2012/05/15 - 2012/05/29
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《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月26日(土);快晴で気持ち良い一日、26℃、140km
6時半起床。8:30~9:15朝食。ゲッツェンブルク城を9:40に出発。
->L? 17km Moeckmuehlメックミュール城到着・見学10:10~10:40 ->
Die Burgenstrasse古城街道巡り->L?・A81 33km Weinsbergヴァインスベルク城到着・見学11:20~12:15->(Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)->A81・A6・B27 14km Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン遠望13:00 ->L? 12km Heinsheim bei Bad Rappenauハインスハイム城到着・見学13:25~13:40 ->(Hassmersheim-Neckarmuehlbachハスメルスハイム・ネッカーミュールバッハ・L? ・B27 4km Burg Guttenbergグッテンべルク城遠望)Gundelsheimグンデルスハイム・Schloss Horneckホーネック城遠望13:45 ->B27 7km Neckarzimmernネッカーツィメルン・Burg Hornbergホルンベルグ城到着・昼食14:05~15:10 ->B292 8km Mosbachモースバッハ到着・見学15:25~16:00 ->B27・292 8km Obrigheimオープリヒハイム・Schloss Neuburgノイブルク城到着・お茶16:15~16:45 ->B37 18km Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城遠望17:00 ->(Eberbachエーベルバッハ)->B37 19km Hirschhorn am Neckarヒルシュホルン・アム・ネッカー・Schloss Hirschhornヒルシュホルン城に17:25到着。 (⑫Schloss Hirschhorn)
写真は2001.05.11.ドイツ古城街道:バート・ヴィンプフェン 写真集
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
*6時半起床。8:30~9:15朝食。
2回の夕食時に隣のテーブルで食事をしていた2組のドイツ人夫妻とは、昨日の城内見学でも一緒だった。
今朝の朝食の際に、一人の夫人から話かけられた。何でも、息子さんが日本の女性と近く結婚されると言う。私共が日本人とみて、何となく、話しかけてみたかったようだ。
“それはおめでとうございます。若いカップルにも宜しくお伝えください。きっと良い結婚になるでしょう!”とお祝いしておいたが、私の知るケースでも、日本人が花嫁のケースが多い。
写真はゲッツェンブルク城の朝食Schlosshotel Götzenburg ホテル
-
【Die Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道】
ドイツの観光街道の一つ、古城街道は創設以来の50周年を2004年3月に迎えた。
中世からの歴史あふれる城はそれぞれの古城・館・宮殿がその魅力的な風景を現在も保っている。興味深い古城街道の道標が立つ道は行程凡そ1000kmで、マンハイムからチェコのプラハまで変化に富んでいる街道である。
この街道はNeckartalネッカー渓谷をネッカー川に沿って進み、Odenwaldオーデンの森を過ぎ、、Hohenloherlandホーエンローハーラント平野や起伏のあるFrankenhoeheフランケン高原を通り、そしてFraenkische Schweizフレンキシェ・シュヴァイツから、フランケン地方の北端へと続いている。さらにFichtelgebirgeフィヒテル山地、チェコのKaiserwaldカイザーヴァルトと変化に富んだ風景を縫って進む。
写真はBurgenstrasse古城街道の道標 -
過去に何度も訪れたネッカー渓谷沿いには多くの中世からの魅力的な城や館がある。
即ち、ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。
其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城、ツヴィンゲンベルク城と数々の城が流域に残り、観光客を迎えている。
写真はBurgenstrasse古城街道(一部) -
写真はWappen_Moeckmuehlメックミュールの紋章
緑色の山景上に左右に分れた楯。左部分は青地に曲がった黒い羽毛の金色の鷲の足、右に銀地に4つの車軸に黒い水車の輪(鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンを象徴する紋章)。 -
さて、ゲッツェンブルク城を9:40に出発。
今日の初めはまたまたゲッツの関係した城を訪れる。
ヤークスト川沿いの道を西に17km走ると、Moeckmuehlメックミュールの町に至る。
街中に入ると、メックミュール城の標識も無く、何処か分からない。
歩いていた中年の小母さんに尋ねると、この道を戻って左の道を登った丘にあると言う。正確に言われたので、行ってみたがどうも違う。
ドイツ人は何かを教えねばという善意の気持ちから教えたのだが、かつても何度か違う道を教えてもらった事がある。
仕方なく又道を戻り、街中に向かう。すると先の左手の丘に城郭らしきものが見えた。小母さんが言った方向はこっちだったのかもしれない。
聞いた私の耳!が悪かったのだろう、申し訳ない。
ともあれ、駐車禁止になっていない場所を見つけた。メックミュール城近くの道路脇にあった薪小屋傍の空き地に車を停め、歩いた。
写真はゲッツの城Burg Moeckmuehl (Die Burg)メックミュール城:1870年の頃の絵。 -
<Burg Moeckmuehl (Die Burg)メックミュール城>
この旅36番目の城 見学10:10~10:40
D-74219 Moeckmuehl 、Schlossberg 26
