entetsuさんのクチコミ(151ページ)全3,931件
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投稿日 2014年04月17日
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投稿日 2014年04月17日
総合評価:4.5
「ソウル市庁西小門庁舎」の「貞洞展望台」からパノラマ風景を覗いた後、徳寿宮に行きました。
徳寿宮美術館は、徳寿宮の一番奥にあります。
3階建てのルネッサンス様式として石造殿の西館と東館が向き合っています。
西館が華麗なデザインの女性的な建物とすれば、東館は直線的なラインが魅力的な男性的な建物。
現在の西館は徳寿宮美術館(国立現代美術館徳寿宮分館)として、東館はかつて宮中遺物博物館として使用されていました(現在は景福宮内に古宮博物館として移転)。
美術館の玄関正門に位置する噴水は韓国最古の噴水と言われています。
この日は、特別企画展が催されていたようで、大勢に人出でした。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
ソウルにある王宮には、風水上の観点で掘られた池や、東屋を配し実際に王が憩いの場所として作られた池などがありますが、ここは、もともと王自らが農業試験を行い、農政を指導した内農圃があったところです。
王宮の公園の奥深いところにこのような畑を作り、王が直接農政を見ていたことは、李朝が国家経済の根幹を農業生産力に置いていたことを意味しています。
元は、この一帯には1個の池と11個の田圃が造成されていたのですが、日本統治時代、春塘池が一つの大きな池として造成されました。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
-
地下鉄「恵化」駅から行くと、「昌慶宮」で最初に巡り合うスポット
投稿日 2014年04月18日
総合評価:4.0
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
地下鉄「恵化」駅から「昌慶宮」に向かうと、壁塀沿いに進みますが、最初に巡り合うスポットです。
李朝第22代王の正祖(イ・サン)が、彼の父、思悼世子の廟にあたる景慕宮にいつでも参拝できるように1779年、弘化門の北側の壁を取り壊して建られたそうです。
正祖が毎月1日景慕宮に参拝する時には必ずこの門を通って行ったため月覲門と名づけられました。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
正門である「弘化門」に沿って南側に下るとある門です。
以前の名前は瑞燐門で、王世子(皇太子)が住む東宮の正門にあたり、朝廷の臣下たちがこの門から出入りしていたと言われています。文禄・慶長の役(1592年)と1857年に焼失、1877年に再建されました。
ここは、「イ・サン」にまつわるスポットです。
英祖の時代、思悼世子(サドセジャ、イ・サンの父)は、政治的な派閥の争いの中で濡れ衣を着せられ、英祖の命令によって米櫃の中に閉じ込められた8日後に餓死してしまいます。
その亡骸を運び出したのが、この門ということです。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
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主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョンヨン)」に使われていた建物。
投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
「崇文堂」は文字通り、主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョンヨン)」に使われていた建物。
第20代王・景宗のときに建てられ、その後第23代王の純祖の時代の1830年に大火で焼失し、その年の秋に改築され、現在に至っているそうです。
崇文堂の扁額(文字や絵などを刻んで壁や紋の上に掲げる板)と「日監在茲」と描かれた掲板の文字は、第21代王の英祖の手によるものだそうです。
英祖は特に学問を推奨し、秀才を養成しましたが、ここで自ら成均館の学生たちと接見、試験を行い、また時には酒宴を設けて彼らを励ましたと言われています。
「トキメキ☆成均館スキャンダル」を思い出します(笑)。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
-
投稿日 2014年04月19日
総合評価:5.0
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
王の執務室に該当する便殿(ピョンジョン)。
内部は他の殿閣とは違って開放されています。
玉座や「日月五岳屏」などをより近くで見ることができました。
正殿である「明政殿」に比べて建築手法が簡潔で素朴です。
この文政殿も、文禄・慶長の役で焼失。光海君の時に正殿である明政殿とともに再建されました。
しかし、日本統治地時代に昌慶苑として造成された際に取り壊され、1984年に始まった昌慶宮発掘作業を土台に1986年に再建されたのだそうです。
昌慶宮の中心一郭がすべて東向きに建てられているのに対して、唯一この文政殿のみが南を向いているのが特徴だそうです。
文政殿の横の広場が、イ・サンの父、思悼世子(サドセジャ)が米櫃に閉じ込められ8日後に亡くなった場所です。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月18日
総合評価:5.0
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
昌慶宮の正門で、1484年に建築されました。
文禄・慶長の役の時に全焼し、1616年に再建されたものが現在まで残っています。
再建後も修理と丹青が繰り返されてきたため、本来の美しさは影を潜めているそうですが、17世紀初めの木造建築物の研究資料として重要な価値を有しています。
「弘化門」は正門で、塀の左右に十字閣が置かれ、他の王宮の正門とは違って東向きに建てられています。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
「昌慶宮」の正殿にあたり、王宮内で最高の殿閣とされ、見るからに立派。
