ガッサンさんのクチコミ(35ページ)全1,032件
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別当と大勧進の両職権で善光寺に関する貴重な史料や宝物を多数集めた。
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺大勧進は昔より永く別当と大勧進の両職権を持っていたため善光寺に関する貴重な史料や宝物が多数あり、その数は三千数百点にもおよぶ。宝物館には常時150点ほどが展示され、時々入れ替えている。また、4月〜10月の日曜日・祝日はお茶席のご接待がある。
宝物館の見どころは、国の重要文化財指定の紙本墨書源氏物語事書や、日本最古の設計図と言われる善光寺造営図、重要美術品の青銅製鍍金五鈷杵、善光寺古瓦、古筆大手鑑、仏像・仏具などです。また、善光寺にまつわる古文書、書、画などの貴重な資料を展示している。
・開館時間8:00〜14:30・入館料一般(大学生以上)200円、中・高校生100円、小学生50円 ・休館日無休- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺本堂に向い歩く、山門から左側へ入り大勧進の脇を進むと歴代回向柱がある。その奥にこじんまりとした「爪彫如来堂」があり、阿弥陀如来が安置されている。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、越後から東国への旅の途中、善光寺に百日間逗留されたと伝わっています。この阿弥陀如来は、聖人が逗留中に爪で彫られたものといわれ、特に眼病を治してくださる仏さまとして篤く信仰されている。訪れたとき、「爪彫如来堂」前で長い時間拝む女性の姿が印象的であった。また、お堂の扉には「め」の字をたくさん書き詰めた絵馬がぶらさげてあった。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
もともとの銅鐘(大鐘)は、信玄入道が甲斐善光寺に移したという。
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺本堂に向かって手前右側にあるのが鐘楼です。信州善光寺にある鐘楼は、寛永7年(1667年)の物で、建物は嘉永6年(1853年)に再建されたものです。
もともとの銅鐘(大鐘)は、正和2年(1313年)につくられた物で、治承3年(1179年)と文永5年(1268年)の善光寺火災の際に、火を受けて修理している。そして、このもともとの銅鐘は現在も現存して、今は山梨にある甲斐善光寺にある。
上杉謙信と武田信玄によって起こされた川中島合戦の際、武田信玄は善光寺如来を甲府に移す。この時、善光寺の本尊から梵鐘・仏具まで全てを移したと言います。そして新たに甲府に建てたお寺が現在の甲斐善光寺です。
その後、戦国武将によって善光寺のご本尊は各地を転々とし、約40年後に信州に戻ったという。この、各地を流転するきっかけをつくったのが武田信玄なのです。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月12日
総合評価:3.0
善光寺駒返り橋は仲見世通りが終わり、山門へ進む参道の入口にある、長さ1mくらいの短い石橋である。この石橋は、建久八年(1197年)源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれ、その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができる。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
善光寺経蔵は「重要文化財善光寺経蔵保存修理事業」で修理中です。
投稿日 2015年05月12日
総合評価:4.0
善光寺経蔵(きょうぞう)国の重要文化財に指定されている。経蔵(きょうぞう)は本堂に向かって東側に見える建物です。
現在「重要文化財善光寺経蔵保存修理事業」ということで工事中だ。外から見た感じでは、建物全体を上げていることから、土台を修理しているように見える。工事完了予定が平成28年と書かれていた。因みに工事施工は、冬季オリンピック選手を数多く輩出している北野建設株式会社である。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺大本願宝物館は平成元年4月に再建された。拝観料金は一般¥200、開館時間は8:00〜15:30。
明治天皇、昭憲皇太后、貞明皇太后、和宮さまなどご歴代皇室の御遺品や二十五菩薩来迎図(浄土宗宝)市指定文化財(伐折羅大将像・聖徳太子像)・百万塔・公家、武将、俳人一茶等の筆跡、書画、仏像、善光寺如来縁起など約百点が展示されています。
運慶作の広目天像、二十五菩薩来迎図(県宝)、皇女和宮の日用品などがみどころです。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺・本堂に向い中央通りを歩く、仁王門を過ぎると仲見世に出る。仲見世の中間辺り、右手に延びた地蔵東小路の突き当りに、極彩色のきらびやかな小御堂・世尊院(せそんいん)が見え、道路際に建っている。その前に小路があり、結構車が通る。左右確認後横断する。また、参拝時道路にはみ出さないこと、危険な場所に立地する。
