琉球熱さんのクチコミ(115ページ)全3,995件
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投稿日 2016年10月10日
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投稿日 2016年10月10日
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投稿日 2016年10月10日
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投稿日 2016年10月10日
総合評価:5.0
健児の塔へ行く途中の分岐を右に折れると辿り着きます。
沖縄戦に参戦した日系二世の米兵ヤマモトタツオ氏が中心となり、昭和29年9月、この一帯に放置されていた身元不明の兵士、住民の遺骨12,000柱を集骨して建立されたとのこと。
日系とは言え、米兵の手による遺骨収集、しかもそれが敵味方・軍民隔たりなく行われたということに、少なからず驚きと感動を覚えます。
立派な石碑があるわけではありませんが、その建立主旨に思いを馳せると、訪れて損はない場所だと思います。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2016年10月10日
総合評価:5.0
平和祈念公園に隣接する絶壁の下に、沖縄師範学校の学徒たちを慰霊するモニュメントです。
同一敷地内には平和の像、納骨堂、退避壕、地蔵尊などがあり、碑文を読むと残された人たちの強い悲しみが感じられ、胸が詰まります。
在校生のなんと75%が命を落としたそうです。
「鉄血勤皇隊」、、、なんと嫌な言葉でしょうか?
皇民教育の果て、13歳や14歳で散って行った子供たちを思うと、手を合わさずにはいられません。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月10日
総合評価:4.0
健児の塔を目指して歩いていると遭遇します。
独立臼砲第1連隊戦は、1940年満州にて対ソ作戦に備えての特殊兵器を装備した秘密部隊だったそうです。
この慰霊碑はロケットミサイルの形を模してあり、碑文によると、これは秘密兵器98式臼砲原形に基づいて実物大で造られたものとあります。
戦火に散った兵士を慰霊するのはけっこうですが、巻き添えを食らった多くの一般人、ましてここには学徒の慰霊碑がある場所、もう少し配慮があってしかるべきでしょう。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月10日
総合評価:4.0
風部隊は、戦況気象情報、基地通信、整備、燃料補給、整備の任に当たっていたようです。
米軍の沖縄本島上陸以来、壊滅状態になった軍通信網に代わって大本営及び関係部隊に戦況を報告するなど通信業務に携わりました。
この慰霊碑は、中央航空路部沖縄航空路管区、第5野戦航空修理廠、中央航空路本部および他航空路管区の戦没者を合祀しています。
場所は「健児の塔」を目指せば途中に現れるので迷う心配はありません。。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月08日
総合評価:5.0
日比谷公園の中にあるので、JR有楽町、東京メトロ・都営地下鉄の日比谷、霞が関、内幸町の各駅から徒歩圏内というアクセスの良さ。
毎年夏に開催される「琉球フェスティバル」は必ずここ“やおん”が舞台になります。
今年も夕方からたっぷり4時間、琉球の空気に浸りました。
アーティストと観衆が一体になるこのイベントは、毎年サイコーです。- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月06日
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投稿日 2016年10月06日
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投稿日 2016年10月06日
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投稿日 2016年10月06日
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投稿日 2016年10月06日
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投稿日 2013年05月10日
総合評価:4.5
◆◆掲載場所が間違っていたので、訂正◆◆
「白梅学徒看護隊之壕」という全く同名の標柱が「ヌヌマチガマ」脇に建っており、本投稿はそちらの内容になっています。
第24師団山部隊の第1野戦病院として使われていた「ガラビ壕」と「ヌヌチガマ」は、地下でつながっている自然洞窟で、白梅学徒隊が配属されていた。収容人員は1000名と言われている。ヌヌマチガマ側には手術室があったようで、病院の中枢と考えられている。
壕内には、今でも兵士たちの骨片が散乱し、遺体の跡が黒いシミとなって地面に残っているそうだ。
とにかく非常にわかりづらい場所にある。結論から言うとガラビ壕へは行けない。入口が私有地になっており、土地の所有者が一切の立ち入りを禁止してしまったとも言う。
一方のヌヌマチガマは、入口はビニールハウスの脇、地面にぽっかり穴が開いている。つまり縦穴である。
よく見れば「白梅学徒看護隊之壕」という石碑が建っているのだが、クルマだと見落とす可能性大である。
縦穴を降りたところ、入口付近は泥濘化して非常に足場が悪い。内部に入れる状態ではなく、入口まで降りたところで断念した。
