明政門
史跡・遺跡
3.33
施設情報
クチコミ(15件)
1~15件(全15件中)
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明政門
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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明政殿の前の門
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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塀の役割の行閣も見どころですよ
- 4.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
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明政殿への入り口
- 3.5
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
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中門
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
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明政門でございます
- 4.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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明政門(ミョンジョンムン) 明政殿の正門にして昌慶宮の中門 宝物第385号
- 5.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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正殿・明政殿(ミョンジョンジョン)の正門で、昌慶宮全体からすると中門に当たります。
建物の大きさは正面3間、側面2間... 続きを読むで、建物の両側は行閣(ヘンガッ)と連結しています。これは、官吏たちの休憩の場や物品保管所として利用されていた建物で、塀の役割を兼ねている建物です。
昌慶宮創建当時1484(成宗15)年に建てられた明政門は豊臣秀吉の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失してしまい、現存の建物は、1616(光海君8)年に再建されたものとされています。
南側と北側の行閣の一部は日本統治時代に撤去されましたが1986年に復元されました。
このとき、以前はあった南側の光政門(クァンジョンムン)、北側の永清門(ヨンチョンムン)は復元されなかったのでしょうか、見つけることができませんでした。
朝鮮王朝時代の他の宮廷は、大体3つの門を通って本館に出るように作られていますが、これは3つの関門を配置することで飛んでくる矢を防ぎ、王を守るための設計。
しかし昌慶宮の場合、正殿の明政殿の前には明政門と弘化門の2つしかありません。
このため明政殿と昌徳宮全体の正門である弘化門は王の命を敵から守るため一直線上にならないように設計してあります。
明政殿の裏手に回ると、王の座った玉座の当たりから2つの門を見ることができますが、通常重なるはずの門柱がずれて、一直線上にないことがはっきりわかりますよ。
閉じる投稿日:2015/05/23
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昌慶宮の中門
- 3.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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昌慶宮の中門。
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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最初に通過する昌慶宮内の内門です
- 4.0
- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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明政殿の正門
- 4.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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正殿の明政殿の正門
- 4.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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昌慶宮・明政殿の正門
- 3.5
- 旅行時期:2012/07(約14年前)
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昌慶宮の中門・・・
- 4.0
- 旅行時期:2012/07(約14年前)
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昌慶宮‘明政門’正殿・明政殿の正面入り口
- 4.0
- 旅行時期:2011/06(約15年前)
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