旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

hijunoさんのトラベラーページ

hijunoさんのクチコミ(30ページ)全1,193件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 島原の鎮守の神として崇められてきました。

    投稿日 2023年10月29日

    島原住吉神社 京都駅周辺

    総合評価:4.0

    もともとは、住吉屋太兵衛の個人宅にあった住吉大明神が良縁の御利益があると多くの人の参拝があり、その後1732年には島原の西北に神社を移し建立されました。広大な敷地を有し、栄えていたそうですが、明治時代の廃仏希釈により廃社となりました。
    その後、また再建されています。島原の鎮守の社といわれています。境内には幸天満宮も鎮座しています。以前は、太夫や芸子の仮装行列による練り物も行われていたようですが、その写真が奥の社務所にありました。古い写真もありました。

    旅行時期
    2023年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 歴史の古いお寺です。新選組の兵法訓練所があった場所で、新選組の近藤勇の遺髪塔、芹沢鴨らのお墓があります。

    投稿日 2023年10月30日

    壬生寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    お寺の起源は古く、991年の創建、律宗のお寺です。境内には千体の石仏が収められた千体仏塔、阿弥陀堂など8棟の建物があります。壬生狂言でも有名です。
    かつて、境内では新選組が兵法の訓練をしていたそうです。新選組のお土産などを販売するお店もあり、その奥には有料ですが、暗殺された新選組の芹沢鴨、平山五郎などのお墓、近藤勇の遺髪塔や胸像、土方歳三の胸像もありました。地下にも小さな資料館があり、寺宝や壬生狂言などの資料が展示されていました。資料館は撮影禁止でした。

    旅行時期
    2023年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 新選組の屯所があったところです。

    投稿日 2023年10月31日

    旧前川邸 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.0

    現在は、個人の住居のために公開されていません。
    土日祝日のみ、当時の勝手口、現在の玄関で新選組に関してのグッズを販売しているそうです。
    幕末のころ、掛屋や公の仕事にも関わっていた前川家はおよそ270坪という大きな家でした。新選組は1863年からおよそ2年間、屯所として使われています。新選組が屯所としてから前川家一家は別の場所に移り住みます。新選組は邸宅を堅固な守りにするために、様々な改修を行い、母屋の納戸からは脱出のための抜け道も造られました。近くに屯所の八木邸もありますが、芹沢鴨の暗殺の際には土方歳三らが、芹沢鴨が角屋より戻り、部屋の灯りが消えたのを確認したのも前川邸で、その後討ち入ったというエピソードもあります。そのほか、西本願寺に屯所を移すまでの間、前川邸では、新選組に関しても数々の出来事がありました。立派な長屋門があります。

    旅行時期
    2023年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 新選組ゆかりの人々の墓所があります。

    投稿日 2023年10月31日

    光縁寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.0

    浄土宗のお寺です。新選組の山南敬介は上層部との意見の対立もあり、最期は捕らえられ自刃し亡くなりますが、山南家の家紋とお寺の家紋が同じだった由縁もあり、こちらのお寺に葬られています。その後も新選組の隊士達が葬られているそうです。以前は門前の近くに新選組の馬小屋もあり、隊士達が近くを行き来していたそうです。
    お寺には注意書きがあり「見物・見学はお断りします」とありました。

    旅行時期
    2023年10月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 新選組の芹沢鴨が暗殺された場所です。

    投稿日 2023年10月30日

    新選組屯所跡・壬生郷士八木邸 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.0

    八木邸は新選組の屯所があったところで、新選組の芹沢鴨が暗殺された場所です。近くの揚屋の角屋で泥酔し、帰宅した夜に暗殺されています。逃げる際につまづいたといわれる小さな文机と暗殺の際に付いたといわれるカモイにある刀傷、そのほか、柱についた刀の傷などを見学しました。見学後はお菓子とお抹茶がついて見学料は1000円でした。
    門より内部は撮影禁止です。ガイドさんの説明があります。

    旅行時期
    2023年10月

  • 日本の初めての切手「龍文切手」も展示されていました。

    投稿日 2023年11月02日

    有馬切手文化博物館 有馬温泉

    総合評価:4.0

    常設展ではおよそ3000点の国内の切手が展示されています。日本初の切手「龍文切手」や有名な「見返り美人」もありました。見学の時は、イギリスの切手の特別展もしており、エリザベス女王やダイアナ妃、皇室の方々の記念切手がおよそ1200点展示されていましした。日本の郵便制度の父といわれる前島密について、また1871年から郵便制度が始まる歴史も興味深く、それに先立って1840年に郵便制度が始まったイギリスの郵便の歴史に関しての展示もありました。
    建物も岩手県にあった馬事文化資料館を移築したもので、江戸時代の土蔵2棟を移築したそうです。300年以上前の古材も使われ、雰囲気のある建物でした。
    有馬温泉の近くにあります。館内は写真撮影が禁止でした。