Seckachゼカッハ川がヤークスト川に合流する辺りにMoeckmuehlメックミュールの町がある。人口8千人の小さな町はヴュルツブルクからヴィンプフェンに至る街道で重要な拠点であった。
メックミュール城はGoetzenburgゲッツェンブルク城とも称されると聞いてやって来たのだ。
現在は個人所有となり、一般公開はしていない。
尚、2011年以来、クリシュナ意識国際協会(インド人宗教家A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダが、世界布教のために立ち上げた新宗教団体)の所有となっているそうだが、実態はどんなものか知らない。
写真はメックミュール城:城壁の上に見える城郭には人も住んでいるようだ。 -
城の歴史:
かつてローマの城砦があったとも云われている。
13世紀頃にヴュルツブルク司教の配下のHerren von Duern.デュレンの騎士の居城が築城された。
1287年にホーエンローエ家の領地になる。
1445年、プファルツ選帝侯に売却。
1470年頃に城は要塞化された。
1504年、17歳のHerzog Ulrich von Wuerttembergヴュルテンベルク公ウルリヒはバイエルン公国で起きたランツフート継承戦争に参加し、メックミュール城に対して6日間の攻城戦を行った。
1517~1519年の3年間、鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがメックミュール城を居城とした。
1519年、Herzog Ulrich von Wuerttembergヴュルテンベルク公ウルリヒ(1521年にはボーデン湖近くの難攻不落の要塞城Singen・Hohentwielホーエントヴィールを築城した)がReutlingenロイトリンゲンを占領しようとして、ついに*Schwaebischen Bundシュヴァーベン同盟を敵にまわしてしまい、戦争になった。
ヴュルテンベルク公ウルリヒ の代官として仕えたGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがメックミュール城を守っていたので、この戦いにウルリヒ側で参戦し、シュヴァーベン同盟に敗北して捕まり、*ハイルブロンに3年間監禁されたと云う。
1902年General Gustav Hermann von Alvensleben 将軍グスタフ・ヘルマン・アルベンスレーベンとGemahlin Gabrieleガブリエル令夫人(ベルリヒンゲン家の出)が現在の城を建て、1996年まで、アルベンスレーベン家の居城であった。
写真はメックミュール城:城内向かう道。 -
さて、古城だが、道路から横道に入って行くと、自然に左手に“ゲッツの塔”の異名で呼ばれている天守閣(1519年・高さ13m)が見えてくる。
塔には1900年頃まで塔の看守人が住んでいたと云う。それほど広く見えない5角形の台地上に城郭は建てられていて、中でも天守閣と地下蔵は中世当時を残し、厚い城壁も、深い空堀もあり、華々しかったとはいえないが、興亡の歴史の跡、かつてのゲッツの城を思い起こされる。
写真はメックミュール城:城郭は木々が茂って見難い。 -
一般公開はしていないそうだが、石橋を渡って入ると、中庭になる。
住居棟の前の庭園で、若い男女が遊んでいた。
こうしてみると、この地方一帯にある古城は個人所有が実に多い。
まー、城に住むというのはそれなりにステイタスであり、魅力的な事なのだろう。
写真はメックミュール城:“ゲッツの塔”の異名で呼ばれている天守閣(1519年・高さ13m) -
車を置いた空き地に戻ると、通りかかった車から中年の親切な御夫婦が降り立ち、“何かお困りですか?”と言われた。
“ゲッツの城が興味あって、丁度見てきたところなのですよ。”と答えると、お二人はにこやかに手を振って、街中の方に走って行かれた。
道に迷った外国人と思われたのでしょうが、なかなかこうした事は自分には出来ない事で、感謝!感謝だ。
http://www.moeckmuehl.de/
写真はメックミュール城の現在と旧市街 -
ヴュルテンベルク公ウルリヒ の代官として仕えたGoetz Freiherr von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンはメックミュール城を守っていたが、シュヴァーベン同盟との戦いにウルリヒ側で参戦し、敗北して捕まり、*ハイルブロンに3年間監禁されたと云う。
写真はHeilbronnハイルブロン:Bollwerksturmボルヴェルク塔(稜堡)に1519年、ゲッツが3年間幽囚された塔。 -
*Schwaebischen Bundシュヴァーベン同盟とHeilbronnハイルブロンの鉄腕ゲッツ:
ドイツ農民戦争は1524年、西南ドイツのシュヴァーベン地方の修道院の農民反乱から始まった。彼らは賦役・貢納の軽減、農奴制の廃止など「12ヶ条の要求」を掲げて各地の農民に呼びかけたため、蜂起はシュヴァーベンから東南のチロルへ、東北のテューリンゲン・ザクセンへと広がっていった。
この農民反乱に直面した諸侯たちはシュヴァーベン同盟を結成して、農民軍の鎮圧にあたった。諸侯軍は4月、ライブハイムで農民軍を襲い、1000人の農民を虐殺してドナウ川に投げ捨て、その後も各地で農民軍を各個撃破していった。
他方、ヴュルテンベルク公ウルリヒとシュヴァーベン同盟との関係もひどく険悪なもので、一揆鎮圧後のウルリヒはシュヴァーベン同盟との抗争に巻き込まれることになる。
1519年7月にマクシミリアン1世が死ぬと、シュヴァーベン同盟はついにウルリヒとの戦争を起こし、ウルリヒをヴュルテンベルクから追放した。同盟はその後、ヴュルテンベルク公国を神聖ローマ皇帝カール5世に売却した。ウルリヒに仕えていた騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンはシュヴァーベン同盟と戦うも敗北し、捕虜となり、ハイルブロンのボルヴェルク塔に監禁されてしまった。後にゲッツはカール5世に仕えた。
1534年、シュヴァーベン同盟は解体した。
写真はHeilbronnハイルブロン:Bollwerksturmボルヴェルク塔(稜堡)に1519年、ゲッツが3年間幽囚された塔は現在、こんな風になった。 -
?Wuerttemberger Weinstrasseヴュルテンベルガーワイン街道?
