2019/09/18 - 2019/10/03
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jijidarumaさん
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<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
9月21日(土)⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
9月21日(土)⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
9月22日(日)⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
9月22日(日)⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉。
9月22日(日)⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果たしたのか?
9月23日(月)⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市街
9月23日(月)⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城ホテル ブロムベルク城に2泊。
写真はレムゴー:ヴェーザールネサンス建築のRathaus市庁舎
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月23日(月) 162km、 小雨(シャワー)後曇り、16℃
Rintelnリンテルン旧市街14:45 =>B238 32km Lemgoレムゴー旧市街 15:30~16:40=>B66 (Barntrupバルントルプ)=>B1 25 km Blombergブロムベルク・古城ホテル ブロムベルク城に17:20着。
写真はリッペ侯国1918年の地図と各都市の位置 -
*Rintelnリンテルン14:45出発。32kmを走ると Lemgoレムゴー旧市街に15:30到着である。
いずれの町も近いからと今日の行程に入れたが、レムゴーはリンテルンよりさらに人口も多く、大きい町だけに経済的にも豊かさを感じる石造破風建築や木組み破風の家並みが素晴らしく、1時間の駐車時間(16:38まで)をとったものの、やはり観光には時間が短くせわしいこととなった。
写真はWappen_Lemgoレムゴーの紋章
紋章は銀地(白地)の盾に、金色(黄色)の蘂を持つ5弁の青いバラ。 -
この町はBegaベガ川(距離43.9km、レムゴーの町を流れるWerraヴェラ川の支流=>ヴェーザー川)に沿って発展した。
北にMindenミンデン(29km)、西にBielefeldビーレフェルト (25 km)、南にDetmoldデトモルトとPaderbornパーダーボルン (36 km) の各都市がある。
リンテルンの町と同じように、かつての市城壁Wallヴァルの名が付く通り(例えばLindenwall菩提樹のヴァル)が周囲を楕円形に囲んでいる。
楕円形の西にパークハウスのWuesteヴェステがある。ここから中心のマルクト広場まではRampendalラムペンダル通りを歩き、一直線の通りは分かりやすかったが距離があった。
写真はLemgoレムゴー:1663年頃のレムゴー -
<Lemgoレムゴー>
15:30~16:40 駐車料金 Euro1.5
レムゴーはノルトライン・ヴェストファーレン州リッペ郡(オストヴェストファーレン・リッペ地方)の大学都市であり、人口約 41千人の中都市である。
レムゴーは1190年頃にその北西方向の乾燥した土地にBernhard II. zur Lippeベルンハルト2世・リッペ伯によってLippstadtリップシュタットの町と共に創設された。
2本の重要な中世の交易路が交差する場所であった為に発展し、長い間Lippeリッペ伯領内において最大で最も重要な都市であった。
写真はLemgoレムゴー旧市街:Fachwerk-Giebelhaus木組み破風の家(1575年)・Mittelstrasseミッテル(中)通り 124 -
レムゴーは現在ゾースト郡に属すリップシュタットと並んでリッペで最も古い都市の一つで、1245年から帝国自由都市権を有しており、中世後期にはハンザ同盟に加盟した。
