ガッサンさんのクチコミ(34ページ)全1,032件
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投稿日 2015年05月26日
総合評価:4.0
高遠城址公園から絵島囲み屋敷方面へ降って行くと眼下に高遠湖が見える。高遠湖は高遠ダムによってできた人造湖である。高遠ダムは灌漑と水力発電を目的とする、長野県営の多目的ダムです。
高遠ダム周辺一帯は、ダム湖である高遠湖や、上流の美和ダム(美和湖)とともに三峰川水系県立自然公園に指定されている。2005年(平成17年)には高遠町(現・伊那市)の推薦により、高遠湖ならびに美和湖がダム湖百選に選ばれた。ダム右岸には名城・高遠城がある。高遠城址公園に通じる橋から高遠湖全景を見渡すことができるほか、湖畔にはホテルなどが建ち、観光地となっている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
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投稿日 2015年05月26日
総合評価:5.0
歴史物のテレビでは、武田氏滅亡間近になると、必ず決まって出て来るのが高遠城落城のシーンである。武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城である。明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1876年)に公園となりました。
高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となった。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつける。
タカトオコヒガンザクラが満開の時期を狙って行った。駐車場はどこも満杯であった。駐車場20番に停め、無料のシャトルバスに乗車し、南ゲートに向かった。余り大きくない城址公園内の通路は人・人でごった返しであった。
- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
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投稿日 2015年05月26日
総合評価:5.0
光前寺は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山の寺院である。山号は宝積山(ほうしゃくさん)。天台宗信濃五山(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられた。仁王門・三門・鐘楼・三重塔・本堂、その構えの大きさと古刹から風格がひしひしと伝わって来る名刹だ。
1967年(昭和42年)5月10日、庭園が国の名勝に指定された。また、霊犬早太郎説話でも知られている。
近年は、枝垂れ桜の寺として知られ、それを目当てに訪れる観光客が多い。枝垂れ桜が咲く時期は、駐車場も満車になり、交通整理する人が多数出ている。近くに桜の名所、高遠城址公園もあるが、桜の種類が違う為、開花・満開の時期が異なる。光前寺の枝垂れ桜の開花・満開時期が遅い。従って、同時に満開を見るのは困難である。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
光前寺(こうぜんじ)は、長野県駒ヶ根市にある天台宗の別格本山の寺院である。天台宗信濃五山(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられた名刹である。1967年(昭和42年)5月10日、光前寺庭園が国の名勝に指定された。
「光前寺庭園」は静寂な環境と風致は長野県下随一と称されている。国の名勝に指定され築山泉水庭で、一説には極楽浄土の庭園ともいわれています。光苔が有名で見頃は5〜10月です。光前寺本堂の脇に、裏山の清水が引かれ、冷水に命も延びるようだという、思いから延名水と呼ばれています。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
松本城の天守と乾小天守(いぬいこてんしゅ)を連結しているのが、渡櫓(わたりやぐら)です。ここは、松本城の天守閣への大手口であり、頑丈な扉が備え付けられている。詰り、敵を簡単に中へ入れないようになっている。渡櫓の二階には、天守の瓦や、鍛冶屋が一本一本作った「和釘」等が展示されている。ここで靴を脱いで、松本城天守閣へ入ります。
渡櫓(わたりやぐら)は二階建てですが、地下一階が付いている。「がんぎ」(石の階段)を上がれば一階。江戸時代は石だけの階段でした。二階には大天守と乾小天守とを繫ぐ、自然の木をそのまま使用した梁が見える。こうした自然のままの木の使用は、強度の面ですぐれていると言われている。この梁側面に、はめこまれている銅版は、国宝松本城天守保存工事の経過を記したものです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.5
天守の南東(辰巳)の方角にあたり、隣りの月見櫓と一緒に、松平直政によって寛永年代に造られた建物です。櫓西面の北から2本の柱は、天守の柱に添えられていて、付設されたことがわかります。一階は武者窓、二階は花頭窓。花頭窓の内側には引分板戸があり、雨水を流す工夫がなされている。
上方が狭く、下方が曲線状に広がった花頭窓は、禅宗建築と共に、鎌倉時代に中国から伝わり、次第に城郭建築にも広がりました。松本城天守には、乾小天守四階にも設けられている。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月25日
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:4.0
松本城本丸へ入る正門にあたる黒門を通り抜けると、松本城管理事務所・売店などがある。眼の前に広大な庭園が広がる。広さは天守の前までである。その足元を見ると本丸庭園の中に、瓦を使って仕切りをしてある部分が本丸御殿跡です。
