2021/11/08 - 2021/11/08
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kojikojiさん
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2泊3日で「嵐山吉兆」でのお茶会に参加してくれた友人夫婦も今日で帰ってしまいます。いつも東京であっているのですが、旅先での別れはちょっと寂しいものです。今回は大阪で友人たちと2回もあっていて、次にいつ会えるかも分からないので今回の旅は寂しいことの連続でもありました。京都駅で友人夫婦と待ち合わせしてJR奈良線で黄檗駅まで移動しました。駅から数分の「萬福寺」が目的で、この日のお昼は普茶料理を予約してありました。ここまでずっと重たい料理ばかり続いたので精進料理と思っていました。まずは参拝をしますが、日本でいう禅宗は臨済宗と曹洞宗とこの黄檗宗の三宗に分類されていますが、他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残しているということがあります。本尊の布袋様は中国では弥勒菩薩に当たります。以前中国の杭州の霊隠寺を参拝したときにこの「萬福寺」の事を思い出しました。普茶料理を予約していると参観費が無料になるのも良かったです。時間になって奥にある「黄龍閣」に向かうと食事の準備が出来ていて、奥の個室に案内されました。40年近く前に外祖母と伯母に連れられて伏見桃山にある海宝寺で普茶料理を食べて以来でしたが、萬福寺は「もどき料理」の珍しさはあまりなかったようです。食事の後はタクシーで宇治の平等院まで移動して時間短縮します。本堂の中は別料金での見学ですが、1時間ほど待たなければならないのと、堂内は改修工事中で畳3畳ほどのスペースでの見学らしいので中に入るのはやめました。宇治に来るのは中学2年の時以来で、外祖父が宇治について詳しく書き記した自作の案内書を持たせてくれましたが、全然読めなかったことを思い出しました。縣神社が良いと言われましたが、そこにもまだ行っていませんし今回も立ち寄れそうもありません。美しくきれいになった平等院鳳凰堂も良いですが、昔の古ぼけた姿も良かったと思います。ただ、別棟の立派な博物館が出来ていて、以前は本堂の高いところにしか見ることが出来なかった飛天を明るいライトの下で間近で見る事が出来てよかったです。妻は今まで宇治に来たことが無かったので極楽を見せてあげることが出来てよかったです。しかし極楽浄土と言いながら鳳凰堂の屋根瓦にはたくさんの鬼瓦が乗っていました。JR宇治駅に戻りながら「上林春松本店」で京番茶と綾鷹の煎茶を買い求めたり、「中村藤吉本店」のカフェで休憩したり。JR宇治駅で京都行の電車に乗って稲荷駅で友人夫婦とはお別れです。我々は「伏見稲荷」の参拝と伏見人形の「丹嘉」へ行く目的がありました。店が閉まる前にと思って「丹嘉」へ先に行きましたが、これはという出会いが無くて残念でした。11月8日は伏見稲荷の火焚祭の火で、夕方から御神楽と人長舞が奉納されるのですが、1時間ほど待たなければならず、疲れもあったので参拝だけして帰ることにしました。一度ホテルに戻ろうかとも思いましたが、晩御飯に出かけるのも面倒なので駅から近い「第一旭たかはし本店」に行ってラーメンを食べることにしました。少し並びましたが久しぶりに美味しいラーメンが食べられて良かったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京都4日目の朝です。ゆっくり朝風呂を楽しんでから朝ご飯です。
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3回目の朝ご飯は鴨鍋にしてみました。
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熱々の土鍋は京都の白みそ仕立てです。量がたっぷりなのでお腹いっぱいになります。
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妻はカレーうどんセットです。カレーが飛んでも大丈夫なように紙エプロンが添えられていました。ビュッフェの時の朝食がどんなものか分かりませんが、この6種類のセットメニューは優れていると思います。ただ、7泊するので何かが被ってしまいます。
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駅前の中央郵便局のポストから両親宛に絵葉書を投函します。
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今日も青空に京都タワーがきれいです。もともとはここに京都中央郵便局がありました。設計したのは日本近代を代表する建築家の山田守です。モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的で印象的なデザインの作品を数多く残しています。日本武道館も彼の作品です。
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京都市内で最も高い建造物で、高さは131メートルで、高さ制限の厳しい京都市の中で、特例で認められた数少ない高い建物のうちの1つです。建設当時は暗黙の了解として「東寺の塔よりも高いものは建てない」というルールがあったと聞いたことがあります。京都の高さ制限が31メートルであったので、下の31メートルがビルで上の100メートルがタワーという設計にされたと言われています。
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友人夫婦と合流して、今日は宇治方面へ出かけます。旅行の計画を立てている最中に妻が「あたし、宇治の平等院を見たことがない。」というので極楽浄土へ送り出すことにしました。
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JR黄檗駅で奈良行きの電車を降りて、10分ほど歩いた先の「黄檗山萬福寺」が最初の参観です。ここへ来るのは46年ぶりのことです。中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼の姿を模しています。屋根の上には摩伽羅(まから)という像があります。摩伽羅とはガンジス河の女神の乗り物です。仏教に限らずアジアでは聖域結界となる入り口の門や屋根の装飾に使われています。アンコール遺跡もマカラだらけです。
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日本でいう禅宗は臨済宗と曹洞宗と黄檗宗の三宗に分類されています。その黄檗宗の大本山がここ萬福寺になります。1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されています。境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式をしています。これは龍の背の鱗をモチーフにしています。黄檗山では禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上に立てるのは住持のみです。
