崇文堂
城・宮殿
3.31
施設情報
クチコミ(11件)
1~11件(全11件中)
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崇文堂
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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王と臣下が学問や国史を論じる場所
- 3.0
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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王様が学識を磨かれた経筵の場所なのねー
- 3.5
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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学ぶところ
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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崇文堂でございます
- 3.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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崇文堂(スンムンダン) 昌慶宮で経筵(キョンヨン)に使われた建物
- 5.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 1
第21代王の景宗(キョンジョン、1688~1724、在位1720~1724)のときに創建。
崇文とは「儒学を崇めて尊... 続きを読むぶこと」という意味。
主に王と臣下が学問や国史を論じる経筵(キョンヨン)に使われていた建物です。
経筵(キョンヨン)はいわば重臣たちとの会議なり勉強会。
李氏朝鮮の政治はすべて儒学を根幹にしているため、新しい政策やアイデアが儒学の思想にそうかどうかの議論を、経典や前例、歴史を参考に論じるわけですね。
経筵は朝講(チョガン)昼講(チュガン)夕講(ソッカン)と、日に3回行われ、そのうち朝講は6時に始まったそうなので、王も臣下も大変だったでしょう。
参加するメンバーは王と重臣の三政丞(サムジョンスン)、承旨(スンジ:王の秘書官)宮廷要職者など10数名ほどでした。
確かに勉学の場ではありますが、朝鮮王朝第21代王の英祖は、ここでよく酒宴を催して臣下の労をねぎらったのだとか。
崇文堂の扁額と、「日監在玆」の掲板は英祖による直筆です。
第23代王の純祖(スンジョ)時代、1830年に大火で焼失しましたが、年内に素早く改築され、現在に至っています。
崇文堂から見たとき、宮殿の屋根が一番美しく見えるように設計されてます。
勉強を終えた王が景色を楽しめるように工夫されたのだそうです。
閉じる投稿日:2015/05/23
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学問の場所
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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学問への情熱を涵養する場。
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョンヨン)」に使われていた建物。
- 4.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
「崇文堂」は文字通り、主に王と臣下が学問や国史を論じる「経筵(キョン... 続きを読むヨン)」に使われていた建物。
第20代王・景宗のときに建てられ、その後第23代王の純祖の時代の1830年に大火で焼失し、その年の秋に改築され、現在に至っているそうです。
崇文堂の扁額(文字や絵などを刻んで壁や紋の上に掲げる板)と「日監在茲」と描かれた掲板の文字は、第21代王の英祖の手によるものだそうです。
英祖は特に学問を推奨し、秀才を養成しましたが、ここで自ら成均館の学生たちと接見、試験を行い、また時には酒宴を設けて彼らを励ましたと言われています。
「トキメキ☆成均館スキャンダル」を思い出します(笑)。
閉じる投稿日:2014/04/19
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英祖直筆・・・
- 4.0
- 旅行時期:2012/07(約14年前)
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昌慶宮‘崇文堂’学問を修める場所
- 4.0
- 旅行時期:2011/06(約15年前)
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