2021/11/09 - 2021/11/09
1594位(同エリア4353件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,462,923アクセス
- フォロワー169人
清水で叔母と合流した後はタクシーで外祖父の生まれ育った「二條陣屋」に行きました。現在は従兄叔父家族が住んでいますが、小さい頃は外祖父母も叔母もこの家に住んでいました。もちろん母も住んでいました。右手の部屋で外祖父が陶器に絵付けをしていた姿をよく覚えています。手前の縁台の上に蚊取り線香が置かれてあって、金物の線香立てで足を切った記憶さえも思い出されてきます。はとこ達と遊んだことや、夜中にトイレに行くとガラス窓にヤモリがいて怖かったことなども…。2009年1月から3年9カ月かけて家を解体修理しているのですが、まだ見に来ていませんでした。母は生前に見に来ていて「きれいになってたわよ。」とは聞いていました。父は20代の頃に京都や奈良へ何度も来ていて、その旅の中でこの家を訪れています。訪ねた時に中学生だった叔母しかおらず、その後に学校から帰ってきた高校生の母が屋敷内を案内して、それが縁で結婚に至っています。この家には部屋が30近くありますが、「結婚して東京に住むようになって何が嬉しかったかというと部屋が4つしかなくて掃除が楽だった。」とよく言っていました。陣屋でどっぷり思い出に浸った後は叔母と四条西木屋町を下がった「フランソア喫茶室」に行きました。ここは両親が結婚する前に叔母を伴って何度も通った喫茶店だそうです。ここへ来るのは初めてですが、妻と追体験が出来てよかったです。古い写真がどこかに残っていたはずなのですが…。午後6時前に予約してあった「鳥彌三(とりやさ)」まで移動しました。ここは30年近く前に妻がまだクライアントさんの営業部長だった頃にご接待したという思い出の店です。それ以来「あんな美味しい鳥の水炊きは食べたことがない。」というので今回の予定にも組み込みました。鴨川が望める良いお座敷で久しぶりの水炊きがいただけました。季節柄竹の籠に入った松茸や椎茸などおすすめも見せていただいてジャンジャン追加注文してしまいました。今日は時間が無くて清水寺までは行けませんでしたが、清水の舞台からは飛び降りられました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
清水の伯母の店からタクシーに乗って「二條陣屋」まで移動しました。ここは外祖父の生まれ育った家です。妻と一緒に来たのは30年近く前になります。
-
2009年1月から3年9カ月かけて京都府教育委員会に委託して保存修理工事を行い、きれいになったのですが、京都市内へ来る機会もあまり無くて久しぶりの訪問です。どうせ来るなら叔母と一緒にと思っていました。
-
小さい頃は年に2回とか3回里帰りしていたので写真がたくさん残っています。当時は大所帯だったので遊びに来るのが楽しかった記憶があります。
-
虫籠のような形をしていることから「虫籠窓(むしこまど)」と呼ばれる漆喰で塗り込められた窓が懐かしいです。火災が多かった江戸時代に防火対策として用いられ広まったとされますが、この家は昭和19年の1944年に国の重要文化財(当時の国宝保存法に基づく旧国宝)に指定されたときには数奇屋建式住宅と陣屋式建築と防火建築の3点の評価があったようです。民家建築としては2番目の国宝指定でした。
-
59年前の写真と見比べても暖簾以外に変わったところはなさそうです。寛文10年の1670年頃に創建されているのでほんの一時のような時の流れかもしれません。建築には30年ほどかかったと当時の支払い大福帳の記録があったと思いますので、400年ほどの月日が経っていることになります。
-
防火建築については昭和19年の1944年の時局雑誌/週刊朝日に紹介されています。
-
時局柄なのか空襲への備えを紹介したかったと思われ、建築的な防火施設や12か所の井戸を使った仕組みや、平常時より莚(むしろ)を貯蔵して、近隣で火事があった場合は2階の軒下のフックに濡れた莚を掛けられるようになっている紹介でした。
-
大宮通御池下る三坊大宮町にあり、大宮通りの西側に屋敷地があります。屋敷地は表間口16メートル余、裏間口40メートル余、奥行40メートルで、表間口に比して裏間口と奥行が大きく、京の町屋の中でも最大級の規模を有します。主屋は木造2階建てで一部3階建てで桟瓦葺きです。商家であるとともに大名の宿泊所である公事宿(くじやど)を兼ねた特異な住宅です。
-
外観上の特色は防火のため外面のほぼすべて漆喰で塗籠めとし、窓も虫籠窓(むしこまど)しか開けないことで、一般の京町屋とは異なった外観となっています。
-
記憶には残っていませんが曾祖母と一緒に撮った写真も残っています。たくさんの写真を残してくれた父に感謝です。
-
5月の節句に行ったときには紋付の裃を借りて着させてもらった写真も残っていますが記憶は全くありません。
-
20数年経つと立派に1人で座れるようになりました。
-
