2021/11/04 - 2021/11/04
464位(同エリア995件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1760冊
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- Q&A回答73件
- 3,460,034アクセス
- フォロワー169人
大阪4日目は梅田から御堂筋線で千里中央駅まで移動して、大阪モノレールに乗り換えて万博記念公園駅で下車しました。モノレール内も社会科見学の中学生でいっぱいでしたし、駅の周辺の広場にも小学生の姿がたくさんありました。1970年の大阪万博の時は小学校の3年生で、父が共同通信に勤めていたこともあり、大阪に長期で出張に出ていました。開会してすぐの春休みに弟を連れて京都の祖父母の家に行き、さらに翌日に万博会場まで小学1年生の弟を連れて行きました。入り口に父が迎えに出てくれて開場と同時に中に入りました。京都から万博会場まで弟を連れて行くプレッシャーは大きく、そんなことは何も考えていない弟も行くのも嫌だった記憶が残っています。ただ、入場してからはKYODO/PRESSの腕章を付けた父と一緒にアメリカ館の月の石もソヴィエト館も通用口から並ばずに見ることが出来ました。太陽の塔の中をエスカレーターで登った時の強烈な印象は今でも忘れられませんし、大屋根に出たこともよく覚えています。そして大屋根の下の広場で三波春夫の「世界の国からこんにちは」を聞いたことと共に、坂本九の「レットキス」を聞きながらジェンカを踊ったことです。父に外国人の大人の女の人と踊るように言われて恥ずかしかったのも覚えています。大阪万博には夏休みにも行ったので、パビリオンの多くを見ることが出来ました。夏休みに母と兄弟3人で東海道線で京都に向かう電車の中で、買ってもらった「ぼくらマガジン」に掲載されていたムロタニ・ツネ象の「パビリオン地獄」という漫画はその時しか読んだことが無かったにもかかわらず数十年もう一度読みたいと思っていました。コミックスでは手に入らずネットからダウンロードできた時は感動しました。東海道線の静岡辺りで開けていた窓から雑誌が外に落ちてしまい、電車の車輪に巻き込まれて散らばっていく光景は50年たっても忘れられません。「ビックコミックスピリッツ」に掲載されていた浦沢直樹の「本格科学冒険漫画 20世紀少年」を読んだときは何で自分の事をこんなに知っているんだろうと思ったほどで、秘密基地を作って遊んでいたことも懐かしく思い出されました。さて太陽の塔ですが、東京を出る前に予約が必要と知り、慌ててこの日の午前11時に予約を入れました。そして当の見学が終わるまでは良かったのですが、次に行こうと考えていた「国立民族学博物館」が11月3日が祭日だったので振替え休という現実を知り目の前が真白になりました。そのあと冷静に考えて翌日の京都へ移動する時間を夕方にずらして、翌日の昼過ぎまでもう一度万博記念公園に来ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大阪4日目は終日かけて万博記念公園の「太陽の塔」と「国立民族学博物館」と「日本民芸館」に行く予定です。いつものように梅田駅から御堂筋線で千里中央駅に向かいます。
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終点の千里中央駅で大阪モノレールに乗り換えます。この辺りで小学校の3年生に上がる春休みに弟を連れて万博会場へ行ったことを思い出します。
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モノレールに乗ってしばらくすると森の中から「太陽の塔」の黄金の顔が現れました。
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そしてお腹にある太陽の顔も見えました。50年前に別れた友達に再開したような気持ちになりました。
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何かの機会で大阪環状線を夜にバスで走っていた際に、この黄金の顔の目から青白い光線が出ているのを見て感動したことがありました。
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1970年の大阪万博の時は共同通信に勤めていた父は春先から大阪へ長期の出張に出ていました。春休みになって弟を連れて東京から来るように言われ、京都の嵐山の外祖父母の家まで行き、翌日に万博会場まで電車を乗り継いでいくのが心細かったことをよく覚えています。
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当時10歳になる前で7歳の弟を連れて東京から大阪までよく行ったと思います。開門前の混雑した入り口にいると父が中から出てきて安堵したことは忘れられません。その後は父に連れられてアメリカ館で月の石を見て、ソヴィエト館では天井まで80メートルの吹抜け空間が宇宙ゾーンになっていて驚かされました。父がKYODOPRESSの腕章を持っているので、人気のある国のパビリオンは通用口から入ったので並ぶことはありませんでした。
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外壁面が鮮明な赤と白で彩られたパビリオンは長さ130メートル、最大幅70メートルの半月形の平面をもつ建物で、最高部は109メートル50センチありました。デザイン的にもこのパヴィリオンは素晴らしく思え、その後の仕事が建築やインテリアに関わる仕事になったのもこの時の経験からだと思います。
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黒い太陽の見える「太陽の塔」の裏側には巨大な広場があり、塔を囲うように巨大なトラス構造の大屋根が架けられていました。この広場ではいろいろなイベントが催され、三波春夫の「世界の国からこんにちは」を聞いたことと、坂本九の「レットキス」を聞きながらジェンカを踊ったことをよく覚えています。父に外国人の女性とジェンカを踊るように言われて恥ずかしかったことも覚えています。
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そして夏休みは母と兄弟3人で東海道線に乗って京都の祖父母のところに向かいました。その時に買ってもらった「ぼくらマガジン」に掲載されていたムロタニ・ツネ象の読み切りの「パビリオン地獄」はものすごいインパクトが残りました。長年コミックスを探しましたが手に入らずでしたが、ネットでダウンロード出来て感激しました。
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母と伯母が一緒に来ていたのだということは、この写真を見るまで全く覚えていませんでした。
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写真と現在の位置関係を見比べてみるとバスの並んでいるのは現在も駐車場として残っています。