2004年10月、従来のSchwaebische Weinstrasseシュヴェービッシュワイン街道から、Wuertemberger Weinstrasseヴュルテンベルガーワイン街道に名称を変更した。
Frankenフランケン地方の南Schloss Weikersheimヴァイカースハイム城から、ネッカー川流域のGundelsheimグンデルスハイム一帯、さらに上流のStuttgartシュトゥットガルトの南に位置するMetzingenメッツィンゲンに広がり、更にはボーデン湖のほとりに点在しているワイン産地で、全長511kmの長いワイン街道である。
ヴュルテンベルガーワイン街道はドイツの知られざるワイン街道の1つ。
ヴュルテンベルク地方もアール地方同様、赤ワインの生産量が全体の80%近くを占め、「赤ワインの故郷」と呼ばれている。その赤ワイン生産量は国内13地区の第1位である。
ぶどう畑はネッカー川とその支流域に栽培面積11,129ha、リースリング種23%、トロリンガー種 23%、Schwarzrieslingシュヴァルツ・リースリング種(ピノ・ムニエ種)16%、レンベルガー種などが栽培されている。
酸味が強く、飲み応えのある力強いワインが特徴である。
写真はドイツワイン産地:ヴュルテンベルガーワイン街道・・・ピンク色のUnterland下地方にはWeinsbergヴァインスベルクの一帯も含まれている。 -
写真はWappen_Weinsbergヴァインスベルクの紋章
ヴァインスベルクの紋章の図柄は、左右に二分割された楯。
向かって左は、銀地に赤い爪と嘴を持ち、赤い舌を出した黒い鷲の半身。
向かって右は、青地に金の山から生える金のブドウの樹と金の支柱。
ヴァインスベルク城址と葡萄畑だろう。 -
イチオシ
≪古城街道沿いの古城群≫
古城街道巡り:
メックミュールの町から、A81のアウトバーンに入り、33kmほど南下すると、Weinsbergヴァインスベルク城址が右手に見える。
かつて、この道を度々通ったが、何時か、あの城址に登ってみたいと思っていた。今日はその念願の町に来る事が出来た。
写真はブドウの山を意味するWeinsbergヴァインスベルクの城址と葡萄畑 -
<Burg Weibertreuヴァイバートロイ城>
(かつてはWeinsbergヴァインスベルク)
この旅37番目の城
11:20~12:15
入場料Euro3(冗談に学生ですと言ったら、小母さんEuro2を1.5に)
ヴァインスベルク城址はハイルブロンの東方約5kmにあり、古城街道に名を連ねる古城群の一つだ。
かつてのヴァインスベルク城は1000年頃、ハイルブロンとシュヴェービッシュ・ハルとを結ぶ交易路沿いの山上に築城されたのが始まりと云う。
1140年、*シュタウフェン家とヴェルフェン家が争闘していた時期に、城は皇帝Konrad IIIコンラート3世により包囲され、城は1140年12月21日に降伏した。
写真はヴァインスベルクの城址:皇帝Konrad IIIコンラート3世と皇妃アグネスの記念柱 -
この時、グリム兄弟のドイツの伝説集にも採録された「ヴァインスベルクの貞淑なる女房達」の伝説が生まれた。
この「Tat der treuen Weiber貞淑なる女房達の業績」伝説に因み、この城(現在は城址)はBurg Weibertreuヴァイバートロイ城(つまりWeiber=「女房」、treu=「貞淑な、忠実な、誠実な」)と呼ばれるようになったと云う。
ヴァインスベルクの町も観光のキャッチフレーズとして、?Weinsberg ;Treue Weiber, Reben und Romantikヴァインスベルクの;貞淑なる女房達、ブドウとロマン主義?を枕詞にして、宣伝に努めているそうだ。
写真はヴァインスベルクの城址:部分的に残った城壁(1500年頃のもの、かつては8~10mの高さがあったと云う) -
2世紀の頃、ゲルマン人の来襲に備えて、ローマ軍の防衛ラインが建設された。
防衛ラインは世界遺産ドイツ・リーメス街道と今では称されている。ヴァインスベルクの近くを、ネッカーリーメスのベッキンゲン城砦からオーバーゲルマニシェ・リーメスのエーリンゲン城砦に通じるローマ街道が通っていた。
この町は約1200年の歴史を持ち、13世紀以来のワイン造りでも知られている。
町の北西にヴァインスベルク(現在はヴァイバートロイ)城趾のある城山があり、その西側にシェーメルスベルク山がある。この二つの丘陵はともにブドウ畑が斜面を埋め尽くし、見事な景観をつくっている。