両親が結婚に至った経緯も面白く、20代だった父が旅行で京都に来た際にこの家の参観に来た65年近く前に遡ります。父が訪れると中学生だった叔母が留守番していましたが、家の説明が出来なかったそうです。そこへ高校生だった母が帰ってきて、家の説明をしてくれた縁で結婚したそうです。叔母は「あたしの方が先に知り合ったのに。」なんて笑って教えてくれました。
-
廊下の途中には水神様が祀られています。ここ以外にも春日神社があったりなので、祖母が毎日水を変えたりしていたのを見た記憶があります。左には仏間があるので久しぶりにお仏壇に手を合わせました。
-
この屋敷には井戸や池が12もあって、屋敷の地下でつながっていると聞いたことがあります。現在は廃校になった教業小学校が家の裏側にあり、昔は神泉苑と繋がる池だったと聞いたことがあります。地下水も当時は豊富にあったようですが、現在は周囲の開発などで枯渇していると思います。
-
圓窓の奥の部屋で比叡山から降りてこられた千日回峰行を終えられた光永覚道さんが来られた時のことを思い出します。まだ祖父母共に元気だったころです。
-
長い廊下を進んだ先にあるのが最も広い部屋である「大広間」です。滞在した大名はこの部屋を宿泊場所とし、他の武士との謁見や仕事や食事、就寝に至るまで全てここで行っていました。構造は大名が使う部屋にふさわしく、武家屋敷風の書院造りになっています。
-
陣屋とは一般に三万石以下の城を持たない大名や武士を対象にした住居と役所を兼ねた建物を指すようで、「二條陣屋」は一般公開にあたって名付けられた名称といわれます。天袋には狩野安信の墨絵が描かれ、引手の丸に一文字を添え、小川家の略紋を象っています。
-
この部屋は贅を凝らした造りになっていて、この1間幅の床の間は楓(イタヤカエデ)の1枚板です。奥行きも90センチほどあるのでこれだけの板を取れる楓の木の太さはどれほどだったのでしょうか。床の間の横に開いた穴は「狆(ちん)くぐり」と呼ばれ、付書院の明り障子から差し込む光が届く仕掛けになっています。
-
狆くぐりの横にある引き戸の絵には2頭の狆(ちん)が鞠で遊んでいます。
-
床間の左側の地袋に引き戸は現在は別の絵が入れられています。この奥の壁は古いものが比較的良い状態なので以前の金の箔を押したものが残されています。地袋の引き戸には現在は別のものが入れられていますが、子供の頃は小川破笠の「破笠細工」の板戸が入っていました。
-
破笠は江戸時代中期の漆芸家で、名は観、字は尚行、通称平助と呼ばれ、笠翁や卯観子や夢中庵などの号もあります。江戸に出て芭蕉の門に入り俳諧をよくし、絵や漆芸など諸芸を学んでいます。其角や嵐雪や英一蝶とも親交があったようです。漆芸家としては本阿弥光悦の技法を研究し、更に新味を出しました。漆器面に鉛や貝のほか陶片や牙角や堆朱などを嵌め込み,中国風の文様を施しました。この板戸の題材は書聖と称される王羲之を描いたもので、まさに書をしたためようとしている姿です。庭先には鵞鳥(ガチョウ)が2羽描かれています。
-
これは王義之が幼い頃から鵞鳥(ガチョウ)が大好きだったという話から来たものです。王羲之は朝廷の高官から高く評価され、中央の要職に任命されましたが、そのたびに就任を固辞し会稽に赴任します。会稽のある老婦人が飼っている1羽の大きな白い鵞鳥は、耳に心地よい澄んだ鳴き声をしていたので、王羲之は大金でそれを買い取ろうとしましたが老婦人に断られてしまいます。彼は親類と友人を連れてその声を聴きに行ったところ、老婦人は会稽郡の長官がやってくると聞いて、彼らをもてなそうとわざわざ鵞鳥を殺してしまいます。王羲之は大いに興ざめして、長い間嘆き続けたそうです。
-
その後になって今度は山陰のある道士がいい鵞鳥を飼っていると聞きつけた王羲之は大急ぎで見に行きます。白い鵞鳥は思った通りこの世の物とは思えないほど見事なので羲之は非常に気に入り、何羽か売ってくれるよう道士に頼みこみます。道士は「わが道観のために道徳経の一篇を書いて下されば、この鵞鳥の群れごと全部差し上げましょう」といいます。羲之は快諾してその写書を書き上げると、白い鵞鳥を1羽ずつ籠に入れて大喜びで帰っていったそうです。
-
大広間の天井の照明は大正4年の1915年に京都御所で執り行われた大正天皇御大典で、国の貴賓が宿泊した際に取り付けられたものが払い下げられたと聞いています。縁には菊の御紋が見えます。
-
天井は柾目の向きを縦横にして市松模様を表した格天井です。その一部が明り取りになっています。また引き戸で締めることもできます。さらに明り取りと反対側は武者隠しになっていています。
-
ここまで”はとこ”が説明してくれましたが、叔母もやってきました。本当は叔母に説明をしてもらおうと思っていたのですが、今回”はとこ”と久しぶりに話が出来てよかったと思いました。
-
京焼の釘隠しや捻梅透かし彫りの欄間など、随所に数奇屋造の柔らかな意匠を取り入れています。
-
欄間の透かし彫りは天井照明がなかった時代の装飾で、下方からの明りが花模様をゆらゆらと映し出し、泊まる者の眼を癒します。
-
