ロマンチック街道周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅<br /><br />期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 <br /><br /><エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群を巡る><br /><br />5月20日(日); 晴、30℃、130km<br />6時起床。 7時半~8時10分朝食。ディンケルスビュールを8時45分に出発。 ->B25 36km Wallersteinヴァラーシュタイン到着・城をちょっぴり外から見た 9:30~9:45 ->L? 35km  Bopfingen - Baldernボップフィンゲン・バルデルン城に到着・見学 10:40~12:00->L?・B29 20km  Noerdlingenネルトリンゲン到着・見学 12:20~14:25 ->B466 15km  Oettingen i. Bayエッティンゲンに到着・中世祭り見学 14:50~15:45 ->B466・L? 24km  Harburgハールブルクのレストランの関係で17時必着だったが、幸い16:15に到着できた。<br />(⑥Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg)<br /><br />写真は美しいCrescentia von Oettingen-Wallerstein クレセンティア侯爵妃(1806~1853年)の肖像画<br />

ドイツ2012年・麗しの5月:エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の二人の美女。

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2012/05/15 - 2012/05/29

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jijidaruma

jijidarumaさん

Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

<エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群を巡る>

5月20日(日); 晴、30℃、130km
6時起床。 7時半~8時10分朝食。ディンケルスビュールを8時45分に出発。 ->B25 36km Wallersteinヴァラーシュタイン到着・城をちょっぴり外から見た 9:30~9:45 ->L? 35km  Bopfingen - Baldernボップフィンゲン・バルデルン城に到着・見学 10:40~12:00->L?・B29 20km  Noerdlingenネルトリンゲン到着・見学 12:20~14:25 ->B466 15km  Oettingen i. Bayエッティンゲンに到着・中世祭り見学 14:50~15:45 ->B466・L? 24km Harburgハールブルクのレストランの関係で17時必着だったが、幸い16:15に到着できた。
(⑥Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg)

写真は美しいCrescentia von Oettingen-Wallerstein クレセンティア侯爵妃(1806~1853年)の肖像画

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • *6日目の朝は日曜日。<br />朝食の前に人のいない道からドイチェスハウスをもう一度見た。<br />朝日があたり、向かい側の三角の建物の影が下半分を隠していたが、綺麗なものだ。幾分、木組みの家も小麦色の壁、こげ茶色の木組みが色あせていて、パンフレット等で見る感じとは違う。<br /><br />写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス

    *6日目の朝は日曜日。
    朝食の前に人のいない道からドイチェスハウスをもう一度見た。
    朝日があたり、向かい側の三角の建物の影が下半分を隠していたが、綺麗なものだ。幾分、木組みの家も小麦色の壁、こげ茶色の木組みが色あせていて、パンフレット等で見る感じとは違う。

    写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス

    ホテル ドイツ ハウス ホテル

  • 2階の中央部分に17世紀の美しい聖母子像があり、カメラに撮った。金の冠、金色の光背に鮮やかな青衣が目立ち、聖母マリアは美しい。<br /><br />写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:17世紀の美しい聖母子像

    2階の中央部分に17世紀の美しい聖母子像があり、カメラに撮った。金の冠、金色の光背に鮮やかな青衣が目立ち、聖母マリアは美しい。

    写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:17世紀の美しい聖母子像

  • 昨夜のメインレストラン Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランで7時半~8時10分朝食をとる。<br /><br />写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランの朝食

    昨夜のメインレストラン Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランで7時半~8時10分朝食をとる。

    写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランの朝食

  • 預けてあったレンタカーが届いて、ホテル前を8時45分に出発。<br /><br />写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランで朝食

    預けてあったレンタカーが届いて、ホテル前を8時45分に出発。

    写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:Altedeutsches Restaurant古きドイツレストランで朝食

  • まずゼークリンガー門を抜け、左折し、アルテ・プロムナーデの駐車場に行った。菩提樹の並木道を散策する人、ジョギングする女性と、朝からドイツ人たちは気分よさそうで元気だ。途中の濠を渡る木橋があり、旧市街側にWaechterturmヴェヒター塔(監視塔)があった。<br />旧市街の市壁の南に沿う散策路はディンケルスビュールの牧歌的な旧市街を見渡すことができ、数々の塔、旧市街を囲む市壁、農村風景など、美しい景観があり、時間があれば、この辺りを歩くのがお薦めだ。<br /><br />写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:レセプションのDie Kinderzecheキンダーツェッヒェの場面画

