たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(19ページ)全1,843件
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- 観光スポット
- 基本情報
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投稿日 2020年08月15日
総合評価:5.0
国道422号線大石バイパスから旧道に入った場所に鎮座している春日神社。村社に列していた地域の〝氏神様〟という雰囲気漂う神社である。
創建は平安時代末期の久寿元(1154)年に二条蔵人助藤原重友が春日大社の分霊を勧請したことに始まると記されていた。この藤原重友は当時の栗太郡一帯の藤原氏の荘園領主として大和国から移って来た人物と言われており、その流れで前領の春日大社の分霊を勧請したとされている。
現在の本殿は室町期の文保3(1319)年に建立されたもので、その時期に施された精細かつ精巧な彫刻が随所に残っている他、同時期の建立建造物では全国でも珍しい二間社入母屋造の遺構であり、二間社入母屋造としては日本最古としても大変貴重であるという理由から明治35(1902)年に国指定重要文化財に指定されている。
神輿蔵もあり近隣地区の祭には多くの住民が参加して、局所的ではあれど歴史ある祭りのひとつとなっているようだ。
確かに建物の細かいところを見始めると丁寧な彫刻が施されといることがわかり、それが歴史的特徴と合致していることが素晴らしいことは理解できるのだが、やはり知名度は高くはないため訪れる方も少ないのは残念に思う。
歴史ある建物は道路工事が行われた後旧道となり、付近に住居もないことから人をロケーションで引き付けられないものになってしまっているのが残念だ。神社前の旧道と以前と変わりなく流れている信楽川のせせらぎとのコラボを楽しんで、参る価値のある神社だと改めて感じた私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 鹿跳橋よき車で20分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時は誰にも会いませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は砂利敷です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- レアな建築様式がわかります。
-
投稿日 2020年08月18日
総合評価:5.0
信楽高原鉄道紫香楽宮跡駅。昭和62(1987)年7月13日の国鉄信楽線の三セク化を機会に開駅しました。東海自然歩道に面し、駅前広場には市が管理しているトイレと飲み物の自販機、自転車置き場があります。
紫香楽宮と甲賀市観光マップが建てられており、観光名所の拠点駅らしい造りになっています。
現在でも信楽高原鉄道営業距離の最も長い駅間距離がある場所となっており、貴生川~紫香楽宮跡駅間は9.6km。全線14.7kmのうち2/3を走った末に到着することとなります。
駅名の由来は紫香楽宮跡によるものであるが、あくまでも開駅当時の説に基づいており、現在紫香楽宮跡の中心部とされる宮町遺跡に向かうには30分程歩かなければなりません。
隣駅の雲井迄は僅かに600mしかないため、利用価値は高いとは思えません。しかし地元自治体や信楽高原鉄道の紫香楽宮跡に対する思い入れは相当なようで、国道307号線にも駅の所在を示す表示が建てられています。
新名神高速道路信楽インターチェンジがすぐ近くにできてから利用価値は減ったようにも思いますが、紫香楽宮跡へのアクセスを改善すれば利用価値は高くなるのではと感じる駅ではありました。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 綺麗にはされていました。
- バリアフリー:
- 5.0
- ホームへはスロープがあります。
-
投稿日 2020年08月12日
総合評価:5.0
近江国信楽、この地に第45代聖武天皇が平城京の離宮として紫香楽宮を造営し始めたのは天平14(742)年のことであった。仏教に帰依していた聖武天皇は翌年紫香楽宮に盧舎那仏を造営することを発願するが、これは恭仁京を唐の洛陽に見立て、洛陽と関係の深い龍門石窟の盧舎那仏を紫香楽の地で表現しようとしたものと考えられている。造営中だった恭仁京の造営を中止し、紫香楽宮造営が一挙に加速することとなる。天平16(744)年には都近くに建立した甲賀寺に盧舎那仏像の体骨柱が出来上がっており、記録によると天平17(745)年1月には紫香楽宮(甲賀宮)が〝都〟とされている。そのまま盧舎那仏像が作られ日本の都としての歴史が始まるはずだったが、天変地異や山火事が立て続けに起こったため、遷都が仏の怒りに触れたとして僅か5ヶ月後には平城京へと戻ることとなった。
