2021/11/05 - 2021/11/05
632位(同エリア928件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1497冊
- クチコミ1144件
- Q&A回答73件
- 2,707,630アクセス
- フォロワー152人
「国立民族学博物館」の見学もすでに2時間以上過ぎています。そこでようやくアイヌ民族のコーナーにたどり着きました。一番手前には9月の釧路の旅で知った床ヌブリの作品や阿寒湖のアイヌコタンで知って東京ステーションギャラリーで展覧会を観てきたばかりの藤戸竹喜の作品まであります。すごいと思った背後には知世と呼ばれる伝統家屋まで再現されていました。ここの展示手法は非常に分かりやすく、ウポポイや釧路市博物館では分からなかったことが理解できました。さらに進むと弘前のねぷたや滋賀の長浜の曳山が並んでいます。これは個人的にはブリュッセルの王立軍事博物館で格納庫に並ぶ数十を超える飛行機を見た時以来の驚きです。さらに縄と藁を使った祭礼や婚礼に使う工芸品が壁一面に並び、それが人形などテーマごとに壁を埋め尽くしています。それを見て今日中に京都に行けるのだろうかと思いました。日本の伝統についてはかなりはしょった見学になってしまいましたが、それでも全部見るのに3時間以上かかりました。時間が許せば1日いても飽きないと思いましたが、今回はここまでです。お昼は博物館内のレストランで食べましたが、ようやく座れたことと冷たいビールで生き返りました。お昼を食べて元気になったところで「日本民芸館」に行きましたが、駒沢の民芸館や倉敷の民芸館を想像していたらただの展示会場で、秋季特別展として「型絵染 三代澤本寿(みよさわもとじゅ)」の展覧会だけでした。常設展示が無かったのが残念です。思ったより時間がかかってしまいましたが、「太陽の塔」にお別れをして梅田に戻りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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無限ループのような博物館の見学は2時間が過ぎたところでようやくアイヌのコーナーに入りました。だいぶ速足で見て2時間なので、じっくり見たら1日掛かると思いました。最初はアイヌ民族の展示ですが、最初に並んだ木彫の作品を見て驚きました。今年は太平洋フェリーで苫小牧まで行って、ウポポイに行ったり、釧路の旅では釧路の博物館や摩周湖のアイヌコタンでいろいろ学んでいました。
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「アイデンティティ3」貝澤徹
1958年に二風谷に生まれ、工芸家の父やその仲間の職人に囲まれて育ち、曾祖父の貝澤ウトレントクは明治時代に名工といわれた2人のうちの1人です。その曾祖父から引き継ぐ伝統を重視しながら、そこに独自の感性と技術をとけ込ませ、自分らしさやメッセージを表現する独創的なアイヌアートに取り組んでいる方です。 -
「ユーカラクル/語り部」床(とこ)ヌプリ
床ヌブリは1937年に釧路市のアイヌの家系に生まれます。アイヌに口承されてきた「叙事詩・ユーカラ」を生涯のテーマに、森羅万象に神を見て木から啓示を受け、形を彫り出していたそうです。 -
「藤戸タケ像」藤戸竹喜
釧路の旅で立ち寄った阿寒湖のアイヌコタンで知り、その後東京ステーションギャラリーで展覧会を観たばかりの藤戸竹喜の作品に出会えました。この像は祖母の姿を掘ったものだったと思います。 -
他の作品では装飾品は本物を掛けていますが、この作品ではすべて同じ木から彫り出しています。ここで藤戸作品に出合えるとは全く思っていなかったので感激しました。
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「アットゥシ(樹皮繊維製衣服)」
ニレ科の植物のオヒョウなどの樹皮繊維を糸にして織ったアットゥーシは丈夫で水に強いことから船乗りや漁業者に好まれました。アイヌの女性たちが本州向けに作った着物は江戸時代後半から明治初頭にかけて商品として北前船などで運ばれました。樹脂繊維の糸にするまでが大変で仕事の8割がここまでの作業になるそうです。 -
明治の半ばころから人類学や民俗学の研究者たちがアイヌの文化に関心を寄せるようになり、儀礼具や衣類をはじめとする生活用具を収集するようになります。ここでは明治から昭和初期にかけて北海道から千島や樺太で集められた資料を紹介しています。驚いたのはチセと呼ばれる伝統家屋が再現されていました。
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この家屋は展示公開に合わせて二風谷の人たちによって造られたそうです。屋根や壁を葺く材は地域によって異なり、この家は茅(主にヨシ)が用いられています。名部にはガマの葉で織られたゴザが敷き詰められています。