    まずゼークリンガー門を抜け、左折し、アルテ・プロムナーデの駐車場に行った。菩提樹の並木道を散策する人、ジョギングする女性と、朝からドイツ人たちは気分よさそうで元気だ。途中の濠を渡る木橋があり、旧市街側にWaechterturmヴェヒター塔(監視塔)があった。
    旧市街の市壁の南に沿う散策路はディンケルスビュールの牧歌的な旧市街を見渡すことができ、数々の塔、旧市街を囲む市壁、農村風景など、美しい景観があり、時間があれば、この辺りを歩くのがお薦めだ。

    写真はディンケルスビュール・ドイチェスハウス:レセプションのDie Kinderzecheキンダーツェッヒェの場面画

  • さて、本日はエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群を巡る事にしている。この城はこの旅で調べた結果、いろいろと目に付いた古城である。<br /><br />ロマンチック街道の北半分でも通常では、ヴュルツブルク・ローテンブルク・ディンケルスビュール・ネルトリンゲン・アウクスブルクが主な観光地となってしまい、ホーエンローエ家、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群には殆ど訪ねる事は無い。B25の国道を36km南下すると、初めの城Wallersteinヴァラーシュタイン城に至る。<br /><br />写真はロマンチック街道図

    さて、本日はエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群を巡る事にしている。この城はこの旅で調べた結果、いろいろと目に付いた古城である。

    ロマンチック街道の北半分でも通常では、ヴュルツブルク・ローテンブルク・ディンケルスビュール・ネルトリンゲン・アウクスブルクが主な観光地となってしまい、ホーエンローエ家、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の古城群には殆ど訪ねる事は無い。B25の国道を36km南下すると、初めの城Wallersteinヴァラーシュタイン城に至る。

    写真はロマンチック街道図

  • 写真はWappen_Wallersteinヴァラーシュタインの紋章<br /><br />赤の上部、金色の下部と、二分された紋章である。銀色の山形の垂木<br />が下と上に向かい、上下の分割線中央で先端が突っつき合っている<br />形状は独特のものだ。<br /><br />

    写真はWappen_Wallersteinヴァラーシュタインの紋章

    赤の上部、金色の下部と、二分された紋章である。銀色の山形の垂木
    が下と上に向かい、上下の分割線中央で先端が突っつき合っている
    形状は独特のものだ。

  • <Wallersteinヴァラーシュタイン観光><br />9:30~9:45<br />この村は人口3,400人でネルトリンゲンの北6kmにある。<br />かつてはイタリアとフランクフルトを繋ぐ商人・巡礼者たちの交易路であり、巡礼の道であったと云う。<br />村の付近一帯は1500万年前に隕石の衝突によって形成されたもので、リース盆地と呼ばれる。<br /><br />その村の中心に、65mの丘があり、その上にエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家のヴァラーシュタイン宮殿がある。<br />個人所有の為か、村の中では城への案内が目だたない。<br /><br />写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:俯瞰

    <Wallersteinヴァラーシュタイン観光>
    9:30~9:45
    この村は人口3,400人でネルトリンゲンの北6kmにある。
    かつてはイタリアとフランクフルトを繋ぐ商人・巡礼者たちの交易路であり、巡礼の道であったと云う。
    村の付近一帯は1500万年前に隕石の衝突によって形成されたもので、リース盆地と呼ばれる。

    その村の中心に、65mの丘があり、その上にエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家のヴァラーシュタイン宮殿がある。
    個人所有の為か、村の中では城への案内が目だたない。

