心斎橋・淀屋橋旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「大阪市立東洋陶磁美術館」の存在を知ったのは20年ほど前の事で、それ以来いつか見に行きたいと思っていました。さらにBS朝日の番組で東洋陶磁を2回に分けて韓国編と中国編で紹介した番組は録画して何度も見直しています。今回の旅で大阪に行くことにした目的の1つがこの美術館に行くことでもありました。午前9時過ぎに梅田から淀屋橋についていながら中之島の建築巡りをしたので、ここへ着いたのは11時半になっていました。そこからみっちり2時間かけて1つ1つの陶器や磁器を見て回りました。妻は途中で休憩しながらでしたが、長年の想いと似たような作品をどこの美術館で見たとか思い出しながらなので時間のたつのも忘れてガラスケースから離れることが出来ませんでした。特に中国の古陶磁の展示室では台湾の故宮博物院で似た作品を見たとか、上海博物館や陜西省歴史博物館へ行った旅の事も思い出してしまいます。

大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(4)20年思い続けた大阪市立東洋陶磁美術館に沈没する。

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2021/11/02 - 2021/11/02

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旅行記グループ 2021大阪京都の旅

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kojikoji

kojikojiさん

「大阪市立東洋陶磁美術館」の存在を知ったのは20年ほど前の事で、それ以来いつか見に行きたいと思っていました。さらにBS朝日の番組で東洋陶磁を2回に分けて韓国編と中国編で紹介した番組は録画して何度も見直しています。今回の旅で大阪に行くことにした目的の1つがこの美術館に行くことでもありました。午前9時過ぎに梅田から淀屋橋についていながら中之島の建築巡りをしたので、ここへ着いたのは11時半になっていました。そこからみっちり2時間かけて1つ1つの陶器や磁器を見て回りました。妻は途中で休憩しながらでしたが、長年の想いと似たような作品をどこの美術館で見たとか思い出しながらなので時間のたつのも忘れてガラスケースから離れることが出来ませんでした。特に中国の古陶磁の展示室では台湾の故宮博物院で似た作品を見たとか、上海博物館や陜西省歴史博物館へ行った旅の事も思い出してしまいます。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • だいぶ妻を待たせてしまいましたが、一緒に中国陶磁器の展示室の見学を始めます。この日は平日ということもあって美術館はとても空いていました。2時間ほどの見学でしたが、周囲の方を気にせずに写真撮影が出来ました。

    だいぶ妻を待たせてしまいましたが、一緒に中国陶磁器の展示室の見学を始めます。この日は平日ということもあって美術館はとても空いていました。2時間ほどの見学でしたが、周囲の方を気にせずに写真撮影が出来ました。

  • 「緑釉 楼閣」<br />中国の博物館ではこれくらいの大きさのものは見かけますが、日本でこれほどのものを見ることが出来るとは思いませんでした。古代中国では来世でも現世と変わらぬ暮らしを願い、権力者たちは模型や俑などの明器を墓に副葬しました。4階建ての楼閣は一種の物見やぐらで、当時の最先端の高層建築です。楼閣上には弩弓を持つ人物や楽人や農奴のような人物が見られます。

    「緑釉 楼閣」
    中国の博物館ではこれくらいの大きさのものは見かけますが、日本でこれほどのものを見ることが出来るとは思いませんでした。古代中国では来世でも現世と変わらぬ暮らしを願い、権力者たちは模型や俑などの明器を墓に副葬しました。4階建ての楼閣は一種の物見やぐらで、当時の最先端の高層建築です。楼閣上には弩弓を持つ人物や楽人や農奴のような人物が見られます。

  • 「加彩 婦女俑」<br />唐の開元年間から天宝年間の頃になると墓の壁画や副葬品である俑などに表された女性像はそれまでの細身のスタイルからふっくらした豊満なスタイルへと変化します。左手には本来小鳥がとまっていたらしく、そのさえずりに耳を傾けるように首をややかしげたしぐさが何とも可愛らしいです。

    「加彩 婦女俑」
    唐の開元年間から天宝年間の頃になると墓の壁画や副葬品である俑などに表された女性像はそれまでの細身のスタイルからふっくらした豊満なスタイルへと変化します。左手には本来小鳥がとまっていたらしく、そのさえずりに耳を傾けるように首をややかしげたしぐさが何とも可愛らしいです。

  • この俑は回転台に乗せられているので後ろからの姿も見ることが出来ます。西安の「陜西省歴史博物館」にも人物俑はたくさん展示されていましたが、これほどのものはなかったと思います。実に日本人の美意識にかなった表情をしていると思います。

    この俑は回転台に乗せられているので後ろからの姿も見ることが出来ます。西安の「陜西省歴史博物館」にも人物俑はたくさん展示されていましたが、これほどのものはなかったと思います。実に日本人の美意識にかなった表情をしていると思います。

  • 「青磁 神亭壺」<br />三国から西晋時代にかけて江南の浙江省や江蘇省を中心とした地域の墓に副葬された明器で「神亭壺」あるいは「穀倉罐」などと呼ばれています。壺の上部には楼閣や様々な人物や動物などが見られます。沖縄の厨子甕(ジーシガーミ)に似ているように思います。

    「青磁 神亭壺」
    三国から西晋時代にかけて江南の浙江省や江蘇省を中心とした地域の墓に副葬された明器で「神亭壺」あるいは「穀倉罐」などと呼ばれています。壺の上部には楼閣や様々な人物や動物などが見られます。沖縄の厨子甕(ジーシガーミ)に似ているように思います。

  • 楼閣の門闕の前には亀の背に先端が三角形にとがった碑が置かれており、碑には「会稽出始寧用此喪葬宜子孫作吏高遷衆無極」と刻まれています。これにより、この壺が現在の浙江省上虞一帯で生産され、被葬者の子孫繁栄を祈願するものであったことなどが分かります。碑を背負ったのは竜生九子の贔屓かもしれないと思いました。「贔屓の引き倒し」の語源になった重いものを背負うのが好きな中国の想像上の動物です。

    楼閣の門闕の前には亀の背に先端が三角形にとがった碑が置かれており、碑には「会稽出始寧用此喪葬宜子孫作吏高遷衆無極」と刻まれています。これにより、この壺が現在の浙江省上虞一帯で生産され、被葬者の子孫繁栄を祈願するものであったことなどが分かります。碑を背負ったのは竜生九子の贔屓かもしれないと思いました。「贔屓の引き倒し」の語源になった重いものを背負うのが好きな中国の想像上の動物です。

  • 「青磁 天鶏壺」<br />天鶏壺は「鶏首壺」とも呼ばれ、龍形の把手に鶏の頭を象った注口をもつ耳付の盤口壺です。注口が単なる飾りのものも多いため副葬用の明器と考えられ、実際に墓からの出土例が多いそうです。肩の部分に着いた方形の突起のシャープな形に目が留まります。

    「青磁 天鶏壺」
    天鶏壺は「鶏首壺」とも呼ばれ、龍形の把手に鶏の頭を象った注口をもつ耳付の盤口壺です。注口が単なる飾りのものも多いため副葬用の明器と考えられ、実際に墓からの出土例が多いそうです。肩の部分に着いた方形の突起のシャープな形に目が留まります。

  • 「加彩 宮女俑」<br />同じような俑を「陜西省歴史博物館」でいくつか見たことを思い出しました。<br />俑は死者とともに墓に埋葬される副葬用の人物像で、この俑に見られる極端なまでに細腰痩身の姿態は、初唐の理想的な女性像を反映したものといえます。朱と青と緑と黒の彩色に金彩や箔押しを加えた華麗な衣裳や装身具に加え、眉目秀麗で気品ある宮中の高貴な女性を思わせます。

    「加彩 宮女俑」
    同じような俑を「陜西省歴史博物館」でいくつか見たことを思い出しました。
    俑は死者とともに墓に埋葬される副葬用の人物像で、この俑に見られる極端なまでに細腰痩身の姿態は、初唐の理想的な女性像を反映したものといえます。朱と青と緑と黒の彩色に金彩や箔押しを加えた華麗な衣裳や装身具に加え、眉目秀麗で気品ある宮中の高貴な女性を思わせます。

  • 頭上に高く結い上げた髪髻「半翻髻(はんほんけい)」も当時流行したものです。三彩の作品ですが、上野の国立博物館の東洋館に同じ髪型の作品が収蔵されています。<br />西安の博物館でもスターウォーズに出てくるような衣装だなと思いました。<br />陜西省歴史博物館:https://4travel.jp/travelogue/10442808

    頭上に高く結い上げた髪髻「半翻髻(はんほんけい)」も当時流行したものです。三彩の作品ですが、上野の国立博物館の東洋館に同じ髪型の作品が収蔵されています。
    西安の博物館でもスターウォーズに出てくるような衣装だなと思いました。
    陜西省歴史博物館:https://4travel.jp/travelogue/10442808

  • 「三彩貼花 宝相華文 壺」<br />唐三彩は7世紀から8世紀頃にかけて副葬用明器として河南省の鞏義窯を中心とした華北各地で造られています。多色釉の装飾効果による華やかな作風の唐三彩は当時一世を風靡しました。そうした唐三彩の中の代表作の1つで、胴部3箇所には型抜きされた円盤状の宝相華文が貼り付けられています。

    「三彩貼花 宝相華文 壺」
    唐三彩は7世紀から8世紀頃にかけて副葬用明器として河南省の鞏義窯を中心とした華北各地で造られています。多色釉の装飾効果による華やかな作風の唐三彩は当時一世を風靡しました。そうした唐三彩の中の代表作の1つで、胴部3箇所には型抜きされた円盤状の宝相華文が貼り付けられています。

  • 「三彩貼花 宝相華文 水注」<br />この水注の形はギリシャの注酒器である「オイノコエ」に起源があるそうです。唐時代にはシルクロードを通して西方からの文物が大量にもたらされました。全面に褐釉が施され、胴部以下には緑釉が二重がけされ、さらに一部に藍彩が加えられています。

