2012/05/15 - 2012/05/29
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《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月24日(木); 晴、31℃と暑い日、127km(この日まで10日間で1,321km)
ノイエンシュタイン城15:00->L? 3km Pfedelbachプフェーデルバッハ到着・城見学15:10~15:30->L? 11km Oehringenエーリンゲン到着・城見学15:40~16:05->L?(Zweiflingen-Friedrichsruhe)->L? 18km Jagsthausen ヤークストハウゼン・ゲッツェンブルク城に16:45着。(⑩Die Goetzenburg )
写真はJagsthausen ヤークストハウゼン・ゲッツェンブルク城:Burgfestspiel城祭り=中世祭り、野外劇の立て看板
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
このホーエンローエ家の居城は古城街道沿いの人口6千人の町Neuensteinノイエンシュタインにあり、ノイエンシュタイン城は水城の名残があった。
城内博物館はホーエンローエ家の歴史を描いていた、最も魅力的な騎士の広間が見事なものだった。
次もホーエンローエ家のSchloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城である。
Pfedelbachプフェーデルバッハはノイエンシュタイン城から距離3kmと近い。
写真は古城街道図ノイエンシュタイン城 城・宮殿
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<Schloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城>
この旅30番目の城 15:10~15:30
プフェーデルバッハ城はホーエンローエ地方のOehringenエーリンゲンから南に10km、プフェーデルバッハの町(人口9000人)にある。
この町は1037年、"Pfadelbach"として初めて文献に登場する。
フェーデルバッハは1472年、ホーエンローエ伯領となった。
写真はホーエンローエ地方図 -
気候もマイルドであったので、1568年から4年をかけて、Schloss Waldenburgヴァルデンブルク城主のGraf Eberhard von Hohenlohe-Waldenburgホーエンローエ・ヴァルデンブルク家のエバーハルト伯が冬期の居城として、水城を築城した。
1806年、プフェーデルバッハはヴュルテンベルク公領となった。
かつてのMarstallkeller厩舎を利用した郷土博物館やワイン博物館には1752年に造られた64,664リットル入る「Fuerstenfass侯爵の樽」が展示されている。
写真はSchloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城:空堀の様子が見える。 -
現在は空堀になっている城の周辺を歩き、15家族の住居になっている城内に入ってみたが、町の老人たちの集会場になっていたので、トイレを借りただけで、見物は遠慮した。
今日は暑く、この場所で31℃にもなった。
http://www.pfedelbach.de/
駐車した場所の反対側に小奇麗な店があったので、店内を見て回り、何も買わずに出るのも、気まずく、以下を買った。
・定番の紙ナプキン3部を購入した:Euro10.5
写真はSchloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城:俯瞰 -
写真はSchloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城:SchlossKapelle-Altarseite城内礼拝堂の聖壇だけは見たのだが。
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<Gasthaus Sonneガストハウス・ゾンネ>
1746年、Fuersten Ferdinand von Hohenlohe-Bartensteinフェルディナント・ホーエンローエ・バルテンシュタイン侯爵の未亡人であった侯妃Anna Felicitasアンナ・フェルシタスが住んだ。
美しい風景の壁絵のあるサロンや、寄木張りの床が美しいと知り、訪ねてみたが、なんとホテルは廃業して、無人になっていた。
壁絵など、中はどうなってしまったのか!