釈迦堂とも呼ばれているこの寺は、善光寺大勧進に属する天台宗衆徒20院の一つで、本尊として、その名の由来にもなっている釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)を安置している。釈迦涅槃像というのは、お釈迦様が入滅(聖者や僧が亡くなること)する姿を表したもので、寝釈迦とも呼ばれる。鎌倉時代の作といわれる世尊院の釈迦涅槃像は、全長1・66m、重さ約487?のわが国唯一の等身大銅像だ。釈迦涅槃像は絵画にはよく描かれているのだが、彫刻は極めて稀で、全国の仏像ファンからも注目される存在だ。
7年に1度行われている善光寺御開帳の際には、善光寺本堂の前と共に、釈迦堂の前にも松代から奉納された回向柱(えこうばしら)が立てられ、参拝客が多かった。従って、交通整理する人が2名いて、参拝客に注意を呼び掛けていた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、善光寺の住職を兼ねる。貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習がある。善光寺を管理する天台宗の本坊「大勧進」である。もともと勧進というのは、「仏法を説き作善をなすよう勧誘策進することであり、転じて神仏のための寄付を勧める」という意味であり、大勧進というのはその元締め的存在を指し、役職名でしたが、善光寺ではこの役職名が寺名として残ったことになる。
従って、大勧進のおかげで、たび重なる火災に遭いながらも善光寺がその都度復興できたと言われている。大勧進は天台宗大本山で善光寺25ヶ院の本坊として、住職の住いと聞いた。格式ある優雅な建物の前には池が広がっていた。大勧進は山門に向って西側にあり、重要な位置を占めていた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月12日
総合評価:5.0
善光寺の境内入り口から本堂までは、碁盤の目のように整えられた石畳(敷石)が敷き詰められている。この上を幾多の参拝者が通ったことか。石の角が擦り減った石もある。表面がテカテカに光っている石もある。石畳には悲しい伝説が残されていた。
家に忍び込んだ放蕩息子を盗賊と思い 殺してしまった江戸の豪商・大竹屋平兵衛 は、息子を弔うために善光寺へ参詣しまし た。当時は土の参道で、雨が降ると足元が 悪くなるため、平兵衛は敷石を寄進し、息子への供養としたと伝えられている。
境内地入り口から山門下まで敷かれている石畳は、正徳四年(1714年)に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたもので、7777枚あるといわれています。本堂から山門にかけての石畳は、正徳三年(1713年)、腰村西光寺欣誉単求により寄進されたものです。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月11日
総合評価:4.0
善光寺に向い中央通り(善光寺表参道)を歩く、大門の交差点すぎに「善光寺郵便局」がある。いかにも元旅館らしい木造2階建て、趣のある古い建物は昭和初期に建てられたという。
江戸時代から続いた由緒ある旅籠で、歴史物の広告には一流旅館の「五明館扇屋」とあった、その五明館扇屋のフロント部分を改修して、昭和62年11月16日から善光寺郵便局として営業を始めた。局内には、勝海舟が五明館宿泊の際に手がけた直筆の扁額が飾られている、という。
作家池波正太郎が長野での定宿として愛した旅館でもあった。池波が初めて五明館を訪ねたのは、有名になる前の30歳代の頃と思われる。エッセーには、「泊まってみて何から何まで気に入ってしまった」と記している。かつて、知人が池波正太郎氏宅のそばに住んでいた為、知人と共に訪ねたときがあった。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年05月11日
総合評価:5.0
善光寺 六地蔵は仲見世通りを過ぎて駒返り橋を渡り、山門に向かう途中の右側に六地蔵がある。また、六地蔵と並んで濡れ仏がある。
六地蔵は宝暦9年(1759)に造立しましたが、昭和17年の大戦で供出しており、現在のものは昭和29年に再興されたものです。
六地蔵の「六」は仏教の六道を表わしている。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天のことです。これは、我々が迷いの世界を輪廻する道程を六の世界に分けたものです。六つの地蔵菩薩は、この六の世界に赴き、迷える人を救おうという誓願を起こしています。つまり、人間の苦しみを救ってくださると言うと尊い存在なのだ。
今は御開帳の前立本尊が注目され、「六地蔵」様へお詣りしている人は非常に少なく、ひっそりとしていた。まるで、その前だけがエアポケットに落ちたようだった。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月11日
総合評価:5.0
善光寺の仁王門から本堂までの間は仲見世通りと呼ばれ、いわゆる門前の商店街です。石畳が整備された通り道の両脇には多くのお店があり、仲見世通りには、なんと約60店ものお店がひしめきあっている。
お店の種類も多様で、おみやげ屋さんから飲食店まで様々なお店がある。椅子に座って休憩ができるお店もあります。主なお店は、お土産物屋、そば屋、まんじゅう屋、仏具屋、信州特産品屋(漬物・農産品)で、いずれも、複数のお店がある。いろいろ見比べてみる、食べ比べてみるのも楽しみの一つです。
店先でソフトクリームを食べたり、ほかほかのおやきを食べることもでき、休憩をすることもできる。4月初旬だが暑く、ソフトクリーム屋さんの前には人だかりが出来ていた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2014年10月04日
