古城街道周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》<br />期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 <br /><br />5月25日(金); 晴、26℃、109km <br /><br />6時半起床。8時~8時半朝食。<br />ゲッツェンブルク城の城内ガイド10:30~11:30。<br /><br />写真は昨夜の夕食時に身近に拝見した鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの黒光りした腕(レプリカ、オリジナルは城内博物館にある)

ドイツ2012年・麗しの5月:鉄腕騎士ゲッツの城・・・秘密のドアの裏側を特別ガイドで案内する。

40いいね!

2012/05/15 - 2012/05/29

16位(同エリア112件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

5月25日(金); 晴、26℃、109km 

6時半起床。8時~8時半朝食。
ゲッツェンブルク城の城内ガイド10:30~11:30。

写真は昨夜の夕食時に身近に拝見した鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの黒光りした腕(レプリカ、オリジナルは城内博物館にある)

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 5月25日(金);<br /><br />城内ガイドの後に鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの関係先などの僧院・古城を巡った(前章ご参考)。 <br /><br />写真はJagsthausenヤークストハウゼン ・古城ホテル ゲッツェンブルク城一帯に地図。<br /><br />尚、ローマ帝国の軍団がゲルマン人の攻撃を防ぐために、Limesリーメスと称する防衛柵を、ここではJagstヤークスト川に沿って、シェーンタールからマインハルト間に延々と築いている。<br /><br />いわゆる「Deutsche Limes-Strasseドイツ・リーメス街道」がドイツ最長の文化記念物(全長770km)がある。<br />ライン川畔のコブレンツ近くの町Bad Hoenningenバート・ヘンニンゲンからドナウ川畔のRegensburgレーゲンスブルクに至るものである。全長770kmの防衛線上には監視塔拠点900以上と、大小のKastell砦120を数えると云う。<br />各地には様々な規模の出城や防壁、防御柵、広い温泉施設、居住用建築物が見られる。<br />

    5月25日(金);

    城内ガイドの後に鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの関係先などの僧院・古城を巡った(前章ご参考)。 

    写真はJagsthausenヤークストハウゼン ・古城ホテル ゲッツェンブルク城一帯に地図。

    尚、ローマ帝国の軍団がゲルマン人の攻撃を防ぐために、Limesリーメスと称する防衛柵を、ここではJagstヤークスト川に沿って、シェーンタールからマインハルト間に延々と築いている。

    いわゆる「Deutsche Limes-Strasseドイツ・リーメス街道」がドイツ最長の文化記念物(全長770km)がある。
    ライン川畔のコブレンツ近くの町Bad Hoenningenバート・ヘンニンゲンからドナウ川畔のRegensburgレーゲンスブルクに至るものである。全長770kmの防衛線上には監視塔拠点900以上と、大小のKastell砦120を数えると云う。
    各地には様々な規模の出城や防壁、防御柵、広い温泉施設、居住用建築物が見られる。

  • 前章でご紹介したのは、<br /><ホーエンローエ地方の古城群その3シェーンタール修道院の鉄腕騎士の墓碑、シュッテッテン城などを巡る><br /><br />ゲッツェンブルク城を12時に出発。ヤークスト川沿いを北東に6km走る。<br />ヤークスト川に架かる橋を渡ると、右手に立派なSchoental シェーンタールの修道院がある。ここには鉄腕騎士の墓碑が残り、午後のドライブは鉄腕騎士ゲッツにからんだ場所巡りと言っても良いだろう。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:正面

    前章でご紹介したのは、
    <ホーエンローエ地方の古城群その3シェーンタール修道院の鉄腕騎士の墓碑、シュッテッテン城などを巡る>

    ゲッツェンブルク城を12時に出発。ヤークスト川沿いを北東に6km走る。
    ヤークスト川に架かる橋を渡ると、右手に立派なSchoental シェーンタールの修道院がある。ここには鉄腕騎士の墓碑が残り、午後のドライブは鉄腕騎士ゲッツにからんだ場所巡りと言っても良いだろう。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:正面

    Schlosshotel Götzenburg ホテル

    ゲーテの戯曲で知られた“鉄腕ゲッツ”の古城ホテル ゲッツェンブルク城 by jijidarumaさん
  • この日は朝食の後、Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城の<br />城内ガイドに参加した。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:野外劇の準備で、宿泊客の駐車場・入口は裏手にあり、本来はこちらが城内に入る道だ。

