2021/11/12 - 2021/11/12
3388位(同エリア4009件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,683,893アクセス
- フォロワー151人
午前11時の「仙洞御所」の参観が終わり、お昼を廻りましたが、最後の「京都御所」の参観が残っています。ここは予約が不要なので何時でも参観が出来るの「 中立売休憩所」で一度休憩することにしました。こんな立派な施設が出来ているとは知りませんでしたが、お土産物コーナーも充実して、ガラス張りのカフェ空間も気持ちよいです。お昼を何にしようなんて考えていましたが、午後になって「京都御所」に入るとコロナ禍で中止になっていたガイドツアーが試行で催行されていたので少し待って参加しました。午後1時30分から1時間の見学ですので、お昼を食べる時間が無くなってしまいました。御所からはタクシーでリッチモンドプレミアムホテルに戻り、荷物をピックアップしてそのまま八条口の伊丹空港行きのリムジンバスの乗り場まで送ってもらいました。バスは混雑していて、補助席まで乗客がいました。京都駅から新幹線で帰れば早く家に着くのですが、ANAのマイレージを使えばほぼ無料で大阪往復で来たので仕方ありません。往路は良いとしても12日間の旅の最終日では、疲れも溜まっているので新幹線で帰りたかったです。伊丹空港ではお土産に551蓬莱のシュウマイと豚まんを買って、最後の晩御飯はお好み焼きにしました。これで旅の最初と最後は牛筋ネギ焼きとお好みで締めることが出来ました。羽田空港から池袋までリムジンバスに乗り、迎えに来てくれた友人の車で家にたどり着きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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大阪から始まった今回の旅も京都に移って8日が経ち、ようやく終わりを迎えました。12日間という長さのせいか、妻の足が痛くなってしまいかわいそうなことをしました。
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「建礼門」は構造としては檜皮葺きに切妻屋根の角柱の四脚門です。
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我が家の見学ではこの門は開くことは無いので、西側の通用門に向かいます。
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先ほど入ってきた「蛤御門」が遠くに見えます。妻と京都御苑に最後に来たのは仕事の合間に時代祭りと鞍馬の火祭を見にいて以来でした。その度からも10年以上経っています。
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いつも謎なのが砂利道に残された自転車の走った後です。みんなが走りやすそうな砂利の少ない場所を探すのでこのようになるのだと思います。人間も動物なんだなと感じます。ちなみにこの道はグーグルマップにもくっきり表されています。
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「宜秋門(ぎしゅうもん)」まで上がってきました。花山天皇の頃の5月の雨の夜に藤原道隆と藤原道兼と藤原道長が天皇と雑談していた折に「こんな夜には1人であちこち出歩けまい」と言われた3人が、それぞれ内裏内の各所に1人で歩いていく肝試しをすることになります。道隆が宜秋門を出るまでは我慢できたものの、その先の宴の松原で怖くなって引き返してきたという話が「大鏡」にあります。
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今回初めて見たのがこの標識です。御苑の中の道で一番広いところで100メートルあり、その中央にこの標識が立てられています。この標識があるということは御苑の中をバイクとかで走る人がいたということでしょうか?
