2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
9月22日(日)⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果たしたのか?
9月23日(月)⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市街
9月23日(月)⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城ホテル ブロムベルク城に2泊。
9月24日(火)⑬実に壮麗なリッペ侯国のデトモルト宮殿を訪ねる。
9月24日(火)⑭画家たちが愛した美しい木組みの家並みと泊まりたかったシュヴァーレンベルク城
9月24日(火)⑮ブロムベルクには古城や伝説、美しい木組みの家並みがある。
9月25日(水)⑯英国王となったハノーファー王家ゆかりの町へ
9月25日(水)⑰ツェレに英国王ジョージ1世の王妃ドロテアが32年間幽閉された話が残る。
9月26日(木)⑱ツェレの旧市庁舎、市教会の侯爵家の霊廟、ボーマン博物館を見る。
9月26日(木)⑲ツェレの美しい木組み建築の家並みに満足満足!
9月27日(金)⑳女流詩人ロスヴィータ のガンデルスハイム、美しい木組みの家並みのアインベック。
9月27日(金)21ハン・ミュンデンは木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」に泊まる。
9月28日(土)22ハン・ミュンデンのお気に入りはヴェーザー記念碑
9月28日(土)23メルヘン街道の代表はいばら姫とラプンツェル(髪長姫)の古城でしょう。
9月29日(日)24ヘッセン方伯妃エリザベートが余生を過ごしたささやかな別荘は美しい宮殿に変っていた。
写真は庭園側から見たSchloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿とWeiher池(1800年に掘られた)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<Caldenカルデン>
16:35・・・・・
カルデンはヘッセン州カッセル郡に属す人口7.5千人の村である。カッセル中心部から北西約 12 km にあたる。
地方飛行場のカッセル・カルデン飛行場と、Schloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿で知られているが、ヴィルヘルムスタール宮殿の南をエッセ川の支流Jungfernbachユングフェルンバッハ川が流れている。
凡そ10~15 km 東から北東にかけて、「伝説の地」ラインハルトの森が広がっている。
写真はカルデン、カッセル一帯図 -
写真はあまり見た事のない独特なWappen von Caldenカルデンの紋章
緑の楯に描かれた2つの斧はカルデン周辺の多くの森および林業の大切さを表している。また、2つの斧を纏めているような王冠はヴィルヘルムスタール宮殿を象徴したものである。 -
9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃
起床5:30、朝食8:45~9:20、古城ホテル ヴィルヘルムスタールを9:50出発、Museum Schloss Wilhelmsthalシュロス ヴィルヘルムシュタール博物館見学10:00~10:50及び庭園見学~11:30、Caldenカルデン11:45出発
=>L3217・L3298・K5 10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 =>K5・L3298・B251・L3220 ・L3215・B450・L3218 69 km Zueschenチュッシェン・Schloss Garvensburg 古城ホテル ガルフェンスブルク城17:40到着。
*熟睡の後は起床5:30も早い。朝食8:45~9:20も普段よりゆっくり。
写真は古城ホテル ヴィルヘルムスタール:朝食 -
宿泊したのは一番上の屋根裏部屋になる3階中央左手の窓がNo.19号室になる。
写真は古城ホテル ヴィルヘルムスタール:ホテル正面
D- 34379 Calden 、Wilhelmsthal 3
Tel:+49 (0) 5674-92340 、Fax: - 5420
http://www.schlosshotel-wilhelmsthal.de/
ヴィルヘルムスタール宮殿のかつてゲストハウスであったと云う建物が今回宿泊したホテル・レストランである。
カッセルの近郊、北西約 12 km にある。美しい風景庭園を持つロココ建築のヴィルヘルムスタール宮殿のごく近くにある。
レストランは主にヘッセンの郷土料理を提供する。 -
今日は午前中にシュロス ヴィルヘルムシュタール宮殿博物館を見学し、午後から高低差を利用した水の流れと、有名な大噴水を見にカッセルのベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエに行く予定だ。
古城ホテル ヴィルヘルムスタールを9:50に出発し、ホテルはヴィルヘルムスタール宮殿の近くなので、宮殿と広い庭園見学には大変便利である。
写真は古城ホテル ヴィルヘルムスタール:一番上になる3階のNo.19号室の窓 -
<ヴィルヘルムスタール宮殿の歴史と現在>
ヴィルヘルムスタール宮殿(城)はカッセル近郊にあるのだが、ヘッセン方伯Wilhelm VIII.ヴィルヘルム8世の別荘を宮殿として1743年から1761年に建設された。
写真はSchloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿:俯瞰 -
