2012/05/15 - 2012/05/29
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《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月22日(火); 晴、25℃、245km 5月22日(火); 晴、25℃、245km
アイヒャッハ・Sisi Schlossに到着・見学 12:10~13:10->L?・B300 24km Friedbergフリートベルクに到着・見学 13:30~13:50 ->L?・A8 51km Jettingen-Scheppachイェッティンゲン・シェップパッハ・Schloss Jettingenイェッティンゲン城に到着・見学 14:40~14:50->A8・B19 48km Ulmウルムに到着・見学 15:45~16:30->B19・A7(Langenau-Albeck)・B466(Nattheim)・L? 60km Katzensteinカッツェンシュタインに17:40着。(⑧Burg Katzenstein)
写真はBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
アイヒャッハのSisi Schlossシシーの城を13:10に出発。
次もヴィッテルスバッハ家の町で、L?・B300で24kmのFriedbergフリートベルクに20分ほどで着く。
写真は“Lechレッヒ渓谷の旧きバイエルン公爵都市”の名があるFriedbergフリートベルクの旧市街図など -
<Friedbergフリートベルク観光>
13:30~13:50
"Wittelsbacher Land"ヴィッテルスバッハ地方にあるフリートベルクも中世の景観が残る町である。
1264年、バイエルンのヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ2世公爵が築いた町で“Lechレッヒ渓谷の旧きバイエルン公爵都市”の名がある。
人口28千人。
写真はFriedbergフリートベルク:マルクト広場の中央に聖母マリアの噴水(1600年頃) -
イチオシ
1568年に公妃クリスティーネがフリートベルク城を夫の死後の居館に定めたことにより、バイエルンの宮廷生活がこの地にもたらされた。
しかし、それから1世紀の間に最盛期は突然終わりを迎えた。
1599年にこの街でペストが流行し、三十年戦争ではスウェーデン軍によって2度(1632、1646年)にわたり、町はほぼ完全に破壊されたのである
見所はヴィッテルスバッハ城と城内博物館、市城壁、マルクト広場、聖母マリアの噴水(1600年頃)、後期ルネサンス様式の市庁舎(1674年)。
アイヒャッハ通りから、町の中心のマルクト広場に行くと、そこには美しく、独特のファザードをもった市庁舎と、広場の中央に聖母マリアの噴水がある。
写真はFriedbergフリートベルク:後期ルネサンス様式の市庁舎(1674年) -
旧市街から坂道を下り、レヒ川沿いから市城壁(1409年)、給水塔(1888年)を眺めた。
この町は簡単に済ませたが、観光にも軽重を付けざるを得ないのが辛いところだ。
http://www.friedberg.de/
写真はFriedbergフリートベルク:レヒ川沿いから眺めた市城壁、給水塔 -
参考;
Museum im Wittelsbacher Schlossヴィッテルスバッハ城内博物館
フリートベルク城は1257年に築城された。現在の建物は99%近くが16世紀のもので、現在は町が所有する。開館;火~金14時~18時、土・日 11時~17時。17~8世紀の時計のコレクション、18世紀の陶磁器の展示など。
http://www.museum-friedberg.de/
"Wittelsbacher Land"ヴィッテルスバッハ地方 http://www.wittelsbacherland.de/
【Lechレヒ川】
レヒ川はオーストリアとドイツを流れる河川。
ドナウ川の支流で、長さは264km。水源はオーストリアの西であるチロル・Vorarlbergフォアアールベルク州のFormarinseeで北北東に流れて、ドイツとの国境で高さ12mのレヒ滝"Lechfall"を形成し、その後狭い渓谷となり、シュヴァーベンやオーバーバイエルン地方を流れていく。
ドイツ国内ではFuessenフュッセン、Landsberg am Lechランツベルク・アム・レヒ 、Augsburgアウクスブルクなどを通り、ドナウ川に合流する。
写真はフリートベルク:ここのレヒ川は細いが、川沿いの景観は美しい。 -
イチオシ
