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丹那(たんな)隧道は総延長7804mを有し、大正7年(1918年)4月1日に着工後、当初は7年後の大正14年(1925年)完成予定だったものが、計画を遥かに上回る16年余の年数経過を余儀なくされ当時としては類例を見ない世界屈指の難工事を以って、昭和9年(1934年)12月1日に開通し現在の東海道本線が形成される。<br /><br />丹那隧道開通以前は現在の御殿場線が東海道本線だった。<br /><br />然し、明治中期に開通した路線は長距離隧道掘削技術も未熟な時代故に、特に、山北-御殿場-裾野間は連続する急勾配と急曲線が存在し、箱根の山岳地故に風水害災害に対し脆弱で、また、当時の蒸気機関車では2,3両連結して列車を運転しても出力の点で限界が在り、やがて輸送力の障害と化し政府だけでは無く軍部の強い要請もあり工事完成が急がれた。<br /><br />然し、隧道工事は予想を超えた未曾有の地質の悪さに掘削が進展せず、更に度重なる落盤事故や異常出水の為に工事の中断を余儀なくされた事も工事期間が延伸した一余となった事は否めなかったと思われる。<br /><br />丹那隧道工事中に大規模な落盤事故は3回発生した。<br />*大正10年(1921年)4月1日  東口990ft地点<br />*大正13年(1924年)2月10日 西口4950ft地点<br />*昭和5年(1930年)11月26日 西口10809ft地点【北伊豆大震災】<br /><br />尚、公式発表に依れば隧道工事に伴う犠牲者は67名です。<br />然し、労働災害の概念など希薄な時代背景だったとは申せ、実記録に残らず暗数となった人数を含め100名以上の犠牲者を出しているとされる。<br /><br />開通後74年を経過した隧道完成に伴う秘話と史実とを旅行記に纏めた。<br /><br /><br />http://www.kinomiya.or.jp/tanna/index.htm<br />http://www.kajima.co.jp/gallery/const_museum/tunnel/index.html<br />以下関連記事掲載は来宮神社許可に依る。<br /><br /><br /><br />表紙写真は、<br />丹那隧道殉難碑<br /><br /><br /><br /><br /><br />東海道本線歴史的痕跡探訪記<br />~東京-濱松町間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10701644<br />~東京驛編~<br /><br />~汐留-濱松町-品川間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10797199<br />~品川-川崎間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10502858<br />~川崎-横濱間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10711843<br />~横濱駅移設変転史編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10316826<br />~横濱-大船間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10713813<br />~大船-平塚間編 明治頌歌~<br /><br />~平塚-國府津間編 明治頌歌~<br /><br />~國府津-根府川間編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10298330<br />~根府川-熱海編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10310352<br />~丹那隧道完成秘話 丹那隧道碑文から読み取れし或る歴史的事実~<br />http://4travel.jp/travelogue/10291350<br />~丹那隧道完成秘話 三島口建設工事鉄道線探訪記~<br />http://4travel.jp/travelogue/10575630<br />~熱海-沼津間編~<br /><br />~沼津駅驛編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10294787<br />~沼津港線編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10621891<br />~沼津-富士間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10623829<br />~富士-興津間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10625542<br />~興津-静岡間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10859308<br />~静岡-島田間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10855589<br />~島田-掛川間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10858139<br />~掛川-濱松間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10858815<br />~濱松-豊橋間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10858508<br />~豊橋-岡崎間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10870287<br />~岡崎-大府間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10898135<br />~大府-名古屋-尾張一宮間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10898177<br />~名古屋驛編~<br /><br />~尾張一宮-岐阜-大垣間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10990946<br />~美濃赤坂支線編~<br />https://4travel.jp/travelogue/10992335<br />~大垣-垂井-関ケ原間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11095931<br />~大垣-新垂井-関ケ原間編~<br />https://4travel.jp/travelogue/11200178<br />~関ケ原-米原間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11099834<br />~関ケ原-深谷-長濱間(廃止線)編 明治頌歌~<br /><br />~米原-近江八幡間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11099568<br />~近江八幡-草津間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11214049<br />~草津-膳所間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11102339<br />~膳所-濱大津間(廃止線)編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/11157145<br />~膳所-稲荷-京都間(廃止線)編 明治頌歌~<br /><br />~膳所-山科-京都間(現行線)編 大正浪漫~<br />http://4travel.jp/travelogue/11157106<br />~京都驛編 明治頌歌~<br /><br />~京都-向日町間編 明治頌歌~<br /><br />~向日町-高槻間編 明治頌歌~<br /><br />~高槻-吹田間編 明治頌歌~<br /><br />~吹田-淡路-大阪間(廃止線)編 明治頌歌~<br /><br />~吹田-新大阪-大阪間(現行線)編 大正浪漫~<br /><br />~大阪駅周辺編~<br /><br />~大阪-西宮間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11366806<br />~西宮-灘間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11321266<br />~灘-神戸間編 大正浪漫~<br />https://4travel.jp/travelogue/11245946

東海道本線歴史的痕跡探訪記 ~丹那隧道完成秘話 碑文から読取れし或る歴史的事実~

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2008/11/30 - 2008/12/01

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横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

丹那(たんな)隧道は総延長7804mを有し、大正7年(1918年)4月1日に着工後、当初は7年後の大正14年(1925年)完成予定だったものが、計画を遥かに上回る16年余の年数経過を余儀なくされ当時としては類例を見ない世界屈指の難工事を以って、昭和9年(1934年)12月1日に開通し現在の東海道本線が形成される。

丹那隧道開通以前は現在の御殿場線が東海道本線だった。

然し、明治中期に開通した路線は長距離隧道掘削技術も未熟な時代故に、特に、山北-御殿場-裾野間は連続する急勾配と急曲線が存在し、箱根の山岳地故に風水害災害に対し脆弱で、また、当時の蒸気機関車では2,3両連結して列車を運転しても出力の点で限界が在り、やがて輸送力の障害と化し政府だけでは無く軍部の強い要請もあり工事完成が急がれた。

然し、隧道工事は予想を超えた未曾有の地質の悪さに掘削が進展せず、更に度重なる落盤事故や異常出水の為に工事の中断を余儀なくされた事も工事期間が延伸した一余となった事は否めなかったと思われる。

丹那隧道工事中に大規模な落盤事故は3回発生した。
*大正10年(1921年)4月1日  東口990ft地点
*大正13年(1924年)2月10日 西口4950ft地点
*昭和5年(1930年)11月26日 西口10809ft地点【北伊豆大震災】

尚、公式発表に依れば隧道工事に伴う犠牲者は67名です。
然し、労働災害の概念など希薄な時代背景だったとは申せ、実記録に残らず暗数となった人数を含め100名以上の犠牲者を出しているとされる。

開通後74年を経過した隧道完成に伴う秘話と史実とを旅行記に纏めた。


http://www.kinomiya.or.jp/tanna/index.htm
http://www.kajima.co.jp/gallery/const_museum/tunnel/index.html
以下関連記事掲載は来宮神社許可に依る。



表紙写真は、
丹那隧道殉難碑





東海道本線歴史的痕跡探訪記
~東京-濱松町間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10701644
~東京驛編~

~汐留-濱松町-品川間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10797199
~品川-川崎間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10502858
~川崎-横濱間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10711843
~横濱駅移設変転史編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10316826
~横濱-大船間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10713813
~大船-平塚間編 明治頌歌~

~平塚-國府津間編 明治頌歌~

~國府津-根府川間編~
http://4travel.jp/travelogue/10298330
~根府川-熱海編~
http://4travel.jp/travelogue/10310352
~丹那隧道完成秘話 丹那隧道碑文から読み取れし或る歴史的事実~
http://4travel.jp/travelogue/10291350
~丹那隧道完成秘話 三島口建設工事鉄道線探訪記~
http://4travel.jp/travelogue/10575630
~熱海-沼津間編~

