下鴨・宝ヶ池・平安神宮旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「桂離宮」へ行った翌日は「修学院離宮」を予約してありました。午前11時からの参観なので、その前に紅葉で有名な「赤山禅院」を参拝することにしました。当初は修学院から大原三千院と寂光院に行こうと考えていましたが、妻の足の具合がよくないので、バスの混雑などの影響の無いところの観光に変更しました。「赤山禅院」は40年近く前に父と一緒に行ったことがあるので懐かしい思い出があります。電車を乗り継いでも大変なので、ホテルからタクシーで向かいました。紅葉はかなり進んでいましたが、訪れる人も少なく気持ちよく参拝できました。次は坂を下りながら「修学院離宮」の参観をして、その後は「曼殊院」へ向かいますが、昔もこんな住宅地を歩いたのだろうかと思い出しても記憶がよみがえりません。「曼殊院」も正面の曼殊院道からアプローチしなかったので最初は記憶と繋がりませんでしたが、赤い毛氈に座って庭を眺めていると中学2年生の頃のことが思い出されました。続いて「詩仙堂」に向かって住宅地を歩きますが、途中にあった「圓光寺」に入る観光客らしい人がたくさんいたのでネットで調べてみました。すると有名な寺院で庭が有名なのと、翌日から予約しなければならなくて料金も倍になるというので入ってみることにしました。紅葉の盛りには少し早かったですが、なかなか素敵な庭園でした。そして最後に「詩仙堂」に向かいます。ここへ来るのも46年ぶりのことで記憶の一部が「白沙村荘」と混在していることに気が付きました。今回の旅で記憶の誤りが是正できて良かったと思いました。そうなると市内に戻る途中にある「白沙村荘」にも立ち寄りたくなりますが、もう午後5時近いので諦めました。最後に宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした「一条寺下り松」を眺めて市バスで京都駅まで戻りました。翌日には東京に戻るので地元の友人にお土産を買いに伊勢丹に入りましたが、ちょうどイベントで「大安」の千枚漬けの量り売りをやっていたので買い求めました。最後の晩御飯も伊勢丹のレストランで済まそうと思い京都のお好み焼きを食べましたが、やっぱり大阪の方が美味しいかなと思いました。

大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(24)赤山禅院から曼殊院門跡を経て詩仙堂の紅葉狩り。

7いいね!

2021/11/11 - 2021/11/11

1927位(同エリア2856件中)

旅行記グループ 2021大阪京都の旅

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kojikoji

kojikojiさん

「桂離宮」へ行った翌日は「修学院離宮」を予約してありました。午前11時からの参観なので、その前に紅葉で有名な「赤山禅院」を参拝することにしました。当初は修学院から大原三千院と寂光院に行こうと考えていましたが、妻の足の具合がよくないので、バスの混雑などの影響の無いところの観光に変更しました。「赤山禅院」は40年近く前に父と一緒に行ったことがあるので懐かしい思い出があります。電車を乗り継いでも大変なので、ホテルからタクシーで向かいました。紅葉はかなり進んでいましたが、訪れる人も少なく気持ちよく参拝できました。次は坂を下りながら「修学院離宮」の参観をして、その後は「曼殊院」へ向かいますが、昔もこんな住宅地を歩いたのだろうかと思い出しても記憶がよみがえりません。「曼殊院」も正面の曼殊院道からアプローチしなかったので最初は記憶と繋がりませんでしたが、赤い毛氈に座って庭を眺めていると中学2年生の頃のことが思い出されました。続いて「詩仙堂」に向かって住宅地を歩きますが、途中にあった「圓光寺」に入る観光客らしい人がたくさんいたのでネットで調べてみました。すると有名な寺院で庭が有名なのと、翌日から予約しなければならなくて料金も倍になるというので入ってみることにしました。紅葉の盛りには少し早かったですが、なかなか素敵な庭園でした。そして最後に「詩仙堂」に向かいます。ここへ来るのも46年ぶりのことで記憶の一部が「白沙村荘」と混在していることに気が付きました。今回の旅で記憶の誤りが是正できて良かったと思いました。そうなると市内に戻る途中にある「白沙村荘」にも立ち寄りたくなりますが、もう午後5時近いので諦めました。最後に宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした「一条寺下り松」を眺めて市バスで京都駅まで戻りました。翌日には東京に戻るので地元の友人にお土産を買いに伊勢丹に入りましたが、ちょうどイベントで「大安」の千枚漬けの量り売りをやっていたので買い求めました。最後の晩御飯も伊勢丹のレストランで済まそうと思い京都のお好み焼きを食べましたが、やっぱり大阪の方が美味しいかなと思いました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 京都に来て1週間が経ちました。残り2日ですが予定がたっぷりなので妻の顔が憂鬱そうです。当初は修学院離宮に行った後に大原まで足を延ばす予定でしたが、近くのお寺を周って、早めにホテルに戻れるように変更しました。毎日2万歩歩いている疲れがピークになってきました。

    京都に来て1週間が経ちました。残り2日ですが予定がたっぷりなので妻の顔が憂鬱そうです。当初は修学院離宮に行った後に大原まで足を延ばす予定でしたが、近くのお寺を周って、早めにホテルに戻れるように変更しました。毎日2万歩歩いている疲れがピークになってきました。