    「三彩貼花 宝相華文 水注」
    この水注の形はギリシャの注酒器である「オイノコエ」に起源があるそうです。唐時代にはシルクロードを通して西方からの文物が大量にもたらされました。全面に褐釉が施され、胴部以下には緑釉が二重がけされ、さらに一部に藍彩が加えられています。

  • 「三彩 獅子」<br />珍しく妻がこの作品の前で待っていてくれました。よほど気に入ったようです。<br />左足を咬む姿の獅子が岩座の上に座しています。似たような副葬品が陝西省の西安で一対で出土していることから本来は一対であったのかもしれません。

    「三彩 獅子」
    珍しく妻がこの作品の前で待っていてくれました。よほど気に入ったようです。
    左足を咬む姿の獅子が岩座の上に座しています。似たような副葬品が陝西省の西安で一対で出土していることから本来は一対であったのかもしれません。

  • 唐三彩は墓の副葬品のみならず、仏教寺院でも用いられたことがあったようです。獅子の仕草をとらえた造形力が素晴らしいです。三彩に見られる白抜きの白斑装飾が多用されているのも特徴のようです。

    唐三彩は墓の副葬品のみならず、仏教寺院でも用いられたことがあったようです。獅子の仕草をとらえた造形力が素晴らしいです。三彩に見られる白抜きの白斑装飾が多用されているのも特徴のようです。

  • 「白磁刻花 牡丹文 瓶」<br />定窯は宋代五大名窯の1つに数えられ、窯の址は河北省曲陽県にあります。唐の終わりから白磁を生産し、唐宋代には宮廷用器も生産していました。この瓶は胴下部の彫りの深い蓮弁文などの特徴から北宋初期のものと考えられます。口は欠失していますが、薄造りのため大きさの割に軽く感じます。薄い器壁の全面に牡丹唐草文を刻花で表して、北宋時代の定窯の技術の高さをうかがわせます。

    「白磁刻花 牡丹文 瓶」
    定窯は宋代五大名窯の1つに数えられ、窯の址は河北省曲陽県にあります。唐の終わりから白磁を生産し、唐宋代には宮廷用器も生産していました。この瓶は胴下部の彫りの深い蓮弁文などの特徴から北宋初期のものと考えられます。口は欠失していますが、薄造りのため大きさの割に軽く感じます。薄い器壁の全面に牡丹唐草文を刻花で表して、北宋時代の定窯の技術の高さをうかがわせます。

  • 「白磁刻花 蓮花文 洗」<br />大型で底部が深く広い器形は「洗」と呼ばれます。片切彫りや櫛掻きによって器の内外に繊細流麗に表現された蓮花文が、定窯特有の牙白色〔アイボリー・ホワイト〕の肌にほのかに浮かび上がっています。器体は極めて薄く、光が透けて見えるほどだそうです。薄い器体をゆがみなく焼成するために覆焼〔伏焼〕され、窯での溶着を防ぐために口縁部には釉薬をかけていないため、美観と保護のため銀製の覆輪がつけられています。黒ずんだ銀の鈍い輝きが美しいです。

    「白磁刻花 蓮花文 洗」
    大型で底部が深く広い器形は「洗」と呼ばれます。片切彫りや櫛掻きによって器の内外に繊細流麗に表現された蓮花文が、定窯特有の牙白色〔アイボリー・ホワイト〕の肌にほのかに浮かび上がっています。器体は極めて薄く、光が透けて見えるほどだそうです。薄い器体をゆがみなく焼成するために覆焼〔伏焼〕され、窯での溶着を防ぐために口縁部には釉薬をかけていないため、美観と保護のため銀製の覆輪がつけられています。黒ずんだ銀の鈍い輝きが美しいです。

  • 「白磁銹花 牡丹唐草文 瓶」<br />口の小さないわゆる「梅瓶」の下半分を断ち切ったようなこうした瓶は、俗に「太白尊」あるいは「吐魯瓶」と呼ばれています。白磁の胎土に鉄泥を掛け、文様の背景部分を掻き落として、鉄泥による褐色の牡丹唐草文が白磁の中に浮かび上がって見えます。

    「白磁銹花 牡丹唐草文 瓶」
    口の小さないわゆる「梅瓶」の下半分を断ち切ったようなこうした瓶は、俗に「太白尊」あるいは「吐魯瓶」と呼ばれています。白磁の胎土に鉄泥を掛け、文様の背景部分を掻き落として、鉄泥による褐色の牡丹唐草文が白磁の中に浮かび上がって見えます。

  • 「青磁刻花 牡丹唐草文 瓶」<br />陝西省銅川市にある耀州窯ではオリーブグリーンの釉色の優れた青磁が盛んに生産されました。全面にシャープで流麗な片切彫りによる文様が見られるのがこの時期の特徴の1つです。瓶の肩から胴にかけて大きく牡丹唐草文が表され、特徴のある二重の蓮弁文が上下に巡っています。深く鋭い彫り文様の部分には青磁釉が厚くたまり、美しい陰影を与えています。北宋時代の耀州窯青磁を代表する世界的に知られた名品だそうです。 

    「青磁刻花 牡丹唐草文 瓶」
    陝西省銅川市にある耀州窯ではオリーブグリーンの釉色の優れた青磁が盛んに生産されました。全面にシャープで流麗な片切彫りによる文様が見られるのがこの時期の特徴の1つです。瓶の肩から胴にかけて大きく牡丹唐草文が表され、特徴のある二重の蓮弁文が上下に巡っています。深く鋭い彫り文様の部分には青磁釉が厚くたまり、美しい陰影を与えています。北宋時代の耀州窯青磁を代表する世界的に知られた名品だそうです。 

  • 「木葉天目 茶碗」<br />江西省の吉州窯の天目茶碗は胎土が白くて土が緻密であるため、薄づくりで高台の小さいことが特徴です。見込みに本物の木の葉が焼き付けられていることから「木葉天目」と呼ばれています。木葉の葉脈まではっきりと見ることができ、木葉天目中の最高傑作として名高いものです。ここでは桑の葉が用いられていますが、桑の葉は禅に通じるという思想があったといわれています。

    「木葉天目 茶碗」
    江西省の吉州窯の天目茶碗は胎土が白くて土が緻密であるため、薄づくりで高台の小さいことが特徴です。見込みに本物の木の葉が焼き付けられていることから「木葉天目」と呼ばれています。木葉の葉脈まではっきりと見ることができ、木葉天目中の最高傑作として名高いものです。ここでは桑の葉が用いられていますが、桑の葉は禅に通じるという思想があったといわれています。

  • 写真でしか見たことのなかった木の葉天目茶碗を見ることが出来て感激です。木葉の向かい側には梅花文などの貼金装飾の痕跡がかすかに確認できます。加賀前田家に伝来したもので、金製の覆輪が回されてさらに美しさを感じます。

    写真でしか見たことのなかった木の葉天目茶碗を見ることが出来て感激です。木葉の向かい側には梅花文などの貼金装飾の痕跡がかすかに確認できます。加賀前田家に伝来したもので、金製の覆輪が回されてさらに美しさを感じます。

  • 「白釉劃花 牡丹文 面盆」<br />灰色の胎土に白化粧をし線彫りによる劃花で牡丹文を表して透明釉をかけ焼成したものです。白化粧は白磁に似た効果を得るための技法で、宋時代に華北一帯の窯で行われていました。白無地のものだけでなく、褐色の胎土との対比によって文様がはっきりと表される櫛掻や掻落しの技法が盛んに用いられ、顔や手を洗うための容器と思われます。

    「白釉劃花 牡丹文 面盆」
    灰色の胎土に白化粧をし線彫りによる劃花で牡丹文を表して透明釉をかけ焼成したものです。白化粧は白磁に似た効果を得るための技法で、宋時代に華北一帯の窯で行われていました。白無地のものだけでなく、褐色の胎土との対比によって文様がはっきりと表される櫛掻や掻落しの技法が盛んに用いられ、顔や手を洗うための容器と思われます。

  • 「黒釉刻花 牡丹文 梅瓶」<br />全面に黒釉をかけ手早く周囲を削り落して文様を表した掻落しという技法です。これは北宋時代の磁州窯で流行した技法で、黒と白のコントラストの美しいです。さらに削り落した地の部分にさらに白泥が塗り込められた珍しい作例です。黒釉で表された大ぶりの牡丹文は「富貴」の象徴で、北宋時代の陶磁器にしばしば用いられたモチーフです。

    「黒釉刻花 牡丹文 梅瓶」
    全面に黒釉をかけ手早く周囲を削り落して文様を表した掻落しという技法です。これは北宋時代の磁州窯で流行した技法で、黒と白のコントラストの美しいです。さらに削り落した地の部分にさらに白泥が塗り込められた珍しい作例です。黒釉で表された大ぶりの牡丹文は「富貴」の象徴で、北宋時代の陶磁器にしばしば用いられたモチーフです。

  • 「緑釉黒花 牡丹文 瓶」<br />白化粧を塗った上に黒釉を掛け、張り出した胴部では牡丹の背景となる部分を掻落しています。透明釉をかけて焼いた後、さらに緑釉を施して低火度でもう一度焼いている磁州窯でも手の込んだ作例で、世界的な名品の1つとして知られています。

    「緑釉黒花 牡丹文 瓶」
    白化粧を塗った上に黒釉を掛け、張り出した胴部では牡丹の背景となる部分を掻落しています。透明釉をかけて焼いた後、さらに緑釉を施して低火度でもう一度焼いている磁州窯でも手の込んだ作例で、世界的な名品の1つとして知られています。

  • 「月白釉 碗」<br />写真では大きさが分かりにくいですが、口縁部が外反する大振りの鉢です。全面に「月白釉」と呼ばれる鈞窯特有の失透性の淡青色の釉がかけられています。鈞窯は後世になって宋代名窯の1つに挙げられています。

    「月白釉 碗」
    写真では大きさが分かりにくいですが、口縁部が外反する大振りの鉢です。全面に「月白釉」と呼ばれる鈞窯特有の失透性の淡青色の釉がかけられています。鈞窯は後世になって宋代名窯の1つに挙げられています。

