2021/11/02 - 2021/11/02
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kojikojiさん
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大阪2日目は中之島周辺の建築巡りを考えていました。16年前の3か月ほどの出張の帰りに空港へ向かうバスの車窓から中之島の重厚な建物を見て大阪を何も見ていなかったことを実感した覚えがありました。そして大阪市立東洋陶磁美術館の存在を知ってからも近い将来にこの辺りを訪ねなければと思っていました。梅田駅から御堂筋線で淀屋橋駅で下車して、地上に出ると念願の建物が目の前に並んでいました。まずは「日本銀行大阪支店 旧館」のファサードを眺めて、「大阪府立中之島図書館」に向かいます。この辺りでガイドツアーの年配のグループをいくつか見かけました。図書館の見学もファサードくらいで考えていたのですが、ガイドツアーの方が建物の中に入っていくので一緒について行ってみました。おかげでドームと美しい木製の階段と北村西望の作品を見ることが出来ました。そして隣接する「大阪市中央公会堂」と見学が続きます。公会堂は内部の見学が出来ましたが、曜日が合わずガイドツアーが開催された日に訪れることは出来ませんでした。ただ、扉が開いていたので中を少しだけ覗くことが出来ました。この後「大阪市立東洋陶磁美術館」の見学をしましたが、これはまた次の旅行記にまとめます。お昼は公会堂の地下の「AWAKE」というレストランを予定していました。かなりお昼を過ぎた時間だったので空いていて良かったです。大阪は雑多な印象の街ですが、この辺りはベルギーのアントワープを思い出すような雰囲気があってとても気に入りました。お腹もいっぱいになったところで難波橋を渡って大阪証券所の前に立つ五代友厚像も表敬訪問しました。NHKの連続ドラマや大河ドラマでディーン・フジオカの印象が強くなってしまいましたが、イメージとはちょっと違いました。12月には鹿児島に行く予定ですが、鹿児島市内には行く予定が無いのでたぶん当地では会うことは出来ないでしょう。堺筋を南に向かって次の予定の「湯木美術館」へ向かいましたが、「三井住友銀行 天満橋支店」の立派な建物を見てさすが大阪の住友だと思いました。それよりもその前に建つ「高麗橋野村ビルディング」に惹かれました。「コニシ 本社」の古い日本建築を見ているとこの辺りが「道修町通」という薬の街の事を初めて知りました。そして「少彦名神社」にも参拝しました。何とかたどり着いた「湯木美術館」は係りの方に「この部屋だけですか?」と尋ねたほどこじんまりとしていてがっかりしました。週末の日曜日に叔母が開く京都の嵐山の「吉兆」でのお茶会のための関西旅行だったので、何か話題に出来るのではと思っての見学だったのですが。どっと疲れも出たので、御堂筋にでて地下鉄で梅田まで戻ることにしました。途中に見つけた「芝川ビル」も面白い建物でした。5日間だけでは大阪の面白いところを発見できないなと感じました。梅田に戻ったところで小腹が空いたので新梅田食堂街の「はなだこ」でネギの乗ったたこ焼きをテイクアウトしましたが、ホテルの部屋で食べたらあまりのおいしさに驚きました。大阪の粉物は本当に恐ろしいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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グランヴィア大阪のラウンジのリバーヘッドです。ここでの朝ご飯は今回の予約には含まれていないのですが、一度だけどんなものか見に行ってみました。
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1階のエレベーターホールからは大阪駅に直行できます。駅ウエのホテルは本当に便利です。
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隣は大丸の入り口なので見落としそうなほど小さいエントランスです。JRの改札まで1分、御堂筋線の改札まで3分ほどで行けます。
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前日はJRの環状線を利用しましたが、2日目からはほぼ御堂筋線1本で事足りました。地下鉄のホームに降りるのも16年振りでしたが、きれいに生まれ変わっていました。巨大なスクリーンが映画「ブレード・ランナー」を思い出させます。強力ワカモトのコマーシャルが流れないかと願いますが、新しい映画の広告だけでした。
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淀屋橋の駅のホームは少しレトロな雰囲気が残っていました。たくさんの蛍光灯を組み合わせたようなデザインが面白いです。モスクワの地下鉄9号線のメンデレーエフスカヤ駅の照明を思い出しました。妻と2人でモスクワの地下鉄を2晩かけて写真を撮りに行った懐かしい思い出がよみがえります。
モスクワの地下鉄1:https://4travel.jp/travelogue/11299342
モスクワの地下鉄2:https://4travel.jp/travelogue/11299760 -
地下鉄の出口から地上に出ると土佐堀川が見えました。
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高速道路の下にある「錦橋」はまるで日本橋のように見えました。
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目の前に架かる橋は「淀屋橋」です。橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商の淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋の名前もこれに由来するそうです。現在の橋は都市計画学者でもある關一第7代大阪市長による御堂筋拡幅工事の一環として、1935年に完成した鉄筋コンクリート造りの橋です。大阪城の天守を再建した關一はここでも登場しました。
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「日本銀行大阪支店 旧館」の建物は、明治36年の1903年に建設されました。この場所には江戸時代に島原藩や水戸藩の蔵屋敷があり、明治の初めには今の郵便局である「郵便役所」が大阪で最初に設けられたほか、実業家の五代友厚が別邸を構えていたそうです。