災いが起こるたびに遷都して逃れようとした聖武帝ではあったが、その考えに賛同してきた者は官民問わず少なかったと言われている。紫香楽宮に至っては〝田舎暮らし〟を嫌がった藤原氏や光明皇后などが仕組んだ〝山火事〟を起こしたとする学者もいる程である。結局平城京に戻った聖武帝は国分寺建立の詔、次いで東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出している。天平勝宝4(752)年には念願の東大寺大仏の開眼法要を行い、気が済んだのか四年後には崩御されている。聖武帝から生前譲位された阿倍内親王が第46代孝謙天皇(重祚第48代称徳天皇)となった後の政権の混乱は史実の通りである。
奈良時代に陪都とされた伝承は多くあるものの、詳細が不明な場所も少なくはない。つい最近までは紫香楽宮もそのひとつであった。そもそも〝紫香楽宮跡〟と言われていたものは内裏野地区の一角を指すものに過ぎない。大正時代に国の史跡に指定されているが、近年の発掘調査や研究によって、北に位置する宮町遺跡が実際の〝紫香楽宮跡〟と言うことが確実視されている。
現在の内裏野地区は史跡公園となっており、建物跡の礎石等を眺めて往時を知るところとなっている。対して宮町地区は礎石等の史跡は勿論、紫香楽宮跡関連遺跡群調査事務所では資料館として発掘等で出土した品々や、発掘過程をビジュアル的に見ることができる〝体験施設〟にもなっている。行ってみればわかる話ではあるが、〝静と動〟という全く違う観点からの城跡考察なのである。残念ながら歴史音痴の観光ガイドにはその違いは書かれていないし書こうとも思っていないようだ。訪れるなら公的資料を利用して訪れることをお勧めしたい…そんな思いをしながら一日を〝紫香楽宮跡巡り〟に費やした私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 新名神信楽インターチェンジから車で10分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日だったので誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 足場は良くない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 紫香楽宮跡の〝静と動〟は行く価値大いにあり。
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投稿日 2020年08月11日
総合評価:5.0
甲賀市土山町鮎河、三重県との県境に近いこの地に於いて鈴鹿山系から湧き出る清水が集まったうぐい川のせせらぎ両脇に約200本のソメイヨシノが植えられています。桜の花が場所柄他の花見会場と比較して遅めの満開を迎えるために多くの花見客が訪れる場所となり、滋賀県下第2位の花見客が訪れる場所として、知る人ぞ知る花見会場になっています。
うぐい川両脇に植えられたソメイヨシノを含め鮎川集落には1,000本もの桜の木があり、その世話を鮎河のさくらを守る会と鮎河老人会が行っているというこじんまりとした運営規模にもかかわらず、県下二位の集客数を集めることから、その力の入れようがわかります。
細かいところは雑に見える場所はあったとしても、青戸ダムを含めた鈴鹿山系を背景に咲く桜の花はまさに絶品。おまけにライトアップが始まると、桜の海に浮かぶ月とのコラボは邪魔する光源もなく神秘的にすら見えるものでした。
公共の交通機関を利用すればかなり不便な場所ではあるものの、この景色は訪れる苦労を吹き飛ばす感動を与えてくれるものに違いありません。- 旅行時期
- 2020年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 新名神土山インターチェンジから車で20分ほどです。
- 景観:
- 5.0
- 素晴らしいのひとことです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間に左右されます。
- バリアフリー:
- 3.0
- うぐい川沿いは舗装はされていません。
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投稿日 2020年07月31日
総合評価:5.0
霊峰白山の麓に広がる白山比神社。第10代崇神天皇の時代に社殿が創建され、奈良時代に泰澄大師が白山に登って開山し、主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀されたと伝わっている。
山岳信仰のひとつである白山信仰はその後全国に広がり、各地に白山神社が勧請されることとなる。それにより総本宮である白山比神社への参拝者も増えることとなり、加えて一宮制度が確立した平安時代中期の頃には大変栄えたことが記録されている。