  • 「紫紅釉 盆」<br />鈞窯特有の失透性の青色釉の上に酸化銅を加え、還元焼成により外面は鮮やかな紅色を呈しています。高台内には目跡とともに数字の「二」の刻銘番号が彫られています。高台内に番号のある鈞窯の盆や植木鉢はその丁寧な作行から「官鈞」とも呼ばれて宮廷用器とされています。数字は「一」から「十」まであり、番号順に器のサイズが逆に小さくなります。

    「紫紅釉 盆」
    鈞窯特有の失透性の青色釉の上に酸化銅を加え、還元焼成により外面は鮮やかな紅色を呈しています。高台内には目跡とともに数字の「二」の刻銘番号が彫られています。高台内に番号のある鈞窯の盆や植木鉢はその丁寧な作行から「官鈞」とも呼ばれて宮廷用器とされています。数字は「一」から「十」まであり、番号順に器のサイズが逆に小さくなります。

  • 「青磁 管耳瓶」<br />哥窯は明時代の文献に宋代五大名窯の1つに挙げられています。浙江省龍泉流田の名工、章生一、章生二兄弟の兄が経営した窯で焼かれたとの説があります。官窯のような「紫口鉄足」とよばれる口縁部や高台の特徴、「金絲鉄線」ともいわれる大小無数の貫入がその特徴とされています。

    「青磁 管耳瓶」
    哥窯は明時代の文献に宋代五大名窯の1つに挙げられています。浙江省龍泉流田の名工、章生一、章生二兄弟の兄が経営した窯で焼かれたとの説があります。官窯のような「紫口鉄足」とよばれる口縁部や高台の特徴、「金絲鉄線」ともいわれる大小無数の貫入がその特徴とされています。

  • 「青磁 水仙盆」<br />これを見た瞬間に台北の国立故宮博物院を思い出しました。汝窯は北宋末に宮廷用の青磁を焼いた窯であり、その伝世品は世界で90点余りです。楕円形の盆に四足が付くこのタイプは「水仙盆」と呼ばれています。伝世品では他に台北の国立故宮博物院の4点がとくに有名です。口縁には銅覆輪がはめられていますが、これは口縁部がわずかに欠けたたために全体を少し削っていることにもよります。

    「青磁 水仙盆」
    これを見た瞬間に台北の国立故宮博物院を思い出しました。汝窯は北宋末に宮廷用の青磁を焼いた窯であり、その伝世品は世界で90点余りです。楕円形の盆に四足が付くこのタイプは「水仙盆」と呼ばれています。伝世品では他に台北の国立故宮博物院の4点がとくに有名です。口縁には銅覆輪がはめられていますが、これは口縁部がわずかに欠けたたために全体を少し削っていることにもよります。

  • 「青磁 鳳凰耳花生」<br />鳳凰をかたどった耳がつく青磁の瓶で、日本では俗に「鳳凰耳花生」と呼ばれています。青磁釉が何層にも厚く掛けられ「粉青色」を呈したこの手のものは、また槌の形をしているので「砧青磁」とも呼ばれています。鎌倉から室町時代以降に龍泉窯青磁は日本に盛んにもたらされ、伝世している例も数多いです。この作品も丹波篠山藩主青山家に伝えられたものといわれています。同じような瓶が上野の国立博物館に収蔵されています。

    「青磁 鳳凰耳花生」
    鳳凰をかたどった耳がつく青磁の瓶で、日本では俗に「鳳凰耳花生」と呼ばれています。青磁釉が何層にも厚く掛けられ「粉青色」を呈したこの手のものは、また槌の形をしているので「砧青磁」とも呼ばれています。鎌倉から室町時代以降に龍泉窯青磁は日本に盛んにもたらされ、伝世している例も数多いです。この作品も丹波篠山藩主青山家に伝えられたものといわれています。同じような瓶が上野の国立博物館に収蔵されています。

  • 「青磁 八角瓶」<br />下蕪形の瓶の口縁を鍔状に作り、全体を八面に面取しています。頸部と肩に見られる突線は、古銅器の弦文を写したものと考えられます。白濁気味の淡青緑色の粉青釉が全面に厚くかかっています。胎土は灰黒色で高台畳付は露胎となり、南宋官窯の特徴の1つである、いわゆる「鉄足」となっています。

    「青磁 八角瓶」
    下蕪形の瓶の口縁を鍔状に作り、全体を八面に面取しています。頸部と肩に見られる突線は、古銅器の弦文を写したものと考えられます。白濁気味の淡青緑色の粉青釉が全面に厚くかかっています。胎土は灰黒色で高台畳付は露胎となり、南宋官窯の特徴の1つである、いわゆる「鉄足」となっています。

  • 「飛青磁 花生」<br />釉上に鉄斑を散らした青磁は日本では「飛青磁」と呼ばれ、茶人に好まれてきました。この作品はその中でも釉色と鉄斑の現れ方がともに優れた作例の1つです。この瓶は俗に「玉壺春」と呼ばれる形です。

    「飛青磁 花生」
    釉上に鉄斑を散らした青磁は日本では「飛青磁」と呼ばれ、茶人に好まれてきました。この作品はその中でも釉色と鉄斑の現れ方がともに優れた作例の1つです。この瓶は俗に「玉壺春」と呼ばれる形です。

  • 「油滴天目 茶碗」<br />中学の教科書で見た記憶のある茶碗を初めて見ることが出来ました。口の部分には保護と装飾を兼ねる金属製の「金覆輪」が付けられ、表と内側ともに「油滴」と呼ばれる細かい滴模様が全面に入っています。これは釉薬の中の鉄分が結晶したもので、油滴天目で国宝に指定されているのはこの1椀のみで、茶碗3椀と鉢1点が重要文化財に指定されています。

    「油滴天目 茶碗」
    中学の教科書で見た記憶のある茶碗を初めて見ることが出来ました。口の部分には保護と装飾を兼ねる金属製の「金覆輪」が付けられ、表と内側ともに「油滴」と呼ばれる細かい滴模様が全面に入っています。これは釉薬の中の鉄分が結晶したもので、油滴天目で国宝に指定されているのはこの1椀のみで、茶碗3椀と鉢1点が重要文化財に指定されています。

  • 天目は黒釉の碗という意味にも使われていますが、この名称は中国の浙江省北部の天目山に由来しているといわれます。ただし油滴天目は福建省にある建窯で焼かれたもので「建盞(けんさん)」とも呼ばれています。水面に浮かぶ油の滴のようにみえる金・銀・紺に輝く斑点から油滴と呼ばれています。

    天目は黒釉の碗という意味にも使われていますが、この名称は中国の浙江省北部の天目山に由来しているといわれます。ただし油滴天目は福建省にある建窯で焼かれたもので「建盞(けんさん)」とも呼ばれています。水面に浮かぶ油の滴のようにみえる金・銀・紺に輝く斑点から油滴と呼ばれています。

  • 所有した人物など「来歴」が重視される茶道具ですが、この油滴天目は豊臣秀次から西本願寺、さらに三井家から若狭酒井家に伝わり、近代では10大総合商社の一角だった安宅産業の所有となっていましたが、破綻によって住友グループが大阪市に寄付して現在に至ります。南宋時代の漆の天目台3点が添えられています。

    所有した人物など「来歴」が重視される茶道具ですが、この油滴天目は豊臣秀次から西本願寺、さらに三井家から若狭酒井家に伝わり、近代では10大総合商社の一角だった安宅産業の所有となっていましたが、破綻によって住友グループが大阪市に寄付して現在に至ります。南宋時代の漆の天目台3点が添えられています。

  • 「青花 蓮池魚藻文 壺」<br />同じような作品を上海博物館で見たことを思い出しました。元時代に始まった形で、青白磁、釉裏紅、青磁などにも見られる大ぶりの壺です。本来は蓋を伴い酒などの液体を入れる容器で、日本では俗に「酒会壺」と呼ばれました。本器は胴部中央に、蓮池をゆうゆうと泳ぐケツギョと草魚などを描いています。

    「青花 蓮池魚藻文 壺」
    同じような作品を上海博物館で見たことを思い出しました。元時代に始まった形で、青白磁、釉裏紅、青磁などにも見られる大ぶりの壺です。本来は蓋を伴い酒などの液体を入れる容器で、日本では俗に「酒会壺」と呼ばれました。本器は胴部中央に、蓮池をゆうゆうと泳ぐケツギョと草魚などを描いています。

  • 魚藻文は元時代の陶磁器に見られるテーマで、江南地方の民間絵画の画題としても流行しました。魚の中国語音が「余」に通じ、財産が余るという吉祥の文様でもあります。卵を多く産むことからも子孫繁栄を表します。

    魚藻文は元時代の陶磁器に見られるテーマで、江南地方の民間絵画の画題としても流行しました。魚の中国語音が「余」に通じ、財産が余るという吉祥の文様でもあります。卵を多く産むことからも子孫繁栄を表します。

  • 「青花 牡丹唐草文 盤」<br />見込み中央の平面に主文様の牡丹文を上面と側面と裏面から描き分けた、珍しい表現の大型盤です。牡丹の花や葉には陰刻で脈が表され、そこにたまったコバルト顔料が文様に陰影を与えています。周縁部に宝相華唐草や蔓唐草が同心円状に配されるのは、元青花の輸出先であったイスラム圏の金属器の意匠の影響と考えられます。

    「青花 牡丹唐草文 盤」
    見込み中央の平面に主文様の牡丹文を上面と側面と裏面から描き分けた、珍しい表現の大型盤です。牡丹の花や葉には陰刻で脈が表され、そこにたまったコバルト顔料が文様に陰影を与えています。周縁部に宝相華唐草や蔓唐草が同心円状に配されるのは、元青花の輸出先であったイスラム圏の金属器の意匠の影響と考えられます。