この事もあり、「Alte Hansestadt Lemgoアルテ・ハンゼシュタット・レムゴー」(古いハンザ都市レムゴー)を称している。
写真はレムゴー旧市街:ヴェーザールネサンス建築の木組み家の模様も美しい -
(旧市街の切妻造りの木組み建築あるいは石造破風建築)
まず、インフォーメーションで案内書と地図を手に入れ、Rampendalラムペンダル通りとMittelstrasseミッテル(中)通りの二つの道に挟まれた地域、そして北ドイツで最も美しいと云うマルクト広場を中心に見る事に決めた。
それで東に外れたSchloss Brakeブラーケ城は断念する事になった。
写真はレムゴー旧市街:Steingiebelhausシュタイン・ギーベルハウス石造破風建築の家 Mittelstrミッテル(中)通り 104
ヴェーザールネサンス様式(1555年)で建てられた市民の家。 -
イチオシ
レムゴーの歴史的中心街は幸いにも第二次大戦をほぼ無傷で切り抜け、見事な後期ゴシック様式やヴェーザールネサンス様式の商人の館や木組み建築が残っている。
たとえばBreitestrasseブライテ通り45にある「Neustaedter Zwillinge ノイシュテッター・ツヴィリンゲ(新しい町の双子):20世紀初めの商人の館、47番地はH・Drake-Haus政治家ハインリヒ・ドレークの生家」や、かつての貴族の館のような装飾豊かな破風をもつ木組み建築あるいは石造破風建築がある。
大部分が歩行者専用区域に指定されたショッピング街のMarktplatzマルクト広場やMittelstrasseミッテル通り、Breitestrasseブライテ通り、Echternstrasse エヒテルン通り沿いに最も重要な民家群が存在している。この他にも旧市街内には、15世紀から19世紀まで、数百棟の小さな木組み建築が遺されている。
写真はレムゴー旧市街:Fachwerk-Giebelhaus木組み破風の家 Mittelstrミッテル(中)通り 102 -
以下は代表的な建物について纏めた。
マルクト広場周辺:
①Rathaus市庁舎:Marktplatzマルクト広場1番地、市庁舎は様々な時代に増築された部分からなるヴェーザールネサンス建築である。最も古い部分は長く伸びたホールで、13世紀まで遡る。中央部分はゴシック様式で1480年から1490年頃に建設された。内部には裁判所を含む執務室がある。1階が開放構造になっているのは中世の市庁舎が多くに見られる構造で、ここで公開裁判が行われた。
最も新しいのは15世紀から16世紀に建造されたヴェーザールネサンス建築である。
アポテーケンエルカー同様の建築が市庁舎北面の入口階段部分に見られる。新しい市庁舎部分は簡素に造られており、マルクトファサードがアポテーケンエンカーを縁取っている。
写真はレムゴー旧市街:Mittelstrミッテル(中)通り83・85 -
②Apotheker-Erkerアポテーカーエルカー: Marktplatzマルクト広場、市庁舎の右横にある。1611~12年に建てられたリッペ地方初めての薬局である。アポテーカーエルカー(薬局の出窓)は荘重さと軽快さを同時に兼ね備えた、あまり他に見られない見事さだ。
③Winteppenhausヴィンテッペンハウス:マルクト広場のアポテーカーエルカーや市参事会の建物の並び、ラーツシュツーベの隣、アルテ・ラーツバーゲの反対側に立つ建物(1589年)をウィンテッペンハウスと呼ぶ。ワイン商人のWinteppenがここにワイン倉庫をもち、商いをしていた。建物中央の窓の上に町の紋章と碑文が描かれている。
④Ballhausバールハウス:Marktplatz 3番地、広場の南に位置し、1608~09年に建てられた赤茶色の建物でかつての球戯場である。後に舞踏会としても利用されたが、現在は官庁になっている。
写真はレムゴー旧市街:石造破風建築の家Massivhausマッシブハウス1907年・ Mittelstrミッテル(中)通り 76 -
⑤Alte Ratswaageアルテ・ラーツバーゲ“:Marktplatzマルクト広場5番地、バールハウスの右手にあるシュッタットバアーゲ(市計量所)は1562年建築。
⑥Wippermannhausビッパーマンハウス: Kramerstarsseクラマー通り5番地、商人ギルド家族で蒸留酒製造所の経営者の家(1576年)。
写真はレムゴー旧市街:19世紀末から20世紀初頭のMarktplatz_mit_Rathausレムゴーの市庁舎とマルクト広場 -
