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arfaさんへのコメント一覧(43ページ)全475件

arfaさんの掲示板にコメントを書く

  • 32枚の写真と丁寧な写真が胸を打ちます。

    arfaさん

    キリング・フィールドは映画、テレビのドキュメンタリーなどで見ましたが、こんなに残酷な拷問の実態を紹介していることは知りませんでした。32枚の写真と丁寧な写真が胸を打ちます。
    あんなに温和なカンボジアの人達がなぜ罪の無い子供たちまで殺せるのか?

    >日本人やドイツ人もよく言われますが几帳面な種族は反面、狂気の残酷さを持つそうです。カンボジアの悲劇も几帳面なカンボジア人だからこその徹底なのでしょうか。

    アウシュビッツの狂気も恐ろしいですが、クメールの拷問はその比でない残虐さを感じます。
    arfaさんのお言葉、几帳面な国民性は集団心理に陥りやすいのかなあ、と考えてしまいます。
    2006年02月06日22時47分返信する 関連旅行記

    RE: 32枚の写真と丁寧な写真が胸を打ちます。

    さすらいさん、お久しぶりです。

    子供までと言うのは拷問で反動分子の名前を言わなければ殺してもらえず永遠に苦痛を味わうという極限で出た名前なんだと思います。殺すポルポト派の兵士も分かってるんですが殺さなければ自分が反動分子として殺されるというチクリ合いの恐怖政治時代の産物なんでしょう。

    以下は他の人に書いたもののコピーですが失礼ご容赦ください。

    長くなりますがアメリカ傀儡のロンノル政権を倒すため、ポルポトが援助を求めたのは中国でした。ベトナムやタイは国境を接しているため見返りを要求される、また援助を口実に侵略されると考えたようです。
    毛沢東に伝授された共産主義の理想は農業生産による自給自足。盲目的な従順さで従うのは無教育な民と信じ込まされ実行したわけです。文字が読めるだけで(いらない知識を得ないために)反動主義者とされました。
    当時、世界有数の豊かな国カンボジアは日本よりはるかに早く特撮映画を作製し、国内の映画館は大賑わいで豊かさを背景にシアヌーク国王は国の将来は人材と教育を推奨していました。当時の教師は20万人あまり。これが2年間のポルポト後にはわずか1万人まで激減。

    政治家、官僚、学者、弁護士、教師、僧侶他、国家・人民の基幹となる人物はほぼ抹殺されました。エリート層の人物を農村に強制疎開させ毛沢東が政治犯(反毛沢東派)を合法的?に殺すため(1日たしか700kcalの食事しか与えない)の方法で衰弱死させたそうです。これはどんな頑強な人でも2年持たないといわれています。

    毛沢東の狙いは「1年に3回も米の収穫できる国」カンボジアの支配でした。カンボジア人を奴隷と化し国家が成り立たなくなった頃にカンボジアから連れて来た若い女性500名に中国人と結婚させ子供をもうけさせ毛沢東主義を徹底して教育。カンボジア人と称しカンボジア政府の要職に据え中国の属国化すること。これが真の狙いだったそうです。

    トゥールスレンではまた人口の大幅減を狙い(最低限の奴隷生産力のみ確保)、誰かの名前を言わないと殺してもらえない拷問責めで苦し紛れに名前を出された生後間もない子供まで反動勢力活動家として殺されました。キリングフィールドの骸骨は性別、年代別にきちんと並べられているのでその狂気には背筋が凍ります。殺すことを拒否した兵士も反動主義者にされるのですから落ちるところまで転がるしかない訳です。

    プノンペン陥落後にポルポトも気が付き「毛沢東にだまされた。」と悔しがり、自分のしたことを泣いて悔いていたようです。
    2006年02月06日23時32分 返信する

    RE: RE: 32枚の写真と丁寧な写真が胸を打ちます。

    arfaさん

    いろいろな情報をお教えいただきありがとうございます。
    カリスマ性のある独裁者を盲信してしまう人間の恐ろしさをつくづく感じます。トップの教えの名のもとに命令となれば人間はどんな残酷なこともやってしまうのですね。
    日本のオームも同じ部類ではないでしょうか。
    人間の残酷な本質的な面を考えてしまいます。
    2006年02月06日23時56分 返信する

