白梅学徒看護隊の壕
名所・史跡
3.29
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
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より平和を望む気持ちが強くなりました
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- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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当時の状況を「白梅学徒看護隊の壕」~沖縄~
- 4.5
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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白梅学徒看護隊が最初に配属された場所です。
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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八重瀬町富盛の八重瀬公園駐車場付近に?白梅学徒看護隊之壕?という石碑がひっそりと建立されています。沖縄での地上戦が始まる少... 続きを読むし前に沖縄県立第二高等女学校4年生の生徒から構成された?白梅学徒看護隊?55名が第24師団第一野戦病院第4・5班に配属されました。戦況の悪化で新城分院(ヌヌマチガマ)が開設され、学徒隊5名が転属となりますがその後6月には分院付近が戦場となり、分院は閉鎖を余儀なくされ5名は原隊に戻ります。
しかし時既に日本軍の敗色が濃厚となっていた時期ゆえ、学徒の原隊復帰後解散命令が出されます。数人組でばらばらと逃げるもののその行くあてはなし。伝え聞いた国吉の壕へと向かう途中8名が、そして何とかたどり着いた国吉の壕で9名の犠牲者を出しています。
現在?白梅学徒看護隊之壕?の碑が建立されている場所は、?富盛上の壕?と呼ばれる?手術壕?のあった場所となっています。本部壕を含めた第24師団第一野戦病院壕の?下の壕?は落盤により入場できませんが、山道を少し上れば本部壕の入口を確認することができます。
手術壕の入口には、順番を待つ兵士がズラリと並んで順番を待っていました。その中には順番が待てずそのまま亡くなった方も多いと聞いています。「遺骨は収集されました。しかし血や肉はそのまま地面に染み込んでいます。」との一言で体を持たれ掛けていただろう岩壁近くを歩けなくなりました。勢いで行くことを悪いとは言いません。しかし知らないうちに非礼を行っていることもあるということを知り、事前に下調べは欠かせないと改めて思いました。 閉じる投稿日:2016/06/05
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無念を思うと胸に来るものがあります
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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ガラビ壕とヌヌマチガマ
- 4.5
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
- 2
◆◆掲載場所が間違っていたので、訂正◆◆
「白梅学徒看護隊之壕」という全く同名の標柱が「ヌヌマチガマ」脇に建っており、本... 続きを読む投稿はそちらの内容になっています。
第24師団山部隊の第1野戦病院として使われていた「ガラビ壕」と「ヌヌチガマ」は、地下でつながっている自然洞窟で、白梅学徒隊が配属されていた。収容人員は1000名と言われている。ヌヌマチガマ側には手術室があったようで、病院の中枢と考えられている。
壕内には、今でも兵士たちの骨片が散乱し、遺体の跡が黒いシミとなって地面に残っているそうだ。
とにかく非常にわかりづらい場所にある。結論から言うとガラビ壕へは行けない。入口が私有地になっており、土地の所有者が一切の立ち入りを禁止してしまったとも言う。
一方のヌヌマチガマは、入口はビニールハウスの脇、地面にぽっかり穴が開いている。つまり縦穴である。
よく見れば「白梅学徒看護隊之壕」という石碑が建っているのだが、クルマだと見落とす可能性大である。
縦穴を降りたところ、入口付近は泥濘化して非常に足場が悪い。内部に入れる状態ではなく、入口まで降りたところで断念した。
ここにもちゃんと千羽鶴が飾られていて、定期的に人の手が入っていることをうかがわせる。
道路の向かいには、樹木に覆われさらにフェンスで遮断された入口がある。
病院壕の中心、手術室跡だという。フェンスにくくりつけられた看板には、一切の立ち入りを遠慮してほしい旨の文言が書かれていた。中にはまだ遺骨や遺品が残っているとも・・・。
沖縄戦跡のデリケートな一面を如実に物語っている。 閉じる投稿日:2013/05/10
1件目~5件目を表示(全5件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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