2021/11/10 - 2021/11/10
2624位(同エリア6949件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,461,670アクセス
- フォロワー169人
「桂離宮」の見学を終えて「中村軒」が休みだったのを知って失意の中の妻を連れて阪急電鉄の桂駅まで行きました。どこか喫茶店でもと思いましたが、お店は全くありません。そのまま阪急大山崎駅まで移動して駅前に出ると大山崎山荘美術館行きの送迎バスが来る午後0時18分の5分前でした。その後は2時ころまでバスは無いのでそのまま「大山崎山荘美術館」まで移動しました。送迎バスを降りてもしばらくは坂道を上るので妻の機嫌はどんどん悪くなります。美術館に入ってまずは2階の喫茶室に向かいました。ところがここでは食事が出来ません。仕方ないのでビールとワインにポテトチップとチーズを注文して空腹を紛らわせました。この美術館には以前から来たかったのですが、ようやく念願が叶いました。建物も立派な洋館で「和巧絶佳展 ―令和時代の超工芸」なる展示会が行われていましたが、あまり興味のあるジャンルではありませんでした。ただいくつかの超絶技巧の陶器などは素晴らしいと思いました。安藤忠雄の設計による新棟と地中館の建築も見たかった願いが叶いました。オーバルの壁面に展示されたモネの睡蓮は妻と一緒に行ったパリのオランジェリー美術館を思い出しました。午後一番のバスでJRの山崎へ戻ってホテルに帰ろうと思っていましたが、時間も早いので阪急大山崎駅から河原町に戻りました。JR山崎駅前の妙喜庵(待庵)には従妹の友人がいらっしゃるので久しぶりにお会いしたかったのですが、事前に連絡も出来ていなかったので今回は諦めました。河原町に戻ってからは四条通を歩き、久しぶりに「鍵善」に入って葛切りをいただいて空腹を押さえました。以前は2階が喫茶室でしたが、新しくなってから来るのは初めてでした。改めて河井寛次郎の作品が造作なく置かれていてすごいなと思いました。「くずきり」の文字も河井寛次郎の書だと初めて知りました。その後は八坂神社から二年坂と三年坂へ妻が行きたがるのでおかしいなと思っていました。足が痛いはずなのに登り坂に向かうなんて。行きたかったのは「嶋田耕園」のお店でした。本当は昨日来る予定でしたが、茶わん坂の親戚のところへ行っているうちに時間が無くなってしまいました。ところが昨日まで横浜の高島屋で個展が開かれていて、昨日来てもお店は休みだったとのことです。妻はいろいろ欲しいものがあったようですが、自分のお小遣いで買えないので諦めたようでしたが、絶対に後になってから「買えばよかった。何で買わなかったんだろう。」と落ち込むのが目に見えているので、鶴亀の御所人形の大きなものをプレゼントしました。2日連続で清水寺には忌めませんでしたが、今日も舞台から飛び降りました。我々がお店を出て数分後に再び店の前を通りかかるともう店じまいされていました。アッと思うともう午後5時になっていて、周りのお店もどんどん閉まっていきます。急いで三年坂方面に向かうと昔「阪口」という川魚料理の美味しい料亭があったところに差し掛かりました。門構えに見覚えがあったので中に入ると「もう閉店なんです。」と声を掛けられました。「ここ、昔の坂口さんですよね。懐かしくて。この奥の池やお茶室はまだ残っているのですか?」と尋ねると「どうぞ。」と中を見せてくださいました。ここで祖父の法事の後の食事会をしたこともありましたし、懐かしい気持ちになりました。この日の晩御飯をまだ決めてなかったので店の前をタクシーで何度も通っていた「一平茶屋」に電話してみると席を用意していただけることになりました。清水の最後は「七味屋」で買い物してタクシーでお店に向かいました。初めて入った「一平茶屋」は古い趣のある素敵なお店でした。ご主人と奥さんとお母さんの3人で切り盛りしているようで、お料理も体に優しかったです。食べたかった”かぶら蒸し”のボリュームも最高で美味しかったです。そして最後のご飯に掛かったちりめんじゃこの細かさは驚異的でそしてとても美味しかったです。尋ねてみるとお店で炊かれているとのことでした。おもわずおかわりしてしまいました。お昼は抜きになってしまいましたが、美味しいお店で最後は締められました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お昼を食べそこなって失意の妻を連れて、阪急電車の桂駅から大山崎駅に移動しました。
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大山崎駅前からは美術館の送迎バスで移動しました。お昼時は時間が不規則で、午後0時5分のバスにうまく乗ることが出来ましたが、次のバスは午後1時45分だったので間に合ってよかったです。
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美術館の入り口でバスを降りますが、ここから美術館の建物までは歩いて15分くらいかかります。切通しに造られた琅玕洞(ろうかんどう)トンネルを越えて坂を上ります。琅玕は碧玉に似た美しい宝石や美しいもののたとえです。江戸時代以来濃緑色の硬玉の勾玉を意味し、今までに清風与平という京都の陶芸家の釉薬でした聞いたことのない言葉でした。
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途中にある山荘風の建物にはコインロッカーが置いてあるので、ここで身軽になりました。
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そして帰りのバスの時間を確認しておきます。帰りは歩くことも考えていましたが、美術館はかなりの山の上に建っているのでそんな考えはすぐに捨てました。