    写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:俯瞰

  • 1238年、この村は初めてシュタインハイム (Steinheim) として記録されている。<br />1250年頃に城が築かれ、Oettingenエッティンゲン家の所有に移された。<br />1500年、皇帝マクシミリアン1世によって都市権が与えられ、その後、Fuerst zu Oettingen-Wallerstein エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵の宮廷所在地となった。<br /><br />http://www.markt-wallerstein.de/<br /><br />写真はヴァラーシュタイン宮殿:柵越しに撮ったが、日曜日で閉まっていた。

    イチオシ

    1238年、この村は初めてシュタインハイム (Steinheim) として記録されている。
    1250年頃に城が築かれ、Oettingenエッティンゲン家の所有に移された。
    1500年、皇帝マクシミリアン1世によって都市権が与えられ、その後、Fuerst zu Oettingen-Wallerstein エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵の宮廷所在地となった。

    http://www.markt-wallerstein.de/

    写真はヴァラーシュタイン宮殿:柵越しに撮ったが、日曜日で閉まっていた。

  • <Schloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿(城)<br />この旅⑯番目の城だ。<br />D-86757 Wallerstein 、Berg 78 <br />Fuerst- Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の本拠地である。<br />三翼とクラシックなファザードを持った建物で、現在も侯爵家が私有している。<br />この為、城内、英国様式の庭園見学は出来ない。<br />但し、事前に見学希望をすれば可能らしい。<br />私共は事前に見学希望をしていないから、当然ながら、城の門は閉まっていた。道端の高い所から、ちょっぴり中庭・城の外観を見ただけで終わった。 <br />http://www.fuerst-wallerstein.de/<br /><br />この侯爵家で目立つ人物は<br />Ludwig Kraft Ernst Karl  Fuerst zu Oettingen<br />-Oettingen und Oettingen-Wallerstein (1791 in Wallersteinに生まれ; 1870 in Luzernで死去)<br />ルートヴィヒ・クラフト・エルンスト・カール・フュルスト・エッティンゲン及びエッティンゲン=ヴァラーシュタイン侯爵(1791年~1870年)はバイエルンの政治家で、エッティンゲン侯爵家の王子でした。<br />彼は1832年から1837年までバイエルン王国の内務大臣を務めた。<br />後にAugsburgとMuenchenの名誉市民となる。<br /><br />写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:ルートヴィヒ・クラフト・エルンスト・カール侯爵の肖像画<br />

    <Schloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿(城)
    この旅⑯番目の城だ。
    D-86757 Wallerstein 、Berg 78
    Fuerst- Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の本拠地である。
    三翼とクラシックなファザードを持った建物で、現在も侯爵家が私有している。
    この為、城内、英国様式の庭園見学は出来ない。
    但し、事前に見学希望をすれば可能らしい。
    私共は事前に見学希望をしていないから、当然ながら、城の門は閉まっていた。道端の高い所から、ちょっぴり中庭・城の外観を見ただけで終わった。 
    http://www.fuerst-wallerstein.de/

    この侯爵家で目立つ人物は
    Ludwig Kraft Ernst Karl Fuerst zu Oettingen
    -Oettingen und Oettingen-Wallerstein (1791 in Wallersteinに生まれ; 1870 in Luzernで死去)
    ルートヴィヒ・クラフト・エルンスト・カール・フュルスト・エッティンゲン及びエッティンゲン=ヴァラーシュタイン侯爵(1791年~1870年)はバイエルンの政治家で、エッティンゲン侯爵家の王子でした。
    彼は1832年から1837年までバイエルン王国の内務大臣を務めた。
    後にAugsburgとMuenchenの名誉市民となる。

    写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:ルートヴィヒ・クラフト・エルンスト・カール侯爵の肖像画