  • 「青花 菊牡丹文 盤」<br />盤の見込み中央に太湖石を配し、周辺に牡丹と菊と笹を描いています。太湖石は寿石ともいわれ、菊と牡丹と笹と合わせて長寿や富貴などを表す吉祥の画題になっています。太湖石は中国の蘇州郊外にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石です。江南の庭園を旅していて何度も見ることが出来ましたが、横浜の三渓園の中国風の庭園に倒されたまま打ち捨てられているのを見て悲しかったことも思い出しました。

    「青花 菊牡丹文 盤」
    盤の見込み中央に太湖石を配し、周辺に牡丹と菊と笹を描いています。太湖石は寿石ともいわれ、菊と牡丹と笹と合わせて長寿や富貴などを表す吉祥の画題になっています。太湖石は中国の蘇州郊外にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石です。江南の庭園を旅していて何度も見ることが出来ましたが、横浜の三渓園の中国風の庭園に倒されたまま打ち捨てられているのを見て悲しかったことも思い出しました。

  • 「青花 雲龍文 梅瓶 (「春壽」銘)」<br />元時代の梅瓶とは異なり明時代になると肩が丸みをおび、胴裾が大きく外に張り出し、高台が厚く削り出されています。高く立ち上がった口には宝珠鈕の付く蓋がかぶさっています。胴部には文様帯を設けずに、五爪の龍と霊芝雲がコバルト顔料で描かれています。五爪龍は元時代に皇帝の象徴として制定されて以来、一般での使用が厳しく禁止されてきました。肩には篆書体で「春壽」の吉祥句が書かれています。

    「青花 雲龍文 梅瓶 (「春壽」銘)」
    元時代の梅瓶とは異なり明時代になると肩が丸みをおび、胴裾が大きく外に張り出し、高台が厚く削り出されています。高く立ち上がった口には宝珠鈕の付く蓋がかぶさっています。胴部には文様帯を設けずに、五爪の龍と霊芝雲がコバルト顔料で描かれています。五爪龍は元時代に皇帝の象徴として制定されて以来、一般での使用が厳しく禁止されてきました。肩には篆書体で「春壽」の吉祥句が書かれています。

  • 「釉裏紅 牡丹文 盤」<br />釉下に銅顔料を用いて絵付をする釉裏紅は、すでに元時代にその先例が見られます。明の洪武年間に独自の発展を遂げて数多く生産されました。その背景には良質なコバルト顔料の輸入量が減少したことがあり、そのため青花と器形や文様が共通している部分が多く見られます。また、太祖の朱元璋の赤色への志向との関わりなども指摘されています。銅顔料は不安定な発色が欠点ですが、全体に淡い色調がかえって文様の瀟洒な感じに調和しているように思えます。

    「釉裏紅 牡丹文 盤」
    釉下に銅顔料を用いて絵付をする釉裏紅は、すでに元時代にその先例が見られます。明の洪武年間に独自の発展を遂げて数多く生産されました。その背景には良質なコバルト顔料の輸入量が減少したことがあり、そのため青花と器形や文様が共通している部分が多く見られます。また、太祖の朱元璋の赤色への志向との関わりなども指摘されています。銅顔料は不安定な発色が欠点ですが、全体に淡い色調がかえって文様の瀟洒な感じに調和しているように思えます。

  • 「青花 荔枝文 扁壺」<br />胴部分が丸い扁平な形をした扁壺です。中国ではその姿から「抱月瓶」とも呼ばれています。イスラム圏の金属器から姿を写したといわれ、細長い円筒形の口に雲形の双耳が付いています。胴の前後には荔枝(ライチ)が描かれています。楊貴妃がライチが好きだったという逸話を思い出しました。<br />

    「青花 荔枝文 扁壺」
    胴部分が丸い扁平な形をした扁壺です。中国ではその姿から「抱月瓶」とも呼ばれています。イスラム圏の金属器から姿を写したといわれ、細長い円筒形の口に雲形の双耳が付いています。胴の前後には荔枝(ライチ)が描かれています。楊貴妃がライチが好きだったという逸話を思い出しました。

  • 「青花 花果文 鉢」<br />明代初期特有の作風で、葡萄や荔枝などの折枝果文と宝相華と牡丹が描かれています。20年以上前のことですが香港の香港島南岸の香港仔(アバディーン)に巨大な倉庫があり、その中に中国の各時代の名品を写した陶器を販売している会社に行ったことがあります。その出来栄えは素晴らしく、花瓶や鉢などを船便で送ってもらったことがあります。その時に購入したサザビーズで落札されたものの写しによく似ているなと思いました。

    「青花 花果文 鉢」
    明代初期特有の作風で、葡萄や荔枝などの折枝果文と宝相華と牡丹が描かれています。20年以上前のことですが香港の香港島南岸の香港仔(アバディーン)に巨大な倉庫があり、その中に中国の各時代の名品を写した陶器を販売している会社に行ったことがあります。その出来栄えは素晴らしく、花瓶や鉢などを船便で送ってもらったことがあります。その時に購入したサザビーズで落札されたものの写しによく似ているなと思いました。

  • 「青花 枇杷鳥文 盤」<br />直径50センチを超す稜花形の盤の見込みに、枇杷の実をついばむ鳥の姿を余白をとって描いています。鳥は中国名を綬帯鳥(じゅたいちょう)といい、「綬」と「寿」の音が通じることから長寿を表す文様とされます。枇杷は金色の実をたわわにつけることから富の象徴の文様です。内外の側面には石榴や桃や茘枝などの瑞果を描き、口縁部にはそれぞれ宝相華唐草文と波濤文を廻らせています。

    「青花 枇杷鳥文 盤」
    直径50センチを超す稜花形の盤の見込みに、枇杷の実をついばむ鳥の姿を余白をとって描いています。鳥は中国名を綬帯鳥(じゅたいちょう)といい、「綬」と「寿」の音が通じることから長寿を表す文様とされます。枇杷は金色の実をたわわにつけることから富の象徴の文様です。内外の側面には石榴や桃や茘枝などの瑞果を描き、口縁部にはそれぞれ宝相華唐草文と波濤文を廻らせています。

  • 「青花 龍波濤文 扁壺」<br />明の永楽年間には西方との交易が再開され、陶磁器の器形にもイスラム圏の影響と思われるものが増えるなどの変化がみられます。また西アジア産の良質のコバルト顔料が再び輸入され始め、青花の発色が以前にも増して鮮やかになりました。この作品では周囲にさかまく波濤を描き、龍の姿を白抜きで大きく表しています。

    「青花 龍波濤文 扁壺」
    明の永楽年間には西方との交易が再開され、陶磁器の器形にもイスラム圏の影響と思われるものが増えるなどの変化がみられます。また西アジア産の良質のコバルト顔料が再び輸入され始め、青花の発色が以前にも増して鮮やかになりました。この作品では周囲にさかまく波濤を描き、龍の姿を白抜きで大きく表しています。

  • 体の細部には陰刻が加えられ、瞳のみがコバルト顔料で描かれています。まさしく「画龍点睛」の故事のような堂々たる龍の姿です。トルコのトプカプ宮殿には16世紀の銀製の蓋が付いた同形品が伝世しています。新しくなる前の1997年にイスタンブールを旅した際に驚いた記憶が残っています。

    体の細部には陰刻が加えられ、瞳のみがコバルト顔料で描かれています。まさしく「画龍点睛」の故事のような堂々たる龍の姿です。トルコのトプカプ宮殿には16世紀の銀製の蓋が付いた同形品が伝世しています。新しくなる前の1997年にイスタンブールを旅した際に驚いた記憶が残っています。

  • 「法花 花鳥文 壺」<br />法花とは立体的に表した文様部分に各色の鉛釉を掛けわける技法で、三彩の系譜に属します。作例は陶胎と磁胎の2種に分けられ、磁胎のものは大型品が多くて器の形や文様構成が景徳鎮産の青花や五彩に通じる点が指摘されています。この作品も回転台に乗っているのですべての絵柄を見ることが出来ます。

    「法花 花鳥文 壺」
    法花とは立体的に表した文様部分に各色の鉛釉を掛けわける技法で、三彩の系譜に属します。作例は陶胎と磁胎の2種に分けられ、磁胎のものは大型品が多くて器の形や文様構成が景徳鎮産の青花や五彩に通じる点が指摘されています。この作品も回転台に乗っているのですべての絵柄を見ることが出来ます。

  • この作品は磁胎の例のなかでも器の形や文様、釉色ともに優れた法花を代表する大作です。壺の2面に花樹にとまる一対の鳥が表され、その間を梅や椿、波濤や如意頭などの文様が埋めています。

    この作品は磁胎の例のなかでも器の形や文様、釉色ともに優れた法花を代表する大作です。壺の2面に花樹にとまる一対の鳥が表され、その間を梅や椿、波濤や如意頭などの文様が埋めています。

  • 「瑠璃地白花 牡丹文 盤(「大明宣徳年製」銘)」<br />濃紺の地に白色の文様が美しく映えた鮮やかな印象の盤です。ストイックなまでの中国陶磁の完成度の高さを感じさせます。

    「瑠璃地白花 牡丹文 盤(「大明宣徳年製」銘)」
    濃紺の地に白色の文様が美しく映えた鮮やかな印象の盤です。ストイックなまでの中国陶磁の完成度の高さを感じさせます。

  • 見込みの中央の牡丹折枝花、内側面の石榴や桃や茘枝などの瑞果、外側面の牡丹唐草などを白泥で表し、地の部分に瑠璃釉を施して焼成したと考えられます。文様の細部にはさらに陰刻が加えられています。

    見込みの中央の牡丹折枝花、内側面の石榴や桃や茘枝などの瑞果、外側面の牡丹唐草などを白泥で表し、地の部分に瑠璃釉を施して焼成したと考えられます。文様の細部にはさらに陰刻が加えられています。

  • 「青花 宝相華唐草文 壺(「大明宣徳年製」銘)」<br />広口の壺の中央全面に宝相華唐草文を描き、肩と胴裾に二重蓮弁文を、頸部に蔓唐草文を廻らせています。コバルト顔料の発色は濃厚で、特にだみ染めで表された宝相華と蓮弁は、どっしりとした大型壺にさらに強い印象を与えています。

