2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)〜05月29日(火)15日間の旅・5月16日(水)
≪ここにメルヘン白雪姫が生まれた・・・Hier beginnt ein Maerchen・・・≫
白雪姫の城(ロアー・アム・マイン)Schneewittchenschloss in Lohr am Main
マイン川はNaturpark Bayerischer Spessart国立公園バイエルン・シュペッサートの東から西に流れ、ライン川に向かって蛇行を繰り返しながら流れていく。
Hochspessart高地シュペッサートを抉るように流れるマイン川沿いにあるLohr am Mainロアー・アム・マインの町(バイエルン州・ウンターフランケン地方)に、世に知られたメルヘンSchneewittchen(Schneeweisschenとも書く)シュネーヴィッチェン・白雪姫伝説は生まれた。
写真はSchneewittchenschloss白雪姫の城
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Wuertburgヴュルツブルクの町から北西に54kmにあるロアーの町、その旧市街に立つSchneewittchenschloss白雪姫の城は14世紀、Grafen von Rieneck リーネック伯爵により築城されたと云う。
写真はマイン川沿いのロアーの町で乗った遊覧船 -
中世以来の城に実在した「Maria Sophia Margaretha Catharinaマリア・ソフィア・マルガレーテ・カタリーナ」姫(1729年生れ)が、その白雪姫のモデルとされている。
ロアー城には妻に先立たれたPhilipp Christoph von Erthalエルタール家のフィリップ・クリストフ伯とその娘カタリーナ姫、折り合いの悪い継母が住んでいたと云われ、20世紀末頃から、この城を指して、白雪姫城と呼ぶようになったそうだ。
写真はバイエルンの塔 -
写真はロアーの旧市街・木組みの家並み
-
写真はロアーの旧市街
-
写真はロアーの旧市街・メルヘンの泉
-
1986年になって、ロアーの薬局主兼薬学史家であったKarlheinz Bartelsカールハインツ・バーテルズがロアー周辺の伝説・民話を調べて回った。そして、歴史に埋もれていたロアーのカタリーナ姫伝説(白雪姫の原型となる)を見つけ出したと云う。
それ以来、ロアーの町はこの伝説・民話を観光の目玉に取り上げたという。
写真はSchneewittchenschloss白雪姫の城の模型 -
白雪姫伝説の粗筋は様々な部分で変遷をしているが、かいつまんで書くと以下の様になる。
『7歳のとき、王妃(継母、グリム童話初版本では母親!)より美しく育った為に城を追い出され、森の中のsieben Zwerge7人の小人(初版では人殺し)の家で暮らすこととなる。
王妃によって、何度か死の瀬戸際にまでいったが、その都度小人に助けられる。
最後には毒リンゴを食べさせられて死ぬ。悲しみに暮れた小人たちは白雪姫をガラスの棺に入れる。
そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。
家来に棺を運ばせるが、家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。
王子と白雪姫の結婚披露宴で、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされたと云う。』
写真は城内博物館にある魔法の鏡! -
写真は面白い変形鏡
-
バーテルズの調査でMaria Sophia Margaretha Catharina von Erthalエルタール家のマリア・ソフィア・マルガレーテ・カタリーナ姫(1729年生れ)の父Philipp Christoph von Erthalエルタール家のフィリップ・クリストフ伯(1689~1748年)はマインツの上級長官(宮廷大臣)で、同時に大司教・領主の使節として、ヨーロッパ中の皇帝や王侯に謁見する為にしばしば旅に出る事があった。