  • 腹が減っては戦も出来ないのでしっかり朝ごはんはいただきました。パンと濃厚なコーンスープをおかわりました。

    腹が減っては戦も出来ないのでしっかり朝ごはんはいただきました。パンと濃厚なコーンスープをおかわりました。

  • 移動は京都駅から出町柳を経由して電車で修学院まで出るつもりでしたが、妻の疲れもあるのでタクシーで「赤山禅院」まで移動しました。

    移動は京都駅から出町柳を経由して電車で修学院まで出るつもりでしたが、妻の疲れもあるのでタクシーで「赤山禅院」まで移動しました。

  • 妻はここへ来るのは初めてですが、父と一緒に旅した思い出のある寺院です。ただ、「修学院離宮」と合わせてきたのであまり記憶が残っていません。

    妻はここへ来るのは初めてですが、父と一緒に旅した思い出のある寺院です。ただ、「修学院離宮」と合わせてきたのであまり記憶が残っていません。

  • 赤山禅院の本尊は泰山府君(赤山大明神)で、京都御所から見て表鬼門の方角に当たるため、方除けの神として古来信仰を集めています。

    赤山禅院の本尊は泰山府君(赤山大明神)で、京都御所から見て表鬼門の方角に当たるため、方除けの神として古来信仰を集めています。

  • 拝殿の屋根の上には御所の東北角の角にある猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されています。星野之宣の「宗像教授伝記考」の題材になりそうな壮大な仕掛けを感じます。

    拝殿の屋根の上には御所の東北角の角にある猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されています。星野之宣の「宗像教授伝記考」の題材になりそうな壮大な仕掛けを感じます。

  • 赤山禅院は紅葉の名所としても有名で、写真を撮りに来ている方が数名いらっしゃいました。ピークにはまだ少し時間がかかりそうですが、逆に空いていて良かったです。

    赤山禅院は紅葉の名所としても有名で、写真を撮りに来ている方が数名いらっしゃいました。ピークにはまだ少し時間がかかりそうですが、逆に空いていて良かったです。

  • 「皇城表鬼門」の木札が重みを感じます。本殿には本尊の赤山大明神が皇城表鬼門の鎮守として祀られています。赤山大明神は唐の赤山にあった泰山府君を、慈覚大師円仁の遺命によって勧請したものです。

    「皇城表鬼門」の木札が重みを感じます。本殿には本尊の赤山大明神が皇城表鬼門の鎮守として祀られています。赤山大明神は唐の赤山にあった泰山府君を、慈覚大師円仁の遺命によって勧請したものです。

  • 鎮座している獅子は中国風の面構えです。道教の影響があるのだろうかなどと考えてしまいます。中国や台湾やベトナムなどを旅すると道教の寺院に行く機会があったり、美術館でも神々に出会うことがあります。その度にあまり知識の無いことに悲しくなる時があります。

    鎮座している獅子は中国風の面構えです。道教の影響があるのだろうかなどと考えてしまいます。中国や台湾やベトナムなどを旅すると道教の寺院に行く機会があったり、美術館でも神々に出会うことがあります。その度にあまり知識の無いことに悲しくなる時があります。

  • 赤山の弁財天は出世弁財天として信仰されています。ただ、都七福神では赤山禅院の本尊の赤山大明神は、天にあっては福禄寿神、地にあっては泰山府君とされるので福禄寿の寺院となっています。

    赤山の弁財天は出世弁財天として信仰されています。ただ、都七福神では赤山禅院の本尊の赤山大明神は、天にあっては福禄寿神、地にあっては泰山府君とされるので福禄寿の寺院となっています。

  • 竹林の青さと紅葉しかかったモミジが美しいです。弁天堂の左側に十六羅漢の石像が祀られています。

    竹林の青さと紅葉しかかったモミジが美しいです。弁天堂の左側に十六羅漢の石像が祀られています。

  • 羅漢様と対峙して何を話しているのでしょう。黄檗の萬福寺では羅漢様の物まねをしていたから罰が当たりますよ。

    羅漢様と対峙して何を話しているのでしょう。黄檗の萬福寺では羅漢様の物まねをしていたから罰が当たりますよ。

  • 本尊の泰山府君(赤山大明神)は東岳大帝とも呼ばれ、中国の五岳の1つである東岳泰山の神とされます。泰山は古くから死者の霊が集まる場所とされたため、泰山の神は冥界の最高神であり、人間の寿命や在世での地位を司ると考えられています。

    本尊の泰山府君(赤山大明神)は東岳大帝とも呼ばれ、中国の五岳の1つである東岳泰山の神とされます。泰山は古くから死者の霊が集まる場所とされたため、泰山の神は冥界の最高神であり、人間の寿命や在世での地位を司ると考えられています。

  • 漢代以降は歴代皇帝が泰山において封禅の儀式を行うようになり、泰山の神は天帝に匹敵する権威をもつようになります。以前泰山の山頂に立ったことがありますが、日本の山岳信仰とは規模の違う迫力を感じました。

    漢代以降は歴代皇帝が泰山において封禅の儀式を行うようになり、泰山の神は天帝に匹敵する権威をもつようになります。以前泰山の山頂に立ったことがありますが、日本の山岳信仰とは規模の違う迫力を感じました。

  • また、日本では陰陽道の主祭神でもあり、陰陽道などを題材とした物語では、安倍晴明が使ったとされる陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」は死者を蘇らせる秘術であるとされます。