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この展示はウポポイで再現されたチセよりも本格的で、囲炉裏周辺の設えも本格的です。左側の明るい部分が南側で、漆器が積み上げられている方が北側になります。
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ウポポイでは分からなかったすべての道具が網羅されています。
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森の中に作るヌササンと呼ばれる祭壇も再現されていました。阿寒湖のアイヌコタンの奥の森の中にあったのもこれだと思います。
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イナウと呼ばれる木幣もいろいろな種類が展示されています。イナウはアイヌの人がが宗教儀礼に用いる道具の1つで、皮を取り去った柳などの小枝を削りかけて、采配(さいはい)のように垂らしたもので、御幣と同じように神に捧げます。
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イナウやお土産で飾られたイオマンテのヌサです。アイヌの熊送り「イオマンテ」とは「アイヌモシリ」(人の世界)」に動物(特にヒグマ)の姿で遊びに来たカムイの魂を天上の「カムイモシリ」(神々の世界)に送り返す祭式儀礼のことです。アイヌの熊送りには狩りで捕殺した熊を祭る「狩り熊型熊送り儀礼」と、子熊を一定期間飼育した後に絞め殺して祭る「飼い熊型熊送り儀礼」の2つが存在します。
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木彫りの熊も展示してありました。実家を片付けしていて1950年ころの木彫りの熊が出てきました。阿寒湖のアイヌコタンの「熊の家」で木彫りの熊について尋ねたことがあります。現在では木彫りの熊を掘れる人がいないので大切にしたほうが良いと言われました。確かにアイヌコタンで売られている木彫りの熊はひどいもので、昔の味わいのあるものはほとんど皆無でした。どの店でも同じものを売っているので、どこか別の場所、場合によっては別の国で造られたものかもしれないと思いました。
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ウポポイや釧路市の博物館では見る事の無かった呪術的なものの展示も面白いです。カムイ(神)などに援助を求めるときは供物を捧げたり儀礼用の道具が使われたそうです。反対に病気や災害をもたらす霊魂を避けるには棘や悪臭のあるものが使われました。こうした日常的な祈願のほかにトゥスと呼ばれる霊能者が行う占いや病気治療もあったようです。
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運搬具や移動道具、特に冬場に使う移動道具のかんじきやスキー板は他の国や本州の影響があるように思えます。ただ、アイヌと言っても北海道だけではなく樺太やアリューシャン列島からシベリアまで広く分布しているので経路は分かりません。アイヌ文化についてはロシアなどもコレクションがあり、サンクトペテルブルグにある世界最初の博物館のピョートル大帝のクンストカメラ博物館には行ってみたいと思っています。
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ようやく日本文化のコーナーにたどり着きました。どうやらこのコーナーで終わりのようです。妻も待ってくれていたので一緒に見学します。午前11時に入館して、見終わるのは午後2時を過ぎそうです。
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「ねぷた」青森県弘前市
弘前市のねぷたの主流派扇型の灯籠です。このねぷたの表絵は「水滸伝」の「黒旋風李逵(りき)奮戦の図」で、裏側は「白縫姫」でした。 -
李逵(りき)は中国の小説で四大奇書の1つである水滸伝の登場人物で、天殺星の生まれ変わりとされ、梁山泊第二十二位の好漢です。2挺の板斧(手斧)を得意とし、渾名は黒旋風で、李逵自身の剽悍性とその怪力と肌の黒さから鉄牛または李鉄牛と呼ばれます。怪力で武芸に優れた豪傑ですが泳げなかったはずです。1973年に放映された中村敦夫主演のテレビドラマが思い出されます。
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「扇」