大広間から庭先に出てみます。この辺りでも子供の頃にたくさん写真を撮った記憶があります。外祖父と縁側に座っていていろいろ話を聞いたことがあります。庭の奥の岩を指さして、あの岩は子供の頃に父親が嵐山から牛車で牽いてきて、実際に見える何倍も大きいとと教えてもらったことを思い出しました。
-
以前アメリカ人のデザイナーの友人と京都に行こうという話になり、その友人が大判の写真集を自慢げに持ってきました。日本に残る古い寺社や住宅の写真が掲載されていて、「この本を見て勉強してるんだよ。」と見せてくれました。
-
ページをめくっていると見覚えのある石像が載っていて、よく見たらこの家が紹介されていました。「これ、おじいちゃんちだよ。」というと彼の眼は尊敬のまなざしに変わりました。そんなことを思い出しました。もちろん彼をこの家に連れてきたことは言うまでもありません。
-
大広間の付書院の外にも外廊下があります。奥に進むと風呂場に続いています。橋の欄干のような手摺や一部に瓦や敷板を埋めた床などの由来も昔に聞いたのですが忘れました。
-
確か奈良に関係した由来があったのですが。
-
忘れられないのが外祖父に教わった竹の話しで、この奥に植えられた竹は四方竹だということです。
-
ここで撮ってもらった写真がたくさん残っています。
-
叔母と”はとこ”と昔話に花が咲きます。そして昔のことはちゃんと聞いておかないとならないなと思いました。
-
大広間は就寝時の防衛を考え、襖には戸締り錠が掛かるようになっています。襖なので蹴倒せば壊せますが、音を立てずにそっと忍び寄ることはできません。錠の差し込み栓には鯨の板ひげが使われているものがあります。広間を取り囲む障子襖には、松の名所を端唄にした松づくし(♪唄い囃せや大黒 一本目には池の松 二本目には・・・♪)に合わせて、円山派の長沢盧鳳が松の名所を描いています。
-
この障子は小川の漢字をデザインしたものです。司馬遼太郎が産経新聞の記者時代に企画した連載に「美の脇役」というものがあり、元々は井上博道の写真集として1961年に出版され、光文社の知恵の森文庫で復刻されています。この新聞記事を読んだ母に本を手に入れるように言われたことがありました。京都奈良をメインに大阪や和歌山まで100篇の話しが掲載されています。
-
その中で唯一司馬遼太郎が執筆しているのが27篇の「二条陣屋の防音障子」です。
昔、奈良春日の神官になにがしという者あり、大和国宇陀郡の小川郷を所領したので、地名を名乗りとした。天将の頃、この家から小川土佐守祐忠(とさのもりすけただ)という者が出て、信長、秀吉に随身し、秀吉によって伊予今治八万五千石の領主に奉ぜられた。…と書き出されています。 -
祐忠は、秀頼没後、封を返上し、江州高島郡浄立寺にかくれた。…子に千橘(せんきつ)という者が生まれた。千橘は京に出て、商人となった。通称二条陣屋といわれる自邸に三十年の歳月をかけて建てたのが千橘のちの万屋平右衛門である。…
-
よほどこの家が気に入られたのか、「忍者防止装置」と呼び、カラクリについても詳しく言及しています。肝心の「美の脇役」ということではこの「お能の間」の障子についてです。
-
一見紙障子だが、板の部分が二重になっていて、一枚おろすと板戸になり、部屋の話し声が隣室にもれないようになっている。よほど、初代平右衛門は祐忠の気質をうけたおく病者だったのかもしれない。忍びの防御に設計の重心をとらわれて、父からうけているはずの茶道的な美意識は、ほとんど表現されていない。かろうじて、この障子の白黒の階調がうつくしい。とあります。
-
「お能の間」は家屋の中に設けられた二間四方の檜材の敷き舞台ですが、床下は中央を深く掘り下げて漆喰しっくいで塗り固め、そこへ向けて4つの甕を中央に向けて設置しており、音響的には能舞台の伝統的な造りになっています。通常は家臣の控の間で、正面の鏡板は障子と板戸が半々の段襖にして光を採り入れ、能舞台として使用するときは板戸を落として障子を塞ぎ、囃子方の奏でる音が反響するよう工夫されています。
-
また釣り床の床柱の内部をくり抜いて、ここでも音が響くよう工夫されています。床は置き床になって取り外すこともできます。鶴の描かれた奥には舞台に続く廊下があり、その腰絵に3本の若松を描いて、能の演者が現れる通路である「橋掛り」に見立てています。廊下の突き当りの壁には能装束を改めるためのギヤマンの鏡が掛かっていたと聞きます。廊下の壁には能衣装が擦れないような工夫もありました。
-
司馬遼太郎は手厳しい指摘をしていますが、十分に美しいセンスの良さを感じると思います。学生の頃に谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を読んで理解できたことの多くは、子供の頃にこの家に泊まったことだったのかもしれないと思ったことがあります。
-
能の演者が現れる通路の「橋掛り」に向かってみます。襖の鶴の絵については詳しいことは分かりません。
-
通路の突き当りの曲面になった壁には以前は足掛けがありましたが、改修後は元々の状態に戻されたと聞きました。その当時はそこの足を掛けて屋根裏に登れると聞いていました。
-
この三角のところから2階に登れたようです。ここは2階からまた見学することが出来ます。
-