    また、日本では陰陽道の主祭神でもあり、陰陽道などを題材とした物語では、安倍晴明が使ったとされる陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」は死者を蘇らせる秘術であるとされます。

  • 日が射してきたのでモミジがさらに美しくなってきました。

    日が射してきたのでモミジがさらに美しくなってきました。

  • 赤山大明神は地蔵菩薩の化身であるとされます。赤山禅院には地蔵菩薩を祀るお堂もありました。それぞれを参拝していたらコインケースの中が空っぽになりました。

    赤山大明神は地蔵菩薩の化身であるとされます。赤山禅院には地蔵菩薩を祀るお堂もありました。それぞれを参拝していたらコインケースの中が空っぽになりました。

  • 赤山禅院には1本だけ寒桜が咲いていました。一重の白っぽい桜で、春に咲くソメイヨシノに見た目が近いと思いました。

    赤山禅院には1本だけ寒桜が咲いていました。一重の白っぽい桜で、春に咲くソメイヨシノに見た目が近いと思いました。

  • 屋根の上には鬼門除けの猿が御幣とかぐら鈴を持ち、皇城(京都御所)を守護しています。かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網の中に入れられています。

    屋根の上には鬼門除けの猿が御幣とかぐら鈴を持ち、皇城(京都御所)を守護しています。かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網の中に入れられています。

  • 神猿は都の鬼門を見守った後でも猿小屋に留め置かれ、後進の猿に作法を伝授するために拝殿に向いています。やはり逃げられないように鉄柵の中に置かれています。

    神猿は都の鬼門を見守った後でも猿小屋に留め置かれ、後進の猿に作法を伝授するために拝殿に向いています。やはり逃げられないように鉄柵の中に置かれています。

  • 地蔵堂の左側の建物には、たくさんのわらじが吊るされています。比叡山の千日回峰行は7年間にわたって行われ、5年700日を満行すると最も過酷とされる「堂入り」が行われます。堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる<br />阿闍梨となり、行者は自分のための自利行から衆生救済の利他行に入ります。

    地蔵堂の左側の建物には、たくさんのわらじが吊るされています。比叡山の千日回峰行は7年間にわたって行われ、5年700日を満行すると最も過酷とされる「堂入り」が行われます。堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる
    阿闍梨となり、行者は自分のための自利行から衆生救済の利他行に入ります。

  • 6年目からはこれまでの行程に赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日間続けられます。7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻ります。

    6年目からはこれまでの行程に赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日間続けられます。7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻ります。

  • 京都大回りでは、行者は午前2時に無道寺谷を出て比叡山中30キロの山廻りを行った後に明王堂に戻り、それから雲母坂を下って赤山禅院へ入ります。赤山禅院ではわらじを履き替え、お加持を行った後に京都市内の神社仏閣を巡拝します。二条陣屋に寄っていただいたのはその途中だったのだと思います。

    京都大回りでは、行者は午前2時に無道寺谷を出て比叡山中30キロの山廻りを行った後に明王堂に戻り、それから雲母坂を下って赤山禅院へ入ります。赤山禅院ではわらじを履き替え、お加持を行った後に京都市内の神社仏閣を巡拝します。二条陣屋に寄っていただいたのはその途中だったのだと思います。

  • 「赤山禅院」の参拝を終えて坂を下りながら少し歩くと「修学院離宮」の前に出ます。午前11時に予約をしてあります。「修学院離宮」の参観は次の旅行記にします。

    「赤山禅院」の参拝を終えて坂を下りながら少し歩くと「修学院離宮」の前に出ます。午前11時に予約をしてあります。「修学院離宮」の参観は次の旅行記にします。

  • 参観が終わった正午過ぎに禅華院の前を通り過ぎて「曼殊院」に向かいます。周囲は普通の住宅地なのに驚かされると同時に、30数年前に父と歩いた記憶が全くありません。

    参観が終わった正午過ぎに禅華院の前を通り過ぎて「曼殊院」に向かいます。周囲は普通の住宅地なのに驚かされると同時に、30数年前に父と歩いた記憶が全くありません。

  • 「禅華院」の山門が修復工事中でしたが、ここには小堀遠州の遺した枯山水の庭園があるそうです。事前予約が必要なようですが、急に予定を変えたので先を急ぎます。

    「禅華院」の山門が修復工事中でしたが、ここには小堀遠州の遺した枯山水の庭園があるそうです。事前予約が必要なようですが、急に予定を変えたので先を急ぎます。

  • しばらく歩いてようやく住宅街や田園の風景から景色が変わってきました。

    しばらく歩いてようやく住宅街や田園の風景から景色が変わってきました。

  • ようやく「曼殊院」に着きました。ここへ来るのも2回目なのですが、ほとんど記憶が残っていません。

    ようやく「曼殊院」に着きました。ここへ来るのも2回目なのですが、ほとんど記憶が残っていません。

  • 曼殊院(まんしゅいん)は天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来、開山は是算(ぜさん)です。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院と三千院(梶井門跡)、妙法院と毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられます。

    曼殊院(まんしゅいん)は天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来、開山は是算(ぜさん)です。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院と三千院(梶井門跡)、妙法院と毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられます。

