2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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≪Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅≫
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
目的地:ヘッセン州、バイエルン州、バーデン・ヴュルテンベルク州を巡る旅である。
ドイツ13のワイン産地の内、フランケンワイン、ヴュルテンベルガーワインのワイン街道を楽しむ予定である。
5月16日(水);夜雨あり、朝方は時にシャワー、後晴・一日中寒い14℃、79km
6時起床。7時半朝食。Rothenbuchローテンブーフ出発は8:45 ->L? をHafenlohrハーフェンロアー川沿いに下り、28kmで Burg Bergrothenfelsベルクローテンフェルス城に到着・見学9:30~10:00 ->マイン川沿いにL?15km Lohrロアーに到着・見学・昼食 10:20~14:30 ->B26 ・(Gemuenden)11km -> Fraenkischen Saale フランケン・ザーレ川沿いにL?25km Hammelburg ハンメルブルクの町に到着・見学15:05~15:45->Kloster Altstadtアルトシュタット僧院に到着・見学16:00~16:20->古城ホテル ザーレック城には16:30に着く。 (②Hotel Schloss Saaleck)
①5月15日(火)思い入れの古城ホテル ローテンブーフ城へ
写真はロアーの旧市街・Schneewittchenschloss白雪姫の町
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
*昨夜は疲労もあってか、午後11時前には就寝し、途中2時半頃に目が覚めた(旅の初めは時差の関係でいつもこんな感じだ)。
大粒の雨が屋根をたたく音が聞こえた。そして、またぐっすり眠ったようだ。
5時頃には鳥の囀りが聞こえてきた。雨も上がり、明るくなってきたようだ。
6時起床。
<朝食: Die Jagdstube狩猟の間で>
7:30~8:00
ビジネス客が一人いた。1年ぶりにドイツの美味いコーヒーや、パン・ハムなどをじっくりと味わう。
この狩猟の間の天井の梁の太さに驚かされる。
山村の古城ホテルならではの凄さだ。
写真は古城ホテル ローテンブーフ城 Die Jagdstube狩猟の間で:朝食 -
さて、今日は国立自然公園である高地シュペッサートを走り、マイン川流域も楽しみたい。
写真は古城ホテル ローテンブーフ城の侯爵の間:昨夜の夕食は此処で食べた。 -
古城ホテル ローテンブーフに別れを告げ、8:45に出発。
結局、レナード夫妻には会わずじまいとなった。
写真は古城ホテル ローテンブーフの城内通路で -
村内から真っすぐ下り、舗装されているが、やや狭い道を走る。
細々とした流れのHafenlohrハーフェンロアー川沿いに走る内に、当地の林野庁管轄地域に入ったようだ。
一般車は殆ど通らず、材木運搬車だけが走るような道らしい。
その内、清掃車が道路際の左右の木々の伐採を行っている場に出くわした。大きな清掃車、伐採車は道を塞ぎ、10分ほど停止せざるを得なかった。伐採と整理が終わり、漸く片側に車を寄せてくれた。何やら、小川の方に落っこちそうになりながら(実際は結構余裕があった・・・)、通りぬけた。
この山中にまでしっかり清掃、道路に飛び出た木の枝を伐採する事に感心しながら、更に山中を進んだ。
漸く人家が見えてきて、予想の倍を走ったような28kmで Burg Bergrothenfelsベルクローテンフェルス城に到着した。
ベルクローテンフェルス城はマイン川沿いを走る道から、高台に立っているのが良く見えて、分かりやすかった。この城は専門学校やユースホステル青少年用教育施設(宿泊可)であるので、小学生を引率した女教師に駐車場を聞くと、城門手前の場所を教えてくれた。
写真はBurg Bergrothenfelsベルクローテンフェルス城にて:
レンタカー ルノー・セニック・2000cc -
<Burg Bergrothenfelsベルクローテンフェルス城>
見学9:30~10:00 この旅②番目の城。
D-97851 Rothenfels 、
http://www.burg-rothenfels.de/
古くは12世紀半ばに遡り、MarquardⅡ von Grumbachグルムバッハ家のマルクアルト2世がマイン・フランケンの西一帯の支配を強める為に砦を作った。
1500年頃、ヴュルツブルク領主司教Bischof Rudolf von Scherenbergシェーレンベルク家のルドルフ司教がマインツ司教との境界線の防御の為、更に城を強固なものにした。
1525年、フランケンの城や町は農民戦争(別記参照)で蜂起した農民の手に戦わずして落ちた。その戦争の終結寸前、火事によって罹災した。
三十年戦争がフランケン地方にも及んだ1631年には、世に名高いスウェーデン国王グスタフ2世がヴュルツブルク領主司教を征服している。
この厳しい時期をベルクローテンフェルス城はなんとか耐えたものの、この城の要塞的な意味を失ってしまった。
写真はBurg Bergrothenfelsベルクローテンフェルス城1787年
参考:
<ドイツ農民戦争>
ドイツ農民戦争は1524年、主にドイツ南部・中部の農民が起こした大規模な反乱、1525年終結。