    旅行時期
    2023年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    展示内容:
    4.0

  • 八角形の形をした古墳時代末期の陵です。

    投稿日 2023年11月02日

    天智天皇陵 山科

    総合評価:5.0

    参拝所までの道が整備されていますが、静かな森の中にあるような大きな陵でした。樹々がそびえたち、とても神聖な雰囲気のある場所です。陵墓のある山科は大化の改新の際の腹心である中臣鎌足の中臣氏の本拠地でもあったところです。参拝した際には、横の脇道から入ったため観る事ができませんでしたが、参道の入り口には日時計があるそうです。
    天智天皇は水時計を採用したといわれていますが、それにちなんで造られたものだそうです。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    見ごたえ:
    5.0

  • 宝物殿には大石内蔵助をはじめ、四十七士の貴重な資料や遺品が展示されています。

    投稿日 2023年11月03日

    大石神社  山科

    総合評価:5.0

    昭和10年 1935年に創建された神社です。赤穂義士 大石内蔵助を祀るために大石内蔵助が隠棲していた近くに建立されています。境内の大石桜はご神木で9.5mの大木です。大石内蔵助の像もありました。
    また、境内には、赤穂義士たちに武器を提供したと語られている天野屋利兵衛のお社もありました。
    宝物館が併設されており、小さな資料館ですが、見どころ満載でした。
    討ち入りの様子を描いた屏風や四十七士の姿を描いた屏風、大石内蔵助の書き物や画、大石内蔵助作の香炉や大石家に合った漬物石で造った大石内蔵助の石像や大石内蔵助が伏見で遊んだ際の落書きや小野寺十内や大高源五の書もありました。また赤穂義士のテレビドラマや映画出の俳優の写真やポスターもあります。
    見学は無料でした。商業用でなければ写真撮影可と許可をいただきました。
    外には可愛いミニホースの花子ちゃんがいました。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    見ごたえ:
    5.0

  • 近くの明智藪で最期を迎えています。

    投稿日 2023年11月03日

    明智光秀胴塚 山科

    総合評価:4.0

    新小栗栖街道沿いにあります。見過ごしてしまいそうな場所にひっそりと塚の石碑と説明板がありました。本能寺の変のあと、坂本城に逃げる途中で、小栗栖の竹藪(明智藪)で深手を負い、自害。首は家来が持ち去り、胴はこちら付近に埋葬されたといわれています。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • 明治天皇陵 伏見桃山陵の麓にあります。

    投稿日 2023年11月04日

    乃木神社 伏見

    総合評価:5.0

    主祭神は乃木希典 乃木静子夫妻です。1916年の創建。衆議院議員でもあり、鉄道などの取締役をしていた村野山人が夫妻の殉死を機に役職を辞し、私財を投じて神社を建立します。日露戦争の際に旅順の攻略などのために南満州で司令部として使われていた民家が移築され当時の部屋の様子を見学できます。宝物館には乃木希典の遺品や生活の用具などが展示されていました。また幼少の時に暮らしていた長府の家も復元されています。門も神門と呼ばれ、台湾檜を用いて造られている立派な門でした。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    見ごたえ:
    5.0

  • 小堀遠州ゆかりの石庭と伏見桃山城から出土した瓦の見学ができます。

    投稿日 2023年11月10日

    御香宮神社 伏見

    総合評価:5.0

    神宮皇后を主祭神として六柱の神を祭っています。安産の神として信仰を集めています。境内から香りの良い水が出て、病を治したといわれ、清和天皇から「御香宮」という名前を下賜されています。徳川頼宣 徳川頼房 徳川義直はこちらの水を産湯として使ったといわれています。今も湧き水があり、水を汲む人もいました。伏見城とも深い関わりがあり、表門はかつて伏見城の大手門でした。拝殿も伏見城の車寄せといわれています。彩色のあでやかな美しい建物です。彫刻の「鯉の瀧のぼり」がみごとです。豊臣秀吉の時代には伏見城中に神社を移築し、伏見城の鬼門除けにしたそうです。伏見城の遺構の石類もあり、希望すると、家紋が入った金箔の瓦などの伏見城から出土した遺物の展示しているところも見学できました。大名屋敷の家紋入りの軒丸瓦や伏見城の鯱の断片や亀甲飾りの瓦などもガラスケースに展示されていました。(社務所のお隣の部屋)また、書院には枯山水の石庭がありますが、こちらは小堀遠州が旧伏見奉行の中に作った庭園を戦後に神社に移築したものです。徳川家光が小堀遠州の庭園を称賛し、5000石を増額、大名クラスに出世したそうです。庭にある大きな手水鉢は1477年と記された珍しいものだそうです。枯山水の美しい石庭でした。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    見ごたえ:
    5.0