④Ballhausバールハウス:
Marktplatz 3番地、広場の南に位置し、1608~09年に建てられた赤茶色の建物でかつての球戯場である。
後に舞踏会としても利用されたが、現在は官庁になっている。
写真はレムゴー旧市街:石造破風建築の家Ballhausバールハウス・Marktplatzマルクト広場3 -
ミッテル通り左から右に:
①Planetenhausプラネテンハウス:Mittelstrasseミッテル通り36番地 、下の部分は石造りで上部が木組みという市民の家で、この形式も多く見られた。木組み部分には芸術的な彫刻が施されたもので1590~95年の建築だ。
②Haus Sonnenuhr:ハウス・ゾンネンウアー(日時計・1546年):Mittelstrasseミッテル通り26番地、後期ゴシック様式の石造り切妻作りの家はレムゴーの町で典型的なもので、家の間に狭いゲート通路が設けられている。
③Steingiebelhausシュタイン・ギーベルハウス:Mittelstrasseミッテル通り104番地、
ヴェーザールネサンス様式(1555年)で建てられた市民の家。
写真はレムゴー旧市街:Marktplatz_mit_Rathausレムゴーの市庁舎とマルクト広場 -
ブライテ通り、パーペン通り、エヒテルン通り:
①Krughausクリューグハウス:Breitestrasseブライテ通り64、1576年築のかつての酒場、豊かな彫刻を施されたルネサンス様式の破風をもつ最も見事な民家の一つである。
②Hexenbuergermeisterhausヘクセンビュルガーマイスターハウス(悪魔の市長の家):
Breitestrasseブライテ通り19番地(開館は火~日の10時から17時まで)
マルクト広場からBreitestrasseブライテ通り南に下ると、19番地左に見える建物が折角訪ねた「悪魔の市長の家」で、この日は月曜日故、休館だった。ドイツ駐在時に見たからいいかと、戻ったのだが・・・。
ここはヴェーザールネサンス時代のファサードを持つ、1571年建造の「ヘクセンビュルガーマイスターハウス」(悪魔の市長の家)と呼ばれる建物で、ファサードには広い搬出口の下にオランダ建築の影響を受けた「ウトルフト」と呼ばれる出窓がある。
レムゴーの暗黒時代を思い起こさせる建物で、17世紀、ここには魔女狩りで指導的な役割を果たした市長ヘルマン・コートマン(1629年~1683年)が住んでいた。レムゴーでは1681年(最後に告発されたのはマリア・ランペンダールという人物であった。彼女は拷問に屈せず、命を長らえたが、この町から去らねばならなかった)までに魔女狩り・異端裁判で 272人の男女が命を奪われた。これによりレムゴーは「レムゴー、悪魔の巣」という渾名で知られた。博物館には拷問器具の復元が展示されている。
③Zeughausツォイクハウス:Papenstrasseパーペン通り9番、1548年に建てられた武器庫だと云う。
④Adelshofアーデルホフ:Papenstrasseパーペン通り24番、古い東ヴェストファーレンとリッぺ地方の貴族Franz II von Kerssenbrock ケルセンブロック家のフランツ2世(1565年頃)の館。魅力的で、パーペン通りに向き合う細長く、最も大きな邸宅です。尚、その昔駐在中に宿泊したHotel Stadtpalaisホテル・シュタットパレス は同じ住所のPapenstrasse 24番地の隣家になる。
⑤Kirche St. Nicolai聖ニコライ教会:Papenstrasseパーペン通り11番、レムゴーの町の創立後、最初の教会として1190年代に旧市街に建てられた。
⑥Altes Backhausアルテス・バックハウス:外周通りのEchternstrasse エヒテルン通り92番地のレストランはたいへん特徴的な縞模様の飾り漆喰が施されたヴェーザールネサンス建築の典型例の木組みの家である。
(尚、参照にしたものはListe der Baudenkmaeler in Lemgo)及び
http://www.fotografie-architektur.de/stockphoto-galerie-2a-l02.html
写真はレムゴー旧市街:Marktplatz_mit_Rathausレムゴーの市庁舎とマルクト広場・・・上とは逆の方向から -
③Winteppenhausヴィンテッペンハウス:
マルクト広場のアポテーカーエルカーや市参事会の建物の並び、ラーツシュツーベの隣、アルテ・ラーツバーゲの反対側に立つ建物(1589年)をウィンテッペンハウスと呼ぶ。