農民蜂起から全ドイツへ拡大。マルティン・ルターの「95ヶ条の論題」から始まった宗教改革はドイツのあらゆる階層に深刻な影響を与えた。ローマ教皇と結ぶ神聖ローマ皇帝の集権化に反発する諸侯はルター派に転じ始め、没落しつつあった騎士たちは教会領を没収して勢力を回復しようとする反乱を起こし(騎士戦争)、教会や諸侯の抑圧に苦しんでいた農民も各地で反乱に立ち上がった。
ドイツ農民戦争は1524年、西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民反乱から始まった。彼らは賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など「12ヶ条の要求」を掲げて各地の農民に呼びかけたため、蜂起はシュヴァーベンから東南のチロルへ、東北のテューリンゲン・ザクセンへと広がっていった。
この農民反乱に直面した諸侯たちはシュヴァーベン同盟を結成して、農民軍の鎮圧にあたった。諸侯軍は4月、ライブハイムで農民軍を襲い、1000人の農民を虐殺してドナウ川に投げ捨て、その後も各地で農民軍を各個撃破していった。(Wiki) -
1971年以来、2000年まで、大改装が行われ、今の姿になった。
現在の古城は専門学校や、宿泊設備の在る会議・研修所、カトリック系列のユースホステルなどがある。
写真はベルクローテンフェルス城内:城内のRittersaal騎士の広間には領主たちの紋章などが描かれた壁掛けが見られた。 -
見事な城郭には26.5mの天守閣、東の塔(魔女の台所の異名)、2.35mの厚い城壁がある。
天守閣は自由に登れると言われたが、遠慮して、城内のRittersaal騎士の広間などを見させてもらった。中は殆ど見るべきものは残っていないのもやむを得ないか!。
写真は ベルクローテンフェルス城の俯瞰・・・右手の城門から入る。青少年用教育施設(宿泊可)らしく、中央上には大きな運動場もある。 -
Rothenfelsローテンフェルスは人口1千人の小村、村からマイン川沿いに15km 先のLohrロアーを目指す。
ロアーには20分で着いた。
写真はベルクローテンフェルス城眼下のマイン川とローテンフェルスの村
参考:
<Der Mainマイン川>
マイン川Mainはドイツを流れる河川で、ライン川の支流にあたる。
バイエルン州に二つの源流をもち、一つは赤マイン川。
もう一つの白マイン川と呼ぶ。
ドイツ国内を東からフランケン地方を抜けて西に横断し、ヘッセン州のマインツでライン川に合流する。
バイエルン州から湧き出す白マイン川Der Weisser Mainはマイン川右岸、北部の源流である。この川はフィヒテル山地に湧出し、クルムバッハ南西部のシュタイネンハウゼン地区で赤マイン川と合流する。全長は52km 。白っぽい土壌(花崗岩質)からなる白マイン川の水源が白く濁った川を生み出す所以である。
赤マイン川(Der Roter Mainはフレンキシェ・シュヴァイツのリンデンハルトの森に湧出し、クルムバッハ近郊で白マイン川と合流する。全長73kmで標高差283mを流れ下る。この川はローム質の土壌から湧出する。特に降雨の後は多くの泥土が川に流れ込み、赤褐色の濁った色を付けるので、赤マイン川と呼ばれる。)が、クルムバッハ付近で合流してマイン川となる。
その後は西へと流れて、バンベルク、ヴュルツブルク、ヴェルトハイム、ハーナウ、フランクフルト・アム・マインなどを通過して、マインツでライン川に合流する。
全長は524kmである。 -
<Lohr ロアー観光>: 遊覧船・見学・昼食 10:20~14:30
人口16千人のロアーの町は古くから栄えた町だ。
観光の目玉は白雪姫の城・Spessartmuseumシュペッサート博物館、旧市庁舎、Bayersturmバイエルン塔、Altstadt旧市街の木組み建築の家並み、メルヘンの泉、Schifffahrtenマイン川遊覧などである。
http://www.lohr.de/
http://www.lohr.de/sites/gensite.asp?SID=cms060620121648305958063&Art=4527
写真はLohr im Landkreis Main-Spessartマイン・シュペッサート地域マップ・・・中央にLohr am Mainロアー・アム・マインの町 -
この町は今まで訪れた事が無い。近くにWuerzburgヴュルツブルクというロマンチック街道の出発点となり、クリスマス市でも知られた名物観光地があるだけに、ロアー一帯は観光地としては日本人には知られていない。
偶々、調べていた町のHPで白雪姫伝説の城が存在すると知り、是非訪れたいと思ってやってきた。
写真はWappen_Lohrロアーの紋章
赤と金色で10の筋が交互に描かれ、中央を青い斜めの波の線(マイン川の象徴)が流れる。
紋章は1408年以来のもの。 -
マイン川はNaturpark Bayerischer Spessart国立公園バイエルン・シュペッサートの東から西に流れ、ライン川に向かって蛇行を繰り返しながら流れていく。
Hochspessart高地シュペッサートを抉るように流れるマイン川沿いにあるLohr am Mainロアー・アム・マインの町(バイエルン州・ウンターフランケン地方)に、世に知られたメルヘンSchneewittchen(Schneeweisschenとも書く)シュネーヴィッチェン・「白雪姫伝説」は生まれた。
写真はLohrロアー:Maintalbummlerマイン川の遊覧船と広い駐車場 -
