし頃、愛人であった村山たか女が、桜田門外の変で直弼が暗殺された後、尼僧となって金福寺に入った後に建立したものです。

    金福寺の境内に鎮座する弁天堂。
    江戸時代幕末期の大老:井伊直弼が、彦根城の埋木舎で暮らしていた若かりし頃、愛人であった村山たか女が、桜田門外の変で直弼が暗殺された後、尼僧となって金福寺に入った後に建立したものです。

  • 詩仙堂と金福寺の途中に鎮座する本願寺北山別院。<br />こちらも門前の紅葉が綺麗ですね。

    詩仙堂と金福寺の途中に鎮座する本願寺北山別院。
    こちらも門前の紅葉が綺麗ですね。

  • 昭和55年に建立された本堂。<br />すぐ横に幼稚園がありました。

    昭和55年に建立された本堂。
    すぐ横に幼稚園がありました。

    本願寺北山別院 寺・神社・教会

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