    「青花 宝相華唐草文 壺(「大明宣徳年製」銘)」
    広口の壺の中央全面に宝相華唐草文を描き、肩と胴裾に二重蓮弁文を、頸部に蔓唐草文を廻らせています。コバルト顔料の発色は濃厚で、特にだみ染めで表された宝相華と蓮弁は、どっしりとした大型壺にさらに強い印象を与えています。

  • 明時代の宣徳期には景徳鎮で官窯の体制が確立したと考えられ、以後官窯製品には年款銘が記されるようになりました。この器では肩に横一行の「大明宣徳年製」の文字があります。

    明時代の宣徳期には景徳鎮で官窯の体制が確立したと考えられ、以後官窯製品には年款銘が記されるようになりました。この器では肩に横一行の「大明宣徳年製」の文字があります。

  • 「青花 瓜文 碗(「大明成化年製」銘)」<br />明の成化年間の官窯磁器は精製された胎土と滑らかな釉薬と繊細な文様という特徴を持ち、極めて完成度の高い磁器として評価が高く、また伝世品が少なく貴重なものとして知られています。この器のように口縁部がかすかに外反し低い高台のつく碗は、宮廷で飲食器として用いられたもので、欧米では特にパレスボウルと呼ばれて珍重されています。ここでは外側面の3か所に豊饒を意味する瓜文が描かれ、内側を白地のままに残しています。

    「青花 瓜文 碗(「大明成化年製」銘)」
    明の成化年間の官窯磁器は精製された胎土と滑らかな釉薬と繊細な文様という特徴を持ち、極めて完成度の高い磁器として評価が高く、また伝世品が少なく貴重なものとして知られています。この器のように口縁部がかすかに外反し低い高台のつく碗は、宮廷で飲食器として用いられたもので、欧米では特にパレスボウルと呼ばれて珍重されています。ここでは外側面の3か所に豊饒を意味する瓜文が描かれ、内側を白地のままに残しています。

  • 「青花 鳳凰文 盤(「大明成化年製」銘)」<br />胎土は精製され、釉薬は滑らかに溶け、文様は繊細にしてコバルトの発色はむらやにじみがなく、淡く典雅という成化官窯磁器の典型的な特徴を示しています。盤の見込みと外側面に一対の鳳凰を描き、余白を宝相華文で埋めています。

    「青花 鳳凰文 盤(「大明成化年製」銘)」
    胎土は精製され、釉薬は滑らかに溶け、文様は繊細にしてコバルトの発色はむらやにじみがなく、淡く典雅という成化官窯磁器の典型的な特徴を示しています。盤の見込みと外側面に一対の鳳凰を描き、余白を宝相華文で埋めています。

  • 「青花 黄蜀葵文 碗(「大明成化年製」銘)」<br />パレスポウルは一定の規格に基づいて作られたと考えられ、いずれも口径約15.0センチ、高さ約7.0センチとほぼ同一の大きさとなっています。内外両面に丁寧に描かれた文様は葵の花を優美な蔓草で結んだものです。向日性の葵はその性質から皇帝の恩に民心が従うことを表します。本来は蔓性ではない葵の花を蔓草でつなぐことにより、それが永遠に続くことをも表した吉祥の文様となります。

    「青花 黄蜀葵文 碗(「大明成化年製」銘)」
    パレスポウルは一定の規格に基づいて作られたと考えられ、いずれも口径約15.0センチ、高さ約7.0センチとほぼ同一の大きさとなっています。内外両面に丁寧に描かれた文様は葵の花を優美な蔓草で結んだものです。向日性の葵はその性質から皇帝の恩に民心が従うことを表します。本来は蔓性ではない葵の花を蔓草でつなぐことにより、それが永遠に続くことをも表した吉祥の文様となります。

  • 「黄地紅彩 龍文 壺(「大明嘉靖年製」銘)」<br />白地部分を残さず各色の上絵の具で器表全面を覆った雑彩と呼ばれるものです。白磁の焼成後に全面に黄釉をかけて2次焼成し、その上から褐彩で文様の輪郭と細部を描き、周囲を赤絵の具で塗り潰してもう1度焼成しています。赤地部分は黄色の下地があるため一層鮮明な発色となっています。鮮やかな彩磁が好まれた嘉靖期の気分がよく現れています。

    「黄地紅彩 龍文 壺(「大明嘉靖年製」銘)」
    白地部分を残さず各色の上絵の具で器表全面を覆った雑彩と呼ばれるものです。白磁の焼成後に全面に黄釉をかけて2次焼成し、その上から褐彩で文様の輪郭と細部を描き、周囲を赤絵の具で塗り潰してもう1度焼成しています。赤地部分は黄色の下地があるため一層鮮明な発色となっています。鮮やかな彩磁が好まれた嘉靖期の気分がよく現れています。

  • 「黄地青花紅彩 牡丹唐草文 瓢形瓶(「大明嘉靖年製」銘)」<br />時代の彩磁の様々なバリエーションを示す好例で、いったん蔓草を描いた青花を焼き上げた後、白地の部分に黄釉を塗って2次焼成し、牡丹花を紅彩で表してさらに焼成したものです。黄色の下地によって、牡丹の赤色が鮮やかに発色しています。

    「黄地青花紅彩 牡丹唐草文 瓢形瓶(「大明嘉靖年製」銘)」
    時代の彩磁の様々なバリエーションを示す好例で、いったん蔓草を描いた青花を焼き上げた後、白地の部分に黄釉を塗って2次焼成し、牡丹花を紅彩で表してさらに焼成したものです。黄色の下地によって、牡丹の赤色が鮮やかに発色しています。

  • 「緑地紅彩 宝相華唐草文 瓢形瓶(「大明嘉靖年製」銘)」<br />隣に置かれた瓢形瓶と同様に明時代の彩磁の多様性を示す作例です。白磁を焼き上げた後に赤絵の具で宝相華唐草文を描き、白地に緑釉を塗りつめて再焼成したものです。本作品の赤色部分は白地の上に描かれているために、先の牡丹花の部分とはに比べると、落ち着いた発色となっています。瓢形瓶という器形も嘉靖帝の道教への傾倒から、この時期に盛んに作られたものです。

    「緑地紅彩 宝相華唐草文 瓢形瓶(「大明嘉靖年製」銘)」
    隣に置かれた瓢形瓶と同様に明時代の彩磁の多様性を示す作例です。白磁を焼き上げた後に赤絵の具で宝相華唐草文を描き、白地に緑釉を塗りつめて再焼成したものです。本作品の赤色部分は白地の上に描かれているために、先の牡丹花の部分とはに比べると、落ち着いた発色となっています。瓢形瓶という器形も嘉靖帝の道教への傾倒から、この時期に盛んに作られたものです。

  • 「五彩 牡丹文 盤(「大明萬暦年製」銘)」<br />青花に赤や緑や黄などの上絵の具で絵付けをする五彩の技法は宣徳期には成立していましたが、特に盛行したのは嘉靖万暦期です。端反りの盤の見込みに牡丹文を描き内側面に石榴や茘枝などの瑞果で埋め尽くし、外側面に宝相華唐草文を配しています。明初以来の文様構成ながら、表現はこの時期に特有の繁縟ともいえるもので、特に見込みを埋め尽くした赤い牡丹花と緑の葉の印象は鮮烈です。

    「五彩 牡丹文 盤(「大明萬暦年製」銘)」
    青花に赤や緑や黄などの上絵の具で絵付けをする五彩の技法は宣徳期には成立していましたが、特に盛行したのは嘉靖万暦期です。端反りの盤の見込みに牡丹文を描き内側面に石榴や茘枝などの瑞果で埋め尽くし、外側面に宝相華唐草文を配しています。明初以来の文様構成ながら、表現はこの時期に特有の繁縟ともいえるもので、特に見込みを埋め尽くした赤い牡丹花と緑の葉の印象は鮮烈です。

  • 「五彩 松下高士図 面盆(「大明萬暦年製」銘)」<br />全体を八花形に作った鍔縁の盆です。このような器は洗面のためのもので、木製の架台に固定して用いました。内側の全面に五彩で高士と童子の図を繰り返し描いています。五彩をふんだんに使った絵付はたいへん華やかです。外側は余白を多く残して2種の宝相華文を配し、口縁には蔓唐草を廻らせているのが対照的です。

    「五彩 松下高士図 面盆(「大明萬暦年製」銘)」
    全体を八花形に作った鍔縁の盆です。このような器は洗面のためのもので、木製の架台に固定して用いました。内側の全面に五彩で高士と童子の図を繰り返し描いています。五彩をふんだんに使った絵付はたいへん華やかです。外側は余白を多く残して2種の宝相華文を配し、口縁には蔓唐草を廻らせているのが対照的です。

  • 「五彩金襴手 瓢形瓶」<br />八角に面取した瓢形瓶の器表を12の文様帯に分けて、全面に赤と黄と緑の上絵の具で施文しています。赤地部分にはさらに金彩が加えられ、上から順に蕉葉文、蔓唐草文、葉文、宝相華唐草文、「国泰民安 風調雨順」の文字、宝相華文、宝相華文の痕跡が認められます。

    「五彩金襴手 瓢形瓶」
    八角に面取した瓢形瓶の器表を12の文様帯に分けて、全面に赤と黄と緑の上絵の具で施文しています。赤地部分にはさらに金彩が加えられ、上から順に蕉葉文、蔓唐草文、葉文、宝相華唐草文、「国泰民安 風調雨順」の文字、宝相華文、宝相華文の痕跡が認められます。

  • 陶磁器の表面を金で飾ることは古くは北朝の加彩俑に先例があり、以後も続いて行われました。明時代には特に嘉靖万暦年間に多く見られ、それらは「金襴手」の名称で日本の茶人に好まれ多くの伝世品があります。現代の京都でも写しの作品が造られています。

    陶磁器の表面を金で飾ることは古くは北朝の加彩俑に先例があり、以後も続いて行われました。明時代には特に嘉靖万暦年間に多く見られ、それらは「金襴手」の名称で日本の茶人に好まれ多くの伝世品があります。現代の京都でも写しの作品が造られています。