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まだしばらく坂道を登ると山荘の門が見えてきました。桂離宮は晴れていましたが、大山崎まで来ると小雨が降ってきました。
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美術館本館である「大山崎山荘」は、もとは関西の実業家である加賀正太郎の別荘として、大正から昭和にかけ建設されました。加賀はニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を深い親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)の初代社長・山本爲三郎に託しました。この縁が現在の美術館へと受け継がれていきます。
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幾度かの転売ののちに建物の老朽化が進んだことから1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました。しかし、地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。
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加賀は若き日に欧州へ遊学し、イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れの記憶をもとに、木津川と宇治川と桂川の三川が合流する大山崎に土地を求めて1912年から山荘建設に着手しました。
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現在の本館は1932年頃に完成され、上棟部はイギリスのチューダー・ゴシック様式に特徴的な木骨を見せるハーフティンバー方式をとり入れてあります。ロンドンの「リバティー百貨店」を思わせる外観が美しいです。
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チューダーゴシック様式の美しい内装ですが、館内は写真撮影できないので購入した絵葉書の写真です。「和巧絶佳展 ―令和時代の超工芸」という展覧会が開かれていましたが、空いていたので実際もこんな感じでした。
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今回の旅では大阪の滞在中に芦屋にある「旧山邑家住宅」のフランク・ロイド・ライトの建築を見に行き、今日は「大山崎山荘美術館」と関西で行きたかったところを回ることが出来ました。
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まずは休憩しないと妻に怒られるので2階のテラスにある喫茶室に向かいました。初めて飲みましたが、サントネージュの酸化防止剤無添加の赤ワインは美味しかったです。
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残念ながら軽食も無いということなので、お腹の足しになりそうなビールにチーズとポテトチップをお願いしました。ここはアサヒビールの経営なのでビールはスーパードライとドライブラックがありました。
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喫茶室に入った時は表のテラスが満席だったので店内の席に座りましたが、店内側はガラガラでした。
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すぐに表のテラスが空いたのですが、移動する元気も無いので店内にとどまりました。
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最初のオーナーの加賀正太郎は欧州へ遊学した際、イギリスで流行していた建築様式であるチューダー・ゴシックやスイスのシャレーと呼ばれる民家を実見しました。喫茶室側のテラス部分は、チューダー・ゴシック様式に典型的な木骨を見せるハーフティンバー方式や、シャレーのイメージが取りこまれています。
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ただ、そのテラスから見える景色はとても日本的なものです。近くにある宝積寺の三重塔が借景になっていました。宝積寺は「天王山の戦い(山崎合戦)」でえ秀吉が本陣を置いた寺だということを思い出しました。
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その脇には安藤忠雄の設計した新棟の地中館「地中の宝石箱」の屋根の部分が見えます。
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敷地内にはイロハモミジにノムラモミジ、ヤマモミジにオオモミジなどが紅葉しています。木津川と宇治川、桂川の3つの川が合流する風景というのもすごいなと思いました。こんもりと盛り上がったところが石清水八幡宮だということが分かります。