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旧館は明治建築界の第一人者である辰野金吾により設計され、重要文化財に指定されている日本銀行本店や東京駅の赤レンガ駅舎などを設計したことでも知られています。建物外観のデザインはベルギー国立銀行等をモデルにした古典主義の流れを受けたそうです。角柱と丸柱の混用とイオニア式柱頭飾りの重厚な装飾がなされています。このようなデザインはバロック調と呼ばれる建築様式で、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで広まったものです。
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御堂筋を渡って「みおつくしプロムナード」を進むとガイドツアーの人たちが何組か見えました。その1組が「大阪府立中之島図書館」に向かうのでその後をついて行きました。
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正面の中央玄関をポーティコ(玄関柱廊)として19段の階段からなる高い基壇の上に置いて風格を醸し出しています。基壇の上にそそり立つ四本の円柱はコリント式の柱頭飾りで彩られ、大型の三角形のペディメント(三角破風)を支えています。アメリカのある図書館をモデルとしたといわれ、堂々とした構えを持つ新古典主義建築です。
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神殿様式を踏襲した中世以降の建築物ではデンティールと呼ばれる屋根を支える垂木を模したギザギザは省略されているものも少なくないですが、中之島図書館は古典への忠節を徹底して整然と並ぶデンティールが風格を高めているようです。ツアーの方々に続いて右手の入り口から中に入ります。
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ドームの形状に合わせた円型壁面を持ち、空間の中央には曲線を多用した階段が配されています。左右対称で下部に向かって広がりを持つ階段は、それだけでも十分に印象的ですが、階段のゆるやかなカーブと壁面に沿って配された回廊による複数の曲線の組み合わせは吹き抜け空間に絶妙な視覚効果を生んでいます。
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ヨーロッパの建築であれば大理石が用いられるところですが、階段や回廊の部材には国産の木材が使われているのも特徴的で、木材を使って日本らしさを演出しているように思えます。
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竣工してから100年を経た今日でもほとんど狂いが見られず、良材を取り寄せて造ったことがうかがわれます。
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正面に掲げられた大小2枚の銅板は「建館寄付記」と「増築寄付記」で、図書館の寄付者であった15代住友吉左衞門友純が寄付にいたった経緯を綴っています。円形壁面にぴったりと沿うように型をとって鋳造されています。
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上階から階段ホールを見下ろすとその美しさが手に取るように感じられます。
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正面玄関ホールの真上に位置するのが記念室で、ラネッテに造り込まれた扇窓(ファンライト)が、ひときわ印象的な部屋です。扇窓の桟には木材が使用され、部屋に落ちついた表情を与えています。
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銅板の左右に立つのは長崎平和祈念像で知られる北村西望の手による彫刻作品です。
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向かって右に置かれた棒を手にするのは「野神像」で、野生を表現してると言われます。
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左に置かれた広げた書物に目をやるのは「文神像」で、知性を表しているといわれます。
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明治30年に7ヶ月にわたり欧米への視察旅行に出かけた吉左衛門は、富豪たちが私財を投じて文化事業や社会事業に協力している姿を目のあたりにし、感銘を受けて帰ってきました。これが図書館を寄付するきっかけで、大阪府知事宛に出された寄付願書には「大阪は商工業の発展は顕著なものの教育施設の整備が遅れているのは遺憾であるので、地元大阪へ恩を返すために図書館を寄付することにした」と記されているそうです。
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「北浜の風雲児」と呼ばれた株式仲買人で相場師の岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった明治42年の1909年の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さやアメリカの富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い感銘を受けます。
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帰国後に岩本栄之助は父の遺産と自分の私財をあわせた100万円を地元の公共施設建設に寄付することを決め、当時の大阪の中之島は蔵屋敷の廃止後に町が衰退し、その後の町の将来ビジョンをどうすべきか検討中であったので、岩本の寄付金はその町の中心シンボルとして「大阪市中央公会堂」の建設に使われることに決まります。
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設計デザインはコンペにより当時29歳だった岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれます。その岡田のデザイン原案に基づいて辰野金吾と片岡安が実施設計を行ないます。辰野金吾は先日じっくり見学してきた東京駅の建築家としても知られています。