本丸御殿は天守築造と同時に建設されたと推定されている。藩の正政庁で、城主の居館でしたが、享保12年(1727)閏正月朔日火事により焼失した。この時の城主は戸田光慈で、その前年享保11年(1726)、鳥羽から入封してまもなくのことでした。その後御殿は再建されることなく、城主の政務を司る場所は二の丸御殿に移ったそうです。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年05月25日
総合評価:5.0
バス停「松本城・市役所前」で下車した。外堀を渡るとまだ新しい二の門(高麗門)がある。1999年(平成11年)3月に復元された。それをくぐると太鼓門枡形に入り、正面石垣に高さ約4m、周囲約7m、の巨石が組み込まれているのがわかる。これが、玄蕃(げんば)石で築城工事の際、あまりの巨石(重量22.5トン)のため運搬人が不平を訴えたところ、玄蕃頭康長は、その運搬人の首をはね、首を槍先に刺し、叱咤激励して運ばせたので、玄蕃石と名前がついたという。
その上に、石垣をまたいで建つ一の門(櫓門)は、総間口約10m、桁行9間、梁間5間の堂々としたもので、屋根は本瓦葺きとなっている。櫓門の右手の北石垣の上には太鼓楼があり、太鼓と半鐘が置かれ、様々な合図が打ち鳴らされていたので、この門の名称になったとのこと。しかし、1871年(明治4)12月末に取り壊され、石垣までもが崩されていたのを、松本城の保全と史実に基づく復元整備の一貫として、太鼓門跡の発掘調査と石垣の改修から着手した。それが、1970年頃から徐々に整備され、128年の時を越えて、みごとに蘇ったのだ。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月25日
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内堀と埋の橋を撮し込んだ天守閣の姿は美しく、絶好の撮影ポイント。
投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
開智駐車場に車を止めた場合、かつては内堀の朱塗り「埋の橋」を渡り、本丸に入場することができ、最短コースで天守に行くことができた。現在は通行止めになっている為、黒門から入るほかない。
「埋の橋」は、昭和25年から30年にかけて行なわれた昭和の大修理完成の際、昔の絵図にあった位置に架橋したもので、1955年(昭和30)9月末に完工したとのこと。埋門の名に因んで、埋の橋と命名されている。ここから、内堀と埋の橋を撮し込んだ天守閣の姿は美しく、絶好の撮影ポイントともなっている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
天正18年(1590)小田原城攻め後、石川数正・康長父子が松本平に入部し、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は文禄2年から3年(1593~4)と言われる。
石川氏は豊臣秀吉の信頼の厚い武将でした。秀吉の大坂城は黒で統一されていた。松本城が黒いのは、石川氏の秀吉への忠誠のしるしと思われている。また、松本城は戦国末期、鉄砲戦を想定した戦うための漆黒の天守の典型として、現存する唯一の城です。ちなみに関ヶ原の戦い以降は、姫路城など白亜の天守が築造されました。
天守のうち、大天守・渡櫓・乾小天守のまとまりを連結式天守と呼び、戦いの多い時代に造られたため、石落しや狭間が多く、窓は少なく、守りやすくなっている。
大天守・辰巳附櫓・月見櫓のまとまりは複合式天守と呼び、平和な時代になってできたため、戦うための備えがありません。二つの形式を合わせ連結複合式と呼ばれ、見応えがある天守である。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月24日
総合評価:5.0
松本城公園は、長野県松本市丸の内4−1に所在する。歴史的遺産である国宝松本城を中心にして構成され、園内の植物と周囲の山並みが四季の変化を造り出している。春は満開の桜、初夏の藤の花盛、夏の濠の涼、秋の紅葉、冬の北アルプスの雪の峰々と四季を通じて楽しむことができる。
訪れたのは、まさに桜が満開の時期だった。松本平(まつもとだいら)の四季の中で春は格別に美しい。待ち焦がれた春が来て、植物は一斉に咲く。百花繚乱とはこのことを言うのだろう。松本城公園や周辺のお堀には約320本のソメイヨシノ、コヒガンザクラ、シダレザクラなどが残雪の北アルプスを背に咲き誇る。そして、堂々とした松本城天守の姿を楽しむことが出来る。 この公園の春の桜は有名だ。情緒あふれる桜の風景が楽しめる時期に行って見よう。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年05月24日
総合評価:4.5
松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市丸の内4−1にある城である。石川数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くした。天守の築城年代は、康長の文禄二年から三年(1593〜1594)と考えられ、五重六階の天守としては日本最古です。四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されている。
明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定された(昭和27年再指定)。別名深志城とも呼ばれている。また、天守の黒っぽい姿から、市民からは別名烏城(からすじょう)とも愛称されている。姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。
「開智駐車場」に車を駐車し、以前は「埋の橋」を渡り、天守に入場ができた。現在は「埋の橋」が通行止めになっている。従って、「開智駐車場」に変わりはないが、天守を見ながら松本城公園内を歩き、黒門から入場しなければならない。いずれにしても、散歩する距離が増えたと思えばよい。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月23日
総合評価:3.5
