2021/11/11 - 2021/11/11
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kojikojiさん
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「赤山禅院」を参拝した後は「修学院離宮」の参観に移ります。入り口に並んだベンチに大勢の人が座っているのでずいぶん大人数で見学するのだと思いました。中には当日申し込みを狙ってくる人もいましたが、皆さん満員だということで諦めて帰っていました。時間になって手続きに進みますが、入ってきたのは10人くらいの人だけでした。ほかの30人くらいの方は当日申し込みで、午後の参観時間まで待っているとのことでした。早いタイミングで申し込んでおいてよかったと思います。ここには3回ほど来たことがあり、一番思い出なのは外祖父母と来た時のことです。祖父の案内で庭園を回り、いろいろなことを教わった覚えがあります。上御茶屋の隣雲亭の一二三石について教えてもらったことは今でもよく覚えています。残念ながら今回の参観では工事囲いに覆われていて見る事が出来なかったのが残念です。ここも約1時間かけて庭園を回りますが、1周歩くと3キロにもなります。ここでも妻はへとへとになってしまいました。「修学院離宮」について思い出されるのは40年ほど前の参観の後に外祖父母と「林丘寺」に行ったことです。門跡寺院なので尼さんがいらっしゃいましたが、非公開の寺院内を見学させていただいたのと絵葉書をいただいたことをよく覚えています。30歳くらいまでは非公開の寺院や入れない御殿の中に入れてもらったり良い経験をさせてもらったと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「赤山禅院」を参拝した後は坂道を下るように「修学院離宮」に向かいました。
歩くルートはなるべく坂を登らないように考えていました。赤山禅院までタクシーで移動したのも、修学院離宮の中を参観するには内部の庭を3キロ以上歩かなければならないからです。 -
今回の旅での「桂離宮」と「仙洞御所」とこの「修学院離宮」の参観は8月1日の午前4時にネットで申請していました。翌日には回答が来ましたが、基本的には予約制なので、入り口は空いているだろうと思っていました。
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午前10時40分くらいに総門に到着すると30人くらいの人が椅子に座っています。ずいぶん参観者が多いなと思いました。木賊張(とくさばり)と呼ばれる竹の塀が懐かしいです。
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ところが時間になって中に入ったのは10人ほどでした。当日参観の予約を取るために並んでいる方だったようです。我々が待っている間にも当日予約に来られた人がいましたが、満員のために帰されていました。
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コロナ禍で参観人数を減らしている措置のようで「桂離宮」でも12人づつの2組に分けていました。そう考えると月の変わった1日の午前4時に予約してよかったと思います。
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待合所は「桂離宮」のような立派な建物ではなく、売店も簡単なものでした。宮内庁の施設でありながら絵葉書やパンフレット以外にオリジナルの手ぬぐいだったり趣向を凝らしているのが面白いです。
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午前11時になって参観がスタートします。案内の宮内庁の職員の方を先頭に12名の参観者の後ろに皇宮警察の方がつきます。妻の足のこともあるので一番最後を歩くことにしました。
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「修学院離宮」に来るのも3回目だったと思います。そのうちの1回は外祖父の案内で祖母も一緒に行ったと記憶しています。その時の外の腰掛の一二三(ひふみ)石について教えてもらったのですが、現在は改修工事中で見学できないとのことでした。
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参観ルートは「下御茶屋(下離宮)」を見学して、松並木(御馬車道)を通って、「中御茶屋(中離宮)」を見学して、松並木を戻って、「上御茶屋(上離宮)」を見学して戻ってきます。
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修学院離宮は比叡山麓にある後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)です。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなり、「桂離宮」と「仙洞御所」とならび、王朝文化の美意識の到達点と言えます。今回の旅でそのすべてを妻に見せたいと思っていました。
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当のご本人は旅も11日目になるとへとへとな上に足が痛くなってしまい、そんな余裕は無さそうです。まずは下離宮の御幸門から下御茶屋に入ります。
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御幸門を入って右に進み、中門をくぐると左手に緩い段があります。段上の玄関は御輿寄せですが、ここからの上皇の御昇降は無く、右手を回った「寿月観」の濡れ縁から直に着御になられたそうです。
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右手に回り込んでいくと楓が色づき始めていました。
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「寿月観」への中門をくぐります。門などの付属建物を除くと、下御茶屋に残る建物は寿月観のみです。かつてはこの他に「蔵六庵」という茶屋と2階建て楼建築の「彎曲閣」がありましたが、現在は失われています。
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輿はこんな石橋も渡ったのでしょうか。
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この池を掘った土を盛り上げて、その上に「寿月観」は建てられています。池辺には楓やつつじが多く、四季折々の風景が楽しめます。
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池の中島にある「袖形灯篭」は別名「鰐口」とも呼ばれる珍しい形で、基礎と笠の間の火袋・中台・竿を兼ねたものをコの字型にくり抜き、蛭釘(ひるくぎ)があり、ここに釣燈籠を下げて足元を照らしました。
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中島を過ぎたところにある四角い燈籠は「朝鮮燈籠」と呼ばれます。四隅が反っており,笠の上に切籠形の宝珠が載っています。
