2012/05/15 - 2012/05/29
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
<エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群を巡る>
写真はHarburgハールブルク城の俯瞰:難攻不落のハールブルク城とヴェルニッツ川沿いのハールブルクの町・・・
左下の道から城門①に入る。中央奥が、一の丸(Vorburg=Ausserer Burghof)、外城壁とWehrgang銃眼の有る防御壁⑬(内城壁)に囲まれた本丸(Innerer Burghof)、本丸内の左に本丸への城門・落とし格子④、ホテル・レストラン棟⑤があり、城壁に沿って左から右手奥に、この城の⑥~⑫城主の館、博物館、天守閣、教会、牢獄など様々な建物が並ぶ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2012年5月20日(日); 晴、30℃、130km
Noerdlingenネルトリンゲン到着・見学 12:20~14:25 ->B466 15km Oettingen i. Bayエッティンゲンに到着・中世祭り見学 14:50~15:45 ->B466・L? 24km Harburgハールブルクのレストランの関係で17時必着だったが、幸い16:15に到着できた。
(⑥Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg)15:45に
エッティンゲン(北の)を出て、B466・L? ヴェルニッツ川沿いに南東に下る。
B25の国道はロマンチック街道の道、Harburgハールブルク城は24km先にあり、レストランの関係で17時必着だったが、幸い16:15に到着できた。
写真はDie Harburgディー ハールブルク周辺図 -
イチオシ
≪難攻不落の名城Die Harburgディー・ハールブルク城≫
この旅⑲番目の城である。
Woernitzヴェルニッツ川を臨む丘の上、海抜480mに立つハールブルク城は難攻不落の城として知られる名城である。
18世紀以来、Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の居城の一つになった。
写真は難攻不落の名城Die Harburgディー・ハールブルク城は丘の上に。 -
写真はWappen_Harburg_(Schwaben)ハールブルクの紋章・・・金色の地の盾には、王冠がない、赤い色で補強された黒いワシのデザインである。
王冠がないのは、1251年にエッティンゲン伯へ、町の帝国都市権を抵当に入れた為、13世紀後半に失われた事に依るようだ。 -
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城・周辺図No.19:ハールブルク周辺図だが、国道B25はハールブルク城の下(トンネル)を通り、Donauwoerthドナウヴェルト方面に至る。
-
B25から右手の山道に入り、丘の上への道をたどって、城門前に至る。
ここに車の進入を阻止する横木が下りている。
家内が閂をあげて、横木を動かし、車を入れ、また横木を元に戻す。
その作業(古城ホテルからの指示通りだが)をしてから、坂道を上る。
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:下の写真の右手城外側から高々とした城壁を望む。 -
南ドイツにおける、最も大きく、古く、12世紀からの中世の城郭がよく保存されている。
長さ220m、幅120mの平面上の台地に建てられたシュタウフェン朝の皇帝城で、ネッカー川の古城街道沿いにある Wimpfenヴィンプフェンの皇帝城を凌ぐものと云われている。
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:難攻不落のハールブルク城とヴェルニッツ川沿いのハールブルクの町・・・俯瞰
<Woernitzヴェルニッツ川>
ヴェルニッツ川は全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流で、ドナウ川の左岸に合流する。
ローテンブルクに近いSchillingsfuerstシリングスフュルストに属するフランケン地方の高原から湧出する。この後、ヴェルニッツの町を抜け、、ディンケルスビュールを経由し、アウハウゼン付近でネルトリンゲンのリース盆地に入り、シュヴァーベンとフランケンのユラ山地の間を南に向かって流れる。Harburg ハールブルク、そしてDonauwoerthドナウヴェルトでドナウ川に合流する。ハールブルク城 城・宮殿
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写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:古城に関連する支配者たちの紋章
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ヴェルニッツ川畔からの古城の眺めは実に絵画的で、素晴しい。
現在、城内は城内教会、天守閣、泉、城壁、祝典用広間等が見られる。
博物館には宝物やリーメンシュナイダー作品などが展示されている。
また、騎士文化の一端に触れることができる。
博物館見学は日程の都合で、22日(火)の朝にした。
http://www.burg-harburg.de/
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:19~20世紀の絵・・・ヴェルニッツ川畔からの古城の眺めは実に絵画的である。 -
写真はハールブルク城:縄張り図・・・左下の道から城門①に入る。中央奥が、一の丸(Vorburg=Ausserer Burghof)、外城壁とWehrgang銃眼の有る防御壁⑬(内城壁)に囲まれた本丸(Innerer Burghof)、本丸内の左に本丸への城門・落とし格子④、ホテル・レストラン棟⑤があり、城壁に沿って左から右手奥に、この城の⑥~⑫城主の館、博物館、天守閣、教会、牢獄など様々な建物が並ぶ。
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昔ながらの落とし格子を恐々と頭上に見つつ、本丸への城門④をくぐる。