元々、1643年にヘッセン方伯(カッセルが首都)Wilhelm V.ヴィルヘルム5世の未亡人Amalie Elisabethアマリエ・エリザベート妃(後述)がKloster Helmarshausenヘルマルスハウゼン修道院の持ち物を購入したもので、それにAmalienthalアマリエンタールという名前を付けて、未亡人の余生を送るささやかな別荘として使用していたものである。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:城門入口 -
Landgraf Wilhelm V. von Hessen-Kasselヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム5世(1602年~1637年:der Bestaendige不変伯と呼ばれる。それは宗教改革への支持を継続した事による)の未亡人Amalie Elisabethアマリエ・エリザベート妃について、アマリエ・エリザベート妃で検索すると、
オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の妃、エリーザベト・アマリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ、つまりその美貌を誇る有名なオーストリア皇妃エリザベートが出てくる。
歴史的には皇妃の方が確かに知られている。
当時、三十年戦争(1618年~1648年)の最中であり、ヴィルヘルム5世はプロテスタントのスウェーデンと同盟を結び、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世とのプラハ条約(1635年、プラハで締結された皇帝とプロテスタント連合軍との和平条約)の署名を拒否した。この条約を拒否したのは、スウェーデンを除けばヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム5世、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公、プファルツ伯カール・ルートヴィヒ(1632年に死んだ元ボヘミア王・プファルツ選帝侯フリードリヒ5世の子)だけであった。
結局この条約は破綻し、フェルディナント2世は1637年に失意のうちに逝去した。フランス参戦によって三十年戦争は泥沼化し、一層ドイツの荒廃を招来させた。
その結果、ヴィルヘルム5世は皇帝軍(カトリック)に敗れて亡命、1637年9月21日に亡命先の二―ダーザクセン州東フリージア地方のLeerレーアで死去した(享年35歳)。ヴィルヘルム5世は政治的事情で、カッセルの聖マルティン教会に埋葬されたのは1640年4月になってからだ。
1619年に17歳で結婚した方伯妃のアマリエ・エリザベート(1602年~1651年、ハーナウ・ミュンツェンベルク伯フィリップ・ルートヴィヒ2世の娘)との間に生まれていた長男Wilhelm VIヴィルヘルム6世(1629年~1663年)が後を嗣いだ。しかし、ヴィルヘルム6世は8歳と幼少であったため、35歳の母アマリエ・エリザベートが、ヘッセン・カッセル方伯家の摂政として政治・外交を担った。
三十年戦争終結後の1650年まで、摂政としての母は類い稀なその才能を発揮し、方伯家を安泰と成功に導いたそうだ。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:ヘッセン方伯(カッセルが首都)Wilhelm V.ヴィルヘルム5世の未亡人Amalie Elisabeth von Hanau-Muenzenberg アマリエ・エリザベート・ハーナウ・ミュンツェンベルク妃 の肖像画 -
<Donaustaufドナウシュタウフ・Walhallaヴァルハラ神殿>
ドイツ民族の歴史的な記念碑として、ドイツの偉大な人々への敬意を示す殿堂をKoenig Ludwig I. von Bayernバイエルン王ルートヴィヒ1世が、Leo von Klenzeレオ・クレンゼに命じて、1830 年から1842年にかけて建設したものだ。
神殿の左右の壁にドイツ人(ドイツ語を話す)の 130 の胸像(例えば、ルター、ベートーヴェン、モーツァルト、デューラー、ホルバイン、フリードリヒ大王、マリア・テレジア、グーテンベルク、ゲーテやシラー、ハイネと世に知られた人物、それに王侯貴族、軍人・政治家、科学者たち、変わった人物では反ナチの白バラ抵抗運動Sophie Achollゾフィー・ショルが)があり、
また、歴史を彩る、多くの聖人、英雄の 65 銘板(例えば、聖ボニファティウス、トイトブルク森の戦いに勝利したゲルマンの英雄アルミニウス(ヘルマン)、聖女エリザベート・テューリンゲン方伯妃、ナチス・ドイツに抵抗したドイツ人レジスタンス(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与したシュタウフェンベルク大佐)などである。
ヴァルハラ神殿に顕彰されている胸像は130(1847年以前109+1847年以後21)を数えるが、当初からの胸像(1847年以前)の最初に
1.アマリエ・エリザベート・フォン・ハーナウ・ミュンツェンベルク、 三十年戦争時のヘッセン・カッセル方伯(女伯爵)とある。
アマリエ・エリザベートはバイエルン王ルートヴィヒ1世頃に選ばれた4人の女性の一人だというから、歴史的にも彼女の治世は評価されていたのでしょう。(現在は12人の女性)
ヴァルハラ神殿を訪問した時は、彼女の胸像があるのは知らず、ヴィルヘルムスタール宮殿の歴史などを読んで初めて気づいたのだ。
写真はヴァルハラ神殿の胸像:アマリエ・エリザベート・へッセン・カッセル方伯妃
一つの事から、幾つかが導き出されるのもいつもの事だが、ここでもかつてハイデルベルクの哲学者の道で知った「Lieselotteリーゼロッテ(愛称)の碑が記憶から出てきた。
アマリエ・エリザベート・ヘッセン・カッセル方伯妃はElisabeth Charlotte von der Pfalzエリザベート・シャルロッテ・フォン・デア・プファルツの祖母にあたる。