~沼津駅驛編~
http://4travel.jp/travelogue/10294787
~沼津港線編~
http://4travel.jp/travelogue/10621891
~沼津-富士間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10623829
~富士-興津間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10625542
~興津-静岡間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10859308
~静岡-島田間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10855589
~島田-掛川間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858139
~掛川-濱松間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858815
~濱松-豊橋間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10858508
~豊橋-岡崎間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10870287
~岡崎-大府間編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/10898135
~大府-名古屋-尾張一宮間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10898177
~名古屋驛編~

~尾張一宮-岐阜-大垣間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/10990946
~美濃赤坂支線編~
https://4travel.jp/travelogue/10992335
~大垣-垂井-関ケ原間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11095931
~大垣-新垂井-関ケ原間編~
https://4travel.jp/travelogue/11200178
~関ケ原-米原間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11099834
~関ケ原-深谷-長濱間(廃止線)編 明治頌歌~

~米原-近江八幡間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11099568
~近江八幡-草津間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11214049
~草津-膳所間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11102339
~膳所-濱大津間(廃止線)編 明治頌歌~
http://4travel.jp/travelogue/11157145
~膳所-稲荷-京都間(廃止線)編 明治頌歌~

~膳所-山科-京都間(現行線)編 大正浪漫~
http://4travel.jp/travelogue/11157106
~京都驛編 明治頌歌~

~京都-向日町間編 明治頌歌~

~向日町-高槻間編 明治頌歌~

~高槻-吹田間編 明治頌歌~

~吹田-淡路-大阪間(廃止線)編 明治頌歌~

~吹田-新大阪-大阪間(現行線)編 大正浪漫~

~大阪駅周辺編~

~大阪-西宮間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11366806
~西宮-灘間編 明治頌歌~
https://4travel.jp/travelogue/11321266
~灘-神戸間編 大正浪漫~
https://4travel.jp/travelogue/11245946

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 来宮(きのみや)神社<br /><br /><br /><br />正面鳥居<br />来宮神社は遠く奈良時代たる和銅3年(710年)熱海の総鎮守として鎮座された。<br />来宮神社の来宮とは「木の宮」が転じたものと伝えられ境内の大楠に奉神をお招きしたもの。<br /><br />境内は大勢の祈願宿願者の方々で何時も混雑しています。<br /><br />来宮神社(きのみや じんじゃ)<br />熱海市西山町43?1<br />?: 0557?82?2241<br />伊東線来宮駅 徒歩3分<br />http://www.kinomiya.or.jp

    来宮(きのみや)神社



    正面鳥居
    来宮神社は遠く奈良時代たる和銅3年(710年)熱海の総鎮守として鎮座された。
    来宮神社の来宮とは「木の宮」が転じたものと伝えられ境内の大楠に奉神をお招きしたもの。

    境内は大勢の祈願宿願者の方々で何時も混雑しています。

    来宮神社(きのみや じんじゃ)
    熱海市西山町43?1
    ?: 0557?82?2241
    伊東線来宮駅 徒歩3分
    http://www.kinomiya.or.jp

  • 来宮神社境内①<br /><br /><br /><br />忠魂碑<br />熱海市出征者で戦死された方々の御霊を奉ったもの。<br /><br />来宮神社<br />熱海市西山町43-1<br />伊東線来宮駅 徒歩3分

    来宮神社境内①



    忠魂碑
    熱海市出征者で戦死された方々の御霊を奉ったもの。

    来宮神社
    熱海市西山町43-1
    伊東線来宮駅 徒歩3分

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 来宮神社境内②<br /><br /><br /><br />第二大楠<br />鳥居右に存在。<br />数年前の大型台風で被害に遭うも初見の者は大きさに圧倒される。<br /><br />来宮神社<br />熱海市西山町43-1<br />伊東線来宮駅 徒歩3分

    来宮神社境内②



    第二大楠
    鳥居右に存在。
    数年前の大型台風で被害に遭うも初見の者は大きさに圧倒される。

    来宮神社
    熱海市西山町43-1
    伊東線来宮駅 徒歩3分

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 第二大楠<br /><br /><br /><br />よく見ると祠の中に祠が存在。<br /><br />来宮神社<br />熱海市西山町43−1<br />伊東線来宮駅 徒歩3分

    第二大楠



    よく見ると祠の中に祠が存在。

    来宮神社
    熱海市西山町43−1
    伊東線来宮駅 徒歩3分

  • 来宮神社境内③<br /><br /><br /><br />御神水(ごしんすい)<br />該湧水は「御神水」と称し霊験あらたかな事でも知られ容器持参で水を汲み持ち帰る方も多い。<br /><br />来宮神社<br />熱海市西山町43-1<br />伊東線来宮駅 徒歩3分

    来宮神社境内③



    御神水(ごしんすい)
    該湧水は「御神水」と称し霊験あらたかな事でも知られ容器持参で水を汲み持ち帰る方も多い。

    来宮神社
    熱海市西山町43-1
    伊東線来宮駅 徒歩3分

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 来宮神社<br /><br /><br /><br />本殿

    来宮神社



    本殿

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 来宮神社<br /><br /><br /><br />本殿扁額

    来宮神社



    本殿扁額

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 来宮神社<br /><br /><br /><br />御神木大楠木①<br />

    来宮神社



    御神木大楠木①

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 来宮神社<br /><br /><br /><br />御神木大楠木②<br />余りの大きさに全景を撮影する事が困難。

    来宮神社



    御神木大楠木②
    余りの大きさに全景を撮影する事が困難。

    來宮神社 寺・神社・教会

    来宮神社〔神社〕 by 横浜臨海公園さん
  • 東海道新幹線新丹那トンネル来宮口<br /><br /><br /><br />戦前、東海道線山陽線輸送力打開の為に、弾丸列車計画と共に掘削を開始したが、不要不急工事に指定され大東亜戦争末期に工事中止。<br />戦後、東海道新幹線計画決定と同時に工事再開。<br /><br />熱海市梅園町16<br />伊東線来宮駅 徒歩5分<br />

    東海道新幹線新丹那トンネル来宮口



    戦前、東海道線山陽線輸送力打開の為に、弾丸列車計画と共に掘削を開始したが、不要不急工事に指定され大東亜戦争末期に工事中止。
    戦後、東海道新幹線計画決定と同時に工事再開。

    熱海市梅園町16
    伊東線来宮駅 徒歩5分

    来宮駅

  • 丹那神社、及び、丹那隧道殉職慰霊碑入口<br /><br /><br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那神社、及び、丹那隧道殉職慰霊碑入口



    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

    来宮駅

  • 熱海水力発電所跡記念碑(あたみ すいりょくはつでんしょあと きねんひ)<br /><br /><br /><br />明治中期に政財界が競って別荘を建てた熱海では、此れらの住宅に電気を供給する為に、早い時期から電力事業が勃興し、その為に水力発電所が建設された。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    熱海水力発電所跡記念碑(あたみ すいりょくはつでんしょあと きねんひ)



    明治中期に政財界が競って別荘を建てた熱海では、此れらの住宅に電気を供給する為に、早い時期から電力事業が勃興し、その為に水力発電所が建設された。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 梅園の湯(ばいえんのゆ)<br /><br /><br /><br />但し、訪問日には何故か温泉が噴出していなかった。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    梅園の湯(ばいえんのゆ)



    但し、訪問日には何故か温泉が噴出していなかった。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />工事中の写真<br />工事に際し苦労が偲ばれる数々のショット。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那隧道



    工事中の写真
    工事に際し苦労が偲ばれる数々のショット。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道殉職者供養碑(たんな ずいどう じゅんしょくしゃ くようひ)<br /><br /><br /><br />元来は野中大乗院大明神境内に設置されたものだったが、昭和44年(1969年)6月に現在位置に移転。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那隧道殉職者供養碑(たんな ずいどう じゅんしょくしゃ くようひ)