    この日は朝食の後、Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城の
    城内ガイドに参加した。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:野外劇の準備で、宿泊客の駐車場・入口は裏手にあり、本来はこちらが城内に入る道だ。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:本丸から20m離れた所に立つVorburg日本的には一の丸であるが、現在は宿泊棟(以前は無かった宿泊棟だが、今は11室)になっている。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:本丸から20m離れた所に立つVorburg日本的には一の丸であるが、現在は宿泊棟(以前は無かった宿泊棟だが、今は11室)になっている。

  • 朝食後、少しゆっくりしてから、10時半の集合時間に合わせて、暗い通路を通り、集合場所に行く。<br /><br />写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:古城ホテルの暗い通路<br /><br />

    朝食後、少しゆっくりしてから、10時半の集合時間に合わせて、暗い通路を通り、集合場所に行く。

    写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:古城ホテルの暗い通路

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:レセプションに向かう通路に鉄腕ゲッツの野外劇(以前)の写真が掲示されていた。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:レセプションに向かう通路に鉄腕ゲッツの野外劇(以前)の写真が掲示されていた。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:レセプション前 

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:レセプション前 

  • *朝食の後、城内ガイドに参加した。<br /><br />レセプション下で偶々観光に来たスペイン人観光客2名と宿泊客6名の合計8名が待っていると、経営者であるクリーガー夫人がやってきた。<br />彼女がガイドをやるとは思わなかったが、ともあれスタートした。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:上にレセプションがある。その下に集合所が指定されていた。

    *朝食の後、城内ガイドに参加した。

    レセプション下で偶々観光に来たスペイン人観光客2名と宿泊客6名の合計8名が待っていると、経営者であるクリーガー夫人がやってきた。
    彼女がガイドをやるとは思わなかったが、ともあれスタートした。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:上にレセプションがある。その下に集合所が指定されていた。

  • <ゲッツェンブルク城;秘密のドアの裏側を特別御案内> <br />10:30~11:30。<br /><br />「Blick hinter die Geheimtueren bei einer privaten Fuehrung durch die Burg秘密のドアの裏側を特別御案内」というのが、宿泊予約のスペシャル アレンジメントの謳い文句だったが、さて、どんなものになるのか?<br /><br />最初に8.6m深さの牢獄をのぞき、続いて2階のRittersaal騎士の間に。<br /><br />ここを飾る大きな家具は周囲に紋章が描かれ、<br />上部に神と皇帝、生者と死者の絵が、<br />下部にベルリヒンゲン家の城主夫妻を左右に置き、<br />中央に同家の二つの紋章を描いていた。<br />一番下は(多分)同家の由緒を記していたのであろう。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:城内ガイドのスタート。

    イチオシ

    <ゲッツェンブルク城;秘密のドアの裏側を特別御案内> 
    10:30~11:30。

    「Blick hinter die Geheimtueren bei einer privaten Fuehrung durch die Burg秘密のドアの裏側を特別御案内」というのが、宿泊予約のスペシャル アレンジメントの謳い文句だったが、さて、どんなものになるのか?

    最初に8.6m深さの牢獄をのぞき、続いて2階のRittersaal騎士の間に。

    ここを飾る大きな家具は周囲に紋章が描かれ、
    上部に神と皇帝、生者と死者の絵が、
    下部にベルリヒンゲン家の城主夫妻を左右に置き、
    中央に同家の二つの紋章を描いていた。
    一番下は(多分)同家の由緒を記していたのであろう。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:城内ガイドのスタート。

  • 3階のテラスに出て、周辺の眺望を眺め、3階の一部の部屋を見て回る。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・・・3階のテラスから見る景観

    3階のテラスに出て、周辺の眺望を眺め、3階の一部の部屋を見て回る。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・・・3階のテラスから見る景観

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:小川、畑や草原側から見た城の景観、中央がレストランのある場所である。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:小川、畑や草原側から見た城の景観、中央がレストランのある場所である。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・私共の部屋(ヴァイスリンゲンの部屋は半円形の張り出し窓の間と天蓋付きベッドで古城ホテル好きには楽しい部屋だった)のような出窓はないが、なかなかモダンな素敵な部屋だ。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・私共の部屋(ヴァイスリンゲンの部屋は半円形の張り出し窓の間と天蓋付きベッドで古城ホテル好きには楽しい部屋だった)のような出窓はないが、なかなかモダンな素敵な部屋だ。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・こちらもなかなか素敵な部屋になっている。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・こちらもなかなか素敵な部屋になっている。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・上の部屋よりは少々クラシックな素敵な部屋もある。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・上の部屋よりは少々クラシックな素敵な部屋もある。

  • それから最後は長方形の広い地下蔵に下りた。<br /><br />ここでは結婚式披露宴、騎士の宴も賑やかにできるらしい。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・地下蔵