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「山崎の戦い」は天正10年の1582年6月2日の本能寺の変を受け、6月13日に摂津国と山城国の境に位置するこの山崎(京都府乙訓郡大山崎町)から勝龍寺城(京都府長岡京市)一帯で、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉の軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が激突した戦いです。古来「天王山の戦い」と呼ばれてきた合戦の現代的表現で山崎合戦とも呼ばれます。
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戦に敗れた光秀は居城坂本城を目指して落ち延びる途中、小栗栖の藪(京都市伏見区で「明智藪」と呼ばれる)で農民の落ち武者狩りに遭い、竹槍で刺されて殺害されたとも、その場は何とか逃れたものの致命傷を負ったことで、力尽きて家臣の介錯により自害したとも伝えられます。
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翌日に長岡の勝龍寺城に入り体勢を整えた秀吉は光秀の後詰のために急遽出兵した明智秀満の軍を打出の浜で迎え撃ち撃破します。300余の兵を討ち取られ敗走した秀満は坂本城で家宝を贈呈した後に光秀の妻子を殺害し自刃します。丹波亀山城では光秀の息子明智光慶を自刃させ城を占拠し、ここに明智氏は僧籍にいた者などを除いて滅びます。
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JRの山崎駅の前に「妙喜庵」というお寺があり、国宝の「待庵」という茶室があります。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室でもあります。寺伝には天正10年の山崎の戦いのおり羽柴秀吉の陣中に千利休により建てられた二畳隅炉の茶室を解体し移築したとあります。
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祖父母と叔母は妙喜庵さんは昔からの知り合いで、何度も待庵には入れていただき、お茶もいただいたことがあります。今回も見せていただこうと思っていたのですが、都合がつかなくて参観に至りませんでした。
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テラス廻りの仕上げ材には兵庫県加古川市付近で産出される龍山石(たつやまいし)が使用されていて、柱礎の装飾模様も特徴的です。芦屋にあるフランク・ロイド・ライトの設計した「旧山邑家住宅」では栃木県の大谷石がふんだんに使われていたことを思い出させます。
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池の奥に栖霞楼(せいかろう)が見えます。この建物は山荘の建築の前に建てられ、加賀正太郎はここから全体を見渡して山荘の監督をしたそうです。
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展覧会の途中に表の見学もできるのが良いです。常設展示はアサヒビール初代社長の山本爲三郎のコレクションが素晴らしかったです。中国の古陶磁や民芸に傾倒した収集品には河井寛次郎や濱田庄司、バーナード・リーチの作品が素晴らしかったです。面白かったのはビールマグのコレクションでした。
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1階のテラスから見える日本庭園は紅葉がとてもきれいです。
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この日は小雨が降っていたので、紅葉もしっとりとして見えました。庭園を長く歩く「桂離宮」や「修学院離宮」や「仙洞御所」でなくて良かったです。
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安藤忠雄の設計による新棟の地中館の見学に移ります。妻はエレベーターで降りるというのですが、階段を降りることにします。
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さすがに安藤忠雄の建築なので打ちっぱなしのコンクリートが美しいです。
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展示室に入ると楕円形のコンクリート打ちっぱなしの部屋になっていて、モネの「睡蓮」の絵が4枚展示してあります。規模は違いますがパリのオランジェリー美術館の形を思い出しました。
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モネの絵画と対峙するようにアンリ・ルソーのピエロとアメデオ・モジリアーニの女性像とピカソが展示してありました。モンマルトルの芸術家のいた洗濯船を思い出しました。2週間ほどパリの街をじっくり歩いた旅のことを思い出しました。
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雨も上がったので庭園も少し見る事にします。
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安藤忠雄の通路の外観です。表から見えるのはほぼこの通路の部分だけです。
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脇には睡蓮の池から流れる水が滝のようになっています。
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先ほどの階段室を反対側から眺めたところです。
