2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
9月22日(日)⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果たしたのか?
9月23日(月)⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市街
9月23日(月)⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城ホテル ブロムベルク城に2泊。
9月24日(火)⑬実に壮麗なリッペ侯国のデトモルト宮殿を訪ねる。
9月24日(火)⑭画家たちが愛した美しい木組みの家並みと泊まりたかったシュヴァーレンベルク城
9月24日(火)⑮ブロムベルクには古城や伝説、美しい木組みの家並みがある。
9月25日(水)⑯英国王となったハノーファー王家ゆかりの町へ
9月25日(水)⑰ツェレに英国王ジョージ1世の王妃ドロテアが32年間幽閉された話が残る。
9月26日(木)⑱ツェレの旧市庁舎、市教会の侯爵家の霊廟、ボーマン博物館を見る。
9月26日(木)⑲ツェレの美しい木組み建築の家並みに満足満足!
9月27日(金)⑳女流詩人ロスヴィータ のガンデルスハイム、美しい木組みの家並みのアインベック。
9月27日(金)21ハン・ミュンデンは木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」に泊まる。
9月28日(土)22ハン・ミュンデンのお気に入りはヴェーザー記念碑
9月28日(土)23メルヘン街道の代表はいばら姫とラプンツェル(髪長姫)の古城でしょう。
写真はザバブルク城(いばら姫の城)で
・・・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃
起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763 13 km Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 =>B83 13km Hofgeismarホーフガイスマル14:35~15:45=>B83 7km Grebensteinグレーベンシュタイン16:00~16:20=>B83・L3217 10 km Caldenカルデン16:35着。
写真は本日の行程図:ハン・ミュンデンからメルヘン街道の代表であるいばら姫とラプンツェル(髪長姫)の古城を巡り、カルデンに至る。 -
グリム童話で名高い“ラプンツェルの塔”のモデルとなったBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城や、
Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城は私のお気に入りだから、この地域に来ると外せないのだ。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):ザバブルクの原生林も遠目には明るい森に感じる。 -
<Sababurgザバブルク>
12:17~13:00
Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城はもちろん、若い頃にも家族で訪れているのだが、定年後の旅も2005年春に訪れた。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):古城傍の牧場に -
イチオシ
なだらかな坂道を城に向かうと坂道の斜面に“Vergissmeinnicht忘れな草”の群生が青いジュータンの様に咲きみだれ、実に美しい景色だったのが印象に残った。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):城への道は春(2005年4月)で忘れな草の景観が好ましかった。 -
そしてドイツ・ベネルックス秋の旅をした際、2013年10月16日(水)にもザバブルク城(いばら姫の城)を訪れた。
その後2018年末に理由は不明だが、古城ホテル ザバブルク城(いばら姫の城)は営業を停止していた。多分業績不振となったのだろうが。
2019年9月28日、今日の事だが古城ホテル ザバブルク城が閉業した後が気にかかり、どんな風になったかを見たかったのだ。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):城への道は秋 -
6年ぶりの秋の訪れだが、見覚えある巨人族のザバの木像が右にいく道路沿いに立っていた。
左に入って駐車場に停める。今日は週末なので、観光客やハイキングで立ち寄る人も多いと思ったが、数台の車が有るぐらいだった。
古城にも秋が訪れていた。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):いばら姫の城らしい野薔薇(ノイバラ)の赤い実がなっていた。 -
<Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城>
D-34369 Hofgeismar (Sababurg)ホーフガイスマル(ザバブルク) 、Im Reinhardswald (ラインハルトの森)
かつて、この城は3星・全18部屋という小さな古城ホテルでした。
13 km離れた古城ホテル トレンデンブルグ城に泊まってしまうので、いままでここには泊まった事が無いのだ。今回も休業中で、カルデンの方に宿泊する古城ホテルを見つけていた。
ザバブルク城の周囲には自然動物園(1571年)も設けられていたが、今日はその様子が見えなかった。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):Reinhardswaldラインハルトの森、メルヘン街道・いばら姫の城とされるザバブルク城の俯瞰ホテル ドルンレッシェンシュロス サバブルク (いばら姫の城) ホテル
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ザバブルグ城はメルヘンの国・ラインハルトヴァルトの原生林の中にあり、グリム童話で知られるいばら姫の城は670年以上の歴史をもつ。
別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”と呼ばれている。
坂を上がって行くと、城門の蔦がこの数日の寒さで見事に葉が赤くなっていた。
かつて古城ホテルであった建物、城址の右手にある。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):城門にからんだ紅葉した蔦も美しい。 -
古城ホテルの館内の扉はしっかり閉鎖されていた。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):古城ホテルに入り口は確かに閉まり、休業の文字があった。 -
この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。
1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、長い間、文字通り「眠れる城」として忘れられた存在になっていた。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):塔にからんだ紅葉した蔦。 -
第二次大戦後、目覚めた城はホテル・レストランに改造され、大変人気のある古城ホテルになっていたのだが。