    RE: RE: RE: 32枚の写真と丁寧な写真が胸を打ちます。

    arfaです。おっしゃるとおりカンボジア人はとても温厚な人達ですが日頃おとなしい民族は集団心理に陥ったときにその反動か、残虐性が強いといわれます。

    日本人、ドイツ人、ロシア人、カンボジア人。本質的な残虐性は中国人などの方が強いのでしょうが、従順の反面という面では上記の4民族が強いのかなとか思います。

    もう亡くなった大叔父が中国戦線に出征していたときの話を聞いた時に気分が悪くなったのを思い出しますが、日頃温厚な人でも特殊な状況ではいくらでも残酷になれるものだと思います。

    話は「泣き叫ぶ村の娘を集団レイプし、その後部隊に訴えられては困るので筵で簀巻きにして川に生きたまま放り込んで殺す。」
    「暇つぶしに八路軍がいると決め付け、村を包囲して火を付ける。火の中から逃げてくる人を捕まえて頭と足を持ちまた火の中に放り込む。繰り返して皆殺しにしたら遊びが終わり。」など、普通では考えられない残酷なものでした。ただし、中国軍に捕まると更にむごい拷問と言うかリンチにかけられたようです。生きたまま土に首だけ出して日干しの生き埋めとか、高い板の上に首を出して固定し、カラスにつつかせて殺すとか等々聞きました。

    人間って本性は最も残酷な動物なんでしょうかね。見たくないですが。

    2006年02月07日00時20分 返信する

    RE: RE: RE: RE: 32枚の写真と丁寧な説明が胸を打ちます。

    arfaさん

    中国での日本兵の残虐行為の話を伺うと南京大虐殺など中国の反日運動も虐殺の人数は別として、ひどい行為をしてきたことは率直に認めなければならないですね。
    どの戦争でも残虐行為はありますね。
    戦争は人間を極限の状況に追い込むのでしょうし、そのとき、理性を無くした動物的な本性が出るのではないでしょうか。
    戦争はなんとしても避けなければならないと思います。
    2006年02月07日01時03分 返信する
  • こんばんわ☆

    書き込み有難うございました♪早速お邪魔させてもらいました。

    arfaさんのマイページを拝見して、改めて「写真はもっと撮っておくべき」と思いました(涙)まだ私にとっては未開の地である東南アジアをいろんな角度から見せて頂いたようで、その空気にますます触れたくなります!

    また是非じっくり見せてもらいます♪



    2006年02月05日22時10分返信する

    RE: こんばんわ☆

    いやいやこちらこそ早速のご訪問ありがとうございます。コーヒーはベトナム式がいいですか?それともトランコトラジャになさいますか?

    僕の写真が多いのは目で見た記憶は必ず忘れるものだと思ってるんで見えるもの全て撮っておきたいタチなんですね。写真を続けてみてるとあああそこに行ってからどこに行ったんだ、途中はこうだった。とか見た風景が蘇るからなんです。

    フィルムカメラの時はペースを考えながら大体6〜7本持って行き(日本の方が安いから)現地でプリントしてました。足らない分は現地で購入しますが日本より高い!んですよね。(3本とか5本パックがないため)

    デジカメになってからは充電器を持っていくので気軽に取れます。

    引越し後、写真やネガがどこかの箱に入れたまま行方不明なんですが見つかればまたそのうちアップしますので見に来てください。
     
    パッケージツアーもガイドも基本的には嫌いで自分で調べて現地到着後ホテルも行き先も決める旅スタイルなんであまり広範囲を効率良く回れないのですが、その分地元の人達と仲良くなったりしてお泊まりなんかも何度か経験してます。英語も他の言語も苦手なんですけれどなんとなく気持ちが通じるのが楽しいです。
    2006年02月05日22時33分 返信する
  • ポルポトとキリングフィールド

    ポルポトは中国の文化大革命当時、中国に招かれその様を
    自国で踏襲してしまうのですよね。
    狂信的な共産主義の果てにクメールルージュを
    率いて農村至上主義を打ち出し、知識階級の人々を中心に
    云われ無き粛清と云う名の虐殺に走る。その数は数百万とも云われる。
    もう中国の毛さんとこの文化大革命をモデルにしているから、
    酷いもんです。 それにしてもあの頃の日本の一部メディア
    は妙に文化大革命を礼賛していたもんです。( ̄□ ̄;)!!