  • 勅使門は閉じられていますので来た通用門から拝観をします。寺院藍は庭園を覗いて写真撮影は出来ません。庫裏から大玄閣を抜けていきます。

    勅使門は閉じられていますので来た通用門から拝観をします。寺院藍は庭園を覗いて写真撮影は出来ません。庫裏から大玄閣を抜けていきます。

  • 庭園は国指定名勝の枯山水庭園です。小堀遠州の作といわれますが、遠州は曼殊院の当地への移転以前の正保4年の1647年に没しており、実際の作庭者は不明のようです。

    庭園は国指定名勝の枯山水庭園です。小堀遠州の作といわれますが、遠州は曼殊院の当地への移転以前の正保4年の1647年に没しており、実際の作庭者は不明のようです。

  • 鶴島にある樹齢400年の五葉松は鶴を表現しています。その根元には曼殊院型の切支丹灯篭が置かれ、公家風で趣味豊かな良尚親王の趣向を反映しているといわれます。

    鶴島にある樹齢400年の五葉松は鶴を表現しています。その根元には曼殊院型の切支丹灯篭が置かれ、公家風で趣味豊かな良尚親王の趣向を反映しているといわれます。

  • 小書院は静かに水面をさかのぼる屋形舟を表現していると言われます。なるほど敷かれた白砂が流れる水のように見えてきます。

    小書院は静かに水面をさかのぼる屋形舟を表現していると言われます。なるほど敷かれた白砂が流れる水のように見えてきます。

  • 水面は大書院と古書院の前で水紋を落としています。白砂に描かれた模様のことを「砂紋(さもん)」または「箒目(ほうきめ)」といい、水の流れを表していますが、どの順番で描かれているのかが気になります。

    水面は大書院と古書院の前で水紋を落としています。白砂に描かれた模様のことを「砂紋(さもん)」または「箒目(ほうきめ)」といい、水の流れを表していますが、どの順番で描かれているのかが気になります。

  • 二条陣屋の旅行記でも紹介した司馬遼太郎が産経新聞の記者時代に企画した「美の脇役」では曼殊院の梟の手水鉢についても、染色家で京都市立芸術大学名誉教授だった佐野猛夫が書いています。

    二条陣屋の旅行記でも紹介した司馬遼太郎が産経新聞の記者時代に企画した「美の脇役」では曼殊院の梟の手水鉢についても、染色家で京都市立芸術大学名誉教授だった佐野猛夫が書いています。

  • この庭の亀島にも霧島つつじがたくさん植えてあるので、ゴールデンウィークの頃はきれいな花で埋め尽くされるのでしょう。5月の桂離宮も霧島つつじがきれいだったことを思い出します。

    この庭の亀島にも霧島つつじがたくさん植えてあるので、ゴールデンウィークの頃はきれいな花で埋め尽くされるのでしょう。5月の桂離宮も霧島つつじがきれいだったことを思い出します。

  • しばらく美しい庭の眺めを楽しみました。紅葉のピークでは無いので空いているのが良かったです。

    しばらく美しい庭の眺めを楽しみました。紅葉のピークでは無いので空いているのが良かったです。

  • 入口である勅使門の左右の塀は5本の水平の筋が入った築地塀で、門跡寺院としての格式の高さを表しています。

    入口である勅使門の左右の塀は5本の水平の筋が入った築地塀で、門跡寺院としての格式の高さを表しています。

  • 石垣と苔の具合と築地塀の組み合わせが青蓮院を思い出させます。門跡寺院としての共通の意匠があるのでしょうか。

    石垣と苔の具合と築地塀の組み合わせが青蓮院を思い出させます。門跡寺院としての共通の意匠があるのでしょうか。

  • 勅使門は高い石段の上に西に面して立つ曼殊院の正門です。

    勅使門は高い石段の上に西に面して立つ曼殊院の正門です。

  • 勅使門へ延びる参道の左右には「浩宮殿下お成り記念樹」と「礼宮文仁殿下お成り記念樹」が植えられています。勅使門に向かって右が浩宮で左が礼宮なのですが、基本的に左側の方が上位なので勅使門から見ての左右なのでしょう。礼宮の紅葉は北田画に植えられてあるので日当たりが良くきれいに色づいていました。

    勅使門へ延びる参道の左右には「浩宮殿下お成り記念樹」と「礼宮文仁殿下お成り記念樹」が植えられています。勅使門に向かって右が浩宮で左が礼宮なのですが、基本的に左側の方が上位なので勅使門から見ての左右なのでしょう。礼宮の紅葉は北田画に植えられてあるので日当たりが良くきれいに色づいていました。

  • 「曼殊院」からは地図を頼りに「詩仙堂」に向かって歩きます。

    「曼殊院」からは地図を頼りに「詩仙堂」に向かって歩きます。

  • 道中にたくさんの観光客の姿があったので足を止め、ネットで調べてみると「圓光寺」というお寺でした。ここについては全く調べてなかったのですが、庭園の紅葉が有名なようです。

    道中にたくさんの観光客の姿があったので足を止め、ネットで調べてみると「圓光寺」というお寺でした。ここについては全く調べてなかったのですが、庭園の紅葉が有名なようです。

  • この日11月11日までは通常料金で拝観できますが、翌日からは予約制で1,000円という拝観料に変わると書かれてあるので入ることにしました。

    この日11月11日までは通常料金で拝観できますが、翌日からは予約制で1,000円という拝観料に変わると書かれてあるので入ることにしました。

  • 徳川家康により慶長6年の1601年に足利学校の第9代の庠主であった閑室元佶が招かれ、伏見城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まるそうです。子供の頃に足利学校は父に連れられて見学したことがあるので興味が湧きました。さらに学校でもあったことから家康から与えられた木活字を用いて儒学や兵法関連の書物を刊行していたそうです。