    それから最後は長方形の広い地下蔵に下りた。

    ここでは結婚式披露宴、騎士の宴も賑やかにできるらしい。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・地下蔵

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・光は暗い地下蔵

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・光は暗い地下蔵

  • 照明を明るくした広い地下蔵は結婚式披露宴、騎士の宴にはうってつけだ。<br />歴史を感じさせる地下蔵は時にはこうした使い方も行われている。<br /><br />秘密のドアの裏側を特別御案内とは、どうもここの場所を指すようだ。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・照明を明るくした広い地下蔵。<br />

    照明を明るくした広い地下蔵は結婚式披露宴、騎士の宴にはうってつけだ。
    歴史を感じさせる地下蔵は時にはこうした使い方も行われている。

    秘密のドアの裏側を特別御案内とは、どうもここの場所を指すようだ。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:特別御案内・照明を明るくした広い地下蔵。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:城内ガイド・人骨か?いや獣の骨だろう。ガイドさんの説明があったか??忘れてしまったが、こんな場所もあった。<br />確かに秘密めいたものだ。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:城内ガイド・人骨か?いや獣の骨だろう。ガイドさんの説明があったか??忘れてしまったが、こんな場所もあった。
    確かに秘密めいたものだ。

  • 1978年12月25日、クリスマスの旅でデュッセルドルフへの帰路に訪れたDie Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城のセピア色した写真が残る。<br />この日はクリスマスでお休みだったと思う。<br /><br />写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城の34年前(1978.12.25.クリスマス)

    1978年12月25日、クリスマスの旅でデュッセルドルフへの帰路に訪れたDie Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城のセピア色した写真が残る。
    この日はクリスマスでお休みだったと思う。

    写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城の34年前(1978.12.25.クリスマス)

  • <JagsthausenヤークストハウゼンとKastell Jagsthausenヤークストハウゼン砦><br />人口1600人の小さな村にはかつてのローマ帝国の砦跡がある。<br />紀元160年、ローマ帝国の軍団は今日のヤークストハウゼンに防衛と監視の砦を築いた。凡そ2.9 ha(長さ185mX幅152m)の広さを持った規模の大きい砦であった。<br />前述したように、これはゲルマン人の攻撃を防ぐもので、ローマ帝国はLimesリーメスと称する防衛柵を、ここではJagstヤークスト川に沿って、シェーンタールからマインハルト間に延々と築いている。1995年、ローマの浴場跡地にローマ野外博物館を開館した。<br />http://www.jagsthausen.de/<br /><br />写真は1980年発行のドイツ郵便切手:ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの生誕500年記念。

    <JagsthausenヤークストハウゼンとKastell Jagsthausenヤークストハウゼン砦>
    人口1600人の小さな村にはかつてのローマ帝国の砦跡がある。
    紀元160年、ローマ帝国の軍団は今日のヤークストハウゼンに防衛と監視の砦を築いた。凡そ2.9 ha(長さ185mX幅152m)の広さを持った規模の大きい砦であった。
    前述したように、これはゲルマン人の攻撃を防ぐもので、ローマ帝国はLimesリーメスと称する防衛柵を、ここではJagstヤークスト川に沿って、シェーンタールからマインハルト間に延々と築いている。1995年、ローマの浴場跡地にローマ野外博物館を開館した。
    http://www.jagsthausen.de/

    写真は1980年発行のドイツ郵便切手:ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの生誕500年記念。

  • 16世紀前半に活躍した中世ドイツの騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの回想録は現在も読めるようだ。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:「鉄腕ゲッツ行状記」・・・ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著の自伝。

    16世紀前半に活躍した中世ドイツの騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの回想録は現在も読めるようだ。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:「鉄腕ゲッツ行状記」・・・ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン著の自伝。

  • *伝説“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男<br />Goetz von Berlichingen 、 der Ritter mit der eisernen Hand<br />“鉄腕の騎士ゲッツ” ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン<br /><br />1480年、ベルリヒンゲン家の三男として、ゲッツェンブルク城に生まれた。<br />16世紀初頭のバイエルンのLandshutランツフートの戦い(1504~05年)に「中世最後の騎士」と呼ばれた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に従軍し、1504年、ランツフートで敵の大砲砲火によって右腕を失った。<br />その後、ニュルンベルクの鍛冶屋に作ってもらった鉄の義手を付け、農民戦争や様々な戦場に赴いたと云われ、民衆の英雄として歴史に名を残した。<br /><br />ゲッツはまさにドイツの田舎騎士で、宗教改革も帝国改革も彼には無縁のものでした。<br />戦争があれば喜んで参戦し、気にくわない奴が誰であろうと決闘を申し込む向う見ずさを発揮している。唯、皇帝には盲目的な忠誠を誓い、化石化した中世の騎士と言えましょう。<br />ゲッツは2度結婚していて、7人の息子、3人の娘に恵まれた。<br /><br />文豪ゲーテがゲッツの回想録を読み、1773年、24歳の時に鉄腕ゲッツの生涯を戯曲にした。ゲーテの処女戯曲として自費出版されたものだが、この事でドイツ国内にゲーテと鉄腕ゲッツの名が広く知られるようになった。<br /><br />ゲーテの作中ではゲッツは英雄的な人物として描かれ、若くして死んでいくが、史実のゲッツは「盗賊騎士」と揶揄された血の気の多い人物で80歳過ぎまで生きながらえている。<br />