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橡の木茶屋という建物は残念ながら非公開ですが、外観を見ても魅力的な建物でした。
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2009年に亡くなった現代イギリスを代表するバリーーフラナガンの彫刻作品が置かれてあります。正式なタイトルが「ボールを掴む鉤爪の上の野兎」です。
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野兎の視線の先には先ほどまでいた喫茶室のテラスが見えます。紅葉したモミジの葉があって、テラスからは広場は見えませんでした。
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嵐山の天龍寺でもきれいだった艶蕗(つわぶき)がここでも見事に咲いています。
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見学を終えて帰りのバスに間に合うように美術館を後にします。
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帰りのバスの中から「妙喜庵」が見えました。送迎バスはJR山崎駅を経由して阪急の大山崎駅に向かいます。JRで京都駅まで戻ってホテルで休むことも提案しましたが、妻が河原町へ行きたいというので阪急電車に乗ることにします。
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大山崎辺りはどんより曇っていましたが、桂川を超えると天気も回復してきました。
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阪急河原町の駅も久しぶりでした。地上に上がるとすぐに「東華菜館」の前に出ました。大阪から京都に着いた晩にここで晩御飯を食べて、もう6日も経っていました。
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昼間のスパニッシュ・バロックの美しい建物もしっかりと見ておきます。ここだけ切り取ると日本の建物には見えません。
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四条大橋から北側を眺めると徳力富吉郎の版画を思い出します。
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橋を渡ると「南座」の建物が見えてきます。「松葉」のにしんそばもしばらく食べていないことに気が付きます。
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南座の前に建つ「レストラン菊水」は大正5年の1916年創業で、建物は国の登録文化財になっています。大正5年に瓦せんべい屋を手広くやっていた初代の奥村小次郎は当時西洋文化の最先端であった上海にまで足をはこんで、アール・デコやスパニッシュなど当時流行の様式を取り入れています。
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招きのかかっていない南座もすっきりしてきれいなものだと思いました。
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南座の屋根の上にはシンボルでもあり、興行のしるしともいえる櫓(やぐら)が据えられています。その正面には白い御幣「梵天」が2本立てられています。これは劇場に神を招くための「神の依り代」で、毎年の顔見世の度に新たに作り替えられます。梵天が無事に興行できるよう常に見守ってくれているわけです。
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「鍵善良房」までやってきました。お昼も食べていないので葛切りでもいただくことにします。
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昔は店の表側の2階が喫茶室でしたが、現在は1階の奥になっていました。平成10年に改装しているとのことなので、ずいぶん来ていないことが分かります。店内には昔のお店にあったものがきれいに飾られています。
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喫茶室は満席でしたが、3組くらいのお客さんが待っているだけなので10分くらいで座れそうです。
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店に並べられた調度品の陶器がほとんど河井寛次郎というのが驚きです。ここに並んでいるものだけで高級外車が買えてしまいます。また家具は黒田辰秋の作品で、これだけでマンションが買えそうです。
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喫茶室に入ると京番茶と共に菊寿糖(きくじゅとう)が出てきました。これは母が亡くなった時に従弟である澤村の叔父が送ってくれた干菓子です。
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以前NHKの「美の壺」を見ていたらこちらの干菓子の型を新しいものを作る場面がありました。木型は岡山の職人さんが山桜の木を使って製作する場面は見事でした。その番組では今日行き損ねた桂の「中村軒」さんのあんこの焚き方も紹介されていました。