写真はSchloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城傍のWitwensitz-Sonne未亡人の家・太陽:Gasthausホテル -
写真はGasthausホテル未亡人の家・太陽:壁絵など、美しい内部はこうだったらしい。
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15:30プフェーデルバッハ城を出発。途中、11km先の Oehringenエーリンゲンへ向かう。
<Oehringenエーリンゲン>
見学15:40~16:05
エーリンゲンはシュヴァーベン・フランケンの森の北、ホーエンローエ平野を流れる小川、コッハー川の支流オールン川が形成した渓谷に位置している。
エーリンゲンが歴史上初めて重要な位置を占めたのは、ローマ時代にリーメスの2つの城砦が築かれた西暦155年頃である。ここには約1,000人の兵が配備されていたと云われ、軍事的にも経済的にも重要であったこの地は、皇帝マルクス・アウレリウスの名に因み、"vicus aurelianus"と名付けられた。
それから100年後、259年から260年のゲルマン人の攻撃でリーメスは陥落した。『ローマのエーリンゲン』が死に至ったのである。
1253年から1806年までエーリンゲンはホーエンローエ家の支配下にあった。
ホーエンローエ家が統治する17都市のうち、エーリンゲンは最大にして最重要な都市だったそうだ。
現在は人口23千人の町で、かつてのエーリンゲン宮殿を中心にした旧市街がある。
写真はOehringenエーリンゲン:庭園側から見る城郭はどっしりとした構えで、左手に天守閣、右に教会の尖塔が見える。 -
No.7のパークハウスに車を停めて、マルクト広場に向かった。
ポスト通りから広場に行くと、参事会聖堂(聖ペーター・聖パウル教会)が立っている。教会はホーエンローエ家の墓所になっていて、ノイエンシュタイン城の項で出てきたGraf Ludwig Casimirルートヴィヒ・カジミール伯の墓もある。
写真はOehringenエーリンゲンのマルクト広場:左・参事会聖堂と右・エーリンゲン宮殿 -
参事会聖堂(聖ペーター・聖パウル教会)の教会前に騎士の泉がある。
マルクト広場の先にエーリンゲン宮殿があり、お役所になっていて、インフォーメーションもここにある。
その前にも立っていた。旧市街もゆっくり見れば面白かったかもしれない。
http://www.oehringen.de/
写真はOehringenエーリンゲンのマルクト広場:騎士の泉 -
<Schloss Oehringenエーリンゲン城(宮殿)>
この旅31番目の城
D-74613 Oehringen 、Marktplatz 15
ルネッサンス様式の宮殿は1677年に改築された。見張り塔や庭園をもつ宮殿はかつてホーエンローエ侯爵家が所有し、1698年以降、ここに宮廷を置いた。
“Lange Bau長い建物”と称する宮殿でも最も古い部分は1611~1616年に伯爵夫人マグダレーナ・フォン・ホーエンローエ(未亡人)の為に建設されたものだ。
三十年戦争では何度も攻撃され、罹災している。その後も、度々再建・改修が行われ、青の間、食事の間、白の間などは19世紀半ばのものである。
庭園側から見る城郭はどっしりとした構えで、右手に天守閣、左に教会の尖塔が見える。
現在、宮殿は町役場として利用されている。見学には事前申請が必要。
写真はエーリンゲン城:金属製の5月柱 -
Zweiflingen-Friedrichsruheツヴァイフリンゲン・フリードリッヒスルーエでは、かつて度々訪れた5星の古城ホテルにも立ち寄りたかったものの、そのまま通過した。
参考;
Wald- Schlosshotel Friedrichsruhe古城ホテル・フリードリッヒスルーエ
D-74639 Zweiflingen / Friedrichsruhe
Tel:49(0)7941-60870
http://www.friedrichsruhe.de
Zweiflingenツヴァイフリンゲンのフリードリッヒスルーエの地はハイルブロンからローテンブルグに続く丘陵地帯にあり、13~19世紀の間、ホーエンローエ家の支配地だった。その事もあって、古くからHohenloheホーエンローエ地方と呼ばれた。1612年Kraftクラフト 6世伯により、その南西部Oeringenエーリンゲンに広大な動物公園がつくられ、狩猟館が併設された。
その後1712~17年にFriedrich フリードリッヒ2世伯により、Jagtschloss狩猟宮殿が建設された。“フリードリッヒ公の静養地”の意味で、Friedrichsruheフリードリッヒスルーエと名付けられた。
古城ホテルはこれを利用した形で、1953年に開業される。3万㎡の広大な敷地に狩猟館を中心にしたホテル棟、レストラン、プール、サウナ、ビューティーサロン、ゴルフ場、テニス場などがある、ドイツ屈指の最高級古城ホテルになっている。
2006年にはホテルなど全面改装が行われた。5星、全43室。
ドイツ駐在中の1970年代の後半、クリスマスの時期に、このホテル(1泊したのは素晴らしいJagtschloss狩猟宮殿の部屋)に3家族で泊まった事が思い起こされる。そして、子供達5人が宮殿前の雪の積った庭園で、雪だるまを作って遊んだことを思い出す。