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この度の後半は名古屋に立ち寄って犬山城にも行っていました。今年は夏に太平洋フェリーの3船乗り比べで苫小牧を往復するために名古屋に行き、その度の終わりに明治村に行き犬山城にも行きました。そして今日は大阪万博記念公園に来ることに寄って1970年の旅を再現しているようです。
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そして大阪万博と言って思い出させるのが「ビックコミックスピリッツ」に掲載されていた浦沢直樹の「本格科学冒険漫画 20世紀少年」です。描かれている情景がまさに自分の子供時代と重なっていて驚いた記憶があります。
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ケンヂとオッチョたちが秘密基地にしたのは草むらでしたが、僕らの秘密基地は木製のパネルで造られていました。この基地を2階建てにしようとしましたが上手くいかなかったです。近所に住んでいた1学年上のトッチというあだ名のやつによく壊されました。その後この空き地は百貨店の配送センターの工事が始まって使えなくなりました。秘密基地だったのに父に写真を撮られていました。
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今回の旅では12日間の詳細なスケジュールを作成しました。と言ってもいつもの事ですが、直前にチェックしていて「太陽の塔」は事前予約が必要と知って、午前11時に予約を入れました。
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たった2人だけのようですが、少し離れた両隣には集合記念写真を撮っている小学生や中学生が大勢います。そしてその順番待ちの団体も。写真はカメラを置く台に乗せてセルフタイマー撮影です。
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真正面から「太陽の塔」を見据えるといろいろな思いが込み上げてきます。デザインした岡本太郎も亡くなっていますし、50年前に一緒に旅した両親もすでにいません。
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この日のために今年は6月に生田緑地の「岡本太郎美術館」に行き、岡本太郎の作品を学びました。そして南青山の「岡本太郎記念館」でアトリエ兼自宅にも行きました。犬山城へ向かうときにも犬山遊園駅に着く前に列車の車窓から日本モンキーセンターにある「若い太陽の塔」も見ることが出来ました。
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そして今日50年振りに「太陽の塔」を見に来ました。
岡本太郎美術館:https://4travel.jp/travelogue/11695835
岡本太郎記念館:https://4travel.jp/travelogue/11696652 -
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」があります。昔と変わらない輝きがあります。夜になって目から出るサーチライトはまだ使われているのでしょうか。
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この姿は子供の頃の自分にものすごい衝撃を与えました。
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大屋根が無いと塔のデザインがより強調されているように思えます。何より真っ青な青空に白い塔は映えます。
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どんどん近くに進むにつれて興奮してきます。初めてこの塔を見た50年前も大きく感じました。
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過去を象徴する背面の「黒い太陽」までやってきました。塔の入り口はこちら側になります。予約したチケットのQRコードを見せて中に入ります。
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通路には岡本太郎が太陽の塔のイメージに至る過程のエスキースが展示してありました。これは太陽の塔の中の生命の樹をどのように見せるかを考えたのだと思います。
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これは丹下健三が設計した大屋根に穴をあけてモニュメントをどう立ち上げるのかを考えたのでしょう。
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完成された絵画を見るのも楽しいですが、ロンドンのコートールド美術館で描きかけの絵画の展示を見たり、パリのモロー美術館で下絵などを見て製作過程の物を見る楽しさを知りました。
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だいぶ塔のイメージが固まってきたようですが、5つの顔は怖すぎます。
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だいぶ構想が固まったようですが、大屋根に上がる方法を考えているようです。最終的には太陽の塔の腕の中を上がることになります。
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ほぼ完成された太陽の塔の姿です。実際の姿よりシャープな気がしますが、実際に構造計算など考えると強度的な問題が生じたのではないでしょうか。
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50年前も最初に「太陽の塔」に入るのはこの地下からでした。こんなカラフルなライティングではなかったと思いますが印象は残っています。
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これは岡本太郎のデザインした縄文土器ではないでしょうか。縄文文化というと今では誰もが日本文化の源流だと思っていますが、50年ほど前までは日本美術史に縄文は存在していませんでした。縄文について美術的な視点からの発言は誰もしていなく、岡本太郎が1952年に「みずゑ」誌上で「四次元との対話――縄文土器論」を発表するまで縄文土器や土偶は美術品ではなく工芸品という扱いでした。
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LED照明の時代になってどんな色でも同じ光源で変化することが出来るようになってやりすぎに思えるものが多くなったような気がします。
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土偶以外の人形や仮面はパプアニューギニアやタヒチの神像のようです。