祭りや儀礼や芸能の場には扇もしくは扇型をかたどったものがしばし登場します。扇は神霊を招き寄せる聖なる象徴でであり、末広がりの縁起物とも考えられてきました。 -
ここから広がる広大な空間を埋め尽くした展示物を目にすると、これをじっくり見ていたら今日中に京都に行けなくなるなと思いました。ある程度興味のあるものに絞って見学することにします。自分自身がへとへとでお腹もすいているので、妻も疲れていると思います。しかし、貸し切ったように他の見学者がいません。
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「曳山」滋賀県長浜市
日本各地には「山」や「鉾」や「曳山」などの大きな構造物の出る祭りが少なくありません。滋賀県長浜市を中心に分布するもの物は曳山で、祭礼の日にその上で子供歌舞伎を演ずるのが特徴です。この曳山は長浜市の雨森に伝わったもので、祭礼に当たっては正面と左右に舞台が張り出します。 -
祭礼で使われる「花笠」も日本各地でいろいろな形があることが分かります。まだ見ぬ各地の祭りも見に行きたい思いがありますが、混雑と宿泊費の高騰を考えるとなかなか行くに至りません。
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この長崎市の「月の輪」の被り物の大きさには驚きます。日本にもまだまだ知らないことがたくさんあります。
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九州の風流踊りの笠には特徴のあるものが多いようです。風流踊(ふりゅうおどり)は中世芸能のひとつで、鉦や太鼓や笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りで、室町時代に流行したそうです。
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御幣だけでもこんなに種類があるのだと思います。日本人は古墳時代の頃から神々に対し貴重な品々「幣帛」を捧げてきました。それらは稲(米)や酒(みき、酒造技術)、塩や魚などの神饌(みけ)の他、鉄製の武器や農工具や器や玉、鏡や衣類や布類など、その時代の最先端技術を象徴する物でもありました。奈良時代後半から平安時代前期の幣帛は特に布類を指すようになります。捧げ方も多様化し、折り畳んだ布を串に挿んで捧げる形式が登場します。紙が普及する以前は木の肌の一部を薄く削ぎ、渦状にちぢらせて残し垂らしておく「飾り棒削り掛け」も御幣の古い形の祭具として用いられます。
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島根県の松江の龍宮船を見ていたら、子供の頃に家族で行った隠岐の島の旅を思い出しました。ちょうど旧盆の時期で、西ノ島町のシャーラ船送りの準備をしているところでした。両親もあの巨大な藁の船に乗っていってしまったのかとちょっと悲しくなりました。
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外祖父母が元気だったころは毎年お正月は京都で過ごしていました。年末から障子を張り替えたり、お餅をついて鏡餅やお雑煮用の丸餅を作ったり、柳の枝に餅花を付けたりしたことも思い出します。
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精霊船や祇園船というものもありました。隠岐の島の巨大なシャーラ船も精霊船がなまったものですが、祇園舟は富岡八幡宮の神事と知りました。青茅で作った楕円形の茅の輪を舟に仕立て、 お供え物として小麦の粒を敷いた折敷に大麦の粉で作っただんごを供え、舟縁には1年分12本の御幣を並べ立て、中央には大きな御幣を立て掛けます。
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「盆灯籠」にも地方によって種類があるのだと感じます。お盆の時期に墓に供える燈籠型の飾りで、もともと盆燈籠を墓に供える習俗は特に安芸地方でみられるそうです。江戸時代後期には広島城下を中心として浸透しますが戦後の高度成長期に香川県の坂出などにも広がったそうです。
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「縄と綱」
縄目や結び目に呪術的な威力を込めようとする考えは、注連縄をはじめさまざまな縄と綱の造形を生み出します。それを飾ることは聖域の証であり、相撲などの競技や芸能の扮装にこれを用いるのも超人的な力の表現でした。 -
「正月のしめ飾り」愛媛県久万高原町
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「婚礼のしめ飾り」岐阜県高松市
