もともとの銅鐘(大鐘)は、信玄入道が甲斐善光寺に移したという。
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- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by ガッサンさん(非公開)
長野市 クチコミ:15件
善光寺本堂に向かって手前右側にあるのが鐘楼です。信州善光寺にある鐘楼は、寛永7年(1667年)の物で、建物は嘉永6年(1853年)に再建されたものです。
もともとの銅鐘(大鐘)は、正和2年(1313年)につくられた物で、治承3年(1179年)と文永5年(1268年)の善光寺火災の際に、火を受けて修理している。そして、このもともとの銅鐘は現在も現存して、今は山梨にある甲斐善光寺にある。
上杉謙信と武田信玄によって起こされた川中島合戦の際、武田信玄は善光寺如来を甲府に移す。この時、善光寺の本尊から梵鐘・仏具まで全てを移したと言います。そして新たに甲府に建てたお寺が現在の甲斐善光寺です。
その後、戦国武将によって善光寺のご本尊は各地を転々とし、約40年後に信州に戻ったという。この、各地を流転するきっかけをつくったのが武田信玄なのです。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/12
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