  • 素晴らしい安宅コレクションの中国古陶磁を目にして言葉もありません。長年の夢がかないましたが、これで終わりではなくて次の展示室では李秉昌コレクションが待っています。李博士は長い在日の経験からその貴重なコレクションを韓国以外における韓国文化遺産発揚の場として日本に留めることを決意され、このことが日韓友好親善に役立ち、在日韓国人の地位向上につながると確信されたそうです。

    素晴らしい安宅コレクションの中国古陶磁を目にして言葉もありません。長年の夢がかないましたが、これで終わりではなくて次の展示室では李秉昌コレクションが待っています。李博士は長い在日の経験からその貴重なコレクションを韓国以外における韓国文化遺産発揚の場として日本に留めることを決意され、このことが日韓友好親善に役立ち、在日韓国人の地位向上につながると確信されたそうです。

  • 「鬼面文 塼(せん)」<br />統一新羅時代には魔よけのために鬼面瓦が良く作られました。塼は正方形や長方形の厚い煉瓦の一種で、中国周代に始まり漢代に発展して城壁や墓室などに用いられました。

    「鬼面文 塼(せん)」
    統一新羅時代には魔よけのために鬼面瓦が良く作られました。塼は正方形や長方形の厚い煉瓦の一種で、中国周代に始まり漢代に発展して城壁や墓室などに用いられました。

  • 「青磁印花 宝相華唐草文 碗」<br />内底に菊文を置きその周囲に宝相華唐草文で埋め尽くしています。型押しによる成形で同様の模様やモチーフは中国北宋の耀州窯にも見られます。花弁や葉脈の細部まで描かれた素晴らしい作品です。

    「青磁印花 宝相華唐草文 碗」
    内底に菊文を置きその周囲に宝相華唐草文で埋め尽くしています。型押しによる成形で同様の模様やモチーフは中国北宋の耀州窯にも見られます。花弁や葉脈の細部まで描かれた素晴らしい作品です。

  • 「青磁象嵌 雲鶴文 碗」<br />口縁部がやや外反した碗で、こちらも北宋の定窯などにある形です。貫入もない碗の内面には3羽の鶴とその間に霊芝(れいし)雲文が力強く象嵌されています。

    「青磁象嵌 雲鶴文 碗」
    口縁部がやや外反した碗で、こちらも北宋の定窯などにある形です。貫入もない碗の内面には3羽の鶴とその間に霊芝(れいし)雲文が力強く象嵌されています。

  • 「青磁陽刻 蓮花牡丹文 瓢形水注」<br />中国陶磁の瓢形は上下がそれぞれ球体に近いのに対して高麗時代の瓢形水注は上下が自然に流れるような姿をしています。胴部には陽刻による牡丹文と蓮花文が交互に配されてあります。

    「青磁陽刻 蓮花牡丹文 瓢形水注」
    中国陶磁の瓢形は上下がそれぞれ球体に近いのに対して高麗時代の瓢形水注は上下が自然に流れるような姿をしています。胴部には陽刻による牡丹文と蓮花文が交互に配されてあります。

  • 「青磁陰刻 花文 唾壺」<br />この形は唾壺とも退酒器とも呼ばれ、中国唐代から伝わる形です。唾壺(だこ)はもとは唾液や喀痰を吐き入れるための容器でしたが、のちに実用性は失なわれます。汚い話ですが昭和の時代には駅の地下道やホームの柱にこのような形の容器が置かれていたものです。

    「青磁陰刻 花文 唾壺」
    この形は唾壺とも退酒器とも呼ばれ、中国唐代から伝わる形です。唾壺(だこ)はもとは唾液や喀痰を吐き入れるための容器でしたが、のちに実用性は失なわれます。汚い話ですが昭和の時代には駅の地下道やホームの柱にこのような形の容器が置かれていたものです。

  • 「青磁象嵌 牡丹文 梅瓶」<br />胴の3面に円圏を作り、その中に象嵌で牡丹文を表しています。肩の上部には花文帯、胴裾には雷文帯を白象嵌で控えめに表しています。

    「青磁象嵌 牡丹文 梅瓶」
    胴の3面に円圏を作り、その中に象嵌で牡丹文を表しています。肩の上部には花文帯、胴裾には雷文帯を白象嵌で控えめに表しています。

  • 「青磁象嵌 菊花文 組盒」<br />組香盒の多くは中に4点から5点の小さな小香盒と油壷1点を納めています。大香合の蓋表の象嵌は蓮と菊の唐草文を組み合わせています。

    「青磁象嵌 菊花文 組盒」
    組香盒の多くは中に4点から5点の小さな小香盒と油壷1点を納めています。大香合の蓋表の象嵌は蓮と菊の唐草文を組み合わせています。

  • 「粉青象嵌 蓮池文 扁壺」<br />轆轤で瓶の形を引き上げ、両面から叩いて扁平にしたものと思われます。ハート形の蓮の蕾や満開の蓮の花と葉が天に向かって伸びています。波間からは次々と新しい芽も伸びています。蓮は子孫繁栄の象徴で、象嵌の蓮文はよく見られるモチーフです。

    「粉青象嵌 蓮池文 扁壺」
    轆轤で瓶の形を引き上げ、両面から叩いて扁平にしたものと思われます。ハート形の蓮の蕾や満開の蓮の花と葉が天に向かって伸びています。波間からは次々と新しい芽も伸びています。蓮は子孫繁栄の象徴で、象嵌の蓮文はよく見られるモチーフです。

  • 「粉青象嵌 双魚文 扁壺」<br />白泥を塗った上から線彫りで魚門を表した扁壺は沖縄の陶芸家金城次郎の作品を思い出させました。のびのびとした魚文の表現が素晴らしいです。

    「粉青象嵌 双魚文 扁壺」
    白泥を塗った上から線彫りで魚門を表した扁壺は沖縄の陶芸家金城次郎の作品を思い出させました。のびのびとした魚文の表現が素晴らしいです。

  • 「粉青象嵌 蓮池魚文 瓶」<br />玉春瓶型の器に蓮の花と蓮の葉の下を泳ぐ魚が描かれています。その周りには柳が枝を垂らしています。蓮池と柳と魚という組み合わせは高麗青磁の多く見られるモチーフです。

    「粉青象嵌 蓮池魚文 瓶」
    玉春瓶型の器に蓮の花と蓮の葉の下を泳ぐ魚が描かれています。その周りには柳が枝を垂らしています。蓮池と柳と魚という組み合わせは高麗青磁の多く見られるモチーフです。

  • 「粉青象嵌 鳥魚文 瓶」<br />白鷺のような鳥の描写とその足元を泳ぐ魚の情景が素晴らしい作品です。この2つの瓶は魅力的で、欲しいなと思ったものの1つです。

    「粉青象嵌 鳥魚文 瓶」
    白鷺のような鳥の描写とその足元を泳ぐ魚の情景が素晴らしい作品です。この2つの瓶は魅力的で、欲しいなと思ったものの1つです。

  • 「粉青掻落 牡丹葉文 壺」<br />白泥の上から線刻で牡丹葉を描き、隙間の白泥は掻き落としています。釉色はかすかに緑味を帯びています。

    「粉青掻落 牡丹葉文 壺」
    白泥の上から線刻で牡丹葉を描き、隙間の白泥は掻き落としています。釉色はかすかに緑味を帯びています。

  • 「黒釉 水注」<br />黒釉は分性の窯址から発見されるために制作年代も同じ15世紀から16世紀に生産されていたと考えられるそうです。BSの番組では実際の韓国での発掘調査の映像も流され、調査の中から分かったことも紹介されていて勉強になりました。

    「黒釉 水注」
    黒釉は分性の窯址から発見されるために制作年代も同じ15世紀から16世紀に生産されていたと考えられるそうです。BSの番組では実際の韓国での発掘調査の映像も流され、調査の中から分かったことも紹介されていて勉強になりました。

  • 「白磁 竹節紙筒」<br />竹の節の形を器の装飾として取り入れる作例は分院里窯の筆筒に見られます。口が広がっているので紙筒と思われますが、この大きさのものは類例がないようです。

    「白磁 竹節紙筒」
    竹の節の形を器の装飾として取り入れる作例は分院里窯の筆筒に見られます。口が広がっているので紙筒と思われますが、この大きさのものは類例がないようです。

  • 「白磁透彫 蓮花文 花盆台」<br />植木鉢を置く花盆台と思われ、胴の上半分に透彫模様を施しています。その文様は3面に蓮花を配しています。

    「白磁透彫 蓮花文 花盆台」
    植木鉢を置く花盆台と思われ、胴の上半分に透彫模様を施しています。その文様は3面に蓮花を配しています。

  • 「白磁堆花「 囍」字文 段重」<br />吉祥を表す「 囍」の字をモチーフにしています。一見すると型押しのようにも見えますが、1字1字白泥で手描きしているようです。

    「白磁堆花「 囍」字文 段重」
    吉祥を表す「 囍」の字をモチーフにしています。一見すると型押しのようにも見えますが、1字1字白泥で手描きしているようです。

  • 「白磁陽刻 葡萄文 水注」<br />白磁の水注で文様を伴うのは「いっちん」と呼ばれる陽刻技法を用いたものです。これはチューブに白泥を入れ、絞り出して模様を描く手法です。胴に葡萄の葉のような葉文が施されて、そこから続く蔓をより合わせたような持ち手が魅力的です。

    「白磁陽刻 葡萄文 水注」
    白磁の水注で文様を伴うのは「いっちん」と呼ばれる陽刻技法を用いたものです。これはチューブに白泥を入れ、絞り出して模様を描く手法です。胴に葡萄の葉のような葉文が施されて、そこから続く蔓をより合わせたような持ち手が魅力的です。

  • 「青花 四君子文 瓶」<br />角壺の上に長い頸をつけた瓶です。胴には太湖石のような怪石と草花文が組み合わされています。草花文は牡丹と石竹とよめなと仙人草ですが、通常の四君子とは蘭と竹と菊と梅の4種を草木の中の君子として称えた言葉です。