彼女は名前を略してリーゼロッテ(Lieselotte)と呼ばれたが、不幸な政略結婚をした王女のプファルツでの人気はいまだに高いと云う。
参考・番外編:ハイデルベルクの哲学者の道にあったプファルツでたいへん人気の高い王女リーゼロッテの記念碑
https://4travel.jp/travelogue/11520955 -
宮殿はマイン川より北部において最も歴史的・文化的価値が高いロココ様式の宮殿の1つで、この敷地内の宮殿裏手には噴水のある大きな庭園が付属してある。
宮殿内は毎日、ガイド付きで見学ができ、2009年以来、欧州庭園遺産にリストアップされた庭園は暗くなるまで一年中自由に入場できるそうだ。
Museum Schloss Wilhelmsthalシュロス ヴィルヘルムシュタール博物館見学は10時スタートで、ガイドさんの御出ましまで待った。
時間になると、とても若い女性のガイドさんが出てきて、およそ45分の宮殿内ガイドがスタートした。
日曜日だが早い所為か、見物人は私共2人のみで、まことに贅沢なものだ。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:左右に警衛所、中央に宮殿が見えて来る。 -
<Museum Schloss Wilhelmsthalシュロス ヴィルヘルムシュタール博物館と庭園見学>
博物館見学10:00~10:50及び庭園見学~11:30、
入館料はEuro4x2+チップ2=10。
シュロス・ヴィルヘルムシュタールは城というよりも宮殿といった装いで、芸術家たちのすごい技が見られる、美しいドイツRokokokunstロココ(様式)芸術の建物です。
https://museum-kassel.de/de/museen-schloesser-parks/schlosspark-wilhelmsthal/schloss-wilhelmsthal
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:右にあるWachhaus警衛所の建物は現在、切符販売所・土産ショップになっている。 -
現在の宮殿は博物館となり、Treppenhaus階段ハウスがあり、宮殿内のヘッセン方伯の居住空間、召使たちの区域、大きな宮殿内台所などを見て回る。
宮殿内部の様子は天井にスタッコ(化粧しっくい)仕上げが見られ、壁面上は様々なモチーフの彫刻作品で飾られている。
ロココ時代の価値ある見事な家具や絵画も各部屋に見られ、歴史を感じさせるものばかりが陳列されていた。見事な磁器人形で飾る時計、孔雀の羽根の箪笥、フランスの漆の家具、1755年の日付がそこに記された家具、また、貴重なヨーロッパと東アジアのPorzellan磁器のコレクションはなんとも贅沢なものだ。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:ドイツの切手1982年発行 -
①1階の食事の広間の隣には、
いわゆる「Schoenheitengalerie美人画のギャラリー」があり、ヘッセン方伯ヴィルヘルム8世(1682年~1760年)がこの宮殿を建てた際に、8世方伯の近くにいた魅力的な女性の肖像画を描かせて、控えの間(謁見の間)の2部屋に飾ったと云う。
似たような女性の肖像画が並ぶ部屋はちょっと驚きだった。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Schoenheitengalerie美人画のギャラリー -
イチオシ
そう言えば、ミュンヘンのSchloss Nymphenburgニンフェンブルク城はヴィッテルスバッハ王家の夏の離宮として建てられたが、ここにも有名な「Die Schoenheitsgalerie美人画ギャラリー」があったのを思い出した。
ニンフェンブルク城の方はKoenig Ludwigs I.バイエルン王ルートヴィヒ1世が愛した36人の美女の肖像画がずらりと並んでいるのですが、様々な階層の女性の美人画で親しみが持てたものでした。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Schoenheitengalerie美人画のギャラリー -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Schoenheitengalerie美人画のギャラリー
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②巡ったのは方伯や方伯妃たちの寝室が4つ、
美しい立派な家具類、鬘(かつら)の部屋、
召使たちの部屋の衣類、
暖炉、
担当の貧しい寝床、
使用人たちのトイレ、
食事の広間と食卓の食器セット、
図書の間の本棚、
その部屋に置かれた椅子カバーと壁紙が同一の模様という美しさ、
狩りの間、
方伯妃の肖像画(と思う)、
磁器人形で飾る時計、
ドレス、
台所、
女神ミューズの素晴らしい広間、
方伯の赤のサロンといった順でした。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:ヘッセン方伯の寝室 -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:ヘッセン方伯の寝室の絵
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:ヘッセン方伯の寝室の壁の美しさ
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:美しい立派な家具類
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:美しい立派な家具類