ワイン商人のWinteppenがここにワイン倉庫をもち、商いをしていた。建物中央の窓の上に町の紋章と碑文が描かれている。
写真はレムゴー旧市街:左にRatsstubenerker ラーツシュツーベと、右の Winteppenhausヴィンテッペンハウス -
写真はレムゴー旧市街:Ratkammergiebel市参事会・石造り切妻作りの建物は1480年、後期ゴシック様式。
-
⑤Alte Ratswaageアルテ・ラーツバーゲ“:
Marktplatzマルクト広場5番地、バールハウスの右手にあるシュッタットバアーゲ(市計量所)は1562年建築。
写真はレムゴー旧市街:Alte Ratswaageアルテ・ラーツバーゲ 1562年 -
⑥Wippermannhausビッパーマンハウス:
Kramerstarsseクラマー通り5番地、商人ギルド家族で蒸留酒製造所の経営者の家(1576年)。
写真はレムゴー旧市街:Wippermannhausビッパーマンハウス・クラマー通り5番地 -
②Haus Sonnenuhrハウス・ゾンネンウアー(日時計・1546年):
Mittelstrasseミッテル通り26番地、後期ゴシック様式の石造り切妻作りの家はレムゴーの町で典型的なもので、家の間に狭いゲート通路が設けられている。
写真はレムゴー旧市街:右の建物Haus Sonnenuhrハウス・ゾンネンウアー・日時計(1546年)が中央上部に見える -
イチオシ
②Apotheker-Erkerアポテーカーエルカー(薬局の出窓):
Marktplatzマルクト広場、市庁舎の右横にある。1611~12年に建てられたリッペ地方初めての薬局である。アポテーカーエルカー(薬局の出窓)は荘重さと軽快さを同時に兼ね備えた、あまり他に見られない見事さだ。
写真はレムゴー旧市街:Apotheker-Erkerポテーカーエルカー(薬局の出窓) -
写真はApotheker-Erkerアポテーカーエルカー(薬局の出窓)の部分拡大
-
写真はレムゴー旧市街:Apotheker-Erkerアポテーカーエルカー(薬局の出窓)
-
イチオシ
①Rathaus市庁舎:
Marktplatzマルクト広場1番地、市庁舎は様々な時代に増築された部分からなるヴェーザールネサンス建築である。最も古い部分は長く伸びたホールで、13世紀まで遡る。中央部分はゴシック様式で1480年から1490年頃に建設された。内部には裁判所を含む執務室がある。1階が開放構造になっているのは中世の市庁舎が多くに見られる構造で、ここで公開裁判が行われた。
最も新しいのは15世紀から16世紀に建造されたヴェーザールネサンス建築である。
アポテーケンエルカー同様の建築が市庁舎北面の入口階段部分に見られる。
新しい市庁舎部分は簡素に造られており、マルクトファサードがアポテーケンエンカーを縁取っている。
写真はレムゴー旧市街:ヴェーザールネサンス建築のRathaus市庁舎の模様も美しい -
①Krughausクリューグハウス:
Breitestrasseブライテ通り64、1576年築のかつての酒場、豊かな彫刻を施されたルネサンス様式の破風をもつ最も見事な民家の一つである。
写真はレムゴー旧市街:1576年築のかつてのKrughaus酒場・Breitestrasseブライテ通り64 -
イチオシ
⑥Altes Backhausアルテス・バックハウス:
外周通りのEchternstrasse エヒテルン通り92番地の破風が美しいレストランはたいへん特徴的な縞模様の飾り漆喰が施されたヴェーザールネサンス建築の典型例の木組みの家である。
かつてのパン屋は最も見事な民家の一つで、現在はピザレストラン。
写真はレムゴー旧市街:Giebel_Altes_Backhaus・Echternstrasse エヒテルン通り92 -
参考:
Lemgoレムゴーの伝説:要塞都市レムゴーの攻城戦で雄牛を贈った話 尚、番外編参照。
https://4travel.jp/travelogue/11557360
Lemgoレムゴーの伝説:「ビール酒税」の導入と「ビール樽の紛争」が生んだ宰相の泉
https://4travel.jp/travelogue/11538916
「爆弾ベルンハルト」と畏怖されたミュンスターのガレン侯爵司教のこと
https://4travel.jp/travelogue/11559131
写真はレムゴー旧市街:H・Drake-Haus政治家ハインリヒ・ドレークの生家・Breitestrasseブライテ通り47 -