フリートベルクからアウトバーンA8に乗り、アウクスブルクを過ぎるとウルムとの間は長々とした距離が工事中(2015年9月まで時速80~120km制限が続く)だった。
51kmでイェッティンゲン・シェップパッハのイェッティンゲン城前に50分で到着した。
旅行前にシュタウフェンベルク伯爵がここで生まれたと知って、是非訪れてみたいと思った。
≪Jettingen-Scheppachイェッティンゲン・シェップパッハ≫
Mindelミンデル(ドナウの支流・78km)川が中央を流れる。
人口6.7千人の町。
http://www.jettingen-scheppach.de/
<Schloss Jettingen イェッティンゲン城> 23番目の城
14:40~14:50
Schlossstrasse 6
1907年11月15日、この城で Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵*(ヒトラー暗殺に関与したとして銃殺)が生まれた。ドイツの英雄である。
2000年に英国風の庭園がある城は売却され、Hieronymus Graf Wolff Metternichヒエロニムス・ヴォルフ・メッテルニッヒ伯爵が現在の城主である。
城門の前まで行ったものの、私有地の為、城門は固く閉ざされ、中を窺い知る事は出来なかった。写真を一枚、記念に撮っただけだ。
写真はJettingen-Scheppachイェッティンゲン・シェップパッハ・Schloss Jettingenイェッティンゲン城の正門前で -
1480年にHans von Stain シュタイン家のハンスにより、当初、水城として築城された。
シュタウフェンベルク家はシュヴェービッシェ地方の古くからの貴族の一門であったが、1716年、Johann Albrecht Freiherr Schenk von Stauffenbergヨハン・アルブレヒト・シェンケ・シュタウフェンベルク男爵がこの城を取得した。
その後、1747年から一族のシュタウフェンベルク伯爵家が保有した。
写真はStauffenberg_Schloss:Schloss Jettingenイェッティンゲン城 -
黒い森の東に人口1800人のLautlingenラウトリンゲンの小さな村がある。
ここのSchloss Lautlingenラウトリンゲン城はかつて一族が居城とした所で、クラウス・フォン・シュタウフェンベルグ伯爵一家が1942年の夏、休暇を過ごした写真がある。
ラウトリンゲン城は現在、村の所有になっているが、シュタウフェンベルグ礼拝堂が作られ、今も毎年7月20日(ワルキューレ作戦:ヒトラー暗殺実行作戦の日)には記念祭が催されるそうだ。
ラウトリンゲン城も訪れてみたいものだ(2015年7月に念願をかなえている)。
写真はClaus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵の写真 -
*クラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵については番外編参照;
http://de.wikipedia.org/wiki/Schloss_Jettingen
参考;Hotel Schloss Sindlingen 古城ホテル ジンドリンゲン
D-71131 Jettingen-Sindlingen 、Schlossstrasse 10
Tel:+49 (0)7032 - 54 34 u. 95 28 60 Fax:+49 (0)7032 - 2 28 04
http://www.schloss-sindlingen.de/
昼食に立ち寄りたかった500年の歴史を持つ古城ホテル。
全22室、Euro60~100。
乗馬学校がある。
写真はSchloss Jettingen イェッティンゲン城:暖炉の間 -
写真はSchloss Jettingenイェッティンゲン城 :図書館
-
イェッティンゲンからウルムは近い。48kmでウルムに到着だ。
<Ulmウルム観光>
15:45~16:30
ウルムはバーデン・ヴュルテンベルク州南部にある人口12万人の都市だが、訪れた回数は意外に少ない。
近隣の都市に約70km東にアウクスブルク、55km西にロイトリンゲン、70km北西にシュトゥットガルトなどの観光地がある所為だろう。
ドナウ川沿いに位置し、中世より交通・交易の要所として栄えた。
12世紀には帝国都市となっている。
写真はUlmウルムの旧市街図 -