城門を過ぎると、この城砦の広い中庭Burghofになる。
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:本丸への城門、ホテル・レストラン棟を見る。 -
イチオシ
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:昔ながらの落とし格子
-
久しぶりのハールブルク城である。今日から2泊の予定だ。
持参のトランクの重さは20kg・2個ですが、段々、自分達の手に負えなくなり、ホテルの従業員の方にお願いする。
男手はたまたまシェフしかいなかった様子で、彼が二つのトランクを軽々と2階の部屋で運んでくれた。
古城ホテルらしく、ここでもエレベーターがないから仕方がない。
(チップEuro5)
写真はHotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg古城ホテル ハールブルク城:家内の後にホテル・レストランがある。Rotdorn西洋サンザシの花が満開だ。 -
写真はDie Harburgディー・ハールブルク城:Rotdorn西洋サンザシの花
-
≪⑥⑦Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg古城ホテル ハールブルク城≫
D-86655 Harburg 、Burgstrasse 1
3号室(2階)、Euro79x2泊=158
Tel:+49 (0) 9080-1504 、Fax:-1581
http://www.burgschenke-harburg.de/index.htm
全7室、DZ Nr.3・ Blick auf das Woernitztalヴェルニッツ川の眺めの部屋であったが、十分な眺めとはいえなかった。
但し、Euro79x2=158の宿泊料は今回の旅では一番安い。
Burgschenkeブルクシェンケ(酒場)と呼ぶだけに、本来の古城に付属した建物で、城門に連なる施設の一つをホテル・レストラン棟にしたものである。
写真は古城ホテル ハールブルク城:3号室(2階) -
部屋は十分に広く、まだこざっぱりした、新しい感じだった。
テラスで咲くRotdorn西洋サンザシの花が目立った。
注;①日曜日のレストランは18時まで。月曜日は休み(明日はこの為、ハールブルクの村で食べる予定にしている)。
②Hofburg本丸の中庭での駐車がOKだが、城門坂下には横木がある。
写真は古城ホテル ハールブルク城:3号室(2階) -
イチオシ
<ハールブルク城の歴史>
11世紀の半ばに最初の城が築城されたと云われている。1150年、この城の確かな記述、即ち、若きシュタウフェン王家のHeinrichハインリヒ(Konrads III コンラット3世の息子)が書いた手紙の中にハールブルク城について、“castrum nostrum”と称し、“unsere Burg”われらの城と書いている。
ハールブルク城は帝國城の一つとして支配されていた事を物語るものである。
スウェーデン王Gustav II Adolfグスタフ2世アドルフ(1594~1632年)は新教徒保護を名目にフランスと同盟し、ドイツに侵攻し、連戦連勝し、1632年にはハールブルク城に守備隊を置いている。
ハールブルク城は30年戦争の間、しばしば包囲攻城で罹災した。
写真はハールブルク城:城壁に沿って左から右手奥に、この城の⑥~⑫城主の館、博物館、天守閣、教会、牢獄など様々な建物が並ぶ。中庭の中央に井戸。 -
<30年戦争とスウェ―デン:(Wikiから抜粋)>
スウェーデン王Gustav II Adolfグスタフ2世アドルフ(1594~1632年):
グスタフ2世はドイツで起こった新旧諸侯間の三十年戦争に参戦して、新教諸侯を支援することであった。神聖ローマ皇帝を中心とするカトリック勢力を弱めることによって、北ドイツのスウェーデン領を安定させようとしたのである。
写真はハールブルク城:城壁に沿って左から右手奥に、この城の⑥~⑫城主の館、博物館、天守閣、教会、牢獄など様々な建物が並ぶ。中庭の中央に井戸。 -
グスタフは1630年ドイツに侵入し、オーデル川中・下流域を占領した。翌1631年には新教徒保護を名目にフランスと同盟し、ドイツに侵攻し、連戦連勝している。1632年にはハールブルク城に守備隊を置いている。
同年11月、グスタフ2世はライプツィヒ南西、Luetzenリュッツェンで戦死した。
写真はスウェーデン王Gustav II Adolfグスタフ2世アドルフ(1594~1632年) -
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインは三十年戦争期のボヘミアの傭兵隊長である。神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナント2世に仕えて、帝国大元帥・バルト海提督・フリートラント公爵となって位人臣を極めたが、後に皇帝の命令で暗殺された。
写真はAlbrecht_von_Wallensteinアルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン将軍(1583年~1634年)は神聖ローマ帝国軍を率いた。 -
<Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い>
三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・レヒ川における戦いである。
グスタフ2世が率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍とティリー伯ヨハン・セルクラエス率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。この戦いでティリー伯は負傷し、バイエルン公マクシミリアン1世自身が指揮を執らざるを得なくなった。ティリー伯は後に死亡した。
写真は1632年4月15日、Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い(Merian作) -
<Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い>