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「恵方様」富山県魚津市
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「道祖神の仮面」長野県長野市
1998年の冬季長野オリンピック開会式にサプライズ出演し、世界を驚かせた仮面道祖神です。集落の街道沿いにある道祖神の石碑に横綱のような注連縄を巻いて、その上にこのような仮面の注連縄を作り上げます。1年間の守護役を務めた神面はどんど焼きの火とともに自然にかえります。 -
日本中の注連縄がここに集められ、、思わず柏手を打ちたくなってしまいます。10月末の伊勢の旅では外宮の表にある宮忠の本店で伊勢注連縄を買い求めてきました。ここには伊勢注連縄が無かったように思えましたが、あまりに量が多いので見落としたのかもしれません。
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マンション住まいだと玄関の表の正月飾りは疎かになりがちですが、ちゃんと飾らなければならないなと思いました。
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「実盛人形」愛知県稲沢市
稲沢市祖父江地区で行われる「虫送り行事」は毎年7月10日前後の土曜日に行われます。特徴的なのは麦わらで作られる大きな実盛人形です。これは斎藤実盛が戦場で稲の切り株に馬の足をとられて落馬し、敵に討ち取られる際にそれを恨んで稲を荒らす害虫となり、その怨霊を鎮めるために行われたのが始まりと言われています。 -
日暮れ時になると高張り提灯を先頭に、実盛人形と松明が続き、水田の虫を追いながら集落内を練り歩きます。半鐘と太鼓の音と共に行列は進み、虫送り場に松明が集められると実盛人形を燃え盛る炎の中に投げ込み、虫送り行事は終了します。
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NHKの「新日本紀行」を見ている気持になってきました。頭の中に冨田勲のテーマ曲が流れてきます。
https://www.youtube.com/watch?v=YoMRp3P8d_g -
「竿飾り」
神霊を招き下ろすために天空高く竿や柱を掲げます。その先端を飾る意匠には降臨する神を迎える形の諸類型がうかがえます。鯛や巾着といった縁起物はその典型とされます。 -
「左義長の神木」島根県出雲市
左義長(さぎちょう)とは小正月に行われる火祭りの行事で、1月14日の夜または1月15日の朝に刈り取り跡の残る田などに長い竹を3本から4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼きます。その火で焼いた餅を食べ、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われています。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われました。 -
「田植え行事のさしば」三重県志摩市
三重県志摩市の伊雑宮(いざわのみや/正式名:伊雜宮)で「御田植祭」が執り行なわれます。「日本三大御田植祭」のひとつで、伊勢神宮内宮の別宮・伊雑宮の御料田で斎行される神事で、磯部の御神田として国の重要無形民俗文化財に指定されています。 -
こういった写真パネルも展示してあると神事の情景も分かるので良いと思います。
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「やごろどん人形」鹿児島県曽於町
岩川の弥五郎どんは鹿児島県曽於市大隅町岩川に伝承される大人形を繰り出す祭事のことで、南九州に顕著な浜下りの1つでもあります。鎮守社の岩川八幡神社の秋の例大祭に伴って行われ、その年の山野の収穫を祝って感謝を捧げる祭礼です。 -
行事の内容は大人形の組み立てとその巡行から構成されます。触れ太鼓といって深夜に若衆たちが「弥五郎どんが起きっどー」の掛け声とともに太鼓を叩きながら組み立ての開始を地区中に触れ廻わります。その後社殿内で組み立てがはじまります。竹籠状に編んだ本体を組み合わせ、衣装を着せて最後に面を付けて完成となります。出来上がった大人形は社殿から境内へ出され、次いで弥五郎どん起こしが行われます。「弥五郎どんが起きっどー」の大声があがると一気に立ち上げられます。
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藁人形1つでも地方によって様々な形をしているのだと思います。これらは厄除けや虫送りなどの祭礼で使われたものだと思います。