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「寿月観」に到着しました。この建物は後水尾上皇御幸の際に御座所に当てられた重要な建物です。前面には明り障子を立てて濡縁をめぐらしています。
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「寿月観」の扁額は後水尾上皇の宸筆になります。上皇が山荘内のお茶屋に「寿月観」と命名されたのは修学院離宮の造営以前からで、正保5年の1648年に女三宮顕子内親王の山荘である岩倉御殿に御幸があった際に「寿月観」の額を贈ったという記録があります。
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一の間は15畳で床の間の前の3畳は栃框の上段になっています。飾り棚の横の脇床は琵琶を置かれたので琵琶床と呼ばれます。
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飾り棚は天袋と地袋に一重の棚が付けられています。天袋には飛ぶ鶴が描かれ、地袋に奇に蘭の花が描かれています。これは共に原在中(はら ざいちゅう)の筆と言われます。
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二の間境の4枚の襖には岸駒(がんく)の筆と伝えられる「虎渓三笑図」の墨絵があります。その上の欄間は板目も鮮やかな杉板に花菱模様を透かし彫りにしています。岸駒は江戸時代中期から後期の絵師で、有栖川宮家の近習となり、同家の御学問所の障壁画を描くことにより、その庇護のもとに天明の大火で焼失した御所の障壁画制作に活躍し、従六位下主殿大属に叙任しています。
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虎渓三笑図(こけいさんしょう)とは中国の故事を表したもので、江西省九江県の南方の廬山東林寺の前の渓谷でのことです。中国六朝時代の高僧である惠遠 (えおん)は18人の賢人を伴い盧山で修行をしていました。30年はその山から下りないと誓い、客人を送る時も俗界との境界である虎渓という谷を越えることはありませんでした。
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ところがある日、陶淵明(とうえんめい)と陸修静(りくしゅうせい)という2人の友人が訪れた際に清談に時間を忘れ、見送る時も話に熱中してしまい、つい虎渓を数百歩過ぎてから初めてそれに気が付き3人で大笑いしたという故事のことです。
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二の間の西側南寄りの杉戸には「夕顔」の絵が描かれています。
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光格上皇の好みとされますが、作者は不詳のようです。元々は仙洞御所にあったものを移されたようです。裏側は水屋になっています。
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三の間の襖は岡本豊彦筆の「泊まり舟」になります。
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下離宮の出口になる東門までも緩やかな坂を上るようになります。
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歩くのが必死で声を掛けるのが気の毒になり、妻の後ろ姿の写真ばかりになりました。
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下御茶屋の東門を出ると広場があり、視界が急に開けます。左手に見える比叡山を中にして、北山と東山の山並みが遙かに続き、正面には御茶屋山がなだらかな姿を見せています。
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比叡山にももう何十年と行っていないことに気が付きます。近いうちに琵琶湖側の坂本へ出て、大津方面にも再訪してみたいものです。
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下御茶屋の東門のくぐってきた門は表から見ると全く分からないような造りです。
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この空間の変化には妻もびっくりです。
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この辺りは松の木が多いので紅葉はありませんが、奥の山々の紅葉ももう1週間から2週間後の方がきれいなのでしょう。今回はお茶会が紅葉日ピークを外して開催されたので仕方ありません。
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まっすぐ正面に延びる松並木は最後に向かう上御茶屋への道になります。ここも外祖母の手を引いて後ろ向きに歩いた懐かしい道です。
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修学院離宮は後水尾上皇が考えた理想郷の表現なのだと思うことがあります。上皇が日本のあるべき姿を庭として表現したと思えるのがこの棚田で、上御茶屋の池から引かれた水を使い、現在も委託された農家の方が作業をされています。最後尾を歩く皇宮警察の方に「ここで穫れたお米はどうなるのですか?」と尋ねてみると、「農家さんのものになります。」とのことでした。
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まずは中御茶屋に向かう松並木を進みます。2本ある松並木でもこちらのほうが細いので、伸びた松の枝が体に触れそうです。綺麗に手入れされた松並木ですが、離宮内の樹木は「御所透かし」という手法で手入れされています。葉や枝を間引いて空間を開けて姿を整えつつ、あたかも人手を加えていないような柔らかな感じに仕上がっています。この道の正面に中御茶屋の表門があります。
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この砂利道も桂離宮の正門からの道と同じでむくりがあり、両脇が低くなり、排水のための穴が目立たないように石で隠してあります。
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中御茶屋の表門までやってきました。松並木を歩くとこの表門を正面に見据えて歩くことになります。太陽の位置からもこの門は北向きに建っていることが分かります。外壁の塀も隙間なく竹を並べていく手法を木賊張(とくさばり)ですが、ここも同じ意匠を踏襲しています。
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一転して内側はとても明るい印象です。ここで中御茶屋についての概略の説明があります。以前は係りの方が普通に説明するだけでしたが、現在はスピーカーを腰に付けて、マイクでの説明なので離れていても聞きやすいです。