1805年10月17日、20万を超えるナポレオンのフランス軍がバイエルン公国領であったウルム郊外で半分の兵力のオーストリア軍を撃破した。“Schlacht von Ulmウルムの戦い”である。この2ヶ月後、ナポレオンはSchlacht von Austerlitzアウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア連合軍に大勝した。
第二次世界大戦で旧市街の80%程が破壊される打撃を被ったが、大聖堂は無事であった。
Albert Einsteinアルベルト・アインシュタインの生まれた町として知られている。
写真はUlmウルム:アルベルト・アインシュタインの生まれた町 -
ウルムはドイツでは早口言葉でも有名;
In Ulm, um Ulm, und um Ulm herum。
Ulmer Lieder:
https://www.youtube.com/watch?v=KukAhqhUVAI
写真はUlmウルム:1493年の絵 -
<観光名所>
今回も町をそっと撫ぜた様な観光になった。
大聖堂、市庁舎、漁師の一角を見ただけだ。
事前によく調べておいたパン文化博物館やウルム宣誓所などは、結局、何も見ないままに終わった。
ここは次回もなさそうなのだが・・・。
写真はUlm_mit_Donauドナウ川沿いに立つMuensterミュンスター(大聖堂)
参考;
Ulmer Schwoerhaus ウルム宣誓所:
1613年に建設された。1785年にバロック風に改築され、1944年第二次大戦で罹災し、1954年に現在のように再建された。
かつて、帝国自由都市の時代にウルムのPatrizierパトリツィア(ローマ時代はPatriciusパトリキ・都市貴族=大商人)の代表である市長とZuenftツンフト手工業者ギルドとが町の権力争いをして、その結果、町の議会で町の憲法(制度)を取り決め、宣誓した。
ここでの出来事を記念したシュヴェーレンの祭りは1933年が始まり、町最大の祭りになっている。Schwoermontagシュヴェーレンの月曜日祭りは4年毎に、7月の最後から2番目の月曜日に催される。
14世紀、中世の衣装を身にまとった人たちが街中を踊りながら、練り歩く。特に中世伝統のFischerstechenフィッシャーシュテヒエンは人気のあるもので、それはドナウ川で小舟に乗った人たちがお互いに竿で突き落としあう競技をする。
≪Zunftkaempfeツンフト闘争≫
中世後期の西欧(特にドイツ)において、大商人によって独占されていた市政運営への参加を求め、手工業者が手工業ギルド(同職ギルド)を組織して起こした闘争である。
13世紀末よりドイツやネーデルラントの各都市において、ツンフト闘争が展開された。
ウルム(1327年)、シュパイヤー(1330年)、アウクスブルク(1368年)などの都市においてはツンフト闘争を成功させ、手工業ギルドの親方が市政への参加を果たした。
しかし、失敗に終わることも多く、マクデブルク(1301年)では首謀者らが捕らえられて公開火刑に処され、ケルン(1371年)でも30人強の織物工が処刑された上、関係者への追及はそれからも続いた。このように、大商人による寡頭体制が維持された都市も多く存在したと云う。
Metzgerturm肉屋の塔:
1340年建設。“ウルムのスレートの塔”とも呼ばれる。
Museum der Brotkulturパン文化博物館:
ドイツのパンの歴史。開館;10~17時。
Salzstadelgasse 10 (近くにパークハウスあり)
http://www.museum-brotkultur.de/ -
イチオシ
Muensterミュンスター:
大聖堂の中心にある世界一高い(161.53m)塔は768段ある。
このゴシック様式の大聖堂は1377年より建設が開始され、1890年にようやく完成した。
聖席の木彫り。ドナウ川沿いに立つ姿は実に美しく、ウルムっ子が自慢するのも分かる。例の如く、塔には登っていない。
写真はMuensterミュンスターの全景を漸くとらえた。ウルム大聖堂 寺院・教会
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写真はウルムのMuensterミュンスター前の泉
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写真はMuensterミュンスター:堂内の聖壇
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写真はMuensterミュンスター:堂内のパイプオルガン
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写真はMuensterミュンスター:聖席の木彫り
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写真はMuensterミュンスター:聖壇
