hijunoさんのクチコミ(30ページ)全1,193件
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投稿日 2023年10月29日
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歴史の古いお寺です。新選組の兵法訓練所があった場所で、新選組の近藤勇の遺髪塔、芹沢鴨らのお墓があります。
投稿日 2023年10月30日
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投稿日 2023年10月31日
総合評価:3.0
現在は、個人の住居のために公開されていません。
土日祝日のみ、当時の勝手口、現在の玄関で新選組に関してのグッズを販売しているそうです。
幕末のころ、掛屋や公の仕事にも関わっていた前川家はおよそ270坪という大きな家でした。新選組は1863年からおよそ2年間、屯所として使われています。新選組が屯所としてから前川家一家は別の場所に移り住みます。新選組は邸宅を堅固な守りにするために、様々な改修を行い、母屋の納戸からは脱出のための抜け道も造られました。近くに屯所の八木邸もありますが、芹沢鴨の暗殺の際には土方歳三らが、芹沢鴨が角屋より戻り、部屋の灯りが消えたのを確認したのも前川邸で、その後討ち入ったというエピソードもあります。そのほか、西本願寺に屯所を移すまでの間、前川邸では、新選組に関しても数々の出来事がありました。立派な長屋門があります。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2023年10月31日
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投稿日 2023年10月30日
総合評価:3.0
八木邸は新選組の屯所があったところで、新選組の芹沢鴨が暗殺された場所です。近くの揚屋の角屋で泥酔し、帰宅した夜に暗殺されています。逃げる際につまづいたといわれる小さな文机と暗殺の際に付いたといわれるカモイにある刀傷、そのほか、柱についた刀の傷などを見学しました。見学後はお菓子とお抹茶がついて見学料は1000円でした。
門より内部は撮影禁止です。ガイドさんの説明があります。- 旅行時期
- 2023年10月
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投稿日 2023年11月02日
総合評価:4.0
常設展ではおよそ3000点の国内の切手が展示されています。日本初の切手「龍文切手」や有名な「見返り美人」もありました。見学の時は、イギリスの切手の特別展もしており、エリザベス女王やダイアナ妃、皇室の方々の記念切手がおよそ1200点展示されていましした。日本の郵便制度の父といわれる前島密について、また1871年から郵便制度が始まる歴史も興味深く、それに先立って1840年に郵便制度が始まったイギリスの郵便の歴史に関しての展示もありました。
建物も岩手県にあった馬事文化資料館を移築したもので、江戸時代の土蔵2棟を移築したそうです。300年以上前の古材も使われ、雰囲気のある建物でした。
有馬温泉の近くにあります。館内は写真撮影が禁止でした。- 旅行時期
- 2023年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2023年11月02日
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宝物殿には大石内蔵助をはじめ、四十七士の貴重な資料や遺品が展示されています。
投稿日 2023年11月03日
総合評価:5.0
昭和10年 1935年に創建された神社です。赤穂義士 大石内蔵助を祀るために大石内蔵助が隠棲していた近くに建立されています。境内の大石桜はご神木で9.5mの大木です。大石内蔵助の像もありました。
また、境内には、赤穂義士たちに武器を提供したと語られている天野屋利兵衛のお社もありました。
宝物館が併設されており、小さな資料館ですが、見どころ満載でした。
討ち入りの様子を描いた屏風や四十七士の姿を描いた屏風、大石内蔵助の書き物や画、大石内蔵助作の香炉や大石家に合った漬物石で造った大石内蔵助の石像や大石内蔵助が伏見で遊んだ際の落書きや小野寺十内や大高源五の書もありました。また赤穂義士のテレビドラマや映画出の俳優の写真やポスターもあります。
見学は無料でした。商業用でなければ写真撮影可と許可をいただきました。
外には可愛いミニホースの花子ちゃんがいました。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2023年11月03日
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投稿日 2023年11月04日
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小堀遠州ゆかりの石庭と伏見桃山城から出土した瓦の見学ができます。