    元来は野中大乗院大明神境内に設置されたものだったが、昭和44年(1969年)6月に現在位置に移転。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道殉職碑(たんな ずいどう じゅんしょくひ)<br /><br /><br /><br />正面<br />彫刻家 斎藤素巌氏 作<br />レリーフ右手は丹那隧道工事開始直後の手掘り時代。<br />レリーフ左手は丹那隧道工事晩期の削岩機使用時代。<br /><br />供養碑共々地元の方々に依り毎日の様に草花が供えられている。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那隧道殉職碑(たんな ずいどう じゅんしょくひ)



    正面
    彫刻家 斎藤素巌氏 作
    レリーフ右手は丹那隧道工事開始直後の手掘り時代。
    レリーフ左手は丹那隧道工事晩期の削岩機使用時代。

    供養碑共々地元の方々に依り毎日の様に草花が供えられている。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道殉職碑<br /><br /><br /><br />殉職者氏名一覧<br />67名の殉職者氏名が刻み込まれている。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那隧道殉職碑



    殉職者氏名一覧
    67名の殉職者氏名が刻み込まれている。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 殉職慰霊碑氏名①<br /><br /><br /><br />女性殉職者氏名<br /><br />岩田エイ(宮崎県出身19才)<br />金子 安 (山形県出身27才)<br /><br />資料に依れば両名共、川瀬亀蔵部屋配下の内壁工事下請女人夫。<br />何れも大正10年(1921年)4月1日の坑内大崩壊事故で死亡。<br />よく世間で伝承されている様に、『山の神はトンネル工事現場への女性の立ち入りを忌み嫌う』と言ふのは昭和一桁から言われ始めた事で、少なくとも大正期まで該伝承など存在せず隧道工事現場や炭鉱内に於いて多数の女性達が劣悪な環境下で肉体労働に従事していた。<br />はからずも該殉職者氏名が雄弁に物語る真実。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    殉職慰霊碑氏名①



    女性殉職者氏名

    岩田エイ(宮崎県出身19才)
    金子 安 (山形県出身27才)

    資料に依れば両名共、川瀬亀蔵部屋配下の内壁工事下請女人夫。
    何れも大正10年(1921年)4月1日の坑内大崩壊事故で死亡。
    よく世間で伝承されている様に、『山の神はトンネル工事現場への女性の立ち入りを忌み嫌う』と言ふのは昭和一桁から言われ始めた事で、少なくとも大正期まで該伝承など存在せず隧道工事現場や炭鉱内に於いて多数の女性達が劣悪な環境下で肉体労働に従事していた。
    はからずも該殉職者氏名が雄弁に物語る真実。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 殉職慰霊碑氏名②<br /><br /><br /><br />当時の朝鮮総督府下出身7名の朝鮮人氏名<br />事故発生に於ける死亡は日本人朝鮮人の区別差別無く死亡時順に記載。<br />尚、朝鮮総督府は大正11年(1922年)11月17日附で、【朝鮮人ノ旅行ニ関スル件】という通牒を発し、朝鮮総督府下に於ける朝鮮人の日本本土渡航に就いて、該通牒発令以前は上級学校就学者若しくは陸軍士官学校入学者に限定条件該当者に対してのみ現地警察署に於いて証明書を交付し他の理由での渡航移動を認めていなかったが、此れを不要とし日本本土への渡航制限を撤廃し自由とした。<br />要するに、大正9年(1920年)に世界的大流行となったスペイン風邪が原因で日本人多数が死亡し急速な労働人口不足が朝鮮人の渡航制限を撤廃せしめたもの。<br />朝鮮人労働者が日本本土に大量に移入するのは此の年から。<br />故に一部の者たちが主張するが如き強制連行されて来たと言う事実は全く無く、あくまで本人の自由意志に依る労働賃金を得る就労目的での正当な来日であり、現在に尾を引く厄介な在日韓国朝鮮人問題の伏線萌芽は大正11年に始まったと言える。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    殉職慰霊碑氏名②



    当時の朝鮮総督府下出身7名の朝鮮人氏名
    事故発生に於ける死亡は日本人朝鮮人の区別差別無く死亡時順に記載。
    尚、朝鮮総督府は大正11年(1922年)11月17日附で、【朝鮮人ノ旅行ニ関スル件】という通牒を発し、朝鮮総督府下に於ける朝鮮人の日本本土渡航に就いて、該通牒発令以前は上級学校就学者若しくは陸軍士官学校入学者に限定条件該当者に対してのみ現地警察署に於いて証明書を交付し他の理由での渡航移動を認めていなかったが、此れを不要とし日本本土への渡航制限を撤廃し自由とした。
    要するに、大正9年(1920年)に世界的大流行となったスペイン風邪が原因で日本人多数が死亡し急速な労働人口不足が朝鮮人の渡航制限を撤廃せしめたもの。
    朝鮮人労働者が日本本土に大量に移入するのは此の年から。
    故に一部の者たちが主張するが如き強制連行されて来たと言う事実は全く無く、あくまで本人の自由意志に依る労働賃金を得る就労目的での正当な来日であり、現在に尾を引く厄介な在日韓国朝鮮人問題の伏線萌芽は大正11年に始まったと言える。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道殉職慰霊碑<br /><br /><br /><br />全景<br />丹那隧道来宮口真上に所在。<br />但し、直接工事に携わった者で死亡者負傷者は多数出たが、その大部分は請負工事の為に、此れが原因で補償に就いては当時の仕来たりでは請負人側に於いて処置する為に数値が明瞭では無い。<br />事実、鉄道省熱海建設事務所発行【丹那隧道工事誌】に、『三大事故以外ニ負傷又ハ死亡シタル者ハ多数デアルガ其ノ大部分ハ切投又ハ請負工事ノ為ニ之ガ救済ハ請負人側ニ於イテ處分サレタノデ明瞭デハナイ。但シ直接工事ニ関シテ死亡シタ者ハ六十七名、云々』(同書276〜77頁)との記述が散見される為に、暗に鉄道省自身が死者が67名以上発生したる事を認めている。<br />当時の時代背景で労働災害なる概念が存在しない為に、直接工事に携わり死亡した者は暗数を含めると67名を遥かに上回る112名以上とされる。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那隧道殉職慰霊碑



    全景
    丹那隧道来宮口真上に所在。
    但し、直接工事に携わった者で死亡者負傷者は多数出たが、その大部分は請負工事の為に、此れが原因で補償に就いては当時の仕来たりでは請負人側に於いて処置する為に数値が明瞭では無い。
    事実、鉄道省熱海建設事務所発行【丹那隧道工事誌】に、『三大事故以外ニ負傷又ハ死亡シタル者ハ多数デアルガ其ノ大部分ハ切投又ハ請負工事ノ為ニ之ガ救済ハ請負人側ニ於イテ處分サレタノデ明瞭デハナイ。但シ直接工事ニ関シテ死亡シタ者ハ六十七名、云々』(同書276〜77頁)との記述が散見される為に、暗に鉄道省自身が死者が67名以上発生したる事を認めている。
    当時の時代背景で労働災害なる概念が存在しない為に、直接工事に携わり死亡した者は暗数を含めると67名を遥かに上回る112名以上とされる。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

    来宮駅

  • 丹那神社(たんな じんじゃ)<br /><br /><br /><br />鳥居と本殿<br />国鉄時代は大崩落事故が発生した4月1日に例祭と慰霊祭が実施されておりましたが、民営分割後、丹那隧道自体が途中でJR東日本とJR東海とに分割された為に自然消滅の形になったものが、地元有志に依り丹那隧道殉職者奉賛会が組織され、更にJR東海が参加する事で、例祭と慰霊祭が毎年4月第1日曜日に復活。<br /><br />熱海市福道町8<br />伊東線来宮駅 徒歩7分

    丹那神社(たんな じんじゃ)