イチオシ
(注)ドイツで最も美しい10の木組み建築都市の一つにレムゴーは選ばれている。
次のデータではこんな風になっていた。
https://www.reisereporter.de/artikel/2843-staedtereise-in-deutschland-das-sind-die-schoensten-fachwerkstaedte
Bamberg、Quedlinburg、Lemgo、Tuebingen、Rothenburg ob der Tauber、Bernkastel-Kues、Meissen、Bacharach、あと2つは??(22.12.2017)
写真はレムゴー旧市街:20世紀初めの商人の館、Neustaedter Zwillingeノイシュテッター・ツヴィリンゲ(新しい町の双子)・左がBreitestrasseブライテ通り45 -
イチオシ
②Hexenbuergermeisterhausヘクセンビュルガーマイスターハウス(悪魔の市長の家):
Breitestrasseブライテ通り19番地(開館は火~日の10時から17時まで)
マルクト広場からBreitestrasseブライテ通りを南に下ると、19番地左に見える建物が折角訪ねた「悪魔の市長の家」で、この日は月曜日故、休館だった。
ドイツ駐在時に見たからいいかと、戻ったのだが・・・。
ここはヴェーザールネサンス時代のファサードを持つ、1571年建造の「ヘクセンビュルガーマイスターハウス」(悪魔の市長の家)と呼ばれる建物で、ファサードには広い搬出口の下にオランダ建築の影響を受けた「ウトルフト」と呼ばれる出窓がある。
レムゴーの暗黒時代を思い起こさせる建物で、17世紀、ここには魔女狩りで指導的な役割を果たした市長ヘルマン・コートマン(1629年~1683年)が住んでいた。レムゴーでは1681年(最後に告発されたのはマリア・ランペンダールという人物であった。彼女は拷問に屈せず、命を長らえたが、この町から去らねばならなかった)までに魔女狩り・異端裁判で 272人の男女が命を奪われた。
これによりレムゴーは「レムゴー、悪魔の巣」という渾名で知られた。博物館には拷問器具の復元が展示されている。
写真はレムゴー旧市街:Hexenbuergermeisterhausヘクセンビュルガーマイスターハウス(悪魔の市長の家)・Breitestrasseブライテ通り19番地
1時間にしてはよく見て歩いた。切妻造りの木組み建築あるいは石造破風建築の多さに驚いた。 -
1970年代半ばの駐在中、ハノーファー見本市を訪れた時、帰途にHotel Stadtpalaisホテル・シュタットパレス(Papenstrasse 24)に泊まり、この町を見物した。
悪魔の市長の家の印象だけが残り、他の素晴らしかった建物にはあまり興味が無ったようで、記憶も薄いのだ。
尚、Adelshofアーデルホフ:Papenstrasseパーペン通り24番、古い東ヴェストファーレンとリッぺ地方の貴族Franz II von Kerssenbrock ケルセンブロック家のフランツ2世(1565年頃)の館。魅力的で、パーペン通りに向き合う細長く、最も大きな邸宅ですが、Hotel Stadtpalaisホテル・シュタットパレス は同じ住所のPapenstrasse 24番地の隣家になる。
写真は現在の改装された様子のHotel Stadtpalaisホテル・シュタットパレス -
参考:
Schloss Brakeブラーケ城・ヴェーザールネサンス博物館:
Schlossstrasse 18
ベルギー国境に勢力を拡大していったリッペ家のルネサンス様式の城。
1190年、Bernhard II. zur Lippeベルンハルト2世・リッペが北ドイツで一番大きな堀を巡らせた中世の城を建てた。城の一番高いレムゴー塔はハンザ同盟で栄えた町のランドマークとなっている。
16世紀末にSimonⅥvon Lippeジーモン6世・リッペ伯によって堂々たるヴェーザールネサンスの城館に改築された。ジーモン6世は芸術文化に造詣が深く、プラハの宮廷に皇帝ルドルフⅡ世の特使としてオランダのルネサンス文化を伝えた。またコレクションも熱心に集め、レムゴー塔からは星の観測もした文化人だった。
1663年にはGraf Kasimir zur Lippe-Brakeカシミール・リッペ・ブラーケ伯は城の北にバロック様式の庭園を増設。