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「しょうき人形」新潟県阿賀町
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「里の神」岡山県高梁市
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「虫送りの人形」富山県南砺市
虫送りは農村において農作物につく害虫を駆除・駆逐し、その年の豊作を祈願する呪術的行事です。神事の後は燃やされるものです。 -
「八朔馬」福岡県芦屋町
旧暦の8月1日は「八朔」で芦屋町ではこの八朔の節句に長男の祝いとして藁を材料にした馬を作って飾り、近隣の住民に配るしきたりがあります。長女の場合は「だごびーな」と呼ばれる米の粉でできた近業を祝う行事も同時に行われます。 -
「でく」石川県白山市
白山市の旧尾口村に古くから伝わる「尾口のでくまわし」は、国の重要無形民俗文化財の1つであり、「でく」と呼ばれる素朴な人形やその「でく」を操る手法は350年も前から村人たちの間で代々受け継がれてきました。 -
「門入道」静岡県御殿場市 「お門棒」山梨県甲州市
道祖神のお祭りに木でつくった人形を門口に立て、魔除けを行う風習が残っているところがあります。門口に立てるのでオッカド(御門)棒、あるいは門入道と呼んでいます。ふつうは男女2つをセットにし、怪しげな顔を書いたり胴を縄で巻いたりさまざまなものがあります。興味深いのは棒がカツノキで作られることです。カツノキとはウルシ科のヌルデのことで、山野に生えている雑木です。ところによってはオッカドノキと呼び、オッカド棒の風習がなくなってしまっても、そう呼んでいるところがあります。 -
「実盛人形」愛媛県西予市
田植えが終わった後の「田休み」の日に、五穀豊穣と害虫退散を祈願して、西予市の各地区で行われる行事です。稲株に足をとられて転倒し討たれ「これも運か」と非業の死を遂げ、その無念が「ウンカ」に乗り移り、稲を食い荒らし農民を悩ませるとの言い伝えのある「斎藤別当実盛」の霊を慰めるために始まったといわれ、虫を送ることで1年の豊作を願います。田穂で代々作られている武将姿の大きな実盛人形を鉦や太鼓で囃しながら、田植えの終わった田の畦道を行列をなし、下流地区へ送り継いで行き、また途中「茶堂」に参拝し、今年の無病息災と豊作を祈ります。最後は供え物と共に実盛人形を川に流して終わります。 -
「鹿踊面装束(松竹梅)」岩手県遠野市
岩手県内各地で踊られる鹿踊は踊りの様式から大別して太鼓踊り系(県南地方)と幕踊り系(県北地方)に分けられます。太鼓踊り系は1メートルから3メートルの長いササラ竹を背負い、腹に太鼓を下げ、太鼓を打ち鳴らしながら踊り、鹿面の大きいのが特徴です。幕踊り系は両手に幕を下げ、笛や太鼓のハヤシが別について踊るもので、遠野鹿踊り以外は鹿の面も小さいです。太鼓踊り系の起源は奈良の春日大社の神事に由来し、村の平安を祈願し悪霊を追い払う行事の舞踊化されたものといわれ、現在のような装束は江戸時代からのものと思われます。 -
柳田国男の遠野物語を読んで一度は旅してみたいとと思っている遠野ですが、その時にはこの獅子踊りも見てみたいと思っています。それと青森県八戸市のえんぶりも何度も計画していながら観るに至っていません。
https://www.youtube.com/watch?v=DWsDG2oWp-Y -
「鹿踊り衣装」岩手県大船渡市
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見覚えのある竹富島の「みるくー(弥勒)」から石垣島の「あんがまの面」、京都の太秦の「牛祭りの面」をはじめ、「花祭りの面」や「翁面」などの祭りの面が並んでいます。
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愛知県奥三河地方で700年以上前から受け継がれる花祭では舞いに登場する鬼たちは敬意を込めて「鬼様」と呼ばれるそうです。鬼は悪者ではなく神の遣いと祭りを伝えた修験者とも言われます。クライマックスで登場する榊(さかき)鬼は祭りの主役で、五穀豊穣を願って赤装束で大地を踏み固める姿は、地元の子どもたちのあこがれだそうです。
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「鷺舞の衣装」島根県津和野町
津和野に伝承されて400年の鷺舞は、京都発祥でありながら現在まで廃絶することなく奉納され続けている唯一の鷺舞であり、「津和野の鷺舞」は国の重要無形文化財として指定されています。京都の八坂神社に奉納される鷺舞は30年くらい前に観たことがあります。 -
「メンドン」鹿児島県三島村
メンドンは竹かごを逆さにし、小さく割った大名竹を使い、大きな耳と鼻と目と眉とケン(一本角)の形を作りつけ、それに紙を貼り重ねて耳と眉は渦巻模様、その他は格子柄に文様をつけます。 -