    *伝説“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男
    Goetz von Berlichingen 、 der Ritter mit der eisernen Hand
    “鉄腕の騎士ゲッツ” ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン

    1480年、ベルリヒンゲン家の三男として、ゲッツェンブルク城に生まれた。
    16世紀初頭のバイエルンのLandshutランツフートの戦い(1504~05年)に「中世最後の騎士」と呼ばれた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に従軍し、1504年、ランツフートで敵の大砲砲火によって右腕を失った。
    その後、ニュルンベルクの鍛冶屋に作ってもらった鉄の義手を付け、農民戦争や様々な戦場に赴いたと云われ、民衆の英雄として歴史に名を残した。

    ゲッツはまさにドイツの田舎騎士で、宗教改革も帝国改革も彼には無縁のものでした。
    戦争があれば喜んで参戦し、気にくわない奴が誰であろうと決闘を申し込む向う見ずさを発揮している。唯、皇帝には盲目的な忠誠を誓い、化石化した中世の騎士と言えましょう。
    ゲッツは2度結婚していて、7人の息子、3人の娘に恵まれた。

    文豪ゲーテがゲッツの回想録を読み、1773年、24歳の時に鉄腕ゲッツの生涯を戯曲にした。ゲーテの処女戯曲として自費出版されたものだが、この事でドイツ国内にゲーテと鉄腕ゲッツの名が広く知られるようになった。

    ゲーテの作中ではゲッツは英雄的な人物として描かれ、若くして死んでいくが、史実のゲッツは「盗賊騎士」と揶揄された血の気の多い人物で80歳過ぎまで生きながらえている。

  • 古城街道のネッカー沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城で長く捕われの身であった時に、自らの回想録を残した。<br /><br />ホルンベルク城を購入し、城主となり、晩年にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。<br />ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。<br /><br />Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名はその後も息子や孫が受け継いでいる。<br /><br />写真は2012.05.26.に訪ねた、古城街道のネッカー川沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城はGoetz_von_Berlichingen鉄腕騎士ゆかりの城で、遠めにも美しい古城だ。ここも古城ホテルになっている。<br />

    イチオシ

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    古城街道のネッカー沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城で長く捕われの身であった時に、自らの回想録を残した。

    ホルンベルク城を購入し、城主となり、晩年にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。
    ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。

    Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名はその後も息子や孫が受け継いでいる。

    写真は2012.05.26.に訪ねた、古城街道のネッカー川沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城はGoetz_von_Berlichingen鉄腕騎士ゆかりの城で、遠めにも美しい古城だ。ここも古城ホテルになっている。

    ホテル - レストラン ベルク ホルンベルク ホテル

  • ゲッツの家系はHornberg‐Rossachベルリヒンゲン・ロザッハ家が本流であるが、Graf Friedrich Wolfgang von Berlichingen‐Rossach (1826~1887) ベルリヒンゲン・ロザッハ家のフリードリヒ・ヴォルフガング伯は1861年、“鉄腕ゲッツとその家族”という題名の本をライプツィヒにて出版している。<br /><br />尚、古城ホテル ゲッツェンブルク城のあるBerlichingen-Jagsthausenベルリヒンゲン・ヤークストハウゼン家は兄弟のHans von Berlichingenハンスの家系である。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ゲッツの鉄腕(鉄の義手)

    ゲッツの家系はHornberg‐Rossachベルリヒンゲン・ロザッハ家が本流であるが、Graf Friedrich Wolfgang von Berlichingen‐Rossach (1826~1887) ベルリヒンゲン・ロザッハ家のフリードリヒ・ヴォルフガング伯は1861年、“鉄腕ゲッツとその家族”という題名の本をライプツィヒにて出版している。