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門の中の広場の先は非常に広い階段になります。この段を上った右側に「林丘寺」の正門があります。中御茶屋は後水尾上皇の第8皇女の光子(てるこ)内親王のために寛文8年の1668年に造営された朱宮(あけのみや)御所が前身です。この地にはそれ以前に上皇の第1皇女である梅宮が出家して円照寺という尼寺を構えていましたが、上皇の離宮建設の意思を聞いて奈良八島の地へ移ります。朱宮御所は上皇の死後は林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められます。
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明治18年の1885年に楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となっています。この辺りは元々は林丘寺の一部だった場所です。
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外祖父母と一緒に修学院離宮に来た際はここから「林丘寺」へ行ったことがあります。当時も今も見学は出来ないようですが、たぶん祖母が住職の尼さんと知り合いだったようです。待っている間に別の尼さんにお寺の中を案内してもらったことを思い出します。絵葉書のセットを3つももらったこともよく覚えています。
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中御茶屋中門まで上がってきました。
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柿葺の廂に襷掛けの扉が配され、木賊張りの袖塀が左右に連なります。その塀の奥の扉から中に入ります。
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記憶に全く残っていない白い蔵がありました。白漆喰が真新しいので景色から浮いた存在に感じます。
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中に入ると右手に「楽只軒」の建物が見えます。楓がきれいに紅葉しています。
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「楽只軒」の西側の旧書院跡には背の低い傘松があります。
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南側に広がる前庭の苑池は創建当時からあり、客殿前からの遣水が小さい滝となって落ち込んでいます。
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軒名は「詩経」の「楽只君子万寿無期」によるもので、後水尾院の命名とされます。ほぼ正方形平面で、南側には広縁を設けて廂(ひさし)を深く出し、床を低くして庭と座敷の教会をあいまいにしているように思えます。
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楽只軒の東南の高みに工夫のある階段でつながれた客殿がああります。延宝6年の1678年に東福門院が亡くなられた後、天和2年の1682年に光子内親王のために女院御所の奥対面所から移築したものです。
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前庭の小池を回り込むように参観順路が設けてあります。池のくびれた所にやや高めに架かる立派な石橋が目を引きます。
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この石橋は元々は土橋だったようです。
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修学院離宮の中離宮客殿は東福門院和子(後水尾天皇の皇后)がお使いだった女
院御所奥御対面所を天和2年の1682年に移築した建物です。客殿から隣接する楽只軒に通ずる西縁座敷にある杉戸絵に画かれているのは毎年7月に行われる京都三大祭の1つ祇園祭の山鉾の「岩戸山」と「放下鉾」です。この裏側には船鉾が描かれています。 -
放下鉾は真木の中央の天王座に祀る「放下僧」に由来し、鉾先の三光(日、月、星)の形が洲浜(すはま)に似ていることから「洲浜鉾」とも呼ばれました。水炊きの鳥弥三(とりやさ)や「島田耕園」で見た「赤熊(しゃぐま)」という藁飾りを探してしまいます。
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この杉戸絵の筆者はかつて住吉具慶(すみよしぐけい)とされてきましたが、近年の研究により狩野敦信(寿石)とされています。
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一の間側に親子の鯉が描かれた杉戸絵があります。この鯉は夜な夜な杉戸を抜け出ては池に遊ぶというので、後から金色の網を伏せたと言われています。
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それでも暴れているのか所々網が破れています。この網だけは円山応挙の筆と言われているらしいです。陶器の絵柄にもある玉網のように結び目まで描かれてあります。
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真裏の東面には鯉が1匹だけ泳いでいます。
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こちらも同じように網が破れています。
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客殿は女院御所の奥対面所を移築したものなので修学院離宮の中で最も華やかな建物となっています。
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一の間は12畳半の広さで中央に1間半の飾棚があります。飾棚は大小5枚の欅が互い違いに配置されていて、まるで霞がたなびく様に似ていることから「霞棚」と呼ばれています。
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桂離宮の「桂棚」と醍醐寺三宝院の「醍醐棚」と並んで「天下の三棚」と称されています。以前に来たときは御殿の中も見させていただいたので、残るは醍醐寺三法院です。
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地袋に描かれているのは友禅染の張場の情景です。引手は羽子板の形をしています。
三角棚には更紗模様に子供の玩具である振振毬杖(ぶりぶりぎっちょう)の引手となっています。地袋の下の金具には三葉葵紋が施されているのは東福門院が将軍家の出自であることを示しているようです。 -
壁面には創建当時の「修学院八景」を詠んだ親王や公家達の和歌と、五山の禅僧達がつくった漢詩が和漢を対にして貼り付けられています。
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修学院八景とは「村路晴嵐」「修学晩鐘」「遠岫帰樵」「松崎夕照」「茅檐秋月」「平田落雁」「隣雲夜雨」「叡峰暮雪」の8つです。杭州の西湖十景を周るために歩き回った旅を思い出します。
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遣水近くには織部燈籠と呼ばれる燈籠があります。別名切支丹燈籠と呼ばれ、マリア像に見立てられる彫刻が見られます。