新旧マイン橋の間にあるマイン川沿いの駐車場は広く、無料とのことで、そこに駐車した。
すると、目の前に係留していた遊覧船が10時半から出るという。1時間のマイン川遊覧は手頃なので、早速乗船した。
写真はマイン川沿いのロアーの町で乗った遊覧船・・・町の紋章が船の先頭に見え、Maintalbummlerマイン川の遊覧船の文字が横面に書かれていた。 -
<"Maintal Bummler" Schifffahrt マイン川船巡り>
10:30~11:30 遊覧料Euro16
マイン川の蛇行が最も顕著になる、この蛇行をMainschleife マインシュライフェと称している。(マインの蛇行がチョウ型結びリボンの形状を示すのでこう言われている)地図で見てもこの一帯の蛇行は面白い。
もっとも船上にあると、その蛇行は分かるわけではない。緩やかな蛇行はマインの流れと共に実にゆったりとしたものだ。
マイン川の遊覧は2通り;
小(1時間);水、木、金10時半及び日 10時半と16時の便。
大(1時間半);水、木、金、土14時半及び日14時の便。
http://www.maintal-bummler.de/index.html
乗ってみたいと思っていたものの、偶々、1時間の遊覧船にばったり出会ったわけだ。太陽が出たが、まだ寒くて船内の席から外を眺めた。時々、船の前甲板にも出て、緑濃くなってきた両岸を楽しんだ。(有料のコーヒー・オレンジジュースを飲んで温まった。Euro5)
ドイツ人のバス旅行グループ(年配の女性が多い)の30名ほどがガヤガヤとおしゃべりに夢中だ。一行と私共を乗せて、穏やかな川面を船は上流に15分上り(往復30分)、下流に15分下って(往復30分)、丁度1時間で元の船着き場に戻った。
写真はマイン川沿いのロアーの町で乗った遊覧船内から -
船を下りて、ロアーのAltstadt旧市街を目指した。
教会広場、ハウプト通り、マルクト広場、城広場など其々が観光ポイントになっているようだ。
14世紀の市城壁の門をくぐると、目に付くのは木組み建築の家並みである。
漁師横丁と貝横丁がぶつかる路地にはFischerbrunnen漁師の泉があり、大きな漁師像が立つ。
魚を網で捕えた様子を赤っぽい色の砂岩に彫刻したものだ(1983年築)。
写真はロアーの旧市街・Fischerbrunnen漁師の泉と漁師像 -
更に進むと、Bayersturmバイエルン塔と呼ばれて市民に親しまれている塔があった。塔は147段、40mの高さ、町に残る14世紀の最後の塔である。
ここからは市街のみならず、マイン川一帯の眺望が楽しめるとある。
但し、土日祭日のみの開館。
写真はロアーの旧市街・バイエルンの塔 -
マルクト広場・ハウプト通りが旧市街の中心で、通りの左右に美しい木組みの家が立ち、画家が好んで描いたと云うのもうなずけるものだ。知られた建物は皆16世紀の建築である。この通りは歩行者ゾーンでもある。
マルクト広場の旧市庁舎は1599~1602年にルネサンス様式で建てられた。
写真はロアーの旧市街・木組みの家並み(中央の先に見える建物が旧市庁舎 -
Maerchenbrunnenメルヘンの泉(1936年作だが、2010年、Euro35千の費用をかけて改装された)を見ていると、親切な小母さんが「お二人をお撮りしましょう」と言ってくれた。
二人で撮る写真はレストランで頼む事が多いが、こうした機会は喜んで依頼する。
親切な小母さんは更に、「観光シーズンには毎月の第一日曜日にSchneewittchen白雪姫と一緒に町を散歩する催しがあり、メルヘンの泉はそのスタート地点になっている」と説明してくれた。
写真はロアーの旧市街・Altes Rathaus旧市庁舎横のメルヘンの泉で -
また、この町は楽しいコスチュームガイドさんがいる。
今日は見かけていないが、Waschweib洗濯女は街角で洗濯の実演、
午後のお散歩をするBuergermeistersgattin町長夫人、
Baeckermesistersfrauパン屋の親方夫人は17世紀のルネサンス時代や、30年戦争、魔女のお話を、
Graefin Margarethe von Erbach最後のロアー伯爵夫人・エルバッハ家のマルガレーテは16世紀の宮廷のお話を語る。
Nachtwaechterロアーの夜警は17世紀のままの横丁を一緒に巡回してくれると云うのだが・・・。
残念だが、その機会はない。
写真はロアーの旧市街・木組みの家並み -
イチオシ
Schlossplatz城広場 にEhemalige Kellereischeune14世紀の領主の地下酒蔵があり、今はその建物の1階がインフォーメーションになっていた。
さて、この日一番の目玉は白雪姫の城である。
カタリーナ姫が亡くなって(死亡年は不詳)、二、三年して、グリム兄弟によって“白雪姫”の伝説・民話の採取・執筆がなされ、1812年、『グリム童話』("Kinder und Hausmaerchen" 子供と家族のメルヘン)第一版が発表された。
その53番目の童話に記載されている。
今年は発行から200年の記念すべき年になる。
ロアーの薬局主兼薬学史家であったカールハインツ・バーテルズが歴史に埋もれていたロアーの姫・白雪姫の原型となる伝説・民話を見つけ出した時よりも、百七十年以上も前の事である。
(帰国後6月09日に放送されたTBSテレビの番組”世界ふしぎ発見”に薬局主兼薬学史家バーテルズ氏自身が出てきて話されたのにはちょっと吃驚した。てっきりもう亡くなられた方だと思っていたので・・・)
写真はロアーの旧市街・Schneewittchenschloss白雪姫の城