    鳥居と本殿
    国鉄時代は大崩落事故が発生した4月1日に例祭と慰霊祭が実施されておりましたが、民営分割後、丹那隧道自体が途中でJR東日本とJR東海とに分割された為に自然消滅の形になったものが、地元有志に依り丹那隧道殉職者奉賛会が組織され、更にJR東海が参加する事で、例祭と慰霊祭が毎年4月第1日曜日に復活。

    熱海市福道町8
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那神社<br /><br /><br /><br />本殿<br />丹那神社は隧道工事で殉職者67柱の御霊を祀るといふ他に類例が少ない珍しい神社。<br />来宮神社の末社。<br /><br />丹那神社(たんな じんじゃ)<br />熱海市梅園町<br />?: 0557−82−2241(来宮神社共通)<br />伊東線来宮駅 徒歩7分<br />http://www.kinomiya.or.jp/tanna/index.htm

    丹那神社



    本殿
    丹那神社は隧道工事で殉職者67柱の御霊を祀るといふ他に類例が少ない珍しい神社。
    来宮神社の末社。

    丹那神社(たんな じんじゃ)
    熱海市梅園町
    ?: 0557−82−2241(来宮神社共通)
    伊東線来宮駅 徒歩7分
    http://www.kinomiya.or.jp/tanna/index.htm

  • 救命石(きゅうめいいし)<br /><br /><br /><br />大正10年4月1日に発生した隧道内での大崩落事故の際に、此の石が支えになり17名が助かった事から生存者が感謝の意を受け「救命石」と称し祀ったもの。<br /><br />17名救出に8日間を要し一時は絶望視されたものの、生存者達は編み笠の藁を食し湧水を飲みながら飢えを凌ぎ死と暗夜の恐怖とに脅え、仲間内で懺悔をしつつ暗闇の中を一途の希望を抱きながら救援隊が到着するのを待ちわびていたとの由。<br /><br />戦前の修身の教科書の題材にもなった史実。

    救命石(きゅうめいいし)



    大正10年4月1日に発生した隧道内での大崩落事故の際に、此の石が支えになり17名が助かった事から生存者が感謝の意を受け「救命石」と称し祀ったもの。

    17名救出に8日間を要し一時は絶望視されたものの、生存者達は編み笠の藁を食し湧水を飲みながら飢えを凌ぎ死と暗夜の恐怖とに脅え、仲間内で懺悔をしつつ暗闇の中を一途の希望を抱きながら救援隊が到着するのを待ちわびていたとの由。

    戦前の修身の教科書の題材にもなった史実。

  • 丹那神社から慰霊碑を俯瞰<br /><br /><br /><br />下方に見える線路は東海道本線。

    丹那神社から慰霊碑を俯瞰



    下方に見える線路は東海道本線。

  • 丹那隧道(たんな ずいどう)<br /><br /><br /><br />来宮口全景<br />丹那隧道は来宮口から250メートル弱地点に来宮信号所第1場内信号機設置点がJR東日本とJR東海との境界点。<br />隧道施設自体は全てJR東海所有資産という複雑な関係。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道(たんな ずいどう)



    来宮口全景
    丹那隧道は来宮口から250メートル弱地点に来宮信号所第1場内信号機設置点がJR東日本とJR東海との境界点。
    隧道施設自体は全てJR東海所有資産という複雑な関係。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />来宮口上部<br />起工2578年(大正7年、1918年)、完成2594年(昭和9年、1934年)。<br />時代を反映し紀元暦使用。<br />中央部に填め込まれたのは扁額。<br />扁額は人選が確定しない内に戦時体制となり中止。<br />取り付けられたのは丹那隧道開通20年後の昭和29年(1954年)。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道



    来宮口上部
    起工2578年(大正7年、1918年)、完成2594年(昭和9年、1934年)。
    時代を反映し紀元暦使用。
    中央部に填め込まれたのは扁額。
    扁額は人選が確定しない内に戦時体制となり中止。
    取り付けられたのは丹那隧道開通20年後の昭和29年(1954年)。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />来宮口<br />よく見ると入口内部は煉瓦積。<br />途中区間からコンクリートブロック施工。<br />中央最深部は鉄筋コンクリート施工。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道



    来宮口
    よく見ると入口内部は煉瓦積。
    途中区間からコンクリートブロック施工。
    中央最深部は鉄筋コンクリート施工。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />東海道線電車<br />JR東海211系電車と隧道上部に丹那神社が垣間見れる。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道



    東海道線電車
    JR東海211系電車と隧道上部に丹那神社が垣間見れる。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道来宮口扁額拓本<br /><br /><br /><br />内田信也 揮毫<br /><br />内田信也(うちだ のぶや)<br />(明治23年(1880年)12月6日〜昭和46年(1971年)1月7日)は、大正期の第1次世界大戦時に造船成金として知られた人物。<br />大正13年(1924年)の総選挙で茨城県から衆議院議員連続7期当選し政友会所属。<br />岡田内閣で鐵道大臣を務めていた際に丹那隧道貫通の爆破スイッチを押す。<br />また2.26事件では事件終結の為に小原直(おはら なおし)司法大臣と共に陸軍首脳の討伐消極論に反対し反乱軍部隊討伐を強硬に主張し昭和天皇の信任を増す。<br />戦後は公職追放指定を受けたが追放解除後に第5次吉田内閣で農林大臣を務める。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道来宮口扁額拓本



    内田信也 揮毫

    内田信也(うちだ のぶや)
    (明治23年(1880年)12月6日〜昭和46年(1971年)1月7日)は、大正期の第1次世界大戦時に造船成金として知られた人物。
    大正13年(1924年)の総選挙で茨城県から衆議院議員連続7期当選し政友会所属。
    岡田内閣で鐵道大臣を務めていた際に丹那隧道貫通の爆破スイッチを押す。
    また2.26事件では事件終結の為に小原直(おはら なおし)司法大臣と共に陸軍首脳の討伐消極論に反対し反乱軍部隊討伐を強硬に主張し昭和天皇の信任を増す。
    戦後は公職追放指定を受けたが追放解除後に第5次吉田内閣で農林大臣を務める。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道函南口扁額拓本<br /><br /><br /><br />八田嘉明 揮毫<br /><br />八田嘉明(はった よしあき)<br />(明治11年(1879年)9月14日〜昭和39年(1964年)4月26日)は、隧道建設技師で丹那隧道建設計画に当初から参加。<br />鐵道省次官を退官後、満鉄総裁松岡洋介(まつおか ようすけ)に認められ、同社副総裁を歴任。<br />昭和12年(1937年)第一次近衛内閣に於いて拓務大臣、平沼内閣で商工大臣、東條内閣で鐵道大臣を務めた後、日本商工会議所会頭を歴任。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩7分<br />

    丹那隧道函南口扁額拓本



    八田嘉明 揮毫

    八田嘉明(はった よしあき)
    (明治11年(1879年)9月14日〜昭和39年(1964年)4月26日)は、隧道建設技師で丹那隧道建設計画に当初から参加。
    鐵道省次官を退官後、満鉄総裁松岡洋介(まつおか ようすけ)に認められ、同社副総裁を歴任。
    昭和12年(1937年)第一次近衛内閣に於いて拓務大臣、平沼内閣で商工大臣、東條内閣で鐵道大臣を務めた後、日本商工会議所会頭を歴任。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩7分

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />来宮口付近から来宮駅構内を俯瞰<br />以前は一番手前と電車停車中の線路は丹那隧道に繋がっていたが民営分割後に連絡線を撤去し分断。<br />平成20年12月1日を以って丹那隧道は開通74年を迎えた。<br /><br />熱海市福道町7<br />伊東線来宮駅 徒歩6分

    丹那隧道



    来宮口付近から来宮駅構内を俯瞰
    以前は一番手前と電車停車中の線路は丹那隧道に繋がっていたが民営分割後に連絡線を撤去し分断。
    平成20年12月1日を以って丹那隧道は開通74年を迎えた。