メルヘン”いばら姫”のイメージは様変わりですが、この古城に立つと周辺の森や草原が見渡され、良い気分になります。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):かつての城内大広間というべき内部は暖炉や煙突の様子が見られるが、この通り、空っぽ!それでも昔に比べるときれいに改装されている。 -
イチオシ
ぐるりと城壁が改修されたザバブルク城だが、それらの投資が足をすくったのか?休業が惜しまれる。
それでもメルヘン好きな人々は訪れる。
土曜日といえ、メルヘン好きの人々はやはり年輩者ばかりで、すこし寂しい感じを受けた。
写真はザバブルク城(いばら姫伝説の城):ここから撮る古城の姿が一番! -
この日もゲッティンゲンから訪れた80代と77歳のご夫妻(25歳の時にここで御二人は結婚式を挙げたと奥様は昔を思い出すようにおっしゃっていた)と、城址前にあった屋台(軽食と飲み物の提供)でお会いし、「ここのケーキは美味しい」からと勧められ、しばし歓談した。彼らは日本人がすぐわかるらしい。
古城ホテルが経営不振で閉業していることを、ご夫妻も私共と同様にとても残念がっておられました。
ご夫妻とはドイツ語の会話でしたが、最初にブレーメンの友人夫妻を訪ねて一緒に夕食や近郊へ小旅行もしましたが、この時はドイツ語バージョンに頭が切り替えられずに、いつもながら困ったものでした。
それから十日、旅の途中の様々な対応で少しずつ頭の中のドイツ語も日常的な会話が出てきて、ゲッティンゲンのご夫妻との会話を楽しめたのです。
御二人ともとても品の良い、良きドイツ市民だと感じたものです。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):いばら姫の夏の時期の公演用看板 -
ご夫妻の話を聞いて、私共は今年、結婚50周年、大学の校友会館で安く式を挙げたのですが、こうした古城ホテルでの挙式が可能だったら・・・なんて思ったものです。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):右手に屋台(軽食と飲み物の提供)が見える。 -
屋台のお兄さんに代金を支払いながら古城ホテルの再開を尋ねると、何時にと言うわけではなかったが、「また再開するさ!」と、気を持たせることを言ってくれた。
残念ながら、ザバブルク城らしい景観はあったが、大広間のように中身は空虚の城になっていました。
写真はザバブルク城(いばら姫の城):ザバブルク城で食べたケーキとコーヒー(Euro8) -
写真はザバブルク城(いばら姫の城):野薔薇(ノイバラ)に囲まれた人形とガチョウたちが道の端に忘れ去られたように・・・その内、いばら姫のように野薔薇(ノイバラ)に隠れてしまうかもしれない。
-
イチオシ
先を急ぐ私共に、ザバブルクの名前の由縁になった巨人族・ザバの木像が門番の如く、何か言いたげに悲しげな顔を向けて道端に立っている。
この木像を撮り忘れたので、引き返して逆光の中で撮ったのだが、さてまた古城ホテルは再開されるのだろうか?!
この地には古代ゲルマンの巨人族の三姉妹の話が伝えられている。
≪伝説:巨人族の三姉妹・ブラマ、ザバ、トレンドゥラ≫
昔々、ヴェーザー川が流れるヘッセン州のヴェーザーベルクラント(Weserbergland)のなだらかな丘陵地帯を覆う、深く、暗いラインハルトの森(Reinhards-Wald)に古代ゲルマンの巨人族が住んでいました。
巨人族の長はクルコと云い、族長の3人の娘Bramaブラマ、Sabaザバ、TrendulaトレンドゥラがTrendelburgトレンデンブルグ城に住んでいました。
父クルコが亡くなってから、ブラマ、ザバの二人は急速に広まりだしていたキリスト教に改宗したのですが、トレンドゥラは改宗しませんでした。
古代ゲルマン神を信じるトレンドゥラが頑ななため、心優しいブラマはこの事を泣き悲しむあまり失明してしまいます。
お互いが信ずる神に従い、ブラマ、ザバの二人はトレンデンブルグ城を出て、ブラマはヴェーザー川の向こう岸にBramburgブランブルグ城を、ザバはトレンデンブルグ城からも近いSababurgザバブルグ城を建てて移り住みました。
(以下略:詳しくは下記)
https://4travel.jp/travelogue/10916275
写真はザバブルク城(いばら姫の城):古代ゲルマンの巨人族の三姉妹のザバの木像 -
写真はReinhardshagenラインハルトハーゲン:巨人族の長クルコの城と云われるKrukenburgクルケンブルク城址・・・尚、伝説の巨人族の長はクルコと称したそうだが、このクルケンブルク城址と関係があるのか?調べてみたが、記載が無い。
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仲良しの二人を嫉んでか? 宗教上の争いか?!
ある時、トレンドゥラがザバを待伏せして殺してしまいます。
その後、トレンドゥラは城に篭って、姿をみせなくなりました。
写真はヴェーザー川の向こう岸にあるBramburgブランブルグ城・Bramaブラマ像 -
写真はヴェーザー川の向こうRuine Bramburg ブラムブルク城址から見るBramwaldブラムの森
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*Ruine Bramburg ブラムブルク城址
伝説によれば巨人族の三姉妹の長姉ブラマがこの城に住んだと云う。
ヴェーザー川の向こう岸にフェリーで渡り、R.M.Hemelnヘメルンから少し北に走ると、210mの丘の上にブラムブルク城址がある。
11世紀の頃に既に築城されていたと云う。
現在の城址には22mほどの天守閣が残り、城壁の一部、掘割の跡が見られる。
写真はブラムブルク城址の天守閣 -
ある日、トレンデンブルグの辺りを7日7晩の豪雨が降り続きました。
止まぬ豪雨にキリスト教に帰依していた村人たちは、異教徒のトレンドゥラに対する神の怒りだと考え、トレンドゥラを生贄にしようと、森に連れて行きました。
天から稲妻が光り、雷がトレンドゥラを貫き、大きな穴を開け、豪雨はたちまち止みました。
大きな穴はヴォルケンブルッフ(Wolkenbruch突然の豪雨の意)と呼ばれ、今もトレンデンブルグの村外れに残っているそうです。
写真はWolkenbruchヴォルケンブルッフと呼ばれる大きな穴 -
イチオシ
(この伝説はグリム童話の陰に隠れてしまい、私も初めて知りましたが、キリスト教の伝来と古代ゲルマン神の衰退の話として、大変、興味深いものです。)
写真はTrendelburgトレンデンブルグ城のトレンドゥラ像・・・ディーメル川の岸辺に立つトレンドゥラの木像を漸く撮れた。普段は違う道を走った為、気付かなかったのだが。 -
ザバブルク城を13時に出発した。村道を13 km走ると、Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルクが見えて来る。
トレンデンブルグ城もラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は実に広大なのだ。
丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。あれが名高い“ラプンツェルの塔”だ。
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:あれが名高い“ラプンツェルの塔”だ。 -
イチオシ
<Trendelburgトレンデルブルク>
13:30~14:05
ザバブルク城と同じく、2005年に訪れたが、2013年10月16日(水)にも訪れた。2013年の時はヴァルデック城をスタートし、カッセルやハン・ミュンデンを経由し、フュルステンベルクを再訪、カールスハーフェンからトレンデルブルク、サバブルク、カルデンと巡り、ヴァルデック城に戻った。