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前庭東隅にある滝口はほんのわずかですが、庭園の大きな景色になります。
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客殿の東側に階段があり,上った先には門が見えています。門の奥は林丘寺の境内です。
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緩やかな屋根の傾斜が印象に残る建物です
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客殿には数本の直線で構成される手摺があります。「網干(あぼし)の欄干」と呼ばれるもので、漁の網を干した姿を現してます。
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建物内部の様子は東側から見たほうがわかりやすいです。手前が一の間でその奥が二の間と続きます。
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一の間と二の間の境の長押に掛かる「楽只軒」の扁額は後水尾上皇の宸筆といわれています。文字は緑色で額縁に色と柄の異なる3種の竹を用い、七宝の竹葉をあしらっています。手前の一の間の襖壁には吉野山の桜が描かれていることから「吉野の間」と呼ばれています。
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中御茶屋を1周回ってきました。
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中御茶屋を後にします。
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松並木を戻ります。次にここへ来ることがあるだろうかと考えてしまいます。過去の2回で一緒に来た父も外祖父母ももういません。
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ここからは上御茶屋に向かいます。
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先ほど歩いてきた松並木も反対側から眺めるとまた違った雰囲気です。
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11月の11日ではすでに稲刈りは終わっていました。農業機械が使われていたり軽トラが走っているのは興覚めですが借景としては美しいです。
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松並木を登っていきます。
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上御茶屋の御成門です。下御茶屋の御幸門とよく似た造りになっています。
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御成門の前の広場には山から小川が流れ、この水が段々畑にも流れていくのだろうと思います。バリ島のスバックのような水路にシステムが完成されているのだと感じます。
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上御茶屋にも門の脇から中に入ります。ここからはしばらく閉鎖された空間を歩きます。
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ずっと池の側が生垣に覆われて景色を遮っています。本来であればここを登り切った「隣雲亭」へ上がって景色が開けるのですが、現在は改修工事中で囲いに覆われています。
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「隣雲亭」の土間にある赤と黒の鴨川石を敷いた「一二三石(ひふみいし)」について外祖父母に教わったことを懐かしく思い出します。今回は大阪の「美々卯」の本店の土間に敷いてあったものを妻に見せているので意味が通じました。
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途中から坂を下るルートに変わっていました。
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北側に少し下った辺りに丸みを帯びた「滝見燈籠」があります。
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「隣雲亭」から下る石段はこちらだったかと記憶をたどります。
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「滝見燈籠」の名の通り、ここからは「雄滝」の姿が見えます。滝の水は林丘寺の前を流れる音羽川から山腹を横流しに引いてきたもので、高さは6メートルあります。
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滝口から石橋までは石組みも多く、谷間の急流を表し、下流側には草原で石も少なく、のを流れる小川を感じさせます。
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「千歳橋」が見えてきました。この辺りが修学院離宮では楓は一番美しい場所です。
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遅れ遅れではありますが、妻もなんとか見学のペースについていけています。
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「千歳橋」は後水尾上皇の作庭時には無く、文政7年の1824年の大改修の際に京都所司代の内藤紀伊守信敦が石橋台を献上して、上に乗った屋形は1827年に水野越前守忠邦が寄進したものです。ブルーノ・タウトは「環境に似つかわしくない中国風の橋」と言ったそうです。
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切石積みの橋台に1枚石の橋板を渡し、西には寄棟造の屋根を架けたもので、宝形造屋根の頂部には金銅の鳳凰が立っています。
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東には宝形造りと橋の左右で造りが違っています。確かに中国の少数民族のトン族の風雨橋に似ていなくもありません。江戸時代の文人趣味と考えれば違和感はあるかもしれません。
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ここだけ切り取ってしまえば1つの絵にはなると思います。
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個人的には嫌いではないのですが、後水尾上皇のコンセプトからは逸脱していると言えます。
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楓の多い「楓橋」ですが、日陰になっている奥まった場所にあるので紅葉は進んでいませんでした。高い橋脚で支えられた美しい木製の橋です。
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「楓橋」は窮邃亭(きゅうすいてい)への尾根を切通した掘割に架かっています。