  • 写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:美しいCrescentia von Oettingen-Wallerstein クレセンティア侯爵妃(1806~1853年)の肖像画<br /><br />この侯爵家で目立つ人物は夫と共に妻と娘である。<br /><br /><エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の二人の美女><br /><br /> クレセンティア侯爵妃の肖像画は1833年に、バイエルンのルートヴィヒ1世の*美人画ギャラリーに蒐集されて、展示されている。<br />ニンフェンブルク宮殿の美人画ギャラリーは見たこともあるが、38人と多いため、二人の事はヴァラーシュタイン侯爵家を調べていて、つながったものだ。<br />やはり手ぬかりなく読むことが大事なのだ。<br /><br />*ミュンヘンのSchloss Nymphenburg ニンフェンブルク宮殿の南側PavillonパビリオンにあるDie Schoenheitengalerie Koenig Ludwigs I.ルートヴィヒ1世王の美人画ギャラリーは、貴族や市民階級のミュンヘンの女性の38枚の肖像画で構成されており、そのほとんどすべてが1820年に宮廷画家に任命されたJoseph Karl Stieler ジョセフ・カール・スティーラーによって描かれました。<br /><br />Die Schoenheitengalerie Koenig Ludwigs I.ルートヴィヒ1世王の美人画ギャラリーの写真はこちらで。<br />https://de.wikipedia.org/wiki/Sch%C3%B6nheitengalerie#cite_note-12<br /><br />また、フォローしているシジュウカラさん の旅行記に「美人画ギャラリー」が出てきます。<br />ご参考に:<br />https://4travel.jp/travelogue/11657488<br />・・・・・<br /><br />*クレセンティア侯爵妃はHohenbaldernホーエンバルデルン(バルデルン城)のGarteninspektor庭園監督官の娘、Maria Crescentia Bourgin マリア・クレセンティア・ブルギンであったと云う。<br /><br />父Fuerst von Oettingen-Wallerstein Kraft Ernst クラフト・エルンスト侯爵は、 Herzog  von Wuerttemberg Ludwig Eugen ルートヴィヒ・オイゲン・ヴュルテンベルク公(領邦国家)の娘であった母Wilhelmineヴィルヘルミーネ(1764~1817年)と結婚し、王子ルートヴィヒが生まれた。<br />当時珍しい事に、ヴュルテンベルク公自身は妻と「貴賤結婚」をして、ヴィルヘルミーネなど3人の娘を得ていた。<br />それでも美男美女の二人、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵の32歳の王子ルートヴィヒと、庭園監督官の娘、17歳のマリア・クレセンティア・ブルギンとの結婚(1823年)は「貴賤結婚」に該当するだけに、結婚には障害があっただろう。<br /><br />【貴賤結婚(きせんけっこん)について】は<br />こちらで書いているのでご参考まで。<br /><br />番外編:孤独なゾフィー・シャルロッテ・フォン・オルデンブルク<br />https://4travel.jp/travelogue/11540880

    写真はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿:美しいCrescentia von Oettingen-Wallerstein クレセンティア侯爵妃(1806~1853年)の肖像画

    この侯爵家で目立つ人物は夫と共に妻と娘である。

    <エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の二人の美女>

    クレセンティア侯爵妃の肖像画は1833年に、バイエルンのルートヴィヒ1世の*美人画ギャラリーに蒐集されて、展示されている。
    ニンフェンブルク宮殿の美人画ギャラリーは見たこともあるが、38人と多いため、二人の事はヴァラーシュタイン侯爵家を調べていて、つながったものだ。
    やはり手ぬかりなく読むことが大事なのだ。

    *ミュンヘンのSchloss Nymphenburg ニンフェンブルク宮殿の南側PavillonパビリオンにあるDie Schoenheitengalerie Koenig Ludwigs I.ルートヴィヒ1世王の美人画ギャラリーは、貴族や市民階級のミュンヘンの女性の38枚の肖像画で構成されており、そのほとんどすべてが1820年に宮廷画家に任命されたJoseph Karl Stieler ジョセフ・カール・スティーラーによって描かれました。

    Die Schoenheitengalerie Koenig Ludwigs I.ルートヴィヒ1世王の美人画ギャラリーの写真はこちらで。
    https://de.wikipedia.org/wiki/Sch%C3%B6nheitengalerie#cite_note-12

    また、フォローしているシジュウカラさん の旅行記に「美人画ギャラリー」が出てきます。
    ご参考に:
    https://4travel.jp/travelogue/11657488
    ・・・・・

    *クレセンティア侯爵妃はHohenbaldernホーエンバルデルン(バルデルン城)のGarteninspektor庭園監督官の娘、Maria Crescentia Bourgin マリア・クレセンティア・ブルギンであったと云う。