父がロアー城に持ち込む、王侯家族の香り高い様々なものにより、この地の人たちは文化的な影響を受けたと云う。
カタリーナ姫も帰国の都度、父から見聞きした、メルヘン風な王侯の子女を空想し、理想化したとか・・・。
写真は白雪姫城 -
エルタール家の居城はロアーの町に置かれていた。1741年にカタリーナ姫の愛する母Maria Eva von Erthal, geb. von Bettendorfマリア・エバ(ベッテンドルフ家の出・??~1741年)が死去すると、父は1743年にClaudia Elisabeth Maria von Venningenヴェニンゲン家のクラウディア・エリザベート・マリア(Reichensteinライヘンシュタイン家の帝国伯爵令嬢)と再婚した。
父はロアーに居る事は稀で、最初の結婚で出来た子供にとっては辛い事となった。
しばしば父が不在であったので、(子供を守る意味で)父の役目を怠っていたと、メルヘン話の効果をあげる為に、メルヘンの中では、父伯爵をあえて悪く表現しているとも云えるが・・・。
写真は町の観光催し・白雪姫と7人の小人 -
さて、継母が“Der Sprechende Spiegelものを言う魔法の鏡”に「世界で一番美しい女性は?」と聞くと、「白雪姫だ」という答えがいつも返ってきて継母は地団太を踏んだという話が伝えられている。この伝“魔法の鏡”は今も城内のSpessartmuseumシュペッサート博物館に見る事が出来るのだそうだ。
写真は鏡工場の歴史を語る鏡の展示 -
白雪姫の伝説の中で重要な役目を持ち、バーテルズが名付けた“ものを言う魔法の鏡”はクリストフ伯が経営していたロアーの鏡工場(1698年創立)製であると云う。この鏡は多分、伯爵から二度目のクラウディア妃に贈られたものだとされている。
魔法の鏡・・・こんなYOUTUBEがある。
Snow White;Spieglein Spieglein an der Wand, wer ist die schoenste im ganzen Land?
http://www.youtube.com/watch?v=bqvwpIj6K7s
写真は“Der Sprechende Spiegelものを言う魔法の鏡”はシュペッサート博物館にある。 -
バーテルズは更に、ロアー周辺の深く、暗い森を白雪姫が誕生した根拠としている。
白雪姫がメルヘンの中で、継母の手から森に逃げ込み、逃げ惑ったシュペッサートの森、そこにはdie sieben Bergeジーベン・ベルゲ7つの山(502m〜544mの丘陵と言ってもよい高さしかない山は白雪姫を助けた7人の小人を具現している。)の名をした山があり、Wieser Strasseヴィーザー古街道と称する山岳街道 がある。
シュペッサートの山岳地帯には鉱脈があり、人々は鉱石を求めて山に入った。ここには小さな子供たちを含めた鉱山労働者たちがいて、メルヘン話の背景になっていると・・・。
写真はドイツの切手シリーズ・白雪姫・DBP_1962年 -
メルヘンに出てくる“durchsichtige Sarg von Glas透明なガラスの棺”、継母がこれを履いて踊らされたと云う“eisernen Pantoffel鉄の上靴”・・
いずれも当時、シュペッサートにあったガラス工場や製鉄所で作られたものとして示唆されている。
写真はドイツの切手シリーズ・白雪姫 -
カタリーナ姫が亡くなって(死亡年は不詳)、二、三年して、グリム兄弟によって“白雪姫”の伝説・民話の採取・執筆がなされ、1812年、『グリム童話』("Kinder und Hausmaerchen" 子供と家族のメルヘン)第一版が発表された。
その53番目の童話に記載されている。
写真はドイツの切手シリーズ・白雪姫 -
それはロアーの薬局主兼薬学史家であったカールハインツ・バーテルズが歴史に埋もれていたロアーの姫・白雪姫の原型となる伝説・民話を見つけ出した時よりも、百七十年以上も前の事である。
XXXXX
写真はドイツの切手シリーズ・白雪姫 -
【ここにメルヘン(白雪姫)が生まれた】と書かれたロアーの町のHPに掲載されたものがある。 http://www.lohr.de/start.