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Fischer und GerberViertel漁師と皮革工の一角:
Schiefes Haus傾いた家、Alten Bruecke古い橋、ドナウ川岸沿いの市城壁、一帯は絵画的な美しさをもった場所。
写真はウルム:漁師と皮革工の一角 -
漁師の一角に近い、中州上にあるレストランGerber-HausとかDrei Kannen - historisches Brauhausなどで食事を考えていたが、結局、ハールブルク城見学が響いて、先を急ぐことになってしまった。
http://gerberhaus-ulm.de/ 、http://www.dreikannen.de/
写真はウルム:漁師と皮革工の一角漁師の一角 散歩・街歩き
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Rathaus市庁舎:
1370年に最初に建てられ、以降度々改装されている。
南側の壁面には各地の紋章がフレスコ画で描かれ、東面には1520年製の天文時計が今も正確に時を刻む。
写真はフレスコ画が描かれたRathaus市庁舎市庁舎(ウルム) 建造物
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16:30ウルムを出発し、B19・A7(Langenau-Albeck)・B466(Nattheim)・L? 60km Katzensteinカッツェンシュタインに17:40到着。
村に入ると海抜538mの高台に、古城らしい城砦が実に好ましい姿で、目の間に出現した。
さて、ここでとんだ事になってしまった。
写真は古城ホテルBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城 -
≪カッツェンシュタイン城(猫城)でパニックになる≫
村内から高台の道を上がり、早速、城内に車を乗り入れた。
すると思ったより狭い中庭では、ドイツ人の一団がビールを飲みながら歓談中だった。突然の乱入者?=車に皆びっくりした顔をしていたが、こっちも吃驚だ。
ハールブルク城のように城門は狭い道を入るが中庭は広く、車の駐車スペースが十分にある所から来た為、古城ホテルでもある猫城が、これほど狭いとは考えも及ばなかったのだ。
出てきたホテルの女主人が血相を変えて“ここは車が入る所ではない!直ぐに出て行きなさい!”と、かなりの剣幕で怒鳴られた。
“私は今晩のゲストだ。”と言う言葉も耳に入らぬような様子だ。入ってはいけない所に入り込んで、私もパニックになり、慌ててバックするが、狭い場所なので、簡単にはいかない。とりあえずトランクを降ろし、近くの重い鉄製の椅子をどけて、さー、バックをしてみる。
所が慌てている所為か、ハンドルを切りながらバックをしてみると、左手にあった小さな小屋に接触しそうになる。
ドイツ人の一団はこちらの様子を見て、大声で笑っている。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城の雄姿 -
女主人があれこれと指図するが、どうも上手くいかない。ホテル棟側にバックして、車を反転しようとハンドルを切れば切るほど、小屋に車が近づき、小屋とは5cm近くまでいき、接触寸前になってしまった。参った!と天を仰いだ。
すると、一団の中から、見かねた30代後半と思われる男性が、椅子から立ち上がり、“運転を変りましょうか?!”と言ってくれた。
“助かります!これレンタカーなので・・・”“分かっていますよ!”救世主!現るということで、右手のドアから出て、運転を変ってもらう。
Herr Yens Preissnerイエーン・プライズナーさんは“オートマチックの車は25年ぶりだ!”と言いながら、横に座った私に幾つか車の特徴を聞いて、少しずつまっすぐ後ろに下がり始めた。
そのまま、狭い城門を抜けて、ひらけたところにある駐車場まで車を運転してくれた。
感謝の言葉を何度も繰り返す私に“どうという事ではありませんよ!”と颯爽と、先ほどの一団の方に戻って行った。
写真はパニックとなった古城ホテル カッツェンシュタイン城:こちらに大きな駐車場があった。 -
イチオシ
ホッとして、ホテルに戻ってみると、家内はもう部屋に案内されていて、心配そうに待っていた。
トランクも女性スタッフが2階の12号室に持ち上げてくれたと言う。
女主人に“彼にお礼をしたいが、失礼だがEuro50ぐらいで良いのだろうか?”と聞いてみると、“それだったらEuro20で良いでしょう。”と、“私が彼に渡しておくよ!”