写真はトレンデンブルグ城:もっともらしいロープが下がる“ラプンツェルの塔”
古城前の駐車場に車をおき、60mぐらい歩くと、ラプンツェルの塔が目に入る。
ラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。Hotel Burg Trendelburg ホテル
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今回はフェッカーハーゲン、サバブルク、トレンデルブルクと行程が逆になる。
今年も又再び訪れたが、ぐるりと回遊するだけだ。
1907年発行のグリム童話では『魔女に閉じ込められたラプンツェルが塔から長い髪を垂れ下げ、王子に助けてもらった』という話が載っていて、トレンデンブルグの塔は其のモデルに使われたそうです。
写真はトレンデンブルグ城:周辺のラインハルトの森 -
1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。
写真はトレンデンブルグ城:カスターニアン(とちの木)の大木 -
2013年はメルヘン街道を走ると云う事で、こちらを再訪問した。
細い橋を渡って、狭い城門をくぐり、石畳の城内に入ると、カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。
写真はトレンデンブルグ城:見張り塔傍で -
写真はトレンデンブルグ城:周辺のラインハルトの森を遠望する。以前は見なかった大きな建物が下に見える。宿泊施設や駐車場・広場といったものだが。
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<Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城>
D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
TEL:49(0)5675-9090、FAX:-9362
http://www.burg-hotel-trendelburg.com/de/
4星・全22室。この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6室のみのホテルが開業された。
今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:古城ホテルのブルクレストラン(左)とテラスレストラン -
塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデンブルグ城の内部を見せてもらう。城内に入ると、歴史の重みを感じさせる、武具、アンチーックな家具、調度が見事である。
近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。席からはラインハルトの森、赤いレンガ屋根の家々、緑の畑が一望でき、ロマンチックである。
秋になると、鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。
親切な奥さんが私共の写真をかつての古城の絵や甲冑の前で撮ってくれた。また、来てみたいなと、ツィ思ってしまう。
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城内 -
2013年の時の日記は前述の通りで、今日も同じように見て回ったから、其れで代用するが、秋の景観は変わらず、古城のテラスから見る風景には遠い谷間に宿泊施設や駐車場・広場のようなものが新しくできていた。こうして森も少しずつ少なくなっていくのだろう。
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城内 -
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:ブルクレストラン
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写真は古城ホテル トレンデンブルグ城内
参考:ドイツの秋の旅で出会ったグリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)
https://4travel.jp/travelogue/11458632 -
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城内
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ホテル内の装飾はいろいろと加えられて、古城の雰囲気も増していたが、前回の甲冑は何処にいったのか?
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城内:ホテル内のそれらしい部屋 -
写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:眠れる騎士(1530年頃)
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写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:甲冑、宿泊はこの階段を上がる。
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写真はトレンデンブルグ城:古城ホテルの入口、さようなら、もう来れないかな!
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人口6000人という小さな木組みの家の並ぶ村の中心に、古城ホテル トレンデンブルグがある。
私共にとって特別のニュースはホーフガイスマルに向かう道で、ディーメル川の岸辺に立つ「Trendulaトレンドゥラの木像」を発見し、漸くその姿を撮った事だろう。
Diemelディーメル川(ヴェーザー川の支流110.5km)でいったん止まり、木像の写真を撮ってからトレンデルブルクを14:05に出発した。
写真はトレンデンブルグ:村中で目立った木組みの家 -
次も13km先になる Hofgeismarホーフガイスマルだ。こちらもは初めての町、やはり木組みの家並みがメインだ。
<Hofgeismarホーフガイスマル>
14:35~15:45
ホーフガイスマルはヘッセン州カッセル郡に属す人口15千人の町である。GrebensteinグレーベンシュタインとTrendelburgトレンデルブルクとの間、Die Lempeレムペ川(距離16kmを流れる)がDie Esseエッセ川(ディーメル川の支流、距離27.6km)に合流する河口に面しており、Kasselカッセルの北25 km に位置している。
写真はHofgeismarホーフガイスマル:旧市街・木組みの家並み -
旧市街の周辺道路Grabenstrasseグラーベン通りの駐車場に車を停め、旧市街のマルクト広場に向かった。マルクト通りを歩いていると先ほどまで、シャワーの雨が降っていた所為で、建物間に虹が見えた。
旅で見る虹は何やら吉兆と思われて、嬉しいのだ。
写真はHofgeismarホーフガイスマル:秋口に見る虹は珍しい。 -
イチオシ
そしたらこの町の伝説の奇妙な像に出会った。
ホーフガイスマルの市庁舎向かう通りに奇妙な銅像が立っている。
説明版もあったが、ザックリ読んでみると、「2つの実物大のBronze-Skulpturenブロンズ彫刻はかつてホーフガイスマルが、包囲戦で攻めるLandgraf von Hessen ヘッセン方伯、Braunschweigブラウンシュヴァイク公と戦ったが、抗争した両派を表していると云う。