しかし、19世紀になるとブラーケ城は誰も住まなくなり、城は競売にかけられた。その後、ワイン醸造所になったりしたが、1986年よりWeserrenaissance-Museumヴェーザールネサンス博物館となっている。当時の芸術、文化、生活の一端を紹介している。Oelmuehleエルミューレは稼働可能な水車で、水車博物館を併設している。
写真はレムゴーの東に外れたSchloss Brakeブラーケ城・ヴェーザールネサンス博物館の俯瞰 -
尚、この町の名物にLipper Schuetzenリッパー・シュッツェンがある。レムゴーのBrennerei Schoettkerシェトカー蒸留所で作られる有名な蒸留酒で、穀物酒である。この酒は、1815年頃のリッペ侯国の制服姿の兵士をモデルにした瓶に詰めて販売されている。土産に購入しなかったが。
写真はレムゴー旧市街:2019.09.23.Lemgoレムゴー名物:Lipper_Schuetze蒸留酒リッパー・シュッツェン
・・・・・
16:40レムゴーのパークハウスのヴェステを出て、本日の宿、Blombergブロムベルクの古城ホテル ブロムベルク城に17:20着いた。距離は25 km。 -
<Blombergブロムベルク>
ブロムベルクはノルトライン・ヴェストファーレン州リッペ郡(オストヴェストファーレン・リッペ地方)の人口約 15千人の町である。
Bielefeldビーレフェルトから南東に(45 km、Detmoldデトモルトから東に15kmの距離にある。
写真はWappen_von_Blombergブロムベルクの紋章
緑地に、赤い尖塔屋根をもつ銀色(白)の城。門の開口部に金色(黄色)の蘂をもつ赤いバラ。
紋章の図柄はブロムベルク市の13世紀に存在していたことが証明されている印章を起源とする。中世の印章には、現在も描かれている 3本の塔とリッペ侯国のバラが頻繁に用いられている。市を象徴するブロムベルク城とかつての領主の紋章であるリッペのバラとが組み合わされているのである。 -
13世紀にGraf Bernhard Ⅲ. ベルンハルト3世伯が創設したもので、古くからの旧市街が残り、宿泊先のBurghotel Blomberg古城ホテル ブロムベルク城がある。
鍵はNo.163号室、一の丸に改築した新しい部屋で、部屋の扉にKemenate der Edlen、 Freiherr von Fuerstenberg貴族の部屋・フュルステンベルク男爵という名称がついていました。古城ホテルには最近こうした事が多くなった。ちょっと他の部屋の名前も見たくなった。因みにフュルステンベルク家はヴェストファーレンやライン地方の貴族だそうだ。
写真はBlombergブロムベルク:1868年頃のブロムベルク -
この辺りを何度か通過しており、ホテルは記憶にある。
案内板も直ぐ見つけて、丘の上の町に登った。狭い城門をくぐり、中庭に出ると、結構宿泊客があるようで、駐車している車も多かった。ホテル入口傍まで行って、駐車をして、直ぐにチェックインした。
写真はBlombergブロムベルク:Burghotel Blomberg古城ホテル ブロムベルク城の城門入口・・・狭い城門をくぐると中庭 -
鍵はNo.163号室、一の丸に改築した新しい部屋で、部屋の扉にKemenate der Edlen、 Freiherr von Fuerstenberg貴族の部屋・フュルステンベルク男爵という名称がついていました。
古城ホテルには最近こうした事が多くなった。ちょっと他の部屋の名前も見たくなった。因みにフュルステンベルク家はヴェストファーレンやライン地方の貴族だそうだ。
念願の古城ホテルに2泊にする。暖炉のあるレストランの食事も楽しみだ。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:Burg-Innenhof中庭・・・右にレセプションブルクホテル ブロムベルグ ホテル
-
《*9月23日(月)~9月25日(水)Blombergブロムベルク(2泊3日)
Clarion Collection Burghotel Blomberg古城ホテル ブロンベルク城》
D-32825 Blomberg 、Burg 1
Tel:+49 (0) 5235 5001-0 、Fax: - 45
http://www.burghotel-blomberg.de/