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萬福寺の建造物は中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として主要建物23棟と回廊や扁額などが国の重要文化財に指定されています。
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この日は萬福寺で普茶料理のお昼を予約してあります。山門から内部は拝観料が必要ですが、受付でお昼を予約している旨を伝えてくださいとのことでした。
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三間三戸の重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)と山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠が見えます。正面の扁額の「黄檗山」と「萬福寺」は隠元禅師の書です。ここを入れば脱俗の清浄域です。
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普茶料理を予約してあると、拝観料は不要とのことでしたので、まずは萬福寺の玄関の天王に参拝します。こうやって境内を歩いていると確かに中国杭州の禅宗五山の1つである霊隠寺の伽藍を思い出させ、境内にある有名な来峰石窟造像群中の布袋像にもよく似ていると改めて思います。
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寛文3年の1663年の造立で范道生(はん どうせい)作の木造です。日本でいう布袋は中国では弥勒菩薩の化身といわれています。布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で定応大師と号しました。
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布袋(契此)は死の間際に「彌勒真彌勒 分身千百億」(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)、「時時示時分 時人自不識」(時時に時人に示すも時人は自ら識らず)という偈文を遺したため、中国国内で弥勒菩薩の化身なのではないかという伝説が広まり、次第に布袋になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒仏の姿形として描かれるようになります。
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本尊の布袋の背面には「韋駄天」が立っています。増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神です。特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王や布袋尊とともに山門や本堂前によく祀られます。萬福寺でも韋駄天の立つ前には萬福寺の本堂である大雄寶殿が建っています。
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捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時にこれを追って取り戻したという俗伝から、よく走る神や盗難除けの神として知られます。転じて足の速い人の例えにされ「韋駄天走り」などといわれます。韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して「御馳走(ごちそう)」という言葉が生まれました。
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「増長天」
増長天は四天王の一体で南方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂では本尊の向かって左手前に安置するのが原則です。その姿には様々な表現がありますが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されます。右手に刀剣を持ち、戟を左手に持っている姿は三昧耶形(アトリビュート)通りです。 -
「持国天」は四天王の一体で東方を護る守護神として造られる場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則です。ここでは左手に刀剣を持ち、右手には宝珠のようなものを持っています。中国では琵琶を弾いている姿で表されていました。
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「多聞天」は日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例です。左手に宝塔を持つ以外に三昧耶形の規定はないようですが、ここでは三叉戟を右手に持っています。
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「広目天」は四天王の一体で西方を護る守護神として造像されることが多いです。仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則です。右手は三鈷戟を持ち、左手に羂索を持った姿で表されています。中国では蛇や龍を持っていました。
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堂を巡らす回廊も中国の寺院を想像させます。
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我々以外に訪れる人の姿も無いのですが、法堂(はっとう)では幼稚園児が大勢で座禅の体験をしていました。
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この鐘楼の階上には梵鐘があり、この建物の左側には「巡照板」が掛かっています。
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「巡照板」は朝夕にこれを打って、一山の僧の戒めの句を声高く唱えます。午前4時と午後9時に木槌で三打してこの経を唱え、起床と開枕(消燈)を告げるのだそうです。
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謹白大衆(きんぺだーちょん)