    尚、古城ホテル ゲッツェンブルク城のあるBerlichingen-Jagsthausenベルリヒンゲン・ヤークストハウゼン家は兄弟のHans von Berlichingenハンスの家系である。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ゲッツの鉄腕(鉄の義手)

  • 鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの博物館に展示されたゲッツの腕(鉄の義手)

    鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの博物館に展示されたゲッツの腕(鉄の義手)

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの博物館に展示されたゲッツの腕(鉄の義手)や甲冑<br />

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:鉄腕ゲッツの博物館に展示されたゲッツの腕(鉄の義手)や甲冑

  • 鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城は、14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。<br /><br />写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:正面

    イチオシ

    鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城は、14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。

    写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:正面

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Burgfestspiele 城祭り=中世祭りJagsthausen Goetz von Berlichingen第63回“鉄腕ゲッツ”の野外劇の立て看板。<br />http://www.jagsthausen.de/burgfestspiele/<br /><br />*Wuerthヴュルト グループがゲッツェンブルク城の野外劇の第一スポンサーである(前章参照)。<br />世界的な部品製作会社ヴュルトの会長Reinhold Wuerthラインホルト・ヴュルトが所有し、居住しているのはSchloss Hermersbergヘルメルスベルク城だという。<br />

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Burgfestspiele 城祭り=中世祭りJagsthausen Goetz von Berlichingen第63回“鉄腕ゲッツ”の野外劇の立て看板。
    http://www.jagsthausen.de/burgfestspiele/

    *Wuerthヴュルト グループがゲッツェンブルク城の野外劇の第一スポンサーである(前章参照)。
    世界的な部品製作会社ヴュルトの会長Reinhold Wuerthラインホルト・ヴュルトが所有し、居住しているのはSchloss Hermersbergヘルメルスベルク城だという。

  • 野外劇の会場・舞台(6月6日~8月19日の長期間にわたる)を見に行ってみると、周囲を網で囲い、敷地いっぱい、階段状に観客席が設けられている。<br /><br />写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:中庭にBurgfestspiel城祭り=中世祭り、野外劇の舞台になる会場が出来上がっている。<br /><br /><br /><br />

    イチオシ

    野外劇の会場・舞台(6月6日~8月19日の長期間にわたる)を見に行ってみると、周囲を網で囲い、敷地いっぱい、階段状に観客席が設けられている。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:中庭にBurgfestspiel城祭り=中世祭り、野外劇の舞台になる会場が出来上がっている。



  • 写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の野外劇・俯瞰・・・こんな感じに観客が一杯になる。<br /><br />*Alexandra Freifrau von Berlichingen アレクサンドラ・ベルリヒンゲン男爵夫人<br />アレクサンドラ夫人(von Vultejusヴルテウス家の出・ヘッセンの貴族)は1941年生れ、父はドイツ軍の騎兵連隊に所属。大戦後ハンブルクで育ち、ロンドン、メキシコに学ぶ。<br />ハンブルクのコロンビア総領事館で英語と、スペイン語の通訳として2年ほど働き、その間にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵と知り合い、1964年、23歳で男爵と結婚し、長女Dianaダイアナ(1965年生れ)と長男ゲッツ(1967年生れ)をもうけた。<br />男爵はドイツ連邦軍の軍人であったので、コブレンツ、ヴェスターブルグ、ミュンヘン、ハイデルベルク、アンスバッハの各勤務地で過ごした。<br /><br /> “鉄腕ゲッツ”の野外劇は1949年にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵によって初めて開催され、今年で63回目を迎えるが、1994年に男爵が死去した為、アレクサンドラ夫人が、“鉄腕ゲッツ”の野外劇運営委員会の会長を引き受け、毎年その務めを果たしてきたと云う。<br /><br />2001年、アレクサンドラ夫人はRoman Herzogローマン・ヘルツォーク第7代連邦大統領と再婚している。 現在71歳である。<br /><br />

    写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の野外劇・俯瞰・・・こんな感じに観客が一杯になる。

    *Alexandra Freifrau von Berlichingen アレクサンドラ・ベルリヒンゲン男爵夫人
    アレクサンドラ夫人(von Vultejusヴルテウス家の出・ヘッセンの貴族)は1941年生れ、父はドイツ軍の騎兵連隊に所属。大戦後ハンブルクで育ち、ロンドン、メキシコに学ぶ。
    ハンブルクのコロンビア総領事館で英語と、スペイン語の通訳として2年ほど働き、その間にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵と知り合い、1964年、23歳で男爵と結婚し、長女Dianaダイアナ(1965年生れ)と長男ゲッツ(1967年生れ)をもうけた。
    男爵はドイツ連邦軍の軍人であったので、コブレンツ、ヴェスターブルグ、ミュンヘン、ハイデルベルク、アンスバッハの各勤務地で過ごした。

