とよとよ25さんのクチコミ(297ページ)全6,525件
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投稿日 2017年01月16日
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.5
2017年1月に両国を散策した際に立ち寄りました。両国駅からは徒歩15~20分ほどでしょうか。西光寺の裏手にありました。閑静な住宅街の中にある神社でしたが、民家の一角が神社になっているような不思議な感じの神社です。民家の一角なのからか、神社の入り口にはゲートが設けられており、境内には車も停まっていました。創建は鎌倉時代中期頃で、当初は馬喰町に建立されましたが、明暦の大火によりこの地に移されたようです。私たちのほかに参拝客はおらず静かに参拝出来てよかったです。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.5
両国駅からは徒歩15分ほど、竪川にかかる塩原橋という橋を越えてさらに南下すると左手にあります。とても由緒のある寺院で、創建は慶長11年(1606年)、小林治郎右衛門によって創建されました。江戸時代には寺子屋を開くなど、地域の教育にも貢献した寺院でしたが、関東大震災や東京大空襲によってかつての資料などは焼失してしまったそうです。現在の本堂は1995年に再建されたものとのことで、とても近代的で綺麗な建物でした。非常に歴史のある寺院ですが、かつての貴重な資料などが残っていないのはとても残念ですね。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.0
両国橋近くの京葉道路から南に5分ほど歩くと一之橋があり、さらに南に進むと江島杉山神社がありますが、その手前に案内板が立っていました。御船蔵とは江戸幕府の艦船を格納する蔵であり、大小14もの蔵が並んでいたそうです。隅田川をさかのぼって艦船がこのあたりまで来ていたのかと思いましたが、江戸時代は両国あたりまで海が来ていたのを思い出しました。そう考えると、江戸時代から現代までにえらい面積が埋め立てられたんだな、と改めて実感しました。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:4.0
両国駅から歩いて真っすぐ向かうと10分~15分くらいでしょうか、竪川にかかる一之橋を少し南に下った先にあります。住宅街に囲まれた落ち着いた雰囲気の神社でした。江島杉山神社は江戸時代に活躍した鍼師杉山和一が5代将軍徳川綱吉の病気を治したことで、この土地を拝領し、そこに弁財天をたてたのが始まりとの事です。杉山和一は江ノ島で鍼治療の修行をして独自の鍼治療を創案しました。偶然ですが、ここを訪れる10日程前に江ノ島を観光した際に、「杉山検校の墓」という史跡があったのですが、まさにそこが杉山和一のお墓で、まさかこんな繋がりがあるとは思いませんでした。偶然ではありますが、離れた場所にある史跡が自分の中で繋がって非常に嬉しかったです。ここを観光して、江ノ島も観光される方は是非訪問してください。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.5
一之橋は回向院の西側の通りをまっすぐ南に200メートルほど進んだ先の竪川にかかる橋です。竪川は本所の開発にあたって造られた人工の川(排水路)ですが、その竪川の開発と同時に架けられた橋が一之橋とのことで、その歴史は万治2年(1659年)になります。ちなみに、隅田川側から数えて最初の橋なので「一之橋」と名付けられたそうです。現在では片側1車線のコンクリートの橋で、上を見上げると首都高が走っており風情も何もあったものではありませんが、それでも橋の傍には案内板があって、当時の事を伝えてくれています。都内はいたるところに首都高が走っていて、景色があまり良くないのが残念ですね。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.0
京葉道路からみて回向院の裏手にあります寺院です。寺院といいましても大きなビルが寺院となっており、想像していた寺院とは全く異なった外観だったので驚きました。高野山真言宗のお寺で、創建は寛永年間(1624~1639年)とのことで、かなり歴史のある寺院です。創建後、何度か場所を移転し、1684年に現在の土地に移ったとの事です。歴史があってよいのですが、見た目があまりに近代的すぎて観光地としてはちょっと見ごたえが無くて残念でした。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩5分ほど、両国幼稚園の近くに案内板があります。両一会館という名前の小さなビルの脇にひっそりと案内板があるのですが、非常に見つけにくいので注意して探して下さい。元町とは現在の両国一丁目付近の事で、このあたりで一番最初に拓かれた町であることから「元町」と名付けられたそうです。現在では静かな住宅街ですが、かつては回向院に参拝に向かう参拝客などで賑わっていた町だったそうです。かつて賑わっていた町が現在では落ち着いた住宅街に変わる、そんな歴史の流れを知れて良かったです。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月16日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩5分ほど、両国幼稚園の向かいにありました。与兵衛寿司とは小泉与兵衛によって発案された江戸前寿司で、現在のワサビを使った寿司の原点となった寿司になります。文政7年(1824年)に回向院まえに出店し、大変繁盛したそうですが、昭和5年に廃業してしまったとの事です。案内板によりますと、屋台で山本のお茶を出した事も人気に拍車をかけた・・・とありましたが、山本のお茶とはどこのお茶でしょうか。気になってしまいました。どうせならその情報も載せてほしかったですね。それにしても、現在でも営業していたのなら、是非行ってみたかったのですが残念です。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩5分ほど、両国幼稚園の西側にある幼稚園の門の横に案内板が立っていました。かつて回向院の正門はこの場所にあったそうですが、東京大空襲によって焼失し、現在の場所に移ったそうです。案内板によりますと、かつては両国橋の正面に回向院の正門があったとの事で、両国橋の上からはっきりとその姿を見る事ができたそうです。旧両国橋は現在の位置から50mほど下流にあったとの事で、地図を見るとまさに旧両国橋から旧回向院正門は一直線になりますね。旧両国橋跡の案内板も近くにありますので、一緒に合わせてみるとこのような背景がわかって、よろしいかと思います。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:2.5
