バクナー中将慰霊碑
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~10件(全10件中)
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小高い場所に
- 4.0
- 旅行時期:2021/04(約5年前)
- 0
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米軍司令官の慰霊碑
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
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司令官の碑
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 3
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やはり違和感
- 4.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 4
白梅の塔から道なりに上ってくると、五叉路に出ます。そこに栄里の塔がありますが、さらにゆるい坂を上っていくと、左手に小高い丘... 続きを読むに続く階段があり、頂上部分にこの史跡があります。
階段を登り切った正面に立派な石碑、これをバックナー中将慰霊碑と間違えやすく、さらに左手に十字架をはめ込んだモニュメント、さすがにこれは間違いないだろうと思うと、これもまた別物です。
バックナー中将慰霊碑はその十字架の奥にある石碑と、その背後にある石に埋め込まれたプレートです。
日本の慰霊碑が質素なものが多いのに対し、この十字架と言い、イースリー准将慰霊碑と言い、とても立派。
かつ、バックナー中将慰霊碑として建てられた石碑、石の上のプレートが日本語表記であることに少なからず違和感を覚えます。
閉じる投稿日:2016/10/02
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沖縄戦に於いて戦死した米軍の司令官をはじめとした将校の慰霊碑があります。~バクナー中将慰霊碑~
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 11
白梅之塔から車で5分位、真栄里の高台にあるバクナー中将慰霊碑は、昭和20(1945)年6月18日13:15頃前線を視察中の... 続きを読む米国第10軍司令官Simon Bolivar Buckner, Jr.中将が銃撃を受け戦死した場所になります。同一敷地内にはやはりこの付近で戦死した第96師団副師団長CLAUDIUS EASLEY准将と第六師団383歩兵連隊長EDWIN T MAY大佐の追悼碑も建立されました。
住人を巻き込んでしまった沖縄戦ゆえ、民間・軍人日米問わずして多くの人々が亡くなられました。この米軍最高司令官の慰霊碑に嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるようですが、逆に日本人の戦没者を祀った慰霊碑の隣にあることは、やはりこの場所が沖縄戦末期の日米入り交じった泥沼の戦いが繰り広げられことを今に伝えるもののように思えます。
ちなみに誤記も多いのですが、敷地内で最も目立つものはイジリー准将のものであり、バックナー中将の慰霊碑は一番奥に位置付けられています。十字架の碑も実は違います。 閉じる投稿日:2016/03/14
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米軍最高司令官の慰霊碑
- 3.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
- 1
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死因の謎と、アメリカ軍の変質
- 3.5
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 1
かつての激戦地に建っている沖縄方面連合軍最高指揮官・第10軍司令官バックナー中将戦死地を示す慰霊碑で、1985年に旧日本軍... 続きを読む関係者などの手によって建立されたそうです。バックナー中将の戦死については、公式には「帝国陸軍野戦重砲兵第1連隊第2大隊の九六式十五糎榴弾砲の放った砲弾がバックナーの居た観測所の真上で炸裂し、えぐられた岩片が胸部に当たり10分後に絶命」とありますが、不自然に思うことも少なくありません。小野一等兵による狙撃説もあり、こちらの方が状況的には合点がいくような気もします。ただそれ以上に重要なことは、バックナー中将戦死後からアメリカ軍による日本住民の虐殺が激増したという報告が少なくないという点です。バックナー中将の死因の謎と、その後のアメリカ軍との行動を結びつける何かが、その間に介在しているような気もします。…真実を知ってみたいという願望が強くなりました。 閉じる
投稿日:2013/11/06
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米軍司令官の慰霊碑
- 3.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
- 1
「バクナー中将慰霊碑」は、糸満市の南、国道331号線の“真栄里入口”から東に1kmあまり行ったところにあります。米第十軍指... 続きを読む令官バックナー中将は、昭和20年6月18日、戦闘指揮中、この地で死亡した。昭和27年、米軍の手により記念碑が設立されたが、昭和49年に米軍より、キャンプフォレスターに移設されたため、昭和50年6月に沖縄慰霊奉賛会により現在の碑が設立されたものです。直ぐそばに、イーズリー准将の慰霊碑もありました。バクナー中将は、太平洋戦争で戦死した米軍の司令官としては、この中将が最高位にあたるそうですが、周囲の慰霊塔が多数の民間人・軍人を対象に慰霊しているのに、何故、個人として慰霊されているのか疑問が残りました。
閉じる投稿日:2013/04/12
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日本人として
- 5.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
- 2
本島南部の真栄里・富森地区は沖縄戦の中でも激戦地として知られる。
そのため、戦跡が非常に多い地域でもある。
「白梅の塔... 続きを読む」の前の小道を登っていくと、山形の塔、眞山之塔、バックナー中将戦死の碑などがある。
この「バックナー中将慰霊碑」は一連の戦跡の中で最も高い場所、小高い丘の上にある。
彼は1945年6月18日の偵察中に狙撃され即死、その翌日から米軍のすさまじい無差別攻撃が始まる。これはどう見ても『報復』だ。白梅学徒隊はこの巻き添えを食ったと言えるかもしれない。
近くにある、白梅学徒隊の自決壕は、見ての通りの洞窟。そこに米軍は“馬乗り攻撃”を仕掛けたのである。
“馬乗り攻撃”とは、地上から壕内へ手榴弾・黄燐弾やガソリンを流し込み火あぶりにするという、まるで害虫や害獣を駆除するような攻撃方法のことだ。
従って、白梅の女子生徒たちは「自決」したのではなく、虫けら同然に殺されたことになる。
極東裁判の中でこれらが問題にされた形跡はない。
そして、健児の塔や女子学徒碑等の非戦闘員の慰霊碑に比べると、なんと立派な慰霊碑であることか。
戦勝国だから立派な慰霊碑が建てられるのか・・・?
伊江島のアーニー・パイルでも同じ感覚を味わった。
見るだけで不愉快ではあるが、日本人としてしっかりと胸に刻みつけておくべきである。 閉じる投稿日:2012/06/02
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沖縄戦跡巡りに・・ バックナー慰霊碑
- 4.0
- 旅行時期:2008/03(約18年前)
- 1
1件目~10件目を表示(全10件中)
基本情報(地図・住所)
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