そんな本宮も武家勢力と一向一揆の拡大により弱体化し、加えて室町期には大火によりほとんどの建物が焼失し、御神体等を朝廷に注進し今後の再興を願うも、応仁の乱後の疲弊もあり、その願いは叶わず世俗的権力は弱まり社頭も荒廃したと言われている。
復興が始まるのは安土桃山時代に第106代正親町天皇から白山宮復興の勅命を受けた前田利家によるものであった。以降加賀前田家の庇護を受けつつ、白山権現へ信心が遠く江戸にも伝わったことから従来以上に栄えたとされている。
明治維新での神仏分離令により、菊理媛尊・伊邪那岐尊・伊弉冉尊を御祭神とする白山比神社とされ、延暦寺末寺となっていた奈良時代の創建と伝わる白山比神社の神宮寺、白山寺も廃されることとなる。その後区画行政や御鎮座二千百年式年大祭への白山市長の発言問題等により変遷を受けつつ現在に至っている。
主祭神とされる白山比神(菊理媛命)は黄泉の国境での伊弉諾命・伊弉冉命の喧嘩を仲裁した神とされており、それ故〝結びの神〟と言われている。また黄泉の国を見てしまった菊理媛命は〝生きてあの世を見た〟ことを除去するために〝穢れ〟を祓う〝禊〟を行った伝承に起因する〝厄払いの神〟とも称される。神話の世界の話故、信憑性はともかく、そのご利益を肌で感じつつ参拝することができる〝聖なる場所〟のように思えた私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 鶴来駅から徒歩10分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳がある場所もあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 縁結びと厄払いのご利益が感じられます。
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投稿日 2020年07月31日
総合評価:5.0
北陸本線加賀温泉駅と粟津駅間にある無人駅。駅前には郵便局と駐車場しかなく最寄りのバス停まで歩いて4分となっている。北陸線延伸開業時にできた歴史ある駅で、過去には北陸鉄道片山津線・山代線との乗り換えにより、片山津や山代温泉への玄関口となっていたこともある。
大聖寺駅と共に特急停車駅として旅客を奪い合っていたが、両者を立てる意味で中間の作見駅を加賀温泉駅と改称して特急停車駅とし、動橋駅には急行くずりゅうが停車するだけとなった。それと前後して北陸鉄道は廃線となり、加賀温泉郷への玄関口は加賀温泉駅となり、平成20(2008)年には駅前のバス停までもが廃止されている。乗降客の減少により翌年平成21(2009)年には駅業務の簡易委託が解除され無人駅となり現在に至っている。
北陸に限らず温泉旅館の廃業が増える中、加賀温泉郷も例外ではない。その上アクセスする手段すらない駅を利用することもないであろう。北陸鉄道跡地を利用した駐車場・動橋郵便局はそれなりの利用はあるようだが、駅に限って言えば皆無であった。しかし住民の方々の手によってであろう清掃は行き届いており、荒れた感は受けなかった。また旧窓口跡に〝動橋駅の移り変わり〟のパネルが掲げられており、地域から愛されている駅舎であることを伺い知ることができる。
今回は駅の利用で訪れた訳ではないが、現実を支える駅周辺住民の方々のことを知ることができ少し嬉しく思った私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃が行き届いており快適に利用できる。
- バリアフリー:
- 3.0
- 駅舎・ホームへは階段がある。
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投稿日 2020年07月24日
総合評価:5.0
明治30(1897)年9月20日に官設鉄道北陸線が福井~小松駅まで延伸開業した際に石川県下で最初にできた鉄道駅である。小松空港とともに石川県のゲートシティとなっている小松市の陸上の玄関口として、一部の特急列車を除いてほとんどの列車が停車し、利用者も石川県下では3番目に多い駅となっている。
北陸新幹線敦賀延伸開業時には停車駅とあることが決まっており、その工事のために駅本来の窓口である東口が工事のため、一部施設の利用が規制されている。
界隈に似つかぬ高架駅となっているのが目につくが、一説には北陸新幹線の駅として相応しいように敢えて高架駅にしたと言われている。その結果もあるのであろうが誘致に成功し北陸新幹線小松駅は確定となり、駅周辺の整備も含め工事が行われて現在に至っている。
在来線の高速化を受けて小松空港を離発着する航空路線が減り続けてきた。これに新幹線が加わるとどのようになるか見当もつかない。その反面わざわざ東京から北陸新幹線を利用して小松に来るかどうかをどのように考えているのか知りたいところがある。増して観光客が利用するのは通過点であり、小松が目的ではないように思えてならない。