ここで産するワインの7割が赤と云うから珍しい。
写真はヴァインスベルク城:1515年Hans_Baldung_Grien作 -
ドイツ農民戦争では1525年4月16日(イースターの日曜日)にヴァインスベルク城と城下町が、蜂起した農民達に占拠された。
城は略奪され、火がつけられ、落城した。
ヴァインスベルク城はそれ以来廃墟となった。
現在、ここでも偶数年毎にヴァイバートロイ城趾で“ヴァイバートロイ野外演劇祭”が催される。
人口12千人の町にはヴァイバートロイ博物館、ローマ家屋敷等がある。
写真はヴァインスベルクの城址:かつての宮廷跡という。ここの平場でも野外劇(2012年7月6日~7月21日;金土日)の準備が行われていた。 -
さて、城址は葡萄畑の中にあると言っても良い。車で上がるには道はなさそうで、南の麓に広い駐車場があり、有難い事に無料だ。
丘を目指して、急斜面を登る。時々休憩をしないと身体がもたない急なものだが、途中の町や周辺の景観は美しい。
丘の中腹に、皇帝Konrad IIIコンラート3世と皇妃アグネスの記念柱が立っていた。まだ最近立てたように新しいが、この城を攻め落とした(1140年)皇帝Konrad IIIコンラート3世を記念したというのも妙なものだが、後述の伝説の主人公(敵役でかつ、或る種の善行を施した人物!)だからなのだろう・・・。
写真はヴァインスベルクの城址:Dicker Turm太っちょの塔内の展示。 -
城址に上がると、小さなレストラン・事務所があり、ここで入場料を払う。
左手に小さな礼拝堂と名付けられた建物は1824年建設のもので、中にに入ると、実際は礼拝堂では無く、城の歴史展示などに使用されていた。
部分的に残った城壁(1500年頃、8~10m)から見る葡萄畑、火力発電所も遠くに見える。
写真はヴァインスベルクの城址:Dicker Turm太っちょの塔内の展示。 -
中央の台上は広くは無いが、かつての宮廷跡という。ここの平場でも野外劇(2012年7月6日~7月21日;金土日)の準備が行われていた。
宮廷を囲むように天守閣跡、旗が翻る3階建ての小さな塔、Dicker Turm太っちょの塔(17世紀、直径18m、6mの厚い壁)と、城址を訪れた19世紀の名士たちの名を塔内に刻んだ石のアルバムなどが見られるが、風が強く吹いている城址には殆んど何も残ってない。
写真はヴァインスベルクの城址:部分的に残った城壁から見る葡萄畑、火力発電所も遠くに見える。 -
その代わり、城址からの景観のみは素晴しく、古城らしい面白い伝説が残り、その名は広く知られているのだ。
http://www.weinsberg.de/
写真はヴァインスベルクの城址:城址からの景観は素晴しい。 -
イチオシ
写真はヴァインスベルクの城址:城址からの景観は素晴しい。
-
*Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝
神聖ローマ帝国の王朝1138~1208年、1215~ 1254年;シュタウフェン朝およびシュタウファー朝とも呼ばれる。シュヴァーベン大公でもあった。家名はシュヴァーベンのシュタウフェン城を発祥とする。イタリアではシチリア王国を支配し、1266年まで続いた。
*Haus Welfenヴェルフェン家
ヴェルフ家(ドイツ語Haus Welf)は中世の神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツの諸侯。ヴェルフェン家(Haus Welfen)とも呼ばれる。この家系に18・19世紀のハノーファー王朝の英国君主が出ている。
写真はブドウの山を意味するWeinsbergヴァインスベルクの城址と葡萄畑 -
【伝説:ヴァインスベルクの貞淑なる女房達】
*番外編:伝説Die Treuen Weiber von Weinsberg ヴァインスベルクの貞淑なる女房達 https://4travel.jp/travelogue/10894553
(以下は抜粋)
ヴァインスベルク城は1000年頃、ハイルブロンとシュヴェービッシュ・ハルとを結ぶ交易路沿いの山上に築城されたのが始まりと云う。
1140年、シュタウフェン家とヴェルフェン家が争闘していた時期に、城は皇帝Konrad IIIコンラート3世により包囲され、城は1140年12月21日に降伏した。