伝説によると、1401年にホーフガイスマルはその存続をかけて、二つの国と争ったが、この時、ホーフガイスマルはサイコロ博打で18対17のサイコロの目で勝ったそうだ。」
詳細は帰国してから調べた。更に内容は歴史にも絡んで王の暗殺事件があり、町の運命を決めたサイコロ博打の伝説は面白いものだった。ともかくもWurfelspiel-Denkmalサイコロ博打の伝説の記念像はMarktstrasse 17番地にある。
写真はHofgeismarホーフガイスマル:町を救ったサイコロ博打の伝説の像
参考・番外編:ホーフガイスマルの町を賭けたサイコロ博打の伝説
https://4travel.jp/travelogue/11572305 -
写真はHofgeismarホーフガイスマル:木組みの家並み(ホテルと町の図書館)
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イチオシ
写真はHofgeismarホーフガイスマル:木組みの家並み
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見所に上げられている内のメインは、5月柱と噴水のあるマルクト広場であり、美しいRathaus市庁舎だろう。
周辺には伝統的な木組みの家並みもきれいに改装された姿を見せて、とても美しい。つまり町の良い部分が凝縮しているのだ。
・Rathaus市庁舎(14世紀に建造され、19世紀に増改築された)
写真はHofgeismarホーフガイスマル:マルクト広場の市庁舎と周辺の木組みの家並み -
その他の見所を参考に:
・Altstaedter Kircheアルトシュテッター教会(旧市街教会、12 ~14世紀の建築)
・Cafe Hoffmann カフェ ホフマン(1528年町最古の木組みの家、Markt 19)
・Haus Malzfeldtハウス マルツフェルト(1684年、Petristrasse 13 )
・Haus Schefferハウス シェーファー(1684年、Steinweg 18)
・Schloesschen Schoenburgシェーンブルクの小城館(ゲズントブルンネンの公園に1787年~1789年に建設された古典主義のシェーンブルク城、元々はヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム9世の夏の居城として建てられた。
今は福音派アカデミーが使用)
写真はHofgeismarホーフガイスマル:木組みの家並み -
写真はHofgeismarホーフガイスマル:木組みの家並み
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写真はHofgeismarホーフガイスマル:木組みの家並み
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旧市街には14世紀に建造され、19世紀に増改築された市庁舎がマルクト広場に立つ。その周辺に木組み建築の家が多い。
写真はHofgeismarホーフガイスマル:市庁舎と周辺の木組みの家並み -
Rossmannロスマンでお土産にチョコレートや紙ナプキンなど購入(Euro17.45)し、ホーフガイスマルを15:45に出た。
B83を7km行くとGrebensteinグレーベンシュタインという小さな村で16:00丁度に着いた。
<Grebensteinグレーベンシュタイン>
16:00~16:20
グレーベンシュタインはヘッセン州カッセル郡に属す人口6千人の村である。
この村はラインハルトの森の西、カッセルとホーフガイスマルとの間のエッセ川沿いに位置する。
市の高台にグレーベンシュタイン城趾がある。
ただ、ここではマルクト通りだけ見てきた。
・防衛施設の塔にはJungfernturm処女たちの塔、Lindenturm菩提樹の塔、Pulverturm火薬塔、Viereckturm四角の塔 、Stadtmauer市城壁などが、まだ残っている
写真はGrebensteinグレーベンシュタイン:マルクト通り・中世の都市防衛施設の塔Jungfernturm処女たちの塔
Jungfernturm処女たちの塔:
処女たちの塔はかつて「Roter Turm赤の塔」と呼ばれていた。
名前の謂れは赤レンガに因むものか不詳で、更に名前を替えた事も分からない。
八角形の屋根と、かつての牢獄も備えたもので、この村では最も高い塔である。
1300年に建てられた塔でHoehe高さ40m、Durchmesser直径8.63m、Verlies地下牢は2.20mの深さがあると云う。 -
写真はGrebensteinグレーベンシュタイン:マルクト通り・街中の雑多な品が見られたお店
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写真はGrebensteinグレーベンシュタイン:マルクト通り・街中の雑多な品が見られたお店
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(見所)
歴史的旧市街、中世の都市防衛施設の塔、市庁舎、プロテスタントの市教会(旧リーベフラウ教会)および数多くの木組み建築があり、その一部は中世の地下室を遺している。
・木組みの家並みはHofgeismarerstrasseホーフガイスマル通り、Marktstrasseマルクト通り、 Obere Hofstrasse上宮廷通り、 Obere Schnurstrasse上紐通り、Bahnhofstrasse駅通り、Eulenbergstrasseオイレンベルク通り、 Hochzeitsstrasse結婚通りには多くの木組み建築の家を見ることができる。
(マルクト通りだけで見物を終了したのが残念なほどだ)
写真はGrebensteinグレーベンシュタイン:マルクト通り -
・13世紀のBurg Grebensteinグレーベンシュタイン城趾、市の南の城山にある。
・Ackerbuergermuseum im ?Haus Leck“農耕民博物館「レック館」(1431年、Schachtenerstrasseシャハテナー通り11)
・Alte Meierei旧荘園(1780年頃、Schachtenerstrasseシャハテナー通り4)、
写真はGrebensteinグレーベンシュタイン:マルクト通り -
グレーベンシュタインは20分と短い時間で切上げてしまった。16:20に出発し、更に国道B83を走る。
10 kmで Caldenカルデンの村に着く、16:35にはホテルに着いたから、チェックインには丁度良い時間だった。
写真はCaldenカルデン・Schloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿とKasselカッセル地域の地図 -
<Caldenカルデン>
16:35・・・・・
カルデンはヘッセン州カッセル郡に属す人口7.5千人の村である。カッセル中心部から北西約 12 km にあたる。
地方飛行場のカッセル・カルデン飛行場と、Schloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿で知られているが、ヴィルヘルムスタール宮殿の南をエッセ川の支流Jungfernbachユングフェルンバッハ川が流れている。
凡そ10~15 km 東から北東にかけて、「伝説の地」ラインハルトの森が広がっている。
写真は古城ホテル(右下の茶色の屋根)とヴィルヘルムスタール宮殿(左から中央に広い庭園に囲まれた宮殿)の俯瞰 -
(見所)
・Schloss Wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿(宿泊先傍の宮殿、美しい庭園を持つロココ様式の城館)
