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伏見奉行所跡

名所・史跡

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鳥羽伏見の戦いでは激戦地となった場所です。

  • 4.0
  • 旅行時期:2023/11(約2年前)
hijunoさん

by hijunoさん(非公開)

伏見 クチコミ:15件

伏見奉行は江戸幕府の遠国奉行の一つで、伏見町中や周辺の8か所の村を支配、御所の警護や西国大名の監視、伏見港を管轄するなどの重要な役職でした。1624年には小堀政一(小堀遠州)が伏見奉行となりましたが、その際に作庭し、徳川家光も称賛し小堀遠州は5000石をプラスしてさらに昇進したといわれていますが、その石庭は明治維新や戦後の団地の建築などによって、1961年に近くの御香宮神社に庭にあった石、庭の石造物を移して再度に石庭が造られています。幕末には近くの寺田屋に逗留していた坂本龍馬を捕えようと動いたのも伏見奉行からでした。鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍がここを拠点に御香宮神社に拠点を置いた新政府軍と激しく戦い、その際に奉行所も焼け落ち、旧幕府軍は敗走しています。
江戸時代から幕末にかけて様々な出来事に関わってきた伏見奉行所ですが、今は石碑と駒札の説明板が建っているのみで、建物はありません。
近くに、桃陵団地の歴史の説明板もありますが、そこには江戸時代と明治時代の石垣の写真もありました。説明板にもありますが、明治維新後は陸軍の工兵隊の基地となり、こちらの説明板に使われている笠石は陸軍時代の門だったものだそうです。
近くの御香宮神社の石庭や寺田屋も一緒に見学してみるのもお勧めです!

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅

クチコミ投稿日:2023/11/12

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