この時、グリム兄弟のドイツの伝説集にも採録された「ヴァインスベルクの貞淑なる女房達」の伝説が生まれた。
写真はヴァインスベルクの城:ヴァインスベルクの貞淑なる女房達の絵画 -
Die Treuen Weiber von Weinsberg ヴァインスベルクの貞淑なる女房達
(Brueder Grimmグリム兄弟:
" Deutsche Sagen ドイツの伝説"第2巻)
ヴァインスベルク城の支配をめぐって、長い間ホーエンシュタウフェン家とヴェルフェン家が争闘していた頃の話です。
1140年、ホーエンシュタウフェン朝最初の神聖ローマ皇帝Konrad IIIコンラート3世(ドイツ王)により、Herzog Welfヴェルフ伯軍は攻撃され、敗れた。
直ちに皇帝軍は城を包囲し、攻撃を加えたが、ヴァインスベルク城に籠る城内の人たちは戦意も高く、少しも城は弱みを見せることなく、堅く城を守っていた。
しかし、援軍が来るあてのない長い籠城は、次第に人々を苦しめる事になる。食糧が尽きてきて、飢餓に苛まれることになったのだ。
神の恩寵を願って、あるいは神の怒りに逢うかは、分からないが、なんとか私共の助かる道を見つけてみようと女房達が男たちに提言した。
「男たち皆が持つ武器を、多くの所持している剣をここで打ち砕くのです。そして城門を開いてください。」
女房達の代表は城門の外に出て、攻城軍のコンラート3世の前に進み出て、
「私共の自由な退去をお許しください。私共は血に汚れていないのですから・・・。(武器を取っていない?)」
怒りに燃える攻城軍の勇士たちを前にして、その気持ちを宥めたのだ。そして次第に彼らの気持ちは憐憫に変っていった。
そこでまた、
「退去にあたり、私共が自分で運べる分の荷物を、自由に好きなものを運び出す事をお許しください。」と。
写真はヴァインスベルクの城:ヴァインスベルクの貞淑なる女房達の現代の祭り -
これを聞いたコンラート3世は憐憫の情を示して、
「お前たちが荷を背負って出ていくのを妨げない。」
と王の金言として、彼女たちに約束した。
翌朝、辺りが薄明るくなると、城内の陣営から奇異な光景が出現した。かすかな音をさせて、城門が開き、女房達の行列が重い足取りをしながら、よろめきながら、続いて出てきたのである。彼女たちは一様に体を下に曲げ、首に背負い帯をかけ、彼女たちのお気に入りのもの、即ち大事な彼女の夫を背負っていたのです。
この光景を見た皇帝軍は女たちに向かって、
「性悪な女房達よ、止まれ!」
と、大勢の小悪魔を脅すように叫んだ。
一人の将軍は意味深長な言葉を吐いた。
「皇帝が了承したのはそんな事ではなかったはずだ!」と。
その言葉を聞くと、慈悲深い皇帝コンラート3世は大きく笑いながら、
「確かにそんなつもりでは無かったが、彼女たちは旨くやったのだ。」
皇帝の金言は
“一度口に出して言った事、約束した事は不変であり、その尊厳を冒しえないのだ。”
ヴァインスベルク城の籠城軍は1140年12月21日に開城し、皇帝軍が勝利した。
(2012.02.15.訳・編集)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はヴァインスベルクの城:ヴァインスベルクの貞淑なる女房達の銅像 -
写真はヴァインスベルクの城:クリープシュタインの貞淑なる妻
?Burg Kriebsteinクリープシュタイン城に残る伝説】
“Die Sage von der treuen Frau von Kriebstein
伝説:クリープシュタインの貞淑なる妻”
https://4travel.jp/travelogue/10868161
よく似た話に昨春、訪れたザクセンのクリープシュタイン城に伝わる“知恵や機智に富んだ、勇気ある城主夫人の話”がある。
この伝説の不思議な事はザクセンのクリープシュタイン城の話が1415年の出来ごと、このヴァインスベルク城の話は1140年と凡そ300年近い年代の差があるにもかかわらず、似た話である事です。
また、ドイツの東のザクセンと南西部のヴュルテンベルクという、遠く離れた場所であったにも、同じような機知に富んだ城主夫人と女房達のエピソードが生じた面白さなのです。
どちらの話にしても、実にドイツ的に感じられますが、日本ではこういった妻達が良人を担いで難を逃れる“伝説・民間伝承”は聞いた事が無いですね。 -
イチオシ
