TTukomiさんのクチコミ(45ページ)全2,291件
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投稿日 2021年02月21日
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投稿日 2021年02月21日
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投稿日 2021年02月14日
総合評価:1.5
鞆の浦は狭い土地に神社仏閣がひきしめあいながら建っているが、沼名前神社は広い境内を持つ別格の場所であった。
境内には、国の重要文化財・豊臣秀吉ゆかりの沼名前神社能舞台がある。
豊臣秀吉が京都伏見城に設置したと伝えられる能舞台は、福山城築城の際に、二代将軍徳川家忠から福山藩初代藩主水野勝成が譲り受けた。
簡単に分割して移動できる『移動式能舞台』で,戦場でも随時組み立てて使用できる大変珍しい能舞台。
当時の持ち運びの道のりを想像、豊臣秀吉の権力を実感。
残念ながら戸板で囲まれ外観しか拝見できず。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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坂本龍馬の隠れ部屋桝屋清右衛門宅(鞆の浦):坂本龍馬の名を利用した観光客寄せ
投稿日 2021年02月20日
総合評価:1.0
1867年に起きた「いろは丸事件」の時に、坂本龍馬が廻船問屋を営んでいた商家に滞在した場所。滞在期間は4日のみ。
命を狙われていた龍馬が身を潜めた屋根裏の隠し部屋を一般公開している。
入場料:200円
開館時間:9:00~16:30
休館日:火・水・木曜日
歴史の大きな転換となった場所でもなく、僅かにしか足跡のない鞆の浦に坂本龍馬の名を利用した観光客寄せの場所だ。- 旅行時期
- 2020年12月
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投稿日 2021年02月20日
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いろは丸事件談判跡(鞆の浦):坂本龍馬の名を利用した観光客寄せ
投稿日 2021年02月20日
総合評価:1.0
坂本龍馬が鞆の浦で滞在したのは、いろは丸事件の処理でいた4日間のみ。あたかも坂本龍馬が深く鞆の浦に関わりがあり、歴史的な大きな1ページかのように思わせる坂本龍馬の名を騙った観光客寄せのような場所。
いろは丸事件とは、1867年瀬戸内海で紀州藩「明光丸」に坂本龍馬の「いろは丸」が衝突され沈没した事件。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だったので、鞆の浦の旧魚屋萬蔵宅で補償の談判が行われた。そこに碑が立ってるだけ。
旧魚屋萬蔵宅は家屋が修復され、宿泊・食事・喫茶もできる「御舟宿いろは」となっている。- 旅行時期
- 2020年12月
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投稿日 2021年02月14日
総合評価:1.0
江戸時代中期から明治時代にかけて保命酒の醸造販売で栄えた鞆の浦屈指の大商家の太田家住宅が鞆七卿落遺跡。
囲い込めるだけの大きな住宅であった。
太田家住宅の入場料は、400円。
「七卿落遺跡」の名の由来は、1863年(文久3年)薩摩藩・会津藩などの公武合体派が画策した八月十八日の政変において、失脚した尊王攘夷派の三条実美ら7人の公家が京都を追放され長州藩へと落ち延びた事件で、三条実美ら七卿の公家が太田家住宅及に立ち寄ったことから名付けられた。
1863年(文久3年)8月23日と1864年(元治元年)7月18日~20日に立ち寄った記録が残っいる。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2021年02月14日
総合評価:1.0
国の重要文化財、太田家住宅。幕末に鞆七卿落遺跡でもある。
目の前に鞆の浦、先には常夜燈が見える場所にある、江戸時代中期から明治時代にかけて保命酒の醸造販売で栄えた鞆の浦屈指の大商家の建造物。
入場料:400円
内部はセンスのあるお金をかけた豪商の住居であった。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月14日
総合評価:1.0
鞆の浦バス停前にあり、食堂・お土産屋の脇にひっそりとバツ悪そうに観光案内所はある。
バスを降りると真っ先に寄り、観光情報を仕入れることができ便利。地図は必ず入手。
観光情報を得るには、終点の鞆港バス停で下車するのではなく、一つ手前の鞆の浦バス停で下車。
目の前には瀬戸内海に浮かぶ仙酔島が眼前に入る。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
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投稿日 2021年02月14日
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投稿日 2021年02月11日
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投稿日 2021年02月11日
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投稿日 2021年02月11日
総合評価:5.0
福山城跡は福山駅前にあり、ホームからは国の重要文化財の伏見櫓・筋鉄御門が眼前に眺められる。
国宝に指定されていた本丸の天守・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築物が残っていたが、1945年(昭和20年)の福山大空襲によって、伏見櫓・筋鉄御門以外は焼失。
天守閣・月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート構造で復興。
天守閣は福山市立福山城博物館となっているが、耐震工事のため入館できなかった。
伏見櫓は威武堂々として建ち、小規模の城なら天守閣として建っていてもおかしくない見応えのある櫓だ。
伏見櫓より、雄大な天守閣だっただろうと想像する。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2021年02月11日
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投稿日 2021年02月11日















































