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喫茶室にも河井寛次郎の作品がゴロゴロ置かれてあります。鍵善良房は昭和初期には民藝運動に関わった文化人たちのサロン的存在だったそうです。「くづきり」とい
う書も河井寛次郎が書いています。 -
「くずきり」がやってきました。器も昔の形なので懐かしいです。
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葛粉は今も昔も奈良吉野の大宇陀産の吉野本くずを用いて、黒糖蜜も選りすぐった沖縄波照間産のものです。器の上に蒔絵で描かれているのは伏見稲荷の狐が咥えている鍵と同じ形をしています。
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作家の水上勉は「これはなんといっても日本の味だ。酒好きの私が、「鍵善」の二階へあがって、あの独特の器に入れてさし出されるくずきりに、舌づつみを打つのは宿酔(ふつかよい)の朝である。蜜の甘さと、くずの淡白さが、舌の上で冷たくまぶれて、つるりとのどへ入り込む。」と書き残しています。
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そして「あの味は、菰かむりから出る地酒の特急と同趣で、じつにうまい。うろこのようにかさなって咲く紫の花びらが、たべ終わったのこりの、氷水の面に、うっているような気がする。私はいつも、二杯目をおかわりして笑われる。」とあります。
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妻はお腹が空いているのかお汁粉をいただいていました。
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大和大路の四条を下がった所に鍵善の美術館があるようなので、次の機会には行ってみたいと思います。
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八坂神社まではまだもう少しあります。
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祇園祭のお茶会でしか入ったことのない「一力茶屋」です。
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江戸の中期に祇園が花街へと変貌してゆくときに忠臣蔵の大石内蔵助が利用していたことで有名になった所です。近藤勇や大久保利通、西郷隆盛も出入りしていたと言われています。
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桂離宮の御殿も美しかったですが、この建築も美しいと思います。ブルーノ・タウトはこの建物を見て涙するでしょうか。後日送られた請求書を見たら涙が出るかもしれません。
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「漢字ミュージアム」の1階に祇園祭の鉾の展示があったので入ってみました。昔は何だったのだろうと考えますが頭に浮かんできません。調べてみると、京都市元弥栄中学校があった跡地に建てられたそうです。妻が来年から使う新しい箸を買ってくれました。
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祇園祭は7月1日から1カ月に渡る長い祭りですが、その中でも鉾をくみ上げる様子は見ていて楽しいものです。四条通をバスで通過していてもいくつもの鉾が見えます。縄の巻き方を見ていてその美しさと、力を分散させる構造に感心しました。合掌造りの建物の屋根裏を見ると同じような縄の巻き方をしています。
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夕日に輝く八坂神社に到着しました。
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今回は何度も来ているので、今日は通過するだけです。
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妻はちりめんじゃこが大好きなので「やよい」でお買い物です。現在は通りになじんでいますが、出来た時はびっくりすると共に、前はどんな家だったか思い出せませんでした。
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下河原の昔ながらのお店や建物を見ているとホッとします。ただ、少しづと建物は新しくなり、その姿も変わりつつあります。
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京都に親せきがいくつもあるのでホテルや旅館異はにはあまり泊まったことがありません。最近はみな年寄りになってきたので負担を掛けないようにホテル泊まりにしています。妻と初めて泊ったのは南禅寺の近くの「菊水」でした。これからは短期の場合は旅館にも泊まってみたいです。
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なつかしい揚げみせが残っていました。通称「バッタリ床几」は室町時代の洛中を描く絵図にその姿が現れています。 本来は「揚げ店(あげみせ)」と呼ばれ、商品を陳列して売るための棚で、必要に応じて上げ下げして使われてきました。 昭和の中頃までは夕方になると、バッタリ床几に腰掛け夕涼みをしたり、井戸端会議の場になったり、ご近所さんと将棋や囲碁を楽しむ社交の場でもありました。