写真は1978.12.23~24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ:朝食と雪遊び -
イチオシ
写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城の34年前:1978.12.25.クリスマスの旅でデュッセルドルフへの帰路に訪れた。
-
18kmでJagsthausen ヤークストハウゼンに着く。ここで3回目の給油を実施。39.63L=Euro64.16と田舎の給油所でも値段は変わらず(但し、カード機能がおかしくて現金払い)。
10泊目のDie Goetzenburgゲッツェンブルク城に16:45と、良い時間に到着できた。
写真はJagsthausen ヤークストハウゼンの紋章:
上下に分割された盾の上部は銀地で水平に置かれた黒い腕。下部は黒地に5本スポークの銀の車。
黒い腕は鉄腕騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの鉄の義手を、銀の車はベルリヒンゲン男爵の紋章である。 -
写真は1861年、Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城
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イチオシ
古城ホテルは本来の入口である庭園正面の車寄せで降り、正面玄関から入るのだが、この日は観光シーズン最大の催しである城祭り(6月6日~8月19日の長期間にわたるBurgfestspiel城祭り=中世祭り)の準備で、左手の先にある木橋から城内に入るようになっていた。
写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:Schlosshotel Götzenburg ホテル
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*番外編:伝説“鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男
Goetz von Berlichingen ? der Ritter mit der eisernen Hand
“鉄腕の騎士ゲッツ” ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
1480年、ベルリヒンゲン家の三男として、ゲッツェンブルク城に生まれた。
16世紀初頭のバイエルンのLandshutランツフートの戦い(1504~05年)に「中世最後の騎士」と呼ばれた神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に従軍し、1504年、ランツフートで敵の大砲砲火によって右腕を失った。
その後、ニュルンベルクの鍛冶屋に作ってもらった鉄の義手を付け、農民戦争や様々な戦場に赴いたと云われ、民衆の英雄として歴史に名を残した。
ゲッツはまさにドイツの田舎騎士で、宗教改革も帝国改革も彼には無縁のものでした。
戦争があれば喜んで参戦し、気にくわない奴が誰であろうと決闘を申し込む向う見ずさを発揮している。唯、皇帝には盲目的な忠誠を誓い、化石化した中世の騎士と言えましょう。
ゲッツは2度結婚していて、7人の息子、3人の娘に恵まれた。
古城街道のネッカー沿いにあるBurg Hornbergホルンベルク城で長く捕われの身であった時に、自らの回想録を残した。ホルンベルク城を購入し、城主となり、晩年にはゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。
ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名はその後も息子や孫が受け継いでいる。
ゲッツの家系はHornberg‐Rossachベルリヒンゲン・ロザッハ家が本流であるが、Graf Friedrich Wolfgang von Berlichingen‐Rossach (1826~1887) ベルリヒンゲン・ロザッハ家のフリードリヒ・ヴォルフガング伯は1861年、“鉄腕ゲッツとその家族”という題名の本をライプツィヒにて出版している。
尚、古城ホテル ゲッツェンブルク城のあるBerlichingen-Jagsthausenベルリヒンゲン・ヤークストハウゼン家は兄弟のHans von Berlichingenハンスの家系である。
文豪ゲーテがゲッツの回想録を読み、1773年、24歳の時に鉄腕ゲッツの生涯を戯曲にした。ゲーテの処女戯曲として自費出版されたものだが、この事でドイツ国内にゲーテと鉄腕ゲッツの名が広く知られるようになった。
ゲーテの作中ではゲッツは英雄的な人物として描かれ、若くして死んでいくが、史実のゲッツは「盗賊騎士」と揶揄された血の気の多い人物で80歳過ぎまで生きながらえている。
又、主人公ゲッツが「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」(俺の尻を舐めろ!)と叫ぶシーンが有名になり、ドイツ語ではGoetz(ゲッツ)という言葉が「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」と同じ意味の“侮辱語”として通用するほどになったと云う。
確かに私の辞書にも出ている!
