2012/05/15 - 2012/05/29
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《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月21日(月); 曇りのち晴、26℃、215km (ここまで850km;計画では824km)
6時起床。8時~8時30分朝食。ハールブルク城を8時45分に出発。->L? 17km Wemding -Amerbachヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会に到着・見学 9:25~9:45 ->L?・B25 28km Donauwoerthドナウヴェルトに到着・見学10:20~12:10->B2・16 33km Dillingenディリンゲン城に到着・見学 13:00~13:50->L?(Wertingenベルティンゲン)・L?(Langweidランクバイト)・B2 54km Augsburgアウクスブルクに到着・見学 15:20~17:40->B2・25(Donauwoerth) 80km Harburgには19:20着。->L? 3km 古城ホテル ハールブルク城に20:45に帰る。
(⑦Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg)
写真はヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会:聖母子像
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昨夜は寝たのが午前1時半、だがこの日は6時に目が覚めた。
昨日はディンケルスビュールを発ち=>ヴァラーシュタイン城=>ボップフィンゲン・バルデルン城=>ネルトリンゲン=>エッティンゲン・中世祭りを見て回ったから、さすがに疲れたのだろう。
よく熟睡したから朝も早い目覚めになったようだ。
写真はハールブルク城:階段を下りて、朝食に向かいます。ハールブルク城 城・宮殿
-
昨夜のBurgschenkeブルクシェンケ(酒場)で8時~8時30分に朝食をとった。
お客は私共だけらしい。
写真はハールブルク城:朝食のレストラン Burgschenkeブルクシェンケ -
レセプションとレストランを担当していた小母さんが、日本人とみて親し気に話しかけてくれた。今日は何処に行くのかと聞かれ、ざっと行程を説明すると、小母さんは“聖母マリア様の教会”がこの辺りではたいへん有名だからと薦めてくれた。
写真はハールブルク城:いつものパターンで朝食 -
改めて、周辺を見て回ってから出発。
*ハールブルク城を8時45分に出発。
今日は予定を一部変更して、最初に北東に走り、ホテルの親切な小母さんが薦めてくれた“聖母マリア様の教会”を訪ねる事にした。
写真はハールブルク城の高々とした強固な城壁 -
ホテルの小母さんは“聖母マリア様が涙を流したという教会”が農村地帯にあり、Wemdingヴェムディングと言う人口5700人の小さな町の近郊にあるから、訪れたら良いと薦めてくれた。城塞とはまた違った景観も良しと、向かったのだ。
写真は村中から見上げたハールブルク城の雄姿 -
9時にヴェムディング市内のNormaノルマというスーパーに着く、水が無くなりつつあったので、水6本(Euro2.64)をとりあえず購入した。
尚、ヴェムディングは隕石の衝突により形成されたリース・クレーターの周縁部に位置している町(人口6千人)で、ローマ街道や塩街道沿いにあたり、交易路やその他の交通路が町を通っていたことが解っている。
16世紀の医師・植物学者Leonhart Fuchs レオンハルト・フックスは、「ドイツ植物学の父」の1人とされるが、この町に生まれた。13年間チュービンゲン大学の教授をつとめ、7度学長を務めた。
Fuchsiaフクシア の花は彼の名から付けられた。
写真はハールブルク城=>ヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会の周辺地図 -
行けば分かるだろうと、教会の住所も、正確な教会の名前も分からぬままにこの町に来たので、これから先はNAVIも使えずに困った。
ちょうどスーパーに買物に来ていた老夫婦に“聖母マリア様が涙を流したという教会”の場所を聞いてみた。