・Kopfsteineコプフシュタイネ(フュルステンヴァルト地区の自然記念物)
・Steinkistengrabカルデンの石櫃(石櫃墓)
写真はCaldenカルデン:広大な庭が前面に広がるSchlosshotel Wilhelmsthal古城ホテル ヴィルヘルムスタール城の俯瞰 -
<(夕食):古城ホテル ヴィルヘルムスタール城・本館のレストラン>
18:30~20:00
Wilhelmsthal 3 、 チップ込みでEuro45.6=5,519円
ホテルの俯瞰写真(前の写真)では真ん中に球形をした大きなレストランがあるが、こちらは団体利用、観光シーズンの時に利用するのだろう。
夕食も朝食も本館のレストランで食べた。
レストランは主にヘッセンの郷土料理を提供すると聞いていたが、メニューを見ると、よく食べる名前が並んでいた。
メイン料理には普通と小の量があり、選び易くありがたい。
飲み物はまずはビールでPilsピルツ0.3LX2人XEuro2.8=5.6、
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:本館のレストラン・ピルツで乾杯です! -
料理は私が定番スープのチーズ・パン入りのZwiebelsuppeオニオングラタンスープEuro4、家内は野菜入りRinderkraftbrueheビーフコンソメEuro4を、
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:オニオングラタンスープ -
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:野菜入りビーフコンソメ
-
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:野菜サラダ
-
メインは私がUngarisches Schnitzelハンガリー風シュニッツェル、パプリカソース、フライドポテトに野菜サラダ添えEuro12.9でした。
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:ハンガリー風シュニッツェル -
メインは家内がJaegerschnitzelイェーガー(猟人風)・シュニッツェルの小、キノコのソース、フライドポテト添えEuro11.9、
慣れた味ながら美味い。満足した。
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:イェーガー(猟人風)・シュニッツェル -
私が食後にコーヒーTasse Kaffee Euro2を飲んだ。
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:食後のコーヒー -
*9月28日(土)~9月29日(日)(1泊2日)
<Schlosshotel Wilhelmsthal古城ホテル ヴィルヘルムスタール>
D- 34379 Calden 、Wilhelmsthal 3
Tel:+49 (0) 5674-92340 、Fax: - 5420
http://www.schlosshotel-wilhelmsthal.de/
https://www.youtube.com/watch?v=GANYl0WtIt0
3星・全20室。3階のNo.19号室DZ・Euro90(朝食込み)。駐車場有1台当たりEuro5=合計95(11,497円)。2本の炭酸入り水250mlがサービスされた。
ホテル正面に向かって左端の部屋が19号室で、電気がちょっと暗く、古びた家具も色が合わない部屋でした。
唯、部屋も浴室もすごく広いからトランクを広げるのには苦労しなかった。
この浴室に置かれていた造花の鉢(陶器製)を家内が窓を閉める際に腕がぶつかり割ってしまった。チェックアウトの際に私がツイ割ってしまったと言うと、御咎めなしだった。
Booking.Comで予約した。チェックイン 14時、チェックアウト 11時。
写真はCaldenカルデン:かつて宮殿のゲストハウスだったSchlosshotel Wilhelmsthal古城ホテル ヴィルヘルムスタール城の正面出入り口 -
ヴィルヘルムスタール宮殿のかつてゲストハウスであったと云う建物が今回宿泊したホテル・レストランである。
カッセルの近郊、北西約 12 km にある。美しい風景庭園を持つロココ建築のヴィルヘルムスタール宮殿のごく近くにある。
レストランは主にヘッセンの郷土料理を提供する。
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:広い居間と寝台 -
Booking.Comへの評価:6.7 、普通
ヴィルヘルムスタール宮殿の見学は十分お釣りがくる。
? ヴィルヘルムスタール宮殿の近くにあったので、宮殿と庭園見学には大変便利であった。レセプション、レストランなど総じてフレンドリーでした。
? かつてヴィルヘルムスタール宮殿のゲストハウスであったと云う建物が今回宿泊するホテル・レストランでした。広さは十分であったものの、イメージしていたものとは少々違って、室内のソファーなどがくたびれていて、残念だった。
・・・・・
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:TVが小さい。 -
写真はカルデン・古城ホテル ヴィルヘルムスタール城:たいへん広い浴室
-
<ヴィルヘルムスタール宮殿の歴史と現在>
ヴィルヘルムスタール宮殿(城)はカッセル近郊にあるのだが、ヘッセン方伯Wilhelm VIII.ヴィルヘルム8世の別荘の宮殿として1743年から1761年に建設された。
元々、1643年にヘッセン方伯(カッセルが首都)Wilhelm V.ヴィルヘルム5世の未亡人Amalie Elisabethアマリエ・エリザベート妃がKloster Helmarshausenヘルマルスハウゼン修道院の持ち物を購入したもので、それにAmalienthalアマリエンタールという名前を付けて、未亡人の余生を送るささやかな別荘として使用していたものである。
宮殿はマイン川より北部において最も歴史的・文化的価値が高いロココ様式の宮殿の1つで、この敷地内には噴水のある大きな庭園が付属してある。
宮殿内は毎日、ガイド付きで見学ができ、2009年以来、欧州庭園遺産にリストアップされた庭園は暗くなるまで一年中自由に入場できるそうだ。
写真はカルデン・Schloss wilhelmsthalヴィルヘルムスタール宮殿:池側からの正面
・・・・・・・・・・・・・
明日はヴィルヘルムスタール宮殿の中や庭園の見学、カッセルの大噴水ショーを見る事にしているので、早めの就寝(家内は21:15、私は資料整理の後に23:00)、夜半雨。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- メンフィスさん 2021/04/17 22:32:22
- うれしく読ませていただきました
- 初めまして。
ザバブルグ・トレンデルブルグのお話をうれしく読ませていただきました。
私は45年近く前、ザバブルグを訪れ、トレンデルブルグホテルに1泊しました。
初めての海外旅行であったことに加え、トレンデルブルグホテルのお部屋は天蓋つきのベッドで、気分は「王女さま」でした。
jiji~さんの旅行記はとっても詳しくて、読み応えがあり、大昔の私の記憶を呼び戻してくれるようで、私にとってゆったりしたうれしい時間となっています。
これからも少しずつ、読ませていただきます。
今の状況を無事脱出できましたら、「私をドイツへお連れください」と、厚かましいおねだりをしたい・・・ これが今の正直な気持ちです。
どうぞ、お元気で。
- jijidarumaさん からの返信 2021/04/18 00:58:25