ここにもちゃんと千羽鶴が飾られていて、定期的に人の手が入っていることをうかがわせる。
道路の向かいには、樹木に覆われさらにフェンスで遮断された入口がある。
病院壕の中心、手術室跡だという。フェンスにくくりつけられた看板には、一切の立ち入りを遠慮してほしい旨の文言が書かれていた。中にはまだ遺骨や遺品が残っているとも・・・。
沖縄戦跡のデリケートな一面を如実に物語っている。- 旅行時期
- 2009年10月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月06日
総合評価:5.0
ヌヌマチガマは、第24師団山部隊の第1野戦病院として使われていた壕で、小高い丘を貫通するような造りで反対側の壕口はガラビ壕と呼ばれています。
白梅学徒隊が勤務していたことでも知られ、入口には「白梅学徒看護隊之壕」という石碑が残っています。
この戦跡が象徴的なのは、戦跡のあり方、戦跡の「今」を図らずも体現してしまった形になっていることでしょう。
従来、地元団体が平和学習のガイドを務めつつ、維持管理をしてきたのですが、自治体(八重瀬町)が整備に乗り出したタイミングで、指定管理者を決めたことに端を発します。
現在の管理者は北海道の業者で、ここの許可を得ないと入壕できません。無論有料で、かつ個人では申込みできません。
これまで活動してきた地元団体が反発したのは当然、それ以降、町と地元団体が対立しています。
せっかく貴重な戦跡が、このような形でいわくつきになってしまうことは非常に残念です。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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意外に居心地の良い店
投稿日 2016年10月02日
総合評価:4.0
仕事帰りに仕事仲間と立ち寄った店、当然予備知識なしの飛び込みでしたが、なかなか良い店でした。
店内は半個室がいくつかあり、大人数用のテーブルもあり、他の客の視線が気にならないように配置されています。
料理は、店名の通り焼き鳥がメインですが、味も値段も良し。他の鳥肉料理も、タレが凝っていたりで、まずは合格点です。(全体的に味は濃い目)
青葉台駅から徒歩5分程度、立地も悪くありません。- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 4.5
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投稿日 2016年10月02日
総合評価:1.0
萬華の塔の敷地内にある、野戦重砲兵第一連隊終焉の地のモニュメントです。
萬華の塔は、「住民」が戦後いち早く建立した慰霊碑であり、19,000柱もの遺骨は軍民隔たりなく、さらに米兵のものまでを収集し、埋葬したものです。
戦争を深く反省し、平和を強く願うのであれば、萬華の塔で充分で、この山吹の塔は不要だったはずです。
野戦重砲兵第一連隊の同志や遺族を慮る向きもありますが、武運長久の名の下に狩り出され、犬死に近い亡くなり方をした多くの沖縄学徒たちや、友軍に殺された民間人を尊重する気持ちがあれば、わざわざこの地に、天皇の名を刻んだモニュメントなど建てられなかったはずです。
戦争に負けたばかりか、沖縄を壊滅させてもなお、反省することのない人種がいるということを、しっかりと認識するには好適な史跡と言えるでしょう。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月02日
総合評価:5.0
白梅の塔から少し南の真壁集落にある戦跡です。
ここは沖縄戦最後の激戦地だったとのこと。
『萬華の塔』は住民が日本兵、米兵、地域住民の差別無く集め、これら無縁仏の慰霊のためにいち早く建立した慰霊碑であり、19,000柱もの遺骨が埋葬されています。
ところが、この塔の周辺には個別の部隊や軍人個人の玉砕や戦死を礼賛するものばかりとなっています。
これらは全て、「萬華の塔」の後に建てられたもので、明らかに主旨が異なります。
「萬華の塔」の奥には、真壁千人壕という悲劇的なガマもあり(友軍に多くの民間人が見殺しにされた)、これらの状況を鑑みながらも、よくもこんなものを建てられたものだと思います。
戦死した個人を悼むのであれば、「萬華の塔」の主旨で充分でしょう。そこにわざわざ「第○○連隊 陸軍○○ 某」と銘打つ必要があるのでしょうか?- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2016年10月02日
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投稿日 2016年10月02日
総合評価:4.0
白梅の塔から道なりに上ってくると、五叉路に出ます。そこに栄里の塔がありますが、さらにゆるい坂を上っていくと、左手に小高い丘に続く階段があり、頂上部分にこの史跡があります。
階段を登り切った正面に立派な石碑、これをバックナー中将慰霊碑と間違えやすく、さらに左手に十字架をはめ込んだモニュメント、さすがにこれは間違いないだろうと思うと、これもまた別物です。
バックナー中将慰霊碑はその十字架の奥にある石碑と、その背後にある石に埋め込まれたプレートです。
日本の慰霊碑が質素なものが多いのに対し、この十字架と言い、イースリー准将慰霊碑と言い、とても立派。
かつ、バックナー中将慰霊碑として建てられた石碑、石の上のプレートが日本語表記であることに少なからず違和感を覚えます。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0







