ついでに言うと、Goetze(ゲッツェ)の単語がその下にあり、偶像、偽神の意味があり、“Das Geld war sein Goetze.”の文意は“彼にとって金が全てだった。”といった侮蔑の意味合いがあるそうだ。それがGoetze(ゲッツェ)からきたのか、私には分からないが・・・。
・・・・・
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で知られた、かつての城主Goetz_von_Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの像・・・「Leck mich am Arsch! くそくらえ!」の文字が下に見られる。 -
イチオシ
また正門横にBurgfestspiel城祭りの看板が置かれていた。
城祭りの予定は6月6日~8月19日の長期間にわたるBurgfestspiel城祭り=中世祭り)である。
毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Burgfestspiel城祭り=中世祭り、野外劇の立て看板。 -
丁度20年前のダイヤモンド社の“ドイツの古城ホテル”には毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いとある。
単なる市民劇では無く、一流の俳優陣が出演する野外劇は見るからに本格的で、この準備の様子を見ると、時期は少し違ってきたが、相変わらず人気があるようだ。
写真は鉄腕騎士の城・古城ホテル ゲッツェンブルク城:正面 -
空堀に架かる橋を渡り、2階にあるレセプションに行って、チェックインした。
裏手の駐車場も業者の車が停まっていたが、幸い駐車スペースはあった。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:裏手にあたる建物と空堀 -
トランクをスタッフに持ってもらって、細い暗い通路・・・ここには“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた・・・を通り、
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:細い暗い通路 -
古城ホテル ゲッツェンブルク城:本来は城門を入り、こちらの廊下を通り、部屋に至るのだが。
-
*Weislingenヴァイスリンゲンの部屋に案内された。
この古城ホテルの部屋には“鉄腕ゲッツ”の野外劇に登場する人物名を付けているそうだから、ヴァイスリンゲンも調べてみたくなった。(チップEuro5)
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階)
*Weislingenヴァイスリンゲンの部屋の名前?
“鉄腕ゲッツ”の野外劇(5幕)に登場するAdalbert von Weislingenアダルベルト・フォン・ヴァイスリンゲンの名前を私共が宿泊した部屋に付けたそうだ。
アダルベルトは劇中、ゲッツの敵役であると云う。ゲッツとは幼少の頃から一緒に育ち、よくお互いを知っていた友人であった。彼はヴァイスリンゲンを所有し、ゲッツに似て、良い性格を持っていたが、同時にうぬぼれの強い、軽薄な、感化され易い所があった。
ゲッツは妹のマリアを帝國騎士団の代表の一員であったアダルベルトと婚約させたとある。
検索してみると、ヴァイスリンゲンはフランス・アルザスにある563人の住む村であった。それ以外に該当する所が無く、ヴァイスリンゲンの場所は分からない。 -
*「Special Arrangement“素晴しい古城の夢”」で書かれていたように、私共の部屋は歴史を感じさせる、がっちりした天蓋付きベッドが中央に置かれ、半円形の張り出し窓の間があり、花飾りで装われたテーブルには果物や水もあって、予想以上に良い部屋でした。
窓から下は空堀があり、散歩道があり、緑の木々の先はヤークスト川が流れているようだ。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城・Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋:半円形の張り出し窓の間と天蓋付きベッド:“素晴しい古城の夢”の半円形の張り出し窓の間 -
イチオシ
【⑩⑪Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城】
この旅32番目の城。
D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 20
Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階) 、Euro110x2=220(22,425円)
Tel:+49 (0) 7943 9436-0 、Fax:-9436200
http://www.die-goetzenburg.de/
古城ホテルは全28室(本館17室+以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸11室)がある。レストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理を提供する。
ゲッツェンブルク城はJagstヤークスト川に沿ったヤークストハウゼンにある。
ドイツ騎士団の城館がある保養地バート・メルゲントハイムや、ネッカー川沿いの古城群にも車で30分の距離と近い。
また、ヤークスト川の上流4kmには鉄腕ゲッツの墓碑もある美しいKloster Schoentalシェーンタール修道院が見られる。
かつてはBurg Jagsthausen ヤークストハウゼン城と呼ばれていたが、現在はゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で全国的に知られた為、Die Goetzenburgゲッツェンブルク城、つまりゲッツの城と称されるようになった。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:がっちりした天蓋付きベッドが中央に置かれていた。 -
ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。
その歴史は12世紀頃のHerren von Husenフーゼンの騎士により(Widdern an der Jagstヴィデルン・アン・デアー・ヤークストから出た騎士で、ベルリヒンゲン家の家系に繋がるようだ)築城された事から始まる。
14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。
1480年、ベルリヒンゲン家の三男に、後に“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれた。
鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:がっちりした天蓋付きベッドの上部はこんな形だ。 -
*「Special Arrangement:Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢」
Ein romantischer Kurzurlaub fuer Ritter und Burgfraeuleinロマンチックな騎士や城主の娘の気分に・・・
Die Leistungen:サービス内容
1 x Begruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のキール(カクテル)を夕食に提供
1 x Regionales 3-Gang-Menue am Anreiseabend第一日目の夕食は3品の郷土料理
1 x Romantisches 4-Gang-Dinner bei Kerzenschein am 2.Abend第二日目の夕食は4品のロマンチックなキャンドルディナー
2 x Traeumen und Geniessen im historischen Himmelbettzimmer歴史を感じさせる天蓋付きベッドで2泊
1 x Flasche Sekt auf dem Zimmerお部屋に1本のシャンパンをご用意
1 x Obstkorb auf dem Zimmer お部屋に果物をご用意
2 x Jagsttaler Fruehstuecksbueffet2回の朝食
Blick hinter die ?Geheimtueren“ bei einer privaten Fuehrung durch die Burg秘密のドアの特別御案内
Eintritt in das Burgmuseum (April-Oktober) 城内博物館の入館
Mineralwasser auf dem Zimmerお部屋にお水のサービス
Kostenloser Transfer vom Bahnhof Moeckmuehlメックミュール駅の無料送迎サービス
Kostenloser Parkplatz am Hotel無料駐車場
Euro169 pro Person Euro169X2=338
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:浴室など -
部屋で落ち着いた所で、周辺や城内を凡そ一時間かけて散策した。
城の裏手はヤークスト川に守られ、三方には深い空堀がある。
正門から入ると右手に、以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸(11室)が設けられて、宿泊客もありそうだ。
更に城の横手にまわり、空堀から見ると、丁度、私共の部屋は城の右隅にあり、張り出し窓の間は塔の2階部分にあたるように見えた。夕食まで少々休憩だ。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城・Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階):外から見上げると、半円形の張り出し窓の間は写真中央の位置だ。 -
城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ゲッツ弁護士の表札 -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Rittersaal騎士の広間
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:Rittersaal騎士の広間
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<夕食:古城ホテル ゲッツェンブルク城のSpeisesaal食事の間で<
18:45~20:40 Euro67.37(6,878円)
Special Arrangement・“Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢”では、第一日目の夕食がRegionales 3-Gang-Menue am Anreiseabend 3品の郷土料理になっていた。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:大きな祝典用のレストランRittersaal騎士の広間。 -
ホテルのレストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理だと云う。
人気がある古城ホテルはレストランもほぼ満席で、食事も時間がかかりそうだった。
予約席はRittersaal騎士の広間の隣にあったSpeisesaal食事の間にあり、窓際の席でしたから、目の前に緑の木々、それに隠れたヤークスト川、その先に畑地がある。暑い日でしたので窓から風が入り、助かる。
まだ明るく、夕食の雰囲気にはちょっと早い感じだ。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城: -