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復元された「地下の太陽」が出迎えてくれました子供の頃は他の3つの太陽に比べると少しひねくれた顔に見えた記憶があります。そして少しおどろおどろした雰囲気が怖かったです。
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古事記や日本書紀に記される天照大神を「黄金の太陽」だとすると建速須佐之男命のような存在に思えてしまいます。ギリシャ神話におけるゼウスとポセイドンの兄でありながら冥界の王となったハデスなども想像してしまいます。
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この辺りで係員の方から説明があり、密にならないように距離を取っての見学が始まります。時間指定で予約してあるので、同じタイミングの見学は20人くらいのグループになりました。
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通路を曲がると生命の樹が目の前に飛び込んできます。
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真っ赤の染まった壁面を見ると「太陽の塔」の体の中に入ったのだと感じます。生命の樹は塔の脊髄なのか静脈のようにも思えてきます。
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実際の生命の樹の意味は単細胞生物から旧石器時代の人まで時代を超えた33の生物が進化する過程を表しています。
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一番下には原始的なポリプが怪しく輝いています。1970年当時はこれ他の展示物をどうやって光らせていたのかは分かりませんが、LED照明の時代にもう一度見ることが出来てよかったと思います。
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リーフレットによるとクラゲAとありました。
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光る球体は太陽虫で、円錐のオルトセラスペルキドウムがペアで見えます。そんな海の中を太湖の魚類が泳いでいます。
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クラゲBも怪しく輝きながら浮遊しています。1970年の大阪万博より前に見た映画「ミクロの決死圏」を思い出します。
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サソリや巻貝へと進化していきます。
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見上げるとブロントサウルスの巨大な姿が見えます。ちょうど小学生の頃に恐竜ブームみたいなのがあって、プラスチックの人形をたくさん買ってもらった記憶があります。今年実家の物置を掃除していたらその頃の人形やレゴブロックが大量に出てきて懐かしく思いました。
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こんなクラゲの漂う時代に生まれなくて良かったです。
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アンモナイトもつがいでいました。
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雄たけびを上げるブロントサウルス。1970年代はこれですごいな思いましたが、次にすごいなと思ったジュラシックパークまで20年ほど待たなければなりませんでした。
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生命の樹は高さが41メートルあるとのことですが、目の当たりにするともっと高いように思えます。
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子供の頃に見た「ウルトラQ]の世界を思い出させます。
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オルトセラスペルキドウムもアンモナイトも一昔前のミッソーニというイタリアのニットブランドのセーターのようです。
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気分は1970年の10歳の時に戻ってしまいます。妻は中学校の修学旅行で同じころにここへ来ています。
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巨大な古代魚に見つかったら食べられてしまいそうな気分になります。
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岡本太郎は子供の頃に見たテレビのコマーシャルで「グラスの底に顔があってもいいじゃないか。」なんて言っているおじさんくらいに考えていました。自分なりに再認識したのは国立近代美術館へ安田靫彦展へ行った後の常設展示で第五福竜丸の被爆事件を着想して描いた「燃える人」を見てからです。
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近いうちにちゃんと学ばなければと思っていて、この日に至る前に岡本太郎の美術館や自宅アトリエにも行きました。知れば知るほどすごい人だったのだと思いました。
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そして生命の樹を見上げながら改めてそう思いました。そしてこれが本当に50年前に作られたものだということに驚きます。
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1970年当時はエスカレーターで登った記憶がありますが、現在は階段になっていました。妻は足の具合が悪いのでエレベーターを使わせていただきました。ただ最初は「エレベーターは予約制です。」と言われてしまいました。ルールかもしれませんが混雑しているわけではなく、他に使う人もいないのにずいぶんだなと思いました。大阪城の係りの方が親切だったこともあってちょっとがっかりしました。
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ブロントザウルスやトラコドンが近づいてきました。
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この辺りはほとんどジュラシックパークの気分です。骨格だけの動物も見えます。
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マンモスが見えてくると大きなモニュメントは終わりに近づきます。