昔は船底の防腐剤を塗って真っ黒にし、その上にレンガを砕いて作った絵の具で色を付けていました。メンドンを作るのは14歳の男児の家で、かぶるのは踊りに出ない二才(にせ・25歳~34歳の青年)です。手に持っている神木(スッベン木)で観客を叩いて悪霊を祓います。神社を出たり入ったりしながらせわしく駆けまわり、翌日の夜中まで島内各所に出没します。翌日は神社での奉納踊りののち「叩き出し」といって、太鼓踊を踊りながら島内を一巡します。海岸に到着すると揃って海に向かって悪いものを追い払います。メンドンは「天下御免」と言われ、メンドンに逆らうことは許されず、また中に誰が入っているかを詮索することもできません。
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「牛鬼」愛媛県宇和島市
宇和島地方の牛鬼伝説は牛鬼の伝承の中でも特に知られています。かつて牛鬼が人や家畜を襲っったことから山伏が退治を依頼されます。村で牛鬼と対決した山伏はホラガイを吹いて真言を唱えたところ牛鬼がひるんだので、山伏が眉間を剣で貫き体をバラバラに斬り裂くと牛鬼の血は7日7晩流れ続けて淵となったそうです。 -
牛鬼は5から6メートルの牛をかたどった竹組みの胴体に丸木で作られた長い首と恐ろしげな鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついており、全身はシュロの毛または赤色の布で覆われています。牛鬼はうわじま牛鬼まつりの花形で、数十人の若者に担ぎあげられ、子どもたちが吹き鳴らすブーブーという「ブーヤレ」(竹ぼら)の音を従えて、長い首を打ち振りながら練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いをします。
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新居浜太鼓祭りは愛媛県新居浜市の秋祭りで、徳島の阿波踊りと高知のよさこい祭りと並ぶ四国三大祭りとしても知られています。また日本三大喧嘩祭りとしても有名だそうです。新居浜市内54台の金糸銀糸に彩られた豪華絢爛な太鼓台と呼ばれる山車が練り歩き、150人余りの男衆で差し上げられた姿は豪華絢爛で勇壮華麗だそうです。
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「つくりもんまつり野菜一式飾り 蘭陵王」富山県高岡市
毎年9月の地蔵祭りで、町内や企業などの様々なグループで野菜を使って作られるそうです。 -
「八朔大造り物 仁王像」熊本県山都町
熊本県山都町で毎年9月第1土曜日と日曜日に行われる矢部の八朔祭では町内の連合組などによって大造り物が作られ、八朔囃子や俄の一団と共に町内を練り歩きます。大造り物は時事的な話題に因んだ題材を選んで、杉の葉や松笠やススキなど野山に自生する自然物のみを用いて作られます。 -
「平田一式飾り牛若丸と弁慶」島根県出雲市
平田一式飾りはその名の通り仏具や陶器、金物や茶器などの一式を自在に使い分けて歌舞伎や映画の登場人物、場面などを技巧を凝らし飾り競うという出雲市に200年来伝えられる独特の民俗芸術です。毎年7月20日~21日の平田天満宮祭で披露されます。 -
平田一式飾りはもともと神に奉り、神をお慰めしようという素朴な信仰心から発生したもので、寛政5年の1793年原因不明の悪病が市街地に大流行した時、平田寺町の住民で表具師であり、彫刻や俳諧もよくしたといわれる風流人桔梗屋十兵衛が茶器一式で大黒天像を作り、悪病退散を祈って天満宮の神幸式に奉納したのに始まります。
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農具や工具のコーナーは昔父の実家や大叔母の家で観たことがあるものも多いのと、地方が変わっても基本的に同じようなものが多いので省略しました。
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看板についてのコーナーには仙台の松島で見た「仙台四郎」の写真まで飾ってありました。
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「再採用編み袋」新潟県村上市
これと全く同じものを父が買ってきて、子供の頃に背負っていたことがあります。どこで買い求めたのかは分かりませんが、ここに展示されているよりも20年近く古いものです。今年実家の片づけをしていて物置から出てきました。 -
ここまで見学して午後2時になりました。最後の日本のコーナーはかなり早足になってしまったのが残念です。ただ、頭の中はもう飽和状態です。