ロアーの姫・白雪姫の原型となる伝説・民話についての詳細は
こちらに書きました。
(ご参考:2014/04/18投稿)
≪ここにメルヘン白雪姫が生まれた・・・Hier beginnt ein Maerchen・・・≫
https://4travel.jp/travelogue/10877549 -
<Schneewittchenschloss 白雪姫の城>
12:00~13:15 入場料Euro5 この旅③番目の城。
ロアーの旧市街の北西に位置する。正面から見ると、実に形の良い城である。
二つの丸屋根の尖塔をもち、周囲は深い濠を備え、町側から橋がかかり、16・7世紀の領主の間がある。近年、白雪姫伝説*で知られている。
14世紀、Grafen von Rieneck リーネック伯により築城された。
1559年、マインツ上級長官の官邸、1814年からロアー地区裁判所、1972年、ロアー地方議会が置かれた。
現在は郷土博物館のSpessartmuseumシュペッサート博物館(月曜休館、10~16時)となっている。
写真は白雪姫の城・シュペッサート博物館:城の模型 -
Spessartmuseumシュペッサート博物館は地下1階から3階まで2000㎡の広さに、その歴史を様々な陳列物で語っている。
地下1階から1階にはシュペッサートの人々の生活;
石鹸の作り方、石鹸・洗剤商品、子供のおもちゃ、ミニチュアハウス、鉄、鍛冶屋、陶器、石工、強盗など、いやはや雑多な展示物である。
2階はシュペッサートの木材業;
家具、木材用の器具・材料、家大工、車大工、船大工、教会芸術など。
3階には森林での必需品、ガラス;
ロアー城の模型、博物館が誇る鏡の間には“Der Sprechende Spiegelものを言う魔法の鏡”、体が歪んで見える不思議な鏡などロアーの鏡工場(1698年創立)製が多く掲げられていた。狩猟の間には獲物と狩猟姿の人形、森番、森の必需品など。
今少し、白雪姫の展示があるかと思っていたが、やはり伝説のままの様だ・・・。
写真はSpessartmuseumシュペッサート博物館:鏡工場の歴史を語る鏡の展示
・・・博物館が誇る鏡の間 -
イチオシ
さて、継母が“Der Sprechende Spiegelものを言う魔法の鏡”に「世界で一番美しい女性は?」と聞くと、「白雪姫だ」という答えがいつも返ってきて継母は地団太を踏んだという話が伝えられている。
この伝“魔法の鏡”は今も城内のSpessartmuseumシュペッサート博物館に見る事が出来るのだ。
白雪姫の伝説の中で重要な役目を持ち、バーテルズが名付けた“ものを言う魔法の鏡”はクリストフ伯が経営していたロアーの鏡工場(1698年創立)製であると云われている。しかもこの鏡は多分、伯爵から二度目のクラウディア妃に贈られたものだとされている。
写真は白雪姫の城・シュペッサート城内博物館:伝・魔法の鏡! -
写真は白雪姫の城・シュペッサート城内博物館:面白い変形鏡
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写真はSchneewittchenschloss in Lohrロアーの白雪姫の城:DBP_ドイツの切手シリーズ・1962年発行の白雪姫の切手セット
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写真はSchneewittchenschloss in Lohrロアーの白雪姫の城:町の観光催し・白雪姫と7人の小人
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地下1階から1階にはシュペッサートの人々の生活;
石鹸の作り方、石鹸・洗剤商品、子供のおもちゃ、ミニチュアハウス、鉄、鍛冶屋、陶器、石工、強盗など、いやはや雑多な展示物である。
写真は白雪姫の城・シュペッサート城内博物館:石鹸の作り方 -
写真は白雪姫の城・シュペッサート城内博物館:ミニチュアハウスも
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写真は白雪姫の城・シュペッサート城内博物館:狩猟の間には獲物と狩猟姿の人形
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写真はロアーの旧市街・左手のAltes Rathaus旧市庁舎横のメルヘンの泉
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写真はロアーの旧市街・Altes Rathaus旧市庁舎横のMaerchenbrunnenメルヘンの泉(拡大版)
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初めて訪ねた町ロアー・アム・マインで世に知られる”白雪姫伝説”を知ることができた。
ロアーの薬局主兼薬学史家であったKarlheinz Bartelsカールハインツ・バーテルズがロアー周辺の伝説・民話を調べて回って、歴史に埋もれていたロアーのカタリーナ姫伝説(白雪姫の原型となる)を見つけ出したと云う。
氏はまだ健在のようである。
ドイツ各地に「白雪姫の地」と称する場所が多いのも又面白いのだが、訪れたロアーが一番ふさわしいように思われる。
写真はロアーの旧市街・木組みの家並み -
XXX
<昼食:Cafe Mannにて>
13:30~14:15 Euro10
ツナとサラミのピザとココア、オレンジジュース 。