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「さるぼぼ」は飛騨高山のもので、これは庚申堂に由来するものです。すぐ近くに「八坂庚申堂 金剛寺」があり、観光客でにぎわっています。これは「くくり猿」と呼ばれるものです。
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庚申信仰によると人間の体には三尸(さんし)という虫が住んでいて、人の罪を監視しています。60日に一度の庚申の日に、宿主の人間が眠ると体を抜け出し、天帝に罪を報告しに行きます。そのため三尸が出ていけないように庚申の日は徹夜で過ごし、また三尸の天敵である猿を模した人形を家の軒先に吊るしておくことで災難を避けるという風習があります。
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八坂庚申堂は大阪四天王寺と東京浅草寺とともに日本三庚申の1つと言われています。何やらカラフルなくくり猿がたくさんありました。
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八坂の塔は内部に入ることができるうえに、塔の2層目まで一般人が拝観で登ることができる日本唯一の重要文化財指定の五重塔です。まだ1度も登ったことも無いですし、開いているのも見たことがありません。
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「文の助茶屋」の前も久しぶりに通過しました。先ほど「鍵善」に立ち寄ったばかりなので。
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先日の竹内栖鳳の旧宅のレストランの庭から見たライトアップした八坂の塔も美しかったですが、徳力富三郎か川瀬巴水の版画みたいな風景の方が心情には会います。
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改めて京都らしい風景だと思います。
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混雑しているだろうと思っていた「二年坂」も平日の夕方のせいか空いていました。こんな時だけはインバウンドが止まっていて良かったと思います。
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昔ながらの「かさぎ屋」さんは大正3年に創業して以来、ほとんどメニューは変わっていないですね。こんなに空いていることは珍しいので入りたいところですが先を急ぎます。
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「島田耕園」という御所人形のお店です。最近は婦人画報などの雑誌でも有名になっていますね。3日前に旧竹内栖鳳邸の「SODOH」で見たルイ・ヴィトンのお雛様の人形を造られた工房です。妻はここへ来たくて仕方なかったのですが、親戚回りで時間が取れなくなって昨日は来れませんでした。
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ただ、前日の火曜日まで横浜の高島屋で個展を開いていたので、「昨日来られても、お休みだったんですよ。」と奥様がおっしゃっていました。桂の「中村軒」では休業日を調べておかなくて失敗しましたが、ここでちょっと挽回です。
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昨日まで横浜だったというのにご主人は店の奥に座って作業されていました。昨日「鳥彌三(とりやさ)」で見せていただいた「赤熊(しゃぐま)」が飾られていたので尋ねてみると、同じように息子さんの記念のものだということでした。
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この白いトラが可愛らしかったので尋ねてみると、咥えているのは仏敵を打ち据える護法の棍棒の宝棒で、この虎が毘沙門天のお使いだということを表していると教えていただきました。毘沙門天の三昧耶形は確かに宝棒なので、なるほどなと思いました。ただ、宝塔と三叉戟を持つ姿が多く、東大寺戒壇堂の毘沙門天は右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握る姿だったと記憶しています。
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妻は自分のお小遣いでは買えないようであきらめ顔です。ただ、このまま店を出てしまうと後悔が始まり、寝る時間になったら「何で買わなかったんだろう。」とか「明日また行く時間ない?」なんてことになりそうなので大きめの鶴持ちと亀持ちを揃いで買いました。宝槌持ちは陶哉と東哉の古い置物ものを持っているので買いませんでした。
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以前ナポリへプレセビオの人形を買いに行き、美しい天使が気に入って買おうとしたことがありました。現金を降ろしに行っている間にオーナーが戻ってきていて「これは注文の品だから売れない。」と言われて諦めたことがあります。その日のうちにローマに移動しましたが、諦められずに翌日ナポリに戻ったら、「そんなに気に行ったのなら、注文した人には待ってもらう。」と譲ってもらえたことがあります。そんなことを思い出しました。出会いですからね。
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ルネ・マグリットの「光の帝国」を連想していただけると幸いです。