- RE: うれしく読ませていただきました
- メンフィスさん、
初めまして、今晩は。
ザバブルグ・トレンデルブルグの旅行記に書き込みありがとうございました。
さて、45年近く前に、ザバブルグを訪れ、トレンデルブルグホテルに1泊された由、
逆残すれば、1976年ころとなりますね。それはそれは懐かしい事でしょう。
当時私はデュッセルドルフ駐在で3年目でしたから、この頃は休みというと、
ドイツの観光街道:ロマンチック、メルヘン、古城、ゲーテ、エリカ、アルペン、
ファンタスティック街道という主たる7街道を走り、更にドイツ木組み建築の家
街道なども楽しんでいました。
また、古城ホテル好きでもあり、その滞在も楽しんできました。
定年後もドイツ感傷旅行と称した旅をいまだ続けております。
メンフィスさんの頁にお立ち寄りさせて頂きましたが、まだ入会したばかり
なのでしょう。旅行記でも掲載されて居れば読んで、「いいね」をしようと
思いましたが・・・。
当方、ドイツの旅行記や伝説などが多く恐縮ですが、メンフィスさんの古い
思い出の旅にあたるものもあるかもしれません。
どうぞ又お立ち寄りください。
それではまた、ありがとうございました。
jijidaruma
- メンフィスさん からの返信 2021/04/18 19:18:11
- ありがとうございました。
- 私のページにご訪問くださったとのこと。
申し訳ありません。
私はjiji〜さんにお話したくて「だけ」のために、会員登録をしました。
パソコンもスマホも文字をカチャカチャ、いえ、カチャ、カチャするだけしかできません。(自慢のように言うことではありませんね。)
お仕事で何年も駐在されたとのこと。
大変なことは日々おありだったでしょうが、いい感じにドイツ生活を楽しまれたように私には感じられました。奥さまのお力も大きかったのでしょうね。
さて、もう少し、私のドイツ話をしてもよろしいですか?
私はサベナベルギー航空で羽田からブリュッセルに行き、そして、ハンブルグに入りました。ハンブルグからは、ブレーメン・ハーメルン・ハノーバー・カッセル・フランクフルトへとバス移動し、国内便でミュンヘンへ行きました。ヴェーザー川に沿って・・という感じです。
ミュンヘンでは、ドイツの児童文学者バウマンさんとプロイスラ―さんのお話を聞くという「メルヘンツアー」と題した旅。恩師と名古屋にあった日本で初めてできた児童書専門店メルヘンハウスのご主人が企画してくださった旅でした。
その後、デンマーク・イギリスへ行った15日間でした。
jiji〜さん、すみません。
まだまだ続けてしまいそうです。
こんな私の「昔話」をしゃべりたくて、jiji〜さんにお送りしているんですね。
すみません、ほんとに。
- jijidarumaさん からの返信 2021/04/19 14:01:21
- RE: ありがとうございました。:さらに拝復!
- メンフィスさん、
今日は。再度のコメントありがとうございました。
パソコンもカチャ、カチャするだけ・・・由、長い文章を書くのもそれでは大変でしょうね。でもこうして掲示版にて交信ができるのであれば、4トラのメンバーで楽しむことはできるでしょう。
45年前頃に「メルヘンツアー」と題した旅があった事に、実は少々驚きました。
メルヘンがらみでドイツ・デンマーク・イギリスの15日間の旅、行程を拝読し、それは充実したものになったものだろうと思います。
ドイツ語も学ばれたようにも推測いたしました。
さて、「私はjiji〜さんにお話したくて「だけ」のために、会員登録をしました。」との事、どこでjiji〜が目に入られたのか、それはともかくも大変嬉しいものです。
ドイツ好き、古城好き、伝説、つまりはメルヘン好きということで、旅の日記と共にそうした様々な事柄を書いてきました。
サラリーマン人生でたいへん多くを学んだドイツですので、ドイツにご興味のある方に、ドイツの御紹介もしてみたいという意味もあるのですよ。
<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
の旅行記はお立ち寄り頂きましたか?
ブレーメンに友人夫妻(ご主人は元ブレーメン最高裁の裁判官で、奥方は私のかつてのドイツ時代の日本人部下でした。若い頃から二人を知っており、毎冬のクリスマスカードで何時もブレーメン再訪を聞いてきます)が居りますので、メルヘン街道や北ドイツを訪れる時は必ずブレーメンに立ち寄ります。
定年退職後のドイツの旅もそうですが、「セピア色した思い出」と称して、アルバムの写真をスキャンして、思い出の旅も投稿しています。こちらはメンフィスさんの「昔話」!に合うものもあるかもしれません。
また、「daruma外伝・恥ずかしながら:」といった失敗談も書いております(苦笑)。
それではまた、ありがとうございました。
jijidaruma
追伸:
何時でもお気に入りの旅日記や伝説話を読むのに便利なのは、フォロー・フォロワーの登録をするのが良いでしょう。
まずは当方からフォローさせて頂きます。
- メンフィスさん からの返信 2021/04/21 07:01:14
- ご指南に感謝
- jiji〜さん。
「フォロー・フォロワー登録をするといいですよ」等、ご指南ありがとうございました。
まだ登録はしていませんが、私レベルの方法でjiji〜さんにお会いできています。
それにしても私などへ、ご指導も含めてお相手をしていただけることに感謝!です。
jiji〜さんの「鍵」話、「愛人」話は読んでいました。
旅慣れた方でも、ことばができる方でも、いろいろ「ドラマ」はあるもんだなあと楽しく読ませていただきました。
もう少し、私のことを・・・
ブレーメンでは、現地の子どもたちといっしょに人形劇を観ました。
どんなお話だったかまで忘れてしまいましたが、そういう人形劇文化があるドイツをさすがだなあと思った記憶だけははっきり残っています。
(15日間の旅行でしたが、カメラのフイルムを24枚+36枚しか持参しませんでしたので、ほんの少ししか、写真がありません。)
ハンブルグからフランクフルトまではバス移動したのですが、運転手さんはパリからいらした方、通訳は「クノール温子さん」とおっしゃって、ルフトハンザ航空の客室乗務員をしておられた方。パイロットのご主人と結婚され、ドイツにお住まいでした。
ドイツからデンマークへ移動したのですが、デンマークでの通訳の方は、焼け野が原の日本を後にしたという日本人男性でした。カジノで大儲けしたからと言って、私たちツアーの面々にお酒をごちそうしてくださいました。私は「カクテル」というものを初めて口にしました。赤くておいしいカクテルでした。
北欧家具を買って、船便で送るといいよと教えてもくださいました。
jiji〜さんのお話に日本に持ち帰られたドイツ家具がありましたよね。
まだ21才の私にはそんな知恵も意欲もなく、通訳さんの話だけに終わってしまいました。
が、この通訳さんのお勧めで、コペンハーゲンの銀細工・琥珀のお店で購入した指輪は今もお気に入りです。お揃いのイヤリングもあったのですが、もったいなくて買うことができませんでした。今思えば、「しまった!」です。
当時、1ドル300円ちょっとだったと思います。
10万円持って行ったのですが、5万円しか使うことができませんでした。
これまた、今思うと「しまった!」です。
また、お話させてください。
- jijidarumaさん からの返信 2021/04/22 23:56:11
- RE: ご指南に感謝
- メンフィスさん、
今晩は。書き込みありがとうございます。
私の外伝話もお読み頂けた由、ありがとうございます。
我がドイツ語は外伝に書いている通りで、<恥ずかしながら>という
のがピッタリです。商社と云う所はともかくやって見ろ精神なので、
運動部出身の私を送り出したのでしょう(笑)。
(もっとも、一応社内の海外要員試験は通りました!)