風呂場がきれいになっていたのには驚きました。ここが一番きれいになったのではないでしょうか。江戸時代の大名は旅行の際に移動式の湯殿を持参していくため、宿泊場所に湯殿がない場合が多いそうです。
-
特に浴槽が陶製の白タイル張りという当時としては非常に珍しいものです。解体修理によって嘉永年間の1848年から1853年に造られたことがわかり、現存する同じタイプの浴槽では日本最古とされています。
-
1匹飛んでいたトンボもきれいに残されていました。
-
湯の沸かし方は給湯式になっています。外で湯を焚いて壁の穴から竹筒で流し込めるようになっています。また浴槽の横には炭窯を備えた保温槽もあり、お湯が冷めることを防ぐほか、間仕切り板を上げ下げすればお湯の温度を調整することができたそうです。
-
以前は取り払われていた雪隠も復元されていました。鳥居のような丸い棒の部分が「きんかくし」です。きんかくしは日本独自のものですがこの「きんかくし」を後ろにして用を足します。この当時「きんかくし」は「きぬかけ」という言葉が変わった物です。
-
男性用のものもちゃんと復元されています。以前桂離宮の御殿お腹を見せていただいたときに見た浴室は傾斜した板の間の中央に溝があって湯が流れるだけのものでした。こういった生活感のあるものの見学は楽しいものです。
-
「春日の間」建物の中ほどの北側にある少し小規模な部屋です。小川家の故郷である奈良を偲んで造られたもので、随所に奈良を思わせる意匠を見ることができます。床の間に描かれているのは雲間に浮かぶ三笠山(若草山)で、天袋には東大寺や春日大社の風景を描き、庭には小さな春日神社まであります。
-
ひょうたんのような形をした下地窓も猿沢池を模しているといわれ、まさに奈良尽くしの部屋となっています。襖には和歌を記した扇面があしらわれ、欄間には古来幸福の象徴といわれていた蝙蝠の姿も見えます。
-
祖父母が住んでいた頃は宿屋業もしていたようで、京都へ来る絵描きさんが泊まることも多かったそうです。その中に土田麦僊もいて、この部屋には麦僊の描いた鮎の絵が掛かっていました。現在は掛けられていませんでした。奥さんが桜の絵を描くときなどは絵の具を溶くのが大変なんですよと言っていたと祖母から聞いたことがあります。
-
この部屋は隣接する茶室(皆如庵)の待合としての役割も持っており、庭から石橋を渡り、茶室の入口へ向かうことが出来るようになっています。
-
屋敷の敷地にはどこから火災が発生しても防御できるよう12の井戸が散在して設けられています。この春日の間の庭の井戸だけは長方形に切られています。これは重要な証文類を保管した唐櫃の形に合わせたもので、火災時には櫃ごと井戸の中に沈めることが出来たそうです。
-
この部屋には雨戸があるのですが、正面の板戸が右側を軸にして手前に90度回転して引き出せるようになっています。小さなくぐり戸があるのは、表から全部閉めてしまうと部屋の中に入れないからです。雨戸の敷居には軸を通すための溝が切ってあります。同じ仕組みが明治村に保存されている西園寺公望の「坐漁荘」にあるのを見て驚いたことがあります。
-
春日の間から皆如庵という茶室に入ります。茶室は一畳台目と呼ばれる一畳の畳と炉を切った台目畳で構成された非常に小さなもので、客と主人が向かい合って座るつくりです。
-
炉のかたちも独特で普通は四角く切るところ、ここでは丸く切られています。これは「角を立てず丸くおさめる」という商売の心得を表したものだそうで、この茶室で商談が行われていたためと考えられているそうです。
-
これは古い水屋の写真ですが、襖の中に収められています。
-
水屋の中にも引き戸があり、有事の際は廊下に出ることが出来ます。
-
部屋が狭いので床の間を設けることが出来ないので、半割の竹で床柱と鴨居を表しています。これも古い写真で、今回は写真を撮り忘れました。
-
茶室の表の廊下は障子の高さに合わせて低くしています。
-
柱には閂(かんぬき)があり、棚板を降ろすことが出来ます。近くに茶室用の水屋があるので、茶壺を収めておく棚に見せかけてあるわけです。
-
棚板を降ろすと階段が現れ、天井の板をスライドさせると2階に上がることが出来るようになっています。
-
二條陣屋では、一階から二階へ続く釣り階段があり、普段は天井に収納されています。収納状態はまるで戸棚のよう。近くに茶室用の水屋があるので、茶壺を収めておく棚に見せかけられるというわけです。もし敵が入ってきても見つかりにくくするための工夫のひとつです。
-
昭和32年の「夕刊京都」ではこの屋敷のことが紹介されています。案内しているのは当時この家を預かっていた祖父です。
-
釣り階段の上に座って下を覗いているのは結婚する前の母の姿でした。
-
風呂場の写真や障子の桟の写真もあります。
-
祖父が釣り階段の上から天井を開けるところと、先の水屋の隠し扉の写真も。
-
以前はかなり傷んでいたので登ることは出来なくなっていましたが、修復したので登れるようになったのか。50回くらいは登っていると思います。
-
2階側には階段を隠す引き戸がついており、この戸の下に身を隠すことで敵をやり過ごすこともできました。妻もこの階段を上がるのは2回目です。