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二年坂を少し歩いて戻ってきたら「島田耕園」さんのお店は暖簾が仕舞われていました。そういえば横浜から荷物が戻ってくるので忙しいと仰っていました。
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ただ、午後5時前になると辺りのお店はどんどん店仕舞いになっていきます。この日の晩御飯をどうするか考えていなかったので、タクシーで店の前を何度も通過した「一平茶屋」に電話してみました。予約が出来たのでこんばんはかぶら蒸しに決まりました。
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昔は川魚の料理屋さんだった「阪口」さんの前も通りがかりました。ふらふらと門をくぐると赤ちゃんを抱えた女性に「もう閉店です。」と言われました。「ここって坂口さんですよね。奥に池やお茶室があって。」というと「どうぞ。」と中を見せてくれました。
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叔母はここでもお茶会をしたことがありますし、娘さんにお茶を教えていたこともありました。外祖父の三回忌の法事の後もこちらでお食事をいただきました。その時3歳くらいだった従妹の娘さんがもうお母さんですから時の流れを感じます。
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この庭園の青龍苑は池とその周囲に配された3つの茶室で構成されています。池の奥の高いところに見える茶室は「三玄」で、裏千家十一代の玄々斎精中によって江戸の徳川家領内に造営された茶室を移築したものです。何とも懐かしい気持ちになりました。お店の方にお礼を言って表に出ました。
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大阪の「大和屋」さんの有名な女将さんの妹さんのお店だったと記憶しています。表に出てしばらくすると門が閉じられました。
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「三年坂」にたどり着きました。新しくできたお店の明るさも午後5時になって閉店が始まると昔ながらの景色に戻ったようです。黄昏時「誰?(た)?そ彼?(かれ)?は」の人の見分けがつきにくい時分は風情がありますね。
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坂の下まで来ると人の姿が無くなりました。こんなタイミングってあるんですね。足の痛い妻の手を引いて石段を登ります。ここで転ばれては大変なことになります。
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清水の伯母の家に泊まっているときは夜明けのタイミングでよくこの辺りを散歩しました。かわたれ時「彼?(か)?は誰?(たれ)?時」の朝も風情があってよろしいです。
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夏の旅で行った善光寺の七味がまだ手付かずですが、「七味屋本舗」を素通りは出来ません。子供の頃から毎年のようにお土産はここで買っていたと思います。
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「東京浅草のやげん堀」と「信州善光寺の八幡屋礒五郎」とここが「日本三大七味」というようです。八幡屋礒五郎で七味を買っていたら集合時間に間に合わなくなりそうになって、参道を走ったのが懐かしいです。浅草では七味を買ったことはないですね。
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京名物「おばんざいのもと」いう”だしパック”を買いましたが、手軽に使えて便利でした。
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元々は清水寺の参道なので茶店を営んでいたそうです。360年前の明暦年間から暖簾をかけて、当時は「河内屋」と号して参拝のお客に「からし湯」を無料でふるまったそうです。それが評判を呼び、いつしか七味唐がらしを取り扱う店になったそうです。
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50年ほど前に初めて買った茶壷入りの七味唐辛子の陶器を今でも持っています。生まれて初めて買った陶器でもあります。裏にはちゃんと「京清水七味屋」と刻印が入っています。360円くらいだったと記憶しています。竹皮や蒲(がま)の葉、菅蓋(すげぶた)などで誂えるには安いものなので、今度来るときに持ってきてお店で手に入らないかと思います。匙は売っているのを確認しました。
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清水寺には行く時間がありませんでした。子供の頃は夜中に「音羽の滝」で行水したり、お寺中のセミを獲り尽くしたと言っても過言でないほど捕まえていた小学生の夏休みもありました。同じ時期に妻は高校生で友人と京都を旅していたようです。
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清水坂の駐車場から京都タワーと西山の山並みがきれいに見えました。