    「青花 四君子文 瓶」
    角壺の上に長い頸をつけた瓶です。胴には太湖石のような怪石と草花文が組み合わされています。草花文は牡丹と石竹とよめなと仙人草ですが、通常の四君子とは蘭と竹と菊と梅の4種を草木の中の君子として称えた言葉です。

  • 「青花 怪石草花文 角瓶」<br />草花文を配した怪石を胴の4面に描いています。怪石はいずれも植木鉢の中に据えられています。当時はこのような形で室内に飾ったのだと思われます。

    「青花 怪石草花文 角瓶」
    草花文を配した怪石を胴の4面に描いています。怪石はいずれも植木鉢の中に据えられています。当時はこのような形で室内に飾ったのだと思われます。

  • 「青花 仏手柑文 角皿」<br />これも欲しいなと思ったものですが、このような皿は特異な形から祭器と考えられるそうです。分厚い板状の四隅に球状の支柱をつけ、頑丈なつくりになっています。文様としての仏手柑は昔から知っていましたが、果物として初めて見たのは台北郊外の九分だったことをよく覚えています。

    「青花 仏手柑文 角皿」
    これも欲しいなと思ったものですが、このような皿は特異な形から祭器と考えられるそうです。分厚い板状の四隅に球状の支柱をつけ、頑丈なつくりになっています。文様としての仏手柑は昔から知っていましたが、果物として初めて見たのは台北郊外の九分だったことをよく覚えています。

  • 「青花 蓮池文 角皿」<br />行けに咲く蓮の花を中心に怪石や竹や石竹が様式化されて描かれています。

    「青花 蓮池文 角皿」
    行けに咲く蓮の花を中心に怪石や竹や石竹が様式化されて描かれています。

  • 「白磁鉄地 壺」<br />壺の胴下半部の全面に鉄絵具を塗り、その上から透明釉をかけて焼成したものです。短く低く巻き返した口づくりと肩の張りきった形、灰白色の釉色などいずれも朝鮮時代15世紀から16世紀の特徴を示しています。

    「白磁鉄地 壺」
    壺の胴下半部の全面に鉄絵具を塗り、その上から透明釉をかけて焼成したものです。短く低く巻き返した口づくりと肩の張りきった形、灰白色の釉色などいずれも朝鮮時代15世紀から16世紀の特徴を示しています。

  • 「鉄砂 梅鳥文 壺」<br />低い口づくりとわずかに外反する高台、さらに鉄分の多い素地で薄茶色に焼き上がった釉色と粗々しい器底のけずりなど、通例の鉄砂壺と相違しています。主文様は梅の小枝にとまる小鳥と竹で、吉祥を意味しています。

    「鉄砂 梅鳥文 壺」
    低い口づくりとわずかに外反する高台、さらに鉄分の多い素地で薄茶色に焼き上がった釉色と粗々しい器底のけずりなど、通例の鉄砂壺と相違しています。主文様は梅の小枝にとまる小鳥と竹で、吉祥を意味しています。

  • 「鉄砂 草花文 壺」<br />先ほどの安宅コレクションの展示室でも見た算盤玉の形の壺です。こちらも形のバランスも鉄絵の発色や筆致など素晴らしい出来栄えです。

    「鉄砂 草花文 壺」
    先ほどの安宅コレクションの展示室でも見た算盤玉の形の壺です。こちらも形のバランスも鉄絵の発色や筆致など素晴らしい出来栄えです。

  • 「辰砂 蓮花文 壺」<br />胴の中央に配された酸化銅による蓮花文はくまどりにより立体的に描かれています。高麗青磁の辰砂に端を発する辰砂彩は17世紀後半から生産が始まったようです。

    「辰砂 蓮花文 壺」
    胴の中央に配された酸化銅による蓮花文はくまどりにより立体的に描かれています。高麗青磁の辰砂に端を発する辰砂彩は17世紀後半から生産が始まったようです。

  • 「青花辰砂 牡丹文 壺」<br />牡丹の枝と葉と花の一部を青花で表し、花弁に酸化銅の顔料で立体的に描いています。

    「青花辰砂 牡丹文 壺」
    牡丹の枝と葉と花の一部を青花で表し、花弁に酸化銅の顔料で立体的に描いています。

  • 「青花 花文「丁巳」銘 盒」<br />宝相華をモチーフ下複雑な文様が蓋と胴と共に4面描かれています。胴裾と蓋の内側に年後を表す干支銘が針彫りされていて1857年と分かるそうです。

    「青花 花文「丁巳」銘 盒」
    宝相華をモチーフ下複雑な文様が蓋と胴と共に4面描かれています。胴裾と蓋の内側に年後を表す干支銘が針彫りされていて1857年と分かるそうです。

  • 「青花 蓮池魚文 盤」<br />盤の中の蓮池には蓮の花と実と葉、魚と鯰と鵲が描かれています。似たような図柄が同時代の民画にもあるそうです。鵲はその鳴き声から慶事を知らせる鳥とされ、蓮の実をついばむ鵲は科挙合格の知らせを受けることを意味するそうです。鯰は音が「年」に通じることから年々良いことがあることを意味します。

    「青花 蓮池魚文 盤」
    盤の中の蓮池には蓮の花と実と葉、魚と鯰と鵲が描かれています。似たような図柄が同時代の民画にもあるそうです。鵲はその鳴き声から慶事を知らせる鳥とされ、蓮の実をついばむ鵲は科挙合格の知らせを受けることを意味するそうです。鯰は音が「年」に通じることから年々良いことがあることを意味します。

  • 素晴らしい展示品の数々でしたが、建築的に見てもこの建物は素晴らしいと思いました。

    素晴らしい展示品の数々でしたが、建築的に見てもこの建物は素晴らしいと思いました。

  • 展示室以外ではエントランスホールや階段室くらいしか見ることが出来ないのですが、シンプルなデザインが時代を感じさせません。開館してから40年近く経つ建物ですが大幅な改修は行われていないと思います。

    展示室以外ではエントランスホールや階段室くらいしか見ることが出来ないのですが、シンプルなデザインが時代を感じさせません。開館してから40年近く経つ建物ですが大幅な改修は行われていないと思います。

  • 階段室の壁面のタイルは古代中国の城壁のように見えました。そしてデザインされた突起部を見ていると釧路出身の建築家の毛綱毅曠(もづな きこう)の作品を思い出させました。

    階段室の壁面のタイルは古代中国の城壁のように見えました。そしてデザインされた突起部を見ていると釧路出身の建築家の毛綱毅曠(もづな きこう)の作品を思い出させました。

  • 素晴らしい東洋陶磁の数々を見すぎてしまい、頭の中が飽和状態ですが、最後に日本の陶磁器を見る事にします。以外に日本のものが少ないのには驚きました。

    素晴らしい東洋陶磁の数々を見すぎてしまい、頭の中が飽和状態ですが、最後に日本の陶磁器を見る事にします。以外に日本のものが少ないのには驚きました。

  • 「須恵器 長頸瓶」<br />須恵器は5世紀前半に朝鮮半島から伝わった新しい技術によって造られた灰黒色の硬質土器です。ラッパ状の長い頸をもつ長頸瓶は、奈良時代に盛んにつくられましたが、これほど大型のものは少なく、須恵器中の優品の1つといえます。高火度焼成のため肩などに降りかかった灰が自然釉となっています。

    「須恵器 長頸瓶」
    須恵器は5世紀前半に朝鮮半島から伝わった新しい技術によって造られた灰黒色の硬質土器です。ラッパ状の長い頸をもつ長頸瓶は、奈良時代に盛んにつくられましたが、これほど大型のものは少なく、須恵器中の優品の1つといえます。高火度焼成のため肩などに降りかかった灰が自然釉となっています。

  • 「三彩 壺」<br />奈良時代に唐三彩の影響の下に造られた三彩陶器は「奈良三彩」と呼ばれており、いわゆる「正倉院三彩」がその代表といえます。本作は薬壺と呼ばれる形の短頸壺で、火葬蔵骨器としての出土例が知られています。緑釉を基調に白釉と黄釉(褐釉)が点じられていますが、風化のため釉の剥落や銀化(ぎんか)が随所に見られます。江戸時代の安政年間に奈良県生駒郡で出土したと伝えられ、大阪の平瀬家に伝来したものです。

    「三彩 壺」
    奈良時代に唐三彩の影響の下に造られた三彩陶器は「奈良三彩」と呼ばれており、いわゆる「正倉院三彩」がその代表といえます。本作は薬壺と呼ばれる形の短頸壺で、火葬蔵骨器としての出土例が知られています。緑釉を基調に白釉と黄釉(褐釉)が点じられていますが、風化のため釉の剥落や銀化(ぎんか)が随所に見られます。江戸時代の安政年間に奈良県生駒郡で出土したと伝えられ、大阪の平瀬家に伝来したものです。

  • 「灰釉 鎬文 壺」<br />鎌倉時代から日本に数多く輸入された中国元時代の龍泉窯の酒会壺と呼ばれる広口の壺を写したものです。当時の瀬戸窯では日本で珍重されていた中国産陶磁の写しを盛んにつくっており、中世唯一の施釉陶器の生産窯でした。「古瀬戸」と総称されるその製品は、黄朽葉色を呈した灰釉が特色で、単なる写しを超えた独自の風格を持っています。

    「灰釉 鎬文 壺」
    鎌倉時代から日本に数多く輸入された中国元時代の龍泉窯の酒会壺と呼ばれる広口の壺を写したものです。当時の瀬戸窯では日本で珍重されていた中国産陶磁の写しを盛んにつくっており、中世唯一の施釉陶器の生産窯でした。「古瀬戸」と総称されるその製品は、黄朽葉色を呈した灰釉が特色で、単なる写しを超えた独自の風格を持っています。