    arfaさんの画像にてクメールルージュ時代の虐殺の様を
    改めて確認しました。 人間っていったい何なんだろうと思ってしまいます
    狂信的な指導者がうまれる土壌が在ったといえばそれまでなんだけど。


    2006年01月31日20時27分返信する 関連旅行記
  • ガムラン、竹の風鈴・・・

    書き込みありがとうございました。
    カンボジアの市場の“エイリアンみたいな”不気味な物体は魚ですか。近寄るのがためらわれるほど薄気味悪い形をしていました。
    ウブドには9年前に1度だけ行きました。いつも慌しい旅行をしているのですが、あのときだけは、現地の男性と結婚した日本人女性がやっている安いゲストハウスで10日弱ぐらいぶらぶらしていました。
    arfaさんはバイクみたいですが、私は自転車であちこち走り回っていました。道に迷ったり、結構アップダウンがあったりして苦労した記憶もあります。
    葬式があると聞いて、宿の方に現地の正装を着付けてもらい、ちょっと間抜けな格好で葬式見物(向こうの葬式はお祭りです。)にテクテク歩いて出かけたこともありました。
    現地のいる間はそんな日々がいまひとつ刺激に欠けるような気がしていたのですが、時がたつと逆にガムランの響き、オープンエアーの食べ物屋さんを吹き抜ける風、その風に鳴る竹の風鈴の音色、そんなのどかな記憶がとても懐かしく思い出されます。
    ゲストハウスは民家の中にあり、あたりに放し飼いされている鶏がいつも鳴いていました。そのため今でも鶏の鳴き声を聞くとウブドの田園風景を連想してしまいます。またそのうちゆっくりと訪れたいものです。
    パキスタン(フンザやモヘンジョダロ)や中近東(遺跡や砂漠)もいいですね。
    私も是非行ってみたいと思っています。
    2006年01月30日21時55分返信する 関連旅行記
  • お邪魔します

    この前は訪問していただきましてありがとうございます。
    ラオスの旅行記を楽しく見させていただきました。
    この前はカンボジア・ベトナム・タイといってきたので、ラオスだけいけなかったのがとても残念です。
    次こそは行ってみたいと思っています。
    2006年01月28日10時37分返信する

    RE: お邪魔します

    ラオス是非行ってみてください。
    私の行った頃と違い結構賑やかになっているそうですよ。かつてタイが「AMAGING THAILAND 2000」と銘打ってキャンペーンを貼り観光客の誘致に成功したのを見て2001年をラオス観光年として観光設備などを整備したようです。最近行った人によるとルアンプラバンの目抜き通りは観光客用のレストラン、土産物屋、カフェ、ディスコなどが乱立してるそうで短期間に街は変わってきてるようです。

    郊外に出れば昔と変わらぬタイの奥座敷、東南アジアののどかな農村風景に出会えると思います。

    かつて日本から電柱の視察に行った人達が驚いたことは電柱が黒檀の木で立ってたそうです。日本などに比べ豊かな自然の恵みを持っているのに最貧国の一つとされているのが不思議です。

    豊かさは収入をドル換算するからであって食料を自給できる人々は本当は豊かなんだと感じられると思います。キチンとした身なり、高い文化どれをとっても他国に劣るようなところは見受けられませんでした。むしろカンボジアの方が擦り切れた身なりに寄って来る物乞いなど貧しく感じられます。
    2006年01月28日11時46分 返信する
  • 不況ですか..?

    今日はお邪魔します.バリ島へいかれウブドまで足をのばされましたか..タクシーの運ちゃん少しかわいそうですね.イスラムの過激派がヒンドゥ教のバリ島ばかり撰んでいるせいで観光産業にかなり影響して居るのでしょうか..ジャワ島の方はどうでしたか?いつか機会が有れば スラワシやカリマンタンに行きたいと思っています.何時の事に成るか夢の又夢みたいな感じですが...また遊びに来ます. Gin
    2006年01月28日08時16分返信する 関連旅行記
  • あちこち旅して