先ほどの剣幕は何処かに行ってしまって、親切にもそう言ってくれた。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:この道が城内に入る道だが、右手にある車は城内の改装をしていて、城内に行き来していたから、私もつられて入ってしまったのだったが。 -
<⑧ 古城ホテル Burg Katzensteinカッツェンシュタイン城>
この旅24番目の城。
D-89561 Dischingen - Katzenstein 、Burg Katzenstein 1-3
Tel:49(0)73 26 - 91 96 56 、Fax:-96 35 24 、
全9室・12号室(2階)Euro86(9,205円)。
(注)Burgschaenkeの夕食は18時まで。カードシステムが不調で現金払い。
http://www.burgkatzenstein.de/index.php
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:猫印の碑が立つ。 -
騎士の古城群の中でも“真珠”と謳われているBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城はロマンチック街道のネルトリンゲンから南西27kmにある。
海抜538mの高台にある、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の城郭内には1000年頃に建てられたロマネスク様式のBergfried天守閣、17世紀のPalasパレスが残る。
高さ18m・厚さ3mの天守閣は“Katzenturm猫の塔”の異名もある。かつての緊急時の避難塔としての役割を示す、高さ約8mの所に出入口がみてとれる。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:狭い城門 -
言い伝えによるとNeresheimネレスハイム僧院の建設者であったHerzog Tassilo III von Bayernバイエルン家のタシロ3世(カール大帝の従兄弟)が777年に建てたと云う。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:狭い中庭と城門、小屋 -
その他、見所は後期ロマネスク様式の①Burgkapelle Hl. Laurentius礼拝堂には13~5世紀のフレスコ画の壁画が残っている。
騎士たちが酒宴を開いた②Jagtzimmer狩猟の間、
ロマネスクの丸天井の部屋は30mの深さの③Brunnenstube井戸がある部屋、
かつてカッツェンシュタインの騎士が居住した④Staufersaalシュタウフェン広間などだ。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:刑罰台・・・いつもながら囚人になりたがる。 -
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:ホテル・レストラン棟・・・1階にレストラン、事務所、2階にホテルの部屋がある。全9室だから小さなものだが、これほどの田舎に来る宿泊客はそう多くはあるまい。
-
城の歴史:
1099年、Herren von Cazzenstein カッツェンシュタインの騎士が、初めてこの地に築城した。
後にGrafen von Dillingenディリンゲン伯の領地となり、1262年には新たな城主のEdlen von Huernheimヒュルンハイム家のエドレンが、この城の名に家の名を付けてHuernheim-Katzensteinヒュルンハイム・カッツェンシュタインと名付けた。
この城は文献によると、ハールブルク城とは異なり、1648年の30年戦争の終わり頃、仏軍とスウェーデン軍の攻撃で、再建の道が閉ざされてしまうほど、破壊されたという。
その後、1669年にGraf Friedrich Wilhelm Ernst zu Oettingen-Baldernエッティンゲン・バルデルン家のエルンスト伯により再建されてから、1939年までの270年の長い間、エッティンゲン・バルデルン家、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の分家が、居城とした。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:ホテル・レストラン棟の壁に -
2008年、Familie Michael & Roswitha Walterヴァルター夫妻がカッツェンシュタイン城を所有し、古城ホテルや博物館をオープンした。
各地を訪れると、古城には伝説の一つ二つがある。とりわけ隠された宝物伝説がつきもだが、このカッツェンシュタイン城にもありました(その話は次回に)。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:博物館となっている。 -
<夕食:カッツェンシュタイン城のBurgschaenkeブルクシェンケで>
17:55~18:40 Euro 28.7(3,072円)
レストランの夕食は18時まで、17時着、17時半早い食事の予定にしていたが、上述したトラブルもあって遅くなってしまった。
先ほど私共のトラブルを笑っていた団体客10名ほどが食事中だったので、私共も遅い時間でも幸い食事ができた。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:レストランは城に因んだ猫だらけの窓辺 -
飲み物;ビール・ピルツ0.5L、0.3L
メイン;Gulaschsuppeグーラシュズッペ、サラダ、炒めたジャガイモ添え。
ずっと汗をかきながら、食事をした思いが残る。
とはいえ、料理は美味しかった。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:好物のGulaschsuppeグーラシュズッペを食べた。 -
イエーンズ・プライズナー氏も団体に交じって、コーラを飲んでいたが、団体とは元々一緒では無かったようで、泊るわけではなく、これから帰るとのことで、メールのアドレスを交換し、私と写真を撮り、改めて彼の親切に感謝した。