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橋の上からは「浴龍池」が姿を見せています。
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「千歳橋」の1枚の岩が掛けられた様が良く分かります。
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鳳凰は瑞草を咥えています。
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窮邃亭(きゅうすいてい)まで坂を上がってきました。中島の頂上にある後水尾上皇の創建以来で現存する唯一の建物です。大きい中島の上に建ち、宝形造りで杮葺、屋根頂部に瓦製の露盤を置き、その上に切子頭の宝珠を乗せていますが写真には取りにくい配置です。
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内部は18畳一間のシンプルな造りをしています。矩に曲がった6畳の上段が設えられてあり、窓際には御肘寄と呼ばれる欅の1枚板を渡しています。
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軒下に掛けられている扁額は後水尾上皇の宸筆です。「窮」と「邃」それぞれの文字を八角形で囲み、真ん中を水引きで結んだ洒落たデザインです。
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突き上げの板戸や障子が開け放たれて気持ちよさそうな空間だと感じさせます。
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ここからは「千歳橋」を見下ろすアングルになります。
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この辺りから見渡す「浴龍池」は青空が写り込んできれいです。
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楓橋の辺りは紅葉が始まっていませんでしたが、明るい池の周りはすっかり色づいていました。
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「浴龍池」を半周歩いてきましたが、「隣雲亭」から見下ろす姿が見られなかったのが残念です。
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土橋を渡って北岸の苑路を歩くと「御船屋」があります。以前来たときはこの船を使って池の中の掃除をしているところを見たことがありますが、御船屋の中で沈んでいました。
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この辺りの紅葉が一番見ごたえがありました。
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今回は桂離宮と仙洞御所と京都御所の4か所の庭園を参観しましたが、紅葉はこの部分が一番美しかったです。
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御船屋の近くには止々斎跡があります。止々斎は舟遊びの拠点とされた離宮一大きい建物でした。仙洞御所に移築後に火災にあい焼失して現存しません。今は石船と呼ばれる大きな水盤が置かれているだけです。水盤なので、ここに花を生けたという説明がありました。
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浴竜池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されています。
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アオサギが1羽池の中の魚か何かを狙っていました。今年は阿寒湖だったり伊勢神宮外宮だったり、いろいろなところでアオサギに出会いました。
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先ほど渡ってきた土橋を見返します。
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少し移動するだけで橋や背景の景色のすがてゃどんどん変化していきます。
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西浜から眺める「浴龍池」越しの全景が一番美しいようです。
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先ほど歩いてきた「雄滝」の姿も確認できます。
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紅葉谷の景色もどんどん変化します。
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西浜の苑路からは大刈り込み越しに松並木の姿が望めます。
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「浴龍池」は御舟遊びの場でもあり、島々を廻りながら管弦に興ぜられ、詩歌の会などを楽しまれたそうです。
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対岸から窮邃亭(きゅうすいてい)の優雅な姿が確認できました。
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上御茶屋の見学が終わりました。
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松並木を下っていきます。
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「浴龍池」は谷川を堰き止めて造った人工池で、4段の石垣で補強されていますが、武骨な石垣が見えないように3段の生垣と大刈込で覆っています。大刈込とは異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものです。
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約1時間10分の見学が終わりました。全部で3キロ以上歩いたことになります。4つの離宮の見学では一番歩くことになります。妻はここまでで疲れてしまいましたが、この後も詩仙堂まで歩き、翌日も京都御所の中の2つの庭園を巡りました。
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同じルートで待合いまで戻ります。
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また違う季節に訪問したい修学院離宮でした。
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旅行記グループ 2021大阪京都の旅
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