生死事大(せうすすーだ)
無常迅速(うーちゃんしんそ)
各宜醒覚(こーぎしんきょ)
慎勿放逸(しんうふぁんい)
謹んで大衆(修行僧)に申し上ぐ。
生死は、事大にして、
無常は迅速なり。
各々、醒覚して、
無為に、時を過ごさぬように。 -
「雲版」は朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。輪郭を雲形につくるところからこの雲版という名がついています。最近どこかで雲板を見たのをこの時は思い出せなかったのですが、松島の瑞巌寺だったと後で気が付きました。
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開梆(かいぱん)は黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。また魚梆、魚鼓とも呼ばれます。叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。木魚の原型ともいわれます。ベトナムのハノイ郊外の香寺(パフュームパゴダ)ではもっとリアルな姿をしていました。
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開梆の真似をしているみたいですが、弥勒菩薩の微笑みにしか見えません。
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開梆形の由来は昼夜目を閉じない魚は不眠不休を表し、「魚のように昼夜の別なく寝る間を惜しんで、日夜修行に励むように」という修行僧への戒めなのだそうです。口にくわえたものは”あぶく”で「煩悩珠」と言い、「貧・嗔・痴」の三毒を表しています。
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大雄寶殿に参拝します。萬福寺の本堂であり、日本で唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物でもあります。本尊は釈迦牟尼佛で、両脇侍は迦葉、阿難の二尊者を配し、両脇に十八羅漢像を安置しています。
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釈迦如来坐像は京大仏師の大前兵部の作で寛文9年の1669年造立です。脇侍の摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が脇侍として安置されています。
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2人は釈迦十大弟子に名を連ね、摩訶迦葉は禅宗では付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とされ、阿難陀は釈迦が死ぬまでの25年間付き人をしたと言われます。須弥壇(しゅみだん)の上の扁額の「真空」は明治天皇の御宸筆です。
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左右の壁面には十八羅漢が安置されています。日本の寺院では十六羅漢が一般的ですが、萬福寺では「慶友尊者(けいゆうそんじゃ)」「賓頭廬尊者(びんずるそんじゃ)」が加わって十八羅漢」となっています。
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この十八羅漢像も弥勒像を造った中国の仏師范道生(はん どうせい)によるものです。第十尊者の半托迦(パンタカ)が瓶から龍を出すという神通力をみせたところです。
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羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)です。釈迦の妻である耶輸陀羅妃が釈迦の出家前に妊娠した子で、釈迦が出家して5年後に生まれたとされます。釈迦十大弟子の1人に数えられ、密行第一と称され十六羅漢の1人でもあります。スリランカのコロンボで「ガンガマーラ寺院」で見た少年の姿が深く印象に残っているのですが、ちょとおこのお姿は。
ガンがマーラ寺院:https://4travel.jp/travelogue/11253907 -
そろそろお昼ご飯の予約時間になったので「黄龍閣」に向かいます。黄龍というと妻と行った九塞溝の旅を思い出してしまいます。
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萬福寺での普茶料理は初めてですが、40年近く前に外祖母と叔母たちに連れられて海宝寺に行ったことを思い出しました。
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「特菜」の梅干の日の出揚げなどの天麩羅に「雲片」は干菜の葛寄せ
「麻腐」は白胡麻豆腐、「筝羹」は飛龍頭に粟麩、椎茸やその他珍野菜煮合せ。
生麩に高野豆腐、黒糖団子に隠元豆の白和えといったお弁当です。妻は小さい瓢箪の漬物が気に入ったようです。 -
ということでお寺の売店で瓢箪の漬物をお買い上げです。
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隠元禅師が日本に伝えた食べ物としては、隠元豆が有名ですが、蓮根や西瓜も伝えています。この寺にも残る孟宗竹(たけのこ)も伝えています。寒天の名付けの親でもあります。満腹で萬福寺を後にして、タクシーで宇治の平等院へ向かいます。
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平等院に来たのも46年ぶりのことです。なので新しくきれいになった平等院を見るのは初めてです。外祖父に宇治に行くと言ったら克明に案内を書いてくれました。宇治橋三の間のことから縣神社に至るまで網羅され、この通りに行動したら1日で帰れないなと思いました。
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昔はこんな橋があったのだろうかと記憶をたどりますが思い出せません。本堂の裏側から入ったような気がするのですが。
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妻を極楽浄土に送ることが出来てよかったです。もう思い残すことも無いでしょう。
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観無量寿経の一節に「若欲至心生西方者、先当観於一丈六像在池水上」(若し至心に西方に生まれんと欲する者は、先ず当(まさ)に一の丈六の像池水の上に在(いま)すを観るべし)とあります。鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園は西方極楽浄土とその教主である阿弥陀如来を観想するために造られたとされます。