城址から下りて、郊外のスーパーで残り少なくなった水3本を調達。A81・A6(Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)経由し、古城街道(B27)を走る。
この道に至ると、古城好きとしてはいくつも街道上に見えてくる古城・古城ホテルに立ち寄りたい。
が、14km先のBad Wimpfenバート・ヴィンプフェンは何時も停まる場所から、単に遠望し、“青の塔”を中心にした町の遠景写真を撮るだけに留めた。
写真はBad Wimpfenバート・ヴィンプフェン:訪れれば必ずこの景色を撮る。古城街道:バート・ヴィンプフェンの遠望はかつての青の塔を思い出す。 by jijidarumaさん青の塔 建造物
-
Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン:
13:00
西暦98年頃、ローマ帝国はネッカー・オーデンヴァルト・リーメスと呼ばれる、12から15km間隔に城砦を設ける防御ラインを築き、南西ドイツのこの地域(Dekumatlandデクマートラントとも呼ばれた)を防御することになり、ヤークスト川の対岸に、ヴィンプフェン・イム・タール城砦が築かれた。この城砦があった下の町が始まりで、14世紀にこの町全体が焼き払われた事を契機に、かつてアルプス以北最大と云われたHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の王城が上の町に置かれたので、町の中心は上に移った。
写真はBad Wimpfenバート・ヴィンプフェン:パノラマ・・・中央右にシンボルである中世の“青の塔”(1200年) -
イチオシ
ネッカー川畔の保養地バート・ヴィンプフェンは13世紀以来の町、神聖ローマ帝国皇帝Friedrich Barbarossaフリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)が創建した。
この町のシンボルである中世の“青の塔”(1200年)や、赤の塔、宮廷礼拝堂、皇帝城のアーケード、石作りの館、木組みの家並み等は上の旧市街にある。
人口6800人。
写真は2001.05.11.ドイツ古城街道:バート・ヴィンプフェン 写真集 -
更に、ネッカー川を渡り、ヴィンプフェンの街中を通過し、12kmで思い入れのある古城ホテルのハインスハイム城に到着した。ここで昼食にしたいと思っていた。
写真は2012.05.26.Schloss Hotel Heinsheim古城ホテルのハインスハイム城:レストラン棟 -
<Hotel Schloss Heinsheim古城ホテル・ハインスハイム城>
この旅38番目の城 13:25~13:40
D-74906 Bad Rappenau 、Gundelsheimer Strasse 36
http://www.schloss-heinsheim.de
ハインスハイム城は1730年に築城された。
1960年頃に古城ホテルに改装し、開業した。
ラクニッツ男爵家所有のホテルはバロック様式の城館と、礼拝堂、メインレストラン棟、戸外のプール、テラスレストラン、全42室がある。月曜休み。
写真は古城ホテルのハインスハイム城:ホテル棟古城街道:この街道を走ると、必ず古城ホテル ハインスハイム城を訪れる。 by jijidarumaさんホテル シュロス ハインズヘイム ホテル
-
古城街道を走ると、必ずここを訪れる。
駐在時に泊り、食事もしたこの古城ホテルは健在だった。
レストランに入ってみたが、誰もいない。これも前回と同じだが、今日は土曜日だから、誰もいないのはおかしいと思っていたら、何やら今夕の結婚式・披露宴の準備でバタバタしているようだった。
ホテル棟の前に結婚式関係者もチラホラ見られる。
写真は古城ホテルのハインスハイム城:レストラン棟 -
庭園の屋外プール傍に行ってみると、水はいっぱいに入っていたが、シーズンには早く、木の葉で水面が汚れていた。娘たちとここで泳いだ事を思い出していると、プール傍で読書していたドイツ人が話しかけてきた。
“今日は友人の息子の結婚式披露宴に招待されてきたのですが、貴方方はどちらからですか?”
“私共は東京(正しくは千葉だが、分かりやすい東京とした)から来たのですが、古城や古城ホテル好きで、かつて駐在した頃に、ここにも宿泊した事もあり、懐かしくて訪ねたのですよ。”
“ドイツでは何をされていたのですか?”