“涙を流した”と云うのは私の拡大解釈であったようで、老夫婦とはお互いに要領を得ない会話になった。
これはWieskircheヴィースの巡礼教会(後述)の話が頭にあったからだろう。
写真はWappen_Wemdingヴェムディングの紋章:赤い垂木が銀の楯の左から右に突き出て、右側にセント・アンドリュー・クロス十字架が上から2:1:2と、5つの赤いユリの姿でえがかれている。左下に赤い三日月が配置されている。 -
何やら説明をしてくれたが、その内、“私共もそっちの方に帰るから、車の後ろについてきたら良い。”と言ってくれた。
ありがたい申し出で、2kmほどついて行くと、窓から奥さんが右手を出して、あそこあそこと、場所を示す。その手の先に教会が見えた。
お礼の警笛を鳴らして、教会の立つ高台に向かった。
この教会がホテルの小母さんが勧めてくれた教会だった。
《Die Wallfahrtskirche Maria Bruennleinマリアの泉巡礼教会見学》
D-86650 Wemding -Amerbach、Oettinger Strasse 103
9:25~9:45
ヴェムディングの町の北部地区Amerbachアメルバッハの高台にあるのは立派なWallfahrtskirche巡礼教会だった。
写真はヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会・・・周辺一帯は写真の通り、起伏のない平原が続く農村地帯である。 -
「聖母マリア様が涙を流した」という謂れは無かったが、美しい教会である。
ここでは【マリアの泉巡礼教会の信仰】の謂れを知ることとなった。
聖母マリア像が動いた!と、少女マリアは驚き知らせたというのだ。
写真はマリアの泉巡礼教会:春 -
草原と森に囲まれたマリアの泉巡礼教会に入ると、中はミサの最中でした。
終わるまで、端の席に座って待っていました。
司祭の挨拶が終わると20名ほどの参加者は三々五々に帰っていきます。
写真はヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会:美しい教会天井と聖壇 -
イチオシ
内陣には大きな聖壇が重々しくあり、そこには聖母マリアの昇天図が描かれているように見えます。
手前中央に美しい聖母像のロココ様式の聖壇が見られ、それはまた、“泉の聖壇”とも呼ばれている。
写真はヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会:本聖壇と、“泉の聖壇”の聖母子像 -
写真はマリアの泉巡礼教会:内陣にある本聖壇
-
写真はマリアの泉巡礼教会:“泉の聖壇”
-
【伝説・聖母マリアのGnadenbild聖母子像(肖像画)が動いた】
(Die Wallfahrtskirche Maria Bruennleinマリアの泉巡礼教会設立の謂れ)
マリアの泉巡礼教会の謂れは1680年に遡る。
Wemdingヴェムディングの靴屋の若者Franz Forell フランツ・フォレルが、聖壇(ローマの何処の教会のものか不明だが)の上にあったGnadenbild聖母子像(肖像画)をローマからヴェムディングに持ち帰った事に始まる。
ヴェムディングの町は当時、シュヴァーベンとフランケンの国境地帯のプロテスタントが支配する一帯の中で、カトリックの小さな飛び地であったと云う。
そうした宗教環境下でフォレルは持ち帰った、左手に高くイエスを抱える聖母像を大事にしていた。
或る時、フォレルは重度の頭痛に苦しんでいたプロテスタントの騎士を、その頭上に聖母子像をかざす事で助けた事がある。
この事で聖母子像への地域の人々の信頼は増した。
1692年の或る晩、フォレルの義兄弟で、司祭であったReinhard Koehlerラインハルト・ケーラーが村人の臨終の席からの帰途、泉の傍を通りかかると、突然目の前に目に見えぬ壁が立ちはだかった。
怖れ慄いた司祭は忘れていて、ほったらかしにしていた聖母子像の為に礼拝堂を建てると誓った。そうすると不思議な事に壁は消え、道は元に戻ったと云う。
そして、誓い通りに、聖母子像の為にごく少数の人が入れる礼拝堂が建てられた。
写真はマリアの泉巡礼教会:“泉の聖壇”の聖母子像(拡大)・・・左手に高くイエスを抱える聖母像 -
1735年6月25日、フォレルの孫娘・15歳のMaria Regina Forellマリア・レジーナ・フォレルは聖母子像を花で飾っていた。すると聖母子像が動いた。
マリアはこれに気付いて、その事をヴェムディングの町に知らせた。