別れにあたって、“あのようなお礼は不要だったのに・・・”と言われた。
彼の職業やら、この古城には何の目的で訪れたとか?聞かずじまいにしてしまった。帰国後、もちろん礼状と共に写真を送った。
彼が住む町はSchoenewoerde シェーネヴェルデ。
帰国して、調べてみるとシェーネヴェルデはニーダーザクセン州のGifhorn ギフホルン地方の町Samtgemeinde Wesendorfヴェーゼンドルフの一地区(人口900人)のようでした。
また、シェーネヴェルデは自然公園・Suedheide南ハイデとElm-Lappwaldエルム・ラップバルト間にあり、Uelzen ウルツェン- Braunschweigブラウンシュヴァイク間を走る国道4号線の東に位置する。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:天の助けHerr Yens Preissnerイエーン・プライズナーさん -
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:冬景色とクリスマス風景
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夕食後、古城ホテル内や周辺を散策した。
よくよく見てみたが、城内の中庭が広く感じた。車に乗っているのと、歩いているのでは広さ感覚は全く違うらしい。
城門等を見ても、車の侵入は不可といった掲示は全くなかったのだが・・・。
部屋に戻って、ベッドに横になったら、3時間も寝てしまった。
やはり245kmの長距離を走った事と、あのパニック騒動で疲れていたらしい。
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:12号室(2階)・現代的な普通のホテルだ。 -
写真は古城ホテル カッツェンシュタイン城:12号室(2階)・一応何でも揃っていたが、古城好きとしてはちょっと残念だった。
・・・・・・・・・・・
明日はカッツェンシュタイン城内の自由見学をする。
それから 8km先のKloster Neresheimネレスハイム修道院(ヨハン・バルタザール・ノイマンの作品:1747年から1792年)を見学する予定だ。
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この旅行記へのコメント (6)
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- M-koku1さん 2021/07/05 07:09:36
- 自動車で奮戦されましたか(@_@)
- jijidarumaさん
前回読んだ旅行記の一つ前がこれですね!
大変だったという詳細がわかり、そういうことだったんだ!と納得しました。
今の車のようにバックがモニターできれば全然問題なかったでしょうに、大変でしたね。
jijidarumaさんでもお手上げなんて、信じられません。どう見ても大ベテランさんですから、やはり原因は慣れないレンタカーの車種ということになるんでしょうね。
罪人になりたかったのに 足枷はやらなかったようで、大人の対応というところかしら。娘なんて若さからか ああいうのを見つけると 足まで入れて写真をとっていました。私はそのまま抜けなくなってしまいそうな気がして、一度もやったことがありません。w(°o°)w
猫の飾り物でいっぱいのホテル猫城 いつか泊まってみたいものです。猫城からは 鼠城が見えましたか?
確か向い合せにあったような記憶があるのですが。
早口言葉は歌だったんですね。てっきり言うだけの早口言葉だと思ったのですが、ドイツ語のわからない身としては、どう難しいのか、わかりませんでした。(•‿•)
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2021/07/06 00:16:57
- Re: 自動車で奮戦されましたか(@_@)
- M-koku1さん
今晩は。いつもありがとうございます。
車の運転は1974年にドイツで免許を取ってからですから、もう47年近くになりますね。ドイツの駐在・旅行で走った距離は凡そ20万km、そこそこ走りましたが、運転は自分で言うのもなんですが、上手くないのです。
レンタカーは初めてのルノー・セニックで、感傷旅行11回目に初めてナビ(ドイツ語)を利用した。
ドイツのアウトバーンを一定速度で真っすぐ慎重に走る事は違和感もなく走れます。運転の上手いドイツ人の中で走ると、自分が下手でも何となく様になってしまいます。例の縦列駐車をほとんどやらないドイツ、駐車場も広く(日本のように狭い場所でバックで駐車することもしない)車を頭から駐車させるなども普通にやりますから上手にならなかったのかもしれません。そのおかげで日本でも他人の迷惑そっちのけでドイツ流にやっています(笑)。
猫城(Burg Katzブルク カッツ、正式名称をBurg Neu-Katzenelnbogenブルク ノイ・カッツェネルンボーゲン)からは 鼠城(Burg Mausブルク マウス、正式名称をBurg Peterseckペテルスエック城といいます)が見えましたか?確か向い合せにあったような記憶があるのですが。=>
お書きになった上記の古城群はライン川畔の古城群で、ユネスコ世界文化遺産『ライン渓谷中流上部』の一部となっています。
当旅行記の名前がちょっと異なるBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城なのです。
シシーの城から、カッツェンシュタイン城に車を走らせ、ドタバタ劇の旅行記は
①英雄シュタウフェンベルクの生誕城訪問と、カッツェンシュタイン城のパニック騒動、
②カッツェンシュタイン城見学では城の幽霊バルドリアンにチップをねだられた!(財宝伝説)
③番外編:伝説が真実になるとき!・・・偶然にカッツェンシュタイン城の宝物が発見された。(結構時間をかけて調べたものです)
の順に3部作ですから、多分③はまだ御読みではないでしょう。
それではまた。
jijidaruma
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- sanaboさん 2021/06/23 00:08:29
- 救世主、現る!