4星・全53室。2階No.163号室、Vorburg一の丸に改築した新しい部屋で、部屋の扉にKemenate der Edlen、Freiherr von Fuerstenberg貴族の部屋・フュルステンベルク男爵とあった。Euro213.4+朝食代Euro14X2X2=56(2泊)、駐車場料(一日Euro2x2=4)、合計273.4=33,014円。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:扉にKemenate der Edlen、Freiherr von Fuerstenberg貴族の部屋・フュルステンベルク男爵とあった。 -
また、朝食・昼食・夕食を希望する場合は其々1泊1人あたりEuro14、Euro30、Euro30で予約できる。(但し、昼食は遠出の為、夕食のみホテルで1回食べた)
Booking.Comで2泊予約した。チェックイン14時、チェックアウト11時。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:フュルステンベルク男爵の名が付く2階No.163号室 -
リッペ侯国の首都であったDetmoldデトモルドから15kmの距離にあり、司教区であったPaderbornパーダーボルンから50km北東、ハノーファー空港には80kmである
写真は古城ホテル ブロムベルク城:フュルステンベルク男爵の名が付く2階No.163号室 -
ブロンベルク城の歴史:
その昔、ゲルマン人がローマ軍団と雌雄を決したトイトブルクの森からヴェーザー川に沿って丘陵地帯が続く。
東ヴェストファーレン・リッペ地方にあって、かつてこの地域を支配したリッペ侯国 (12世紀の騎士Bernhard Iベルンハルト1世にはじまり、1613年にリッペ・デトモルト侯国となり、1905年にリッペ侯国になる)があった。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:フュルステンベルク男爵の名が付く2階No.163号室 -
ブロンベルク城は1231~1255年にかけて、騎士Bernhard III ベルンハルト3世によって築城されたもので、リッペ侯国の主たる城館となっていた。
1962 年、ブロンベルクの町がSchaumburg-Lippeシャウムブルク・リッペ侯家(Bueckeburgビュッケブルクに宮廷が置かれた)から居城を買い取り、更に1974年に州政府が譲り受け、城館を補修・改装の上、ホテルをオープンした。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:フュルステンベルク男爵の名が付く2階No.163号室 -
Booking.Comへの評価:7.1 、良い
この地域の観光の中心地に位置しており、次回も是非宿泊したいと思う。
1)かつて近くを通っても一度も訪れなかった古城ホテルだったので、念願がかなった思いがある。モダンで、機能的だが、部屋には男爵の名が付くなど、古城ホテルらしき雰囲気も良く残していて、満足した。
2)2泊したのはVorburg(一の丸と思しき場所)で、出来れば本館に泊まりたかった。 4星ながら、お水の無料サービスなし。 浴用ガウンあり。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:フュルステンベルク男爵の名が付く2階No.163号室 -
<(夕食):古城ホテル ブロムベルク城レストラン暖炉の間>
19:00~21:00 夕食代はEuro91.4=11,061円
ドイツの郷土料理をメインするレストランで、暖炉が中央にあり、割石の壁も重々しく、まだ改装されたばかりの感じもして、中々雰囲気の良いレストランである。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:Kaminrestaurant暖炉の間レストラン -
この夜は8人ぐらいの団体客が賑やかに、若い二人が暖炉傍の席に座っていました。その他のお客たちを加えると全体で二十人弱のお客です。
席数からするともう少し多くてもと思いましたが、給仕さんが4人でしたから、この夜は丁度良かったかも。
写真は古城ホテル ブロムベルク城:Kaminrestaurant暖炉の間レストランは結構明るいレストラン内です。 -
飲み物は
Bad Meinberger バート・マインベルガー(300年前からバート・マインベルクの町のミネラルウォーターは知られていた。この水は1971年から「バート・マインベルガー」の商標名で販売されている)の水0.75Lを1本Euro7、
食前酒はシェリー酒TioPepe Euro4.5X2=9、
ワインはグラスで白のRheingauラインガウのRieslingリースリングEuro6.2X2=12.4、合計Euro28.4でした。