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:家具類、鬘(かつら)の部屋、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:召使たちの部屋の衣類、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:召使の貧しい寝床、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:召使たちの衣類
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:召使たちのトイレ、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:召使たちの暖炉
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イチオシ
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Speisesaal食事の広間の色合いも良い
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Speisesaal食事の広間・食卓の食器セットの拡大
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:図書の間・その部屋に置かれた椅子カバーと壁紙が同一の模様という美しさ
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:図書の間の本棚、同一模様の椅子と壁
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イチオシ
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:方伯や方伯妃たちの寝室
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:狩りの間、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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イチオシ
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:美しい方伯妃の肖像画(と思う)、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:磁器人形で飾る時計、
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:方伯や方伯妃たちの寝室
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:ドレス・・・家内は150cmにも満たないが、このドレスは丁度良い大きさに見える。
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:改装されたような台所、
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イチオシ
各部屋の豪華なシャンデリア、天井のスタッコ(化粧しっくい)仕上げも美しく、壁の装飾にも種子と花の植物の装飾品や、鳥類、楽器などが様々に彫刻されているのも面白く、興味深いものだった。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Musensaal女神ミューズの素晴らしい広間 -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:Musensaal女神ミューズの素晴らしい広間
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:カッセル方伯の赤のサロン
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿内見学:壁面上の彫刻作品・植物と鳥類の装飾
尚、北翼の宮殿内教会は催し時に利用され、南翼の建物ではカッセル地区で行われた7年戦争のシーンを再現したZinn錫製の兵隊たちのコレクション(常設展は20の展示室に約10,000人の手描きの錫製の兵隊たちを見ることができる)が展示されているが、それらはガイドコースに入っていなかった。 -
宮殿のガイドが終わり、トイレをすませ、庭園見学に行く。
写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:縄張り図Grundriss-Park -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:池、丘、ロココ風庭園の小道、球形の芝生庭園
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イチオシ
庭園には宮殿から見る景観を重視し、池、丘、ロココ風庭園の小道、球形の芝生庭園を一直線に造園し、右手には中世風のWarttum望楼、運河、洞窟を、左には氷室も備えたようだ。
ともかく広大なので、宮殿裏手の池の周辺だけを巡り、望楼の遠景と、最も美しいとされる池越しの写真を撮った。
・・・・・
写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:庭園側から見たヴィルヘルムスタール宮殿とWeiher池(1800年に掘られた) -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:中世風のWarttum望楼