  • 幕末に寺田屋事件と寺田屋遭難の二つの大きな出来事があった場所でした。

    投稿日 2023年11月11日

    寺田屋 伏見

    総合評価:3.5

    幕末に二つの大きな出来事の舞台となった場所ですが、当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、今の建物は後に再建されたものだそうです。本来の建物は今は石碑や像がある庭のような場所にありました。1862年の薩摩藩の尊王攘夷の急進派の9名が同じく薩摩藩の鎮撫使によって弾圧された寺田屋事件と1866年に坂本龍馬が伏見奉行の捕吏に囲まれますが、後の奥さんとなるお龍がお風呂から飛び出て危険を知らせ、坂本龍馬らを助けたという逸話で有名な寺田屋騒動の二つの事件の舞台となった場所でした。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 観月の名前の由来は豊臣秀吉の観月の宴が由来となっています。

    投稿日 2023年11月14日

    観月橋駅 伏見

    総合評価:4.0

    京阪の宇治線の駅名にもなっている観月橋は宇治川にかかる橋、観月橋から採られています。現存しませんが、鎌倉時代にもすでに橋がかけられていたそうです。豊臣秀吉の時代になると、かつてこのあたりにあった巨椋池(おぐらいけ)といわれる大きな池がありましたが、そこに堤防を造る河川の工事を行いました。伏見城の築城資材の運搬のためでしたが、排水などにも効果のある治水の工事でした。宇治川の流れを巨椋池から切り離して太閤堤とよばれる工事です。このあたりは平安時代には指月の森といわれて、池に映った月を眺め楽しんでいたそうです。豊臣秀吉の時代にも橋がかけられていて、大友豊後守がの屋敷があったことから、豊後橋と呼ばれていたそうです。明治になって、現在の観月橋の名前に変わっています。ここから見えますが、1928年に造られた近鉄淀川橋梁もあります。

    旅行時期
    2023年11月

  • 伏見から人やお酒、お米を大阪まで往来させていた船です。

    投稿日 2023年11月14日

    十石舟 三十石船 伏見

    総合評価:4.0

    十石舟は淀川でお米やお酒を運び、三十石船は人々,運んだ江戸時代の船です。現在は復元されて十石舟は定員が20名で、宇治川の派流を50分かけて往復しています。
    季節ごとに川べりの景色を楽しめるそうです。三十石船は定員は30名ですが、運航日が少ないようで、問い合わせが必要です。

    旅行時期
    2023年11月

  • 薩摩寺とも呼ばれています。

    投稿日 2023年11月14日

    大黒寺 伏見

    総合評価:5.0

    もともとは空海が開いたといわれる真言宗のお寺でしたが、1615年に島津義弘が薩摩藩の祈祷所としたことから薩摩寺と呼ばれ、薩摩藩との関わりが深いお寺です。
    薩摩藩邸から近いこともあり、幕末には薩摩藩の密議も度々行われ、西郷隆盛や大久保利通などが使った部屋が残っているそうです。書やゆかりの品も残されているそうです。また寺田屋騒動で命を落とした9名の薩摩藩士のお墓もあり、墓石の横にある碑は西郷隆盛の筆によるものです。
    また、薩摩藩の家老平田靱負(ゆきえ)は木曽川治水工事の責任を取って自刃しており、そのお墓が境内にあります。その治水工事では多くの費用や日数、人々の犠牲があったそうですが、その分流堤は油島千本松締切堤(岐阜県)で今も水害から守っているそうです。また伏見義民の文殊九助ら7名の遺髪塔もあります。
    空海作と伝わる大黒天が秘仏です。
    境内には金運の清水といわれる水が流れており、水汲みに訪れる人もいました。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    見ごたえ:
    5.0

  • 鳥羽伏見の戦いでは激戦地となった場所です。

    投稿日 2023年11月12日

    伏見奉行所跡 伏見

    総合評価:4.0

    伏見奉行は江戸幕府の遠国奉行の一つで、伏見町中や周辺の8か所の村を支配、御所の警護や西国大名の監視、伏見港を管轄するなどの重要な役職でした。1624年には小堀政一(小堀遠州)が伏見奉行となりましたが、その際に作庭し、徳川家光も称賛し小堀遠州は5000石をプラスしてさらに昇進したといわれていますが、その石庭は明治維新や戦後の団地の建築などによって、1961年に近くの御香宮神社に庭にあった石、庭の石造物を移して再度に石庭が造られています。幕末には近くの寺田屋に逗留していた坂本龍馬を捕えようと動いたのも伏見奉行からでした。鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍がここを拠点に御香宮神社に拠点を置いた新政府軍と激しく戦い、その際に奉行所も焼け落ち、旧幕府軍は敗走しています。
    江戸時代から幕末にかけて様々な出来事に関わってきた伏見奉行所ですが、今は石碑と駒札の説明板が建っているのみで、建物はありません。
    近くに、桃陵団地の歴史の説明板もありますが、そこには江戸時代と明治時代の石垣の写真もありました。説明板にもありますが、明治維新後は陸軍の工兵隊の基地となり、こちらの説明板に使われている笠石は陸軍時代の門だったものだそうです。
    近くの御香宮神社の石庭や寺田屋も一緒に見学してみるのもお勧めです!