    父Fuerst von Oettingen-Wallerstein Kraft Ernst クラフト・エルンスト侯爵は、 Herzog von Wuerttemberg Ludwig Eugen ルートヴィヒ・オイゲン・ヴュルテンベルク公(領邦国家)の娘であった母Wilhelmineヴィルヘルミーネ(1764~1817年)と結婚し、王子ルートヴィヒが生まれた。
    当時珍しい事に、ヴュルテンベルク公自身は妻と「貴賤結婚」をして、ヴィルヘルミーネなど3人の娘を得ていた。
    それでも美男美女の二人、エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵の32歳の王子ルートヴィヒと、庭園監督官の娘、17歳のマリア・クレセンティア・ブルギンとの結婚(1823年)は「貴賤結婚」に該当するだけに、結婚には障害があっただろう。

    【貴賤結婚(きせんけっこん)について】は
    こちらで書いているのでご参考まで。

    番外編:孤独なゾフィー・シャルロッテ・フォン・オルデンブルク
    https://4travel.jp/travelogue/11540880

  • 写真はエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵ルートヴィヒとクレセンティア侯爵妃の長女Tochter Caroline Antonie Wilhelmine Friederikeカロリーネ・アントニー王女(1824~1889年)も美しい。<br />後にHugo Philipp Graf Waldbott von Bassenheim 伯爵フーゴ・フィリップ・ヴァルトボット・バセンハイム(1820~1895年)と1843年に19歳で結婚した。 <br /><br />同じ年にジョセフ・カール・スティーラーが描いたカロリーネ王女の肖像画は、母クレセンティア侯爵妃の肖像画と共に親子二代(大変珍しい)の美人画として、バイエルンのルートヴィヒ1世の美人画ギャラリーに蒐集されて、展示されている。<br /><br />夫のフーゴ伯爵をWiki検索すると、夫の肖像画は掲載されていないが、妻カロリーネの肖像画がしっかり掲載されていたのは可笑しかった。<br /><br />尚、ヴァルトボット・バセンハイム伯爵家の支配城のBurg Pyrmontピルモント城(Koblenzコブレンツ の南西約20kmにある中世のお城ピルモント城は、ドイツ有数の名城エルツ城にも近い)に一度見物に行ったことがある。<br />

    写真はエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵ルートヴィヒとクレセンティア侯爵妃の長女Tochter Caroline Antonie Wilhelmine Friederikeカロリーネ・アントニー王女(1824~1889年)も美しい。
    後にHugo Philipp Graf Waldbott von Bassenheim 伯爵フーゴ・フィリップ・ヴァルトボット・バセンハイム(1820~1895年)と1843年に19歳で結婚した。

    同じ年にジョセフ・カール・スティーラーが描いたカロリーネ王女の肖像画は、母クレセンティア侯爵妃の肖像画と共に親子二代(大変珍しい)の美人画として、バイエルンのルートヴィヒ1世の美人画ギャラリーに蒐集されて、展示されている。

    夫のフーゴ伯爵をWiki検索すると、夫の肖像画は掲載されていないが、妻カロリーネの肖像画がしっかり掲載されていたのは可笑しかった。

    尚、ヴァルトボット・バセンハイム伯爵家の支配城のBurg Pyrmontピルモント城(Koblenzコブレンツ の南西約20kmにある中世のお城ピルモント城は、ドイツ有数の名城エルツ城にも近い)に一度見物に行ったことがある。

  • エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の支配下の城はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿(城)、Die Harburgハールブルク城とSchloss Baldern バルデルン城、Fuerstliche Residenz・Schloss Hohenaltheim 侯爵家の宮殿・ホーエンアルトハイム城(かつての水城・未公開)、Burg Flochberg フロッヘベルク城、Schloss Alerheim アラーハイム城などと、周辺一帯に数多く存在する。<br /><br />写真はWallersteinヴァラーシュタイン:このような小さな村だが大きなペスト塔がある。これも侯爵家のお蔭だろう。

    エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の支配下の城はSchloss Wallersteinヴァラーシュタイン宮殿(城)、Die Harburgハールブルク城とSchloss Baldern バルデルン城、Fuerstliche Residenz・Schloss Hohenaltheim 侯爵家の宮殿・ホーエンアルトハイム城(かつての水城・未公開)、Burg Flochberg フロッヘベルク城、Schloss Alerheim アラーハイム城などと、周辺一帯に数多く存在する。

    写真はWallersteinヴァラーシュタイン:このような小さな村だが大きなペスト塔がある。これも侯爵家のお蔭だろう。

  • 次に向かう城はSchloss Baldernバルデルン城だったが、ナビが上手くBopfingen-Baldernボップフィンゲン・バルデルンを指示せず、てこずった。<br /><br />とりあえず無視して、地図で判断して走った。<br /><br />写真はSchloss Baldernバルデルン城のマップ

    次に向かう城はSchloss Baldernバルデルン城だったが、ナビが上手くBopfingen-Baldernボップフィンゲン・バルデルンを指示せず、てこずった。

    とりあえず無視して、地図で判断して走った。

    写真はSchloss Baldernバルデルン城のマップ

  • ボップフィンゲンの町から北西5kmにあるSchloss Baldernバルデルン城は人口430人の集落にあり、遠回りしたようだが、山上にかすかに見えるバルデルン城を見つけて、ホッとした。<br /><br />写真は路傍のキリスト像の先にボップフィンゲン・バルデルン城がかすかに遠望できた。

    イチオシ

    ボップフィンゲンの町から北西5kmにあるSchloss Baldernバルデルン城は人口430人の集落にあり、遠回りしたようだが、山上にかすかに見えるバルデルン城を見つけて、ホッとした。

    写真は路傍のキリスト像の先にボップフィンゲン・バルデルン城がかすかに遠望できた。

  • 写真はWappen_Baldernバルデルンの紋章<br /><br />エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の基本色の金色の中にバルデルン城のデザインが描かれて、小高い山を意味した青の中に金色と赤の斜線の小さな楯がある。<br />

    写真はWappen_Baldernバルデルンの紋章

    エッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の基本色の金色の中にバルデルン城のデザインが描かれて、小高い山を意味した青の中に金色と赤の斜線の小さな楯がある。

  • <Schloss Baldernバルデルン城 見学><br />10:40~12:00  この旅⑰番目の城。<br />D-73441 Bopfingen - Baldern<br />Schlossparkstrasse 12<br /><br />Bopfingenボップフィンゲンの町の北西5kmの山上に立つバロック様式の城は、現在もOettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の居城の一つである。<br />ヴァラーシュタインの本城から真西に13kmの距離にあると云うから、それほど遠いわけではなかったのだが。<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:俯瞰・・・バルデルンの集落の上、緑の中に立っている。

    <Schloss Baldernバルデルン城 見学>
    10:40~12:00  この旅⑰番目の城。
    D-73441 Bopfingen - Baldern
    Schlossparkstrasse 12

    Bopfingenボップフィンゲンの町の北西5kmの山上に立つバロック様式の城は、現在もOettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の居城の一つである。
    ヴァラーシュタインの本城から真西に13kmの距離にあると云うから、それほど遠いわけではなかったのだが。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:俯瞰・・・バルデルンの集落の上、緑の中に立っている。

  • 写真はSchlos Baldernバルデルン城:俯瞰1・・・周辺に8ヘクタールの大きな英国風 Schlosspark城庭園がある。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:俯瞰1・・・周辺に8ヘクタールの大きな英国風 Schlosspark城庭園がある。

  • 坂道を上がると、少し広めの駐車場があった。<br />そこから徒歩で10分ほど登ると城門があった。35kmでBaldernバルデルン城に到着したが、距離の割に時間がかかった。<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:城門入口

    坂道を上がると、少し広めの駐車場があった。
    そこから徒歩で10分ほど登ると城門があった。35kmでBaldernバルデルン城に到着したが、距離の割に時間がかかった。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:城門入口