誘致した努力が水の泡に帰さないように願うばかりの駅であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 新しい分だけ使い勝手は良いが、工事で使えないところがあるので注意が必要。
- バリアフリー:
- 5.0
- ホームへはエレベーター完備となっている。
-
投稿日 2020年07月11日
総合評価:5.0
小松グリーンホテルのお食事処である海鮮亭陣笠。昼間は一般にも開放されていますが宿泊客のお食事処がメインのようです。
定員は42名とそれほど多くはありませんが、このご時世コロナ感染対策としてテーブルに衝立を置く以外にも定員を減らして18名とされていました。
夕食はセットメニューでしたが、新鮮な海産物をはじめとしたバラエティに富んだものになっていました。朝食はバイキング形式でしたが、ビジネスホテルにありがちな〝作り置き〟主体の物ではなく、料理によっては小まめに補充するといった対応をしておられ、利用後すぐの食器の回収・テーブルの除菌等徹底して行っておられ、安心して食事を楽しむことができました。
ひとつだけ残念だったのはコールドドリンクの場場所が冷蔵庫内であったことがわかり辛く、食事を終えて出る際に気付いておられる方が多かったことです。
定員は少なくなったものの仕事が増えて従業員さんも大変だと思います。ただ一期一会のお客にも丁寧に対応されている様子が伝わって来て、良い思い出になったとは思います。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 5.0
- 北陸自動車道小松インターすぐです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 食事代だけはわかりませんが安いと思います。
- サービス:
- 5.0
- 丁寧で好感が持てました。
- 雰囲気:
- 5.0
- コロナ予防で衝立と間引きは仕方がないと思います。
- 料理・味:
- 5.0
- 濃くなく薄くなく良いお味でした。
- バリアフリー:
- 5.0
- レストラン内は段差はありません。
- 観光客向け度:
- 5.0
- この時期の話のネタにはもってこいでしょう。
-
投稿日 2020年07月06日
総合評価:5.0
能美市唯一の駅能美根上駅。元々寺井駅だった駅名を北陸新幹線の開業に合わせて能美根上駅に改称されました。
旧根上町はあの〝ゴジラ松井〟の出身地でもあり、駅前から東へと延びる大成町商店街を〝ホームラン通り〟と名付けてその活躍を応援してきました。
駅前はきれいに整備されてはいますが、やはり田舎という雰囲気は漂っており、平日の昼間では、通学の学生たちがパラパラと利用しているに過ぎませんでした。観光客が用事があるために訪れる駅ではありませんが、地元の人たちの手が至る所に入っていることは嬉しく思います。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 改築5年になるが大変きれいな駅である。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自由通路にもエレベーターが完備している。
-
投稿日 2020年07月01日
総合評価:5.0
安宅の関址を敷地内に抱える安宅住吉神社。創建が奈良時代に遡ることから、安宅の関が神社内に設けられたと思いがちですが、実は三度の移設の後この場所に鎮座することになったため、関址近くに神社が来たというのが事実です。
南参道入口駐車場から階段を上ると神社境内となります。時期や時間に左右されるのかも知れませんが、参拝客に対し安宅の関について説明をして頂けるようです。境内には弁慶の銅像があり、まさしく勧進帳の世界を今に伝える〝記念物〟となっています。
関址の碑を越えて行くと勧進帳の役者富樫と義経を祀った社があり、安宅の関入口碑手前には勧進帳のワンシーン源義経・武蔵坊弁慶・富樫泰家の3名が並ぶ銅像が建立されていました。
移設して来た神社と安宅の関址の関係はほとんどないように思っていましたが、それぞれの立ち位置からお互いの関係の深さをアピールされており、それらの歴史を肌で感じることができる場所として共存していることは、歴史好きにはたまらない面白さを感じられる場所でした。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 小松駅から車で10分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期や時間に寄ります。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂利敷です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史ある建物にうっとりします。