    徳川家康により慶長6年の1601年に足利学校の第9代の庠主であった閑室元佶が招かれ、伏見城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まるそうです。子供の頃に足利学校は父に連れられて見学したことがあるので興味が湧きました。さらに学校でもあったことから家康から与えられた木活字を用いて儒学や兵法関連の書物を刊行していたそうです。

  • これらの書物は「伏見版」あるいは「円光寺版」と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されているとのことです。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり重要文化財となっているということに興味が湧きました。ベルギーのアントワープにあるプランタン・モレトゥス博物館で中世の活版印刷についての展示はとても興味深かった思い出があります。

    これらの書物は「伏見版」あるいは「円光寺版」と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されているとのことです。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり重要文化財となっているということに興味が湧きました。ベルギーのアントワープにあるプランタン・モレトゥス博物館で中世の活版印刷についての展示はとても興味深かった思い出があります。

  • 木活字版はこの瑞雲閣の中に展示されていました。奔龍庭は奔る龍をイメージした躍動感のある平成の枯山水庭園です。白砂を雲海に、石組を龍や稲妻に見立てた庭を見た妻は「クリプトン星だわ。」と一言呟きました。石柱はかつて井戸の部材として使われていたものを再利用されたそうです。

    木活字版はこの瑞雲閣の中に展示されていました。奔龍庭は奔る龍をイメージした躍動感のある平成の枯山水庭園です。白砂を雲海に、石組を龍や稲妻に見立てた庭を見た妻は「クリプトン星だわ。」と一言呟きました。石柱はかつて井戸の部材として使われていたものを再利用されたそうです。

  • 庭の横から奥にある庭園に向かいます。

    庭の横から奥にある庭園に向かいます。

  • 本堂前には手水鉢と水琴窟が置かれていて、耳を澄ますと地中から澄んだ音が聞こえました。

    本堂前には手水鉢と水琴窟が置かれていて、耳を澄ますと地中から澄んだ音が聞こえました。

  • 本堂の前の庭園は「十牛之庭」と呼ばれるそうです。池泉回遊式庭園は禅の悟りにいたる道筋を牛を追う童子の様で十枚の絵に表した十牛図を題材にして造られたそうで、牛に見える10の石が配されているそうです。

    本堂の前の庭園は「十牛之庭」と呼ばれるそうです。池泉回遊式庭園は禅の悟りにいたる道筋を牛を追う童子の様で十枚の絵に表した十牛図を題材にして造られたそうで、牛に見える10の石が配されているそうです。

  • しばらく座って眺めてみましたが、よく分かりませんでした。紅葉もあまり進んでいなく、HPなどで紹介されているほどではありませんでした。

    しばらく座って眺めてみましたが、よく分かりませんでした。紅葉もあまり進んでいなく、HPなどで紹介されているほどではありませんでした。

  • 十牛之庭の奥にはきれいな竹林がありました。この道を進んでいくと階段があり、その先は普通の墓地でした。

    十牛之庭の奥にはきれいな竹林がありました。この道を進んでいくと階段があり、その先は普通の墓地でした。

  • 最も人気のある楽しみ方は何といっても本堂の柱を額縁に見立て、額縁庭園として観賞する方法のようです。周囲を歩いてみましたが、やはり紅葉が進んでいないと普通の庭といった印象です。

    最も人気のある楽しみ方は何といっても本堂の柱を額縁に見立て、額縁庭園として観賞する方法のようです。周囲を歩いてみましたが、やはり紅葉が進んでいないと普通の庭といった印象です。

  • 今でも後悔していることがあって、外祖父に「十牛図」を描いてもらえばよかったなと思っています。1枚だけ短冊に描いたものがありますが、十牛に関わるものを見たり聞いたりするとそう思ってしまいます。

    今でも後悔していることがあって、外祖父に「十牛図」を描いてもらえばよかったなと思っています。1枚だけ短冊に描いたものがありますが、十牛に関わるものを見たり聞いたりするとそう思ってしまいます。

  • 本殿玄関口では「琳派彩還 四季草花図」が出迎えてくれます。琳派風に日本の四季を凝縮して描いた襖絵のようです。

    本殿玄関口では「琳派彩還 四季草花図」が出迎えてくれます。琳派風に日本の四季を凝縮して描いた襖絵のようです。

  • 先があるのでお暇することにします。

    先があるのでお暇することにします。

  • 確かにクリプトン星かGODZILLAの場面も想像させました。凝りすぎた新しい庭園は個人的には好きではありません。

    確かにクリプトン星かGODZILLAの場面も想像させました。凝りすぎた新しい庭園は個人的には好きではありません。

  • 一番心に響いたのはここから眺めた京都市内の風景でした。だいぶ時間も押してきたので「詩仙堂」を目指します。

    一番心に響いたのはここから眺めた京都市内の風景でした。だいぶ時間も押してきたので「詩仙堂」を目指します。

  • へとへとになってたどり着いた「詩仙堂」には記憶がありました。中学2年の時以来に来たので46年振りの再訪です。「小有洞」という門をくぐった奥に進みます。扁額「小有洞」は丈山の筆によるものです。