  • 11世紀に遡る古い城で、Edelfreien von Baldernバルデルンの騎士が居城とした。<br />天守閣からは東にNoerdlinger Riesネルトリンゲンのリース盆地、南にシュヴェービッシェ・アルプ地方のAlbtraufアルプラウフの眺望が楽しめる。<br />この城の武器のコレクションはドイツ有数のもので凡そ800の西洋・東洋の武器を展示している。<br />天守閣が頭をのぞかせているが1887年に追加で建てられたものだ。<br />1896年から城内は公開された。<br /><br />城内博物館;月休み、ガイド10時 ~17時<br />http://www.fuerst-wallerstein.de/<br />城内博物館の見学; 11:00~11:45 入場料Euro10<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:城郭と城門。

    11世紀に遡る古い城で、Edelfreien von Baldernバルデルンの騎士が居城とした。
    天守閣からは東にNoerdlinger Riesネルトリンゲンのリース盆地、南にシュヴェービッシェ・アルプ地方のAlbtraufアルプラウフの眺望が楽しめる。
    この城の武器のコレクションはドイツ有数のもので凡そ800の西洋・東洋の武器を展示している。
    天守閣が頭をのぞかせているが1887年に追加で建てられたものだ。
    1896年から城内は公開された。

    城内博物館;月休み、ガイド10時 ~17時
    http://www.fuerst-wallerstein.de/
    城内博物館の見学; 11:00~11:45 入場料Euro10

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:城郭と城門。

  • この日は日曜日とあって、城門をくぐって入った中庭には人々が集まり、お祭りのような感じである。<br />3人の楽師が音楽を奏で、思わぬサービスを聞きながら、城内教会前で博物館のガイド案内を待つ。<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:城門内で3人の楽師が音楽を奏でていた。

    この日は日曜日とあって、城門をくぐって入った中庭には人々が集まり、お祭りのような感じである。
    3人の楽師が音楽を奏で、思わぬサービスを聞きながら、城内教会前で博物館のガイド案内を待つ。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:城門内で3人の楽師が音楽を奏でていた。

  • 中世の衣装を着た小母さんがガイドとして登場し、鍵を開けて更に内庭に入った。そこで20人ほどのお客を前に侯爵家の居城の歴史を説明する。<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:ガイドの始まり

    中世の衣装を着た小母さんがガイドとして登場し、鍵を開けて更に内庭に入った。そこで20人ほどのお客を前に侯爵家の居城の歴史を説明する。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:ガイドの始まり

  • 最初の見物は①Brunnenhaus井戸の在る部屋、水をこぼして80mの深さを示す。この井戸を掘るのに25年を要したそうだ。<br />深い井戸だけに水揚げ機が設置されていた。<br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:①Brunnenhaus井戸の在る部屋

    最初の見物は①Brunnenhaus井戸の在る部屋、水をこぼして80mの深さを示す。この井戸を掘るのに25年を要したそうだ。
    深い井戸だけに水揚げ機が設置されていた。

    写真はSchlos Baldernバルデルン城:①Brunnenhaus井戸の在る部屋

  • ②守衛兵士の間には2m弱の石壁、800年の歴史を語る太い木柱、天井が見え<br /><br /><br />写真はSchlos Baldernバルデルン城:②守衛兵士の間

    ②守衛兵士の間には2m弱の石壁、800年の歴史を語る太い木柱、天井が見え


    写真はSchlos Baldernバルデルン城:②守衛兵士の間

  • ③Kueche城の台所と④洗濯部屋<br />台所では召使いは16時間働いて食事の用意をしたと云う。<br /><br />洗濯部屋に洗濯板、プレス機、洗濯機械が置かれていた。<br /><br />ガイドさんは盛んにデイーノというDienoの綴りと思っていたらDienerデイーナー=召使い、下僕、家来の意味だった。<br /><br />写真はバルデルン城:③Kueche城の台所と④洗濯部屋<br />

    ③Kueche城の台所と④洗濯部屋
    台所では召使いは16時間働いて食事の用意をしたと云う。

    洗濯部屋に洗濯板、プレス機、洗濯機械が置かれていた。

    ガイドさんは盛んにデイーノというDienoの綴りと思っていたらDienerデイーナー=召使い、下僕、家来の意味だった。

    写真はバルデルン城:③Kueche城の台所と④洗濯部屋

  • 写真はバルデルン城の古い絵

    写真はバルデルン城の古い絵

  • ⑤Duernitz騎士の間(暖房設備あり)、Wohnraeume der Fuerstlichen Familie侯爵家族の住居部分、 Speisesaal食卓の間、黒いシャンデリアは重さ300kgとか・・・。<br /><br />立派な天井、暖炉や肖像画、風景画など<br /><br />写真はバルデルン城:⑤Duernitz騎士の間