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建物は鉄骨煉瓦造地上3階と地下1階建ての構造となっています。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さと細部にはセセッションの衣装を取り入れてあるのが分かります。特に鋳造された照明スタンドなどを見ているとウィーンのオットー・ワーグナーの建築のように思えてきます。
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岡田信一郎の当初案では重厚なネオ・バロック様式が外観のベースだったそうですが、実施設計段階でバロック的要素は抑制され、全体がネオ・ルネッサンスに変更されたようです。そのため公会堂の外観は赤煉瓦と花崗岩による"辰野式"の印象が色濃いものになっています。
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辰野自身が手掛けた日銀大阪支店との照応を意識したものか、彼の代表作の東京駅の"赤煉瓦駅舎"開業は大正3年の1914年になります。
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今日の建築巡りを楽しみにしてきましたが、ここまで素晴らしい建築が残されていると思わなかったので大興奮です。夏の北海道の道東の旅で阿寒湖のアイヌコタンで知った藤戸竹喜という彫刻家の展覧会を東京ステーションギャラリーへ見に行ったことで東京駅をじっくり見学する機会があり、今こうして大阪で辰野金吾の建築を学んでいます。
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エントランスホールや廊下は自由に見学できるので内部にも入ってみました。この照明がオリジナルかまでは分かりませんが、この写真だけ見たらウィーンの地下鉄の駅舎と言っても分からないと思います。
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ウィーン世紀末のジャポニズムと言っても通用しそうなデザインです。
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ガラス扉は閉まっていましたが、使われていない大集会室を覗いてみました。ここではヘレン・ケラーやガガーリンが講演を行っています。
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数年前に妻と行ったバルセロナのカタルーニャ音楽堂を思い出しました。
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見事な装飾ですがこれ以上見ることが出来ないのが残念です。毎週木曜日にガイドツアーがあるのですが、その日は万博記念公園に行かなければならないので参加できません。
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ガイドツアーでは館内の照明も灯されるのでしょうから、次の機会があればもう1度見学してみたいと思います。
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かなり傾斜の緩やかな階段もヨーロッパの宮殿を感じさせます。
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個人的にはこのエントランスホールの雰囲気が気に入りました。
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特別室の扉が開いていたので外から写真を撮らせてもらいました。この部屋は創建当時は貴賓室として使われ、天井や壁面には日本の神話が描かれているようです。壁に描かれた三簾祭壇画のような絵は素戔嗚尊(すさのうのみこと)で、自らの髭から船を造り、金銀や土器を輸入したことから商売の神とされています。
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天井画は天地開闢が題材とされ、ステンドグラスには鳳凰と大阪市の市章「澪漂(みおつくし)」がデザインされているそうです。澪標(みおつくし)は航路を示す日本の標識で、百人一首の元良親王の「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」という歌の意味が改めて感じられます。
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中集会室は完全にヨーロッパの宮殿のようなホールです。バルト三国を旅した時にどこかで見たような懐かしさも感じます。
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中集会室ステンドグラスは天井丸窓のステンドグラスで、帆船と海をテーマとした連作が続いています。
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この部屋の照明も素晴らしいデザインです。やはりガイドツアーで来なければならないと思います。
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階段室の手摺のデザインも凝った造りになっています。明治期のクラシックな建築を求めて中国の大連から旅順と瀋陽と長春と哈爾濱を旅したことが懐かしく蘇ってきます。
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窓から差し込む外光も時代を経ているかのように淡い影を作っています。
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世間から「北浜の風雲児」と称えられ、この公会堂の建設に100万円(現在の価値で50億円)寄付した岩本栄之助は相場の読みが外れ、大正5年の1916年に岩本商店の全ての使用人と家族を京都の宇治へ松茸狩りに出した後に自宅の離れ屋敷に入り、陸軍将校時代に入手した短銃で自分の咽喉部を斜めに打ち抜き自殺を図り、この建物の完成を見る事はなかったそうです。
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地下1階には「岩本記念室」が設置され、岩本栄之助の銅像と遺品が展示されています。
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興味があったのは改修工事の前後を比較した写真でした。こういった保存がなされて明治期の建築が数多く残っていけばと思います。