町の教会の指導者たちはこの事に懐疑的であったが、これを伝え聞いた多くの人々はこれを信じた。そこで直ちに新しい教会建設が望まれた。
そして、その噂を聞いた信仰深い人たちは巡礼者となって、各地から大きな波のようになって押し寄せたと云う。
この後、現在に見るロココ様式の立派なマリアの泉巡礼教会が完成する。
(普通ではありえないことが生じた・・・これを信じる・・・信仰する人々の熱意・・・巡礼者の波・・・教会の設立。ヴィースの巡礼教会やMarburgマールブルクElisabethkirche聖エリザベート教会の設立の謂れはよく似ている)
マリアの泉巡礼教会は画家のJohann Baptist Zimmermannヨハン・バプチスト・ツィンマーマンと建築家Dominikus Zimmermannドミニクス・ツィンマーマン兄弟によって、1748年から1752年に設計・建造され、1781年に献堂された。
この事はマリアの泉巡礼教会の歴史的、文化的な価値も高めている。
それは世に知られたツィンマーマン兄弟が完成した有名なWieskircheヴィースの巡礼教会と同時期の頃でした。
巡礼教会は1999~2003年にかけて改装されて、今も美しい景観を保っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はマリアの泉巡礼教会:Gnadenbild聖母子像(肖像画) -
*参考に;
①因みに世に知られた南ドイツのWieskircheヴィースの巡礼教会も同時期の1745年から1754年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマン兄弟によって建てられ、堂内の天井画、装飾はバイエルン・ロココの最高傑作と謳われている。
ここでは農婦が“鞭打たれたキリスト像が涙を流した!”という奇蹟を目撃した事から始まった。
https://4travel.jp/travelogue/10938379
この地の巡礼は毎年200,000人も訪れると云う。
②聖なる泉と言えば、「ルルドの泉」がある。
Lourdesルルドはフランスとスペインの国境になっているピレネー山脈の麓の人口15000人ほどの小さな町ですが、1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが郊外のマッサビエルの洞窟の傍で薪拾いをしている時、“聖母マリアが出現した”のを見たと云われている。
“ルルドの泉”もマッサビエルの洞窟から聖母マリアの言葉通りに湧き出したといわれ、泉には治癒効果があると信じられている。今は聖母の出現した場所にルルド大聖堂が立ち、カトリック教徒の巡礼地ともなっている。
XXX
写真はマリアの泉巡礼教会:“泉の聖壇” -
祭壇の背面下にある黄金色した貝から、聖水が流れ落ちて、参会者もその聖水を口に含んでいた。
信者たちは洗礼の際に、あるいは眼病を直す為に聖水で目に濡らすと云います。?一滴でも十分、最大の奇蹟は信仰になる。“・・と。
写真はマリアの泉巡礼教会:“泉の聖壇”の光背後ろにあるマリアの泉から出る聖水 -
天井のフラスコ画も素晴しいもので、幾つかのテーマに書かれたもので、“聖母マリアの泉”、“聖母マリア像“、”太陽をまとった女性“、“神秘的なローズ”、“主の箱舟”、“聖母マリアの戴冠”など、高い天井を美しく飾っていた。
写真はマリアの泉巡礼教会:天井のフレスコ画は“聖母マリアの泉”、“聖母マリア像“。 -
写真はマリアの泉巡礼教会:天井画1は”太陽をまとった女性“。
-
写真はマリアの泉巡礼教会:天井画2は“主の箱舟”。
-
写真はマリアの泉巡礼教会:天井画3は“聖母マリアの戴冠”。
-
ホテルの小母さんの話に偶々、耳を傾けて、この機会を得た。
人の話はよく聞くものだ。
http://www.maria-bruennlein.de/index.php
写真はマリアの泉巡礼教会:天井画4は“神秘的なローズ”という。 -
ヴェムディング・アメルバッハから、本来の予定地に向かう。
L?・B25を走り、28kmでDonauwoerthドナウヴェルト(人口19千人)に30分ほどで到着した。
ロマンチック街道の半分を走ったことになる。
写真はDonauwoerthドナウヴェルト:Woernitzヴェルニッツ川(中央)がドナウ川(左)に合流するドナウヴェルトの俯瞰 -
【Donauwoerthドナウヴェルト観光】
10:20~12:10