    ⑤Duernitz騎士の間(暖房設備あり)、Wohnraeume der Fuerstlichen Familie侯爵家族の住居部分、 Speisesaal食卓の間、黒いシャンデリアは重さ300kgとか・・・。

    立派な天井、暖炉や肖像画、風景画など

    写真はバルデルン城:⑤Duernitz騎士の間

  • 写真はバルデルン城:侯爵のサロン

    写真はバルデルン城:侯爵のサロン

  • 周辺を眺望できるテラスに出てから、祝典の大広間に。<br /><br />写真はバルデルン城:周辺の緑

    周辺を眺望できるテラスに出てから、祝典の大広間に。

    写真はバルデルン城:周辺の緑

  • ⑥バロック様式のFestsaal祝典の大広間はなかなかのものです。<br /><br />長さ22m、幅11m、高さ7mの長方形の広間は城一番の見応えのあるものでした。<br /><br />写真はバルデルン城:⑥Festsaalフェストザール祝典の大広間

    ⑥バロック様式のFestsaal祝典の大広間はなかなかのものです。

    長さ22m、幅11m、高さ7mの長方形の広間は城一番の見応えのあるものでした。

    写真はバルデルン城:⑥Festsaalフェストザール祝典の大広間

  • 写真はバルデルン城:Festsaalフェストザール祝典の大広間

    イチオシ

    写真はバルデルン城:Festsaalフェストザール祝典の大広間

  • 写真はバルデルン城:祝典の大広間

    写真はバルデルン城:祝典の大広間

  • 写真はバルデルン城:祝典の大広間

    イチオシ

    写真はバルデルン城:祝典の大広間

  • ⑦最後に城自慢のWaffensammlung武器の蒐集の部屋は本日の特別コースには入っておらず、別のコースになるらしい。その為、部屋には入れなかったが、廊下に展示された甲冑、大砲など、少しの武具は見る事が出来た。<br /><br />この城の武器のコレクションはドイツ有数のもので凡そ800の西洋・東洋の武器を展示しているというから、別コースにしたのだろうが、武器好きとしてはちょっと残念だった。<br /><br />写真はバルデルン城:武具蒐集の間

    ⑦最後に城自慢のWaffensammlung武器の蒐集の部屋は本日の特別コースには入っておらず、別のコースになるらしい。その為、部屋には入れなかったが、廊下に展示された甲冑、大砲など、少しの武具は見る事が出来た。

    この城の武器のコレクションはドイツ有数のもので凡そ800の西洋・東洋の武器を展示しているというから、別コースにしたのだろうが、武器好きとしてはちょっと残念だった。

    写真はバルデルン城:武具蒐集の間

  • 城内のレストラン(軽食用)はSchloss-Schenkeシュロス・シェンケ &quot;Zum Marstallツム・マルシュタール&quot;かつての厩舎を改造したものだ。<br />時たま、このスタイルのシェンケを見る事がある。<br /><br />写真はバルデルン城:かつての厩舎と思わせるこの場所はレストランになっていた。<br /><br />・・・・・<br /><br />昼食の時刻であったが、ここでは食べずに、山を下り、20km先の中世の町Noerdlingenネルトリンゲンの町に向かった。<br />

    城内のレストラン(軽食用)はSchloss-Schenkeシュロス・シェンケ "Zum Marstallツム・マルシュタール"かつての厩舎を改造したものだ。
    時たま、このスタイルのシェンケを見る事がある。

    写真はバルデルン城:かつての厩舎と思わせるこの場所はレストランになっていた。

    ・・・・・

    昼食の時刻であったが、ここでは食べずに、山を下り、20km先の中世の町Noerdlingenネルトリンゲンの町に向かった。

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