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本堂の中は修復工事中で扉が閉まったままなのが残念でした。また、堂内もそのほとんどが工事囲いの中なので、内部の拝観はしませんでした。
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平等院が創建された平安時代後期になると、日本では末法思想が広く信じられていました。釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという思想で、さらに天災や人災が続いたために人々の不安は一層深まり、終末論的思想として捉えられるようになります。
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当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営しています。
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鳳凰堂は天喜元年の1053年に建立された阿弥陀堂であり「鳳凰堂」の呼称は後世のもので、平安時代の記録では固有の名称ではなかったそうです。
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本尊である阿弥陀如来坐像は仏師の定朝の確証ある現存唯一の作品で、定朝は大陸風を脱して和様の仏像様式を生み出した日本仏教彫刻史上重要な仏師といわれます。長い歴史のうちに鳳凰堂の阿弥陀如来坐像以外の作品のことごとくが失われたと考えられています。
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観光客が少なく紅葉もきれいだったので良かったです。また1つ妻の願いが叶いました。
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平等院には樹齢約300年の藤が4株あり、花房は長いもので1メートルほどになり13000もの房が下がるそうです。そんな季節にも来てみたいものです。
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鳳凰堂を半周したところで博物館の見学に移ります。
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「平等院ミュージアム鳳翔館」は初めて入ります。もともと博物館があった記憶がありますが、新たな建物に変わったようです。そのほとんどは地下に埋設されているようです。
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雲中供養菩薩は1053年に造られています。京都の仏像や寺院の多くは、平安時代末期の源平合戦と室町時代の応仁の乱で焼失しています。そのため源平合戦前に造られて今もなお残っている雲中供養菩薩はとても貴重な仏像です。
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阿弥陀如来は人々を救う時、人々の前に姿を現すと言われています。52体の仏像は阿弥陀如来と共に人間界にやってきた様子を表現しているとも言われています。
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中学生の頃に来たときは阿弥陀如来像の後方の3面の壁の高い位置に配され、かなり傷んだ状態だったのでその良さをあまり感じませんでした。ただ、印象は強く残っていて、今回はじっくり拝見しようと思っていました。
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この30年の間に中国雲南省の奥地の古楽を聴きに行ったり、ベトナムの古楽も聴いたし、東南アジアからトルコまでも足を延ばしました。いろいろな音色を聞いてきたので、手にした楽器の音色も何となく想像できる気がします。
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それが合わさってどんなアンサンブルになるかは鳳凰堂の中でしか聴こえてこない気がしました。
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子供の頃に奈良の当麻寺の二十五菩薩練り供養に連れて行ってもらい、妻との旅で行った久米寺の練り供養の情景が浮かんできました。これなどは華幢(けどう)を持った大自在王菩薩のお姿のようです。
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瑟(ひつ)を奏でる金蔵菩薩のようです。
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初めてここへ来た14歳から還暦を迎えて少しは成長したのだろうかと自問自答してみます。
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ミュージアムの中には修復で取り換えられる前の鳳凰の姿もありました。その大きさに驚きましたが、屋根に乗ってる姿では実感できません。
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極楽浄土を表した鳳凰堂ですが、屋根の上にたくさんの鬼瓦を見ると極楽もいろいろ大変なんだろうなと考えてしまいます。一対の鳳凰なので雄雌があるのかと思いましたが、同じ型で鋳造されているので無いそうです。
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鳳凰堂の参拝の後はJR宇治駅に向かいながら散歩します。宇治川のそばにヤドリギを見つけて妻がびっくりです。日本でヤドリギを見るのは初めてかもしれません。毎年のようにヨーロッパのクリスマスマーケットを見に行っていましたが、母の病気からコロナ禍になってこの2年は行くことが出来ていませんし、この先いつ行けるのか見当もつきません。
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まずはどこかで宇治茶と京番茶を買わなければなりません。
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どうせなら有名なところでと「上林春松本店」にしました。どこで買っても京番茶はそんなに変わりはないのと安いですからね。ただここには綾鷹の煎茶が売っているので一緒に購入しました。
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駅に行く前に友人夫婦のおすすめの「中村藤吉本店」でお茶にしました。友人を誘って宇治にしておきながら全く何も調べていませんでした。