総合評価:3.0
越後湯沢へはマイカーで出かけた。カーナビをセットしたが、看板もあった。ロープウェー駅の横に駐車場はあった。ロープウェーが大きいのでびっくりした。ゆったり乗車することが出来た。ロープウェーを降りるとバスが待っていた。バスに乗り、高山植物の箱庭を目指した。
山の斜面を利用した、箱庭だった。1区画は狭かった。6月初旬ということもあり余り花は咲いていなかった。係りの人が植物園を整備している最中であった。目的の一つエーデルワイスを見る事は出来ず残念。7月に入って来るべきだった。帰りはバスに乗らずロープウェー駅まで歩いた。池の淵を歩く散歩道も整備されていた。町を歩く服装で若い
女性が歩いていた。ここは越後湯沢温泉だな、ふと思った。駅の横に足湯があった。時間があったので、足湯に足を付け、下界を眺めた。駅にはブテックのような店もあった。- 旅行時期
- 2013年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 越後湯沢駅から湯沢高原ロープウェー駅まで近い。歩いても行ける距離です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- ロープウェーの収容キャパ大きいので、混雑は余りない。
- バリアフリー:
- 3.0
- ロープウェー頂上駅で下車するとアルプの里行きのバスがある。高原を縫うようにバスが走る。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 高山植物は箱庭的に植えてある為、様々な種類の高山植物を観賞出来て楽しい。
-
投稿日 2015年05月10日
総合評価:5.0
JR長野駅から善光寺まで、表参道が真っ直ぐ伸びる。正に長野市は門前町である。善光寺に向い表参道を歩く。大門・善光寺の信号を過ぎると迫力ある仁王像が参拝者を迎える善光寺最初の門となっている。
仁王門は、宝暦2年(1752)に建立された。弘化4年(1847)の善光寺大地震で焼失。その後、元治元年(1864)年に再建されるも、明治24年(1891)の火災でまた焼失。 現在のものは大正7年(1918)に再建された。
仁王像は、巨匠である高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。仁王門の背後右裏には竃神、火伏せの神として広く信仰されている「三宝荒神」を、左裏には大黒・弁財・毘沙門の各身が合体した「三面大黒天」が安置されている。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月07日
総合評価:5.0
新田醸造有限会社の住所は長野県埴科郡坂城町南条7112。国道18号線沿いにあり、看板も大きく寄り易い所にある。
昔ながらの味と製法を守り続けてきた「信州白樺印みそ」は厳選された良質の大豆と手作りのこうじ、信州の清らかな水で仕込むそうだ。風味豊かなこの味噌は、添加物を使用せず、100年以上使い続けて木樽で1年半熟成させた、本物の味だと説明を聞いた。
味噌汁試飲コーナーもあり頂いた。麹味噌独特の甘い風味がして美味しかった。売店には信州白樺印みそを始め、手焼きの「みそせんべい」、各種みそ漬など、みそに因んだ商品を始め、信州ならではの特産品が数多く取り揃えてある。新田醸造が自慢だという「みそソフトクリーム」を購入した。ほのかに味噌の香りがする逸品であった。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月07日
-
投稿日 2015年05月06日
総合評価:5.0
2015年第12回上田城千本桜まつり期間は4月8日(水)~4月19日(日)までだった。第1回から調べると12日間という最も短い期間である。上田城跡公園の標本木は、二の丸通り沿いにあるソメイヨシノです。標本木に5~6輪花が咲いたら開花、8割開花したら満開となる。今年は4月2日開花・6日満開・13日散り始め・20日終わりである。従って、まつり期間より早く満開となった。随時チェックを欠かさなかった。予定を早め、12日に訪れた、正に満開花盛りであった。
上田城跡公園を埋め尽くすように咲くソメイヨシノのほか、いち早く開花するシダレザクラ、シダレザクラの横に咲くエドヒガン、可憐な花をつけるウコンザクラ、いち早く満開になるロトウザクラなどの種類がある。上田城跡公園内の千本桜は咲き乱れ、見る者の心に感動を与える、春爛漫であった。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月06日
-
投稿日 2015年05月05日
総合評価:4.5
真田井戸は上田城内にある真田神社の本殿脇にある。西櫓に向う階段の手前だ。本丸唯一の井戸で、直径2m、深さは16.5mに達する。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説が真しなやかに伝わる。
第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせた上田城である。神出鬼没し活躍した真田兵、まるで忍者のようだったいう。本丸唯一の井戸から籠城の為の井戸でないと、察しが付いた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月05日


















































