    “鉄腕ゲッツ”の野外劇は1949年にゲッツ・ベルリヒンゲン男爵によって初めて開催され、今年で63回目を迎えるが、1994年に男爵が死去した為、アレクサンドラ夫人が、“鉄腕ゲッツ”の野外劇運営委員会の会長を引き受け、毎年その務めを果たしてきたと云う。

    2001年、アレクサンドラ夫人はRoman Herzogローマン・ヘルツォーク第7代連邦大統領と再婚している。 現在71歳である。

  • *Roman Herzogローマン・ヘルツォーク<br />ドイツの法学者、政治家である。ドイツ連邦憲法裁判所長官(1987~94年)、第7代連邦大統領(1994~1999年)を歴任した。所属政党はドイツキリスト教民主同盟。現在78歳。2000年に42年間連れ添ったクリスティナ夫人が死去。<br /><br />2001年、ベルリヒンゲン男爵家の未亡人アレクサンドラ夫人(上記)と再婚した。<br /><br />写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の野外劇の会場の中央にドイツ第7代連邦大統領(*ローマン・ヘルツォーク及びベルリヒンゲン男爵家の未亡人*アレクサンドラ夫人)夫妻や*弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵などの一族が並ぶ。

    *Roman Herzogローマン・ヘルツォーク
    ドイツの法学者、政治家である。ドイツ連邦憲法裁判所長官(1987~94年)、第7代連邦大統領(1994~1999年)を歴任した。所属政党はドイツキリスト教民主同盟。現在78歳。2000年に42年間連れ添ったクリスティナ夫人が死去。

    2001年、ベルリヒンゲン男爵家の未亡人アレクサンドラ夫人(上記)と再婚した。

    写真は2012.05.24.Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の野外劇の会場の中央にドイツ第7代連邦大統領(*ローマン・ヘルツォーク及びベルリヒンゲン男爵家の未亡人*アレクサンドラ夫人)夫妻や*弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵などの一族が並ぶ。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち。

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち。

  • 写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち・バンベルク大司教<br /><br />・・・・・

    写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: 63回目の“鉄腕ゲッツ”の野外劇・ゲッツ役の役者たち・バンベルク大司教

    ・・・・・

  • ヤークストハウゼンには3つの城がある。<br />ゲッツェンブルク城、赤い城、そして白の城である。<br />また、弁護士ゲッツ・ベルリヒンゲン男爵の居城であるロザッハ城はヤークストハウゼンから北7kmにある。<br /><br />*Das Rote Schlossローテ・シュロス(赤い城)<br />D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 17 <br /><br />ゲッツェンブルク城を出て直ぐの右手にある。この日は改装工事中だった。<br />1572年にHans Reinhard von Berlichingenハンス・ラインハルト・ベルリヒンゲンにより建設されたローテ・シュロス(赤い城)は18世紀にファサードとマンサード屋根が増築され、現在の外観となった。<br /><br />現在はFreiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵Gottfriedゴットフリード とFreifrau von Berlichingen ベルリヒンゲン男爵夫人Dr. Juliaジュリア博士が住む。<br />http://www.rotesschloss.de/<br /><br />写真はゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵の一族の城:赤の城

    ヤークストハウゼンには3つの城がある。
    ゲッツェンブルク城、赤い城、そして白の城である。
    また、弁護士ゲッツ・ベルリヒンゲン男爵の居城であるロザッハ城はヤークストハウゼンから北7kmにある。

    *Das Rote Schlossローテ・シュロス(赤い城)
    D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 17

    ゲッツェンブルク城を出て直ぐの右手にある。この日は改装工事中だった。
    1572年にHans Reinhard von Berlichingenハンス・ラインハルト・ベルリヒンゲンにより建設されたローテ・シュロス(赤い城)は18世紀にファサードとマンサード屋根が増築され、現在の外観となった。

    現在はFreiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵Gottfriedゴットフリード とFreifrau von Berlichingen ベルリヒンゲン男爵夫人Dr. Juliaジュリア博士が住む。
    http://www.rotesschloss.de/

    写真はゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵の一族の城:赤の城

  • *Das  Weisse Schlossヴァイセ・シュロス(白い城)<br />D-74249 Jagsthausen 、Sennenfelder Strasse<br /><br />ヴァイセ・シュロス(白い城)はJoseph von Berlichingenヨセフ・ベルリヒンゲンにより、1792年にネオバロック様式のベルリヒンゲン家の領主館として建設され、広い庭園が付属している。<br /><br />ヤークストハウゼンの3つ城の中で一番新しいのでNeues Schloss新しい城とも呼ばれる。<br /><br />写真はゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵の一族の城:白の城