ドナウヴェルトはネルトリンゲンからB25で南下すると27km(ハールブルクから15km)の距離になる。文字通り、Donauドナウ川と共にある町である。
Woernitzヴェルニッツ川が大きく蛇行しながら、ドナウ川に合流する地点(ここにJunge Donauドナウの女神像がある)の漁村から発展し、後に帝国自由都市となった町だ。
同時にリヒテンシュタイン公国のリヒテンシュタイン家の発祥の地でもある。
写真は右下にWappen_Donauwoerthドナウヴェルトの紋章:
「金色の地をした楯の中央に Doppeladlerダブルの鷲が描かれ、その頭上に帝国都市の証しである王冠を被っている。鷲の青い胸当てに金の大文字の文字W(Woerthを表す)がある。 -
旧市街のDie Reichsstrasse帝国通り:
北から町に入ると、もうそこはフッガーハウスや商店街が並ぶ帝国通りになる。
その名は帝国自由都市のニュルンベルクとアウクスブルクとを結ぶ神聖ローマ帝国の街道の一部であったことに由来する。
通りの両側には切妻の木組みの家並み続き、市庁舎に向かって緩やかな坂道になっている。車で走ってしまったら、あっという間に町を出てしまう。
町の観光は坂の下にあるクリーム色の市庁舎(Glockenspiel仕掛け時計)から始めた。
順次、Deutschordenshausドイツ騎士団の館(1197年に設立。現在は市立絵画ギャラリーやドナウヴェルト警察)、Tanzhausタンツハウス舞踊の館(1400年、現在はカフェ・レストラン)、Liebfrauenmuenster聖母教会(15世紀、3つの翼廊からなるゴシック様式の建物は改装中だった)、Fuggerhaus フッガーハウス(16世紀のルネサンス風建築。独特のファザードが目立つ。スウェーデン王グスタフ2世アドルフが住んだことがある)などを外観のみだが見て回った。
フッガーハウスの先に立派なKlosteranlage Heilig Kreuz聖十字教会( 1049年に教皇レオ9世によって建てられたベネディクト派僧院)を写真におさめた。
気分としては朝のマリアの泉巡礼教会を見た事で十分になっていた。道を戻って、聖母教会の反対側にあるReichsstadtbrunnen帝国都市の泉(12世紀)を見た。
帝国通りは南ドイツで最も美しいと云われているそうだが、さて!どうだろうか。
写真は ドナウヴェルト:旧市街のDie Reichsstrasse帝国通り=ライヒス通りと中央に帝国都市の泉が見える。 -
イチオシ
町の歴史:
ドナウヴェルトは神聖ローマ帝国の王朝ホーエンシュタウフェン家が直接統治していたが、ローマ教皇との争いなどで衰退し、1266年にバイエルン公家のヴィッテルスバッハ家の所有にもなっている。
1632年、三十年戦争ではスウェーデン王グスタフ2世アドルフに町を占領された。スペイン継承戦争(スペイン王位の継承者を巡ってヨーロッパ諸国間で行われた戦争;1701~ 1714年)ではフランス側に属したバイエルン公国は英、墺、ドイツ諸侯の同盟軍に度々敗退し、この事から、ドナウヴェルトは歴史の波間に消えてしまった。
第二次大戦で、この町はヴュルツブルクに次いでバイエルン州で2番目に大きな戦禍を受けた。戦後間もない1946年に帝国通りの再建が始まった。
写真は ドナウヴェルト:坂の下にあるクリーム色の市庁舎(Glockenspiel仕掛け時計:1986年、ドナウヴェルト市庁舎建立750年を機会に、市庁舎の西の破風にからくり時計が取り付けられ、毎日よく知られた民謡の旋律を奏でる) -
写真は ドナウヴェルト:Tanzhausタンツハウス 舞踏館(1400年頃に建設された。初めは市立の商店兼舞踏館として利用された。市参事会はここで日曜日に市民舞踏会を開催していた。現在は客席600席の劇場ホールやレストランなどが入居している。3階は考古学博物館)
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町を散策しながら、いろいろ目に入った店や、そこの店員さんに聞いて、買う事が出来た。
・孫娘の衣服セット3人分を購入した。:Eur55
・2013年カレンダー;アルプスの景色とドイツ景色の2部を本屋で購入した。まだ時期が早いのか、幾つかの他の店では見かけなかった。:Euro9.98
・モンブランのボールペンのインク芯3本。:Euro28.2
長い間、使用しているモンブランのボールペン用の芯がそろそろ無くなる。予備にということで3本買ったが、また何十年も使えるのか!