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間に廊下はありますが4間ぶち抜きの座敷です。この建物は明治期の茶商屋敷の代表的な造りだそうです。
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ほとんど待つこともなく入ったカフェですが中は満席でした。サービスのお茶をいただきながらメニューを開きます。見たことも無いようなデザートが並んでいます。
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まるとパフェ「抹茶」
上の抹茶は「鮮雲の白」で、下には特製クリーム、抹茶アイスクリーム、玄米パフ、白玉にベリーにレモンジャム、生茶ゼリーに大納言小豆と抹茶送付クリームがぎっしり詰まっています。 -
本店限定のまるとパフェ「玉露」
玉露クリームの上に玉露粉でまると、抹茶シフォンにミルクアイス、白玉にリンゴの甘露特性玉露餡、抹茶クランブルに生茶ゼリーにソフトクリーム。お好みでスダチをかけます。 -
最中の皮に抹茶のソフトクリームなどパフェに入っているものとほぼ同じものです。
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抹茶ミルク白玉ぜんざいのスグキの漬物は貴重な塩味でした。
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元々は製茶工場だった建物でしょうか。現在はリノベーションされてセンスの良いカフェになっています。
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庭には茶の木が植えられてあり、ちょうど白い花が咲いていました。以前旅した杭州の龍井(ろんじん)村で初めてお茶の花を見つけ、「すごいよ!お茶の花を初めて見たよ。」と妻に叫んだら白い目で見られました。
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妻の実家は北側の玄関を開けると富士山が見え、居間のある南側からは一面のお茶畑と遠くに駿河湾が見えます。親戚数件が茶畑やお茶屋さんを営んでいます。
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JR宇治駅から京都駅の電車に乗り、友人夫婦とは稲荷駅でお別れです。我々は伏見稲荷に寄ることにしていました。
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と言いながら「伏見稲荷」の前を通過して北に進みます。
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昔ながらのお菓子屋さんを越えて昔の伏見街道を進みます。
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目的はこの「丹嘉」でした。丹嘉(たんか)は伝統の土人形「伏見人形」の製造販売元で、創業は1750年頃です。往時は60店舗あったが現在はここでしか人形は作っていません。建物は虫籠窓のある伝統的な京の商家です。
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伏見人形の由来はたいへん古く、古墳時代に大和朝廷から土師職を命じられた伏見深草に在住の渡来人の土師氏が作った土人形が始まりだと伝えられています。
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ショーケースには来年の干支の虎が並んでいます。
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店内のショーケースにもたくさんの人形が並んでいますが、非売品と書かれていました。古い作品が保管されているようです。
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伏見人形は型に粘土を詰めて、固まったところで抜き出します。それを天日干しして乾燥させた後、窯に入れて10時間焼くそうです。
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最後に彩色して伏見人形が出来上がります。「丹嘉」には2,000種類の型が保存されているそうです。
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妻の様子を見ていましたが欲しいものはなさそうなのでお店を後にしました。これを見誤ると、後になって「やっぱり買えばよかった。」とか後悔しだします。
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せっかくここまで来ましたが、来ると来ないでは気持ちが違うのでよかったです。ここへ来るのも46年振りで、中学生だった頃はお店の中に入れなかった記憶が残っています。
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神幸道から本殿に向かいます。もう午後4時を回ってるので参拝する人の姿もほとんどありません。ただこの日11月8日は火焚祭の日でした。お火焚は終わっていますが、神楽舞を見に来たわけです。
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火焚祭は今年1年間の収穫に感謝する行事で、伏見稲荷大社のものは全国一のスケールだそうです。本殿の儀の後にお火焚きの儀が行われ、本殿裏手の斎場に3基の火床を設け、神田でとれた稲のわらを燃やし、恵みをもたらしてくれた神を山に送ります。
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火焚祭の後の午後6時から、朝廷からの奉納が慣例になっていた「御神楽」が大前に奉奏されます。この御神楽は古の鎮魂祭にもとづく神事で、一時中絶されていましたが、孝明天皇の文久三年に禁裏御所の特別の思召しで再興され、現在では大社の職員によって奉仕されるとのことです。
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境内では準備が始められていましたが、まだ時間があるので千本鳥居に向かいました。
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日が暮れて薄暗くなり相手の顔の見分けがつきにくく「あなたは誰ですか?」と問いかける時間帯ということで「たそがれ(誰ぞ彼)」になったのだと言われています。
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本人曰く狐の真似のようです。狐は伏見稲荷大社の祭神「稲荷大神様」のお使い(眷族)とされています。ただし野山に居る狐ではなく、全身が白い霊獣である白狐(びゃっこ)のことです。