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相撲用語「 蒙御免 ( ごめんこうむる ) 」とは「許可を得て興行をしています」という意味です。相撲の番付けを模した20世紀の日本赤レンガ建築番付なるものがあったようで、東の横綱が東京駅で西の横綱がこの中央公会堂でした。
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公会堂の見学を終えてそのまま隣にある「大阪市東洋陶磁美術館」の見学に移りましたがこれは次の旅行記にします。天気も良かったので結婚式の前撮りの撮影が行われていました。公会堂の建築をバックにいい写真が撮れると思います。
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美術館の見学にどっぷり浸かってしまったのでお昼の時間が遅くなってしまいました。中之島での食事は事前に調べてあった公会堂の地下にある「AWAKE」というレストランに決めていました。
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午前中に見かけたガイドツアーのガイドさんが「ここにあったレストランはオムライスが美味しかったんだけど、店が変わっちゃって美味しくなくなった。」と言っていたのが気になります。
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基本的な構造体を残したインテリアになっていました。デザインはロンドンのトム・ディクソンが行っているとのことです。
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もっとすごい照明器具が解けられているのかと思いましたが、意外にシンプルでした。
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こんなお店にいるだけでちょっと海外旅行に来ているような気分になれます。
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まずは生ビールでのどを潤します。午前中からかなり歩いてしまいました。妻から「午前中で何歩くらい歩いてる?」と聞かれますが話をそらします。
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ランチのプリフィックスコースを注文しました。メイン料理と前菜が選べるものにしました。こちらは魚介類のサラダ仕立てニース風です。どうやら料理もおいしいようです。ガイドさんの言葉の心配は無くなりました。
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妻はパルマ産生ハムとグラナパダーノチーズのサラダ。どちらもしっかりした料理で量もあるので大満足です。
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2プレートで1,600円とお手頃なので、昨晩の鶴橋の焼肉と相まって大阪って東京より2割くらい安いのではないかと思いました。
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ビールのあてに注文したフライドポテトも量が多くて300円とハンバーガー店並みの値段です。店の雰囲気のせいかベルギーのレストランが思い出され、ブリュッセルのフリッツが美味しかった話で盛り上がります。あの牛脂で2度揚げ下美味しさは忘れられません。
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妻のメインは海老挽肉、レンコンとマッシュルームのカレーのハーフサイズです。正直ハーフサイズは量が少ないです。でも味は良かったです。
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こちらは名物牛煮込みのオムライスです。フルサイズにすると500円追加になりますが、大きいサイズにして正解でした。大阪ではいろいろなお店でオムライスがメニューにありました。心斎橋にあるオムライス発祥の「北極星」にも行く予定にしていたのですが、万博記念公園に2回行く羽目になって今回の旅では叶いませんでした。
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食事の後も中之島を歩いていたのですが、2つの川に挟まれた雰囲気がパリのシテ島に似ているねと話していたら全くその通りの案内板が設置されていました。周囲に立ち並ぶビルの中で気になったのがこの光世証券のビルでした。”昔からそこにあったと思わせる存在感のあるクラシックな佇まい”をコンセプトに2001年に竣工したものでした。イギリス式アール・ヌーヴォーであるモダン・スタイルを連想したのは今年の夏に釧路で毛綱毅曠の建築にはまっていたからかもしれません。
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もう1棟気になったのがこの細いビルでした。対岸の川沿いはカフェのテラス席が並んでいるのか、ちょうど気持ちの良い季節だったのでたくさんの人で賑わっていました。
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難波橋を渡って南に向かうことにします。妻はこの辺りでお茶が飲みたいからと「AWAKE」では何も飲まずに店を出ていました。
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対岸に「大阪取引所」の建物が見えました。その建物の前には銅像が見えます。
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パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にして製作されたと言われるのが現在の難波橋だそうです。大阪では「ナンニャバシ」と発音するそうです。御影石の親柱には大阪市の紋章の澪標(みおつくし)も見えます。
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「大阪市中央公会堂」とはここでお別れです。
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難波橋の上から見えたコーヒーポットが気になりました。お茶が飲めるようならと行ってみることにしました。