飲み物;アレンジメントの一つ、よく冷えたアペリティーフにBegruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のホーエンローエ風キール(カクテル)0.1Lを頂く。
ビールStuttgarter Hofbraeu 0.3LX 2、お水0.7L。(飲み物代は合計Euro11.7)
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ご挨拶のホーエンローエ風キール(カクテル) -
(夕食は3品料理)
スープ;海老入りのシュパーゲルシャウムのスープ。
メイン;牛肉のメダリオン、ジャガイモ、ブラウンソース。
デザート;クリーム ブリュレ(プリンのカラメル焼き)。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:スープ;海老入りのシュパーゲルシャウムのスープ。 -
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:ビールStuttgarter Hofbraeu 0.3LX 2
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写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:メイン;牛肉のメダリオン、ジャガイモ、ブラウンソース。
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食事の途中で経営を任されているらしいクリーガー夫人が“鉄腕ゲッツ”の鉄の腕(勿論本物は博物館に展示されたままだから、偽だが)を持参して披露してくれた。
“ゼクト(シャンパン)”の用意もまだしていないが、部屋の方に用意させておく。”との事だった。城内ガイドも何時が希望かと聞かれて、明日の午前中をお願いした。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:“鉄腕ゲッツ”の鉄の腕 -
3品の割に食事時間がかかった。大勢のお客(多分宿泊も多い)がいたので、メインからデザートは一時間近くかかったが、レストランのレベルは高く、味はとても美味しかったので、十分納得しました。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:デザート;クリーム ブリュレ(プリンのカラメル焼き)。 -
食事の後はきれいに準備された大広間をのぞき、野外劇の行われる内庭に行ってみた。
周囲を網で囲い、敷地いっぱい、階段状に観客席が設けられて、そこでは台本の読み合わせを行う演出家と俳優たちがいた。
写真は古城ホテル ゲッツェンブルク城:台本の読み合わせを行う演出家と俳優たち。
・・・・・
明日は朝食の後、城内ガイドに参加する。
その後はシェーンタール修道院など、鉄腕の騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンに関連した地域を廻る。
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ドイツ2012年・麗しの5月:ギーンゲンのシュタイフ博物館でテディベアーの世界を見た。
2012/05/15~
バーデン・ビュルテンベルク州
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ドイツ2012年・麗しの5月:ホーエンローエ地方の古城群その1ヴァルデンブルク城・ノイエンシュタイン城
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:ホーエンローエ地方の古城群その2エーリンゲン城・鉄腕騎士の城
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:ホーエンローエ地方の古城群その3シェーンタールの鉄腕騎士の墓碑、シュッテッテン...
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:鉄腕騎士ゲッツの城・・・秘密のドアの裏側を特別ガイドで案内する。
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:ネッカー川沿いを走る古城街道には最も好きな景観がある。
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:“ネッカー渓谷の真珠”と謳われる古城ホテル ヒルシュホルン城に満足!
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:ハイデルベルクの町はロマンチックな話が良く似合う。
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:ドイツの美味・シュパーゲルの産地であるシュヴェツィンゲンは選帝侯の宮廷があった...
2012/05/15~
古城街道周辺
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ドイツ2012年・麗しの5月:古城ホテル・クロンベルク城で、この旅最後のシュパーゲル料理を楽しんだ。
2012/05/15~
ヘッセン州
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ドイツ2012年・麗しの5月:ドイツ7名窯(めいよう)の一つヘキスト陶磁器工房に興味があったが・・・。
2012/05/15~
ヘッセン州
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旅行記グループ 2012年ドイツの春:ロマンチック街道、シュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道の旅
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