李朝の王宮正殿内の建物がほとんど南向きに建てられているのに対し、「明政殿」だけは東向きに作られています。
「明政殿」を中心に即位式、朝賀の儀式、科挙の試験、各種宮中宴会など公式的な大きな行事がたくさん行われました。
「明政殿」は現在残っている韓国王宮の正殿のうちで最も古いもので、文禄・慶長の役で焼失していたものが1616年に再建されて、現在に至っています。
天井には金色の鳳凰が描かれ、これは国宝226号だそうです。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
韓国の王宮には必ず川があります。
これには、「風水」と関わりがあるといわれています。古宮や王陵は昔から風水地理学的によい場所に立てられていたこともあり、どこも気の溢れるスポッで、それぞれ古宮の「気」の流出を防ぐために川を作りました。
これは宮殿の内外を区分し、一般人の出入りを禁止するという意味だけでなく、風水的に「水が吉」と信じられていたため、この地のパワーである「地気」が逃げていかないようにするためだったそうです。
「玉川橋」は、花崗岩で造られた長さ9.9m、幅6.6mの石の橋。
王宮の中心にあたる建物である正殿に入っていくときは、風水に従い正殿の正門と王宮の正門の間に流れる明堂水(ミョンドス)を渡って入っていくように作られています。
「玉川橋」はまさにその明堂水の上にかけられた橋で、「昌慶宮」創建当時の1483年に造られたものと推定されています。
欄干の細工は、15世紀石像美術の卓越した技術をうかがわせます。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
大小の接見行事が行われたところで、柱のみで構成された開放的な建築様式が特徴で、見晴らしの良い庭にそびえています
第21代王・英祖は、ここを文武科挙で壮元及第(主席合格)した人たちと接見する場として使用したといわれています。
内部には4個の扁額に、中国宋代の詩人「陶淵明」の詩が掛けられています。
五言絶句の形式で四季を詠んだものが方向に合わせ季節ごとに掛けられています。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
明政殿の後方にある内殿の建物の一つで、第9代王・成宗の時代、大妃のために建てられましたが、のちに王妃たちの住まいとして使用されていました。
第22代王・正祖(韓国ドラマ「イ・サン」の主人公)と、第24代王憲宗が誕生したところです。
また、成宗の生母である昭恵王后韓氏、仁顕王后閔氏、献敬王后洪氏が崩御した場所でもあります。
「景春殿」の扁額は、第22代純祖(正祖の子)の手によるもので、現在の建物は1834(純祖34)年に再建されたものだそうです。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
丙子胡乱(1636年、清が侵入した乱)の際、第16代王の仁祖(インジョ)は南漢山城に避難し、翌年戻ってきてこちらに住んだと言われています。
昌慶宮の創建(1484年)時に建てられましたが、文禄・慶長の役(1592年)や丙子胡乱で焼失、そのたびに再建されてきました。
現在の建物は1830年に再び火事にあったものを1834年に再建したものだそうです。
扁額は純祖(正祖の子)の親筆と伝わります。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
「昌慶宮」の創建時に建てられ、文禄・慶長の役(1592年)の際に焼失しましたが1616年に再建。再び正祖の時に火災で焼失しましたが1834(純祖34)年に再建され、現在に至っています。
扁額は純祖(正祖の子)の親筆です。
韓国ドラマ関連で言うと、イ・サンでは、66歳の英祖と貞純王妃の婚礼が行われたといわれます。
また、「トンイ」では、ただの女官だった張禧嬪が王の子を産み、当時の后であった仁顯王后を放り出し后の席に上がったり、肅宗が宮から追い出された仁顯王后のために祈祷したムスリ(宮女に手水を運ぶ女官、トンイ=英祖の母)に出会った所でもあります。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
総合評価:4.5
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
「迎春軒」と「集福軒」が一体になったようになっています。
迎春軒は李朝第22代王の正祖(韓国ドラマ「イ・サン」のモデル)は、何かににつけよくここを訪れたそうで、読書室と執務室として利用していました。
また、病により崩御した場所もこの建物だそうです。
1830(純祖30)年に火災で焼失しますが、4年後に再建され、2000年に改築された部分を解体・復元し、現在に至るそうです。- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2014年04月19日
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投稿日 2014年04月19日
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投稿日 2014年05月15日
総合評価:4.0
セントーサ島はもともとは軍事基地の島でしたが、徐々に観光施設を充実させ、水族館やUSS、大型ホテルなどを誘致し、カジノが出来たのは2010年のことです。
シンガポールでは賭け事は厳しく禁止されてきましたが、外貨獲得を目的に、シンガポールでは2005年にカジノを合法化、2010年2月にセントーサ島に、7月にマリーナベイサンズがオープンしました。
つまり、シンガポール最初に出来たカジノがここと言うわけです。
シンガポール人・シンガポール永住権保持者以外は、パスポートを提示さえすれば、無料で入場できます。(21歳未満は入場不可)
時間の関係でこちらではプレーできませんでしたが、翌々日にマリーナベイサンズカジノを楽しみました。
。- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の快適度:
- 4.0
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二度目は、「屋根部屋のプリンス」ロケ地巡りツアーで訪れました
投稿日 2014年04月12日







































