思悼世子の亡骸を運び出したのが、この門
- 4.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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by entetsuさん(男性)
ソウル クチコミ:553件
「昌慶宮」をウォーキングした際、見学しました。
正門である「弘化門」に沿って南側に下るとある門です。
以前の名前は瑞燐門で、王世子(皇太子)が住む東宮の正門にあたり、朝廷の臣下たちがこの門から出入りしていたと言われています。文禄・慶長の役(1592年)と1857年に焼失、1877年に再建されました。
ここは、「イ・サン」にまつわるスポットです。
英祖の時代、思悼世子(サドセジャ、イ・サンの父)は、政治的な派閥の争いの中で濡れ衣を着せられ、英祖の命令によって米櫃の中に閉じ込められた8日後に餓死してしまいます。
その亡骸を運び出したのが、この門ということです。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/04/19
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