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それぞれの入り口ではなくて「京都御所」の周りということは陰陽師の結界の一種で、大人と子供の姿に見えるのは人形(ひとがた)か形代(形代)に見えてきます。とりあえず看板の前で「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前(りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)」と唱えておきます。
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子供の頃に外祖母から動物にあげるお経を教わったことがあります。それは烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の真言の「おん しゅり まり ままり まりしゅしゅり そわか」でした。大人になって意味を調べてみると、この世の一切の汚れを清浄な場所に変えるという信仰から孫を守ろうとしたのだと分かりました。
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朝から歩き疲れてしまったので、「中立売休憩所」に入りました。こんな休憩所があることは全く知らず、近くに行ってみて気が付きました。
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ここにはお土産物の売店とカフェが併設されていました。妻は甘酒を飲みたかったようです。
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すごく大きなマグカップになみなみ入った甘酒が500円は安いと思いました。熱々なので疲れた体に沁み込む感じがします。ここでしばらく休憩しながらお昼を食べるレストランを探しましたが、この後の「京都御所」の見学をしていたら大阪空港へのリムジンバスの時間になってしまいました。
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お土産物のコーナーも充実していて、「豆富本舗」の豆が売っていました。これは子供の頃に外祖母がお土産に持ってきてくれた思い出があり、思わず地元の友人の分もお土産にしました。
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御所の中でも山茶花の花がきれいに咲いていました。
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「京都御所」は予約の必要も無く、自由には入れるので最後の見学にしていました。
「清所門」で体温測定と手指消毒と、一応荷物検査があって中に入ることが出来ます。この門は御所の勝手口として使われていたことから「御台所御門」とも呼ばれていました。以前は皇宮警察の詰め所があったと思います。 -
まずは買い込んでしまったお土産や荷物をコインロッカーに預けます。そしてパンフレットと絵葉書を買うのは離宮の見学のお約束です。
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ホームページ上ではガイドツアーはコロナ禍のために中止になっていました。ところがガイドツアー再開のための試行で20名限定のツアーが開催されていました。午後1時30分の回まで15分ほどありましたが申し込んでみました。見学時間はここでも1時間ほどになります。
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ガイドツアーに申し込めてラッキーと思いましたがよく考えたらこれでお昼を食べる時間が無くなりました。
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見学ルートでは最後にここから戻ってくることになります。ここへ来るのも3回目ですが、参観申し込みが不要になってから来るのは初めてです。
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「宜秋門(ぎしゅうもん)」の前の広場で御所についての概略の説明がありました。先ほど表側から見た門の内側に立っていることになります。檜皮葺きの屋根の下には飾り金具があり、垂木(たるき)の下にも飾り金具、さらにその下のに蟇股(かえるまた)に彫刻が見えます。彫刻の題材は道教に由来するもののようですが、詳しくは分かりませんでした。
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京都御所は明治維新まで天皇のお住まいであり、桓武天皇が794年に平安京に都を移されたのが始まりです。現在の京都御所の場所は1331年に光厳天皇がここで即位されて以降1869年に明治天皇が東京に移られるまでの約500年にわたって天皇のお住まいとして使用されました。
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この間に幾度となく火災に遭い、その都度再建が行われましたが、現在の建物の多くは1855年に再建されたものです。京都御所の建物の中で最も格式の高い正殿である紫宸殿は伝統的な儀式を行うために平安時代の建築様式で建てられており、現在の建物では明治と大正と昭和の3代の天皇の即位礼が行われました。
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「御車寄」は公家が使う「宜秋門」の近くにあり、優雅な唐破風を持つ檜皮葺の屋根をいただいています。親王や摂家、堂上や六位の蔵人などが、ここに牛車を止めて近くの「諸大夫の間」へ昇殿する所です。
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解放された門を通って「諸大夫の間」に向かいます。
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「諸大夫の間」は正式に参内した者の控えの間として使われ、内部は3つに分かれ、身分の差で通される部屋が違ったそうです。畳の縁や襖の引手などもそれぞれ違う意匠になっています。
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現在は板戸の内側にガラス戸が嵌められているので、中の襖絵を見るのが難しいです。
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「桜の間」の畳縁は「緋曽代絹縁(ひそだいきぬべり)」で、「鶴の間」と「虎の間」は「絹経小紋縁(きぬたてこもんべり)」になっています。友人の奥さんの実家が御所の儀式畳「有職畳」を造られていて、人形用の「有職畳」をいくつもいただいたことがあります。この技術は素晴らしいと思います。