    へとへとになってたどり着いた「詩仙堂」には記憶がありました。中学2年の時以来に来たので46年振りの再訪です。「小有洞」という門をくぐった奥に進みます。扁額「小有洞」は丈山の筆によるものです。

  • このアプローチの仕方も印象的です。前日に「桂離宮」で真、行、草の3つの飛び石を見てきたばかりなので気になります。

    このアプローチの仕方も印象的です。前日に「桂離宮」で真、行、草の3つの飛び石を見てきたばかりなので気になります。

  • 「老梅関」という門の前に立つと中学生の時もこの門が人の顔に見えたことを思い出します。

    「老梅関」という門の前に立つと中学生の時もこの門が人の顔に見えたことを思い出します。

  • 玄関上は3階建ての「嘯月楼」が見え、その右手には仏間と六畳と八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」と「読書の間」などが続きます。

    玄関上は3階建ての「嘯月楼」が見え、その右手には仏間と六畳と八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」と「読書の間」などが続きます。

  • 詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘です。中学生ながら隠居したらこんなところに住みたいと思いました。丈山はここで煎茶を喫し、漢詩を読んで晩年の31年間を過ごしまた。59歳から90歳までの人生を考えると自分の遺された人生と重ねて考えてしまいます。

    詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘です。中学生ながら隠居したらこんなところに住みたいと思いました。丈山はここで煎茶を喫し、漢詩を読んで晩年の31年間を過ごしまた。59歳から90歳までの人生を考えると自分の遺された人生と重ねて考えてしまいます。

  • 日常生活の規律として「六勿銘」(ろっこつめい)を定めている。<br />勿妄丙王  火の用心(火を粗末に取り扱うな)<br />勿忘棍族  戸締用心(盗賊を防ぐことを忘れるな)<br />勿厭晨興  早起き(早起きをいとうな)<br />勿嫌レイ食 粗食(粗食をいとうな)<br />勿変倹勤  倹約(倹約と勤勉を変えるな)<br />勿惰拂拭  掃除(掃除をおこたるな)

    日常生活の規律として「六勿銘」(ろっこつめい)を定めている。
    勿妄丙王  火の用心(火を粗末に取り扱うな)
    勿忘棍族  戸締用心(盗賊を防ぐことを忘れるな)
    勿厭晨興  早起き(早起きをいとうな)
    勿嫌レイ食 粗食(粗食をいとうな)
    勿変倹勤  倹約(倹約と勤勉を変えるな)
    勿惰拂拭  掃除(掃除をおこたるな)

  • 伏見桃山城にあった左甚五郎の欄間が飾られていました。中央上に立つ親獅子が左下に子獅子を谷底に落とした、獅子は我が子を千尋の谷に落とす「獅子の子落し」の場面です。

    伏見桃山城にあった左甚五郎の欄間が飾られていました。中央上に立つ親獅子が左下に子獅子を谷底に落とした、獅子は我が子を千尋の谷に落とす「獅子の子落し」の場面です。

  • 庭先の高欄と床の竹の敷き方が面白いです。どこからか鹿おどしの音が響きます。ここも春先はさつきが見事に咲くのではないでしょうか。

    庭先の高欄と床の竹の敷き方が面白いです。どこからか鹿おどしの音が響きます。ここも春先はさつきが見事に咲くのではないでしょうか。

  • 詩仙堂は正しくは「凹凸窠」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味があります。座敷から見える庭園はほんの一部でその先を下っていく回遊庭園には驚かされます。

    詩仙堂は正しくは「凹凸窠」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味があります。座敷から見える庭園はほんの一部でその先を下っていく回遊庭園には驚かされます。

  • 詩仙堂には丈山の書がいくつか見られますが、その1つに「既飽」の2字を彫った扁額があります。「すでに満腹であり、腹八分目をよしとする」といった意味です。この旅の後に新しい炊飯器が届き、糖質を40%削減できるというものなのですが、気が緩んでしまい。ご飯の量が60%増えてしまい本末転倒の状態になりました。

    詩仙堂には丈山の書がいくつか見られますが、その1つに「既飽」の2字を彫った扁額があります。「すでに満腹であり、腹八分目をよしとする」といった意味です。この旅の後に新しい炊飯器が届き、糖質を40%削減できるというものなのですが、気が緩んでしまい。ご飯の量が60%増えてしまい本末転倒の状態になりました。

  • 江戸時代の絵師の狩野探幽が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には丈山が隷書体にて記した漢詩が書かれています。四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としていることから、「詩仙堂」と呼ばれています。

    江戸時代の絵師の狩野探幽が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には丈山が隷書体にて記した漢詩が書かれています。四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としていることから、「詩仙堂」と呼ばれています。

  • これは三十六歌仙にならって石川丈山が中国の漢代から宋代にいたる36人のすぐれた詩人を選び出し、狩野探幽にその像を描かせたものです。左に蘇武・謝霊運・杜審言・李白・王維・高適・儲光羲・韋応物・韓愈・劉禹錫・李賀・杜牧・寒山・林逋・梅堯臣・欧陽脩・黄庭堅・陳与義の18人。右に陶潜・鮑照・陳子昂・杜甫・孟浩然・岑参・王昌齢・劉長卿・柳宗元・白居易・盧・李商隠・霊徹・邵雍・蘇舜欽・蘇軾・陳師道・曾幾の18人が描かれています。