    熱海市福道町7
    伊東線来宮駅 徒歩6分

    来宮駅

  • 丹那隧道<br /><br /><br /><br />来宮口を出る寝台特急 富士はやぶさ号<br />伊東線来宮駅ホームで撮影。<br />珍しく来宮信号所を定刻通過。<br />来年3月ダイヤ改正で廃止予定。

    丹那隧道



    来宮口を出る寝台特急 富士はやぶさ号
    伊東線来宮駅ホームで撮影。
    珍しく来宮信号所を定刻通過。
    来年3月ダイヤ改正で廃止予定。

    来宮駅

  • 熱海水力発電所放水口跡<br /><br /><br /><br />発電所自体は大正中期に操業を停止したが発電機回転の為の放水口跡が残る。<br /><br />因みに、此の辺りは元来深い谷を形成していたが丹那隧道掘削の際に排出された土砂が堆積し現在の様になった所。

    熱海水力発電所放水口跡



    発電所自体は大正中期に操業を停止したが発電機回転の為の放水口跡が残る。

    因みに、此の辺りは元来深い谷を形成していたが丹那隧道掘削の際に排出された土砂が堆積し現在の様になった所。

  • 伊東線来宮駅駅舎<br /><br /><br /><br />丹那隧道開通時は信号所として開設。<br />翌年伊東線開通の際に駅に昇格。<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=600

    伊東線来宮駅駅舎



    丹那隧道開通時は信号所として開設。
    翌年伊東線開通の際に駅に昇格。
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=600

  • 山形病院跡(やまがたびょういんあと)<br /><br /><br /><br />医師にして初代病院長の山形文雄氏は丹那隧道工事建設に伴い豪雪地たる山形県米沢から温暖の地熱海に転居し病院を開設し開業医を営みつつ鐵道省嘱託医として丹那隧道工事関係者の傷病者の治療診断にあたる。<br />中途より鐵道省嘱託医に任じられる。<br />戦後は2度に渡る熱海大火後の昭和27年(1952年)4月17日に第7代目熱海市長に就任し2期4年間務め大火後の熱海経済を復興に導く。<br /><br />死去後は長男が病院を継ぐも跡継ぎが無く惜しくも4年前に廃業。<br />現在は病院建物を活用しニューフジヤホテル従業員宿舎。<br /><br />熱海市上宿町6−28<br />東海道本線熱海駅 徒歩22分

    山形病院跡(やまがたびょういんあと)



    医師にして初代病院長の山形文雄氏は丹那隧道工事建設に伴い豪雪地たる山形県米沢から温暖の地熱海に転居し病院を開設し開業医を営みつつ鐵道省嘱託医として丹那隧道工事関係者の傷病者の治療診断にあたる。
    中途より鐵道省嘱託医に任じられる。
    戦後は2度に渡る熱海大火後の昭和27年(1952年)4月17日に第7代目熱海市長に就任し2期4年間務め大火後の熱海経済を復興に導く。

    死去後は長男が病院を継ぐも跡継ぎが無く惜しくも4年前に廃業。
    現在は病院建物を活用しニューフジヤホテル従業員宿舎。

    熱海市上宿町6−28
    東海道本線熱海駅 徒歩22分

  • 豆相人車鉄道駅舎跡地碑<br /><br /><br /><br />豆相人車(とうそう じんしゃ)軌道(が正しい)は、明治29年(1896年)に開通した人力に依る鉄道。<br />後に蒸気機関車が導入されたが、丹那隧道工事に必要な機材を送るにも沿線施設が脆弱だった為に殆ど使用される事も無く、関東大震災被害で沿線各所が壊滅状態になり、その後廃止の運命を辿った薄命な鉄道。<br /><br />現在の南明ホテル敷地に駅が存在。<br /><br />南明ホテル(なんめい ほてる)<br />熱海市咲見町8−3<br />?: 0557−81−6195<br />東海道本線熱海駅徒歩6分<br />http://www.nanmei.co.jp/<br />

    豆相人車鉄道駅舎跡地碑



    豆相人車(とうそう じんしゃ)軌道(が正しい)は、明治29年(1896年)に開通した人力に依る鉄道。
    後に蒸気機関車が導入されたが、丹那隧道工事に必要な機材を送るにも沿線施設が脆弱だった為に殆ど使用される事も無く、関東大震災被害で沿線各所が壊滅状態になり、その後廃止の運命を辿った薄命な鉄道。

    現在の南明ホテル敷地に駅が存在。

    南明ホテル(なんめい ほてる)
    熱海市咲見町8−3
    ?: 0557−81−6195
    東海道本線熱海駅徒歩6分
    http://www.nanmei.co.jp/

  • 熱海から望見される伊豆大島<br /><br /><br /><br />工事に携わった人々も此の姿を見たのであろうか。

    熱海から望見される伊豆大島



    工事に携わった人々も此の姿を見たのであろうか。

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この旅行記へのコメント (28)

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  • Rolleiguyさん 2017/09/21 12:30:52
    正確な記録
    横浜臨海公園さん
    以前拝見したこの旅行記を再読して、その精緻な記録性と、それに対する的確なご意見、コメントに敬意を表したくなりました。
    私自身は鉄道のマニアでもなく、その歴史の詳細を知ろうとしたこともありませんが、
    こうしていくつかの鉄道に関する旅行記を拝見すると、歴史的な資料としての大きな価値を
    有していると思います。事実を写真だけで残しても、資料を単に載せても、底の浅いものに
    なってしまいますが、横浜臨海公園さんのものは、知りたいと思う人にとって大きな史料価値をもたらせてくれますね。一つ一つの写真とコメントに旅行記の必然性があるように思います。たまに訪問させて頂きますが、また楽しみにしています。
    Rolleiguy

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2017/09/22 10:17:02
    拝復
    Rollelguyさま、こんにちは。


    拙稿に再訪を賜りまして、誠に有難うございました。

    仰せの通り、丹那隧道の建設史を東西坑道から旅行記として投稿させて頂きました1件でございます。

    兎に角、我が国の歴史教育は偏向も甚だしく、事実を事実として捉える事も無く、捻じ曲げ史が罷り通るのが現実ですが、それでは史実としての現実を後世に伝承することなく非事実が事実としてなる事に憤りを感じております。

    該線川崎-横浜間編では、当時のオリジナル資料を精査して上程したにも拘らず、誹謗中傷される事態にも発展した程です。

    史実の発掘公表には苦労させられます。




    横浜臨海公園
  • わきさん 2016/10/08 12:58:59
    丹那トンネル旅行記正に正に深く読ませる旅行記
    こんにちは。
    丹那トンネル旅行記
    興味深く拝見致しました。

    中でも、当時の鉄道工業会社に勤務していた
    飯田清太氏と門屋盛一氏を代表として、
    17名が奇跡的に救助され、大々的に当時の新聞にも
    掲載されたようですね。

    門屋盛一氏については、彼自身件の事故について、
    下記のような手記があるようです。



    以下、門屋自身の「生き埋め日記」からの抜粋。
    「助かった原因:33名が遭難し,16名は崩落事故の真下にあって圧死したが,そこより奥の先進導坑で働いていた17名は閉じ込められて,7日後の4月8日の午後11時に救助された.その当時は単線型のトンネル以外の経験がなく,延長約8kmの大隧道で,しかも箱根火山地帯の難しい地質の中を掘削して行くというので当時の鉄道省としても最も精鋭の技術陣を配した.しかし,私は19才の時から2年半程長崎沖の三菱の端島炭坑,崎戸炭坑等で働いていたので,炭坑の坑内設備(坑内の電燈,動力線,下水,電話も装備済)が非常によかったことを知っていた.当初の丹那トンネル工事では,まだカンテラをつけて坑内に入り電燈の設備がなく,1.6km程先の導坑には電話もなく,一寸の連絡でも徒歩で奥から出なければならず,従来の工法を一歩も出ていなかった.
    下水の事を,飯田清太さんと私,門屋盛一が必死になって頼んだ.その結果,事故の起る数日前,確か2寸厚みの板で深さ1尺,幅2尺の下水が出来ていた.そのお陰で我々が溺死を免れたのです.当時毎秒1.5立方尺(=42 ?/sec)位の水が出ていたので,我々は三昼夜位でガスで窒息するか,あるいは溺死していた筈であった.我々の願いを,幸いにも竹股技師が聴き入れ,いいと思うことを直ぐやってくれたので助かった訳である.たまたま4月1日は朔日で公休日のため,導坑と山の悪いところでコンクリート工を進め,他は全部休んでいた.従事員が余計入っていなかったのは不幸中の幸いであった」.