-
投稿日 2020年07月11日
総合評価:5.0
郵便局巡りin北陸で宿泊しました。小松市という場所柄温泉旅館というものがなく、温泉のある格安ホテルの条件で探しました。
小松空港・小松インターチェンジの近くにあり、ビジネスユースにはもってこいですが公共交通機関を利用しては少し不便な場所かも知れません。
ホテル自体は結構年期が入っているものの、リニューアルされており客室や通路等共用スペースも奇麗になっていました。食事は別棟のレストランで頂く形をとっており、このご時世目に見えた〝コロナ対策〟が取られておりあんしんして利用できました。
浴場は天然温泉を加温したものでサウナもありましたが温泉だけで十分満足できるものでした。また日帰り入浴も受け入れており、夜は時間帯にもよりけりですが若干混みあってしまうときもあるようです。
一言で行ってしまうと〝並のビジホ〟になってしまうのでしょうが、1泊2食付きのツイン宿泊料金は5,000円程度。そのことを踏まえるとコスパの高過ぎるホテルだと思います。都市部のホテル故になかなか次回も…とは言えませんが、きっかけがあったら是非ともお世話になりたいホテルでした。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 北陸自動車小松インターからすぐ。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 2足付きで5,000円程度は安い。
-
投稿日 2020年07月09日
総合評価:5.0
伊弉諾尊と伊弉冉尊が黄泉の国の境に於いて対峙した際、その仲を取り持ったとされる女神が菊理媛尊とされています。和合・縁結びの神として崇敬を受け、白山比神社の御祭神である菊理媛尊を、所用の際に白山山頂へと運ぶ役割を果たす〝神馬〟がここに祀られている。
地元の豊富な産物のひとつである〝ケヤキ〟の大木を素材にして奉製し、絢爛豪華な装飾を加えたものは正に神馬そのものである
神話の世界をどう解釈するかはそれぞれだが、神秘性さえ併せ持つ神馬が霊峰白山山頂まで菊理媛尊を運んで行く姿は、目の前に浮かんでくる位のリアリティ感が漂っている。
国の創成期にもし行けるのであれば、是非ともその姿を拝みたいと考えるのは私だけではないであろうと思う。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 白山比神社神門入ってすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 偶々誰とも会わなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 石畳なので大丈夫であろう。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 神秘性のある馬に惹かれる。
-
投稿日 2020年07月09日
総合評価:5.0
白山比神社北参道から入山し、手水舎の横に水道が設けられている。霊峰白山水系の伏流水は延命長寿のご利益があるとされ、遠くからも汲みに来る者も多い名水だ。お供えを入れる箱があり、それ以外はそれぞれの自主性に任されて運用されている様であった。
手ですくって飲んでみたが柔らかい感じの飲みやすい水であった。このご時世ゆえ持って帰ることまではしなかったが、飲み終えた後に〝生水のため煮沸してから引用下さい〟との一文を見つけた。多飲したわけではないので何もなかったが、せっかくの霊水の名前を汚してしまいかけたことに反省した私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 白山比神社北参道から入ってすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 悪くはないが滑る危険性はある。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 水道の蛇口以外は重みを感じた。
-
投稿日 2020年07月09日
総合評価:5.0
白山比神社幣拝殿左に聳えている御神木。昭和58(1983)年に石川県で行われた植樹祭に於いて昭和天皇が境内の杉の種を手蒔きされたことに歴史が始まっている。その際の苗木をこの場所に植えたものを御神木として崇め、現在に至っている。
37年の歴史では感じるものはないのでは…とも思っていたが、3本の真っ直ぐに伸びる杉の木が発する威厳には圧倒されてしまった。