投稿日 2023年11月10日
総合評価:5.0
神宮皇后を主祭神として六柱の神を祭っています。安産の神として信仰を集めています。境内から香りの良い水が出て、病を治したといわれ、清和天皇から「御香宮」という名前を下賜されています。徳川頼宣 徳川頼房 徳川義直はこちらの水を産湯として使ったといわれています。今も湧き水があり、水を汲む人もいました。伏見城とも深い関わりがあり、表門はかつて伏見城の大手門でした。拝殿も伏見城の車寄せといわれています。彩色のあでやかな美しい建物です。彫刻の「鯉の瀧のぼり」がみごとです。豊臣秀吉の時代には伏見城中に神社を移築し、伏見城の鬼門除けにしたそうです。伏見城の遺構の石類もあり、希望すると、家紋が入った金箔の瓦などの伏見城から出土した遺物の展示しているところも見学できました。大名屋敷の家紋入りの軒丸瓦や伏見城の鯱の断片や亀甲飾りの瓦などもガラスケースに展示されていました。(社務所のお隣の部屋)また、書院には枯山水の石庭がありますが、こちらは小堀遠州が旧伏見奉行の中に作った庭園を戦後に神社に移築したものです。徳川家光が小堀遠州の庭園を称賛し、5000石を増額、大名クラスに出世したそうです。庭にある大きな手水鉢は1477年と記された珍しいものだそうです。枯山水の美しい石庭でした。
- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
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幕末に寺田屋事件と寺田屋遭難の二つの大きな出来事があった場所でした。
投稿日 2023年11月11日
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投稿日 2023年11月14日
総合評価:4.0
京阪の宇治線の駅名にもなっている観月橋は宇治川にかかる橋、観月橋から採られています。現存しませんが、鎌倉時代にもすでに橋がかけられていたそうです。豊臣秀吉の時代になると、かつてこのあたりにあった巨椋池(おぐらいけ)といわれる大きな池がありましたが、そこに堤防を造る河川の工事を行いました。伏見城の築城資材の運搬のためでしたが、排水などにも効果のある治水の工事でした。宇治川の流れを巨椋池から切り離して太閤堤とよばれる工事です。このあたりは平安時代には指月の森といわれて、池に映った月を眺め楽しんでいたそうです。豊臣秀吉の時代にも橋がかけられていて、大友豊後守がの屋敷があったことから、豊後橋と呼ばれていたそうです。明治になって、現在の観月橋の名前に変わっています。ここから見えますが、1928年に造られた近鉄淀川橋梁もあります。
- 旅行時期
- 2023年11月
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投稿日 2023年11月14日
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投稿日 2023年11月14日
総合評価:5.0
もともとは空海が開いたといわれる真言宗のお寺でしたが、1615年に島津義弘が薩摩藩の祈祷所としたことから薩摩寺と呼ばれ、薩摩藩との関わりが深いお寺です。
薩摩藩邸から近いこともあり、幕末には薩摩藩の密議も度々行われ、西郷隆盛や大久保利通などが使った部屋が残っているそうです。書やゆかりの品も残されているそうです。また寺田屋騒動で命を落とした9名の薩摩藩士のお墓もあり、墓石の横にある碑は西郷隆盛の筆によるものです。
また、薩摩藩の家老平田靱負(ゆきえ)は木曽川治水工事の責任を取って自刃しており、そのお墓が境内にあります。その治水工事では多くの費用や日数、人々の犠牲があったそうですが、その分流堤は油島千本松締切堤(岐阜県)で今も水害から守っているそうです。また伏見義民の文殊九助ら7名の遺髪塔もあります。
空海作と伝わる大黒天が秘仏です。
境内には金運の清水といわれる水が流れており、水汲みに訪れる人もいました。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2023年11月12日
総合評価:4.0
伏見奉行は江戸幕府の遠国奉行の一つで、伏見町中や周辺の8か所の村を支配、御所の警護や西国大名の監視、伏見港を管轄するなどの重要な役職でした。1624年には小堀政一(小堀遠州)が伏見奉行となりましたが、その際に作庭し、徳川家光も称賛し小堀遠州は5000石をプラスしてさらに昇進したといわれていますが、その石庭は明治維新や戦後の団地の建築などによって、1961年に近くの御香宮神社に庭にあった石、庭の石造物を移して再度に石庭が造られています。幕末には近くの寺田屋に逗留していた坂本龍馬を捕えようと動いたのも伏見奉行からでした。鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍がここを拠点に御香宮神社に拠点を置いた新政府軍と激しく戦い、その際に奉行所も焼け落ち、旧幕府軍は敗走しています。