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その上は太陽の空間が広がります。刻々と色が変化して人類の将来は明るいのではと思えます。この造形美のすばらしさにはため息が出ます。上海のグランドハイアットの吹き抜けを初めて見た時の驚きを思い出しました。
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頭部が壊れてしまったゴリラも元気そうに座っています。
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生命の樹はこの先どこまで伸びていくのでしょうか。この温暖化の世界を知ったら岡本太郎はどんな未来を描くのでしょうか。
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現代人が登れる生命の木はここまでです。
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このフロアには左右に延びる腕があります。この照明も刻一刻と変化していくので目を離せませんし、建設当時の鉄骨フレームはその機能としての構造の美しさには言葉もありません。
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今まで見た過去のSF映画のCGやVFXが陳腐に思えてしまうほどの迫力を感じました。先の方からエイリアンがやってきそうな気がします。緊急事態になった宇宙船の場面は大体こんな照明に変わります。
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50年前なら明るい未来が感じられたかもしれませんが、このまま登っていけば極楽浄土に行けそうな歳になりました。
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反対側には当時の階段が残されています。ここからは妻はエレベーターで降ろしてもらい、1人で螺旋階段を下ります。
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縄文土器を芸術だと思った岡本太郎の言葉が心に突き刺さってきます。
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「太陽の塔」のお腹の周りの曲面に沿った壁面には太陽の塔についてのパネルが展示してありました。
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50年前の写真を見ているとその当時の情景が浮かんできます。
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閉鎖されていた「太陽の塔」の再生プロジェクトのパネルも興味深かったです。耐震性能が不足していた塔は腕より下は内側に鉄筋コンクリートの壁200ミリの増打ち補強を行い、腕より上部は補強箇所が内外から一切分からないよう鉄骨補強を行なったそうです。
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一番興味深いのは生命の樹とそこに展示された生命体です。
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50年ぶりの「太陽の塔」の見学が終わりました。最後にミュージアムショップで絵葉書とガイドブックを購入しました。
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過去を象徴する背面の「黒い太陽」を見ていると自分の人生は表の「太陽の顔」で、残りの人生が「黒い太陽」のような気がします。
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坂本九の歌でジェンカを踊った広場で記念写真を撮りました。本当は2人でジェンカを踊りたかったのですが、周りに社会科見学の中学生がたくさんいたのでちょっと恥ずかしかったです。
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広場には当時の大屋根の一部が保存されていました。静まり返った広場に立って50年前の日本人のパワーを思い出してみました。
https://www.youtube.com/watch?v=lCfAlZILLXQ -
通常部直径80センチで柱頭部は90センチから1メートルの鋳鉄の中空型ボールジョイントと50センチと35センチのパイプをクロームモリブデン鋼とニッケルクロームモリブデン鋼製の高強度ボルトでつないだトラス構造による世界最大のスペースフレーム(立体格子)を用いていました。1970年当時見上げても細く見えた大屋根を間近かで見るとすごい迫力でした。
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「太陽の塔」の見学を終えて次の予定の「国立民族学博物館」に向かいます。
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ところが前日の11月3日の祭日が営業だったので、この日は振替の休館日になっていました。もう頭の中が真っ白になりました。20数年も思い続けていた博物館が休みなんて。
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頭の中がぐるぐるしましたが、翌日の午前中に京都へ移動するのを午後にして、予定していた観光は中止にするか他の日に組み込むことにしました。
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あまりのショックで気持ちを落ち着かせるために近くのバラ園も見学しました。ここには万国博覧会開催当時から残る品種もあるそうです。バラ園としては2019年に改修しているようです。
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「ステファニー・グッテンベルグ」という名前のバラ。たくさんの種類がありますが、バラについては全く知識が無いので花盛りのものだけ写真に撮りました。
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「クロードモネ」の名前の通り物の絵画に描かれるような淡い色彩です。
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バラ園の脇にはカナダ政府から寄贈された「カエデの木」が植えられていて、ちょうど紅葉が見ごろでした。正式には「アメリカハナノキ」という北アメリカ東部に分布するカエデ科の木だそうです。1967年にカナダのモントリオールで開催された万博会場に植えられていたものをそのまま移植したそうです。
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バラ園の隣にある「大阪日本民芸館」にも行く予定でしたが、こちらも振替休館日でした。