    これは三十六歌仙にならって石川丈山が中国の漢代から宋代にいたる36人のすぐれた詩人を選び出し、狩野探幽にその像を描かせたものです。左に蘇武・謝霊運・杜審言・李白・王維・高適・儲光羲・韋応物・韓愈・劉禹錫・李賀・杜牧・寒山・林逋・梅堯臣・欧陽脩・黄庭堅・陳与義の18人。右に陶潜・鮑照・陳子昂・杜甫・孟浩然・岑参・王昌齢・劉長卿・柳宗元・白居易・盧・李商隠・霊徹・邵雍・蘇舜欽・蘇軾・陳師道・曾幾の18人が描かれています。

  • 「大雅久不作」<br />大雅久不作  大雅久しく作(お)こらず<br />  吾衰竟誰陳  吾衰へなば竟に誰か陳べん<br />  王風委蔓草  王風 蔓草に委し<br />  戰國多荊榛  戰國 荊榛多し<br />  龍虎相啖食  龍虎 相ひ啖食し<br />  兵戈逮狂秦  兵戈 狂秦に逮(およ)ぶ<br />  正聲何微茫  正聲 何ぞ微茫たる<br />  哀怨起騷人  哀怨 騷人より起こる<br />  揚馬激頽波  揚馬 頽波を激し<br />  開流蕩無垠  流れを開き 蕩として垠(かぎり)無し<br />  廢興雖萬變  廢興 萬變すと雖も<br />  憲章亦已淪  憲章 亦た已に淪(ほろ)ぶ<br />  自從建安來  建安よりこのかた<br />  綺麗不足珍  綺麗 珍とするに足らず

    「大雅久不作」
    大雅久不作  大雅久しく作(お)こらず
      吾衰竟誰陳  吾衰へなば竟に誰か陳べん
      王風委蔓草  王風 蔓草に委し
      戰國多荊榛  戰國 荊榛多し
      龍虎相啖食  龍虎 相ひ啖食し
      兵戈逮狂秦  兵戈 狂秦に逮(およ)ぶ
      正聲何微茫  正聲 何ぞ微茫たる
      哀怨起騷人  哀怨 騷人より起こる
      揚馬激頽波  揚馬 頽波を激し
      開流蕩無垠  流れを開き 蕩として垠(かぎり)無し
      廢興雖萬變  廢興 萬變すと雖も
      憲章亦已淪  憲章 亦た已に淪(ほろ)ぶ
      自從建安來  建安よりこのかた
      綺麗不足珍  綺麗 珍とするに足らず

  • 獅子おどしの音に誘われて庭園に降りてみることにします。妻は座敷で庭園を眺めているとのことです。

    獅子おどしの音に誘われて庭園に降りてみることにします。妻は座敷で庭園を眺めているとのことです。

  • 庭先は紅葉が進んでいてきれいでした。

    庭先は紅葉が進んでいてきれいでした。

  • 圓窓を見ていて自分の記憶の中で詩仙堂と白沙村荘(はくさそんそう)の記憶が混在していることに気が付きました。46年というときの長さを感じます。

    圓窓を見ていて自分の記憶の中で詩仙堂と白沙村荘(はくさそんそう)の記憶が混在していることに気が付きました。46年というときの長さを感じます。

  • サンダルを履いて石段を下りた先には少し開けた場所がありました。比叡山のふもとにあり、その土地の地形や景観を生かした文人山荘は名前のとおり「凹凸窠」だと実感します。

    サンダルを履いて石段を下りた先には少し開けた場所がありました。比叡山のふもとにあり、その土地の地形や景観を生かした文人山荘は名前のとおり「凹凸窠」だと実感します。

  • 柿の木が1本たくさんの実をつけていました。日本の秋を感じさせます。

    柿の木が1本たくさんの実をつけていました。日本の秋を感じさせます。

  • 母が毎年のように京都の清水の伯母から送られてきた庭先の柿を150個ほど干し柿にしていました。母から入院前に託されたこともあり、妻と2人で代わりに干し柿を作り、母に替わって伯母に送ろうとしました。妹が姉のために作っている干し柿を、病気になった母の替わりに息子夫婦が作るという美談のつもりでしたが、伯母からは「うちは干し柿は食べへんよ。」

    母が毎年のように京都の清水の伯母から送られてきた庭先の柿を150個ほど干し柿にしていました。母から入院前に託されたこともあり、妻と2人で代わりに干し柿を作り、母に替わって伯母に送ろうとしました。妹が姉のために作っている干し柿を、病気になった母の替わりに息子夫婦が作るという美談のつもりでしたが、伯母からは「うちは干し柿は食べへんよ。」