    この崩落事故時、門屋は、大きな借財を抱えており、遺書を残しているようです。
    この遺書は当時の新聞に取り上げられ、彼を有名にするようで、
    後年彼は、別府星野組の代取となりましたね。

    横浜臨海公園さんのような、
    旅行記、正に正に深く読ませる旅行記で、
    目が洗われるようです。
    わき

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2016/10/09 14:40:04
    拝復
    わきさま、はじめまして。


    拙稿への投票、及び、掲示板への寄稿、そして、フォローを賜りまして深謝しております。

    旅行記の作成は自己満足の表現ですが、それにしても、小生が旅行記を作成するの当たり、資料精査を反復させる内で、鉄道に関する発表物が相当数のイイ加減さには、驚きと嘆きさとを痛感させられております。

    丹那隧道に関する公開された物には、本当に現地に行って資料なり現地精査を行ったのかと、疑いを抱かせる内容物も少なくありませんでした。

    小生、旅行記の発表には慎重を期しておりまして、それ故に、投稿数も少なく時間を要しておりますが、何卒、ご理解を頂ければ幸甚でございます。

    今後とも何卒宜敷くお願い申します。



    横浜臨海公園
  • 南国ぱいんさん 2014/05/26 09:18:16
    どこの隧道工事も…
    どこの隧道工事も
    多かれ少なかれ昔は犠牲者が
    出ていたんですネ。。。

    外国人はなんとなくイメージがつきましたが
    女性もいたとは驚きました。

    女性がそんなところに
    出稼ぎに出ていたとは…

    家族を支えないといけないような事情が
    あってのことでしょうネ。

    それにしても横浜臨海公園さんのレポは
    じっくり一つ一つ読まないといけませんなぁ…
    夜、寝る前とかいいンですが…
    タブレットでも使うかな。。。笑

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2014/05/26 13:57:30
    拝復
    南国ぱいんさま、こんにちは。


    この度は、小生の旅行記へのお立寄りを賜りまして、誠に有難うございました。

    > どこの隧道工事も
    > 多かれ少なかれ昔は犠牲者が
    > 出ていたんですネ。。。
    →ただ、丹那隧道に関する限り、犠牲者数は少ない方だと思います。
    ヨーロッパ、殊に、スイスやイタリアの隧道工事では死者500名前後なんてザラだった様です。

    > 外国人はなんとなくイメージがつきましたが
    > 女性もいたとは驚きました。
    > 女性がそんなところに
    > 出稼ぎに出ていたとは…
    →ギャラが破格だったからでしょう。
    昭和初期の丸ノ内のオフイスレディよりも高額を得ていましたから!

    > それにしても横浜臨海公園さんのレポは
    > じっくり一つ一つ読まないといけませんなぁ…
    > 夜、寝る前とかいいンですが…
    →実は小生、某会員から旅行記の説明文が長過ぎると言われた事があります。
    然し、その会員の方の旅行記は旅行記数と写真ばかりやたらと多い割に文章が無に均しく、何を意味意図しているのか理解不明な事も度で、?????困惑させられる事も多い方です。
    兎に角、小生の旅行記は資料として活用可能な程度に仕上げております。
    その為か、昨今では、当該旅行記の地元図書館あたりから、旅行記をプリントアウトして地域資料として設置させてもらいたいと要請も多くなりました。

    どうか何卒ご理解の程をお願いします。



    横浜臨海公園

    南国ぱいん

    南国ぱいんさん からの返信 2014/05/29 09:30:23
    RE: 拝復
    コンニチワ♪

    いつもすばらしい資料拝見しています!

    > 兎に角、小生の旅行記は資料として活用可能な程度に仕上げております。
    > その為か、昨今では、当該旅行記の地元図書館あたりから、旅行記をプリントアウトして地域資料として設置させてもらいたいと要請も多くなりました。

    すばらしい!
    その通りだと思います。

    ワタクシも一度ある案件の歴史的な資料が欲しくて
    現地の図書館までいったのに
    ろくな資料がなくて
    残念な思いをしたことがあります。

    こういった生のレポは
    図書館などでも大事にするべきですよ!

    > どうか何卒ご理解の程をお願いします。
    >
    理解しまくっちゃってます。

    内容が長いと思われる方もなかには
    いらっしゃるかもしれませんが

    ひとえに価値観の差だと思われます。

    ワタクシはまさに
    リアル本がわりに拝見したいと思っています。
    電子書籍になさっても良いのでは?笑

    夜、寝る前など読んだら
    その旅レポ先での良い夢が見られることでしょう♪

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2014/05/30 18:22:48
    再拝復
    南国ぱいんさま、こんばんは。


    重ね重ねメッセージを賜りまして、深謝厚謝しております。

    あと、最近ですが、某大学生、及び、大学院生が、自身の卒論のテーマと一致しているからだとして、小生の旅行記の内容を一部引用したいとの依頼をされた事が数件ございます。

    > ワタクシも一度ある案件の歴史的な資料が欲しくて
    > 現地の図書館までいったのに
    > ろくな資料がなくて
    > 残念な思いをしたことがあります。
    →それは、どちらのどの様な内容だったのでしょうか?
    気になります。




    横浜臨海公園

    南国ぱいん

    南国ぱいんさん からの返信 2014/06/03 13:04:15
    何度もすみませんデス。
    コンニチワ〜横浜臨海公園様・・・


    > あと、最近ですが、某大学生、及び、大学院生が、自身の卒論のテーマと一致しているからだとして、小生の旅行記の内容を一部引用したいとの依頼をされた事が数件ございます。

    すばらしいなぁ…
    ワタクシ、実は恥ずかしながらライター商売もしてまして
    …と 申しましても
    そんなカッコいいものではありません。

    ネットライターですから
    関西弁で言う「ベタ」な内容です…^^;
    お店や商材の案内とかですよ。


    > > ワタクシも一度ある案件の歴史的な資料が欲しくて
    > > 現地の図書館までいったのに
    > > ろくな資料がなくて
    > > 残念な思いをしたことがあります。
    > →それは、どちらのどの様な内容だったのでしょうか?
    > 気になります。
    >