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松原通りを下っていくと昔の清水小学校がきれいなホテルになっていました。「ザ・ホテル青龍 京都清水」は昭和初期の小学校の建物をリノベートしています。母は子供の頃清水に住んでいたこともあるので、この小学校に通っていたのだろうかと思いました。
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松原通りを下っている途中で上から降りてきたタクシーに乗ることが出来て「一平茶屋」につきました。ご主人が表で打ち水をされていました。
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少し時間が早かったのですが、声をお掛けすると店内に案内してくださいました。
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お店の雰囲気は大正か昭和初期のまま時間が止まったようです。京都ゑびす神社の十日戎の笹が飾られています。
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電話で予約するときに「京都に来て1週間ほどで毎日のようにタクシーで川端通りを通っていたらかぶら蒸しが食べたくなりました。」と話したら、妻には「余計なこと言わないで。」と小言を言われましたが、お店の方は喜んでくださいました。
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かぶら蒸しは大好物ですが初めてのお店なので、定食をお願いしましたが、どのお料理も美味しかったので、もう少し上のコースにすればよかったと後悔しました。先付けは卵豆腐に蒸した牡蠣と銀杏ときのこが添えてあります。
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八寸は八幡巻に煮凝りにきゅうりともろみ味噌、タコの柔か煮に、押しずしにモロコの天麩羅、季節の赤蕪の漬物です。ここで冷酒をお願いしました。金瓢」は文化七年祇園白川のほとりにある秋山酒造にて誕生したものです。現在は市内で醸造している松井酒造が引き継いでいるそうです。
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お造りは帆立と鯛と鮪でした。きれいな仕事がされています。
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そしてメイン料理のかぶら蒸しがやってきました。かぶら蒸しはすりおろした蕪(かぶ)を具の上にのせて、蓋付きの茶碗に入れて蒸し、別に作ったあんをかけた料理です。11月からは季節の聖護院かぶらを使っています。
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「ひと塩のぐじ(甘だい)、焼いたうなぎ、鶏、ゆりね、生しいたけがはいっていて、かぶらには道明寺粉がまぜてある」と紹介したのは朝日新聞京都版で「おばんざい」を紹介した大村しげさんです。なるほど舌の上に乗せた微妙な食感は道明寺だったのだと納得します。
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お昼を食べさせてもらえなかった妻の機嫌も直りました。熱々のかぶら蒸しで体の芯から温まりました。
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この店は祇園にも近いので酒飲みのお客さんも多かったようで、店内に飾られたものには酒に関するものばかりです。壁に掛けられた2枚の板には「即身成仏」をもじった「酔心成仏」、「極楽浄土」ではなくて「酒即浄土」と妻に贈りたくなるような言葉です。
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こちらの版木には「お酒のまうか、銭ためませうか、ままよ、酒のんで死んじまえ 良燗」とあります。良燗と良寛和尚とかけたのですね。木製の椅子は重たいのですが、キャスターが付いているので軽々動かせ、白いカバーがいい味を出しています。
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最後に出てきたちりめん山椒のご飯がまた美味しかったです。妻が「こんな細かいちりめん見たことない。」と絶賛です。ご主人におかわりするときに尋ねてみると、「うちで炊いてます。」とのことでした。お漬物も美味しかったです。
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お店のファサードの版画も素敵でしたが、店のランプが写り込んで風情が増しました。
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お礼を申し上げて店を出ました。新たに美味しいお店を知ることが出来てよかったです。お店に飾られていた竈(おくど)も河井寛次郎のデザインに見えてきました。
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お店の看板も「普茶料理」にかけて「無茶料理」なんて書かれてあります・
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ご主人ご夫婦とお母さんに見送られてタクシーに乗りました。旅も残り2日です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
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