それによると、14世紀、Grafen von Rieneck リーネック伯爵により築城されたロアーの城に、1729年6月19日、エルタール家のマリア・ソフィア・マルガレーテ・カタリーナ姫が男爵(上述では伯爵)令嬢として生まれた。
このカタリーナ姫は世間で白雪姫として、よく知られている。
写真は白雪姫物語 -
カタリーナ姫はこう語ったと云う。;
『私は父Philipp Christoph von Erthalエルタール家のフィリップ・クリストフ男爵(1689~1748年)と母Maria Eva von Erthal, geb. von Bettendorfマリア・エバ(ベッテンドルフ家の出・??~1741年)の娘です。
1717年に両親は結婚し、私と二人の兄弟を生みました。二人の兄弟はFriedrich Karl フリードリヒ・カールと Franz Ludwig フランツ・ルートヴィッヒと言い、共にマインツ・ヴュルツブルク大司教・領主になっています。
写真は白雪姫物語 -
残念なことに私の母はとても若くして亡くなり、父はこの為、再婚しました。
私の継母はClaudia Elisabeth Maria von Venningenヴェニンゲン家のクラウディア・エリザベート・マリア(Reichensteinライヘンシュタイン家の帝国伯爵令嬢)と申します。
写真は白雪姫物語 -
父はマインツの上級長官(宮廷大臣)で、同時にロアーの鏡工場の経営者でした。
ある日、父は工場から1つの鏡を取り寄せ、継母に贈りました。同時にその鏡は父の生涯にとって、不幸を持って来たのでした。
その鏡はロアーの我が古びた城内にその他のものと共に架けてあり、今はシュペッサート博物館と称する場所で、見る事が出来るのだそうです。
写真は白雪姫物語 -
そう、皆さんがご存知のように、私の継母は実に美しい方でした。
所が、私が少し大きくなった時、ある日の鏡は、“継母はもうこの国で一番美しくは無い”と言ったのです。
それで、継母に命じられた山番は私を森に散歩に連れて行きました。
写真は白雪姫物語 -
私共は城門を出て、今、レックスロートの小城のある、山上に登っていったのです。
高々とした山頂、眼下には暗く、深い森が広がり、山番が突然、懐からナイフを抜き出す。私は彼の悪意に驚き、恐ろしさからパニックに陥ったのです。山番の隙を見て、私は森の右手に向かって一目散に逃げ出しました。山番は二、三度、私に手が届くほど近づいたので、末恐ろしい事だったけど、私は何とか逃げ切ったのでした。
写真は白雪姫物語 -
そして、広い森の中、ロアーの小川が流れる傍のガラスの小屋に漸く、たどり着きました。
あの恐ろしい継母は私の命をほんとに奪おうとしたのでしょうか?
写真は白雪姫物語 -
山番に襲われた恐ろしさに、また私はBurg Bardensteinバルデンシュタイン城址に向かって走り、登り切った高い尾根から、短い時間ながら、家並み(ロアーから北西11km にあるFrammersbachフラマーズバッハの役人の屋敷)を望みました。
そこに逃げる事も考えたのですが、別の決心し、また森の中を走り続けたのです。
写真は白雪姫物語 -
そうこうしている内に父の支配地であったマインツ・フランケン地方に至り、ハウナウ・ヘッセン・ビーバー地区に近づいていました。
そこにはかつて父が私によく話してくれた銀や銅の鉱石採取所がありました。ここなら身を隠せるに違いないと思ったのです。
夜になると、私はビーバー鉱山の助けを得たのです。
翌朝、ビーバー地区のビルケンハイマー街道をさらに先に行き、7人の小人が住む隠れ家を見つけたのでした。』
写真は白雪姫物語 -
写真は白雪姫物語
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【アメリカ・ディズニーの長編アニメ『白雪姫』】
『白雪姫』(しらゆきひめ、原題:Snow White and the Seven Dwarfs白雪姫と7人の小人達)はアメリカ・ディズニーの長編アニメとして、1937年に公開された。日本でも1950年に公開されたので、よく知られていて、白雪姫と云うと、このアニメのイメージが高い。
この映画の基になったのはドイツのヘッセン州の伝説・民話(上述)である白雪姫伝説であり、グリム童話の作者・グリム兄弟により収録されたものである。
さて、白雪姫のイメージは雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀のように“黒い髪”を持つ少女でしょうか?