三十年戦争中の1632年11月16日にドイツのライプツィヒ南西、リュッツェン近郊で行われた戦闘である。
グスタフ2世が率いるスウェーデン軍およびドイツ・プロテスタント諸侯の連合軍と、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
しかし、この戦いでグスタフ2世は戦死、以後スウェーデンは参戦当初の勢いを失い、2年後のネルトリンゲンの戦いの敗北によって、三十年戦争における主導権を失った。
この戦闘におけるグスタフ2世の死と、2年後のヴァレンシュタインが皇帝によって暗殺されると、三十年戦争は膠着状態に陥ることになった。
写真は1632年11月16日、Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い:グスタフ2世アドルフ(Gustav II Adolf)の戦死の場面 -
<Schlacht bei Noerdlingenネルトリンゲンの戦い>
三十年戦争中の1634年9月6日にプロテスタントの帝国都市ネルトリンゲン郊外で行われた戦いである。
スウェーデン軍およびドイツ・プロテスタント諸侯のHeilbronner Bundハイルブロン同盟(1634年5月18日に結ばれた軍事同盟)と、皇帝の継嗣ハンガリー王フェルディナントを総司令官とする神聖ローマ皇帝軍およびスペイン軍が交戦し、皇帝軍が勝利した。
写真は1634年9月6日、Schlacht bei Noerdlingenネルトリンゲンの戦いの絵
XXXXXX -
1731年、Albrecht Ernst IIアルブレヒト・エルンスト2世の死去により、新教派のエッティンゲン家が消滅し、代わってハールブルク城は旧教派のエッティンゲン・ヴァラーシュタインのものとなった。
1798年12月、イギリス、オーストリア、ロシアなどによって、ナポレオン戦争における第二次対仏大同盟が結成されると、2. Koalitionskrieg第二次対仏大同盟戦役(1799~1802年)が始まり、1800年にはオーストリア軍の守るハールブルク城は仏軍の猛攻を受ける。
XXX
写真はハールブルク城:車を中庭に停めて、Wehrgang銃眼の有る防御壁⑬(内城壁)をのぞく。 -
現在は毎年6月に城門前で催されるBockfestボックフェスト(町のお祭り)で、当時の包囲攻城の様子を見る事が出来る。
尚、2000年3月、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン家はハールブルク城を“Gemeinnuetzige Fuerst zu Oettingen - Wallerstein Kulturstiftungコミュニティ・エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家文化財団”に譲渡した
・・・・・・・・・・・・・
写真はハールブルク城:Wehrgang銃眼の有る防御壁⑬(内城壁) -
【夕食:古城ホテル ハールブルク城のBurgschenkeブルクシェンケ(酒場)レストラン】
17:10~18:00 Euro43.3(4,498円)
(注)日曜日のレストランは18時までの為、早い食事の予定にしていた。
この為、旅の行程は少々忙しかったのだ。
飲み物;ビールは家内がFuerst Wallerstein Classicコヴァラーシュタイン侯爵 クラシック 0.33L、私はDunkelsデュンケル(またはドゥンケル)0.5l、
前菜;家内はミックスサラダ
スープ;私がシュパーゲル・クリームスープ
メイン;家内は魚料理・大きなスズキの “Muellerin Artムニエル”にジャガイモ添え、
私は肉料理・“Ritterspiess騎士の肉串刺し”に炒めたジャガイモ添えを選んだ。
*2品だけだったが、お客も私たち2人だけで、レストランに気を使って、時間も無くなったので、食後のコーヒーは部屋で飲むことにした。
写真は古城ホテル ハールブルク城:ビールは家内がFuerst Wallerstein Classicコヴァラーシュタイン侯爵 クラシック 0.33L、私はDunkelsデュンケル(またはドゥンケル)0.5lを注文。 -
写真は古城ホテル ハールブルク城:もったいないことに私達だけ。広いレストランは早い店じまいだったから、お客も来なかったようだ。
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写真は古城ホテル ハールブルク城:スープ;私が大好きなシュパーゲル・クリームスープ。たっぷりと入ったスープは美味。
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写真は古城ホテル ハールブルク城:メイン;私は肉料理・“Ritterspiess騎士の肉串刺し”に炒めたジャガイモ添えを選んだ。郷土料理は量も多いが納得の味だ。
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写真は古城ホテル ハールブルク城:前菜;家内はミックスサラダ、こちらも量はあるが、野菜好きには問題なかった。
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写真は古城ホテル ハールブルク城:メイン;家内は魚料理・実に大きなスズキの “Muellerin Artムニエル”にジャガイモ添えを選んだ。魚好きの家内は満足していた。
我が家は私が肉派、家内は魚派なのです。
・・・・・
今日は130kmと短い行程だが、見るものも多くて疲れたのと、ビールを飲んだ所為か、夕食後は19時~21時まで寝てしまった。
お風呂、書類の整理、明日の準備等をして、再び寝たのは午前1時半になってしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
明日はWemding -Amerbachヴェムディング・アメルバッハのマリアの泉巡礼教会、Donauwoerthドナウヴェルト、Dillingenディリンゲン城、Augsburgアウクスブルクを訪ね、古城ホテル ハールブルク城に戻る行程を予定している。
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