    実は、この件ですが
    改めて時間をとって調べないといけないのですが

    知多半島の常滑なんですけど
    ある人物の家系をおっかけてるんです。

    はるか400数十年前
    徳川家康が伊賀越の際に
    地元常滑あたりで船を操って家康を助けた
    勇敢な海の男…その彼に逢いたくて

    地元では実在した人物らしく
    とくに家康の伊賀越の案件なども
    知ることができればいいなぁと思って
    今もおいかけております。

    話せば長くなりますが
    10年ほど前、昭和の初め頃書かれた
    常滑市史のコピーを
    手に入れたのですが…というより

    勝手にワタクシのところにやってきたンですね
    その資料が…
    欲しかったわけでは決してありませんモン。

    しかし…彼は確かにそこにいました。
    彼の面影がそこにあったのです。

    それが残念なことに
    当時のワタクシの部下に持ってかれて
    そのまんまになってしまいました…

    お信じいただかなくてもかまいませんが
    その彼、掘り出して欲しいんですよネ…
    ワタクシにはよくわかるンですよ…笑

    まぁ、ワタクシごときの力で
    出来る範囲はしれているでしょうが
    出来る限りはやらなきゃ…と思って
    地元の図書館に行ってみたのですが

    資料は多くが散逸していて
    残念な思いを致しました。

    お寺などにもお伺いしてみたら
    お名前はわからないのですが
    そのコピーに書かれていた内容と
    一致するようなお話が

    住職さんに聞けたりして
    確かに歴史の中に彼は存在したんだという
    感触が掴めたことは間違いありません。

    やっぱ何日間か
    現地に滞在して落ち着いて
    うろつかないといけないな…と思ってます。

    それと閃でしょうネえ…
    その場でのおそらく少ない資料の中から
    どこへ行けばいいのかということを
    キャッチしないと

    彼とは出逢えないんだろうと思ってます。

    何をさせられるんだか…笑
    でも、その声にはそう遠くない将来に
    できる限り答えてさしあげねば!と
    決して忘れることのないテーマとして

    いつもワタクシの心の中にあるンです。
    しかし…ちょっと昔すぎますネ…┐(´ー`)┌

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2014/06/03 14:40:22
    拝復
    南国パインさま、こんにちは。



    今日の東京はキチガイじみた暑さで、小生、へたばっております。

    家康の伊賀越。
    甲賀忍者を手先に伊賀を越え、伊勢湾を抜けて三河に戻ったコースですが、穴山梅雪は家康と行動を別にして土民に殺されたアレですね。

    ところで、常滑市ですが、昭和19年(1944年)12月7日の東南海震災と翌年の三河大震災で街全体が崩壊壊滅してしまい、更に、愛知県は航空機製造工場が多く存在した為に、度重なるアメリカ軍の空襲に曝され、資料らしい資料は現存しないと思います。

    寧ろ、国立国会図書館に足を運ばれた方が賢明だと思います。



    横浜臨海公園

    南国ぱいん

    南国ぱいんさん からの返信 2014/06/04 09:12:53
    RE: 拝復
    > 南国パインさま、こんにちは。
    >

    何度もご丁寧にありがとうございます。
    m(_ _)m
    暑いですネぇ〜関西もしかり!です…


    > 今日の東京はキチガイじみた暑さで、小生、へたばっております。
    >
    > 家康の伊賀越。
    > 甲賀忍者を手先に伊賀を越え、伊勢湾を抜けて三河に戻ったコースですが、穴山梅雪は家康と行動を別にして土民に殺されたアレですね。

    アレですよ…笑


    > ところで、常滑市ですが、昭和19年(1944年)12月7日の東南海震災と翌年の三河大震災で街全体が崩壊壊滅してしまい、更に、愛知県は航空機製造工場が多く存在した為に、度重なるアメリカ軍の空襲に曝され、資料らしい資料は現存しないと思います。

    なるほど!
    そういった歴史もあるんですネ…


    > 寧ろ、国立国会図書館に足を運ばれた方が賢明だと思います。

    おおお!
    その手がありましたネ♪

    関西住まいなので
    そこはちょっと思いもつきませんでした。

    行ってみます!
    こりゃあオモロ〜になって来ました!!

    ありがとうございました。。。

    今後共どうぞよろしくお願いいたします。
    m(_ _)m



    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2014/06/04 11:18:35
    再拝復
    南国パインさま、こんにちは。



    度々のメッセージを賜りまして、誠に有難うございました。

    因みに、国立国会図書館ですが、京都府南端に国立国会図書館関西館が存在しますが、あそこは博士論文管理がメインで、小生作成の論文も保管されておりますが、書籍に関しては数量が微々たる物でたいした物はございません。
    やはり、東京本館が一番だと思います。



    横浜臨海公園
  • Yattokame!さん 2011/04/21 01:42:04
    丹那トンネル&人車鉄道
    横浜臨海公園さま

    こんにちは。

    このたびは私の旅行記へご訪問いただき、ありがとうございました。

    丹那トンネルを写真とともに詳しく解説され、さらにそこからいろいろ考察されている旅行記、大変興味深く拝読させていただきました。また、豆相人車鉄道の記念碑も登場して、「わぁ、すごい!」と読んでいてうれしくなりました。

    丹那トンネルは、断層や旧火山を掘削するという難条件の工事で、多大な犠牲を払って完成したトンネルですが、ここでの経験が関門トンネルなど後のトンネル工事に生かされているので、日本の土木工事史上極めて重要なトンネルと言えますね。

    >よく見ると入口内部は煉瓦積。
    >途中区間からコンクリートブロック施工。
    >中央最深部は鉄筋コンクリート施工。
    工事が1918年に始まって1934年に完成するという長期間に渡った結果、この時期の土木技術の発展がそのままトンネルに反映されたというところでしょうか。観察すると色々発見のありそうなトンネルですね、丹那トンネル。

    Yattokame!

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/04/23 04:44:06
    拝復
    yattokameさま、おはようございます。


    メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。

    > 丹那トンネルを写真とともに詳しく解説され、さらにそこからいろいろ考察されている旅行記、大変興味深く拝読させていただきました。また、豆相人車鉄道の記念碑も登場して、「わぁ、すごい!」と読んでいてうれしくなりました。
    →過分なるお褒めのお言葉を賜りまして深謝しております。

    > 丹那トンネルは、断層や旧火山を掘削するという難条件の工事で、多大な犠牲を払って完成したトンネルですが、ここでの経験が関門トンネルなど後のトンネル工事に生かされているので、日本の土木工事史上極めて重要なトンネルと言えますね。
    →仰せの如く、丹那隧道以前の工事は単なる外国の模写にに過ぎない存在だったものが丹那以降は世界に名だたる隧道掘削技術で知られる様になります。

    > >よく見ると入口内部は煉瓦積。
    > >途中区間からコンクリートブロック施工。
    > >中央最深部は鉄筋コンクリート施工。
    > 工事が1918年に始まって1934年に完成するという長期間に渡った結果、この時期の土木技術の発展がそのままトンネルに反映されたというところでしょうか。観察すると色々発見のありそうなトンネルですね、丹那トンネル。
    →該区間を列車に乗って視察して隧道内を確認すると実際事実を知ることとなります。



    横浜臨海公園
  • 前日光さん 2010/07/31 00:48:38
    小学校の教科書に載っていたような気がします。
    こんばんは。
    お久しぶりです。

    丹那トンネルのこと、内容についてはほとんど覚えておりませんが、たしか小学校の国語の教科書(道徳だったかも?)にあったような気がします。

    とにかく難工事で、犠牲者が多々出たということ等々。
    ですから中学校の修学旅行で、初めてこのトンネルを通った時、ああ、これがあの丹那トンネルなんだという思いがあったことを、この旅行記を拝見しまして思い出しました。

    寝台特急富士はやぶさ号が、このトンネルをくぐり抜ける瞬間、お待ちになっていたのですか?
    なかなか狙えないタイミングですよね。
    しかも今はなき寝台特急はやぶさ。。。

    なんだか日本人は、多くのものをなくしてきてしまいましたね。
    これから、いったい何に向かって、どこまで進んでいくのでしょうか?