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黒川紀章の設計した博物館の空間を楽しみながら1階に戻ります。
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空腹感も限界なので博物館の中で食事をすることにしました。表に出て公園内で食べるよりも空いていると思ったのですが、博物館の中でほかの見学者を見たのはここだけのようでした。満席だったのでしばらく待ちました。
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まずはアクリル板越しにビールで乾杯です。「森の洋食 グリルみんぱく」というレストランです。
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空腹すぎてご飯を大盛りにしたステーキセットです。もう何を食べてもおいしく感じる午後2時30分です。
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妻はドリアセットです。2人ともあまり会話もしないで食べることに集中していたような気がします。食べ終わってから博物館の展示がすごかったとか、今まで旅したことなどを話ししました。
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表に出るとホッとしました。ただ万博記念公園はこれで終わりではありません。バラ園を抜けて「大阪日本民芸館」に向かいます。
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この建物は1970年の日本万国博覧会のパビリオンとして建設され、万博終了後の1971年に「大阪日本民芸館」として開館します。初代館長は濱田庄司で、二代目館長 柳宗理というビッグネームが名前を連ねます。
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この時は三代澤本寿(みよさわもとじゅ)の展覧会が開催されていました。特に興味があるわけではなかったのですが常設展もあると思っていました。ところが常設展は全くありませんでした。
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ミュージアムショップはかなり充実していましたが、実際の場所を旅していない陶器や磁器は買わないことにしているので見るだけです。まだまだ旅していない窯元がたくさんあるので、時間をかけて計画しようと考えています。
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中庭の空間は大きな壺や鉢が並んでいて気持ちよい空間でした。
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中庭にある大きな木は1970年の頃からここにあって、この民芸館をずっと見てきたのでしょうか。
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これで「万博記念公園」ともお別れです。
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「黄金の顔」にお別れを言います。次に来ることはあるのだろうかと考えてしまいます。
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「太陽の顔」は今日もしかめっ面です。
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「万博記念公園」の見学が終わると5日間の大阪の旅も同時に終わりです。モノレールと地下鉄に乗って梅田駅まで戻り、ホテルに預けた荷物を受け取りました。
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大阪駅から京都駅まではJRでの移動になります。ほぼ1日予定がずれ込んでしまいましたので、予定変更を考えないとなりません。これから京都の8日間の旅が始まります。
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(25)祖父母と訪ねた修学院離...
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大阪駅の新梅田食道街の立ち食いたこ焼きから嵐山の吉兆まで大阪と京都12日間の旅(26)旅の最終日は京都御苑の...
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