写真は白雪姫物語 -
写真は白雪姫物語
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写真はSchneewittchen by Franz Juettner
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写真はSchneewittchen by Franz Juettner
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白雪姫のモデルについては近年にいたるまでドイツ各地の郷土史家により、各地の伝説・民話が検証され、グリム童話に表された内容にあう事象を取り上げて、当地こそ、白雪姫のモデルだと、其々に主張している。
写真はSchneewittchen by Marianne_Stokes -
それら各地の白雪姫モデルを幾つかをあげると;
ヘッセン州の北部、メルヘン街道上のKasselカッセル(グリム兄弟博物館がある)から南西に40km程行くと、Kellerwaldケラーの森の東に保養地バ−ト?ヴィルドゥンゲンの町がある。
木組みの家並みが美しい旧市街やクア地区で知られている。
≪ヘッセン州Bad Wildungenバ−ト?ヴィルドゥンゲンの白雪姫≫
旧ヴィルドゥンゲン城?フリ−ドリヒシュタイン城主のGraf Philipp IV. von Waldeckヴァルデック伯フィーリップ4世には美しいGrafentochter Margaretha von Waldeckマルガレータ姫と、厳格な継母(カタリーナ・フォン・ハッツフェルト)がいました。
周辺諸国との政争の中で、マルガレータ姫はわずか21歳で世を去ったと云われている(実家の資料によると毒殺であったと云う)。
毒殺されたマルガレータ姫の髪はブロンドであったそうで、グリム童話の初期の版では白雪姫の髪はgelb黄色 であった事とも符合し、メルヘン「白雪姫」のモデルになったとされている。
http://www.bad-wildungen.de/
写真はBad Wildungenバ−ト?ヴィルドゥンゲン:Schloss Friedrichsteinフリードリヒシュタイン城 -
「Bergfreiheitベルクフライハイトの白雪姫の村」
保養地バ−ト?ヴィルドゥンゲンの町から南に12km下ると、ベルクフライハイトに着く。
Kellerwaldケラーの森にある牧歌的な「白雪姫の村」では、屋外舞台でメルヘン劇を観覧し、「白雪姫の家(1736年建設)」と7人の小人の鉱山も見学できる。
写真はBergfreiheit:白雪姫と7人の小人 -
≪Salzhemmendorfザルツヘメンドルフの白雪姫≫
Hamelnハーメルンから東に20kmにある。Niedersachsenニーダーザクセン州の南に位置するAlfeldアルフェルトの町の近郊にはSieben Berge7つの山の名の山があり、7人の小人を連想させる。
しかも、Osterwaldオスターの森には石炭採取所、ガラス工場があった。
近くのStauffenburgシュタウフェン城址にはかつて継母が住んでいた事、グリム兄弟はこの辺りも伝説・民話の採取に訪れた等の事象をあげ、白雪姫伝説の根拠ありと推論している。
http://www.salzhemmendorf.de/
写真はSalzhemmendorfザルツヘメンドルフのガラス工場 -
≪Langenbachランゲンバッハの白雪姫≫
ヘッセン州のミッテルヘッセン地方にTaunusタウヌスの国立公園地域があり、一帯は広い森をもった、なだらかな丘陵地帯が続く。フランクフルトの近郊バート・ホンブルクから丘陵地帯を33kmほど北上すると、Weilmuensterヴァイルミュンスターという町に着く。
そこにLangenbach ランゲンバッハという小さな村(地区)がある。この村は歴史的な古街道であるヘッセン街道上にあり、この道はグリム兄弟が学んだMarburgマールブルク大学に至る。
かつてこの村には鉱山があり、森の中の台地には相当古くからの名前である、 “小人の地”という場所があり、人々はそこで働き、古くからそこには小屋が建てられていたと云う。
ローカルな出来事、村の共有地や付けられた名前をして、白雪姫や7人の小人伝説の存在の根拠にしたらしい。
http://www.langenbach-info.de/
写真はLangenbach ランゲンバッハ
XXXXX
初めて訪ねた町ロアー・アム・マインで世に知られる”白雪姫伝説”に出くわした。
ロアーの薬局主兼薬学史家であったKarlheinz Bartelsカールハインツ・バーテルズがロアー周辺の伝説・民話を調べて回って、歴史に埋もれていたロアーのカタリーナ姫伝説(白雪姫の原型となる)を見つけ出したと云う。
氏はまだ健在のようである。
こうした事があるから、ドイツの旅は面白く、楽しい。
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