    慰霊碑に刻まれた多くの人の名前を見ているうちに、この人々に顔向けできない国になってしまったなぁと、つくづく思わされました。

      前日光

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2010/07/31 10:43:03
    拝復
    前日光さま、おはようございます。


    丹那隧道の旅行記にコメントを賜りまして誠に有難うございました。


    > 丹那トンネルのこと、内容についてはほとんど覚えておりませんが、たしか小学校の国語の教科書(道徳だったかも?)にあったような気がします。
    →仰せの通り、戦前の尋常小学校の修身と戦後の小学校の教科書に、丹那隧道内部で落盤事故に依り退路を絶たれた17名が生存を賭けて、もう駄目だと悟った際に仲間の前で自身達の過去を懺悔し合うと言う内容で、死亡直前に救助され全員助かったという事故です。

    > とにかく難工事で、犠牲者が多々出たということ等々。
    > ですから中学校の修学旅行で、初めてこのトンネルを通った時、ああ、これがあの丹那トンネルなんだという思いがあったことを、この旅行記を拝見しまして思い出しました。
    →隧道工事で未だ調査坑やボーリング調査など存在しない時代だった為に、掘る毎にアクシデントに見舞われてました。

    > 寝台特急富士はやぶさ号が、このトンネルをくぐり抜ける瞬間、お待ちになっていたのですか?
    > なかなか狙えないタイミングですよね。
    > しかも今はなき寝台特急はやぶさ。。。
    →此の日は、たまたま列車が時刻どおり運転されておりまして、何とか撮影する事ができました。

    > なんだか日本人は、多くのものをなくしてきてしまいましたね。
    > これから、いったい何に向かって、どこまで進んでいくのでしょうか?
    >
    > 慰霊碑に刻まれた多くの人の名前を見ているうちに、この人々に顔向けできない国になってしまったなぁと、つくづく思わされました。
    →我が国も愚かで無恥な嘆かわしい連中が跋扈する変な国になったのは事実です。




    横浜臨海公園
  • 太閤さん 2009/01/03 22:00:18
    教科書だけじゃわからない!
    今まで旅行と言ったら景色やその場の雰囲気を味わうためにいくものだと思ってました。横浜臨海公園さんのように、旅行先の『今』だけではなく、『昔』の事までも旅行の目的にする旅行をしてみたいです。

     1911年の工場法で日本の労働者に対する考えが、国際的に、まともになったのかと思ってましたが、実際はこのような命の危険が多い労働がまかりとおっていたのかと驚きました。
     高校で習う日本史の授業だけでは当時のことがやはりわかりませんね。時間ができたら色々な出来事をポイント集中で調べてみたいです。

    追伸:またまたやりたい事が増えちゃいました。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2009/01/03 22:24:13
    拝復
    太閤さま、こんばんは。


    大正11年(1922年)の当時の朝鮮総督府通牒の根拠となったのは前々年度の大正9年(1920年)に世界的に流行した『スペイン風邪』が原因で日本でも34万人弱もの方々が死亡しております。
    此の結果、我が国に於ける労働人口の急激な減少は生産力の低下を招き、故に朝鮮半島から労働者の流入を必要とした結果に他なりません。
    小生の観点と研究では明治44年(1911年)に制定された工場法は結局、何ら問題を解決させる法律とはなり得なかったと考えております。



    横浜臨海公園


    追伸
    宜しかったら他の旅行記もお出でください。
  • 犬のおまわりさんさん 2008/12/23 22:02:53
    勉強になりますm(__)m
    凄いです。
    ほ〜そうなんだ、へぇ〜と、本当に勉強になります。
    ありがとうござます。

    一つ一つの歴史の上に、今があると痛感し、
    感謝しないといけませんね。


    以前、来宮神社の大楠の木は、1周回ると1年長生きするというので、
    3周してきました。



    また、学びに寄らせていただきます。

    では〜

    wanwan(^。^)y-.。o○

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2008/12/23 23:18:43
    拝復
    犬のおまわりさんさま、こんばんは。


    > ほ〜そうなんだ、へぇ〜と、本当に勉強になります。
    > ありがとうござます。
    恐れ多い極みでございます。


    > 一つ一つの歴史の上に、今があると痛感し、
    > 感謝しないといけませんね。
    兎に角、史実を糾し事実を公にする事を痛感しております。

    例えば、犬のおまわりさんさまの地元、東海道線と横須賀線が一緒に走っていた昭和55年以前の保土ヶ谷駅には鉄道産業遺産がゴロゴロしておりました。
    取り壊されたホームには明治34年製の八幡製作所で136本のみ製造された我が国初のレールが上屋の柱で使用されていたにも拘らず解体と共に行方不明。
    残っていれば大変貴重なものでした。
    現在西口側に残るレンガ積ホームは明治22年保土ヶ谷駅開業当時の物ですが誰もソレが歴史的にも貴重な物である事に気づいておりません。



    横浜臨海公園
  • マイレージユリコさん 2008/12/15 10:15:47
    真面目に拝見いたしました
    おはようございます
    今朝は寒いですね

    航空自衛隊にお詳しいのかと思ってましたが
    電車関係にもお詳しくいらっしゃるのですね
    そして現在、なにげなく過ごしている中にも
    たくそんの歴史が ひっそりと 今に繋がっているんですね
    しみじみと拝見いたしました・・・

    日本酒がお好きなのでしょうか
    函館の旅行記のお寿司と千歳鶴が 
    印象深かったです
    (でも、クチコミを拝見すると 洋食もお好きなようで・・・)
    私も昨年はじめて函館に行きましたが
    イカ、すごくおいしかったです
    生ものは苦手なほうなのですが
    あの 透き通ったイカ刺しは忘れられません

    冷酒はおいしいのですが
    後がふらふらになってしまって困ります
    何か良い手はないでしょうか ないですよね

    また、おじゃまいたします 失礼しました

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2008/12/15 10:46:22
    拝復
    マイレージユリコさま、おはようございます。


    丹那隧道の旅行記は現在に至る諸問題に対する疑問を払拭させる手掛かりになればと考え作成発表したものです。
    その為に今回の旅行記に限り食事のシーンを省略し挿入しておりません。

    > 日本酒がお好きなのでしょうか
    小生の旅行記をご覧くださればお解りになるものと思いますが、大多数のものに食事のシーンが記載されております。
    小生としては和食党だと思っておりますが、洋食系も好きです。
    美味しい物なら大抵のものは美味しく戴かせて頂いております。

    > また、おじゃまいたします 失礼しました
    是非ともお待ち申し上げております。



    横浜臨海公園
  • rimigardenさん 2008/12/04 19:27:22
    レンガ以上に重い殉職者の命
    横浜臨海公園さん
    ちょっとご無沙汰していますが
    お元気でしょうか?
    メールありがとうございました。

    炭鉱で女性が肉体労働に従事していたとは
    聞いたことがありますが
    鉄道(トンネル)の分野も例外ではなかったのですね。

    労災などという名もなかった時代
    なんだかレンガよりも重い殉職者たちの魂を感じました。

    りみ

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2008/12/04 22:59:50
    拝復
    rimigardenさま、こんばんは。


    丹那隧道工事では少なくとも大正末期まで女性が肉体労働者として坑内で作業に従事していた事が確認されております。

    此のプレートは従来の説を覆す重要なものだと言えると思います。

    rimigardenさまは慰霊碑が存在する静岡県人でしたね。
    一度ご覧になって見ると良いと思います。



    横浜臨海公園
  • 義臣さん 2008/12/03 17:11:13
    史実
    丹那トンネル掘削の大変さは聞いてはいましたが
    このように写真とコメントで説明を聞いて
    我が不明を恥じるようです、
    手堀、女性、朝鮮人、、考えても見ませんでした。
    日曜日は京都へ行くのですが、、このトンネルではありませんが
    考えるチャンスのようです。
    有難うございます。
              義臣

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2008/12/03 17:29:44
    拝復
    義臣さま、こんばんは。


    丹那隧道掘削は世紀の工事だったと言っても過言ではない様に思います。
    吉村昭著「闇を衝く」では丹那隧道工事が題材として作品で取り上げられた唯一の事例ですが、研究自体は未だ存在せず、吉村氏の作品でも、女性労働者、朝鮮人労働者が「何故」といふ点には触れられておりません。



    横浜臨海公園
  • 義臣さん 2008/11/30 16:38:25
    お待ちしてます
    作成をお待ちしております
                 義臣

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2008/12/02 13:47:01
    拝復
    義臣さま、こんにちは。


    漸く完成致しました。



    横浜臨海公園

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