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栴檀木橋(せんだんのきばし)も難波橋の上からきれいに見えました。橋名の由来は橋筋に栴檀ノ木の大木があったためと言われますが定かではないようです。
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難波橋は別名「ライオン橋」とも呼ばれるようで、阿と吽の2体の石造のライオン像が配されています。
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ライオンの視線の先には大阪証券所の前に立つ五代友厚(ごだいともあつ)の像があります。フロックコートを着て右手をズボンのポケットに入れた姿がかっこいいです。
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たぶん生前もこんな感じでさっそうとしていたのではないでしょうか。NHKの連続ドラマと大河ドラマのディーン・フジオカのイメージが強いのですが、あながちミスキャストではないなと思えました。
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土佐堀川から見えた建物は「北浜レトロビルヂング」でした。明治45年の1912年に株の仲買業を営む企業の社屋として建てられたもので、戦後は商社の本社ビルとして使用された後、現オーナーが英国紅茶とスイーツの店として再生したそうです。
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先ほどの光世証券のビルにイギリス式アール・ヌーヴォーを感じましたが、こちらの建物はまさにグラスゴー派のデザインを感じます。グラスゴー派は19世紀末芸術家集団「4人組」を中心としてヨーロッパ各地からグラスゴーに集まった建築家やデザイナー等のグループで、チャールズ・レニー・マッキントッシュもそこに含まれています。
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建物の大きさといいファサードの幅といいロンドンのトワイニングの本店のようだと思いましたが、入ってみたらおもちゃ箱のようなインテリアです。
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残念ながらカフェは階段までの長蛇の列だったので諦めることにしました。
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店の奥の窓からは土佐堀川が望めました。中之島はこの日の半日の予定でしたが、この辺りだけで軽く1日過ごせそうです。
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並んでいるケーキもおいしそうなのですが、買ってもどこで食べればよいのかもわからないので諦めました。さすがにこの後何時間も持ち歩けません。
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五代友厚に手を合わせて手持ちの株式や投資信託の価値が下がらないようにお願いしておきました。今回旅行中は一切株価や基準単価を見ないように決めています。
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この後は「湯木美術館」へ向かうので堺筋を南に下ることにしました。「三井住友銀行 天満橋支店」の建物が立派だったので、さすが大阪は住友だと思っていたのですが、三井銀行の大阪支店として当時の目抜き通りであった高麗橋通に面して建てられた建物でした。戦前の日本における最大級の設計事務所の1つであった曾禰中條建築事務所の最後期の作品で、完成度の高い古典主義様式のデザインです。
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「高麗橋野村ビルディング」は大阪野村銀行の設計で野村徳七の知遇を得た安井武雄の設計したビルです。安井武雄は大阪瓦斯ビルディングなどの設計で知られる近畿地方を代表する建築家で1927年に建てられています。当時としてはまだ珍しかった鉄骨鉄筋コンクリート構造で、戦前は地上は6階まででだったそうですが、1964年に7階を増築しています。
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腰壁は前面に傾斜して各階窓下には瓦の帯が続いています。壁面の1階は凝灰岩とタイルが貼られ、2階以上はモルタルの掻き落としのようです。通りの反対側から全体を写真に収めようとも思いましたが少々疲れていたので見上げただけの写真です。
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正面玄関の両脇に門松のように巨大テラコッタ製の孟宗竹が立ち、頂部に三ヶ月形の照明を載せた印象的な意匠です。大阪のレトロな建築をもっと調べてじっくり見て回りたいなと思った瞬間です。
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その先には真っ黒な壁の和風建築が現れました。ネットで調べてみると「旧小西家住宅」で、合成接着剤のボンドで知られるコニシの社屋としても使われてきたようですが、2020年に企業ミュージアム「旧小西家住宅史料館」に生まれ変わったとありました。残念ながら完全予約制なので見学は出来ません。
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路ばたにあった表示板から「道修町通」という薬の街の事を初めて知りました。そして「少彦名神社」という神社は医薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、医薬業に携わる会社や関係者などの信仰を集めているそうです。また病気平癒や健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多いそうです。
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大坂でコレラが流行した際に薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、神虎(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後施与したことから張り子の虎のお守りがありました。
