エロシさんのクチコミ(71ページ)全6,830件
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投稿日 2020年09月20日
総合評価:4.0
会津戊辰戦争の激戦地となった中心地がこの鶴ヶ城です。場内にある天守閣を含む建物は麟閣を除き、殆どのものが再建されたものですが、古写真などと比較しても当時の姿に忠実に再現されており、見応えがあります。何よりも実際のこの場所で明治維新の鍵となる戦いがあったと言うだけで見る価値があります。
会津若松に行ったならば必見です。- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2020年09月19日
総合評価:2.5
鶴ヶ城の本丸内東側に御三階跡があります。竹の柵の中には、少し掘り下げた場所に石積みの遺構が残っており、一部はシートが掛けられ発掘中の様で余り見応えはありません。鶴ヶ城に来る前の日に七日町通りにある阿弥陀寺に行ったので、あそこにあった御三階は、元はここにあったんだなとと思うと、結構優雅なお城だったんだなと思いました。
是非、阿弥陀寺にも行って来て下さい- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2020年09月19日
総合評価:3.0
鶴ヶ城の本丸の南東部にある茶室が麟閣です。千利休の子供である千少庵が建てたとされる茶室で戊辰戦争後城下に移築されていたものを平成になって元の場所に戻したそうです。苔むした庭園の中には寄付、中門などもあり質素ながら優雅な感じがします。麟閣自体は外からの見学しかできませんが、抹茶を楽しむことが出来ます。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年09月19日
総合評価:3.5
外堀通りの飯田町交差点を北に行った所にオレンジ色の屋根が印象的な石造り洋館があります。それが二葉館です。川上貞奴が福沢桃介と過ごした家で外観は洋館ですが、中には和室もあり、綺麗なステンドグラス、螺旋階段など内装も凝っています。川上貞奴の資料も展示されていて入館料も安く見応えのある建物です。
- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年09月18日
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投稿日 2020年09月18日
総合評価:2.5
鶴ヶ城の本丸広場の南東部の土塁の前に荒城の月碑が建立されています。滝廉太郎の曲で知られる「荒城の月」は、戊辰戦争で荒れ果てたこの鶴ヶ城をモチーフとして土井晩翠が作詞しました。それを記念して建てられたのがこの石碑です。土井晩翠直筆で4番までの歌詞が書かれています。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2020年09月18日
総合評価:3.0
鶴ヶ城公園の案内所から天守を左手に見て渡り櫓に沿ってあるいて行くと鉄門があります。この鉄門を潜ると本丸広場に抜けることが出来ます。鉄の板で扉、柱を覆い、防御力を高めた門(勿論再建)で、戊辰戦争の際には、松平容保が鉄門の上で指揮を執っていたと言われます。黒光りした門扉は見るからに防御力が強そうです。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年09月17日
総合評価:4.0
戊辰戦争の激戦の舞台となった会津藩の本拠地であった鶴ヶ城の城跡が鶴ヶ城公園として整備されています。本丸を囲む堀の周りに北出丸、西出丸、二の丸があります。戊辰戦争で壊滅的に破壊され、現在当時の姿をそのまま残すものは石垣と濠位しか残っていません。しかし、戊辰戦争の歴史を知る上でも再建された天守等を見学することは明治維新の学びにもなり面白い。会津観光で一番の観光地だと思います。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2020年09月17日
総合評価:2.5
鶴ヶ城の北出丸から椿坂を上って本丸に入る所にあった門が太鼓門です。L字型に曲がった所に巨大な石で組まれた石垣がある場所に太鼓門がありました。現在は門跡がのこるだけですが、この石垣の大きさからすると相当重厚な櫓門だったことが分かります。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2020年09月16日
総合評価:2.5
鶴ヶ城の南西の住宅街の中に山本覚馬 ・ 新島八重生誕の地碑があります。NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公になった新島襄の妻 山本八重、その兄の山本覚馬が生まれた場所です。正確には碑の立つ場所から更に30m程西に行った現在駐車場になっている場所が生誕地。生誕の地碑が何故離れた所に建てられたのかは知りませんが、鶴ヶ城からこれ位の場所に住んで居たことが現地に行って初めて分かりました。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2020年09月16日
総合評価:2.0
鶴ヶ城を北東に行った大通り沿いに山鹿素行誕生の地があります。そこは「愛」の字の兜で有名な天地人!直江兼続の屋敷跡でもあります。上杉景勝が会津に来た慶長3年から6年までの4年間この場所に屋敷を構えていたそうです。現在は何の遺構も残っていませんが、要人が居を構える重要な場所だったようです。
- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2020年09月15日
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投稿日 2020年09月15日
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投稿日 2020年09月14日
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投稿日 2020年09月14日
総合評価:2.5
鶴ヶ城の北ノ丸から北に延びる道で、会津戊辰戦争における降伏式が行われました。その案内板は白露庭沿いに設置されています。戊辰戦争の中でも鶴ヶ城に1か月も籠城し戦い続けたた会津藩士の屈辱的な姿がこの地にあったことが想像できます。
案内板に書かれた山本八重の句も印象的です。- 旅行時期
- 2020年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2020年09月13日
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投稿日 2020年09月13日
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投稿日 2020年09月12日
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投稿日 2020年09月12日
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投稿日 2020年09月11日











































