ブレーメンで人形劇をみられたとの事、人形劇文化はヨーロッパは
盛んですね。子供たちもその点羨ましい環境です。そこではやはり
グリム童話が登場し、ドイツらしさを感じた事でしょう。
「ドイツ2012年・麗しの5月:エッティンゲン侯爵家の町は中世祭り」
でもちゃんと子供たちの為にはグリム童話のマリオネット劇場
(人形芝居)も用意されていた。
ご存知でしょうけど、グリム兄弟の町である。シュタイナウ・アン・
デア・シュトラーセ (Steinau an der Strasse)には確か人形劇の劇場・
マリオネット・シアター「ディー・ホルツケッペ」がありました。
昔々、ここで観劇した覚えがあります。
ドイツの子供は早くから自立を求められますが、子供時代は幼稚園を
はじめ恵まれた環境があると感じました。
当時、カメラのフイルムは高いし、旅の荷物にもなるのでどうしても
手持ち数が少なかったのは私も同じでした。
今のようにデジカメでバンバン撮ってしまう時代は隔世の感があります。
古いセピア色の写真はスキャンして4Traにも掲載しますが、そんなわけで
実に撮った写真は少ないですね。
ドイツの黒い森の家具は我が家の宝になりましたが、二度目の駐在が
無ければ、多分購入する機会はなかったでしょう。
最初の勤務ではなかなか大物の家具には目が行かないものです。
当時21歳のメンフィスさん、なかなか行けない海外の旅、北欧家具が
魅力的でも、購入まではいかないのが普通でしょう。
初めて口にした赤くておいしいカクテル、コペンハーゲンの銀細工・琥珀
のお店で購入した指輪、今だにお気に入りとのこと、それは良かった。
欧州の旅は良質の品物も多く、出会いは楽しいものです。
でも、「しまった!」があったぐらいが、旅の思い出も深くなるのでは
ないでしょうか。
私は喜寿の歳、なにやら一回り違うのに気が付きました。
それではまた、御時間があれば、思い出話をやりましょう。
jijidaruma
- メンフィスさん からの返信 2021/04/25 17:14:24
- またまたですが・・
- jiji〜さん。
メールがエンドレスになりそうで、すみません。
「ドイツ2012年・麗しの5月:エッティンゲン侯爵家の町は中世祭り」
はまだでしたので、早速拝読しました。
私がjiji〜さんのお話を好きなのは、「旅ブログ」というより「旅記録」といった
風合いがあるからかな?と思いました。
前々のjiji〜さんのことばに、私がドイツ語を習った云々・・がありましたが、それはありません。私は語学が全くダメで、高校の英語の成績は5段階の3、大学の第二外国語は中国語をとったのですが、×。翌年はフランス語を何とか、クリア。今の英語力は多分、中学1年生レベルもないのでは、と思っています。
それでも、大昔のドイツ旅行で、フランクフルトからミュンヘンへの飛行機の中で、同じツアーの友人と席が離れ、隣り合わせた現地の女性と離陸から着陸までずうっと、話をしていました。何をお話したのか、記憶にはありませんが、多分、英単語を並べていたんだと思います。その私の姿を見て、ツアーにお連れくださった恩師は喜ばれました。気恥ずかしい思い出です。
高校時代、単語テストも苦手でした。単語テストが終わってから登校する(=遅刻する)というめちゃくちゃな高校生でもありました。こんなこと、自慢のようにしてはいけませんね。
さて、ドイツ話です。
私は昨年3月、一念発起して、ひとりでドイツ・ツアー旅行に参加することにしました。地方に住んでいますので、国内便から国際便の乗り換えも初めてで、緊張して出発日を待っていました。
明日出発、という日。
旅行社からツアー中止の連絡がありました。今も続くコロナウイルスの状況が悪化し、外務省がドイツを危険度2の国としたため、という説明でした。
3月の出発までキャンセルをせずにいたこと自体が非常識だったかもしれませんが、「もしかしたら、予定通りには帰って来られないかもしれない。」と思い、1ヶ月程度留め置かれるかも?と、消毒液やウエットテイッシュを大量に準備していました。ただ、航空会社が全日空だったので、外国社よりは、有利かな?といいかげんな判断もしていました。
決して、キャンセル料をケチる気持ちでキャンセルしなかったのではありません。
先に申しましたように、語学×の私がなぜかこの時は勢いでドイツ旅行を決めることができました。なんか、私に次回はないようなそんな気持ちがありました。
あれから1年余。
jiji〜さんの旅行記に出会ったのは、昨年末だったと思います。
昨年、ドイツへは行けませんでしたが、そのおかげでjiji〜さんにこんなメールをさせていただく日が来てくれました。何が幸いか、わかりませんね。
大先輩に使うべき言葉も使えず、失礼な物言いをしますこと、お許しください。
「次回」もまたありそうですが、これまた、お許しください。
- jijidarumaさん からの返信 2021/04/27 01:56:07
- RE: またまたですが・・=>恥ずかしながら!