御神木と呼ばれるには、単に樹齢だけではなく、その生い立ちも大きく影響することを改めて感じさせられた対面であったように思う。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 白山比神社幣拝殿左側にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときは一組の夫婦が来ていた。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂利敷きである。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 御神木には血統もあることを痛感した。
-
投稿日 2020年07月09日
総合評価:5.0
白山比神社神門付近に位置する境内摂社である荒御前(あらみさき)神社。荒御前大神他三神が祀られており、仲哀天皇の皇后であった神功皇后の三韓征伐時の守り神となったとされている。
神話の世界の人物ゆえに存在すら疑わしい神功皇后ではあるが、誉田別尊(後の第15代応神天皇)をお腹に宿したまま戦った〝女傑〟でもある。
そのような伝承からどんな苦境に於いても〝勝つ(克)〟ご利益があるとされ、多くの参拝者が願をかけるために訪れている。
静かな場所にある派手さもない御社からはパワースポット的なものは感じられないものの、〝静かなること林の如く〟の風林火山の一説をふと思い出させる不思議な場所であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 白山比の境内摂社です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れたときにここでは誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂利と石畳である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 風林火山の一説を思い浮かべさせた場所であった。
-
アクセスを考えなくて良いモールです。
投稿日 2020年06月30日
総合評価:5.0
市街地の少し外れにあるイオンモール新小松。郊外型の大規模店舗の典型的な〝どでかいショッピングモール〟です。
交通機関を利用してのアクセスは・・・と思いきや小松駅からシャトルバスが運行されており無料で利用できます。マイカーならば3,400台あまりのキャパを持つ駐車場があります。
イオンスタイルのスーパーに加え様々な分野の店舗が並んでおり、見て回るだけでも飽きはこないレベルです。各種お土産も品揃え豊富なために、観光バスが立ち寄ることがあることにはびっくりしました。
郵便局も入っておりモール内局の特徴であるイレギュラーな営業時間となっており、平日ならば郵便が18:00、貯金が17:00迄窓口が開いており、仕事帰りの買い物を兼ねて利用することができるため使い勝手は良いと思います。
ただやはり大型ショッピングモールには違いないので端から端まで歩く距離はかなりあります。
時間は潰せるが体力勝負でもある。そんなイメージの強いモールでした。- 旅行時期
- 2020年06月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 小松駅から無料のシャトルバスがあります。
- お買い得度:
- 5.0
- イオンスタイルはスーパーですからPV商品も豊富です。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはありません。
- 品揃え:
- 5.0
- 多過ぎて目移りしそうです。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープ・エレベーター完備です。
-
投稿日 2020年07月07日
総合評価:5.0
小松駅と能美根上駅の間にある明峰駅。駅と名は付くもののJR時代の〝無人駅〟の色濃い駅である。国鉄時代はなかった駅で近隣住民の要望をうけたJRが設置し、開業したのは昭和63(1988)年10月1日のこと。当初から小松駅管理下の無人駅としてスタートし、現在に至っている。
駅前にバスターミナル等はなく、自転車置き場の利用が多いことから見ても近隣の高校生の利用の多さが伺える。
2面2線のホームだけしかないが、ホーム長に対する土台が心許ないのが気にかかる。早朝の福井~金沢間に6両編成が走っているようだが、訪れたお昼頃には2両編成のワンマン運行車両でしかないためなんとか安心できる。
何もないところを走る新しい車両がひと際目を惹く駅でもあった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 何もないがキレイに保たれている。
- バリアフリー:
- 3.0
- ホームへは階段があった。
-
投稿日 2020年07月31日
総合評価:5.0
白山比神社北参道駐車場隣にあるくろゆりの里、元は比神社の絵馬殿兼無料休憩所だったものを、建て替えの際に一階部分を借り受けて地元物産主体のお土産販売所としてオープンしました。