    *Das Weisse Schlossヴァイセ・シュロス(白い城)
    D-74249 Jagsthausen 、Sennenfelder Strasse

    ヴァイセ・シュロス(白い城)はJoseph von Berlichingenヨセフ・ベルリヒンゲンにより、1792年にネオバロック様式のベルリヒンゲン家の領主館として建設され、広い庭園が付属している。

    ヤークストハウゼンの3つ城の中で一番新しいのでNeues Schloss新しい城とも呼ばれる。

    写真はゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵の一族の城:白の城

  • *Schloss Rossachロザッハ城<br />D-74214 Schoental-Oberkessbach<br /><br />ロザッハ城はベルリヒンゲン・ロザッハ家、今もゲッツ・ベルリヒンゲン男爵の居城である。<br />古城ホテル ゲッツェンブルク城からも北に7kmほどの場所にある。<br />現在も弁護士であるGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・ベルリヒンゲン男爵(1967年生れ)が家族(妻と3人の娘たち)と住んでいる。<br /><br />写真は弁護士Goetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵:ゲッツェンブルク城前で

    *Schloss Rossachロザッハ城
    D-74214 Schoental-Oberkessbach

    ロザッハ城はベルリヒンゲン・ロザッハ家、今もゲッツ・ベルリヒンゲン男爵の居城である。
    古城ホテル ゲッツェンブルク城からも北に7kmほどの場所にある。
    現在も弁護士であるGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・ベルリヒンゲン男爵(1967年生れ)が家族(妻と3人の娘たち)と住んでいる。

    写真は弁護士Goetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵:ゲッツェンブルク城前で

  • この城は1540年にGottfriedゴットフリード(ゲッツ・ベルリヒンゲン)が自身で築城した。以後、ロザッハ城とゲッツェンブルク城はベルリヒンゲン一族がずっと居城とした。<br />30年戦争では一部が戦禍を受けたが、主要城郭部分の北側と城壁、城門などは現在も残っている。<br /><br />男爵の私有地の為、外観のみ見学は可能。<br /><br />写真は弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵が住んでいるロザッハ城

    この城は1540年にGottfriedゴットフリード(ゲッツ・ベルリヒンゲン)が自身で築城した。以後、ロザッハ城とゲッツェンブルク城はベルリヒンゲン一族がずっと居城とした。
    30年戦争では一部が戦禍を受けたが、主要城郭部分の北側と城壁、城門などは現在も残っている。

    男爵の私有地の為、外観のみ見学は可能。

    写真は弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵が住んでいるロザッハ城

  • 写真は弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵が住んでいるロザッハ城<br /><br />・・・・・・・<br /><br />5月26日(土)はやはり鉄腕ゲッツの謂れのある城 Moeckmuehlメックミュール城を見学して、 Die Burgenstrasse古城街道の城巡りが続く。

    写真は弁護士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン男爵が住んでいるロザッハ城

    ・・・・・・・

    5月26日(土)はやはり鉄腕ゲッツの謂れのある城 Moeckmuehlメックミュール城を見学して、 Die Burgenstrasse古城街道の城巡りが続く。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • M-koku1さん 2021/09/14 06:02:33
    素晴らしい地下蔵
    jijidarumaさん

    少し暑さが和らぎ 秋が近づいてきましたね。昨夜の鶴瓶の家族に乾杯は奥多摩でした。もしかしたらjijidarumaさんが懐かしくご覧になっているかも なんて思いながら見てました。
    暑さが和らいだら行きたい奥多摩です。

    さて秘密の扉の向こう側 要するにホテルツアーだったようにお見受けしました。地下蔵はただのゲストでは入れないんでしょうね。ツアーにして案内してくれるのは 気が利いていると思いました。それにしても素敵な部屋!
    うっとりします。

    USJの旅行記を4トラが勝手に削除しました。すっかりやる気がなくなりました。ネットの場合相手が見えないから 余計に嫌な感じがします。
    かつてフォトスクールを開いてくれたりして、4トラのスタッフの顔が見えていた頃が懐かしいです。昭和生まれの私は けっきょくアナログ人間のようです。

    ではまた
    Mより

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2021/09/14 17:40:26
    Re: 素晴らしい地下蔵
    M-koku1さん 、
    今日は。いつもありがとうございます。