-
解体して補修がなされていますが、材は同じものを使っているので、手摺の感覚などが懐かしく感じてしまいます。
-
祖父母や両親はこの世にはいませんが、この屋敷はこの先もずっと残っていくのだろうなと思いました。残ってほしいという願いの方が強いかもしれません。
-
2階の部屋や廊下もきれいになっていて驚きました。
-
隠し階段を上がった右側が「苫舟の間」です。棟から突き出すように作られた茶室で、昔は部屋の下を小川が流れていたため、部屋が舟に見立てられ、天井も屋形船を思わせる意匠となっています。
-
かつて襖に蘇鉄が描かれていたことから「蘇鉄の間」とも呼ばれていたそうです。この部屋は修復されて昔の姿に戻っているようですが、以前の姿を知っているとちょっと違和感を感じます。
-
修復前はこのような姿でした。子供の頃にこの窓から隣の教業小学校の運動会を見ていたそうです。叔母が見学の方を案内してこの部屋を説明しようとしたときに「こちらの部屋が…」と言ったタイミングで私がズボンを降ろしておしりを掻いたそうです。このことは大人になってもずっと言われ続けました。
-
この部屋の床はかなり傷んでいて、歩くとギシギシ舟の櫓のような音がしていましたが、きれいに直されていました。
-
真下の庭にある井戸から水が汲めるように屋根には桶を引き上げる滑車が取り付けられています。小学校の建物は残されていますが、廃校になってもうかなりの年月が経っています。
-
先ほどの1階にあった能の演者が現れる通路の「橋掛り」から上に登るとこの奥に上がれます。板の間は2階のフロアの高さになっていますが、半フロア分床が上がっている部屋の床下にもなっています。
-
2階のこの辺りは不思議な造りになっています。
-
2階には家臣の控え室兼茶室となっていた部屋があります。
-
半フロア上がった部屋です。この床下に先ほどのスペースがあります。
-
脇にある階段からは昔にあった月見台に上がる階段だけが残されています。
-
現在は明り取りの窓だけが残っているようです。この先には行ったことはありません。この辺りは見学のコースから外れているので古いままでしたが、きれいになっていて嬉しく思いました。
-
さらに廊下の脇に武者隠しがあります。突き当りが1階の大広間の天井の明り取りです。ここから武士が飛び降りることがあったのかは分かりませんが仕掛けだけが残っています。
-
武者隠しの入り口の反対側が「赤壁の間」です。以前はこんな紅柄の壁ではありませんでした。子供の頃は京都へ遊びに来るとこの辺りの部屋に泊まっていました。電灯も薄暗くて、廊下も暗くて夜中にトイレに行くのが怖かった思い出があります。裏階段を降りて1階のトイレに入ると、ガラス窓にヤモリがいて…。
-
「赤壁の間」はその名のとおり鮮やかな赤色の壁が特徴的な部屋で、家臣用の控え室として使われていました。昔からこの名前で呼ばれていたそうですが、以前は普通の白壁になっていました。平成21年の解体修復時に時代ごとに塗り重ねされた壁土が見つかり、ここで嘉永年間は紅柄を含む赤い壁土が使われていることがわかりました。そこで部屋の名前にあわせ、当時の色合いで復元されたとのことです。
-
何度も泊まっていながらじっくり部屋うちを見たのは初めてかもしれません。
-
隣の部屋と繋がる襖も大好きなのですが、江戸から九州の長崎までの各宿場町の姿が描かれています。よく見ると地名もきちんとかかれているので、じっと拝見してしまいます。
-
一番上に富士山が描かれ、その下には妻の生まれ育った近くの地名がたくさんあるので真剣です。
-
赤壁の間の表に出てきます。記憶にない部分を補うように写真を撮ってしまいます。
-
ここから台所の方を眺めた風景が一番好きかもしれません。「虫籠窓(むしこまど)」もきれいに見えます。この窓の中には内側がスライドしてさらに防火性能を高めたものがあります。また暗くすることで家の中に隠れやすくする効果もあったようです。
-
今までに無かった躙り口が出来ていました。表側には出入り口の板戸が引かれるので、引き戸を占めておかないと使い勝手が悪いです。
-
ただ昔から敷居の溝の本数などで外祖父は躙り口の存在に気が付いていたと”はとこ”が教えてくれました。
-
今まで白い壁と木だけの印象だった屋敷に赤い壁が出来て不思議な感じもしますが、この機会に見学することが出来てよかったです。
-
廊下には階段があるのですが、1段目が横にスライドして収納できるようになっています。家の構造を知っている者はその1段を押し込んでしまうと、あとから来た追手は階段が1段無いので下まで落ちる仕掛けです。落ちた先は仏間の裏になるという落ちまであります。
-
母が子供の頃にこの家に泊まりに来ていた方に世界最古の美術雑誌の「國華」で絵画の模写をされていた菊川京三と方がいて、同い年の娘がいるので文通してほしいと言われたそうです。後にその方と母の兄が結婚したという話も残っています。
-
学生の頃に池袋の三越で個展があり、俵屋宗達の模写が素晴らしくて欲しいと思いました。40年前で60万円だったのでとても買えるものではありませんでしたが、ヤフオクの時代になって3枚ほど手に入れることが出来ました。