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「桜図」は安政2年の1855年に原在照(はらざいしょう)の手によるものです。原在中、原在明と続く原派の3代目の人物です。弘化3年時点で原家が円山家と肩を並べる存在になったといわれます。
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「鶴図」は同じ安政2年に狩野永岳(かのうえいがく)が描いています。京狩野家9代を継ぎ、桃山風の画風を基本に円山四条派や文人画、復古大和絵など様々な画風を取り入れ、低迷する京狩野家を再興しました。
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「虎図」は同じ安政2年に岸岱(がんたい)によるものです。岸駒の長子に生まれ、岸派の2代目として継承と発展させた人物です。その画法は岸駒の筆法を受け継ぎ、虎などの動物画を得意としつつも、四条派を意識した温和な作品や伝統的な大和絵の画題や金地濃彩の障壁画など幅広い作風を残しています。
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「京都どしょ」だけは一般の参観があるので、どうしても人が多い雰囲気です。「桂離宮」と「修学院離宮」と「仙洞御所」は12人づつの参観でよかったと思います。
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「新御車寄」は大正4年の1915年の大正天皇の即位礼に際し、天皇と皇后陛下のための自動車用の玄関として建てられた建物です。
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この場所には新嘗祭が行われる「神嘉殿(しんかでん)」がありましたが、明治23年の1890年に橿原神宮の創建に際し、明治天皇から「賢所(かしこどころ)」とともに橿原神宮に下賜されています。
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回廊の上に頭を覗かせているのは「紫宸殿」です。以前に伯母と来たときは参観申請が必要な時代でしたが、この回廊の中を見学する機会がありました。回廊の中や御殿の中も見ることが出来ましたが、高御座と御帳台の近くまで寄った時はすごいなと思いました。
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「月華門」は紫宸殿から伸びる朱塗りの回廊の西側にある瓦葺と丹塗り円柱の唐様の八脚門です。正面に対峙するのは日華門です。
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今回は砂利道を歩いて外からの参観になります。
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「承明門」から「紫宸殿」がその姿を表しました。
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「承明門」は平安京内裏の内郭12門の1つで、外郭門の「建礼門」に相対し、「紫宸殿」の南正面にあたる門です。
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先ほど前を通った「建礼門」の内側です。檜皮葺きの屋根の下には飾り金具があり、垂木(たるき)の下にも飾り金具、さらにその下のに蟇股(かえるまた)に彫刻が見えます。
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即位式などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿で、入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築です。京都御所で南向きに建てられている建物はこの紫宸殿だけです。中国には古来から「天子は南面する」という言葉があります。中国語でいえば“坐北朝南”です。つまり、天子は「北を背にして座り、南面する」わけです。
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「左青龍右白虎」といわれますが「青龍」は「左=東」、「白虎」は「右=西」というわけです。ちなみに、「北を背にする」ですが「北」は本来「背中」という意味でした。「背」という漢字には「北」が含まれています。
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「右近の橘・左近の桜」とは紫宸殿の前庭に植えられている桜と橘のことです。左近と右近は左近衛府で右近衛府の略称です。左近は紫宸殿の東方に、右近は西方に陣を敷きますが、ちょうどその陣頭の辺に植えられているのでこの名があります。
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南東の角から一部分だけ紫宸殿の前に出ることが出来ました。やはり回廊の内側で見ると迫力が違います。
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紫宸殿の内部中央に高御座と呼ばれる天皇即位の際の御座と皇后の御座である御帳台が置かれます。現在の高御座は古制に則り、大正天皇即位式の際に造られた物です。
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3層の継壇からなる組み立て式で、朱塗の高欄を巡らした黒漆塗の浜床の上に八角形の屋形があり、屋根の上には中央に大鳳凰と周りには小鳳凰を戴せ、大小の鏡や玉、瓔珞(ようらく)や帳(とばり)などで装飾されています。
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屋形の中には御椅子(いし)があり、その左右に剣璽(けんじ)と御璽(ぎょじ)と国璽(こくじ)を置く案(あん)があります。今上天皇陛下の即位礼の際に東京の宮殿に運ばれて用いられています。
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御所の東側の「建春門」が見えます。内裏外郭の東正面にあり、内郭の宣陽門と相対した位置にあります。
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御所六門の中では唯一唐破風を付けた唐門ですが、屋根以外の作りは基本的にどれも同じなようです。
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「春興殿」は京都御所で行われた大正天皇の即位礼に合わせて大正4年の1915年に造営されました。
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即位礼の際には皇位とともに継承される三種の神器の1つである「御鏡」を皇居からお移しして奉安して賢所大前の儀が行われました。