    見聞を広めるのもいい経験ですが、arfaさんのようにカンボジアならカンボジアというように一つの国について知識を深めるのもまた旅の醍醐味ですね。

    今回は色々とまた勉強させていただき、ありがとうございました。m(__)m

    中国はもうすぐ旧正月。しばらく留守にいたします。(^.^)/~~~
    2006年01月23日22時49分返信する

    RE: あちこち旅して

    はい。お気を付けて。

    今年は最終目標は私も中国。ただしウィグルかチベットです。

    中国の旧正月はすごいと聞いていますが花火に飛ばされない

    ようにしてください。
    2006年01月23日23時06分 返信する

    RE: RE: あちこち旅して

    私は上海在住なんですが、以前、旧正月の大晦日に留守にしたところ、その間に打ち上げられたロケット花火がトイレの窓を破ってタイルの床で燃え尽きていたことがありましたよ〜。^^;

    ほかの部屋の窓でなくてよかった〜。(ーー;)

    それ以来、私の部屋が入っているマンションでは、爆竹やロケット花火は住民の損害になりかねない場所での打ち上げを止めてもらいました〜。
    入り口付近では盛大に鳴らされますが。
    2006年01月24日00時19分 返信する
  • こんばんわ〜はじめまして

    うちの板に書き込み頂きありがとうございます

    早速 訪問させて頂きました。
    そしてラオス編を興味深く拝見しました。
    この国は自分にとって未踏の地です。
    こ〜ゆ〜感じの国なのかと画像に見入っておりました。

    昔、四半世紀以上前に<ラオスの伊藤さん>という通り名の
    伝説のバックパッカーが居たんですよ。ラオスに関するオーソリティらしく
    バンコック近辺で知り合った複数のバックパッカー達から
    畏敬の念を持った口調でその名前を聞いたものです。

    そんな事をarfaさんのラオス画像を観ながら
    唐突に思い出してしまいました。(^-^;

    2006年01月22日22時37分返信する 関連旅行記
  • お宝写真拝見させて頂きました(^0^)

    arfaしゃん、本当だ!!
    元画像で広げて見させて頂きました。当時の独立記念塔前付近の道路でさえ舗装されていませんね、ど田舎みたいで驚きです。
    ビエンチャンの一部分でしょうけど、5,6年くらいで大きく様変わりしておりますね。
    公園広場もそうです。
    arfaさん写真を拝見しますと、樹木が広がっていますね。
    現在はあんなに無かったような気がします。
    メコン川沿いの通りには、多くのホテル・GH、お土産や、食堂がへばりつくみたいに並んいますから、当時の写真では、なんと寂れた首都だ想像ができます。
    arfaしゃん、お宝写真ですぞ(爆
    もう10年すると、私の写真も希少価値が上がるかな?
    2006年01月22日15時59分返信する 関連旅行記 関連写真
  • お邪魔します

    arfaさん今日は,当時のプノンペンからゆっくり拝見させて頂きます.いろんな国を見て来ましたが皆さんの昔の写真を見せて頂くと,時代を坂登れば登るほど昔の良さが見えて来ます.時代と共に失なう物も多いですね.そんな時の流れにかまわずメコンは今日も絶え間無く流れて居るのでしようね.Gin
    2006年01月22日05時14分返信する 関連旅行記

arfaさん

arfaさん 写真

28国・地域渡航

32都道府県訪問

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arfaさんにとって旅行とは

旅は知らない人々との新しい出会いだと思っています。最近は中東やヨーロッパも増えてきましたが基本的には東南アジアを一人で気ままに歩くのが好きです。渡航歴はフィリピン11回、カンボジア11回、インド・タイ7回など気に入った国には何度も行くので約70回位かなと思います。
表紙の写真は2009年9月のシルバーウィークに行ったインド・タンジャブールの世界遺産ブリハディーシュワラ寺院近辺で塀に貼ってあった携帯電話のポスターです、インドらしいと使わせていただいています。

自分を客観的にみた第一印象

無愛想。とっつきにくそう。気難しい。一匹狼。集団嫌い。でも人はいい。(^^)

大好きな場所

ラオスの片田舎、カンボジアのプノンペン。ミャンマーのバガン。インドのバーダーミ。

大好きな理由

ゆっくりした時間と甘い空気、心からくつろげます。

行ってみたい場所

南米ギアナのテーブルマウンテン。野生のペンギンがいる南アフリカのボルダーズビーチ、世界最大のビクトリア大瀑布、グレートジンバブエ遺跡。

現在28の国と地域に訪問しています

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現在32都道府県に訪問しています