-
くの字に曲がったこの辺りの床のデザインも好きです。INAXの「竹と建築」という本でこの床が紹介されていて、思わず買ってしまったことがあります。
-
これで2階の半分くらいの部屋を見てきたと思います。
-
廊下の先には台所へ下りる階段があります。台所は見学コースには入っていないと思います。
-
その階段の脇の虫籠窓は2重になっていて、スライドさせるとこの辺りは真っ暗になります。突き当りの引き戸も中に隠れられるようになっています。左側の壁の分段差になったスペースがあるわけですが、追手が引き戸を開けると中のスペースが閉鎖される仕掛けです。(言葉では説明が難しいですが。)
-
台所と2階の間には手動ですが江戸時代からのダムウェーター(小荷物専用昇降機)まであります。そして最後に階段を降りると見学は終わりです。この窓の奥の部屋に昔は叔母と母が住んでいたと思います。この階段の天井もトップライトになっていて、壁には日時計の仕掛けがあります。
-
懐かしい思いにどっぷり浸りながらの見学をさせてもらいました。
-
曾祖父母が四国へお遍路に行く写真が出てきました。両親も亡くなりましたが、縁遠くならないようにしていきたいと思いました。
-
叔母とは晩御飯を食べる約束をしていたのですが、少し時間がありました。「フランソワ」に行こうというので後をついて行きましたが、ここは結婚する前の両親が京都で会っていた場所だと今回初めて叔母から聞きました。
-
「フランソア喫茶室」は両親の若かりし頃の思い出の場所と思って入りましたが、後になってNHKの「美の壺」という番組で紹介されているのを思い出しました。店名はフランスの画家のジャン=フランソワ・ミレーにちなんでいるそうです。創業者の立野正一は戦時色が強まる中、反戦や前衛的な芸術を自由に語り合う場所としてフランソア喫茶室を作ります。立野は画家を志し京都市立美術工芸学校に入学し、志賀直哉や武者小路実篤といった自然主義文学の影響を受けました。その作家たちもまたバルビゾン派の画家たちの思想を受け継いでいました。
-
店内は豪華客船のキャビンをイメージした装飾が施され、壁や窓は色鮮やかなステンドグラスで飾られています。最大の特徴は白いドームの天井で、柱は中央に膨らみのあるルネサンス調のエンタシスです。ヨーロッパの古いランプや赤いビロードの椅子などがあり、これらは開店当初から変わっていないそうです。
-
建築は昭和16年の1941年に京大留学生だったアレッサンドロ・ベンチヴェンニや画家の高木四郎の協力を得てイタリアン・バロック風に改装したそうです。施工は当時の日銀の内装を手がけた大工や家具の装飾を手がける指物師によるそうです。両親の思い出の店に妻と一緒に来ることが出来てよかったのと叔母に感謝です。
-
お店を予約した時間になりつつあるので、夕暮れの四条を下った西木屋町通りも風情があってよいです。今までこの通りを歩いたことはなかったと思います。しいて言うならもう少し南に下った「地球屋」という店が昔から残っています。
-
三条通りから四条通りにかけての木屋町よりずっと大人っぽいと思います。
-
京漬物の「村上重本店」もここにあったのだなと思います。高島屋で買うかいただくだけでしたから。もう少し後だったら千枚漬けとか買いたいくらいでしたが、東京に帰るまでまだ3日もあります。
-
ようやく橋を渡って高瀬川に出ました。
-
そして予約していた「鳥彌三(とりやさ)」に到着しました。ここは妻の長年の要望で来ることにしました。
-
25年前に一緒に仕事をしていた頃の妻は契約していた広告代理店の営業部長でした。いつもごちそうになっていたので、たまにはお返しと思って「ご接待」したのがこの店でした。
-
いつもご馳走してくれる素敵なお姉さんでしたが、結婚してからはずっとごちそうし続けているような気がします。そんな思い出の店なのと、叔母に話をしたらよく知っている店だったのでここに決めたわけです。
-
部屋は少し階段を上がった鴨川が望めるお座敷でした。年功の順に2人に上座に座っていただきます。
-
懐かしい土鍋が出てきました。伊賀の土鍋かと思っていましたが、信楽で焼いてもらっているとのことでした。
-
食前酒の梅酒で叔母の傘寿と嵐山吉兆でのお茶会の成功の乾杯をしました。
-
フランソア喫茶店でビールを飲んでいた続きで、こちらでもビールを最初にお願いしました。
-
八寸は黄色いイチョウと真っ赤な紅葉の葉の上に盛り付けられています。吹き墨のツボツボに入った汲み上げ湯葉と鯖寿司と煮鮑と揚げたそうめんのイガに入った栗と揚げた銀杏、柿なますという取り合わせです。このお料理を見て冷酒もお願いしました。
-
鳥のを炊いたのも新鮮でよく味も沁みていて美味しかったです。「鳥肝には数十羽に一羽しかいない脂がのった肝を使っているとのことです。
-
蝶ネクタイで正装した松茸が籠に入ってお座敷へ遊びに来ました。「産地はどちらですか?」と尋ねると「へぇ、飛行機に乗ってやってきました。」
-
3人なので大きめのを焼いていただくことにしました。妻が土瓶蒸しが大好きなのですが、これからお鍋を食べるので却下です。続いてやってきた椎茸は揚げてもらうことにしました。