“商社の仕事で、デュッセルドルフに居りました。2度の勤務で通算9年勤務したのですが、今は感傷旅行と称して、毎年ドイツを旅しているのです。”
“私はトヨタ関連の仕事(代理店?)をしていましたから、日本とは色々と関係があるのですよ。そう言えば、ここから25kmと近いSinsheimジンスハイム(ハイデルベルクとハイルブロンの中間の町で古城街道上にある)に行かれましたか?この町にはBurg Steinsbergシュタインスベルク城や自動車・技術博物館があって、面白いですよ。”
“そうですか。名前は以前から知っていますが、まだ訪れた事がありません。今度来た時には是非訪ねてみたいものですね。”
といった会話を交わして、お別れした。
尚、Burg Steinsbergシュタインスベルク城には2015年7月に初訪問した。
写真は古城ホテルのハインスハイム城:ホテル棟と屋外プール -
次は4km先のGundelsheimグンデルスハイムです。ネッカー川の対岸に見えるBurg Guttenbergグッテンベルク城を遠望した。
写真はBurg Guttenbergグッテンベルク城 -
<Burg Guttenbergグッテンベルク城>
この旅39番目の城 13:45
D-74855 Hassmersheim-Neckarmuehlbach
http://www.burg-guttenberg.de
グンデルスハイムの対岸の丘の上に立つ古城はかつてのシュタウフェン王家の城である。
ネッカー渓谷において数少ない難攻不落の城は15世紀以降、550年と長きにわたりFreiherren von Gemmingenゲミンゲン男爵家が所有している。
ゲミンゲン男爵家の家系にはGemmingen-Steinegg 、Gemmingen-Guttenberg 、Gemmingen-Hornberg 、Gemmingen-Michelfeldの4つがある。
城内博物館、レストラン。
写真はBurg Guttenbergグッテンベルク城:俯瞰 -
イチオシ
ここのDeutsche Greifenwarte auf der Burg Guttenberg鷹の飛翔ショーが、よく知られていて、2001年5月の旅で一度ショーを見た事がある。
(毎日11時、15時開演)
http://www.youtube.com/watch?v=8gsnWXakWBs
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道: 写真集Festung Coburgコーブルク大要塞、Burg Guttenbergグッテンベルク城の鷹匠 など -
Gundelsheimグンデルスハイムで、Schloss Horneckホーネック城下の道路脇に車を停め、葡萄畑に囲まれたホーネック城とネッカー川を遠望した。
<Schloss Horneckホーネック城>
この旅40番目の城 13:45
D-74831 Gundelsheim
http://www.heimathaus-siebenbuergen.de/
http://www.gundelsheim.de/
人口7200人のGundelsheimグンデルスハイムの頭上に高々と立つ、ホーネック城は12世紀頃に建設された。
この城は1438年にドイツ騎士団総長の居城となり、以来1525年まで、Marienburg in Westpreussenマリエンブルク(西プロイセン・現ポーランドMalborkマルボルク)と、Rigaリガ(現ラトビア共和国の首都で “バルト海の真珠”と讃えられる美しい港町・世界遺産)に次いで、ドイツ騎士団第三番目の主要地であった。後のプロイセン王国の建国に繋がる東方植民の先駆けとなった。
鉄腕騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは1525年のドイツ農民戦争の際、ここで蜂起した農民軍の歩兵隊長に任命された。
写真はSchloss Horneckホーネック城:なかなか巨大な城 -
現在、ブドウ畑に囲まれている城は「ルーマニア・トランシルヴァニア地方の郷土博物館」になっている。
トランシルヴァニア地方はかつて、ドイツ人の植民が行われた地であり、第二次大戦後に引揚者がこの地に戻り、城は彼らの為の住居として提供された。
その名残で現在は養老院としても利用されている。
写真は葡萄畑とホーネック城・ネッカー川 -
写真はホーネック城とネッカー川の絵(1833年)
-
イチオシ
B27を7kmで鉄腕ゲッツが半生を過ごした城・Burg Hornbergホルンベルグ城に到着した。
ここで、ハインスハイム城で食べられなかった昼食を食べる事にした。
古城は当然ながら、皆高い所にあり、狭い道を上り下りする。
対向車が来ると、もう相手に任せて、当方は出来るだけ動かない様にしている。
葡萄畑に囲まれた城に上がってみると、駐車中の車が多い。
どうやらここでも結婚披露宴が行われているようだ。レストラン棟横のBurghof中庭に天幕が張られて、着飾った人たちがうろうろしている。
幸い、裏手の道路脇に駐車スペースが空き、直ぐ車を置く事が出来た。
レストラン棟に向かうと、本日の主役である新郎がポルシェを運転してやってきた。自分の車なのか、借り物なのか、ともかくドイツの若い人にも、結婚には一つの型があるのだろう。今日は花嫁を見るチャンスが無かったが、ここまで各地で新郎新婦を見てきた。麗しの春は結婚の春でもあるようだ。
写真はBurg Hornbergホルンベルグ城の遠望:格好が良い城だ。ホテル - レストラン ベルク ホルンベルク ホテル
-
<Burg Hornberg古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城>
この旅41番目の城 14:05~15:10
D-74865 Neckarzimmern
http://www.burg-hornberg.de
人口1500人の小さな村Neckarzimmernネッカーツィメルンはネッカー川沿いに細長い。街道沿いの急斜面の丘の上に立ち、高さ27mの塔(12世紀末)を持ったホルンベルク城はネッカー川畔からも良く見えて、古城の趣に満ちた景観である。
古城にはレストラン棟とホテル棟(全24室)が設けられている。古城街道の城巡りの際、ちょうど休憩に適した場所にあり、ここのレストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしく、遠くにBurg Guttenburgグッテンベルグ城も見え、眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な場所である。