  • 残月軒という茶室が残されています。南側に開けているので天気が良ければ気持ちよい空間だと思います。ここで丈山はどんな茶をたてたのでしょうか。

    残月軒という茶室が残されています。南側に開けているので天気が良ければ気持ちよい空間だと思います。ここで丈山はどんな茶をたてたのでしょうか。

  • 残月軒の掛け軸「麻三斤(ま さんきん)」で、次の間には沈みゆく満月が描かれています。

    残月軒の掛け軸「麻三斤(ま さんきん)」で、次の間には沈みゆく満月が描かれています。

  • 紫式部がきれいに実をつけていました。

    紫式部がきれいに実をつけていました。

  • 庭園の奥まで訪れる人も少なく、秋の夕方を楽しむことが出来ました。

    庭園の奥まで訪れる人も少なく、秋の夕方を楽しむことが出来ました。

  • 座敷に戻って枯山水の庭を眺めました。

    座敷に戻って枯山水の庭を眺めました。

  • 寺院というよりは文人趣味の邸宅を思わせる庭園だと思いました。

    寺院というよりは文人趣味の邸宅を思わせる庭園だと思いました。

  • 「詩仙堂」の参観を終えるとこの日の予定も終わりです。

    「詩仙堂」の参観を終えるとこの日の予定も終わりです。

  • 坂道を下りながら宮本武蔵で有名な「一条寺下り松」も見ておきます。平安時代から近江から京に通じる交通の要衝にあり、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目だそうです。

    坂道を下りながら宮本武蔵で有名な「一条寺下り松」も見ておきます。平安時代から近江から京に通じる交通の要衝にあり、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目だそうです。

  • 江戸時代初期に宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説で有名です。武蔵は下り松を見渡せる場所に潜み、門弟の配置の様子を確認して、12歳という吉岡源次郎のいる場所を見極め、下り松に向けて一気に駆け下りたとされます。

    江戸時代初期に宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説で有名です。武蔵は下り松を見渡せる場所に潜み、門弟の配置の様子を確認して、12歳という吉岡源次郎のいる場所を見極め、下り松に向けて一気に駆け下りたとされます。

  • 一条寺のバス停から京都駅までは1本で戻れましたが、バスは混雑していた上に銀閣寺や平安神宮などを経由して三条京阪から四条通を周って烏丸通りを下がるというルートなので思ったより時間がかかりました。

    一条寺のバス停から京都駅までは1本で戻れましたが、バスは混雑していた上に銀閣寺や平安神宮などを経由して三条京阪から四条通を周って烏丸通りを下がるというルートなので思ったより時間がかかりました。

  • 市内観光をするには便利なバス路線だと思います。

    市内観光をするには便利なバス路線だと思います。

  • 京都に泊まるのもこの日だけなので、京都駅のJR伊勢丹でお土産を買うことにしました。

    京都に泊まるのもこの日だけなので、京都駅のJR伊勢丹でお土産を買うことにしました。

  • 地下の食品売り場で鮒ずしや湯葉などを買い求め、友人たちのお土産も物色します。

    地下の食品売り場で鮒ずしや湯葉などを買い求め、友人たちのお土産も物色します。

  • 大安が新物の千枚漬けの実演販売をしていました。

    大安が新物の千枚漬けの実演販売をしていました。

  • ビニールパックに入ったどこでも買えるものではないのでこれをお土産にします。

    ビニールパックに入ったどこでも買えるものではないのでこれをお土産にします。

  • この赤かぶの姿漬けも美味しかったです。

    この赤かぶの姿漬けも美味しかったです。

  • 最後の晩御飯でしたが正直外食も和食も食べたくなかったので、選んだのはお好み焼きでした。「錦わらい 京都駅ビル店」に入ってみます。

    最後の晩御飯でしたが正直外食も和食も食べたくなかったので、選んだのはお好み焼きでした。「錦わらい 京都駅ビル店」に入ってみます。

  • げその塩焼きにもネギがたっぷり乗っています。ビールのつまみには良いです。

    げその塩焼きにもネギがたっぷり乗っています。ビールのつまみには良いです。

  • 九条ねぎとせせりの鉄板焼きも美味しかったです。改めてせせりのおいしさを実感しました。せせりの名前の由来は関西の方言で首の骨から肉をほじりとることを「せせりとる」と表現したことから名前がついたと言われています。

    九条ねぎとせせりの鉄板焼きも美味しかったです。改めてせせりのおいしさを実感しました。せせりの名前の由来は関西の方言で首の骨から肉をほじりとることを「せせりとる」と表現したことから名前がついたと言われています。

  • お店の名前にもなっているわらい焼です。わらい特製ふわふわ「オムそば風」お好み焼きで、やわらか麺と半熟玉子が混ざり合う美味しさです。

    お店の名前にもなっているわらい焼です。わらい特製ふわふわ「オムそば風」お好み焼きで、やわらか麺と半熟玉子が混ざり合う美味しさです。

  • そして牛筋入りのネギ焼きです。大阪の新梅田食堂街のネギ焼きに始まった旅は京都のネギ焼きで終わることになりました。この時はそう思っていました。

    そして牛筋入りのネギ焼きです。大阪の新梅田食堂街のネギ焼きに始まった旅は京都のネギ焼きで終わることになりました。この時はそう思っていました。

  • 窓からは京都駅の大階段が見渡せます。京都タワーのてっぺんが顔を覗かせています。

    窓からは京都駅の大階段が見渡せます。京都タワーのてっぺんが顔を覗かせています。

  • 京都最後の夜も終わりです。以前ならホテルのバーで1杯なんてこともありましたが、さすがに11日間の旅は疲れました。

    京都最後の夜も終わりです。以前ならホテルのバーで1杯なんてこともありましたが、さすがに11日間の旅は疲れました。

  • 最終日も予定がたっぷりなのでゆっくり休むことにします。

    最終日も予定がたっぷりなのでゆっくり休むことにします。

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2021大阪京都の旅

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