写真はロアーの旧市街・軽い昼食をとったCafe Mann。 -
写真はWappen von Hammelburgハンメルブルクの紋章
銀地と赤地に2分割されている。左の銀地に黒い十字架、右の赤地には緑の山頂の上に3つの銀色の天然ユリが描かれている。
この紋章はStadt Fulda フルダ市の図柄が影響しており、因みに十字はフルダ修道院の紋章から採られたもので、ハンメルブルクがこの修道院によって建設されたことを示している。Lilienユリはハンメルブルクの3人の守護者(SimpliciusシンプリチウスとFaustinus ファウスティヌスと Beatrixベアトリス)を表している。ユリの下の三峰の丘は3つの墓を意味していると云う。 -
14時半、 Lohrロアーの川畔駐車場を出て、B26を北東に向かい11km 先のGemuendenグムンデンを経由、Fraenkischen Saaleフランケン・ザーレ川沿いに更に北東に25kmを走って行くと、徐々にブドウ畑の丘陵が見えてきた。
もうHammelburg ハンメルブルクの町なのだ。
人口12千人のロマンチックな町には35分で到着した。
写真はHammelburg_De_Merianハンメルブルク1655年 -
<Hammelburgハンメルブルク観光>: 15:05~15:45
旧市街傍の無料駐車場に車を停めてから、街中に入る。
最初は左手に行ったがそれらしい中心が無いので、地元の小父さんに聞いてみた。
身構えて緊張した彼はこちらがドイツ語で質問したので、満面の笑みを浮かべて、“反対方向だよ!500年も昔の歴史ある市庁舎や泉がマルクト広場にあるから、見て行きなさい!”と教えてくれた。
写真はハンメルブルクのマルクト広場:マルクトの泉、五月柱、市庁舎 -
イチオシ
この町は70km北にあるFuldaフルダの領主司教の支配下に置かれ、南の前線基地として、1250年頃、市城壁、濠、3つの塔(現存)、11の城門を備えたと云う。
1854年、町は大火災で殆どを焼失した。1856年に以前のように再建された市庁舎(マルクト広場)はネオゴシック様式のものでなかなか見た目が良い。
マルクト広場の中心にあるMarktbrunnenマルクトの泉は1541年のもので、フランケンの前期ルネサンス様式を最もよく残したものだそうだ。
泉の近くには五月柱が高々と立ち、葡萄の木をデザインした様子が独特で、五月柱を見るとドイツに来た実感がする。
写真はハンメルブルクのマルクト広場:葡萄の木をデザインした五月柱 -
ハンメルブルクはフランケンワインの町でもある。それで市庁舎のKirchgasse教会横丁側には今夜泊る古城ホテルのWeingut Schloss Saaleckワイン醸造所・ザーレック城のWeinkellereiワイン酒場が堂々とある。
Bocksbeutelボックスボイテルと言うずんぐりした、丸みを帯びた独特のボトルの形状でお馴染みのものが庁舎の壁にくっつけてあるのだ。
その反対側にはKellerrei Schloss醸造所城?(この旅④番目の城)という妙な名前の建物がある。18世紀初めに領主司教Adolph von Dalbergダルベルク家のアドルフにより建てられた城で、名前の通り、大きな穴倉があって、当時はワインの貯蔵に使用されていた。それで妙な名前が付いたようだが納得である。
この城はフルダの領主司教の夏の宮殿として利用されたが、市民たちは見た目からRotes Schloss赤い城と呼んでいたと云う。
ここにインフォーメンションがあった。
この町の小冊子にはWein und Stadtワインと町、 Wein und Kirchワインと教会 、Wein und Kunstワインと芸術・・・とあり、ワインの町である事を印象付けていた。
写真はハンメルブルクのマルクト広場:ボックスボイテルのWeinkellereiワイン酒場
参考:
<Mainschleife・マイン川流域とフランケンワインの産地>
Frankenフランケンはほぼ丘陵地帯と言える。西をSpessartシュペッサート山地、東をSteigerwaldシュタイガーの森に囲まれた一帯がフランケン地方と呼ばれる。フランケンワインはジグザクと蛇行して流れていく、マイン川とその支流フレンキッシェ・ザーレ川の流域の斜面にブドウ畑があり、その流域の魅力的な町々で上質で辛口のワインが造られている。
大きくは三つに分かれ、①Bereich Mainviereckマイン四角地域:Aschaffenburg、Miltenberg、Wertheim、Marktheidenfeldの地域、
三つの中でも最も中心となるのは②Bereich Maindreieckマイン三角地域:Gemuenden、Karlstadt、Wuerzburg、Ochsenfurt、Volkachの地域だ。
三つ目は ③Bereich Steigerwaldシュタイガーの森地域:Iphofen、Bad Windsheim、Neustadt の地域で、この地域は拠点が散在している。
この他にHammelburg、Schweinfurtの地域もある。
Bocksbeutelボックスボイテルと言うずんぐりした、丸みを帯びた独特のボトルの形状で有名である。長い冬の霜の被害を考慮し、この地域では、晩熟のリースリング種はあまり利用せず、フランケンの約6000ヘクタールの畑の75%はミュラー・トゥルガウ種、シルヴァーナー種が中心となり、辛口の白ワインを産出している。特にシルヴァーナーが伝統的に有名である。
尚、西のMiltenbergの小地域でシュぺートブルグンダーなどの赤ワインを栽培している。 -