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臨時のガイドツアーでは入場用のカード以外にもう1つのカードを首から下げての見学になります。
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御常御殿の巨大な屋根が見えます。天正17年の1589年に豊臣秀吉が紫宸殿の修造工事に着手した際に、天皇が日常を過ごす独立した御殿として新しく造られたにおが御常御殿です。後陽成天皇から明治天皇までの16代にわたる天皇がプライベートな時間を過ごしたここは、男子禁制となっています。成人前の稚児と年老いた何人かの男性を除き女官だけで天皇の世話を行いました。
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プライベート空間の「御池庭」に向かって門の中へ入ります。
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「御池庭」の「欅橋(けやきばし)」が右手に見えます。海を模して玉石を敷き詰めた池ですが、決して「御庭の池」ではありません。池も庭の一部という趣向で「御池庭」という名に恥じない景観を誇ります。
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「欅橋」は元は総欅造りの木橋であったことからこの名の由来があります。現在は欄干のみ欅材ですが橋脚は花崗岩で出来ています。エリザベス女王陛下が1975年来日された際にここを訪問され、その時には欅橋の上から鯉に餌をやったそうです。
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左手には「小御所」に建物があります。寝殿造りと書院造りの両方の様式が混合した建物で、東宮御元服や立太子の儀式などに用いられ、「御元服御殿」とも呼ばれます。平安朝の内裏にはなかった御殿で、天皇が将軍や諸侯と対面される場所としても使われていたそうです。慶応3年の1867年12月9日の”王政復古の大号令”が発せられたその日の夜に小御所会議がここで行われました。 昭和29年の1954年に鴨川の花火の火の粉が飛んできて焼失し、その後復元されますが、鴨川の花火はそれが原因で禁止になります。
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建具に半蔀(はしとみ)を用いて周囲に高欄をめぐらし、階段を設けるなど、外観には寝殿造風の要素がありますが、内部は書院造風になっています。半蔀(はしとみ)は上半分を外側へ吊り上げて開くようにし、下を格子または板張りで固定した蔀(しとみ)のことです。
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「御池庭」の池にも数多くの橋が架かっています。これまでの土橋の多い庭園とは違って石橋が多いように思います。
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ここにも州浜がありますが、「仙洞御所」のような丸石が揃ってはいません。
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同じ京都御苑にある庭園ですが、違いを感じられて面白いです。州浜の先に舟の乗り降りに使うような石が置かれてあるのも面白いです。ここには舟屋がありませんが、舟を浮かべて遊んだのでしょうか。
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この庭園の作庭は江戸時代初期にはじまり、建物の手前側には洲浜を配していることによる王朝庭園の雰囲気と、複数の石橋を架けた江戸時代の大名庭園らしいスケールを併せ持った庭園といえます。
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石橋の姿も様々なのでその違いを見比べるのも楽しいです。どれも木製の橋を模しているが面白いです。
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今回見てきた石橋ではこの「楓橋」が見事でした。
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「御池庭」には松の木が多いので青々としたままで、紅葉を楽しむ庭ではなさそうです。
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小御所と御学問所の間の四角い庭を「蹴鞠(けまり)の庭」、または「鞠懸(まりかがり)」と呼ばれています。蹴鞠に使う鞠は鹿革で作られ、中は空洞になっていて、毛皮を裏返して白く染めているそうです。そんな案内板の文字を読んでいると剣道の小手の内側の皮とか市内の柄を思いだします。
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「御学問所(おがくもんじょ)」は小御所の北に位置する南北棟の建物で、屋根は入母屋造に檜皮葺です。小御所と異なり平安復古調の建物ではなく、建具は舞良戸を用い、内部の主たる室には床や棚を設けるなど、内部外観ともに書院造の意匠となっています。家康による慶長時代の造営時に初めて設けられた建物です。
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新政府の樹立を宣言した「王政復古の大号令」が慶応3年12月9日に天皇出御のうえ御学問所で発せられたと考えると感慨深いものがあります。
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ナンテンの名前の由来は、冬に赤い果実が目立つことから中国では灯火を連想して南天燭といい、また葉が竹に似ることから南天竹と名付けられ、これを音読みして和名がつけられたそうです。
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「御内庭」はその一部だけを見学することが出来ます。こちらは今まで参観してきた「桂離宮」や「修学院離宮」のような風情を感じます。
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御池庭(おいけにわ)はやはり大名庭園を感じさせ、御内庭(ごないてい)は王朝趣味が感じられると思います。その2つが隣り合わせになった姿は日本の権力の縮図のように思えました。
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この石橋と橋添石(または橋挟石)も見事でした。橋添石とは橋の四隅に配置する石のことです。橋石は昔は薄い石が好まれ、時代が下がるにつれて段々厚い石が使われるようになりました。
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橋添石も低い石が橋石に合わせて段々と大きな石が用いられるようになりました。
この厚みも江戸時代の特徴を持っていると思います。 -
小さい「八つ橋」もひっそりと掛けられています。