食前酒(19:18)で乾杯し、料理の注文をする。今夜は昨夜のレストランWalhallaヴァルハラで食べたように少なめの3品料理を頼みました。
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:食前酒はシェリー酒TioPepeと毎回同じ^^ -
しかし、出てきた料理は比較的量も多い郷土料理、スープもメインも十分過ぎた料理でした。
シェフの御挨拶(19:24)はサーモンのマリネでしょうか。
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:シェフの御挨拶:サーモンのマリネ -
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:
-
スープ(19:37):
私がサツマイモと人参のクリームスープにハーブとキノア(キヌア種子)入りEuro6と、
家内が白いトマトのクリームスープにバジルとクロース(クネーデル)が入ったものEuro6、
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:家内の白いトマトのクリームスープ -
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:私のサツマイモと人参のクリームスープ
-
メイン(19:58):
私はSchwarzfederhuhn黒羽鶏(ブラックチキン)にローズマリーソース、若いネギとニンジンに円筒形のジャガイモクロケット添えEuro21.5、
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:黒羽鶏(ブラックチキン) -
家内はBlomberger Burgkruestchenブロムブルク城の*クルエッチェン料理:
目玉焼き、豚肉、見るからにReibkuchenライブクーヘン(ジャガイモを摩り下ろし、小麦粉と混ぜて揚げた物)のような品が底に置かれていた。飾り付けも多く、さらに小さな!(これだけでお腹がいっぱいになりそう)サラダの一皿が添えられていた。ライブクーヘンは本来のトースト、フライドポテト、ローストポテトを使う代用品のようだ。Euro21.5。
*KruestchenクルエッチェンはRheinlandラインラント、Sauerlandザウアーラント、Bergischen Landベルギッシュランド、Siegerlandシーゲルランドの地域的な表現で、パン粉=パンの端の意味を持つ口語だそうだ。
クルエッチェン料理は一般的にRoggenbrotライ麦パンやToastbrotトーストパンのスライスした上にSpiegelei目玉焼きとSchnitzelシュニッツェルを載せた料理です。
また、Kartoffelsalatポテトサラダ、Pommes fritesフライドポテトまたはRoestkartoffelnローストポテトを添えています。
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:メイン:ブロムブルク城の*クルエッチェン料理 -
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:メインを前に二人を撮って頂いた
-
デザート(20:37):
Eisbecherアイスベッヒャー=サンデー、アメリカで生まれたアイスクリーム(ここのデザートはシャーベットでした)を主にしたデザート。
アイスクリームにシロップやチョコレートや果物のソースをかけ、ナッツやチェリーの実などを載せるデザートだそうで、Euro1.5X2=3。
料理はチップ込みでEuro63でした。
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:デザート・Eisbecherアイスベッヒャー -
古城ホテルのレストランは郷土料理らしいもので、料理の名前も独特でした。疲れていた所為もあるが、量も多いなと、味も塩気を強く感じたものです。
写真はブロムベルク城・暖炉の間レストラン:3品目のデザート
・・・・・
23時半就寝。この旅用にキャノンのデジカメを購入し、この日初使用したので、撮った写真を寝る前にチェックした。
慣れないので、撮影をツイ連写にしたこともあった。
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