*ボックスボイテル街道はフランケン地方のヴュルツブルクを中心にしたフランケンワインの産地を結ぶ街道で、ドイツワイン街道の一つとして、第二次大戦後に創設された。
この街道は東西南北に幾つも別れてあり、主にマイン川の流域に多い。
北のルートはマイン川沿いに下り、Veitshoechheimファイツヘーヒハイムから、KarlstadtカールシュタットとHammelburgハンメルブルクの古城ホテル一帯のブドウ畑に至る。
http://www.hammelburg.de/
写真はハンメルブルクの町
参考:
<Die Bocksbeutelstrasseボックスボイテル街道>
ボックスボイテル街道はフランケン地方のヴュルツブルクを中心にしたフランケンワインの産地を結ぶ街道である。
ドイツワイン街道の一つとして、第二次大戦後に創設されたもので、この街道は東西南北に幾つも別れてあり、主にマイン川の流域に多い。
この街道はたくさんの町・村をつなぎ、古城・宮殿、修道院・教会そしてワインの醸造所を見ることができる。
街道の出発点として、古都ヴュルツブルクがあり、西はAschaffenburgアシャッフェンブルクまで、東はCastellカステル、Iphofenイプホーフェン、Ippesheimイッペスハイムの町までである。
北のルートはマイン川沿いに上がり、Veitshoechheimファイツヘーヒハイムから、KarlstadtカールシュタットとHammelburgハンメルブルクの古城ホテル一帯のブドウ畑に至る。
南は国道13号線に下る道で、Sommerhausenゾンマーハウゼン、Ochsenfurt オクセンフルトや Tauberタウバー川に沿った一部である。総距離は?だ。 -
15時45分、ハンメルブルクの駐車場を出て、Kloster Altstadtアルトシュタット僧院に向かう。途中の駐車場から町や僧院、古城ホテルの遠景を撮る。
16時に僧院に到着し、見学。
写真はSchloss-Saaleck古城ホテル ザーレック城:東からの遠望・・・高台に見えるザーレック城と中腹にはKloster Altstadtアルトシュタット僧院 -
<Kloster Altstadtアルトシュタット僧院> ; 16:00~16:20
僧院は古城ホテル ザーレック城に向かう道の途中にある。
1656~58年に領主司教Joachim von Graveneggグラーベエック家のヨアシムが建てた。1698年に焼失し、新たに再建されたバロック様式の僧院が今日に至っている。
見事な聖壇が印象に残る。バイエルン音楽アカデミーが併設されている。
写真はKloster Altstadtアルトシュタット僧院:聖壇 -
写真はKloster Altstadtアルトシュタット僧院:聖壇
-
イチオシ
僧院からザーレック城への狭い道に入り、登って行く。幸い対向車に出合う事もなく古城ホテル ザーレック城には16:30に到着した。
写真はSchloss-Saaleck古城ホテル ザーレック城:東からの遠望 -
中庭には駐車している車も多く、結婚式の披露宴があるようだ。この時期は結婚式も多く、その後も他の町で何回か、それを目にした。
古城ホテルの中庭から見て、正面がレストランで、8号室は右手2階の奥にある。塔から俯瞰してみると、四角の突き出た場所がある。ここが8号室で、HPにも掲載されているから、ホテルでも良い部屋の様だ。
写真はSchloss-Saaleck古城ホテル ザーレック城:城門と天守閣 -
窓から外を眺めると、先ほどまでいたハンメルブルクの町、丘陵を覆う葡萄畑が見える。ここもエレベーターが無いので、女性二人が手伝って、レセプション前の階段を重さに音をあげながら、持ってくれた。チップをEuro5手渡すと、明日の出発時は、部屋近くの階段下にある出口から出ると良いと教えてくれた。
翌日、そこから出たが、車の駐車場傍だった。
写真は古城ホテル ザーレック城:裏手はOstfassade東のファザード・・・中央に私共の部屋が見える。 -
(1泊)②Hotel Schloss Saaleck 古城ホテル ザーレック城
この旅⑤番目の城。
D-97762 Hammelburg 、Saaleckstrasse 1 8号室(2階)
TEL: 49(0)9732‐2020 、FAX:‐2023
http://www.burgsaaleck.de
全14室、DZ=Euro119(12,378円)。
レストランは19時に予約済み:月は休み。
8号室(2階)は大変広いもので、室内には洋梨などの果物が置かれ、ジュースや赤ワインの小瓶0.2L、水など、無料サービスとなっていて、たいへん満足した。
写真は古城ホテル ザーレック城:8号の部屋は十分すぎる広さだった。 -
城の歴史:
西暦800年頃にザーレックの地に小さな教会が建てられた。当時、Rhoenレーン地方のキリスト教化の為、かつての異教徒の地に、キリスト教徒が移住し、砦や町を作り、教会が建てられていった。
元々はフルダの領主司教の勢力下にあり、Hohen Rhoen高地レーン地方の重要な拠点になっていた。
ザーレック城の天守閣は1100年代のもので、ザーレ一帯の防御塁として、メロビンガー&フランケン時代のシンボルである。天守閣は1749年まで、囚人用の牢獄として使用されていた。126段の天守閣に登ると、フランケン・ザーレ川沿い一帯からレーン地方の眺望を楽しむ事が出来る。
農民戦争に備えて、城は強大化したが、農民の攻撃で罹災し、廃墟になったが、現在は古城ホテル・レストランとなり、ワイン醸造所を所有する。