-
話しが弾みながらも妻の箸が止まることはありません。
-
この店の水炊きのスープは最高に美味しいと思います。水炊きは200年以上の代々伝わる名物料理で、鶏ガラだけを3日間強火で炊き込む白いスープは、主人と跡継ぎと専属の職人だけが仕込みを許される秘伝の味だそうです。水炊きの鶏肉は「丹波のぢどり」と「名古屋コーチン」の中から生後約3ヵ月までの雌鳥を使用します。
-
鍋が煮える間に白子もいただきました。こちらは湯引きしたものをポン酢で。
-
こちらは白子の天麩羅です。家ではなかなかできませんが、こちらもふわふわでおいしいです。
-
青磁の大皿にきれいに盛られた野菜もやってきました。
-
ここに来たら飲みたいのが白湯スープに鶉卵を掻き入れたものです。これから食べるお鍋が楽しみです。
-
先ほどの丸々と太った椎茸が天ぷらになって帰ってきました。椎茸はフランスでもイタリアでもスペインでもSHIITAKEの名前で売られていますし、柿もKAKIです。
-
三島の大皿に乗って松茸も焼きあがってきました。母が元気だった昨年の秋口までは松茸が出ると美味しいお肉を取り寄せてすき焼きをしていました。母はもういないので叔母孝行ですね。美味しいもののそばには必ず妻もいます。
-
コラーゲンたっぷりの水炊きが出来上がりました。
-
ようやく水炊きが出来上がりました。家では仲居さんの役目があるのですが、こうやってお店に来ると専門の方がいらっしゃるので安心して食べられます。
-
妻と叔母の希望がかなえられて良かったです。
-
冷酒はこんな感じで桶に入って出てきました。「特別純米酒 西陣」は佐々木酒造のお酒です。「純米大吟醸 松の翆 」の山本本家は伏見のお酒です。どちらも美味しかったですが、洛中と呼ばれる範囲内においては現存する唯一の蔵元である佐々木酒造は俳優の佐々木蔵之介の実家でもあります。
-
最後は卵を落として雑炊で食事は終わりました。コラーゲンたっぷりで明日はお肌がプルプルになりそうです。仕事をリタイアしてから家事手伝いなので、最近手が荒れてきたような気がします。
-
デザートは2種類から選べました。
-
柿はあまり好きではないのですが、この完熟したのは美味しそうでした。母と3人で行った佐渡島で食べたおけさ柿は美味しかったです。江戸柿は奈良県特産の釣鐘型の渋柿です。干し柿にされることが多いですが、生食用として渋抜き処理をして熟した果肉は柔らかく甘みも格別です。
-
人が食べていると美味しそうに見えてくるのが不思議です。叔母の食欲を見て元気なのが分かって安心しました。
-
もちろんわらび餅も美味しかったです。
-
鳥彌三の建物は登録有形文化財に指定された文化遺産で、玄関から奥へ続く鞍馬石の石畳や丁寧に磨き上げられた柱や床に時代を感じます。
-
大きなガラスケースに「赤熊(しゃぐま)」が展示されていました。これは祇園祭の長刀鉾の鉾の上部に取り付けてある藁で出来た飾り物です。2006年に息子さんが禿奉仕(かむろほうし)をされたとのことでした。禿は稚児を護る武士の役目を担っているものです。
-
翌日の夕方に二年坂にある「島田耕園」で人形を買ったときに、もう少し小ぶりの赤熊が店に飾ってったので尋ねると、息子さんの祇園祭の記念ですとおっしゃっていました。
-
また近い将来食べに来たいお店です。店の中の写真を撮っていたらお迎えのタクシーが来て、2人はさっさと乗ってしまいました。
-
25年前はこのお座敷だったと思います。これで京都ミッションのお茶会も親戚巡りも久しぶりの二条陣屋の見学も終わりました。明日からは宮内庁に申し込んだ離宮巡りの旅が始まります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2021大阪京都の旅
-
前の旅行記
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(20)再訪した河井寛次郎記念...
2021/11/09~
東山・祇園・北白川
-
次の旅行記
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(22)錦秋の桂離宮の思い出に...
2021/11/10~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(1)特典航空券で伊丹空港に入...
2021/11/01~
大阪城・京橋
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(2)中之島の建築群に明治期の...
2021/11/02~
心斎橋・淀屋橋
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(3)20年思い続けた大阪市立...
2021/11/02~
心斎橋・淀屋橋
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(4)20年思い続けた大阪市立...
2021/11/02~