写真は ドナウヴェルト:ミュンスター広場・・・広場に立つ我らが聖母教会(ミュンスター)はライヒス通りの最も高い場所に建つ、3つの翼廊からなるゴシック様式レンガ造りのホール式教会である。建設は1444年に開始され、23年後の1467年に完成した。 -
写真は ドナウヴェルト:中央にFuggerhaus フッガーハウス (16世紀のルネサンス風建築)が立ち、独特のファザードが目立つ。
30年戦争時、スウェーデン王グスタフ2世アドルフは1632年、ドナウヴェルトを攻めて占領した。そして一時フッガーハウスに住んだことがある。 -
写真はドナウヴェルト:30年戦争時、1632年スウェーデン軍(中央下)がドナウヴェルトの町を攻めている絵。この絵を見ると、要塞都市の形状も分かる。
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写真は ドナウヴェルト:Klosteranlage Heilig Kreuz聖十字架教会・・・フッガーハウスの先に立派な聖十字教会(ドナウヴェルトの草創期、 1049年に教皇レオ9世によって建てられたベネディクト派僧院である。ここにはキリストの十字架の破片を収めた聖体顕示台が保管されている)を写真におさめた。
気分としては朝のマリアの泉巡礼教会を見た事で十分になっていた。 -
ヴェルニッツ川が作った中之島に行ってみた。要塞都市を囲む市城壁には4つの市城門があり、最後まで遺ったのはRieder Torリーダー門である。この門から、町の発祥の地であった中之島の地域はRiedリートと呼ばれている。
写真は ドナウヴェルト:Riedertorリーダー門(現在、「郷土史の家」になっている) -
水辺に立つ5月柱や周囲のカフェ・レストランもあって、お昼をしたくなった。元に戻って門を振り返ると、門の上には帝国自由都市を象徴する双頭の鷲の紋章が掲げられていた。
写真は ドナウヴェルト:リーダー門と5月柱 -
イチオシ
最後にJunge Donauドナウの女神像を二つの川の合流点に見に行った。この一帯にはかつて漁村があり、漁師の家並みがあったという。
以前は無かった女神は新しく、人魚姫のように見えたが・・・。
第二次大戦でドナウヴェルトはヴュルツブルクに次いでバイエルン州で2番目に大きな破壊を受けた。1946年に中心街のライヒス通りの再建が始まり、見事によみがえった。
印象をいえば、全体にこの町は建物も道路も、きれいに整備、改装された様子で、中世の町並みとは言いにくく、今まで訪れた町の中ではその事が際立っていたように思えた。
http://www.donauwoerth.de/
写真は ドナウヴェルト・Junge Donauドナウの女神像:Woernitzヴェルニッツ川が大きく蛇行しながら、ドナウ川に合流する地点、ここにJunge Donauドナウの女神像がある。
参考;Kaethe-Kruse-Museumケテ・クルーゼ博物館:
ケテ・クルーゼ(1883年 - 1968年)人形作家の博物館。ケテ・クルーゼ社は創業125年の最も古いドイツの人形製作所。時間が無くて、訪問していない。 -
<Woernitzヴェルニッツ川>
ヴェルニッツ川は全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流で、ドナウ川の左岸に合流する。
ローテンブルクに近いSchillingsfuerstシリングスフュルストに属するフランケン地方の高原から湧出する。この後、ヴェルニッツの町を抜け、、ディンケルスビュールを経由し、アウハウゼン付近でネルトリンゲンのリース盆地に入り、シュヴァーベンとフランケンのユラ山地の間を南に向かって流れる。
Harburg ハールブルクを経由し、Donauwoerthドナウヴェルトの旧市街の南東端のすぐ南側でドナウ川に合流する。
写真は ドナウヴェルト:手前の川は町の近郊を流れるWoernitzヴェルニッツ川。聖十字架教会遠望し、左手のレンガ色の塔は聖母教会の塔である。
XXX
次の町はロマンチック街道を外れて、B2・16を西に33km走ったDillingenディリンゲンである。
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