江戸時代から幕末にかけて様々な出来事に関わってきた伏見奉行所ですが、今は石碑と駒札の説明板が建っているのみで、建物はありません。
近くに、桃陵団地の歴史の説明板もありますが、そこには江戸時代と明治時代の石垣の写真もありました。説明板にもありますが、明治維新後は陸軍の工兵隊の基地となり、こちらの説明板に使われている笠石は陸軍時代の門だったものだそうです。
近くの御香宮神社の石庭や寺田屋も一緒に見学してみるのもお勧めです!- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2023年11月15日
総合評価:4.0
日本で初めて路面電車の京都電気鉄道伏見線が明治28年に開業しています。当時の
七條停車場電停から下油掛電停までの約6.7㎞の区間でした。当時の電力は琵琶湖疎水を使い、発電した電力を使っていたそうです。説明板と石碑はその下油掛の和菓子屋さんの角にあり、ちょうど交差点になったところにあります。交通量も多い場所です。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2023年11月15日
総合評価:4.0
京橋の端のふもとに石碑と説明板があります。薩摩藩・長州藩・土佐藩を中心とした新政府軍と旧幕府軍・新選組・奥羽越列藩同盟などが戦った戊辰戦争の始まりが鳥羽伏見の戦いで、このあたりは激戦地だったようです。敗走する旧幕府勢力は伏見の民家を焼くなどして、多大な被害を出しました。近くの寺田屋もこの戦いで焼失しています。
今は川べりも平和で静かな風景です。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2023年11月15日
総合評価:4.0
伏見区にある浄土宗のお寺で創建は1590年、開基は僧雲海です。
言い伝えによると、ある商人が油をこぼしてしまい、残りの油をお地蔵さんにかけたところ商売が繁盛したことから、信仰を集めるようになりました。地蔵堂に石造の地蔵があり、油をかけたためか黒く光っているそうです。地蔵堂を残して、鳥羽伏見の戦いで
お寺は焼失しています。境内には芭蕉の句碑があります。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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境内には大石内蔵助隠棲の地がありました。宝物館には四十七士の御位牌や木像、大石内蔵助の遺品などが展示されています。
投稿日 2023年11月02日
総合評価:5.0
岩屋寺はもとは天台宗のお寺でしたが、後に曹洞宗となった尼寺です。大石内蔵助の念事物であった不動明王像が安置されています。いつもは非公開です。
岩屋寺の境内には大石内蔵助とその家族が近くの親戚を頼って住んでいた場所がありました。今は石碑が建っています。その家で使われた木材は境内の茶室に使われ、また大石内蔵助お手植えといわれる梅の樹もありました。討ち入り後に寺坂吉右衛門が持ち帰ったといわれる大石内蔵助の遺髪も納められている遺髪塚もあります。
また、宝物館には四十七士の御位牌と四十七士の木像、大石内蔵助や息子の大石主税の使用していた文机や硯、食器、槍、奥さんの大石りくが持っていた刀など、多くの遺品が展示されていました。
大石内蔵助と家族がこの山科の地で生活をしていたのは短い期間ですが、この間に討ち入りの準備を着々と進め、奥さんと離縁し、家族と離れ、のちに木像が造れるように四十七士の似顔絵を準備し、位牌が造れるように戒名も準備し、討ち入り後の手筈を整えていたことがよく理解できました。大石内蔵助の討ち入りへの決心や同志たちへの心配りがひしひしと伝わってくる宝物館でした。
大石内蔵助の最後の手紙というパネルがありましたが、離脱した部下への無念さ、赤穂へ帰した部下の就職先を依頼したり、次男が豊岡に帰った後、お寺に入ったことを残念に思い、なんとか、武士の道へ進ませてほしい、、、と依頼しています。
愚痴をこぼすような文面も人間らしいし、息子も同じ武士として生きてほしいという父親の願いが切ないです。自分の最期も覚悟して、お世話になった方々への感謝を述べて、最後まで、準備、整えて、討ち入りに臨んだのだと思いました。
説明をしてくださった女性が細かく、ひとつずつ丁寧に説明をしてくれました。
館内は写真撮影が禁止の場所もあります。- 旅行時期
- 2023年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 見ごたえ:
- 5.0


















































































































