  • 「鼠志野 草鳥文 額皿」<br />額仕立ての一幅の絵を彷彿させることから「額皿」と呼ばれ、桃山時代の志野の懐石道具の1つです。器表の一部を残し「鬼板」とよばれる鉄分の多い赤い泥で化粧掛けした後、文様部分を掻き落とし、志野特有の白い長石釉を掛けて焼成されています。生い茂ったすすきを近景に山並みや飛鳥を遠景に配する巧みな構図で、秋の風情が漂います。岐阜県美濃の大窯の製品と考えられます。<br />

    「鼠志野 草鳥文 額皿」
    額仕立ての一幅の絵を彷彿させることから「額皿」と呼ばれ、桃山時代の志野の懐石道具の1つです。器表の一部を残し「鬼板」とよばれる鉄分の多い赤い泥で化粧掛けした後、文様部分を掻き落とし、志野特有の白い長石釉を掛けて焼成されています。生い茂ったすすきを近景に山並みや飛鳥を遠景に配する巧みな構図で、秋の風情が漂います。岐阜県美濃の大窯の製品と考えられます。

  • 「染付 花実文 皿」<br />肥前の有田では1610年代頃に日本で初めて磁器の焼成に成功しました。とくに17世紀前半の初期の染付磁器は「初期伊万里」と呼ばれています。伊万里の名は伊万里港から製品が積み出されたことに由来します。呉須で器面を塗りつぶした背景に、たわわな実をつけた花実文が白抜きで伸びやかに描かれた珍しいモチーフです。鐔(つば)状の口縁部には櫛歯文(くしばもん)がめぐり、底部には小さな低い高台が付いています。

    「染付 花実文 皿」
    肥前の有田では1610年代頃に日本で初めて磁器の焼成に成功しました。とくに17世紀前半の初期の染付磁器は「初期伊万里」と呼ばれています。伊万里の名は伊万里港から製品が積み出されたことに由来します。呉須で器面を塗りつぶした背景に、たわわな実をつけた花実文が白抜きで伸びやかに描かれた珍しいモチーフです。鐔(つば)状の口縁部には櫛歯文(くしばもん)がめぐり、底部には小さな低い高台が付いています。

  • 「色絵 組紐文 皿」<br />将軍家への献上を目的として鍋島藩が藩窯で特別につくらせたのが鍋島焼です。献上磁器にふさわしい精巧さと格式がその特徴です。純白の地に染付の青と上絵の赤による組紐を2本ずつ配するシンプルですが斬新でデザイン化された構図をとります。緻密な点と線で描かれた組紐の房は鍋島藩窯の陶工の技術の高さをうかがわせます。

    「色絵 組紐文 皿」
    将軍家への献上を目的として鍋島藩が藩窯で特別につくらせたのが鍋島焼です。献上磁器にふさわしい精巧さと格式がその特徴です。純白の地に染付の青と上絵の赤による組紐を2本ずつ配するシンプルですが斬新でデザイン化された構図をとります。緻密な点と線で描かれた組紐の房は鍋島藩窯の陶工の技術の高さをうかがわせます。

  • 「色絵 菱畳地瓢箪文 大皿」<br />色鮮やかな菱形の幾何学衣装を背景に大商3つの瓢箪を大胆に配した構成です。瓢箪の中にはさらに鳳凰や燕子花が描かれています。こうした大皿は宴会などの場で使用され、大名らのステータスシンボルの1つでした。

    「色絵 菱畳地瓢箪文 大皿」
    色鮮やかな菱形の幾何学衣装を背景に大商3つの瓢箪を大胆に配した構成です。瓢箪の中にはさらに鳳凰や燕子花が描かれています。こうした大皿は宴会などの場で使用され、大名らのステータスシンボルの1つでした。

  • 「色絵 石畳鶴文 大皿」<br />「古九谷」と呼ばれる作品には有田の初期色絵磁器と考えられるものも多く見られますが、古九谷は鍋島家と婚戚関係にあった加賀藩前田家との深い関連があったことが指摘されています。石畳状に区切った幾何学意匠が斬新で、それぞれに両翼を広げたおめでたい鶴の文様が配されています。一部に上絵付が流れているのが見られることから、器はやや立て置かれて焼かれていたことが分かります。

    「色絵 石畳鶴文 大皿」
    「古九谷」と呼ばれる作品には有田の初期色絵磁器と考えられるものも多く見られますが、古九谷は鍋島家と婚戚関係にあった加賀藩前田家との深い関連があったことが指摘されています。石畳状に区切った幾何学意匠が斬新で、それぞれに両翼を広げたおめでたい鶴の文様が配されています。一部に上絵付が流れているのが見られることから、器はやや立て置かれて焼かれていたことが分かります。

  • 「色絵 草花文 瓶」<br />玉縁状の口縁部に長い頸が付いた長首瓶で、胴部は緩やかな膨らみを見せています。朱を主体とした緑と黄と紫の上絵付けで草花文と太湖石が繊細な筆致で描かれています。柿右衛門様式に先行してオランダ東インド会社よりヨーロッパに輸出された製品と考えられています。

    「色絵 草花文 瓶」
    玉縁状の口縁部に長い頸が付いた長首瓶で、胴部は緩やかな膨らみを見せています。朱を主体とした緑と黄と紫の上絵付けで草花文と太湖石が繊細な筆致で描かれています。柿右衛門様式に先行してオランダ東インド会社よりヨーロッパに輸出された製品と考えられています。

  • 「色絵 牡丹椿文 八角壺」<br />胴の両面には太湖石を配した牡丹と椿の図が八角に面取された面を意識せず大らかに堂々と描かれています。絵付の見事な迫力と華やかさは口部の歪みという欠点を補って余りあるものです。文様や造形など延宝年間の柿右衛門様式の色絵磁器とも通じますが、胎土はまだそれほど精錬されていません。海外向け輸出品で長らくヨーロッパにあったと伝えられています。

    「色絵 牡丹椿文 八角壺」
    胴の両面には太湖石を配した牡丹と椿の図が八角に面取された面を意識せず大らかに堂々と描かれています。絵付の見事な迫力と華やかさは口部の歪みという欠点を補って余りあるものです。文様や造形など延宝年間の柿右衛門様式の色絵磁器とも通じますが、胎土はまだそれほど精錬されていません。海外向け輸出品で長らくヨーロッパにあったと伝えられています。

  • 「色絵 相撲人形」<br />延宝年間に中国の技術を導入して完成した有田の柿右衛門様式は濁手と呼ばれる乳白色の胎土と余白を生かした上絵付けが特徴です。この作品は相撲を取る様を表現した型造りの置物で、髷や回しなどに金彩茂残っています。

    「色絵 相撲人形」
    延宝年間に中国の技術を導入して完成した有田の柿右衛門様式は濁手と呼ばれる乳白色の胎土と余白を生かした上絵付けが特徴です。この作品は相撲を取る様を表現した型造りの置物で、髷や回しなどに金彩茂残っています。

  • このような柿右衛門様式の人形はヨーロッパの宮殿や美術館や博物館で何度も見たことがあります。この作品もヨーロッパ向けの輸出品だったと思われます。

    このような柿右衛門様式の人形はヨーロッパの宮殿や美術館や博物館で何度も見たことがあります。この作品もヨーロッパ向けの輸出品だったと思われます。

  • 「織部 透彫隅切 四方鉢」<br />たたら造りと呼ばれる板状の粘土により成形したもので、四隅切り落とした隅切りの深鉢です。織部特有の緑釉は施されていませんが、梅花形の透かし彫りと鉄絵の梅花文や幾何学模様などが際立っています。

    「織部 透彫隅切 四方鉢」
    たたら造りと呼ばれる板状の粘土により成形したもので、四隅切り落とした隅切りの深鉢です。織部特有の緑釉は施されていませんが、梅花形の透かし彫りと鉄絵の梅花文や幾何学模様などが際立っています。

  • 「織部 舟形向付」<br />舟形向付は織部特有の形状と言えます。2方に緑釉を掛けて見込みには鉄絵による吊るし柿幾何学文が描かれています。外側には波濤文が描かれ。舟が波を立てて進む姿が描かれています。

    「織部 舟形向付」
    舟形向付は織部特有の形状と言えます。2方に緑釉を掛けて見込みには鉄絵による吊るし柿幾何学文が描かれています。外側には波濤文が描かれ。舟が波を立てて進む姿が描かれています。

  • 「色絵 秋草文 徳利」<br />古清水とは江戸時代の京焼色絵陶器の総称で、後発の京焼磁器である清水焼に対するものです。緑を基調に青や赤などの色絵や金彩により菊花を中心とした草花文が伸びやかに描かれ、古清水らしい繊細華麗な作風が見られます。露胎の底部には「岩倉」銘の小判形印が捺されています。同一銘の陶片が京都御苑(公家町遺跡)の17世紀後半の土壙から出土していることから、同時期のものと考えられます。

    「色絵 秋草文 徳利」
    古清水とは江戸時代の京焼色絵陶器の総称で、後発の京焼磁器である清水焼に対するものです。緑を基調に青や赤などの色絵や金彩により菊花を中心とした草花文が伸びやかに描かれ、古清水らしい繊細華麗な作風が見られます。露胎の底部には「岩倉」銘の小判形印が捺されています。同一銘の陶片が京都御苑(公家町遺跡)の17世紀後半の土壙から出土していることから、同時期のものと考えられます。

  • 「色絵 椿文 輪花向付」<br />仁清から陶法を学んだ尾形乾山は洛西鳴滝に開窯しました。後に市中の二条丁子屋町に移ると意匠性の優れた乾山の焼き物は新興町人層の人気を得ました。

    「色絵 椿文 輪花向付」
    仁清から陶法を学んだ尾形乾山は洛西鳴滝に開窯しました。後に市中の二条丁子屋町に移ると意匠性の優れた乾山の焼き物は新興町人層の人気を得ました。

  • 見学を始めてから気が付いたら2時間以上が経っていましたが、長年の願いであった「大阪市立東洋陶磁美術館」に来ることが出来てよかったです。

    見学を始めてから気が付いたら2時間以上が経っていましたが、長年の願いであった「大阪市立東洋陶磁美術館」に来ることが出来てよかったです。

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