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もう少し奥まで行ってみたいところですが、見学ルートはここまでになります。
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御常御殿の東御縁座敷の杉戸には伎楽の「陵王納曽利」が画かれています。陵王長恭が美しい容姿であったために味方の兵が見入ってしまい、軍の士気が上がらないので恐ろしい面をつけて戦ったところ勝利を収めたという故事にちなむ曲です。陵王のつけている面は頭上に龍の装飾があり顎は紐で吊り下げるもので、これに赤い装束を着用し右手に桴(ばち)を持っています。この舞は手足を素早く動かして走るように舞う「走舞」の代表的なものです。高校の修学旅行で行った宮島の舞台や東大寺の雨期舞台でも観たことがあり、今年行った熱田神宮では土鈴を買いました。
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御常御殿東側廊下には岡本亮彦(おかもとすけひこ)の描いた「蹴鞠」の杉戸絵があります。岡本亮彦は呉春(ごしゅん)を祖とする四条派の1人です。他には御学問所の菊の間の障壁画「菊」を描いています。
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蹴鞠はシカ革でできた鞠を地面に落とすことなく蹴り続ける伝統的な球戯です。その歴史は古く、古代から主として公家社会で伝えられ、武士や庶民などにも広がりました。
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蹴鞠は勝敗を争うものではなく、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという精神のもと行われるものだそうです。
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杉戸絵の蹴鞠の裏側も同じ岡本亮彦の描いた「曲水(きょくすい)」です。中国では古い時代から上巳に水辺で禊を行う風習があり、それが3月3日に禊とともに盃を水に流して宴を行う「流觴曲水」になったとされます。 永和9年の3月3日に書聖と称された王羲之が蘭亭で「曲水の宴」を催しましたが、その際に詠じられた漢詩集の序文草稿が王羲之の書「蘭亭序」です。紹興まで行って、蘭亭まで行けなかったことがいまだに悔やまれます。
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日本では水の流れのある庭園などでその流れのふちに座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事のことです。曲水や曲宴や流觴(りゅうしょう)などとも称されます。
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ガイドツアーに参加したために思っていたよりも時間がかかりましたが、勉強になってよかったです。これで予定していた4つの離宮や御所の参観が終わりました。
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そして大阪と京都の12日間の日程がすべて終わりました。いろいろ詰め込みすぎた感はありますが充実した旅行でした。
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烏丸通まででてタクシーに乗り、リッチモンド・プレミアムホテルに向かってもらいます。ホテルに預けた荷物をそのままタクシーに積み込んで、京都駅の八条口のリムジンバス乗り場まで送ってもらいました。
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伊丹空港行きのバスは混んでいたので1本後のバスにしましたが、このバスも補助席を使うほど混雑していました。
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旅の最初に50年振りに再会した「太陽の塔」が見送ってくれているようです。
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ようやく伊丹空港に到着しました。途中渋滞していましたが、時間的には余裕の到着です。
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すぐに手続きを済ませて身軽になります。お土産をたくさん買いすぎたのでキャリーバックには「HEAVY」のタグが2つ付きました。
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まずは最後の晩御飯を食べにレストラン街に向かいます。
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いろいろ考えましたが「大阪お好み焼き 清十郎」に入りました。まずはビールを注文して旅の終わりの乾杯をします。あては「とん平焼き」からスタートです。
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前日も京都駅JR伊勢丹のレストランで食べた「鶏セセリの塩焼き」これもねぎがたっぷり入って美味しかったです。
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シンプルに「豚玉のお好み焼き」です。箸を使わずにコテで食べるのも上手になりました。
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最後に九条ネギの「牛筋入りネギ焼き」です。今回の旅では3回食べましたが、大阪の粉物は美味しいです。
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お昼抜きになってしまったので好きなだけ食べてください。食事の後は「551蓬莱」で豚シュウマイと豚まんをお土産に買いました。池袋まで友人が車で迎えに来てくれるのでその友人の分もなのですごい量になりました。ネットで冷凍のものが買えますが、蒸しあがったものの方が良いです。
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伊丹空港を午後6時にでて羽田空港到着は午後7時10分です。機内はほぼ満席でした。かなり早い時期に予約していたので、最後尾の2人並びの席にしました。
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羽田空港からはリムジンバスで池袋のメトロポリタンホテルまで戻りました。12日前にもここからリムジンバスに乗りましたが遠い昔のような気がします。すでに来ていた友人の車で家まで送ってもらい長い旅が終わりました。
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