- jijidarumaさん、こんばんは
旅行記のタイトルを拝見した時、何事(チェアリフト以外は!笑)にも
冷静沈着でいらっしゃるjijidarumaさんがパニック状態に陥られたとは
考えられなかったのですが、事の次第を拝読し「レンタカー旅アルアル」だと
思いました。
古城ホテルの狭い城門を進んだ先には、普通広い中庭があると思いますよね。
運転を代わって下さった方は正しく救世主、ほんとに助かりましたね。
それにしてもお礼に50ユーロ(実際には20ユーロでしたが)と
お考えになられたjijidarumaさんの太っ腹ぶりにも驚きました。
我が家もイタリアのホテル内の狭い地下駐車場(しかも所々に柱がある!)から
車を出すのに苦労し、宿泊者の方に運転を交代していただいたことがあります。
ある時は、我が家は不可能と判断した縦列駐車のわずかな隙間に
キュキュッとわずか2回の素早い切り返しで見事に駐車した様子に
目を奪われ、さすがヨーロッパ人だと驚いた記憶があります。
先日観た旅番組にミルテンベルクやロマンティック街道沿いの街が
出てきました。ドイツの木組みの家並みはやっぱりいいですね。
カッツェンシュタイン城でjijidarumaさんが召し上がったグーラシュズッペは
私の大好物でもありますので、 是非またドイツを訪問しなくては♪
来年のヨーロッパ旅行はどうなのでしょう、まだ微妙な感じですね。
どうやらこのままオリンピックも強行しそうですし、その後の
感染拡大も気がかりです。
ワクチン接種を無事終えられ、お元気で過ごされますように☆
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2021/06/23 13:27:07
- Re: 救世主、現る!
- sanaboさん、
今日は。早々のコメントありがとうございました。
ドイツの旅も度々していると、様々なことが起こります。
そしていつも「反省と悔やみ」と、少々の「愚痴」をもって、
旅日記を書いています。
救世主は実に良い人でした。50ユーロも惜しくはない気持ちは
その当事者でないと、理解できないでしょう。
大きな彼がより大きく、偉大な人に思えたものです(苦笑)。
さて、ボッパルトや大室山のチェアリフトに書いたような事柄、
ドイツの隣人の緊急時に慌てて駄をはいた!話も似たようなもので、
緊急事態には弱いのですよ。家内から羅列される話は多いのです(笑)。
欧州人は運転が上手いから、私は遠慮せず、助力を願います。
この時効力があるのは我が「白髪」ですね^^。
ドイツの旅は無理でしょう。大学のクラス会、格闘技の4期会、
高校野球部の14期会、皆、2年続きで断念しています。
私共のワクチン接種は5月21日、6月11日と完了しました。
90歳の恩師も7月末に第一回、友人たちもまだ未接種の方も多く、
オリンピックどころの気分ではなく、大変な状況ですよ。
それではまた、お元気で、ありがとうございました。
jijidaruma
・・・・・
ご参考:
私共のファイザーワクチン接種予約・接種・接種後の副反応について
当市(人口13万)は4月26日、8時半きっかりワクチン接種申し込みが開始されました。予約方法は電話とWebの申し込みで、高齢者数3.2万人と多いことから、私共もまず無理だと思いました。その日は2人分という事でパソコン2画面を開き、更に電話を利用し、午前8時半の開始時間に申し込みしました。
予想通り、いずれの手段も申し込みが殺到してつながらず、市役所側はパンク状態の為、直ぐ断念しました。
その日の午後になって、朝の状況に変化もあるかなと思い、試しにWebで試してみると、なんとこれがつながり、予定の場所ではなかったのですが、 自宅から10㎞の距離の場所で5月21日(金)14時、夫婦二人分が同一場所、同一日時で、第一回の予約が完了しました。第二回目は一回目の接種が終わった段階で、優先的に6月11日(金)同じ場所、14時半で予約が出来ました。
接種の日は第一回、第二回とも、市の地区体育館で担当者の無駄のない対応をして頂き、所要時間50分で終了した。