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残されたのは「日本庭園」だけです。ここで休憩することにしました。
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少し疲れた妻のご機嫌を直すのにはソフトクリームが一番です。この日は日差しも強く少し暑いくらいの天気でした。
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日本庭園は1970年の万国博覧会に政府出展施設として、日本の造園技術の粋を集めて造られた名園です。博覧会当時は林立する近代建築パビリオンの未来空間と対比して、自然や緑の憩いの場を提供する役割を果たしていました。
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「心字池」は草書体の「心」という文字の形をした雄大な池で、中央休憩所からは芝山(築山)を背景に心字池や石組みなど日本庭園の「池泉回遊式庭園」の景観を鑑賞することができます。
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「木漏れ日の滝」は高さ3.5メートルの二段落ちの滝を中心に、その左に1つと右に2つの形の違った小滝で構成されています。主滝に使われているのは庭園で最も大きくて重量は17トンもある巨石が用いられています。
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妻は中央休憩所から動かないのでこの先は1人で心字池を散歩してみることにします。
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意見に浮かぶ石の上では草亀が甲羅干ししていました。
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カルガモの一団が目の前を泳いでいきました。
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池の周りの紅葉はずいぶんと進んでいるようです。大阪市内では紅葉を見たのは大阪城公園くらいだったので、次に行く京都の紅葉が期待できます。
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中央休憩所越しに「太陽の塔」が見えました。ベンチに座った妻の姿も見えます。たぶんガイドブックで何か美味しいものを探しているのでしょう。塔のシルエットがルドンの「キュクロプス」のように見えてしまい、塔が振り向いたら一つ目だったら怖いなと思いました。
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日本庭園にある心字池の北側は日当たりが良いからか紅葉がきれいでした。
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広大な庭園は非常によく整備されているなと感じました。旅の後半は「桂離宮」と「修学院離宮」と「仙洞御所」の予約もしてあるので庭園を歩くのが楽しみです。
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先ほど渡ってきた石橋が遠くに見えました。
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「松の洲浜」は川が河口付近から海へと注ぐ姿を象(かたど)ったものです。西端の「深山の泉」からの湧水が南北2つの流れに分かれ、やがてここで合流して心字池へ流れていきます。
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白い砂利のまわりにクロマツやハマボウなどの海岸に生える植物が植えられており、設計者である田治六郎氏は「ここに枯山水庭園の起源となる景観を再現した。」と語ったそうです。
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あまり遠くまで行って時間が過ぎると妻が心配するのでここで中央休憩所に戻ることにします。
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バラ園の近くにあった球体には見覚えがありました。「月の世界」というイサム・ノグチの作品です。今でもこのモニュメントが残っているとは思いませんでした。
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現在の位置よりもっと「太陽の塔」の近くの広場にありました。太陽の塔に対しての月という関係だったのでしょう。
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家に残っていた写真にはアメリカ館のコロンビア号が写っていました。通用口から入れてもらった後ろめたさもありましたが、月の石もしっかり見てきた記憶があります。この当時の小学3年生だったかの付録で巨大なアポロのロケットを組み立てた思い出があります。
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中央休憩所に飾ってあった写真パネルには未来のロボットが写っていました。これはフジパン・ロボット館の様子です。
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手塚治虫のプロデュースで41体のロボットを展示したそうです。
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1970年のあの熱狂は何だったのだろうかと考えることがあります。2025年の大阪万博はどのようになるのでしょうか。見てみたい気持ちはまだ沸き上がってきていませんが。
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子供の頃の思い出が詰まった万博記念公園です。
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たくさんの写真を残してくれた父にも感謝です。自分の記憶だけでは補えない経験を確認することが出来ます。
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春と夏合わせて4日ほどの大阪万博の経験はのちの自分の人生に大きな影響を残したと思います。
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会場を去るときは寂しい気分になったのも覚えています。後にも先にも○○博というものに行ったのは1970年の大阪万博だけでした。
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予定を変更して早めに大阪市内に戻ることにしました。
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