新潟県上越市の高田公園の夜桜を観賞後、ホテルタングラム 斑尾東急リゾートに向った。ホテルに着いたとき、すでに午後八時を廻っていた。夕食は、寿司などおすすめの約40種バイキング、と聞いて、期待したが現実は厳しかった。寿司ネタは小さく少ない、品のない寿司である。腹を空かせた客ばかりの為、すぐ底をついた。補充もままにならなかった。食事会場が広いせいか、40種もない気がした。空きスペースだけが目立った。
ホテルタンデムは、四季折々の自然の景色に彩られた斑尾高原に建つリゾートホテルです。斑尾山の麓に位置し、山景色と野尻湖、遠くには日本海の水平線までをも見渡せるそうだ。温泉を湛えた大浴場や露天風呂、夜空を眺めながら、ゆっくりと温泉を楽しむことができる。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 3.0
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2015年05月22日
総合評価:5.0
2015年の桜の開花時期は難しかった。こんなに早い年も滅多にない。毎日、インターネットで開花時期をチェック、確証を得たのでキャンセル代を払ってでも予定を1週間早めた。満開の落ち際、これ以上ない高田城百万人観桜会を味わうことが出来た。
高田城百万人観桜会(たかだじょうひゃくまんにんかんおうかい)は、新潟県上越市で開催される祭で、日本三大夜桜のひとつと称される高田公園の桜である。ライトアップ予定期間は2015年4月3日~4月19日。散り終われば期間を早めるそうだ。
高田公園は、徳川家康公の六男・松平忠輝公の居城として築かれた高田城跡に整備された公園です。高田城三重櫓のライトアップとおよそ3,000個のボンボリに照らされた約4,000本の桜がお堀に映え、見る人の心を酔わせます。また、桜並木をライトアップした“さくらロード”も人気です。期間中は観桜茶会など様々なイベントが開催される。観桜会期間中は約300の露店が立ち並び、多くの人でにぎわう越後の春の象徴となっている。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月22日
総合評価:5.0
高田公園は、高田城の跡に造られた公園で、全体が新潟県の史跡に指定されている。 高田城三重櫓は、高田公園内の内堀の内側にあり、本丸跡にある。本丸南西隅の土塁上に構築され、どう見ても天守閣の格好の為、櫓には見えない。
当時から「後三階櫓」と呼ばれて天守閣にかわる城の象徴になっていた。廃城後、明治19年(1886年)頃取り壊された。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を十分にふまえて再建されたものです。内容は三層三階で、東西5間(約9.1m)、南北6間(約10.9m)を基底とし、高さ15m程で外観は御殿風造りを基調としています。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けています。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっています。櫓の東側に付随して50m程の塀も同時に再建されたそうだ。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月21日
総合評価:5.0
高田公園は、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン高田駅より徒歩20分の所にある。
高田公園は、徳川家康の六男、悲運の武将松平忠輝公の居城として築城された高田城の跡に造られた公園である。現在の公園の地形は、旧陸軍第十三師団が入城する際、明治40年(1907年)に土塁の大半を崩して堀を埋める工事によって出来たものとされる。不自然な堀の配置から、その面影を知ることが出来る。
公園の面積は約50haあり、市街地の中心部に位置する公園としては、全国的にも有数の規模を誇っている。園内には、復元された高田城三重櫓や総合博物館、小林古径記念美術館、高田図書館、小川未明文学館(高田図書館内)などの文化施設、陸上競技場、野球場等のスポーツ施設、ブロンズ像を配置した遊歩道、岩野勇三ブロンズコーナー、外堀をめぐる遊歩道があり、市民の散策や憩いの場となっている。また、日本画の大家、小林古径の邸宅や、本丸と二の丸を結ぶ極楽橋も復元されていた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年05月19日
総合評価:4.0
上信越自動車道を信州中野ICで下車、県道29号線を志賀中野有料道路方面へ走る。道路沿いに大きな牛のモニュメントがある、そこが「ビアンデ信州中野店」である。
午後四時頃、休憩を兼ね立ち寄った。店内には御菓子・お酒・味噌・醤油・農産物・信州そば・ハムなど地場産が多く陳列されていた。一番目を引いたのが馬肉で、店のかなりの部分を占めていた。随所に店員が配置され、馬肉をPRしていた。信州が馬肉の産地で馬刺しの美味しい所と認識できた。てっきり熊本だけが本場かなと思っていた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 施設の規模:
- 4.0
-
投稿日 2015年05月13日
総合評価:5.0
御開帳期間が過ぎた後の回向柱は、善光寺の境内西にある一角に眠ることになる。御開帳前には白かった木肌も、御開帳を終えると多くの参拝者に触られた結果、黒くなってしまうらしい。
過去使用された回向柱が順に土に還っている光景が分かる。背丈の大きいほど最近の回向柱で、向こうに行くほど古い回向柱です。古い回向柱は、背丈が非常に小さくなっており、土へと還っているのです。
善光寺の御開帳は7年に1回行われるものですから、背丈の最も小さい回向柱は随分昔のものであると言える。
歴代回向柱の前を通るとき足を止め、手を合わせ拝んで行く姿を必ず見る。信仰心が篤く、感謝して行く姿に見えた。- 旅行時期
- 2015年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
































































































