①受付で検温(予診票記入第一回36.2℃&36.3℃、第二回36.0℃&36.1℃)。
②持参書類の提示・本人確認。
③テント個室内で医者の予診(予診票を見せて、体調や既往症など口頭での確認)を受け、④に移動。
④テント内個室で医者が利き腕でない方にワクチンを接種。
⑤接種後、別の場所に移動。ワクチン接種後の副反応の有無につき、15分間席に座って観察された。特に症状が無いと、⑥の席に移動。
⑥第一回接種完了済みのシール貼り付け、次回予約の手続きを行って、即時帰宅した。
同様に、第二回も接種完了済みのシール貼り付けで、全てが完了し、帰宅した。
尚、接種完了に伴う副反応(例えば発熱、倦怠感、頭痛など、年齢・男女、既往症などで副反応の発生に差があるらしい)のことだが、私共の場合、第一回目では接種場所の腕が少し熱を帯び、徐々に腕の上げ下ろしがしにくくなった。
私はこの症状は翌日には無くなったが、家内の方は3日間かかったそうだ。
体温が上がる発熱、頭痛はなく、ちょっと倦怠感を感じたぐらいで終わった。
第二回目の接種は第一回目と違って、全く副反応がなかった。
第二回の副反応はキツイ症状が出ると聞いていたから、大変意外であった。
(2021年6月16日:近況報告で恩師、友人たちに送ったものの抜粋)
当市の65歳以上の高齢者の接種希望者は3万人の内1万人ほどで、いまだに35.68%であること(多くの老人は接種の希望をしていないのか、手続きの煩雑さに困惑しているままなのかよく分かりませんが・・・)に驚きました。
私共が完了した6月11日現在、1回目完了者が28.93%、2回目まで完了者4.28%になっています。接種が完了したので、少しは行動半径も広くなりそうです。
ワクチン接種は秋口までに希望者すべてが接種済みとなる予定と、政府は言っていますが、さてどうなるのでしょう。
XXX
- sanaboさん からの返信 2021/06/24 00:42:18
- ご返信、ありがとうございます。
- jijidarumaさん、こんばんは
奥様とともに2回目の接種を無事終えられ、ホッとされたことでしょう。
副反応も想定内の軽い症状で済み良かったですね。
それにしてもお住いの市では65歳以上の接種希望者が3分の1とは
様子見をされている方がいらっしゃるにしても少ないですね。
私の知人やご近所の高齢者の方たちはほとんど皆さん接種を希望され
かかりつけ医で受ける方が多いようです。
東京はここのところ、前の週の同じ曜日を上回る感染者数が続いてますし
ワクチン接種効果による感染者減少はまだまだ先のことになりそうですね。
引き続きご自愛の上、どうぞお元気でお過ごし下さいませ☆
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2021/06/24 01:35:22
- RE: ご返信、ありがとうございます。
- sanaboさん、
今晩は。再度のコメントありがとうございました。
当市の65歳以上の人口 :3万2,830人
内接種希望者予約済み :1万4,992人
第一回接種済み :1万491人
第二回接種済み :6,053人
以上は市のHPから:6月21日現在ですが、少しずつ増えています。
そして6月下旬に、60歳から64歳の人に接種券(クーポン券)を発送。
集団接種の予約開始日時 7月1日(木曜日)という事で、65歳以下が
開始されるようです。
追記すれば、我が家の隣人は糖尿病でワクチン接種はしないとのこと、
またかつて柏市に在住していた頃の友人夫妻(80代)も同じ理由で接種
は諦めています。高齢者ゆえ、持病を持っていると気になるのでしょう。
武漢ウイルス禍、ワクチン接種の狂騒の世の中、そうした方が
おられるのもなんだかな!と感じてしまいます。
健康であることの有難味を感じる昨今です。
それではまた。
jijidaruma
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