    我が家の庭にある金木犀が一昨日から、あの独特な香りを放出させて、
    いよいよ秋の訪れを伝えてくれています。
    今年は赤のサルスベリがちょっと咲いただけで、期待外れに終わり
    ガッカリでした。花々は時機をわきまえて咲いてこそと思います。

    さて、奥多摩ですか!TVは奥多摩移住、青梅移住などと、「東京の
    西の果て」を取りあげていますが、コロナのご時世故、人口過多に
    陥った首都も何処か悲鳴を上げ出したと云う事なのでしょう。
    ドイツのような各地が独立したような地方制度を見習うと良いのにと
    おもいます。
    懐かしい故郷も遠く、時々同級生に私の駄文と共にご機嫌伺いを
    するだけで、車を走らせることも無くなりました。残念なことです。
    その分千葉県内の道の駅巡りをして、地元の銘菓を楽しんでいます。

    古城ホテル!良い響きで、80歳までに何とか行きたいドイツです。

    4Traが勝手に旅行記の削除したとはいただけませんね?!
    いいね!やコメントも自動的に削除されてしまうのも、残念なことです。
    (私は投稿後、直ぐに自分のPCに保存してしまいます)
    何が原因だったのでしょうか?以前、私の場合は写真(HP等から借用)
    が問題となり、変更を求められましたが、今は全くそうしたケースは
    ありません。当方はドイツ観光のご紹介をしている気持ちなのですが。
    多分、チェック担当者が変わったのでしょう。
    ともあれ、M-koku1さん らしく、前向きにいきましょうよ。

    今日は警察に免許証更新手続きに行きました。(1年で2000km程度しか
    走らないのに、免許返上となればやはり不便でしょう)
    78歳の後期高齢者の更新は2度目、認知機能は第1回の時より2点減少でしたが、
    クリヤーし、今日は視力検査でした。自動車講習所で行った視力検査では
    眼鏡付き両目で0.8だったので、大丈夫と思っていたのですけど。
    警察の係員に「ここは見えないと駄目ですよ」と言われ、焦りました。
    最後はヤマカンで当ててOKでした(苦笑)。
    視力は弱ったかと思っていたので、メガネの度を変えた方が良さそうです。
    これで2ヶ月後に、新しいゴールド免許証を待つばかりです。

    以上当方の近況も兼ねて。
    それではまた。
    jijidaruma

    M-koku1

    M-koku1さん からの返信 2021/09/14 18:35:04
    RE: Re: 素晴らしい地下蔵
    jijidarumaさん


    > いいね!やコメントも自動的に削除されてしまうのも、残念なことです。
    > (私は投稿後、直ぐに自分のPCに保存してしまいます)
    > 何が原因だったのでしょうか?

    どうやってPC保存するのですか? 
    スクリーンショットで一枚づつとか? 
    是非やり方をご教授ください。
    よろしくお願いいたします。

    弟曰く USJの持つキャラクターの肖像権じゃないかと。
    理由を言ってもらわないと こちらはど素人ですから わからないですよね。

    腐りっぱなしです。
    元気が出ません。

    Mより

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2021/09/14 20:28:43
    RE: RE: Re: 素晴らしい地下蔵=>PCに保存
    M-koku1さん 、
    今晩は。再度のコメント恐縮です。

    <USJの持つキャラクターの肖像権じゃないかと>・・・なるほど、
    ありうる話でしょうが、多くの人がたくさん写真を撮っていろんな場所に
    投稿されていると思われ、どうでしょう。
    理由は明示してもらわないと、すっきりしないですね。
    事務局に問いあわせるのも一案ですが・・・。
    事を構える感じが嫌ならば、忘れる事ですが。

    PCですが、デスクトップのワードを開いて、そこにマウスを利用してコピーするのです。
    自分の投稿分を開いて、<上から下まで画面をマウスの左クリックを固定して、抑えながら
    希望の場所まで押して、>それをマウスの右クリックして「コピーを押し」、開いていたワード面に「貼り付けする」と、コピー(保存)は完了です。
    こんな説明で分かりますか?

    短い文章をコピーする際も同じことをして、写しますが、
    それに画面がたくさんくっついてあるだけのことです。
    例えば、友人に手紙やメールを同時に送る際、最初の時候の挨拶は同じでしょうから、
    その文章を固定して、他の人にも利用すれば、一度作った文章で多くの友人に時候の挨拶
    を書けるわけです。
    試しに・・・短い文章を写すことをやってみたら如何でしょうか?

    短い文章を写すことをやってみたら如何でしょうか?(この行はこの方法で同じ文章を貼り付けたものです。

    トライしてみてください。(弟さんが詳しいかな)
    それではまた。
    jijidaruma

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