心斎橋・淀屋橋
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(5)動物園前一番街から飛田新...
2021/11/02~
ミナミ(難波・天王寺)
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(6)フランク・ロイド・ライト...
2021/11/03~
西宮・芦屋
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(7)昼は「美々卯本店」で、夜...
2021/11/03~
ミナミ(難波・天王寺)
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(8)20世紀少年は50年振り...
2021/11/04~
吹田・万博公園
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(9)新梅田食堂街の天婦羅と法...
2021/11/04~
ミナミ(難波・天王寺)
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(10)国立民族学博物館でまだ...
2021/11/05~
吹田・万博公園
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(11)国立民族学博物館で30...
2021/11/05~
吹田・万博公園
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(12)国立民族学博物館で日本...
2021/11/05~
吹田・万博公園
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(13)東華菜館から先斗町を歩...
2021/11/05~
京都駅周辺
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(14)嵐山の松籟庵の湯豆腐と...
2021/11/06~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(15)嵐山吉兆本店で叔母の傘...
2021/11/07~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(16)八坂神社から高台寺を抜...
2021/11/07~
東山・祇園・北白川
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(17)万福寺の普茶料理と平等...
2021/11/08~
宇治
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(18)ポストモダン建築の京都...
2021/11/08~
京都駅周辺
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(19)45年振りに三十三間堂...
2021/11/09~
東山・祇園・北白川
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(20)再訪した河井寛次郎記念...
2021/11/09~
東山・祇園・北白川
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(21)二條陣屋を久し振りに訪...
2021/11/09~
二条・烏丸・河原町
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(22)錦秋の桂離宮の思い出に...
2021/11/10~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(23)大山崎山荘美術館から清...
2021/11/10~
東山・祇園・北白川
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(24)赤山禅院から曼殊院門跡...
2021/11/11~
下鴨・宝ヶ池・平安神宮
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(25)祖父母と訪ねた修学院離...
2021/11/11~
下鴨・宝ヶ池・平安神宮
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(26)旅の最終日は京都御苑の...
2021/11/12~
二条・烏丸・河原町
-
大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(27)仙洞御所から京都御所の...
2021/11/12~
二条・烏丸・河原町
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021大阪京都の旅
0
152