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千本鳥居に到着しました。妻とは以前の旅で稲荷山の方まで登っています。
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写真を撮ったら妻が巨大になってしまったように見えます。
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この先に行ったら現世に帰ってこれなさそうなので戻ることにします。
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狐の中には玉と鍵をくわえている狐がして2匹で対になっています。これは「玉鍵信仰」からきていて、玉とは稲荷大神の「霊徳」の象徴し、鍵はその御霊を身につけたいという「願望」です。
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日も落ちて寒くなってきたので御神楽は諦めて帰ることにしました。さすがに旅も8日目になり、残り4日もスケジュールが詰まっています。
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京都駅に着くと辺りは真っ暗で京都タワーが夜空に浮かび上がっていました。
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よく見るとタワーの構造パネルのつなぎ目が分かりました。あんまり望遠で寄らない方が良さそうです。
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ガラス張りの京都駅にもきれいに映り込んでいました。一度ホテルに帰ってJR伊勢丹のレストランで食事しようかとも思いましたが、このまま近くのラーメン屋に行くことにしました。
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毎日贅沢な食事ばかりだったので、「第一旭たかばし本店」まで歩きました。この前の通りを何度も通ったことがありますが入るのは初めてです。着いたときは10人ほど並んでいましたが、15分くらいで店に入れました。
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まずはビールとギョーザです。表で並んでいるうちに注文したので、席に座ったらすぐに出てきました。
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そしてラーメンとチャーシューメンが揃いました。久しぶりに食べる外食のラーメンは美味しかったです。釧路で名物のラーメンを食べて以来です。
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普通のラーメンとチャーシューメンの違いが分からないくらいチャーシューが乗っていますが、チャーシューメンの方は2段になっていたのですごい量だと思います。
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後で知りましたが隣にある「新福菜館本店」は1932年に屋台から始まった店で、こちらも有名店でした。確かに第一旭でラーメンを食べた後に隣に入っていく人がいたと妻が言っていました。
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残念ながらここで満腹になったのでホテルに戻ることにします。長年気になっていたお店に入れたので良かったです。
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塩麹通りではなく裏道を歩いたら「猿寺」の前に出ました。外祖母の生まれた家は裕福だったようで、小さいころには屋敷の前に白い馬車が迎えに来て、西本願寺の友達の所へ遊びに行ったと聞いたことがあります。
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そんな屋敷が猿寺の近くにあったと聞いたこともあります。曾祖父が相場に失敗して家屋敷を手放すことになったそうですが、そんな話をしながら祖母は「あんたは,あてのお父さんによう似ている。」と言いましたが喜んでよいのか悪いのか。今のところは投資には失敗していません。
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ようやく京都駅まで戻ってきました。ホテルまではもうすぐです。
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大阪での友人との会食も終わり、京都へ来た友人夫婦も2泊3日の滞在を終えて帰ってしまいました。残り4日間ラストスパートです。
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嵐山・嵯峨野・太秦・桂
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2021/11/07~
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2021/11/08~
宇治
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2021/11/09~
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(22)錦秋の桂離宮の思い出に...
2021/11/10~
嵐山・嵯峨野・太秦・桂
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(23)大山崎山荘美術館から清...
2021/11/10~
東山・祇園・北白川
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(24)赤山禅院から曼殊院門跡...
2021/11/11~
下鴨・宝ヶ池・平安神宮
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(25)祖父母と訪ねた修学院離...
2021/11/11~
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(26)旅の最終日は京都御苑の...
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(27)仙洞御所から京都御所の...
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