- メンフィスさん、
今晩は。続いての書き込みありがとうございます。
当方もじっくりと読ませて頂き、それに沿ったコメント御返しする
ようにしております。
その前に、以下のお願いをさせてください。
メンフィスさんの存在と、お読み頂いたこと御示し頂くと、とても
ありがたいのですよ。(私は4Traでは例えば、気に入って読めば
必ずいいね!をさせて頂き、時にはコメントを書き込みます。
長続きしそうな方であれば、フォロー仲間にもなり、掲載がある都度
必ず読み、読んだよという意味でいいね!をしています。
中には毎回お立ち寄りになる方がいて、何一つ反応を示さぬままに読み、見るだけ
していく方が居りました。何やら気持ちが悪く、その方はアクセスブロック
とさせていただいた事があります)
さて、語学の事ですが、私も語学は苦手でした。中学で1学期に英語が4になったら、
父が心配して、私の英語担任の先生に英語の補習を頼んでくれ、2学期に5に復活となりました。忖度!があったのか、私がすこしは出来が良かったのか分かりませんが、お陰で全科オール5で高校入試の内申書に反映されました。
高校に入ったら、最初の英語「ディクテーション」で零点を取りました。クラスの半分は零点でしたが、中には一人100点を取ったのがいて、田舎の中学出と都会の中学出の経験に富んだ者との差を大いに感じてしまったものです。これはずっと後を引き、大学受験の二次面接や、新聞社入社試験の重役面接などで「君、英語の成績は悪いねと!」言われてしまいました。これはよく覚えているのです。別に受かった商社では別に英語云々の話は出ませんでしたが、社内の海外要員試験では英検2級!を取るのに苦労したのです。実務・常識試験はAランクで既に通り、少し遅れて、英検2級も合格し、総合合格となりました。この時の合格者は3人(3年先輩の方と、同期と私)、社内掲示板で合格者が発表され、人事担当常務に呼ばれて、合格書をもらったものです・・・少々自慢話も入ります。
それからすぐに海外派遣人事が決まったのですが、それがドイツ語を要する駐在地で、これには大変困ったものでした。法学部でしたから、フランス語よりドイツ語だろうと選んだものの、大学の教養課程のドイツ語は可、可が並ぶものでしたよ。
メンフィスさんの飛行機の中での会話のように、私のドイツ語の最初は運動部出身らしい気持ちだけのものだった気がします。私のドイツ語は恥ずかしく、なかなか人の話が分かるまでに時間がかかりました。
ドイツの旅、ほんと残念でしたね。
私は同じ頃に麗しの5月の旅を、企画していました。この時は南ドイツのベルヒテスガーデンや、オーストリアのザルツカンマ―グート地域を考えていました。起案だけで、まだ予約もしていませんでしたね。
とにもかくにも、ドイツ好きにとってはドイツがあのような惨状になっていることが、予想以上の事で、ガッカリです。
次回はありますよ。それまで4Traでじっくりドイツの旅を反復して、楽しまれたらと思います。
本日の私の話は「外伝:恥ずかしながら」に該当する話で、フォロー仲間のメールで
やり取りするべきだったかも知れません(笑)。
それではまた。
jijidaruma
追伸:
話は変わりますが、既にワクチンは接種済みですか?
我が千葉の田舎の町も本日26日、接種申し込みが開始されました。
電話とWebの申し込みで、当地は高齢者数が多いから、私はまず無理だと思いながら、パソコンと電話で、午前8時半の開始時間に申し込みしました。
予想通り、いずれも申し込みが殺到し、つながらないまま、断念しました。
午後になって、その後の状況に変化有りやと、試しにWebでトライしてみると、なんとこれがつながり、予定の場所ではなかったのですが、上手く夫婦二人分が同一場所、同一日時で第一回の予約が完了しました。
それにしても、TVで見る、どちらの市町村もドタバタ騒ぎ、困った事です。
- メンフィスさん からの返信 2021/04/28 20:20:22
- 「いいね」しました
- jiji〜さんのご指導にありましたように、「いいね」をしました。
たったこれだけのことですのに、ドキドキしました。
既に読ませていただいた何篇かもあるのですが、せっかくですので、明日以降、
再度お読みしてから、「いいね」をさせていただきます。
とりあえず、コロナワクチンについてのみ・・
私はサルやイノシシ・シカによる農作物被害のある山里に住んでいます。
ワクチンは地域にある総合病院で接種予定です。
各自治会単位でバスが出ます。病院の駐車場が接種者の数以上はないというのが理由のようです。半月ほど前に、そのバスを利用するかどうかの確認がありました。
私たち夫婦は「お願いします」と申しました。
(田舎ですので、家族の大人・人数分の車がどの家にもあり、それに軽トラックが加わります。)
早くて5月末に接種となりそうです。
私は1日でも早く接種をお願いしたいのですが、1才上の夫は「悩ましいなあ」と申します。夫婦でも、思いは違いますね。
では、失礼します。
- jijidarumaさん からの返信 2021/04/29 00:48:58
- Re:「いいね」しました
- メンフィスさん、
今晩は。書き込みありがとうございます。
当方の趣旨をご理解いただき、ありがとうございました。
取り急ぎ御礼まで。
jijidaruma
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カッセル(ドイツ) の旅行記
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旅行記グループ 2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道を行く。
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