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道修町は古くから「くすりのまち」として親しまれていて、武田や田辺三菱や塩野義といった製薬会社が今も軒を連ねています。ここに薬種問屋が集まるきっかけは、堺の豪商小西吉右衛門が、2代将軍徳川秀忠の命により道修町で薬種商を開いたことに始まります。幕府公認の「道修町薬種中買仲間」が道修町に集められた諸薬種を検査し適正価格を定めて独占的に全国に供給していました。
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ようやく「湯木美術館」に到着しました。今回の旅のきっかけは昨年80歳になった母の妹が嵐山の吉兆でお茶会をするので参加するためです。生前の母からも代理で出席するようにお願いされていたので行かないわけにはいきません。その前に大阪にいるのであればと思い立ち寄りました。
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看板が無ければ素通りしてしまいそうな佇まいです。入り口に置かれたロッカーに荷物を預けて、階段を上がった2階に受付がありました。そこから2部屋の展示室があり、立派なパンフレットもありました。次の順路はと思いましたが見つからないので受付に戻るとほかに展示室が無いのが分かりました。
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印象に残ったのは志野茶碗 の「広沢」くらいでした。午前中に見学した大阪市東洋陶磁美術館があまりに素晴らしかったのでちょっと残念でした。嵐山のお茶会で何か話題に出来るかと思いましたが…。ここからは淀屋橋駅まで戻って地下鉄で梅田に帰ることにしました。
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淀屋橋駅の手前で見つけた「芝川ビル」のファサードが面白かったので近くまで行ってみました。このビルは和風の木造建築が多い時代に南米マヤ・インカの装飾を纏った鉄筋コンクリート造りのビルとして誕生したようです。
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竣工当時は自家用として使用する予定で、ビルを建てた芝川又四郎はかねてから店を不燃性の建物に建替えたいと思っていましたそうです。
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ビルは自家用の使用だけではまだ余裕があったため、教育に関心を持っていた又四郎の意向で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校として使われることになります。「芝蘭社家政学園」では又四郎の義妹の芝川まきが園長を務め、当時の帝塚山学院の学長であった庄野貞一を学監に迎えて、洋裁や和裁、習字や生け花、茶道や割烹など多彩な授業を開講する私学として自由な構想で教育が行われました。
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昭和4年の1929年の開校から昭和18年の閉校までに、関西一円の名門女学校を卒業した3,000人を超えるお嬢さんたち、いわゆる「いとはん」たちが学んだ「芝蘭社家政学園」は現在の女子短大のはしりであったとも言われるそうです。
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今年はフランク・ロイド・ライトの建築を巡るというテーマのもとに池袋の自由学園明月館にも足を運びましたが、建築だけではなく羽仁夫妻についても学んだので興味深く思えました。
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フロアにある各部屋は現在はそれぞれ1つの店として営業しているのですが、とても魅力的でした。
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疲れていなければじっくり見学したかったのですが、気分はホテルに戻って休憩することに膨らんでいます。
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全く何も調べていなかった町の中に面白い建築が現れるので驚きました。プラハのキュビズム建築やブダペストのレヒネル・エデンの建築、ウィーンのオットー・ワグナーなど世紀末建築を巡った楽しさが蘇ってきました。大阪市内はもう一度仕切り直しです。
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モスクワの地下鉄駅のような淀屋橋駅まで戻ってきました。ホテルまでは御堂筋線で20分ほどで帰れるのが助かりました。今回グランヴィア大阪に宿泊して本当に良かったです。
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まっすぐホテルに戻るのかと思いましたが、妻の希望で新梅田食堂街の「はなだこ」に立ち寄りました。持ち帰りにしてもらいましたが、お店の方から近くの路上で食べないように言われます。たぶん近所からのクレームがあるのでしょうね。ホテルに戻って食べると伝えると安心されていました。
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妻の姿が見えないと思ったらどこかで大判焼きを買ってきました。こんな時はすばしっこい人です。
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熱々のたこ焼きが食べたいので急いでホテルに戻りました。ほんの2分で戻れるのがありがたいです。
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部屋で開けても熱々のままでした。すでにソースとマヨネーズはかかっています。
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別袋に入った青ネギをかけるとこんな姿になります。東京だとネギは白いところを食べる印象ですが、関西の青ネギのおいしさは別格です。この青ネギと一緒にふわふわのたこ焼きは最高に美味しかったです。大阪の粉物にはかなわないと思いました。
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