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:少し近づいて庭園側から見たヴィルヘルムスタール宮殿とWeiher池(1800年に掘られた)
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写真はヴィルヘルムスタール宮殿の庭園:右手奥の方にGrotte(人造の)洞窟、運河・水路がある。
尚、宮殿の建設が完了後間もない、*7年戦争の後半の1762年にヴィルヘルムスタール宮殿傍で戦いが行われ多くの血が流れた。
今でもその時に戦死した4,000人ものフランス兵を葬った大きな墓が宮殿庭園内にある。
<参考:Siebenjaehriger Krieg七年戦争>
七年戦争は1754年から1763年まで(主な戦闘は1756年から1763年まで)行われた戦争である。
ハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失ったシュレージエンをプロイセンから奪回しようとしたことが直接の原因だが、そこに1754年以来の英仏間の植民地競争が加わり世界規模の戦争となった。イギリス・プロイセン側とその他の列強(フランスとオーストリアとロシア、スペイン、スウェーデン)に分かれてオスマン帝国を除く当時の欧州列強が全て参戦しており、戦闘はヨーロッパ以外にも拡大した。またインドではムガール帝国がフランスの支持をうけて、イギリスによるベンガル地方の侵攻を阻止しようとした。
この戦争の前にフランスとオーストリアは、台頭してきたイギリスとプロイセンを抑えるために古くからの因縁を捨てて同盟を組んだ(外交革命)。しかし、戦争の結果、墺仏の外交努力は英普側が勝利したことで水泡と化し、イギリスの飛躍とフランスのヨーロッパにおける優位性の喪失、オーストリアの神聖ローマ帝国内での権威低下を招き、ヨーロッパの勢力均衡を変える結果となった。(Wiki) -
この戦いでプロイセン旗下のブラウンシュヴァイク軍の半人前の太鼓手が、後退すべき音ではなく、誤って攻撃を意味する太鼓音を発した。
この音に鼓舞された兵士たちはフランス軍に猛攻撃を加え、勝利をもたらした。
これが「Tambour von Wilhelmsthalヴィルヘルムスタールのタンブール(太鼓手)」という物語(伝説)になったそうだ。
伝説:ヴィルヘルムシュタールの太鼓手は突撃せよ!と、太鼓を連打した。
https://4travel.jp/travelogue/11569719
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:ヴィルヘルムシュタールの太鼓手の説明版 -
写真はヴィルヘルムスタール宮殿:庭園側から見たヴィルヘルムスタール宮殿とWeiher池(1800年に掘られた)
・・・・・・・・・
午後からはカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る予定だ。
今夜の宿泊はZueschenチュッシェンという田舎町にあるSchloss Garvensburg 古城ホテル ガルフェンスブルク城を予約済みだ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- M-koku1さん 2020/06/22 13:29:57
- きれいなお城と庭園!
- jijidarmaさん
このお城の外観を見たとたん 何だかどこかで見たなあというのが 第一印象でした。
行ったことないのに 不思議だと思ったのですが、 ヨーロッパのお城は似ているものも多いのでそんなものかと思っていましたが、 旅行記内にニンフェンブルグ城のことが書いてあって、 同じ王様の持ち物だと気づいたとき、 なるほどねと思いました。
ロココ形式なんですね。 本当にきれいだし お庭とのマッチがいいですね。
メールの件は了解いたしました。
そろそろ拒否を外しても大丈夫でしょうか、考えてみます。
本当に不愉快なメール攻撃でした。一斉に皆さんのところだったのが、 変な言い方ですが、まあ救いでした・・・
「白い国籍のスパイ」は既に上巻を読み進めています。レセピーが物語に絡めてあるのは、本当に不思議な感じですね。食べたことのあるものも ないものも いろいろ混じっていますが、読み終わるまで楽しみです。いい作品を教えてくださって、どうもありがとうございました。
ではまた
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2020/06/22 23:40:14
- Re: きれいなお城と庭園!
- M-koku1さん 、
今晩は。いつもありがとうございます。
ラインハルトの森の中、メルヘン街道の代表的な城といえる「いばら姫とラプンツェル(髪長姫)の古城」を見て来ると、カッセル近郊のヴィルヘルムスタール宮殿は全く違う、こぢんまりと小さいながらも、なかなか繊細で美しいものでした。
宮殿として1743年から1761年に建設された、この宮殿(最盛期が18世紀半ばから後半にかけた流行したロココ様式)に相応しい、いわゆる「Schoenheitengalerie美人画のギャラリー」があり、ヘッセン方伯(後のヘッセン選帝侯)の豊かさも感じたものです。
御指摘のミュンヘンのSchloss Nymphenburgニンフェンブルク城はバイエルン王家(ヴィッテルスバッハ家:かつてはバイエルン選帝侯)の夏の離宮(16~17世紀に流行したバロック様式ですから、ロココ様式の前)ですが、規模も大きく、さすがにバイエルン王家の格式と莫大な富を感じさせるものかと思います。
ルートヴィヒ1世(Ludwig I)が、王自身が好んだと云われる36人の美女の肖像画が展示された「Schoenheitengalerie美人画のギャラリー」は. ヴィルヘルムスタール宮殿のものをはるかに凌駕したものになっています。
それではまた。
jijidaruma
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