二階に比神社宝物殿がある関係で〝コンロ〟が使えないために、料理の提供はされていませんが、地元ならではの食材を使ったお土産は目新しいものが多く、白山さん参拝に訪れた折にはぜひ訪れたい場所のひとつです。
また無料休憩所としての〝まちの駅獅子の里つるぎ〟の一端を担っており、土産物屋に入ると必ずある〝客引き〟がなく、休憩所として利用できることも良いところでした。ただ白山さんの参拝者動向に合わせて17:00迄の営業なので、夕方に訪れると少し残念感はあります。- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 白山比神社北参道駐車場隣り。
- お買い得度:
- 5.0
- ここならではのものも多い。
- サービス:
- 5.0
- しつこくないのが良い感じ。
- 品揃え:
- 5.0
- 確かに良い。
- バリアフリー:
- 5.0
- 建物に下りる際スロープがあった。
-
投稿日 2020年07月24日
総合評価:5.0
日本海循環線の一端を担っていた北陸本線。その昔は米原~直江津間の在来線として我が国に於ける鉄道路線の一幹線として知られていました。しかし平成27(2015)年3月14日に北陸新幹線が開業し、直江津~金沢間が三セクに移行し、現在は金沢までの路線となっている。
交流電化路線であったため、関西・東海からの直通列車は交直両用車両を用いた特急のみだったが、関西圏との利便性を図った結果徐々に米原からの直流区間が延伸されて行き、現在では敦賀までが直流区間となったため、京阪神からは新快速が直通運行を行っている。
そんな経緯があったため北陸本線には独特の車両が走っていた。急行型車両の475系はともかく電車寝台583系改の419系等〝田舎のローカル線〟一色の車両に交じって485系特急が走っていた頃は鉄色満載だった。そんな時代は過去のものとなり、特徴のない521系や681・983系特急が走っている。スピード化の波故であることは仕方がないが、鉄旅の面白みは薄れてしまった。おまけに利用頻度すら疑わしい北陸新幹線敦賀延伸になると、三セク化が伸びて米原~敦賀間の接続線でしかなくなってしまう。
関西エリアの一行楽地である加賀温泉。今はサンダーバードに乗っての旅であるが、今後はどうなってしまうのか?敦賀で新幹線に乗り換えて行くところでもない気がする。新幹線にはしっかりと〝加賀温泉〟と〝芦原温泉〟の両駅は作られる。今までも新幹線開業に伴う在来線沿線の廃れは一目瞭然となっている。数十年前に直江津~米原間を完乗したものからすると、そんな景色を見たくはないのが本音である。- 旅行時期
- 2020年06月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 距離相応である。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間・区間によりけりである。
- バリアフリー:
- 5.0
- 昔はステップがあったが今は無くなっている。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- バスとのアクセスは良いと思う。
- 車窓:
- 5.0
- 長閑な風景が広がっている。
-
国鉄信楽線開業当時からある駅は、タヌキのお出迎えがありました。
投稿日 2020年07月14日
総合評価:5.0
国鉄信楽線が開通した昭和8(1933)年5月8日に 開業した歴史ある駅です。当時は唯一の中間駅でもあり貨物取り扱いもあった有人駅でした。その後貨物の取り扱いがなくなる頃に無人化され、JR西日本を経て信楽高原鐵道の駅舎となり現在に至っています。
その当時の名残からか駅前広場は結構広さがあり、甲賀コミュニティバスや帝産バスのミニバスが駅前のバス停に乗り入れています。
利用客は中間駅では最も多いものの150~200名程度であり、やはり通学で学生が利用することの多さを伺えます。
駅舎隣に公衆トイレが設けられているが、甲賀市の管理の下清掃は行き届いており快適に利用できるものとなっていた。また駅舎も然りで花が絶えず清掃の行き届いたものとなっていた。
開業当時からある駅舎を手入れをしながら使っているためにバリアフリー化はされてはおらず、ホームへは階段を利用するようになっていた。ホーム側駅舎入口にはだいぶ年期の入った〝タヌキくん〟が利用者を迎えている。〝おはよう〟〝おかえり〟、何気ない言葉であるが、この文字を見た子供達が育っていった事実を思うと胸が熱くなった私であった。- 旅行時期
- 2020年06月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 駅前の公衆トイレ共々清掃は行き届いてありました。
- バリアフリー:
- 4.0
- ホームへは階段があります。

























































