写真は古城ホテル ザーレック城:8号の部屋から窓から外を眺めると、先ほどまでいたハンメルブルクの町、丘陵を覆う葡萄畑が見える。 -
<Weingut Schloss Saaleckザーレック城醸造所>
1964年4月以来、フランケン・ザーレ川沿いに20ヘクタールのブドウ畑を所有している。白、赤、ゼクト、リキュールなどを産する。
http://www.weingut-schloss-saaleck.de/
写真は古城ホテル ザーレック城内 -
写真は古城ホテル ザーレック城内:レセプション
-
<夕食:古城ホテル ザーレック城のAbt-Zimmer僧院長の間で>
19:30~21:00
Euro59.7 (6,210円)
レセプションの右手にDie Jagdstube狩猟の間があり、その先にAbt-Zimmer僧院長の間が並んでいる。結婚式の披露宴を別室で行っているが、意外と多数のお客がレストランの各部屋をうめている様子だ。
写真は古城ホテル ザーレック城:夕食はAbt-Zimmer僧院長の間で -
予約時間には30分遅れたが、予約していたので、僧院長の間の窓際の席に通された。さすがに、この日は厨房も手が回らない様子で、料理の出が遅く、申し訳ないと云う言葉が給仕嬢から出た。
写真は古城ホテル ザーレック城:Abt-Zimmer僧院長の間で:飲み物;シェフからアペリティーフとして、ザーレック城醸造所産のゼクト、少々辛口。 -
さて、料理は以下の通り。
飲み物;シェフからアペリティーフとして、ザーレック城醸造所産のゼクト、少々辛口。そしてザーレック城醸造所のお薦め・赤グラスワイン0.25Lx2、水。食後にシェフからお詫びにと、ザーレック城醸造所産であろう甘口のリキュールを頂いた。
シェフのご挨拶;大きな皿にはパテ、ミートローフに甘いチリソースかけ、クラッカー、トマト、ピリ辛のオーロラソースが。
スープ;家内は牛のギリシャ風肉団子スープ、私はシュパーゲルのスープ。
メイン;ラムの焼き肉、真中にどんと一本の太いシュパーゲル、ニンジンなどの春野菜、ローストしたジャガイモ添え、生クリーム入り焼き肉のソース。
味は美味しく、完食し、お腹がいっぱいになったので、
デザート;デザートはやめた。
写真は僧院長の間で:シェフのご挨拶;大きな皿にはパテ、ミートローフに甘いチリソースかけ、クラッカー、トマト、ピリ辛のオーロラソースが。 -
写真は僧院長の間で:スープ;家内は牛のギリシャ風肉団子スープ、私はシュパーゲルのスープ。
-
イチオシ
写真は僧院長の間で:メイン;ラムの焼き肉、真中にどんと一本の太いシュパーゲル、ニンジンなどの春野菜、ローストしたジャガイモ添え、生クリーム入り焼き肉のソース。
-
食後、古城周辺を散策し、暮れかかった城門のシルエットはなかなか趣がある。
披露宴を終えた近隣のドイツ人グループが出てくる。
皆赤い顔していたが、さっと車で引き揚げて行った。
写真は古城ホテル ザーレック城:中庭 -
写真は古城ホテル ザーレック城:暮れかかった城門と天守閣
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この旅行記へのコメント (4)
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- M-koku1さん 2020/10/28 12:33:42
- 白雪姫のお城
- jijidarumaさん
今回は白雪姫のお城ですね。
民話を拾い集めたグリム兄弟ですが、 ドイツに民話がとても多いのは何故でしょう。
素敵なお城を毎日見ながら 貧しい毎日を過ごしていた農民や領民が、 サクセスストーリを夢見て 色々なお話を紡いでいたのかもしれませんね。
ディズニーのアニメで 初めての長編映画が 白雪姫だったと思います。
1950年公開で まだ私は生まれていませんが 幼い日にはすでに有名な映画となっており、映画館に連れていかれたようです。 (記憶にはありませんが・・・)
昔は 映画を見ると 母は必ずパンフレットを買っていたので、 私も飽きずに眺めていた思い出があります。
ディズニーの映画は 画面よりも 音楽が好きでした。
白雪姫も小人たちの「ハイホー」なんて 明るくていいですね。
「農民戦争」のくだりを読んでいて、なんとなくそんなことを考えていました。
貧富の差は 現代の比じゃなかったんだと思います。
まあ 日本もそうだったと思いますが・・・
いつも通り いろいろ学ばさせていただきました。
ありがとうございました。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2020/10/29 00:36:19
- Re: 白雪姫のお城
- M-koku1さん、
今晩は。いつもありがとうございます。
伝説や民話といったものが、ドイツに多いといわれるのも、グリム兄弟や各地の語り部のお蔭です。ロアーの薬局主兼薬学史家であったバーテルズ氏のお蔭で、私もこうして≪ロアーの白雪姫≫を御紹介できた次第です。
ドイツというと森の民ゲルマン、そして深い森を思いますし、貧しい小さな村落共同体での生活で、一種の息抜きとして夜話が語られ、それらが様々に伝えられていったものが今日のメルヘンになったのでしょう。
さて、私の子供時代は東京の西の果て、自然だけが取り柄の村で育ちましたから、ディズニーのアニメなどは見た事もありません。専ら時代劇ばかりを映画館で見た記憶があります。そんな私がドイツの伝説や民話を好んで取り上げているのも面白いものです。
東京育ちのMさん、我が故郷に伝えられた「雪女」の御話しはご存知でしょうか?