この事もあり、昼食やお茶、そして夕食に何度も訪れている。
但し、宿泊には一寸魅力がないのが残念だ。
http://www.neckarzimmern.de/
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストラン内には鉄腕騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの肖像画と鉄の義手(レプリカ)が飾られていた。 -
城の歴史と今:
12世紀にホルンベルク城の起源がある。
長い間、Bistums von Speyerシュパイヤー大司教の治下にあって、城主の交代のたびに城は改装、補修されて、現在の城に残っているのはゴシックからルネッサンス様式まで見られる。
この城は“鉄腕ゲッツ”の居城として世に知られている。16世紀の農民戦争で活躍した、鉄腕の騎士“鉄腕ゲッツ” Goetz von Berlichingen ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”は1517年にホルンベルク城を購入し、その後半生の45年を過ごした。
城主となり、名もGoetz von Berlichingen zu Hornberg ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。
Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名は、その後も息子や孫が受け継いでいる。
この城でゲッツは自らの回想録を残したので、これを読んだ文豪ゲーテが戯曲作品“Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”を書き、この事で世に知られた。
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしい。 -
現在のオーナーであるFreiherren von Gemmingen ゲミンゲン男爵家の祖先が1612年、ホルンベルク城をゲッツの孫から購入し、以降12代の城主たちがこの地を治めてきた。
30年戦争中の1634年、1645年の2度にわたり、攻城軍の占領、略奪にあう。
1689年、プファルツ継承戦争でルイ14世の仏軍により、城は焼き払われた。
1700年、度重なる戦争被害を受けたので大修復を行った。
だが、1738年以降になると、城は無住となり、19世紀まで徐々に廃墟化が進んだ。
1825年、ロマン主義の流行で、古城懐古の風潮が起こり、ゲミンゲン家は居城として再建。20世紀前半から大規模修復が行われ、1930年代にはゲミンゲン家の家族が住み始める。
1953年、ネッカーを一望できるレストランを開業する。
1957年には古城ホテルもオープンする。また、古城はブドウ畑に囲まれていて、ワインの醸造も行っている。
2012年はゲッツがホルンベルク城で死去してから450年、現オーナーのゲミンゲン家の祖先が城主となってから、400年の記念年である。
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望・・・遠くにBurg Guttenburgグッテンベルグ城も見える。 -
<昼食:古城ホテル・ホルンベルグ城のパノラマレストランで>
14:10~15:10 Euro28(2,997円)
レストランに入ると、鉄腕ゲッツの城らしく、彼の肖像画と、例の鉄の義手が壁に掲げられている。1408年のハイルブロンで行われた、騎士の馬上槍試合の図も壁に描かれている。
この時間はそろそろ食事の客が減りだす頃で、予約なしで窓際の良い場所に座れた。
パノラマレストランからは、ネッカー川の流れと共に文字通りの美しい景色を今日も見る事が出来た。
そして、遠く緑の中にグッテンブルク城も霞んで見えた。
飲み物;オレンジとリンゴのジュース。
メイン;
①見た目も食感もピザのようなアルザス風*Flammkuchenフラムクーヘン。
②フランクフルターソーセージ、野菜サラダとバゲット添え。
家内と2品を交互に食べてみたが、なかなか美味しいもので満足です。
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストラン -
*Flammkuchenフラムクーヘンはフランス・アルザスでは Flammekueche というそうです。アルザスで食べた事がなかったが、昨春、ブレーメンで初めて食べた。今度、彼の地に行ったらぜひ食べてみたいものだ。
基本はロールパン生地に玉葱、ベーコンをのせてオーブンで焼きますが、様々なレシピがあるようだ。クーヘンと称しているが、甘いものではない。小腹が空いた時とか、ビールのつまみ的な意味で食べる。ピザに似た食感です。
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストラン -
写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストラン・・・1408年のハイルブロンで行われた、騎士の馬上槍試合の図
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写真は古城ホテル ホルンベルグ城:車を駐車したのは坂道の先で、かつての城郭がある。
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写真は古城ホテル ホルンベルグ城:レストランは中央下のガラス戸があるあたりになる。
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ホルンベルグ城からMosbachモースバッハ、Schloss Neuburgノイブルク城、Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城、Eberbachエーベルバッハ、 Hirschhorn am Neckarヒルシュホルン・アム・ネッカー・Schloss Hirschhornヒルシュホルン城へと進む。
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