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 和菓子屋さんの角に石碑が立っています。

    投稿日 2023年11月15日

    電気鉄道事業発祥の地 伏見

    総合評価:4.0

    日本で初めて路面電車の京都電気鉄道伏見線が明治28年に開業しています。当時の
    七條停車場電停から下油掛電停までの約6.7㎞の区間でした。当時の電力は琵琶湖疎水を使い、発電した電力を使っていたそうです。説明板と石碑はその下油掛の和菓子屋さんの角にあり、ちょうど交差点になったところにあります。交通量も多い場所です。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 伏見の町の民家も焼かれ、大きな被害を被りました。

    投稿日 2023年11月15日

    伏見口の戦い激戦地跡 伏見

    総合評価:4.0

    京橋の端のふもとに石碑と説明板があります。薩摩藩・長州藩・土佐藩を中心とした新政府軍と旧幕府軍・新選組・奥羽越列藩同盟などが戦った戊辰戦争の始まりが鳥羽伏見の戦いで、このあたりは激戦地だったようです。敗走する旧幕府勢力は伏見の民家を焼くなどして、多大な被害を出しました。近くの寺田屋もこの戦いで焼失しています。
    今は川べりも平和で静かな風景です。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 油かけ地蔵と呼ばれる浄土宗のお寺です。

    投稿日 2023年11月15日

    西岸寺 (油懸地蔵) 伏見

    総合評価:4.0

    伏見区にある浄土宗のお寺で創建は1590年、開基は僧雲海です。
    言い伝えによると、ある商人が油をこぼしてしまい、残りの油をお地蔵さんにかけたところ商売が繁盛したことから、信仰を集めるようになりました。地蔵堂に石造の地蔵があり、油をかけたためか黒く光っているそうです。地蔵堂を残して、鳥羽伏見の戦いで
    お寺は焼失しています。境内には芭蕉の句碑があります。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 境内には大石内蔵助隠棲の地がありました。宝物館には四十七士の御位牌や木像、大石内蔵助の遺品などが展示されています。

    投稿日 2023年11月02日

    岩屋寺 山科

    総合評価:5.0

    岩屋寺はもとは天台宗のお寺でしたが、後に曹洞宗となった尼寺です。大石内蔵助の念事物であった不動明王像が安置されています。いつもは非公開です。
    岩屋寺の境内には大石内蔵助とその家族が近くの親戚を頼って住んでいた場所がありました。今は石碑が建っています。その家で使われた木材は境内の茶室に使われ、また大石内蔵助お手植えといわれる梅の樹もありました。討ち入り後に寺坂吉右衛門が持ち帰ったといわれる大石内蔵助の遺髪も納められている遺髪塚もあります。

    また、宝物館には四十七士の御位牌と四十七士の木像、大石内蔵助や息子の大石主税の使用していた文机や硯、食器、槍、奥さんの大石りくが持っていた刀など、多くの遺品が展示されていました。
    大石内蔵助と家族がこの山科の地で生活をしていたのは短い期間ですが、この間に討ち入りの準備を着々と進め、奥さんと離縁し、家族と離れ、のちに木像が造れるように四十七士の似顔絵を準備し、位牌が造れるように戒名も準備し、討ち入り後の手筈を整えていたことがよく理解できました。大石内蔵助の討ち入りへの決心や同志たちへの心配りがひしひしと伝わってくる宝物館でした。
    大石内蔵助の最後の手紙というパネルがありましたが、離脱した部下への無念さ、赤穂へ帰した部下の就職先を依頼したり、次男が豊岡に帰った後、お寺に入ったことを残念に思い、なんとか、武士の道へ進ませてほしい、、、と依頼しています。
    愚痴をこぼすような文面も人間らしいし、息子も同じ武士として生きてほしいという父親の願いが切ないです。自分の最期も覚悟して、お世話になった方々への感謝を述べて、最後まで、準備、整えて、討ち入りに臨んだのだと思いました。

    説明をしてくださった女性が細かく、ひとつずつ丁寧に説明をしてくれました。
    館内は写真撮影が禁止の場所もあります。

    旅行時期
    2023年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    見ごたえ:
    5.0

hijunoさん

hijunoさん 写真

18国・地域渡航

27都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

hijunoさんにとって旅行とは

栄養剤。
なくてはならないものです。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

大好きな理由

行ってみたい場所

現在18の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在27都道府県に訪問しています