≪小泉八雲の「雪女」≫Wikiの説明の後段に「あらすじ:この話は武蔵の国、西多摩郡調布村(現青梅市)の百姓が私に語ってくれたものである。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%A5%B3
こんなものもありますが、
≪雪女 YUKI-ONNA 小泉八雲 田部隆次訳≫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/50326_35772.html
「茂作と巳之吉はある大層寒い晩、帰り途で大吹雪に遇った。渡し場に着いた、渡し守は船を河(多摩川)の向う側に残したままで、帰った事が分った。泳がれるような日ではなかった。それで木こりは*渡し守の小屋に避難した」
ついでに言えば、前述の*「渡し守の小屋」があった渡し場のことだが、この辺りは千ヶ瀬川原と呼ばれ、木材の筏流しが盛んであった頃はここで筏の組み直しを行い、羽村堰(せき)の堰落としの間、時間待ちをしたと云う。
18世紀の中頃には筏流しの管理、保護の為、千ヶ瀬に三田領筏師仲間の会所(現在の千ヶ瀬町3丁目500番地)を置き、筏の通行にかかる冥加金・会所料を収納したとされる。
兄の話では我が家のご先祖、かつての千ヶ瀬村の名主はこの“渡しの番人”の役目を持っていたらしい。上述した千ヶ瀬村に置かれた筏師仲間の会所にも肝いりとして参画したであろうことも推測できる。土地の有力者が番人の役を務めたようだが、その役目は単なる番人ではなく、行政の一端を担ったもののようだ。・・・我が家の語り部!として親族史を纏めた際に書いた。
小学校に通う途中にあった調布橋のたもとに「雪おんな縁の地」の碑(青梅市千ヶ瀬町5丁目)も立っていますし、青梅市内の「昭和レトロ商品博物館2階」には雪女の部屋が展示されています。
以上、長々と書いてしまいましたが、ご興味あれば雪女伝説をのぞいてみて下さい。
ではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
-
- Rolleiguyさん 2020/10/26 08:36:28
- じっくり拝見
- jijidarumaさん、お早うございます。
充実した旅行記を楽しく拝見しました。
ひとつひとつの出会いやエピソード、歴史を現代の目で見て経験するのが旅行の大きな楽しみであり、本からだけでは得られないものだと思います。
今年はコロナで海外旅行は一切出来ず、とても残念ですが、こうして他人様の旅行記を楽しむことも出来ます。拝見するだけでも楽しいのですから、実際に自分がその場に
いることが出来ればどんなにいいことか、と思わずにはいられません。
フランケンワインのグラスを傾けながらガイドブックには載っていない歴史を感じることが出来たらなと思います。来年もどうなるか分からない状況ですが、せめて行きたいところの事前勉強をしておこうかと思います。jijidarumaさんの旅行記はそうした刺激を与えてくれますね。マイン川には思い入れもあるので、ぜひそうした機会をつくりたいものです。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2020/10/26 18:03:28
- Re: じっくり拝見
- Rolleiguyさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
何時もドイツばかりの旅で恐縮ですが・・・。
2012年の旅は王道のロマンチック街道など、いずれも何度か
走った街道ですが、やはり未踏の町もあって、面白い旅になっています。
伝説・民話や番外編が20を数えるほど、新しい知識を得ることが
できました。
本来なれば、この時期は2020年の旅日記を掲載中のはずでしたが、
やむなく2012年と過去の旅を引っ張り出して、掲載し始めました。
ここには「白雪姫」伝説のように、既に番外編的に掲載した
ものと部分的には重なりますけど、それはそれとして、御許し
頂けるものと思料した次第です。
旅日記も古くに遡れば、幾年もまだありますから、それでもって
この武漢ウイルス時代をしのげそうです(苦笑)。
ドイツの旅は街道の旅、そしていずれも川とワインと共にあります。
マイン川も*Mainschleife マインシュライフェと称している川の蛇行が
好ましく、私も好きな一帯なのです。
(*マインの蛇行がチョウ型結びリボンの形状を示すのでこう言われている)
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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