両国橋の近くに「ももんじや」さんという飲食店がありますが、その前の通りを南に行くとすぐ右手に史跡案内板が3つあり、そのうちの一つが「高札 石尊垢離場跡」になります。石尊とは神奈川県伊勢原にある大山の事を指しています。大山には阿夫利神社という神社があるのですが、その神社は商売繁盛にご利益があるとの事で、江戸時代にこの地で水垢離(水で体を清めること)を行った後に、阿夫利神社へと参拝に向かったそうです。大山は毎年1度は登山で行っておりますが、さすがに麓までは車で行っています。当たり前ですが、公共交通機関の発達していなかった江戸時代に、東京から大山まで商売繁盛の祈願に行っていたという事実は衝撃的でした。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩10分ほど、両国橋の近くにある駐車場脇に3つの案内板が立っていますが、そのうちの一つが「赤穂浪士休息の地」の案内板になります。忠臣蔵として有名な赤穂浪士ですが、元禄15年(1702年)12月14日、吉良邸に討ち入り主君の仇をとった赤穂浪士の一隊はこの地にあった両国広小路で休憩をとった後に泉岳寺への帰路についたとの事です。この案内板を見たあと、旧吉良邸の見学に行きましたが、ほんの数分でたどり着いてしまいました。歴史の検証をするのは無粋ですが、吉良邸に討ち入りした直後に、ほんの数分しか離れていない場所で休息をとるのでしょうか。ちょっと疑問に思いました。案内板には、吉良邸の応援に駆け付ける上杉家の増援をこの地において迎え撃つつもりであったという説も書かれていましたが、そちらの方が正しいような気がしました。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩10分ほど、両国橋のそばにある飲食店「ももんじや」さんの通りを南に少し行った駐車場脇に案内板があります。旧両国橋は万治2年(1659年)に造られた橋で、直前の1657年に発生した明暦の大火による被害があまりに大きかったため、防災上の理由で造られました。場所は現在の両国橋よりも50mほど下流にあったそうです。また、広小路とはこれも明暦の大火に起因しており、火災の延焼を防ぐためにつくられた大通りが広小路と呼ばれていました。この広小路、江戸時代には非常に大きな繁華街として栄えていたそうです。現在では少しさびれた感じのある場所でしたが、路地裏と呼ぶにはかなり道幅のある大きな通りだったのはそういった理由の場所だったからなのですね。いい歴史の勉強になりました。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
両国橋のそば、両国寄りの京葉道路の南側(ももんじやさんの通りを南に下ってすぐです)に案内板が3つ固まって設置されていますが、そのうちの一つが駒留橋跡になります。駒留橋はかつてこの地にあった藤代町と東両国広小路を結んでした長さ4.5m、幅5.4mの小さな石の橋であったそうです。江戸時代だとすると木製の橋が多かったのかと思っていたのですが、石橋もあったんですね。あまり大きな橋ではなかったから実現できたのでしょうか。なかなか面白い事実でした。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
両国駅から徒歩5分ほど、京葉道路の南側の両国橋のすぐそばに3つの案内板が固まって設置されていますが、そのうちの一つがこの藤代町跡の案内板になります。案内板によりますと、その由来は享保年間に西葛西領猿江村を開拓した毛利藤左衛門が、その土地を幕府に召し上げられた際に、交換で与えられた土地が両国のこの辺りで、藤左衛門が交換で賜った土地である事から藤代町と名付けられたとのことです。現在では藤代町の名前は無くなっているようですね。どのくらいの敷地面積同士で交換したのかはわかりませんが、西葛西と両国の土地だと明らかに両国の方がいいのに、と勝手に思ってしまいました。なかなか面白い歴史が知れて良かったです。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
片葉の葦とは本所七不思議と呼ばれる、江戸時代から本所に伝わる怪談の一つです。かつてこの地にあった駒留橋のそばに生える葦は片方にしか葉が生えないことから、片葉の葦と呼ばれるようになったとのことです。由来は、とある女性に恋をした男が、女性がいつまでたってもなびいてくれないため、その女性の片手片足を切り落として殺害して堀に捨ててしまい、それ以降このあたりに生える葦は片方にしか葉が生えなくなったとのことです。江戸時代の怪談話はぞっとする話が多いですね。案内板の近くには京葉道路も通っていますが、案内板がある付近は少し寂れた雰囲気があり、この案内板だけで十分怖い感じがしました。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2017年01月15日
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投稿日 2017年01月15日
総合評価:3.0
表忠碑は両国橋のすぐそば、両国寄りの京葉道路沿いにあります。とても大きな石碑のため、すぐにわかると思います。日露戦争で亡くなった軍人を祀るための石碑とのことで、日露戦争でも指揮をとった陸軍元帥大山巌によって書かれたものです。地図上では両国橋児童遊園内とありますが、遊具などはなくただ広場があるだけで公園とは思えませんでした。特に遊べるような場所ではありません。
- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月15日
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投稿日 2017年01月15日





























